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閑静なお茶会で事件は起こった

作者: 新井福

お読みいただきありがとうございます。

 アグリタとジルトーヴァは、所謂お互いの家の利益の為、二年前に婚約をした。そのせいだろうか。それとも元来の性格のせいか月に一回恒例行事として存在するお茶会でも、特に会話は生まれず、ティーカップが空になったら解散するのが常であった。

 結婚してもこんな感じになるのかと不安に思わなくもないが、最初の頃は良好な関係を築こうとアグリタも頑張ってみたがジルトーヴァの返事は「あぁ」「そうか」「善処する」の3つのみ。酷いときには「あぁ」だけで終わる。

 この時のアグリタの気持ちをどうか想像してみてほしい。鼻がクスンとなってしまう。


 昨日は、翌日ジルトーヴァとのお茶会があるというストレスに耐えきれず好物のさつまいもをやけ食いしてしまった。

 あぁ、今日の紅茶ももうすぐ尽きる……妙に物悲しくなったアグリタは婚約者の美しい冬の銀景色のような髪をぼんやりと見つめる。そんな風に力を脱いたせいだろうか。


 ――プゥッ


 アグリタの下辺りから、出てはいけない音が出てしまった。真っ赤になったアグリタは羞恥心でぷるぷる震えながら、鼻で息をする。スハスハ、うん臭いはしない。それがせめての救いだと己を慰めつつ、アグリタは賭けに出ることにした。

「……今、何か聞こえましたか?」

 いつもぼんやり無口な彼なら聞いていないかもしれない。おならというものはどんなに気心の知れた仲であろうと亀裂を生むと風の噂で聞いた覚えがある。つまりここからの彼との会話によって、アグリタの未来が決まると言っても過言ではないのだ。

 アグリタに問われたジルトーヴァはアグリタと目を合わせた後、少し目を背け顎に手を置いてからポツリとつぶやいた。

「……小気味のいい音が、少々」

 ぶわり、と頬に熱が集まる。甘言でも囁かれたそれの様な風貌ではあるがその実態は『おなら』。色気もへったくれもない。


 アグリタは手を必死に動かし汗ダラダラのまま口走る。

「い、今のは『求愛の音』と言いまして好きな男性の前でやるもので――」

「そうなのか?」

「嘘です!!」

 ジルトーヴァが本当に信じているような声を出すから、アグリタは間髪入れずに否定してしまった。驚くべき掌返し。

「そうか」

「は、はい今のはその……香水のポンプを押した音というか……」

 しどろもどろでまだ弁明を諦めていない様子のアグリタをジルトーヴァは一瞥すると、コクリと一つ頷いた。

「気にしなくていい。俺達は結婚するのだし」

 結婚。2文字の破壊力。アグリタは『あ、この人私の事ちゃんと婚約者って認識してたんだ』と変な所で感動しつつ、まだ赤い頬を抑えながらおならをした恥ずかしさに悶えた。

 手に持ったカップがカタカタカタカタと小刻みに震える。繊細な意匠のカップがこのまま割れてしまうのではないかという勢いだ。


 淑女として今までたおやかな表情を切らしたことは無いのに、アグリタは今にらめっこでも勝てそうな程に表情がクルクルと変わっている。茶髪の髪をふわふわと揺らしながら緑色の瞳を忙しなく動かすアグリタを暫くいつも通りの無表情で見つめた後、ポツリとジルトーヴァは言った。

「君は、とても愉快な人だな」

 それはどういう意味だろうか? 『おもしれー女』認定を受けたのだとしたらそれはあまりにも遺憾だ。今までアグリタは色々な話をしてきたのに、よりによって興味を持ったのがおなら……。


「うふふ」

 乾いたように笑うアグリタを、余すことなくジルトーヴァは見つめる。その傍からみたら不協和音極まりないお茶会は夕日が見える頃まで続いた。とっくのとうに紅茶は二杯目まで突入している。

 それに少しの達成感と大きな羞恥心を感じながら、ようやくお茶会は終わった。

 

 その日、アグリタの好物からさつまいもが消えたことは想像に難くはない。


◇◇◇


「久しぶりだな、アグリタ」

「いえ、3日前にもあったので私の基準ですと久しぶりでは……むぎゅっ」

「会いたかった」

 手土産を持ったまま、馬車から出てきたジルトーヴァにぎゅぅ、と抱きしめられる。ここで普通の乙女なら頬を赤らめさせるのだろうが今のアグリタは違う。

 またおなら出たらどうしよう。それだけだ。あと抱きしめられて息しづらい。


 なんとか抱擁から逃れたアグリタは、一つ息をつくとジルトーヴァをいつも通り庭に連れて行くため歩き出した。

 席についたアグリタは、密かにジルトーヴァの手土産を見つめた。2週間前のおなら事件から、ジルトーヴァは今までの態度が嘘のように来る。それはもう3日会わなかっただけで「久しぶり」だと言われる程だ。3日で久しぶりなら今までは何だったのだろう。「前世ぶりですね」だろうか。

 と、そんな事はどうでもいい。今アグリタにとって大事なのはジルトーヴァの手土産だ。彼はおなら事件以降手土産を持ってくるようになったのだが、これがまたセンスがいい。おそらく侍従辺りが選んだのだろうがどれもアグリタの胃袋をがっしりと掴んでくる。レモンのアイシングがかかったマドレーヌにナッツとチョコチップが入ったクッキー、etc……今日はなんだろうと心のなかでフンスフンスとしながらアグリタが手土産の箱ケースを見つめていると、ジルトーヴァは心得たと言わんばかりのタイミングで箱を開けた。

 中から出てきたのは真っ赤でツヤツヤと光り輝く苺が真ん中にチョコンと乗ったショートケーキ。……と、キウイフルーツがお上品にのったチョコレートケーキ。各一個ずつ。

「……ギルティですわ、ジルトーヴァ様」

 どっちも食べたくなるだろうが。頬をぷくりと膨らませながらアグリタは密かに抗議する。今のアグリタにジルトーヴァに対する恥じらいはない。だからこそ全力で抗議する、どうして同じ味ではないのかと。一つしか食べれないのに。

 むくれて怒るアグリタを、微かに震え口元を手で抑えながらジルトーヴァは見る。ジルトーヴァの心は一つ。『なんだこの可愛い生き物は』だ。

「……君が二つとも食べてもいい」

「それは私の矜持に反しますわ」

 美味しいものの独り占めをされたら、アグリタだったら悲しい。

 それからたっぷり5分ほどアグリタは悩んだ。それはもう、紅茶が冷めるまで悩んだ。

「うぅ……ショートケーキにしますわ」

 ついつい不満そうな声が出てしまう。でも皿に載せられたショートケーキのきらめきにアグリタがコロッと機嫌を直して嬉しそうに笑うと、ジルトーヴァも微かに口角をあげた。ショートケーキに夢中なアグリタは全く気づかなかったが。

「アグリタは、よく笑うな。そんなに笑うだなんて知らなかった」

 おならをしてから淑女としてのタガが外れた……とは言えない。ホホホ、と上品に笑いながらショートケーキを口に含むと、ふんわりと柔らかい生地と滑らかで牛乳の濃厚なクリームが口の中でとろける。そこに微かに甘酸っぱい苺の味がすることで飽きが来なく、いくらでも食べれてしまいそうだった。

「ん――!」

 ほっぺたが落ちてしまいそうで頬を押さえながら食べるアグリタを眩しそうにジルトーヴァは見つめると、自身の目の前に置かれたチョコレートケーキを一口分フォークで取った。

「アグリタ」

「……?」

 そしてムグムグと食べているアグリタの口の前に差し出すと、アグリタは不思議そうな顔をした後合点が行ったのか躊躇いなく食べた。

 キウイの酸味とチョコレートの甘さのハーモニーに舌鼓を打つアグリタを、優しい瞳でジルトーヴァは見つめる。そんな彼女を見ながら考える。少し前のことを。


 ジルトーヴァの周りには、完璧なものしか無かった。いや、それは少し語弊があるかもしれない。だが厳格な両親。ジルトーヴァの一挙一動に目を光らせる家庭教師。そして、いつもたおやかな表情を浮かべている優秀な婚約者。その人たちに囲まれていると、ジルトーヴァはまるで人型のガラス細工に囲まれているような心地になっていた。端的に言うと、彼らを同じ人間とは思えなかったのだ。

 月に一回の婚約者とのお茶会も苦痛だった。一挙一動が試されているように感じていた。だからいつも紅茶を飲み終わったらそそくさと退散していたのだが、今日は違った。誰よりも完璧だと、人形のようだと思っていた婚約者から、音がした。

 その後の、耳まで真っ赤にした姿。隠そうとして慌てている姿。全てが煌めいて、眩くてジルトーヴァはようやく、アグリタは少女で人間なのだと認識した。

 そして、呆気ないほど簡単に恋に落ちた。


◇◇◇


 今日は夜会に来ている。仲睦まじく寄り添う二人に同じく夜会に来た人達が二度見しているのを本人達だけが知らない。

 氷の貴公子ジルトーヴァ。そんな異名がつけられているジルトーヴァがアグリタの水色を基調としたフリルに白銀のビーズが散らされているドレス姿を見て顔を綻ばせているのだ。二度見してしまうのはある意味しょうがないと言えるだろう。

 だがやはりそんな視線に気づかない二人はケーキを眺めながら話している。

「美味しそうなケーキですねぇ」

「あぁ、そうだな」

「そういえば、ジルトーヴァ様がお土産で持ってきてくださるお菓子もどれも美味しいですよね。あのお菓子を選んだ人に敬意を私は表します」

「そうか?」

「はい! センスが良すぎて結婚したいくらいです」

 そう言ってしまってからアグリタは慌てて口を閉じた。今の発言は完全に浮気宣言だっただろう。どう弁明しようかと悩んでいると、ジルトーヴァが微かに声を漏らしながら笑う。

「俺が君の結婚相手としてお眼鏡に適ったなら嬉しい。探した甲斐があるというものだ」

「……それってつまり、あれはジルトーヴァ様が買ったんですか?」

「そうだ」

 コクリと頷くジルトーヴァをまじまじと見つめた後、アグリタはふわりと花のように笑って「ありがとうございます。いつも美味しく頂いていますわ」と言うと、ジルトーヴァも笑って「知っている」と言った。


 その様子を遠巻きに見つめていた貴族達は震撼した。あのジルトーヴァが笑っていると。アグリタは一体どうやって落としたのかと。礼儀作法が綺麗で学業も優秀な彼女だが、そのレベルなら正直探せばいくらでもいる。そして、アグリタの顔は凡庸、という表現があうくらいには特にこれと言った特徴がなかった。そんな少女の何処が琴線に触れたのだろうか、と皆で首を捻ったが答えは出なかった。


 後に、アグリタが一人になった隙にこっそり話しかけに行った勇気ある令嬢の「どうやってジルトーヴァ様を口説き落としたのか」という質問に、アグリタは少々戸惑った、いや困ったような顔をした後、

「自分のありのままを見せること、ですかね?」

 と答えた。



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[一言] まさに屁こいて地固まる(笑)
[一言] まさかの事件で笑いましたw
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