BEGINNING
アリスがその指輪に触れた瞬間、世界が一変した。重く冷たい空気が彼女の周囲を包み、全ての色彩が影の中に吸い込まれていく。心臓の鼓動が耳鳴りのように響き、まるで時が止まったかのように感じられた。
指輪は黒く光り、彼女の手に吸い付くようにしてはめ込まれた。痛みはなく、むしろその冷たさは不気味なほど心地よかった。しかし、次の瞬間、アリスは自分の身体に異変を感じた。肌が一瞬で青白くなり、指先から力が抜けていく。目の前の景色が揺らぎ、現実と幻の境が曖昧になる。
「これは…一体…」
呟く彼女の声は、自分の耳にさえ遠く響いた。周囲の空間がゆっくりと歪み、彼女の視界は闇に包まれていく。その闇の中から、低く囁くような声が聞こえた。
「お前は選ばれし者だ…ダークレルムの呪いを受けし者…」
その声はまるで彼女の心の奥底から湧き上がるようだった。恐怖がアリスの心を掴み、彼女は必死にその声から逃れようとしたが、身体は動かない。目を閉じたくても閉じることができず、ただその闇に引き込まれていく。
やがて、声は静かに消え、アリスはその場に崩れ落ちた。全てが終わったかのように感じたが、彼女の心の中には新たな決意が芽生えていた。この呪いを解くため、そして再び自分を取り戻すために、彼女は立ち上がらなければならないと。
そう、全てはそこから始まったのだ
遡る事3日前
アリスは、北レーベップ大陸を後にして広大な南洋へと船を進めていた。彼女が乗る帆船は、夜の静寂の中、波音を背景にして揺れ続けている。木製の甲板の下では、潮風の香りとともに微かに漂うのは、古びた書物と塩水の混じった香りだった。
学会探索隊の司令官であるグレイソンは、地図の上に広げられた南レーベップ大陸の詳細な地図を指しながら話し始めた。彼は長い航海を退屈させないために、アリスにとって興味深い話題を選んだのだった。
「アリス、この大陸には古くから伝わる双指輪の伝説がある。ひとつは死を司る『ダークレルムの指輪』、もうひとつは闇の力を持つ『シャドウレルムの指輪』だ。」
グレイソンの声は低く、船室の中で反響した。アリスはその言葉を聞いて一瞬、息をのんだ。彼女の青い瞳は暗い船室の中で不安げに光った。まるでその言葉が何か得体の知れない力を持っているかのように感じたのだ。
「死と闇の力…」アリスは呟いた。「それはどこにあるんですか?」
グレイソンはかすかな笑みを浮かべ、地図上の一角を指で示した。「南レーベップ大陸の深い森の奥、旧ダークレルム王国の廃墟だ。300年前の大災害の後、指輪は行方不明となったが、最近になって再び姿を現したという噂が広がっている。」
アリスはその指輪の話に奇妙な引力を感じた。何かが彼女をその場所へと引き寄せているような気がしてならなかった。だが、それが何であるかはまだ分からない。ただひとつ確かなことは、彼女の運命がこの船の進む先に待っているということだけだった。
「では、その指輪を見つけることができれば、何が起こるのでしょうか?」アリスは問いかけた。
「それは、歴史に記されていない部分だ。」グレイソンは静かに答えた。「だが、誰もがその指輪を欲しがっている理由は明白だ。死と闇の力を操ることができれば、世界を支配することも夢ではない。」
船は静かに夜の海を進んでいたが、その言葉はまるで嵐の前触れのようにアリスの心に重く響いた。これから彼女が辿る道は、かつてないほど危険で、同時に彼女自身の運命を決定づけるものになるだろう。
船の甲板に立ちながら、私は深い夜の闇を見つめていた。夜明け前の冷たい風が頬を撫で、遠くで波が静かに打ち寄せる音が聞こえてくる。まるで世界全体が息をひそめているかのような、静寂なひとときだった。
だが、その静けさは突然、何か異様なものに変わり始めた。視界の先に、薄暗く不気味な霧が立ち込めてくるのが見えた。霧はまるで生きているかのようにゆっくりと船に向かって広がり、周囲の空気を冷たく湿らせた。
「見えてきたな…」誰かが呟く声が、背後から聞こえた。
私は目を凝らして霧の向こうを見つめた。その中に浮かび上がってきたのは、南レーベップ大陸の輪郭だった。闇に覆われたその地は、ただの土地ではなく、まるで生き物のように脈打つ魔力を放っているのを感じた。
大陸全体が異様な力で満ちているのは明らかだった。まるでその大地が、訪れる者を拒むかのように霧の中で揺らめいている。夜明け前のまだ暗い空と相まって、大陸の影はさらに不気味に見えた。
私は心の奥で、恐怖と興奮が交錯するのを感じた。この場所に踏み込めば、もう後戻りはできないだろう。それでも、私は一歩を踏み出す準備ができている。私が追い求める答えは、この不気味な霧の向こうにあるはずだ。南レーベップ大陸――そこに隠された闇の魔法と共に。
「ここから先は、君ひとりで進むことになる。」
グレイソン船長の言葉が、冷たく朝の空気に響いた。彼の顔には疲労と不安が見え隠れしている。自衛の術を持たない彼にとって、この南レーベップ大陸はあまりにも危険な場所だったのだろう。
「船長、分かりました。ありがとう。」
私は冷静を装って答えたが、胸の内では不安と期待が入り混じっていた。船のクルーたちが、私の荷物を甲板に運び出すのを見つめながら、心の奥底で恐れが静かに広がっていくのを感じた。これからは誰も私を守ってはくれない。全ては自分自身の力で切り開かなければならないのだ。
グレイソンは短い別れの挨拶を残し、船は静かにその場を離れていった。帆が風を受け、船が遠ざかるにつれて、私は孤独感を強く感じた。それと同時に、未知なる冒険への興奮が心を占めた。この先には、誰もが恐れる闇の力が待ち受けている。それに立ち向かうのは、私だけだ。
私は深呼吸をして、目前に広がる光景に目を向けた。船が離れた後に残されたのは、荒涼とした石の砂浜だった。灰色の砂は冷たく、足元で細かく砕けた石がカリカリと音を立てている。その先には、鬱蒼とした不気味な森が広がっていた。木々は異様にねじれ、葉は暗く、まるで生きているかのように揺れている。森の中からは、かすかな低音が響いてくる。それが風の音なのか、何か別のものなのかは分からなかった。
私は荷物を肩に掛け、不安に打ち勝つように一歩を踏み出した。目の前に広がるこの未知なる地には、闇と死の力が待っている。恐ろしい場所であることは間違いないが、それでも私は進まなければならない。