幸福
青空が広がる晴天の下、村は普段とは違う活気に包まれていた。魔女の影に怯える日々が続き、村人たちは常に緊張感を抱いていたが、この日は特別だった。村の中心にある古くも美しい木造の教会では、リリアとマーヴィンの結婚式が行われていたのだ。幼い三歳の娘、エイダを抱える二人は、この晴れの日を迎えられたことに感謝し、幸せの絶頂にあった。
教会の内部は木の香りが漂い、柔らかな光がステンドグラスを通して差し込んでいた。リリアは純白のウェディングドレスに身を包み、緊張と喜びが入り混じった表情で、隣に立つマーヴィンの手をぎゅっと握りしめていた。マーヴィンもまた、彼女の手を握り返し、彼女への愛と決意を瞳に浮かべていた。二人は祭壇の前で神聖な誓いを交わし、牧師の導きに従って洗礼の儀式を終えた後、互いに指輪を交換し、誓いのキスを交わした。
教会の外に出ると、花々で飾られた草原が広がっており、そこでは村人たちが賑やかな披露宴を楽しんでいた。色とりどりの花々が風に揺れ、鮮やかな花弁が陽光を受けて輝いていた。リリアの妹、ヘーラはリリアに声を掛けてしばらく話そうと誘った。
ヘーラとリリアは、披露宴の賑やかな音を背に、少し離れた草花が咲き誇る場所に腰を下ろした。草の上に広がる花々は、二人が幼い頃から慣れ親しんだものだった。ヘーラがリリアを見つめると、彼女の目にはほんの少しの涙が浮かんでいることに気づいた。リリアは微笑みながらも、その涙を隠すために顔を少し背けた。
「リリア、今日は本当におめでとう。」ヘーラが優しく声をかけた。
リリアは軽く肩をすくめ、「ありがとう、ヘーラ。なんだか夢みたい。マーヴィンと結婚できるなんて、昔はただの夢だったのに。」
ヘーラは彼女の言葉に頷き、「マーヴィンがあんなに鈍感だったなんて、思いもしなかったわね。覚えてる? あなたが彼に初めて想いを伝えようとした時、あの湖でのこと。」
リリアは思わず笑ってしまった。「もちろん覚えてるわ! あの時、私たち三人で湖のほとりでピクニックしていたんだけど、マーヴィンったら、私が『特別な話があるの』って言った時に、魚の話を始めたのよね。全然話が噛み合わなくて、結局告白できなかった。」
「そうそう!」ヘーラは声をあげて笑い、「結局その後、私が間に入ってあげなきゃならなかったんだから。あなたが本気で泣き出す前に、マーヴィンに『リリアが何を言いたかったのかわかってる?』って問い詰めたのよ。マーヴィンの顔が真っ赤になって、やっと意味が通じたみたいだったわ。」
リリアはその思い出に微笑み、顔を赤らめた。「あの時は本当に恥ずかしかった。でも、そのおかげで今があるのよね。」
ヘーラはリリアの手を優しく握りしめた。「私たちは三人で本当にいろんなことを乗り越えてきたわ。覚えてる? 冬の寒い日に、私たちが村外れの森で迷子になった時、マーヴィンが私たちを暖かくするために、どうにかして焚き火を起こそうと必死になっていたこと。」
「ええ、覚えてるわ。」リリアは少し涙ぐみながら、「その時、彼がどれだけ私たちを大切に思ってくれているのかを初めて感じたの。その夜、私たちは寒さに震えながらも、彼の温もりに包まれて、安心して眠ることができた。」
ヘーラはしみじみとした表情で頷いた。「そして今、あなたはそのマーヴィンと夫婦になったのよ。これから先も、彼があなたを守ってくれるって信じてるわ。」
リリアはヘーラの言葉に感謝の気持ちでいっぱいになり、彼女を見つめた。「ありがとう、ヘーラ。あなたが私を支えてくれたからこそ、今の私があるのよ。これからも、あなたは私の大切な妹でいてくれる?」
ヘーラは微笑みながらリリアの手をさらに強く握りしめた。「もちろんよ、リリア。いつまでも、あなたのそばにいるわ。どんな時でも。」
二人はしばらく無言で、お互いの手を握り合っていた。三人で過ごした幼少期の思い出が、彼女たちの心に温かい光を灯していた。その光は、これからも二人の絆を照らし続けるだろうと、どちらも信じていた。
王妃の登場は、それまで穏やかだった村の披露宴に、一瞬にして神聖な空気をもたらした。草花で飾られた広場の中央、祝宴の最中に、遠くから優雅に進む王妃とその護衛の姿が見えてくる。村人たちはその荘厳な姿に驚き、そして次第に彼女が誰であるかを理解すると、自然と頭を垂れ敬意を示した。
「皆様、どうか頭をお上げください。」王妃の声は優しく、しかし堂々とした響きを持っていた。彼女の柔らかな笑顔とともに、空気が和らいだ。「私はただ通りがかりに、皆様の幸せな祝いの場に立ち寄っただけです。」
リリアとマーヴィンは驚きと緊張で固まっていたが、王妃の穏やかな態度に安心し、リリアは彼女を迎えるために一歩前へ出た。王妃はゆっくりとリリアに歩み寄り、その手を取った。
「今日という日を、永遠に記憶に刻んでください。」王妃はその言葉をリリアに向けて優しく囁くように言った。「あなたとマーヴィン殿がこれから共に歩む道が、光に満ち溢れたものでありますように。」
リリアはその言葉に感激し、目に涙を浮かべながら頷いた。すると、王妃は優雅に微笑み、リリアの手を握ったまま、彼女に向かってさらに言葉を続けた。
「敬意を表して、あなたに祝福を贈らせていただきます。」王妃はそう言うと、リリアの左手に嵌められた結婚指輪にそっと口づけをした。その動作は優雅で神聖なもので、まるで時間が止まったかのように感じられた。
その後、王妃はリリアの手をそっと離し、少し下がって新婦を慈しむように見つめた。そして彼女の隣にいた幼い娘、エイダに目を向け、温かな笑顔を向けた。
「お嬢さん、あなたもとても愛らしいわ。」王妃は優しくエイダの頬を撫で、そして彼女の小さな手に嵌められた指輪に向けても同じく口づけをした。「あなたにも、母君と同じく幸せが訪れるように。」
エイダはその瞬間、恥ずかしそうにしながらも、王妃に微笑みを返した。王妃はその微笑みを受け、軽く頷いた後、再び村人たちに目を向けた。
「この村が、そしてこの皆さんが、いつまでも平和でありますように。」王妃は最後にそう述べ、村人たちに穏やかな微笑みを投げかけた。彼女の言葉は、まるで村全体に神聖な祝福を降り注いでいるかのようであり、その場にいたすべての者が、その祝福を胸に感じ取っていた。
王妃が去った後、リリアはしばらくその場に立ち尽くし、娘エイダを抱きしめた。その胸の中で、王妃から受けた祝福の重みと、これからの未来への期待が、彼女の心を温かく満たしていた。
披露宴の喧騒が徐々に収まり、焚き火の炎も静かに揺れていた。リリア、マーヴィン、そしてエイダの三人は、焚き火の名残りを後にしながら、ゆっくりと自宅へと歩んでいた。夜空には無数の星が瞬き、穏やかな風が彼らの顔を撫でていく。
エイダはリリアの手を握りながら、笑顔で両親を見上げた。「今日はすごく楽しかったね、ママ、パパ。あのね、王妃様が私の指輪にキスしてくれたの、すごく嬉しかった!」
リリアはその言葉に微笑みを返し、エイダの髪を優しく撫でた。「ええ、本当に素敵な一日だったわ。あなたもとても可愛らしかったわよ、エイダ。王妃様もあなたに会えて喜んでいたわ。」
マーヴィンも隣で笑みを浮かべ、「王妃様が祝福してくれるなんて、本当に驚いたな。リリア、今日の君は本当に美しかった。僕は幸せ者だ。」とリリアに向けて言った。
リリアは少し照れくさそうに微笑んで、「ありがとう、マーヴィン。あなたもとても素敵だったわ。私たち、これからもっと素晴らしい日々が待っているのね。」と答えた。
エイダは二人のやり取りを聞きながら、興奮した様子で話を続けた。「ねえ、パパ、ママ、またみんなでお祭りに行こうね!今日は本当に楽しかったから、また一緒に踊りたい!」
マーヴィンはエイダの手を軽く握り返しながら、「もちろんだとも、エイダ。これからはもっと楽しいことがたくさん待っているよ。家族みんなで、もっともっと素敵な思い出を作ろう。」と優しく答えた。
リリアはマーヴィンの言葉に深く頷き、エイダをもう一度優しく抱き寄せた。「私たち、ずっと一緒に幸せでいられるわ。これからも、ずっと。」
その時、遠くの焚き火の最後の火の粉が夜空に舞い上がり、三人の足元を照らしていた。家族としての絆をさらに強めたこの日を胸に、彼らは夜の静寂の中でお互いの温もりを感じながら歩み続けた。
家に戻った彼らは、エイダをベッドに寝かせながら、これからの未来について話し合った。リリアとマーヴィンは、エイダが大きくなるまで、ずっと幸せな日々が続くことを祈りながら、静かに寄り添い、夜の帳が下りるのを待っていた。
朝陽が薄紅色の光を差し込み、リリアの寝室を徐々に明るくしていく。ウエディングドレスのままベッドに横たわるリリアは、昨日の疲れからまだ覚めやらない。だが、ふと目を覚ますと、エイダの小さな温もりが隣にないことに気づく。リリアは不思議そうに辺りを見回し、ベッドの中に娘の姿を探すが、どこにも見当たらない。
まだ寝ぼけた頭を振り払うようにリリアはベッドから起き上がり、ドレスの裾を引きずりながら寝室を出る。家の中は静まり返っており、エイダがいつも遊んでいる場所にも彼女の姿はない。「エイダ?」と呼びかけるが、返事はない。リリアの胸の中に不安が広がり始める。
その時、ふと鼻を突く異臭に気づく。焦げ臭い、何かが焼ける臭い。リリアは眉をひそめ、臭いのする方へと足を進めた。家の外へ出ると、臭いは一層強くなり、胸騒ぎが増していく。朝の冷たい空気に混じる煙の臭いは、何か悪いことが起きていると警告しているかのようだった。
リリアは不安を押し殺しながら、臭いの元を辿る。彼女の目に入ったのは、草原の一角に横たわる黒い塊。それは犬二頭分ほどの大きさで、形が不規則で、どこか不気味なものだった。リリアは息を呑み、心臓が早鐘のように打ち始める。
「これは…何?」リリアは思わず口をつぶやいた。彼女の心の中には、認めたくない予感が徐々に広がり、足は自然とその焼け焦げた物体に向かう。リリアの頭の中で警鐘が鳴り響き、しかし、同時に確かめなければならないという強い思いが彼女を動かしていた。
おそるおそる焼け焦げた塊に近づくリリア。目の前の物体に焼け焦げた手足が見えた瞬間、彼女の中で何かが崩れ落ちた。手足の形、そして顔の部分が辛うじて残っている。リリアの目は、その焼けただれた顔を見つめ、そして、理解が追いついた瞬間、彼女の全身から力が抜けた。
「エイダ…?」
その言葉は、かすかな声で、震える唇から漏れた。現実を受け入れたくないという思いと、目の前に広がるあまりにも残酷な光景との狭間で、リリアは息を詰まらせた。焼けこげた娘の姿が彼女の目に焼き付いて離れない。
その瞬間、リリアの内から込み上げた絶叫が、朝の静寂を引き裂いた。それは痛みと喪失、そして自分の娘がこんな形で失われたという現実への拒絶が入り混じった、魂の底からの叫びだった。
泣きながら執筆