第2話
「ほらほら座って。時間が勿体無いから」
<はあ……>
少しだけ雰囲気に飲まれていたアマーリエを同じくらいの歳の金髪の少女は気安い言葉で急かす。貴族令嬢らしからぬさっぱりとした言葉遣いに少々面食らいながらも、お茶用の椅子に腰掛けて丸テーブルを挟んで彼女と正面から向き合う。
そこへ人間のメイドが入ってきて彼女達と自分の三人分のお茶と茶菓子を出すと退出していった。生きているメイドからしたら部屋に居るのは金髪の彼女一人だけなのに、当たり前のような仕草で三人分を出したのである。
きっと慣れているのだろう。嬉しいけれど今の自分は幽霊で、お茶もお菓子も楽しめない。悲しい気持ちになりながら美味しそうなそれを眺めていると。
<ほら、まずは意識をお茶に集中して>
<え?>
横から声をかけられマイを見ると、彼女はもう一度「お茶に意識を集中するの。色とか香りとか感じようとして」と言う。幽霊でも目や鼻で楽しむことはできるだろうということなのかと思っていたが。
<その上でこのお茶を味わいたいと念じながら持ち上げると……ほら>
なんと本物の紅茶からすり抜けたように薄っすらと透けた紅茶が現れたのだ。カップの大きさも柄も本物と瓜二つでまるで紅茶の幽霊のようだった。
やってみてと言われ自分もとりあえず挑戦してみる。手順通りに始めは目の前の紅茶から漂う温かな湯気や、鼻を擽る香りを感じ取る。
……良い香りだ。きっとうちのよりも高い茶葉を使っているのかもしれない。
次に教わった通りにこの紅茶を味わいたいと念じる。十分に念じたところでドキドキしながらカップの取っ手に指をかけて持ち上げてみた。
<あ……>
できたのだ自分にも。確かな重さと指に伝わる仄かな温もり。
恐る恐る口を付ければ舌に広がる爽やかな香りと、フルーティーで渋みがありつつもクセの無い味わい。紅茶の温かさと美味しさで、無意識のうちに強張っていた肩の力が抜けていくのが自分にも分かった。
<上手上手。食べ物もさっきと同じ要領でいけば食べられるから>
マイに促されてマドレーヌを先程と同じように集中して念じながら摘まむ。一口齧ればバターとミルクの甘い風味が広がった。
(美味しい……)
マドレーヌはアマーリエの好物である。幽霊になっても好きな物が食べられるなんて思いもしなくて、涙腺が緩みそうになるのを慌てて指で拭う。
人とは現金なもので、幽霊になっても飲食を楽しむ方法を教えてくれた。それだけで悪い人ではないのかもしれないと考えてしまう。多分少なくとも入っていきなり噂のような扱いはされないのではないだろうか。
「さて、落ち着いたところで私はヘスター。リンブルク家の次女でルカヤ魔法学校の2年生。アンタは1年生でしょ?」
ヘスターと名乗った金髪の少女はアマーリエの制服の赤いリボンを指差す。彼女達の通う学校は男子は肩章で、女子はリボンの色で学年が区別できるようになっている。1年生は赤、2年生は緑、3年生は青といった具合に。
<あっ、はい!ロユア男爵の娘のアマーリエ・ニコル・クラークです。あの、ヘスター様は学校は……?>
「私は大丈夫、影武者置いて来たから。それよりも奇妙よねぇ、アンタの身体はまだ生きてるってのに魂の方はこうして幽霊になってる。一体全体どんな経緯であんな状態になってたの?」
果たしてそれは本当に大丈夫なんだろうか。そう思うも話を進められてしまい言うタイミングを逃してしまう。
気にはなるが今は自分が陥った不可解な状況の方が重要だ。アマーリエは校舎に入ろうとしていたら急に幽霊になってしまったこと、身体の方は勝手に動いてしかも変なことを喋り出したことを話した。
「あぁ、それはテンセイシャに身体を乗っ取られたんだねぇ。噂くらいは聞いたことがあるでしょ?」
<テンセイシャ!?>
合点がいったというように頷くヘスターとは対照的に、アマーリエは驚きでひっくり返りそうになる。
テンセイシャとはこの世界で偶に出現する異世界からの来訪者の魂のことである。彼等、また彼女等は自分たちのことを「テンセイシャ」と呼ぶことから名付けられた。
既存の人間の身体を完全に乗っ取ったり、あるいは元の人格の魂と肉体を共有する形で現れることもある。前兆も乗っ取られる人間の共通点も、テンセイシャが入り込んだ際に元の魂がどうなるのかも一切が不明。
歴史上テンセイシャが起こした大事件や大発見は様々な書物にも記録されており、国によっては災厄とも恩寵とも呼ばれる一種の天災のようなものである。
現在テンセイシャだと判明している人間は国によって監視されているが、秘匿している者も含めれば更に数は増えると研究者の間で予測されている。
その触れればどう転ぶか分からない爆弾のような存在に、身体を乗っ取られてしまったのだ。
「アンタの場合はテンセイシャの魂が肉体に入り込んだ際に、魂が追い出されちゃったんだねぇ」
飄々と見解を述べるヘスターの声が聞こえているのかいないのか。アマーリエは自分の身体を抱き締める。
まさか人生でこんなことが起きようとは思ってもいなかった。自然と恐怖で膝が震えてくる。
彼女の背中をマイが擦る。不思議と手の平から体温が伝わって、寒さが和らぐような気がしてきた。
「まぁ何とかなるでしょ。うちは天下のリンブルク家だし、お父様も居るし」
ヘスターは完全に他人頼りのことを言うと、「書記係り」と呼んで紙とペンを持った幽霊を呼び寄せる。
「それで、アンタの身体を乗っ取った奴って何か言ってなかった?訳の分からないことでも曖昧でも良いから全部話して」
<えっと確か……。最初にナントカの世界って言ってたんですけど、上手く聞きとれなくて……。他はイセカイテンセイとかヒロインとか。あと逆ハーエンドになったらどうのこうのってのも言ってました>
アマーリエが話した内容を書記係の幽霊が目にもとまらぬ速さで書き留める。そうして出来上がったメモを見たヘスターが「オウ……」と妙な声で唸った。
「うーん、これは……。典型的なヒロインを自称するテンセイシャだねぇ」
ヒロインとは一般的には物語の女主人公の意味であるが、この場合はまるで自分がお伽話の主人公であるかのように振る舞うテンセイシャのことを指す。
普通の人間なら頭のおかしな奴だと周囲から不審な目で見られて終わりだが、テンセイシャの場合はそうはいかない。
神から不思議な力でも与えられているのか、ヒロイン系のテンセイシャは王族や一定の地位を約束されている有望な人物ばかりを魅了してしまうのだ。まるでそうなることを約束されているかのように。
婚約者だった令嬢が突然婚約破棄され、代わりに身分が釣り合わない令嬢と新たに婚約するなんて話はどこの国でも探せば1つや2つは出て来る。アマーリエの身体を乗っ取っているテンセイシャも恐らくそれを狙っているのだろう。
「ちなみに王子様と結婚したーい、なんて願望は……」
<そんな恐れ多いことできません!同じ年頃の王族には既に婚約者がいらっしゃいますし、私には家督を継ぐ役目もありますので!>
「まぁそうだよねぇ」
アマーリエはとんでもないと立ち上がって否定する。魔法の才能を民や家族の役に立てたい気持ちもあるし、良い職に就いてバリバリ活躍したい気持ちもある。
しかし王子と結婚なんてそんな大それたことは考えたこともないし、したいとも思えない。自分に王子妃は荷が勝ち過ぎる。
『はー流石オトメゲーの世界。コウリャクキャラみんなマジでキラキラしてるわー』
その時自分ではない何者かの声が頭に流れ込んで来る。令嬢らしくない下品な言葉遣いからして、身体を乗っ取っているテンセイシャだろうか。お陰で頭の中が非常に煩い。
<すみません。急に頭の中に誰かの声が流れ込んで来て……>
「多分テンセイシャだね。声に集中して、何を企んでいるのか分かるかもしれない」
頭の中に流れ込む声がテンセイシャの本来の声なのだろう。学校の時のような自分自身が喋っているような羞恥は無く、お陰で聞き取りに集中できた。
『逆ハー目指すってなったらこの日までに出会いのイベントを済ませて、成績は期末テストまでに座学をBプラスにしなきゃいけないのかー。うわめんどくさー。でもしょうがないか。
みんな顔が良くて金持ちだから、一旦落とせば後はチヤホヤされて貢がれる生活を送れるし、もし結婚しなきゃいけなくなったらバーナード選んどきゃ大丈夫っしょ』
<やめて!!>
ところどころ訳の分からない単語が並んでいたが、とんでもない阿婆擦れのようなことを考えているのは理解できた。
アマーリエは貴族令嬢らしく、娼婦のように複数の男と関係を持つ思考とは無縁である。自分の身体でそんなことをされたらどんな噂が流れるか考えなくても分かる。
突然叫んだアマーリエに、ヘスターは少し肩を跳ねさせた。
「どうしたの?」
<向こうの人……、バーナード殿下を始めとした複数の殿方を誑かそうとしています……!>
その時、羞恥のあまり俯いていたアマーリエは、ヘスターの剣呑さを孕ませた笑みには全く気付いていなかった。