第45話
(黄緑のドレス……!違う……、違う……!これも違う……っ!)
血走った目で黄緑のドレスを着た少女の顔を確認するテンセイシャは傍目から見ても異様だった。うっかり目撃してしまった生徒達がさりげなく距離を取るが、視線すら寄越さない。
(見つけた!)
後ろ姿ではあったが、誰かと話をしている横顔は探している本人だった。
頭に血が昇っているが、いくらか悪知恵を巡らせるだけの冷静さはあったテンセイシャは、表情を取り繕って彼女に話しかける。
「エリザベス様ぁ、あちらで面白いものを見つけたんです。見に行きませんかぁ?」
一方エリザベスは、突然の猫撫で声に直ぐに彼女が何か企んでいると察知した。
「あらそうなの?一緒に行きましょうか」
前半のセリフはテンセイシャに、後半のセリフは隣に立っている少女へ向けられている。
恐らく彼女は嘘の話で人気の無い場所へと誘って何かしでかそうとしているんだろう。その手には乗ってやらないと、自然な流れに見えるよう第三者の人間も誘った。
隣に居る少女は護衛を買って出てくれたリンブルクの部下の一人である。万が一の為に配置させておいた囮にテンセイシャが絡んだと、彼女から説明を受けたエリザベスはありがたく厚意に預かっていたのだ。
その際に絶対に一人にならないようにとも忠告を受けていたので、テンセイシャから不自然な誘いを受けても素知らぬふりをして対処したのである。
(は?そこは一人で来いよ?)
上手く連れ出す算段だったのに余計な者も着いて来そうな気配に一瞬眉を顰める。直ぐに取り繕ったが生憎とエリザベスはそれを見逃してはいなかった。
「でもぉ、私エリザベス様と仲良くしたくてぇ。二人で沢山お喋りしたいなぁって」
しなを作りながら隣の少女を睨みつけて、言外に「お前は着いて来るな」と圧をかける。
しかし部下にとってはたかが小娘の睨みなど蚊に刺されたようなものである。鈍感なフリをして「二人よりも三人でお話しした方がもっと楽しいですよ」と逆に誘いをかけた。
「実はエリザベス様にだけお話ししたいことがありまして……。だから他の人が居る所だとちょっと……」
空気読めよ!と思いながらこれなら隣の邪魔も引き下がるだろうセリフを言う。
だから早くあっち行けと念を送るも、二人はこの場から頑として動かなかった。
「あらそうなの?なら耳打ちしてくれる?大丈夫よ、万が一聞こえたとしても彼女は口が固いから」
隣の少女も勿論だと自信満々に頷く。
何を言ってもこの場から動こうとしないエリザベス。そして空気を読まない邪魔なモブ。
今までトラブルが起きつつも概ね上手くいっていたことと、これまで攻略キャラ達に甘やかされていた弊害で耐え症が無い彼女は、ついにカッとなってしまった。
「………い……んせ…………に…………て」
「え?」
極小さな声だったのでエリザベスが聞き返すと、突然テンセイシャがエリザベスの腕を掴もうとする。
驚いたエリザベスが腕を引こうとするも、まさかこんな人目のある所で暴挙には及ばないだろうという油断もあってか、反応が遅れてしまう。
動けない彼女の代わりにテンセイシャの腕を掴んで阻止したのは隣の少女だった。
「何すんだよ!」
「今、彼女に何しようとしたの?」
「アンタには関係無いだろうが!離せよ!」
暴れるテンセイシャだが、少女の手はビクともしない。その様子を見つめながらエリザベスは、彼女のやろうとしたことに思い至る。
(今……強引に人気のない場所まで連れて行こうとしたの……?)
それは奇しくも、元婚約者が以前行ったのと似た行動だった。いや、元婚約者が彼女に似てしまったのか。
朱に交われば赤くなるとはどうやら本当のことらしい。
「スタッフさん!こっちです!」
どうにか腕を振り払おうとしているうちに、この騒ぎに気付いた生徒がスタッフを伴ってやって来た。
「お客様!落ち着いてください!」
「離せよ!私じゃなくてコイツが悪いんだよ!」
女性スタッフがエリザベスを守るように壁となり、男性スタッフがテンセイシャを取り押さえようとする。
自分に都合の悪いことをする奴は全員敵だと、彼女は滅茶苦茶に暴れだした。
エリザベスがヒロインの自分の言うことを聞かないから悪いんだ。コイツさえ自分の運命を受け入れて言うことを聞いていれば全てが丸く収まるんだ。
全てをエリザベスの所為にして暴れるテンセイシャだったが、首元にチクリと針で刺されたような感覚がすると共に目の前が真っ暗になった。
急に力を失った彼女の身体をスタッフが慌てて支える。何が起きたのかと様子を確かめれば、顔色も良く呼吸も深い。どうやら眠っているようだった。
「まったく人騒がせな……。ベッドに運ぼう」
そうして彼女はスタッフに抱えられてドアの向こうへと姿を消したのだが、エリザベスは緊張した面持ちでテンセイシャから護衛の少女へと視線を移す。
少女は指輪の飾り石の部分を元の位置に戻していたのだが、見てしまったのだ。
あの飾り石が開いて鋭い針を覗かせたところを。そして少女が躊躇なく彼女の首筋にその針を刺したのを。
少女と目が合いドキリとしていると、彼女はイタズラが見つかったかのようにバツの悪い表情をして。
「ご安心ください。ただの眠り薬ですよ」
と耳打ちしたのだ。
(安心しろと言われてもできないわよ……)
エリザベスの背に冷や汗が流れる。もしこれが眠り薬じゃなくて猛毒だったら、今頃テンセイシャは忽ち命を落としていた。
バーナードとの婚約をぶち壊した元凶と言えど、死んでほしくはない。
リンブルクが律義で理性的で良かった。もしこれが、効率を重視して命を見捨てることも厭わない冷徹な家だったら、テンセイシャは今頃とうにあの世行きだったかもしれない。本当のアマーリエである少女の嘆きも切り捨てて。
今回は味方でいてくれて助かったけれど、次も味方でいてくれるかは分からない。かの家だけは絶対敵に回さないようにしようと、エリザベスは固く心に誓った。
会場が落ち着きを取り戻し、偶然にもこの騒動を見ていたアマーリエの友人達はホッと胸を撫で下ろす。
「びっくりした……。何なのあの人……?」
早鐘を打つ胸を手で押さえるマーガレットの言葉は、誰に聞かせるものでもなかった。それに彼女達は呆然と首を横に振る。
エイワーズに喧嘩を売るなんて社交界で生きる者にとっては信じられない自殺行為である。
だが彼女のあの振る舞いは、喧嘩を売る範疇を超えた常軌を逸したものだった。有体に言えば狂人、精神異常者のような。
「モニカ、貴女よく思いついたわね。スタッフを呼ぼうなんて」
あの時彼女達は最初何が起きたのか分からず、次に理解すると恐怖で固まって動けなくなってしまったのだ。
思考停止してしまった彼女達に唯一できたのは、ただ身を寄せ合って嵐が過ぎ去るのを待つことだけだった。
それをアマーリエは「スタッフを呼ばなきゃ」と、近くに居る男性のスタッフへと駆け出したのだ。それで友人達もハッと我を取り戻して動けたのである。
「お姉様から『何か起きたらスタッフを呼びなさい』って言われてたの」
本当は少し違う。ヘスターからは「これから騒ぎが起きるかもしれないから、その時はスタッフを呼んでほしい」と頼まれていたのだ。
その際に絶対にエリザベスを助ける為にテンセイシャに直接対峙しようとはするなとも。
アマーリエの正義感は評価するとした上で、既に一度平民に暴言を吐いた彼女に平手打ちをかました自分は覚えられている可能性があると、ヘスターから指摘を受けたのだ。
基本的には一部の人間以外は記憶に残さない性質を持つテンセイシャでも、また対峙すればあの時の女だと思い出してしまうかもしれない。そうなれば彼女の排除の対象になってしまう。
一番考えなければならないのは自分自身の身を守ること。もし彼女の暴挙を止めたいのであれば、他の人間の手を借りることも覚えろと釘を刺されたアマーリエは、ちゃんと約束を守ったのだ。
あの時随分と心配かけてしまった自覚はあるので。
「アン様はこういうのに慣れてらっしゃるのね」
感心しているキャサリンの言葉に、リンブルクだからとは言えず、アマーリエは笑みで誤魔化した。




