第60話
王は冷たい視線を向けるだけで何も言おうとしない。次第に戸惑いを見せるバーナードだが、王は視線を外すと周囲を見渡した。
「皆の者許す。面を上げよ」
王の許しを得てからようやく顔を上げるモブ達を見たテンセイシャは、前世で見た漫画を思い出して「そういえば王様からの許可がないと頭を上げちゃいけないんだっけ?」と今更慌て出す。しかし直ぐに「まぁいっか」と流してしまった。
全く良くは無いのだが、王は彼女の行動を咎めたりはしなかった。別に許しているのではなく、彼女の行動の一切を無視している故である。
全員が顔を上げたのを見届けた王は煩わしそうに口を開く。早く黙らせないと、この二人がいつまで経っても騒ぎそうな空気を感じ取ったのだ。
「婚約の無効はオブライエンからの申し立てだ。お前から暴力を受けたことを理由にされたら断れないに決まっているだろう」
「え?暴力?」
彼女がキョトンとどういうことだと目を向けるが、バーナードはグッと口籠ったまま答えない。この期に及んで彼女への見栄を切ろうとする息子に、溜息が出そうだった。
何のことか分かっていないテンセイシャと違い、この場に居る者達は王の言葉に得心した。
女子供に手を挙げるのは貴族男性が最もやってはいけない行いの1つである。暴力が原因で男性側の有責で離婚や婚約破棄になった例も複数記録に残っている程だ。
つまり婚約を破棄ではなく無効にしたのは、オブライエンからの慈悲だったのである。それを本人は知らなかったとは言え、恩を仇で返してしまったが。
「それに私の耳が間違っていなければ、先程お前の勝手な判断で家同士の婚約を破棄しようとしていなかったか?」
「そ、それはエリザベスが罪を犯したからで……、婚約が無効になっても彼女の罪が無くなる訳ではないでしょう?」
彼等の会話を聞きながら、周囲の者達ははて?と訝しむ。去年に婚約が無効になっているのならば、殆どの前提が覆るのではないだろうか。
無効になるまでならいざ知らず、それ以降はとうに婚約者でも何でもないのだから嫉妬する理由もないと思うのだが。
周囲が気付き始めている中、正義の施行に目が眩んでいる彼等と、目標の達成しか見えていない彼女は前提の矛盾に気付けなかった。
王は手を顎に当て、思案するような仕草をする。だがそれはあくまで問題児達を油断させる為のパフォーマンスでしかない。それに見事に釣られた彼等は、王も何だかんだ言って味方でいてくれると顔を明るくさせた。
バーナードの言い訳も本当にエリザベスがやっていたならの話であるというのに。
「アマーリエだとかいったな、ではそなたに尋ねる。階段で突き飛ばされた時の状況を詳細に述べよ」
話を聞く姿勢の国王に、勝利を確信したテンセイシャは上手くいっていると疑わずに声を張り上げる。
「三日前の放課後の事でした。私はエリザベス様にもう嫌がらせは止めてもらうように、あの大階段で話し合いをしたんです。でも怒った彼女に突き飛ばされてしまって……」
「そうか、あそこから突き落とされて軽傷で済んだのは奇跡だな」
王からの労わりの言葉に勝利を確信した彼女は、「はい!自分でも信じられません!」と余計な一言を付け加える。
「それについて皆に見てほしい物がある。アレを持ってまいれ」
折角証言したのにエリザベスの罪を追求しようとしない王に、肩透かしを食らった彼女は不満げに眉を顰める。
数人がかりで運ばれて来たのは二つの小柄な人間サイズの藁人形だった。一つは首の部分が無惨にへし折れ、他にも頭部、太腿、脛や背中にも損傷が及んでいた。もう一つは両腕と両足、腰の部分が大きく損傷し、その異様さが醸し出す不気味な雰囲気に、見た人間の誰もが総毛立った。
「さてアマーリエ嬢、これが何だか分かるか?」
「い、いいえ……」
不気味な人形としか思えず、彼女は正直に首を横に振る。それを聞いた王は無感情な瞳から一変、爛々と剣呑さを孕ませ口端を歪ませた。
「それは実際の人間の固さとそなたの身長、体重を再現した人形よ。そなたの証言通りにあの階段で検証をしたらこうなったわ」
「…………!」
テンセイシャも彼等も息を呑む。男達は一歩間違っていたら彼女がこうなっていたかもしれない恐怖に。彼女は完璧だと思っていたのに、まさか事前に検証されていたとは予想できず動揺を見せる。
「こちらから見て右が、腕などで急所を庇っていた場合。左が庇えなかった場合だ。いや階段から落ちて軽い捻挫と打ち身程度で済んだのは本当に奇跡だな?」
王は愉しそうに、それでいて怒りを向けるようにねめつける。焦った彼女は慌てて証言を翻した。
「そうだ!説明を忘れてました!咄嗟に防御魔法を展開したんです。まだ授業で習っていないんですけど、早く色んな魔法を習得したくて図書室で勉強していたのが役に立って……」
奇跡で済ませようとしたのは無理があったかと彼女は防御魔法の存在を話す。使ったこと自体に間違いは無いし、咄嗟の判断なら何とか誤魔化せる筈だ。
「な、何なんですかさっきからアマーリエばかり問い詰めて!彼女が突き落とされたところは何人もの人が目撃しているんですよ!」
恋心を向けている彼女にだけ悪意ある質問の仕方をする父親に、これ以上は見ていられないとバーナードが抗議をする。
彼女の軽傷は奇跡ではなく防御魔法を展開したからだと分かったが、彼女の努力のお陰でエリザベスの罪は殺人から殺人未遂に変わったに過ぎない。
それにエリザベスの姿をグラウンドで見たと証言している生徒も確かに存在するが、エリザベスが彼女を突き落としたところをハッキリと目撃した生徒も居るのだ。その者達を無視して彼女だけ証言の矛盾を問い質すなんて行い、やって良い筈が無い。
「お前の言うことも尤もだ。ではその目撃者に聞いてみよう。当時エリザベス嬢とアマーリエ嬢を大階段で目撃した者は挙手を」
王の質問にチラホラと手が上がる。ほらやっぱり、ちゃんとエリザベスの蛮行を目撃した人間は存在しているのだ。その光景を見て彼等は安心し、彼女は自信を取り戻す。
「ではその中で二人の会話の内容を聞いた者は挙手を続けよ。聞いていない者は手を降ろせ」
目撃者達はお互いに顔を見合わせて手を降ろす。一人、また一人と手が降ろされ、最終的に挙手している者は誰も居なくなった。
この質問の意図が分からない彼等とは対照的に、テンセイシャは心臓を縮み上がらせる。
(まさか……でも大丈夫。だって聞いてた人なんて誰も居ないもん)
例え後であの時の会話を聞いていた人間が名乗り出たとしても、一度彼と婚約してしまえばこっちのものだ。だから大丈夫。
「では最後に大階段とは別の場所でエリザベス嬢を目撃したものは挙手を」
それはテンセイシャにとって奇妙な質問だった。あの日以降学校に来ておらず、見舞いに来ていたバーナード達も彼女に心配をかけまいとして何も話していなかったのだ。あの時間にそれぞれ別の場所でエリザベスが目撃されていたことなど。
何も知らない彼女は王の質問に「何それ?そんなの居る訳ないじゃん」と心の中で馬鹿にする。しかし予想に反して複数人手を挙げる者が居たので、彼女は大いに動揺した。
「そんな!あり得ない!」
「そうか、そなたはその以降学校を休んでいたから知らぬか。あの時エリザベス嬢が二人同時に目撃されていて、学校では大変な騒ぎになっていたのだよ」
「…………っ!」
動揺のあまり叫ぶ彼女に王は楽しそうに説明する。エリザベスが無策であの場に来たと思っていただけに、してやられたとすまし顔でいる彼女を睨みつけた。
(まさか影武者!?でも悔しいけど、あんな美人が何人も居るとも思えない。……あぁもう!バーナード達はなんで話してくれなかったの!そうすれば手は打てたかもしれないのに!)
明らかに動揺している様子を見せ始めた彼女に、愉快だと笑い出しそうになるのを堪えながら王は種明かしをすることにした。
「ではもう一人のエリザベス嬢を呼んでみようか。入って参れ」
王の合図で会場の入り口の扉は開かれた。




