第6話
「そ、そんなに凄いんですか……?」
テンセイシャが自分の身体を使って一体何をしでかしたのか、不安と恐怖が腹の中で渦巻く。聞きたくない気持ちが強いが、ヘスターは見逃してはくれないようだ。
「周りの空気がどうなろうと爵位や身分関係無しに馴れ馴れしくしてて本当に肝が据わってるわ、あのテンセイシャ。しかも態度を注意した生徒の方が『友人を悪く言わないでくれ』って逆に叱られる始末で、もう雰囲気は控えめに言って最悪よ」
夫人が目を瞬かせ、アマーリエが頭を抱える。テンセイシャが狙っている生徒はみんな嫡男として厳しく育てられている筈である。
異性が距離を詰めようとしても一線引く。下位の爵位の人間が距離感を間違えた場合はあからさまに眉を顰めることはしないものの、やんわりと忠告くらいはする。それくらいの対処はできてもおかしくはないのだ。
テンセイシャ自身の行動も異常だが、本来は常識的な人間をここまで歪ませる能力も恐ろしい。しかもそれを自分の身体を使ってやっているのだから猶更タチが悪い。
きっと学校では自分はとんでもない悪女として忌み嫌われているのだろう。想像すると胃が痛い。
「しかも注意した生徒が叱られた時のテンセイシャの顔と言ったら、「いい気味ね」なんて得意顔してて修羅場よ修羅場」
「ヘスター、そろそろその辺にしてあげてちょうだい。アマーリエちゃんが大変なことになってるわ」
テンセイシャの真似だろうか、ヘスターが相手を見下した顔をしていて死にたくなってくる。いやどうせ死ぬならテンセイシャを絞め殺さなければ死んでも死にきれない。
「でもそうだとしたらアマーリエちゃん大丈夫かしら?」
夫人が眉を下げ気遣わしげな顔をする。既に大分ダメージを受けているが、問題は別の所にもあった。
「学年が違うヘスターが目撃してるということは、この先自分がトラブルを起こしてる様子をずっと静観しなくちゃいけないということよ?それに耐えられる?」
そう、身体を取り戻す為には時が来るまで自分が本物のアマーリエだと向こうには絶対に悟られてはならない。あくまで自分はモニカ・フォン・ローウェルとして学校では振舞っていなければならないのだ。
どんなにアマーリエという人間は権力の強い異性に媚を売り、要領良く気に入られた売女だと罵られても否定したい気持ちに蓋をして我慢しなければならないのだ。
ましてやテンセイシャに突っかかるのはもっての外で、自分の身体が醜態を晒している場面を目撃しても第三者としての反応をしなければならない。事実と異なる噂が流れても躍起になって否定してはならない。それは相応の精神力と忍耐が必要になる。
「一応学校が気遣ってくれてクラスを分けてくれたから授業中は大丈夫だろうけど、噂は頻繁に飛び交うでしょうね」
学年が違うヘスターの耳に入るくらいだ。同じ学年のアマーリエはより多くテンセイシャが複数の男性に媚を売っている場面を見聞きするだろう。我慢によるストレスは相当なものかもしれない。
夫人の話を聞いたアマーリエは手を強く握り締める。その所為で手の平に爪が食い込む。いけない、この身体は借り物なのに。
幸いにも教師陣には既に事情が通達されており、モニカとしての成績や授業態度は元の体に戻ってもそのまま引き継がれる手筈となっている。真面目に大人しく授業を受けていれば大人からの評価は問題無い筈だ。
「となるとアマーリエちゃんが頑張らなければならないことは一つね」
(分かってる。今はとにかく真面目さを先生達にアピールしないと……)
そう思い頷いたのだが、夫人の言葉はアマーリエにとって考えてもいなかったことだった。
「貴女は沢山お友達を作りなさいな。友達じゃなくても良いから色んな人と沢山お話すること」
そう特別ではないことを真剣に話された彼女は一瞬キョトンと惚けてしまう。そりゃあクラスメイトとは多少会話もあるだろうし、モニカとしてなら友人もできるかもしれない。しかしそんなに会話というものは頑張らなければならないことなのだろうか。
よく分かっていない様子のアマーリエに夫人は幼い子に言い聞かせるように諭した。
「いつの日かあのテンセイシャが本当のアマーリエちゃんじゃないと説明できる日が来るでしょう。でもだからといって貴女があんな人とは違うと、切り替えてくれる人がどのくらい居るかは分からないわ。人は変な所で疑い深い生き物だから」
つまり夫人は元の身体に戻ったとしてもテンセイシャと同類だと見られる可能性を懸念しているのだ。アマーリエはとても可愛らしい容姿をしているし愛嬌だってある。恐らく自領に居た頃はさぞやモテていたことだろう。
しかし今はそれが今後信用を築く際の足枷となっている。マナーとしての範囲内の社交辞令や愛想を振りまいただけで、「所詮この女もあのテンセイシャと同じで男を手玉に取ろうとしているんだ」と、心無いことを噂されるかもしれない。
「だからその日が来るまで色んな人とお話して、本当の貴女の性格や人となりをできるだけ沢山の人に知ってもらうの。そうすれば今後謂れのないことを言われたとしても、味方になってくれる人が守ってくれるでしょう?アマーリエ・ニコル・クラークはそんなことするような人間じゃないって」
「そうね、今のうちに一人でも多くの味方を作っておいて損は無いわね」
それはアマーリエにとっては目から鱗の言葉だった。彼女は学校内では生徒で唯一事情を知っているヘスターを頼ろうとしていたのだ。生徒達にはうっかり口を滑らせるなどの情報漏れのリスクを懸念して通達はされていない。だからこそ現在はヘスターが言ったような最悪の空気になっているのである。
自分の事情を理解してくれている相手に頼ろうとするのは極自然な思考なのかもしれない。しかしそうでなくとも味方は作れるのだ。自分がどういう人間なのか知ってもらうという形で。
「分かりました……。私、顔が広い人間になってみせます」
幸運なことにアマーリエは人との会話を楽しめる性格をしていた。これがコミュニケーションが苦手な人間だったら必要なことでもさぞや苦痛であっただろう。
「そうよ、そのいき。お勉強に友達作りに忙しくしていれば、テンセイシャの言動もある程度は意識から外せるでしょ?」
実際にやってみなければどうなるか分からないが、やってみる価値はあるかもしれない。だって今の自分には向こうの非常識な言動の数々に頭を抱えている暇はないのだ。自分のクラスだけでなく、他クラスや上級生にも自分という人間を知ってもらうには時間はいくらあっても足りないくらいなのだから。
アマーリエの白かった頬に血色が戻る。不安に下がっていた眉も解消され、気力を取り戻したのが傍目にも分かった。
それで良い。今は空元気でも何でも良い、この長い戦いを乗り越えるには最後まで気力と活力を絶やさないのが大事なのだ。
夫人はどうかその時が来るまで彼女の精神力が保ってくれることを祈った。
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