結婚が嫌で逃げ続けている公爵令嬢、むしろ逆に不遇だけど美貌の皇子が婚約者になる
ラバンドン帝国の北方、常闇の森を鎮圧するバルデリア大公は国中の畏敬と憧れを集めている。弱きを助け悪を挫くを地で行く公明正大な彼と清らかで誰よりも優しいレガーテ夫人の純愛は民たちの語り草だ。
そして、そんな二人の間に生まれた一人娘がメランダだ。緑の目に光り輝く黄金の髪。絶世の美少女だ。
祖父祖母はもちろん、忙しい両親は『せめて会える時だけは目いっぱい遊ぼう』と可愛がった結果、とんでもない傲慢モンスターに仕上がった。
彼女は社交界を恐怖のどん底に陥れた。
年頃の令息たちは急いで意中の令嬢に結婚を申し込み、それが無理なら出家したり、出奔したりと行方不明者が続出した。
「むむ、可愛いメランダの婚約者候補がまたいなくなったな」
「まあ、どうしましょう。獅子狩りの祭典までにお相手を見つけなければいけないのに」
帝国では成人のお祝いに獅子狩りという祭典が催される。貴族の令息が狩りの腕を披露し、意中の令嬢に捧げるのだ。つまり相手がいないと成り立たない。
両親は悩んだ。傍系から引っ張り込むことも考えたが、原因不明の高熱で皆が寝込んでいるのだ。
両親の悩みのそっちのけで、娘のメランダは侍女と二人で祝杯を挙げていた。
「オーホホホホ!!! これで完全ニート計画のできあがりですわ!!! 生涯ここでニートとして暮らしますわよ!!」
「さすがですわメランダさま!!」
「ここまで築き上げるのに結構かかりましたけれど、あれだけ暴れれば私を娶りたいという殿方がいなくなるのは必然!! やっと……やっと自由にできるわああ!!!」
メランダは大きな声で叫んだ。
貴族の令嬢は年頃になればどこぞの令息に嫁がなければいけない。知らない土地、知らない使用人、完全アウェイで人間関係を作り上げ、妻として屋敷の管理、煩雑な書類仕事、ご近所付き合いエトセトラ。
貴婦人の責務を幼少期に家庭教師から厳しくしつけられたメランダは絶対になってやるもんかと決意した。
しかし、メランダの美貌に惹かれた令息たちはわらわらと周りをうろつくので思いっきり傲慢に振る舞ってやったのだ。
相手がメランダの容姿を褒めれば、「容姿以外にわたくしを好いた理由は?」と面接官のように尋問する。
プレゼントを貰えばそのまま相手の屋敷の通りに送り返す。
集めたイケメンを見習い執事としてずらりと並べ、相手の意欲をそぐ。
些細な失敗で侍女が追い出されたと噂を流す。なお、集めたイケメン及び追い出され役の侍女は高額報酬を出しているため、全員が意欲的に仕事をしてくれた。
なお、本職の執事に認められて実際に重要な仕事を任せられたりする奴もいた。
それがライアンだ。珍しい銀髪に鳶色の目、役者にでもなれそうな綺麗な見た目をしている。元は僻地の村出身で文字さえ読めなかったのだが、真面目で努力家な彼は今や多言語すら操れるようになっている。
「あなたも執事っぷりが板についてきたわねえ。さっきの紅茶美味しかったわよ」
「ありがとうございます、お嬢様」
表情を変えずライアンはお辞儀をする。彼は寡黙で最低限の言葉しか話さない。だが、メランダにとってそれが心地よかった。
彼の入れてくれたお茶を飲みながら、テラスでゆっくりする。それがメランダの日課だ。ライアンは石像のように動かないから、その容姿も相まって彫像のようにも見える。
(優雅なひと時だわ)
誰にも邪魔されない静かな時間にメランダは小さく微笑んだ。
■
ラバンドン帝国の皇帝ディランはある問題に頭を悩ませていた。愛する親戚、バルデリア大公はディランが弟とも思う人物だ。
そんな彼が、「一人娘の結婚相手を探している。誰かいないか」と秘密裏に打診してきたのだ。彼の思惑は透けて見える。
(一人娘メランダ嬢は絶世の美女……。しかし、幾人もの愛人を侍らせ使用人を牛馬のように扱う傲慢な令嬢と聞いている。そんな人間をうかつに紹介できん)
思い悩む皇帝に救いの手を出したのは皇后フェルガだった。
「大公女のお相手となるとそれ相応の相手が望ましいですわ。そう、ジラルド皇子のような逸材でなければ!!」
フェルガは力説する。彼女は後妻でジラルド皇子は前妻の息子だった。前皇后は出産時に亡くなっており、そのこともあって皇帝はジラルドに触れることはなかった。さらに、生まれつき目が悪く、皇子としての未来は閉ざされていた。
「そうだ。あいつがいたな。さっそくバルデリア大公に知らせを送れ!!」
そして、質素な屋敷で静かに暮らすジラルド皇子にもその知らせが届いた。それを持ってきたのは皇后宮の侍女でその後ろには第二皇子のフルドルンがいる。
「ははっ。社交界を恐怖のどん底に陥れた悪女がお前の結婚相手だってさ! お前みたいなごくつぶしがようやく役に立つんだから喜べよなっ!!」
意地悪そうな顔で第二皇子のフルドルンが嘲笑う。皇后に甘やかされて育った彼は品性というものがなかった。
ジラルドは無表情で何も答えなかった。黒い髪に黒い瞳、やせ細った手足は皇子としらなければ平民だと思うだろう。いや、平民の方がもっとましな体つきをしているかもしれない。
■
皇子との結婚話が降って湧いた大公領は連日大騒ぎだった。
「あの悪女に結婚相手が!?」
「ようやく実家に帰れる!!」
「仮病を使わなくて済む!!」
原因不明の高熱で寝込んでいた人間が突然元気になったり、行方不明になった人間が続々と見つかった。
そして、当のメランダ本人は驚きすぎて卒倒した。
「け、っこん。皇子と。けっこん」
ぶつぶつと呟くメランダに侍女のリアは氷嚢をあてて必死に看病した。
「お嬢様ああ!! 落ち着いて下さいませ!! 殿下は大公領に来て下さるそうです!! 領内完全ニート計画はまだ頓挫しておりません!!」
「……そ、そうよね。それに、わたくしの傲慢な振る舞いを見れば温室育ちの殿下はすぐに逃げ出すはずよ」
メランダは気を取り直した。
「お父様に伝えて。結婚前に領内でデートをしたいから、その皇子を呼んで来てって」
「わかりました!! さっそく傲慢さのアピールですね!!」
皇帝相手にそんな無理強いが通るのはバルデリア大公領にある常闇の森のせいだ。おぞましい魔物が跋扈するここをバルデリア大公が守っているおかげで、帝国人は安心して暮らせる。
もし、バルデリア大公が反旗を翻せば帝国はひとたまりもない。それゆえ、皇帝はバルデリアに対してある程度の自由と無礼を許しているのだ。
もちろん、メランダの我が儘も即座に聞き入れられた。
知らせが届いた当日にジラルドは馬車に揺られてバルデリア大公領に送られることになったのだ。
皇后と第二皇子はそれを見て大歓喜し、盛大なパーティを開いた。
「フルドルン。あなたが未来の皇帝よ」
「ふふ母上。もともとあんな奴俺の敵じゃなかったさ!」
喜ぶ悪徳親子がいる一方、憤るのはメランダだ。
「なぜ!! どうして!!? 一体何が起こったの!!?」
混乱するメランダに侍女のリアが少し考えて答える。
「もしかして皇太子争いに敗れたからかもしれません。もともとジラルド皇子殿下は前皇后の御子ですし、現皇后に厄介払いされたのかも……」
「あの皇后ならやりかねないわ。あのちんちくりんに皇太子が務まるわけがないものね。ジラルド殿下を排除するのも納得よ」
ジラルドの目が悪いにも関わらず、皇太子の座が空位なのは第二皇子フルドルンの素行の悪さがある。傲慢令嬢を演じるメランダですら不快になるレベルだった。
「初対面の私に向かって愛人にしてやると言ってきたときは耳を疑ったわ!! おまけに侍女のカミラに手を出そうとするし!!」
あの後、メランダはフルドルンを張り倒した。フルドルンは激高し、「不敬罪で極刑だ!!」と皇后と騒ぎ立てたが、バルデリアの武力をちらっと誇示したら大人しくなった。
色々思い出してメランダは腹が熱くなる。
「こうなったらこっちも完膚なきまでに潰してやるわ。ライアン。奴らの弱点を調べて!!」
「かしこまりました」
「リアは殿下の居心地が悪くなるように……いえ、彼も状況の犠牲者よね。それなら……」
メランダはあることを耳打ちした。
「わかりましたわ」
メランダが画策している間にジラルドは大公領に到着した。皇子の到着とあって大公夫妻とメランダが出迎えた。
その時、メランダは驚いたのだ。
艶やかな黒く長い髪、陶器のように白い肌に女性とも見まごうほどの端麗な顔、すらりとした長身に物憂げな黒い瞳、孤高の百合というのがピッタリ嵌りそうな姿に目を奪われた。
(きれい……。そういえば前皇后は東の帝国からいらしたのよね。早世されたからあまり知らないけれど、絶世の美女だったと聞いたことがあるわ)
見ほれるメランダと違い、ジラルドは無表情だった。何の感情もない所が、ますます人外の美しさを思わせた。
そしてそれがメランダの胸に刺さった。
(殿方に会うと必ず見た目ばかり褒められてそれが毎回苛立ったけれど、その気持ちが初めて分かったわ。思わず口に出して褒めたくなったもの)
しおらしい娘の態度に大公夫妻は気を良くし、ジラルドを中へと誘った。
夜は大宴会が開催され、家臣たちが列席してジラルドを囲んだ。
「あの方がジラルド殿下か。極悪非道のメランダ様に仕えなければいけないとはなんたる不幸」
「お可哀そうにげっそりとおやつれになって……。きっと恐怖で何も喉を通らなかったのですわ」
「聞いた話ですと、現皇后が第二皇子を皇太子にするために画策したそうですわよ」
「まあ! なんてひどい」
家臣たちは勝手に解釈してジラルドを哀れに思った。それをうっすらと聞きながらメランダは内心で喜ぶ。
(その調子その調子。薄幸な皇子様を極悪令嬢から皆の手で救いなさい。ジラルドの味方は多い方がいいのよ!! いつか皇太子になるためにはね!!)
そして第二皇子と現皇后に一泡吹かせてやるのだ。
(まず手始めにジラルド殿下の教育ね。完璧な教育陣を用意して皇太子としての知識を身に付けさせましょう)
メランダは翌日からジラルドに勉強を強要した。
「わたくしの旦那様になるのでしたらこれくらいできなくては話になりませんわ!!」
ドンと大量の書籍を用意し、専用の書記官そして教師を連れてきた。
「メランダ嬢。私は目が悪いのだ。大きな文字はともかく、小さな文字はとても……」
「オホホホ。すべて大きな文字で誂えておりますわ!!」
メランダは自慢するように言った。ジラルドは驚きの表情で見上げ、その後、書籍のページをめくる。するとジラルドでも読めるサイズの文字で丁寧に書かれていた。
「……」
ありがとう。ジラルドは小さくつぶやいた。言葉の意味を知っていたが、使ったことがない単語だった。
その日、ジラルドは初めてのことをたくさん経験した。読める本、自分に語り掛けてくれる教師、世話をしてくれる使用人、美味しい食べ物……。
そして一番はメランダの存在だ。
初めてのことに戸惑うジラルドにメランダはいらだつことなく、懇切丁寧に教えてくれ、彼女の優しい手がジラルドを導いてくれる。
「彼女が……私の妻」
夜、心地よい寝台の上でジラルドは呟いた。
どこでも地獄だと思っていたのに、ここはまるで天国だ。
母をなくし、居場所を失った自分は今まで生きていても無意味だと考えていた。
そのジラルドに「自分に相応しい旦那になれ」と居場所と目標、そして手段までもくれた。ジラルドは彼女に応えたい。
ジラルドは決意した。
その日からのジラルドの成長は目覚ましかった。昼夜問わず勉学に励み、外に出て武術の鍛錬もした。
メランダはそれを喜んで応援した。時間がある時は二人で馬に乗り、船にも乗った。そしてその仲睦まじい姿は微笑ましいものだった。
「お嬢様。まるで新婚夫婦みたいですね。巷で噂ですよ。ジラルド殿下のおかげで傲慢令嬢が大人しくなったって」
侍女のリアが思わず指摘する。
「いやまさか!! これは教育の一環ですわ!! ま、まあ。ジラルド殿下は私の見た目で判断しませんし、優しいし真面目だし、それでいて好奇心旺盛ですから一緒にいて楽しいけれど」
メランダはしどろもどろで答えた。
「このまま結婚されてはいかがです? お似合いですし、ジラルド殿下は仕事ができる方ですから完全ニートになれるのでは?」
「それはダメよ!! 殿下はこの国の皇帝になるの!! あの放蕩者の第二皇子を皇帝にしては絶対にダメ!!」
メランダは言い切った。
それを後押しするように執事のライアンが言う。
「お嬢様のご命令通り、第二皇子の醜聞を掴みました。いつ披露されますか?」
「獅子狩りの祭典でよ。殿下の狩りの腕とともに見せつけてやるわ!!」
メランダはそう豪語した。
■
月日は流れ、獅子狩りの祭典の日がやって来た。
帝都の郊外、ルファンスの森で祭典が行われる。獅子狩りと名前はついているが、獲物は何でもよかった。
着飾った令嬢たちが天幕の中で椅子に座り、乗馬服を着こんだ令息が天幕の前の開けた場所で和気あいあいと語らう。
それが恒例の獅子狩りの風景だが、今までと決定的に違うことがあった。全員が緊張しているのだ。
傲慢令嬢メランダが来るということが彼らにプレッシャーを与えていた。
「殿下よりいい獲物を取ったらメランダ嬢に鞭打ちされるんじゃ……」
「そ、そうだ。ウサギを取ろう」
「ばか! 殿下は目が悪いんだぞ! すばしっこいウサギをとれるもんか!」
「どうすればいいんだ……!!」
思い悩む令息たちだが、令嬢たちに比べればマシだ。なにしろ令嬢たちのいる天幕の一等席に傲慢令嬢メランダが座るのだから。
令嬢たちはブルブルと震えていた。
それを意地の悪い顔で喜んでいるのはフルドルンと皇后だ。
「ふふふ。母上、俺の皇太子の座はもう決まったようなものですよね。なにしろジラルドを皇太子にすれば皇太子妃があの狂暴女になる」
「ええそうよね。本当によくぞジラルドをもらい受けてくれたものだわ。あなたが殴られたときは腸が煮えくり返ったけど……」
「なに、俺が皇帝になればその時に思う存分仕返しをしますよ」
フっと気障にフルドルンが笑う。
「まあ、すごいわ!! いつのまにかこんなに立派に……」
皇后はほろりと涙を流した。
悪だくみ親子が歪な親子愛を楽しんでいた間に時間が過ぎ、バルデリアから来た二人が入場する時間になった。
獅子狩りは参加者の中で一番高貴な身分の人間が狩りのスタートを告げる。つまり、ジラルドが登壇しなければならないのだが、フルドルンはそれを笑いものにする気だった。
目が悪い上に教育もロクにしていないジラルドが失敗するのは目に見えている。面目を潰されたと大激怒するメランダはさらにジラルドの権威を下げてくれることだろう。
今から笑いが止まらなかった。
ファンファーレが鳴り、六頭立ての豪華な馬車が現れた。皆が固唾をのんで見守る中、そこから絶世の美男美女が現れた。
メランダの美しさは周知のことながら、隣に立つジラルドの美しさに皆が口をぽかんと開けた。
濡れたように艶やかな黒い髪、すらりとした長身に細身ながら服の上からでもわかる鍛えられた体躯、そして中性的な美しい横顔は男女問わずため息がでるほどだった。
ガタンと大きな音が鳴った。
皇帝ディランが涙を流して立ち上がったのだ。
「シェンメイ……」
呟いた言葉は最愛の妻の名前だ。
ディランが若き皇太子のころ、留学先のダオロンで時の皇帝の姫に一目ぼれした。それがシェンメイだ。死に物狂いで口説き落とし、さまざまな障壁を飛び越えてやっとのことで迎えた美しき姫にジラルドはそっくりだった。
最愛の妻である彼女が亡くなった時、ディランも同じ所へ行きたいと強く思った。だが、皇帝の責務がそれをさせてくれなかった。妻を失った痛みを忘れるかのように政務に打ち込んだ。
フェルガを娶ったのは侍女だった彼女が懐妊したからだ。毎晩意識がもうろうとした状態で記憶がないのだが、嘘とも断定ができずに正式に皇后に迎えた。雨のように降り注ぐ縁談を回避するためでもあった。
しかし、シェンメイによく似たジラルドを見てディランは忘れていた心が一気に溢れてきた。
「ジラルド……ジラルドだな。よくぞ、立派に育ってくれた」
目を潤ませ、両手を広げる皇帝ディランにジラルドは臣下がそうするように跪いて頭を下げた。
会いに来ず、今まで一切の情を見せない皇帝が父だと言われてもジラルドはピンと来なかった。むしろ、慈しんで愛してくれる大公夫妻の方がよほど『親』だ。
しかし、ジラルドはそれを素ぶりにも見せず、臣下としての礼儀を守った。そして、それは人々の胸を打った。
「あれがジラルド皇子殿下か。なんと立派な……」
「気高くて美しくていらっしゃるわ」
人々は口々に褒めたたえた。
逆に悔しがっているのはフェルガ親子だ。
「な、なんだよ!! あの出来損ないをなんで皆が褒めるんだ!! 父上まで!」
「だ、大丈夫よ。あいつに狩りなんてできっこないんだから」
息子を宥めるフェルガだが内心怒りで苛立っていた。
(虐めぬかれてみっともない姿で現れると思ったのにどうしてこうなったのかしら!! もしかしてあの女の嫌がらせ?)
フェルガはメランダを睨む。するとメランダは憎らしいほど美しい笑顔で微笑んだ。
フェルガは怒髪天を突きそうになったが、周囲はメランダの笑顔にメロメロだ。傲岸不遜の悪女としか知らない彼らは、メランダが優雅に美しく微笑んだのを見てコロっと騙される。
「本当にメランダ嬢は美しいな。今までキツイ顔しか記憶になかったが、あのような表情もできるのか」
「きっとジラルド殿下のおかげだろう。清く正しい人の側にいて感化されたに違いない」
「ジラルド殿下は素晴らしいな!!」
メランダの称賛はそのままジラルドの賛美に繋がった。メランダは計画通りで内心満足げなのだが、ジラルドは違った。
(まだだ。今ではない……)
ジラルドはわだかまりを胸に抱えたまま、開会の宣言をした。その姿はまるで一枚の絵画のように美しく、貴婦人たちはうっとりと見つめ、紳士たちはその堂々とした姿にあこがれを抱いた。
「くそっ!! なんであんな奴に注目が集まるんだよ!!」
「大丈夫よ。フルドルン。狩場に細工をしておいたわ。それにあいつはどんなことがあっても活躍できないのよ」
フェルガはにやりと笑った。
■
狩りが始まった。
ジラルドは誰よりも優雅に馬を操った。後ろで縛った長い黒髪が風に流れる。先頭を走る彼はまるで一軍を率いる将のようだった。後ろに続く令息たちはその後姿を陶酔した顔で見つめた。
一方、皇后フェルガの依頼を受けた森の番人は一頭の獅子を森に放った。
「まさか先頭に来るとは思わなかったが、まあいい」
本来は馬も操れず、一人になったところを襲う手はずだったのだが、一人、駆けているならどれも同じだ。
森の番人は薬で朦朧とした獅子をけしかけた。
一方、天幕ではメランダは令嬢たちに囲まれていた。
「ジラルドさまはとても麗しくていらっしゃいますね」
「さすがメランダさまの婚約者ですわ!!」
わざとらしいご機嫌伺いではなく、顔を赤らめてはきはきと言う様は本心だろう。最初は怖がっていた令嬢たちだが、不遇なはずのジラルド皇子がむしろ輝いていたことで、『噂は当てにならない』と考えたのだった。
無礼で来られれば無礼で返すだけでいいのだが、こんなふうに好意的に来られたら困ってしまう。メランダはオホホ……と適当に笑って相槌を打った。
しかし、遠目には幸せそうな姿にしか映らず、フェルガはぎりりと奥歯を噛みしめた。
(あの笑顔!! 腹立つったら!!でも天狗になっていられるのは今だけよ。すぐに地獄へ落としてやるわ!! お前は皇族を暗殺した咎で断罪されるのよ!!)
森の番人にはメランダが絡んでいるように細工しろと命じてある。
なにしろ獅子はわざわざ大公領から運んできたし、幾人かの使用人を買収して目が悪いジラルドをメランダが疎んじていたと証言させるつもりだ。ジラルドがここまで成長を遂げているとは思わなかったが、もともとメランダもろとも失脚させるつもりで準備していた。
フェルガはふふと笑った。
しかし、その笑いは一転、乾いたものになった。
「ジラルド殿下が獅子を仕留めました!!」
その一報に会場内は沸き立った。
「すごいですわすごいですわ!! まさか獅子を仕留めるなんて!!」
「この森に獅子がいたのも驚きだが、それを仕留めるなんて殿下はどれほどの腕なのだろう!!」
人々が賞賛し、皇帝ディランも顔がほころんだ。
「素晴らしい……。さすがシェンメイの子だ。彼女は将軍として剣を振るっていた!!」
(は?! 聞いていないわよ!!!?)
フェルガは内心憤った。顔には出なかったが、プルプルと手が震えた。
人々の万雷の拍手でジラルドたち、狩りの参加者が戻って来た。大きな獅子は荷台にのせられ、目をつむっているとはいえ牙と爪の鋭さに皆が身震いした。
「ジラルド!! そなたは誠に素晴らしい!!! 間違いなく狩りの一位はそなたのものだ!!」
皇帝は立ち上がって拍手をもってジラルドを称えた。
「光栄です。陛下」
「おお、ジラルド。お前をどうやって褒めようか……。どんな褒美がいい? なんでも叶えてつかわすぞ」
皇帝は破顔した。
それに異を唱えたのはフェルガだ。皇帝の寵愛をジラルドにこれ以上傾かせるわけにはいかない。
「陛下。おかしいと思いませんこと? ジラルド殿下は目が悪かったはず。それなのにどうして獅子を射止めることができたのでしょう? もしかして神聖な狩りに八百長があったのではないでしょうか?」
フェルガはちらりとメランダを見る。自然と皆の視線がメランダに向いた。
(ふふふ。傲慢令嬢メランダが婚約者を一位にするため細工したとなれば、皇帝は処罰しなければならないはず。そうなればジラルドの名声も地に落ちるわ)
フフと内心で笑うフェルガはメランダに優しく話しかけた。
「メランダ嬢。森の番人がこう言っておりました。貴族の令息たちが参加する狩場で獅子がいるはずがないと。そして、この獅子は常闇の森に生息するバルド獅子……。何か申し開きはありますか?」
メランダはにっこりと微笑んだ。
「皇后陛下。何をおっしゃっているかわかりませんわ。たしかにこの獅子は常闇の森の獅子……。ですが、最近、何者かが常闇の森に侵入したと報告を受けております。怖いですわね」
「まあ、シラを切る気ですか? あなたがジラルド皇子を勝利させようと獅子を手配したと証言がありますよ!!」
もちろんサクラだ。買収した使用人はフェルガが言った通りに証言してくれる。
「ではどうぞ。証言者を呼んで下さいませ」
にこっとメランダは微笑む。
フェルガはその余裕の微笑に苛立つが、笑っていられるのも今だけだと内心で舌打ちし、証言者を呼んだ。
銀髪が美しい、美貌の執事ライアンだった。
皆がその美しさに息をのむ。そして、メランダとかかわりがあった者たちはその証言の正しさを確信した。いつもメランダが自慢げに連れ歩いていたのが彼だったからだ。
「陛下。彼はメランダ嬢の側近です。どうか彼の言葉をお聞きくださいませ」
フェルガはにやりと笑う。皇帝は先ほどまでの喜びが一転し、不穏な気配に汗を流していた。
「わ、わかった……」
皇帝は戸惑いながらライアンに視線を向けた。
「直答を許す。そなたは真実のみを口にせよ。よいな」
「光栄にございます。陛下」
ライアンは深く頭を下げた。どんな貴族の令息よりも美しい礼に皇帝はもとより、他の貴族たちもほうと感心する。目の鋭さ、鍛えられた体、一挙手一投足がただものではないと感じる。
「まずは名前、そして身分を言ってみよ」
「はい。私の名前はライアンと申します。これはメランダお嬢さまがつけて下さいました。姓はございません。わたくしは、貧しい農村の生まれでございます」
彼の言葉に皆が驚いた。彼の姿、振る舞いがどれも高貴な血筋を思わせるのに。
「農村の生まれとな!? それなのになぜ作法を心得ているのだ?」
皇帝が驚く。
「お嬢様が村に学校を設け、皆に教育を受けさせてくださいました」
「それは素晴らしい」
皇帝が褒める。
「陛下!! 本題がそれておりますわ!!」
フェルガが話を元に戻した。
「そ、そうだったな。その、メランダ嬢が獅子を森にはなったのは事実か?」
「いいえ」
ライアンははっきりと答えた。
フェルガの顔色が変わる。
「お、お前!! ちゃんと答えなさい!!!」
「皇后、どうしたのだ。そんなにいきり立って」
「陛下。このものはちゃんと言ったのです。メランダ嬢が細工したと!!」
フェルガは語尾を荒くして言った。
「ライアンとやら。それは事実か?」
「そう言えと皇后陛下から金銭と共に指示されました」
「なんだと!!? 皇后!! それは本当か!!」
皇帝の顔色が変わり、フェルガを睨む。
「ちがっ!! 違いますわっ!! むしろそう言えとこの者はメランダ嬢に指示されているのです!! この者はメランダ嬢の側近ですもの!!!」
「いや、彼はお前が連れてきた証言者だろう。ライアン。もっと詳しく話せ」
「はい。ある日、使用人宛てに匿名の封書が届きました。メランダ嬢に恨みがあれば晴らす協力をするというものでした。しかし、大公にお仕えする者の中でお嬢様に悪意を持つ者はおりません。これはお嬢さまを陥れる罠だと感じた私はお嬢様に許可を取り、封書の指示に従いました」
ライアンの目はどこまでも澄み、淀みなく言葉が続いた。証言を偽装せよと指示されたこと、元々はジラルドを獅子に殺させる予定だったこと、すべてをライアンは言った。
「嘘ですわ!! これはメランダ嬢が私を陥れようとした罠ですわ!!」
フェルガは叫んだ。
「皇后よ。メランダ嬢がお前を陥れて何の得がある」
厳しい目で皇帝ディランは睨んだ。
「き、きっとジラルドを皇太子にして皇太子妃になるには私が邪魔だと思ったからですわ!! それに、目の悪い人間がどうして獅子を打ち倒すことができるのです!? 八百長にまちがいありませんわ!!」
皇后が吠える。皇帝は苦々しく唇を噛んだ。ジラルドの目の事は重々承知しているため、どうしても皇后の言葉に真実味が増す。
「陛下、私の腕をお疑いになるのですね」
今まで黙っていたジラルドが口を開いた。
「ジ、ジラルド……。お前を信じないではないが、その……目が悪いことは事実だろう。不正でないことを証明しなければならないのだ」
皇帝は狼狽して言った。息子の力になってやりたいが、その術が分からない。
「では、皇后陛下の上にリンゴを置いていただけますか。私はそのリンゴだけを射抜いて見せましょう」
ジラルドは言った。
「冗談じゃありませんわ!! 私を射殺すつもりでしょう!!!」
フェルガは金切り声をあげた。
「目が見えなければ正確に打つことはできませんよ。まっすぐに飛ぶことも奇跡でしょう」
「まぐれであたることもあるかもしれないじゃない!!!」
ヒステリックに叫ぶ皇后の肩に皇帝ディランの手がとんと置かれた。
「私がその役割を受けよう。その代わり、リンゴに命中しなければ厳重に処罰することにしよう」
フェルガは少し考えた後にこくんと頷いた。
「陛下がおっしゃるなら」
(ジラルドがうまく飛ばせるわけないし、これで陛下が再起不能になればしめたもの、実権は私たちが握れるわ)
フェルガは喜んだ。しかし、それは束の間でジラルドは見事、リンゴを仕留めることができた。皇帝は大喜びし、ジラルドを絶賛した。
「素晴らしい。お前をどうやって褒めればいいかわからない。何が望みだ?」
「陛下、この場を借りてお願いしてよろしいでしょうか」
跪いたままの息子に罪悪感と寂しさを募らせた皇帝は即座に承諾した。
「もちろんだ。なんでも言いなさい」
「我が未来の妻、メランダ嬢の名誉を回復させてください。彼女が悪しざまに言われるのは耐え難い辛さです」
ジラルドはそう言った。
皇帝は目を見張った。ジラルドが望むなら皇太子の座でも領地でもなんでもあげようと思っていただけに、ひたむきにメランダ嬢に注ぐ愛にじんときた。
「もちろんだ。ここで私が証人になろう。お前から見たメランダ嬢をここにいるすべての人間に聞かせてやりなさい」
皇帝の許しを得てジラルドは話し始めた。
「私がここまで成長できたのは、メランダ嬢の優しさと深い愛にあります。彼女ほど優しい人を私は知りません」
ジラルドは大公領に来てからの暮らしをつぶさに話して聞かせた。ジラルドのための本、教師、選りすぐりの使用人に美味しい食事、熟練の指導教官の下で磨いた剣技、二人で乗った船、旅行した時の事、そしてジラルドは自分の目を押さえて言った。
「彼女は私の目をどうにか治せないかと常に考えていました。高名な医者を各国から呼び寄せ、様々な文献を漁ったのです」
「なんと……。それで治ったのか!?」
皇帝は喜んだ。
「はい。ご覧の通りでございます」
ジラルドは矢が刺さったリンゴをもう一度手に持って見せた。
「素晴らしい……。見事な腕前を見せたお前も、それを支え続けたメランダ嬢も、私は言葉に表せないほど感動している」
皇帝は体を震わせた。
フェルガは別の意味でぷるぷる震えている。
(目が治ったのなら早く言いなさいよ!!! すべて計画が狂っているじゃない!!!どうにかしてジラルドを排除しないとフルドルンの立場が危ういわっ!!)
しかし、彼女が何かを画策する前にジラルドの冷たい声が響いた。
「陛下。メランダ嬢を陥れようとした皇后陛下にどうか重い罰をお与えください」
「な、な……!! お前っ。血がつながっていないとはいえ、母にあたる私になんてことを言うの!!」
フェルガは怒鳴った。それに対し、ジラルドは淡々と言い返す。
「あなたが母というのなら、私が栄養失調になるまで放置していたのはなぜだ? 医者にも見せず、使用人も置かず、ただ看守のような使用人が粗末な食事を持ってくるだけの生活を強いたあなたを私は母と呼べない」
その言葉に皇帝は怒りを露にさせた。
「皇后……!! いや、フェルガ。皇宮の管理をお前に任せていたというのにどういうことだ!!」
「へ、陛下!! これは何かの間違いです!! わたくしはちゃんとしていましたわ!! きっと悪心を抱いた使用人がジラルドをないがしろにしたのです!!」
「ジラルドを気にして足しげく通っていればその異変にも気づけたのではないか? なぜ一国の皇子が栄養失調になる!!」
皇帝は激しく怒った。
フェルガは髪を振り乱して許しを乞うた。
「お許しください陛下!! 私が間違っておりました!! ジラルド皇子、お願いよ。ゆるしてちょうだい。これからは心を入れ替えるわ。優しい母になるから……」
フェルガはぎこちない笑顔をジラルドに向けた。
しかし、彼は首を振るだけだった。
「あ、兄上。俺からも頼むよ……。母上はただ……ちょっと忙しかっただけなんだ」
フルドルンはしおらしく下手に出た。彼にできる精いっぱいの譲歩だった。自分より格下相手にへりくだることは彼のプライドをおおいに傷つけたが、母を助けるためだと自分に言い聞かせた。
「兄上という言葉もお前から初めて聞いたな。母を救いたい心は認めるが、お前たち親子がやってきたことは目に余る。当然許す気はない」
ジラルドの冷たい言葉にフルドルンは呆然とし、そして怒り狂った。
「ふざけんな!! 人が下手に出ればいい気になって!! 俺が皇太子になったら覚えてろよ!! あの狂暴女ともども奴隷に落としてやるからな!! ねえ母上!!」
怒りのあまりフルドルンは本心をさらけ出してしまい、もはや取り繕うことはできなくなってしまった。フェルガはがくっと項垂れた。
二人は衛兵に引っ立てられ、北の塔に幽閉されることになった。
皇帝はジラルドに今までの仕打ちを詫び、皇太子に冊立することを決定した。
そしてジラルドは皇太子という身分を携えてメランダに求婚しに来た。
「メランダ。私をずっと支えてくれてありがとう。君に相応しい男になれただろうか?」
跪き、美しい顔にはにかんだ笑顔を浮かべ、ジラルドはメランダを見上げる。優しい笑顔にくらくらときそうになるが、メランダの理性が激しく反抗した。
(待て待て待て!! どうしてこうなったの!!? 婚約解消されて一生大公領で完全ニートになる計画が……!!)
戸惑うメランダにジラルドは困ったように微笑む。
「……すまない。まだ早すぎたかな? 君が私を異性として意識していないことは知っていたけど、私の気持ちを伝えたかった。まずは改めてお友達から始めてくれないかな?」
優しい声、甘く注がれる瞳。いつも見慣れているハズなのになぜか胸がどきどきする。
「と、友達からなら……」
小さくメランダが呟くとジラルドは嬉しさを抑えきれない様子で微笑んだ。
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こうしてジラルドは皇太子として実力を発揮して皇帝以上の威厳を示し、その美しさと能力で国中を虜にした。忙しい中で帝都から毎日のように大公領に恋文が届けられ、メランダはその熱量に圧倒されている。
「そりゃ、確かにジラルドと一緒に居るのは楽しいけれど、皇太子妃となると完全ニートになれないわよね……」
思い悩むメランダにライアンが朝の挨拶でもするように軽く囁く。
「領内の人間と結婚すれば可能ですよ。相手が平民でも貴族の養子になれば爵位を持てますからね」
「でもそうなれば相手は公爵家を継がないといけなくなるわ。領内を知り尽くして、仕事もできて、私がニートでも許してくれる相手じゃなければいけないしね」
ライアンは何か言いたそうに口をモゴモゴさせていたが、メランダは気付かなかった。リアだけは可哀そうな目でライアンを見つめた。
やがて月日が流れ、メランダの誕生日にジラルドが駆け付けた。彼女の好きなお菓子と花束を携えて。
「殿下に祝って頂けるなんて光栄ですわ」
「お友達なんだからそう気兼ねしないで」
ジラルドは美しい顔で微笑む。相も変わらずほれぼれするほどきれいだ。
その日、昔と同じようにのんびりと過ごした。そこで、メランダはあることに気が付く。ジラルドはメランダをいつも褒めてくれるが、容姿だけは褒められたことがないことに。
(まあ、ジラルドだし当然よね。私より断然綺麗なんだもの)
事実メランダよりもジラルドの方が美しい。おかげで帝国一の美人の座はジラルドのものとなった。
(もしかして、自分よりも美しくない女とか思われているんじゃ……)
なんとなく気になってしまい、気のゆるみも手伝って思わず口に出る。
「ねえ、ジラルド。殿方は私の容姿を称賛するのだけど、あなたはいつも内面だけを褒めるわよね。あなたの目に私はどう映る?」
少しだけ胸が締め付けられるのはたぶん緊張のせい。
「とても綺麗だよ。君以上に美しいものを私は知らない」
ジラルドは照れた顔で微笑む。
「ほ、本当に? 鏡に映る自分の顔の方が綺麗とか思わない?」
「そんなこと思わないよ。むしろ、君が好きでたまらないんだから」
ジラルドは呆れたように言う。
「う、嬉しいわ。ありがとう。でも、傲慢な私のどこに引かれたのかも気になるわ」
性格の悪さは自覚している。ジラルドに好きと言って貰える自信も実はない。
「目が悪かった私は君の心の美しさに惹かれたんだよ。視力を取り戻した今も君の内面が大好きだ」
熱烈な愛の告白が雨のようにメランダを打つ。メランダは顔が熱くなり、たえきれなくなって失神した。
それを傍で見ていたリアは隣に無表情で立っているライアンに耳打ちした。
「ライアン。お嬢様はあれくらい直接的じゃないと伝わらないわよ」
「……善処する」
ライアンはため息とともに呟いた。恋のライバルは強大だ。