第31話
みんなが待ちに待ったソル・マッセ当日。街ではお出かけを楽しむカップルや家族連れで溢れ、幸せそうな空気に満ちている。
普段は質素に暮らしている孤児院でもこの日ばかりは楽しそうな笑い声でいっぱいになっていた。
一人一人が滅多に食べられない美味しいお菓子とおもちゃを配られ、頬をリンゴのように赤く染めてはしゃぎ回っている。
職員の言うことを聞いて行儀良くしつつも、喜びを爆発させる子ども達の様子に、慈善委員会のメンバーも目を細める。やはり子ども達は笑顔でないと。
そしていよいよもう一つのメインイベントである絵本の読み聞かせが始まる。
この日の為に練習してきたアマーリエが前に出ると、残りのメンバーは部屋の後ろに移動し様子を見守る。その中には絵本の制作に協力したナタリアや、彼女の友人であるエリザベス達も応援に来ていた。
子ども達がワクワクとした表情で座り、物語の始まりを待っているとやはり緊張は高まっていく。ウケなかった時の為に既存の絵本も持って来たが、出番が無いを切に願うばかりである。
この日の為に喉の調子も整えて来た。リンブルク家の人達からもアドバイスをもらった。
キャラのセリフを喋る時はオーバーに、地の分も普段よりゆっくりめに、あと特に大事なのは自分が楽しむこと。
控え目に深呼吸をするとアマーリエは子ども達に見えるように本を開く。
「『ジャック、お客さんだよ』ある大きな街で探偵をしているジャックに一人のお嬢さんがやって来ました……」
出だしは好調。焦らずゆっくり落ち着いてと自分に言い聞かせながら話を語り、時折子ども達の様子を見る。
子どもの反応は悪くない。中には内容を理解できないくらいの幼い子も居るが、そんな子も真剣に話に聞き入っていた。
「……ジャックは見事依頼を解決し、お礼を言うメアリーにこう言いました。『いえいえ、私は紳士ですからね』……おしまい……」
締めくくると子ども達からお世辞ではない拍手が沸き上がる。「楽しかった」と口々に笑顔で言われ、ホッとしてナタリアの方を見た。
彼女も成功の空気に喜びを顔にみなぎらせて目を合わせ、周りを取り囲む友人達が「良かったわね!」と祝福の言葉をかける。
充足感に浸りながら本を閉じると、もらったばかりのクマのぬいぐるみを大事そうに抱き締めた女の子がやって来る。そしてアマーリエの足元でチョコンと首を傾げると、こんなことを聞いて来た。
「お姉ちゃん、『しんし』ってどういう意味なの?」
アマーリエは少し考え込む。紳士とは一般的に社会的地位の高い男性を指すが、この場合は違う意味になる。
「そうねえ……頭が良くて、礼儀正しくて、優しい男の人ってことかな?例えば女の人には優しくしてくれて、困っている人がいれば助けてくれて、乱暴なことを言ったりしたりしない人のこと」
「ジャックみたいに?」
アマーリエは「そうだよ」と頷く。探偵ジャックは教養が高く、奉仕精神が高い設定にしている。
ナタリアと決めゼリフのようなものがほしいねと話した時に、彼のキャラクター性を一言で表す「紳士ですから」というフレーズが生まれ、そこから彼の人物像も自然と浮き上がったからである。
女の子は一つ笑みを深くすると、「私、ジャックみたいなしんしと結婚する!」と高らかに宣言する。彼女に釣られて他の子も紳士と結婚したいと理想の結婚を次々とアピールし始める。
女子達にとって物腰が穏やかで優しく、頭の良い「紳士」という人間は見事に刺さったようだった。これは男の子も頑張らなければならないだろう。
その後他の孤児院でも絵本は好評で、訪問が無事終了したお祝いに、委員会でささやかなパーティが開かれた。絵本作りの制作に携わったナタリアやエリザベス達も一緒である。
会話には時折制作の苦労話や、エリザベスの話作りのアイデアなどの制作秘話が交じり、あっという間に楽しい時間は過ぎていった。
気付けばもう夕方に差し掛かり、そろそろ家族と過ごす時間となる。バタバタしながら各々家へと帰って行き、アマーリエも今の家であるリンブルク家へと帰路を急ぐ。
家に近づくにつれてアマーリエの心臓の鼓動が高鳴る。家族はもう来ているだろうか。本当に会えるだろうか。
はやる気持ちで家に着くと、使用人に迎えられて応接室へと案内される。当主の向かい側のソファには夢にまで見た両親と弟が座っていた。
沢山心配をかけてしまったからか両親は最後の記憶よりも少しやつれていて、それでも元気そうだった。ルイはあれから少し背が伸びている。
「お父様!お母様!」
「……?もしかしてアマーリエなの……?」
今の彼女はアイリーンの身体を借りている。最初はいきなり初対面の人間に呼ばれて訝し気に見ていた三人だが、最初に母親が気付いてハッとした顔になる。
アマーリエは一生懸命首を縦に振ると、母親は泣きそうな顔で腕の中に迎えた
「あぁ!アマーリエ!」
少し苦しいくらいに抱き締められるのがこんなに嬉しくて安心するものなんて知らなかった。自然と視界がぼやけてきて我慢していると、懐かしい声と共に苦しさと温もりが増してくる。
「姿が変わってしまってごめんなさい。今はアイリーンって子の身体を借りてるの」
「良いのよ。アイリーンにも感謝しなくちゃね」
「そうだ。謝る必要は無いんだぞ」
ようやく再会できた彼女達は離れていた時間を埋めるように抱きしめ合う。たとえ姿が変わっていようと、それは確かに家族の姿であった。
一頻り温かさや匂いを堪能して離れると、見守っていた当主に詫びを入れる。彼は構わないと首を横に振った。
「姉様ごめんなさい、ロジーは連れて来られなかったよ。子どももまだ小さいし……」
申し訳なさそうにしている弟に大丈夫だと微笑む。実家で飼っている犬のロジーは子どもを産んだばかりの母犬である。まだ子どもも三カ月くらいだし、長旅にはまだ耐えられそうにないだろう。
身体を取り戻して堂々と実家に帰れるようになったら、思う存分親子まとめて愛でるつもりである。
「さあ、積もる話もあるだろうしお茶を運ばせよう。その後はパーティだ、クラーク夫妻もルイ君も存分に楽しんでくれ」
その日のアマーリエは今までできなかった分を取り戻すように親に甘え、弟を慈しんだ。
手紙には書ききれなかった話も沢山した。リンブルク家の人のこと、新しく出来た友達と最近何をしていたか、自分が今何を頑張っているか、今日の孤児院での出来事などを。
その日ばかりは月が真上を越えても自然と瞼が落ちるまで、ずっと部屋から話し声は絶えなかった。




