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第2章 東方から来た女 2

 2025年6月17日

 『クリーガー商家』→『アールワース商家』に変更しました。


 ナギとワイアットがそれぞれ引き揚げた後、あたしも当然の様に帰ろうとしたらダリルにラルの店の後片付けの手伝いを命じられてしまった。

 そして、あたしに片付けを命じたダリルさん自身はラルと共に何処かに出掛けてしまった。

 店舗の修理の手配だとか互助会からの援助金の手続きだとか、真当な理由があるのは分かるがモヤモヤが残ってしまうあたしの心は狭いのだろうか?

 店舗の片付けはラルの甥っ子のドランと、何故か居残っているハーフキンのレナ、それにあたしの3人で行った。

 店舗の中でもあの3人組の強盗共は容赦無く暴れたらしく、内部はかなり滅茶苦茶だった。

 強盗というより、欲求不満の思春期の子供が衝動のまま暴れた現場という方がしっくりくる感じだ。

 少なくとも単なる強盗がどうしてこんなに暴れる必要があったのか、と疑問を感じるレベルはである。

 というか、必要以上に暴れたせいで逃げ遅れた結果ナギに遭遇するというアクシデントを招いてしまったのは間違いない。

 頭悪そうな連中だったから何も深く考えていない可能性もあるが、それでも連中の単なる強盗にしては執拗な暴れっぷりに違和感を感じてしまう。

 まあそんな違和感よりも、余計な仕事を増やしてくれた怒りの方が大きかったけど。

 ドランもレナもよく働いたが、働いている時の2人の様子は対照的だった。

 ドランは寡黙で、必要な事以外はほとんど喋らず黙々と作業を続いている。

 一方、レナはよく喋る。

 しかも何となく勘付いてはいたが、話す内容とか態度が不思議ちゃんっぽい。

 まあ、話をしながらも手は休まず動かしているので口頭で注意こそしなかったが、正直煩わし過ぎて精神的に疲弊してしまった。

 ちなみにジーヴァは壊れた扉の前で番犬ならぬ番狼を、ノエルは店の庇の上で見張りをしてもらっていた。

 まあ、ジーヴァは通行人にやたらとモフられてしまい番狼というより看板狼っぽかったけど。

 そして片付けがほとんど終わった頃合いを見計らったかのようなタイミングで、ダリルと何故か奥さんのヒルデさんを連れてきたラルが僅かな時間差で帰ってくる。

 ……ラルさんについてはうろ覚えだったけど、ヒルデさんは一目で思い出した。

 というか、ヒルデさんを思い出した事で、その夫のラルさんの事もハッキリと思い出した。

 ダリルとラルさんが事務的な話をしている脇で、あたしとヒルデさんは短時間話をした。

 ヒルデさんもあたしの事を覚えていたようだが、怪訝そうにあたし達を見ていたラルさんはまだあたしの事を思い出していないようだ。

 扉の修理は明日以降に大工が来て行うという事で、今夜は壊れた扉に板を打ち付けて封鎖してしまうらしい。

 全員でその作業を手分けして行い、ようやくこれで解散かと思ったら、ラルが口を開く。

 「もう夕食時だな。どうだ、今夜は世話になったお礼に儂が夕食を奢ろうと思うが?」

 正直疲れたし、もう宿に帰って休みたいから何とか理由を捻り出して断ろうと思っていたら、ダリルがラルにいち早く返事をする。

 「いや、ウチは旦那が夕飯を作っているはずだから帰らないと。」

 お、ダリルが断ってくれたらあたしも断り易い、などと考えていたら、またダリルさんはあたしの期待を裏切る発言をする。

 「だから宴会はウチでしよう。ラルさんは酒の用意だけしてくれ。」

 「おっ、そうか。カカアはどうする。」

 「行くに決まってらあね。」

 いかにも肝っ玉母さんっぽいヒルデさんがニコニコ笑いつつ言う。

 「あたしも行く!」

 レナが元気に挙手しながら答える。

 あれれ?ほんの数十秒で勝手に色々決まって、断りづらい空気になっていくんだが。

 後は真面目で寡黙なドラン君が頼りだ。君はきっと宴会とか苦手なタイプに違いない。

 「ドランはどうする?」

 「エドガーさんの料理が食べられるのなら行く。」

 ダリルの質問に真顔のまま即答するドラン君。

 そういや、ダリルの家で時々凄く美味しい料理が出てくる事があったな。

 あれ、エドガーさんが作っていたのか。知らなかった。そしてその料理に、寡黙で真面目なドラン君がハマっている事も当然知らなかった。

 「ゾラも来るよな?」

 あれ?

 あたしの場合は『どうする?』じゃなくて『来るよな?』なんだ。

 あたしが誤魔化すように笑っていると、ダリルさんは全く同じ台詞を、ご丁寧にもわかり易くするためか、音節ごとに区切りながら力強く繰り返す。

 「ゾラ、も、来る、よ、な?」

 「あ〜、はい。行きます。」

 「そんな投げやりに言う事はないだろう。まるで私が無理矢理誘っているみたいじゃないか。」

 ダリルさんが無理矢理誘っている自覚が無い事を示す驚愕の言葉を吐いたが、その拗ねた様子が可愛いかったので、あたしは思わず笑ってしまった。

 「そんな事ないよ。誘ってくれて嬉しいよ。」

 「初めからそう答えればいいんだ。」

 ダリルは一見不貞腐れたように言ったが、判り易く機嫌は直っていた。

 チョロ可愛い。

 ドヤドヤと予想以上の人数で押しかけたにもかかわらず、エドガーは平然と迎え入れ、しかも人数分の料理の準備も出来ていた。

 いかにエドガーの料理の手際が良くとも、予定の3倍以上の人数の料理をいきなり用意するなんて不可能なので、おそらくダリルがラルの店に戻る前に一旦帰宅して、エドガーに客を呼ぶ事を伝えていたのだろう。

 酒を調達する為に後からやって来るラル夫妻を除いた全員で食事会という名目の宴会の準備を始めたが、別行動を取っていたラル夫妻が大量の酒を持って到着すると、一緒に準備をしていたはずのダリルとレナの姿が台所から消え、気付いた時には一足先にラル夫妻とリビングで酒盛りを始めていた。

 全くドワーフもハーフキンもロクでもないな。

 あ、いやこれは失言だった。

 ドワーフのドラン君は真面目に宴会の準備を続けているからね。

 こうしてなし崩し的に宴会は始まった。

 こんな感じで始まっただけあって雰囲気はかなり緩く、エドガーさんが作った大鍋料理や大皿料理を各自小皿に取り分け、酒も飲みたい者が勝手に手酌で飲むというスタイルだ。

 ただあたしにはとっては、この緩くフリーダムな雰囲気は居心地が良かった。

 宴会が進んであまり飲まないエドガーとドラン以外の面子に程よく酒が回った頃、あたしはヒルデさんに捕まり、思いがけず昔の共通の知人達の現状についての話で盛り上がっていた。

 あたしなら記憶を失うレベルの量の酒を飲んだはずのヒルデさんだが、頬が多少赤らんでいる以外は大して酔っているようにも見えない。

 「そういやお前、見覚えあるような気がするんだが、どうにも思い出せないんだよなあ。」

 と、あたしの事をジッと見ていたラルさんが唐突に口を挟む。

 彼もかなり飲んだはずだが、やはりあまり変化は見えない。

 ただ目が結構据わってきたせいで元々強面だった面相が更に強烈になり、ヴィジュアル面の凶悪さが尋常ではなくなって単純に怖い。

 「おっちゃん、まだ思い出せないのか?エルモア小父さんとゾーイさんの娘のゾラだって!」

 酔っぱらいドワーフ3人組の中で、明らかに群を抜いて酔っ払っているダリルが怪しい呂律とテンションで口を挟んでくる。

 つい数時間前にあたしの飲酒癖に対して苦言を呈してましたダリル自身が、今現在典型的な迷惑な酔払いと化しているのは全く笑えない冗談だ。

 「え?あの2人の娘は物凄い色白で、髪の毛も白い娘じゃなかったか?」

 「バカだね、あんた。それは妹のヨハンナちゃんで、ここに居るのはお姉ちゃんのゾラちゃんだよ。」

 「えっ、お姉ちゃん!?あの2人の上の子はずっと男の子だと思っていたよ!」

 ラルさんの口から衝撃のカミングアウトが飛び出し、騒がしかった室内が一瞬にして静寂に包まれる。

 なる程、子供の頃のあたしをずっと男の子だと思っていたから成長したあたしを見ても中々思い出せなかったのか。

 生暖かい感情で冷静にラルさんの頭の中を分析していると、グハハハッという女性が上げるのはどうかと思われるダリルさんの下品な笑い声が静寂を打ち破る。

 「確かにコイツ、12歳か13歳くらいで急に色気づく前は男の子って言われても仕方がない言動だったな!」

 「ちょっと、ダリルちゃん、やめなさいよ。失礼でしょ?」

 「いいんです、ヒルデさん。ダリルは昔からこんな奴でした。」

 あたしが拗ねたように言うと、さすがに悪いと思ったのか、その凶悪な面相にもかかわらずラルさんが微妙なフォローを入れてくれる。

 「ああ、儂が言いたいのは見違えたって事だよ、うん。本当に見違えるように美人になったよ。もう少し背が低くて恰幅も良ければ完璧だな。」

 ラルのオヤジが、他種族の女性にドワーフ独自の美意識を無理矢理当てはめようとするドワーフ男のテンプレを言い出したが、あくまで伝統芸とも言えるテンプレだからと無理矢理にでも自分を納得させて気にしない事にする。

 クククッ、という押し殺した笑い声が聞こえ、そちらを見ると棚の上に止まっていたノエルが笑うのを必死に我慢していた。

 カラスにやられると、同じ事を人にやられるより更にムカつく気がするのは何故だろう?

 「そうよ、ゾラちゃんは昔から可愛かったじゃない。」

 あたしがノエルへのお仕置きを考える事で心の平穏を保とうと努力していると、ヒルデさんはプリプリ怒りながらフォローしてくれた。

 昔から優しいおばさんだったとホッコリしていたが、あたしの笑顔はすぐに凍りつく。

 「お父さんのエルモアさんの演奏の前に可愛らしく曲紹介したり、お父さんの曲に合わせて可愛らしく踊ったり。ホント、可愛かったわぁ。」

 ヒルデさんは懐し気に目を細めるが、子供の頃の嚙みまくりの曲紹介や異次元の下手くそさを誇るあの頃の踊りはあたしにとっては黒歴史で、ずっと心の奥底に封印していた代物だ。

 善意100%の言葉が、時と場合によっては精神に多大なるダメージを与える結果をもたらす場合がある事を、ヒルデさんによってあたしは思い知らされた。

 その頃の光景を思い出したのか、ダリルの下品な笑い声がさらに大きくなる。

 「儂が思い出すのはアレだな。ホレ、儂達の3番目の息子のガイアスがいじめっ子に泣かされて帰ってきた時があったろ?」

 ラルさんが更に別のエピソードをぶっ込んでくる。

 正直、この一連の辱めはそろそろ止めて欲しいのだが、善意100%の動機で行われているのが分かるのであたしの口から止めてとは中々言い辛い。

 「ああ、あれか。あれは傑作だった。」

 ダリルさんのテンションが更に上がる。

 「それを聞いたゾラちゃんがいじめっ子共に話をつけてくれて、以後ガイアスへのイジメが無くなった事でしょ?

 あれ、ホントに感謝してるのよ。」

 「いや、違うんだよ、オバちゃん!いや、違わないけど違うんだ!」

 ヒーヒー笑いながらのダリルの下手くそな説明に、当然の如く怪訝な表情になるヒルデさん。

 「どういう事?」

 「いじめっ子共は年上が3人だから当然ゾラは返り討ちよ。でも、あまりにもしつこくゾラが食らい下がるもんだから、連中気味悪がって逃げ出したってのが真相なんだよ。」

 今の話に笑うような要素はなかったはずだが、相変わらず爆笑を続けるダリルさん。

 幼い頃のあたしの中の記憶では、いじめっ子を格好悪い状態ながらも追い払う事に成功した後に、ダリルさんが『よくやった』と優しくも力強く励ましてくれていたのだが、どうやらその記憶は美化されまくっていただけの代物らしい。

 「あらあら、そんな事があったの?知ってたらガイアスに責任取らせてゾラちゃんと結婚させたのに。あの子3年前に結婚しちゃったのよね。」

 うん?

 ヒルデさんも何だか、無邪気な善意であたしに厄介事を押し付けようとする気配があるな。

 ただまあ、泣き虫ガイアスには心の中で、知らなかったけど結婚おめでとう、と祝福だけはしておく。

 お前が既婚者になった事で、訳の分からないノリで結婚話が進むという最悪の事態は免れた。

 「儂は昔からゾラの勇気は買っておった。こりゃ将来立派な男に―――いや、ゲフンゲフン!」

 咳払いで何かを誤魔化すラルさん。

 今夜のラルさんからは、適当なフォローは心の傷を更に抉ってしまうという事を学びました。

 子供の頃の自分の話をされるのが、こんな辱めになる事を始めて知った。

 さっきワイアットに、部下の前で過去のプライベートを面白がって暴露した報いか?

 因果応報とはこの事だな。

 ゴメンよ、ワイアット。お前もさっきこんな気持ちだったんだな。

 「しかしまあ、こんな立派になったゾラちゃんの姿、ご両親も見たかったでしょうね。」

 「ああ、そうだな。」

 なんだか、ヒルデさんとラルさん、急にしんみりしたテンションになったぞ。

 酔ってるせいか、いささか情緒不安定だな。

 周囲を見回すと、ダリルはあたしを笑うのに飽きたのか、真剣な表情で料理談義をしているエドガーとドランの元に向かう。

 レナはジーヴァをクッション代わりにしてもたれながら、ノエルの語るマニアックな蘊蓄を一応真剣そうに見える表情で聞いている。

 結果、あたしは自分の両親ついての話を延々と語るラルさんとヒルデさん夫妻の前から動く事が出来ずにいた。

 自分の子供時代の話よりはいささかマシだが、両親の話も中々にこそばゆい。

 「ゾーイさんは本当に綺麗な人だったわね。」

 「まあ、確かにエルフにしては美人だったが、儂としては中身の方が印象深かったな。」

 「まあ、それは……うん。」

 ヒルデさんはあたしの亡き母のフォローをしかけて、すぐに断念して誤魔化すように苦笑を浮かべる。

 確かにあたしの母は、娘のあたしから見ても美人だった。

 ヌーク村を始め、今のあたしには多くのエルフの知り合いがいるが、思い出補正を差し引いてもその誰よりも美人だった、と思う。

 そして、妹のヨハンナには確かに遺伝したが、あたしには全く遺伝しなかった儚げな雰囲気もあった。

 でもそれは外見だけの話で、母の中身はといえば豪快な野生児そのもので、少し親しくなると皆、外見とのギャップにフリーズするのが常だった。

 だから、ラルとヒルデ夫妻のリアクションも納得できる。

 「逆に旦那さんのエルモアさんは強面なのに繊細な人だったわね。」

 「まあな。あんなデカい図体して小心者だったな。でも、奴のギターと歌は本物だった。儂は未だに奴以上の吟遊詩人を見た事が無い。」

 2人の会話には両親に対するディスも微妙に入っている気もするが、単に全肯定してベタ褒めされるより両親への愛着が感じられて、あたしはジンときてしまった。

 最近妙に涙脆いのは歳のせいか、と思わないでもないが、そんな余計な思考は頭の中から追い出し、あたしは2人に提案する。

 「ねえ、良かったら一曲歌おうか?」

 あたしにとって、実はこれは例外中の例外だ。

 子供の頃は顔見知りの前でも恥ずかしげもなく歌ったし、今でもダリルの前で義肢の動作確認のついでにギターを一曲弾いたりはするが、ここ20年程は面識の無い聴衆か、冒険者になってからの知り合いの前で歌ってばかりで、子供の頃から知っている昔馴染みの者の前で歌う事はほとんど無かった。

 「あらそう?嬉しいわ!」

 ヒルデさんは無邪気に喜んでくれるが、少し拗らせた初老のドワーフ親父はちょっと面倒臭い。

 「エルモアのお陰で儂の耳は中々に肥えているからな。その娘だからといって容赦はせんぞ。」

 誰目線だと言いたくもなるが、その強面が照れ隠しの裏返しだと何となく分かっているので、凶悪な面相でもちょっとカワイイと感じる。

 あたしも中々心が広くなったものだ、とちょっとだけ心の中で自画自賛する。

 まあ、久々に会ったから可愛げを感じるだけで、毎日顔を突き合わせたら苛立ちの方が先に来るだろうけど。

 「父さんにはまだ及ばないのは自覚してるよ。でもまあ、余興だと思って聴いて。」

 「まあ、そう言うならな。」

 ちょっと下手に出る出ると満足そうな顔をするラルおじさんも、中々にチョロい。

 あたしはダリルの作業場に置きっぱなしだったギターを取りに行く。

 ギターは南方大陸発祥の弦楽器で、滅多に見ないという程ではないが、ここ西方では未だに珍しい楽器だ。

 普通のギターの胴体はほぼ木製だが、あたしが愛用している父の形見のギターは胴体が金属製のリゾネーターギターといわれるもので、普通のギター以上に珍しい。

 作業場からギターを持ってリビングに戻ると、ダリルが近寄ってくる。

 「お、珍しい。一曲弾いてくれるのか?」

 チラリとエドガーの方を見ると、彼はまだ熱心にドランと話し合っている。

 ハハン、2人の話に入れなくて寂しくなったんだな、と思って、さっき散々笑われた意趣返しに意味有りげにニヤッと笑うと、ダリルは肘であたしの脇腹を突いてくる。

 「何だよその笑いは?ゾラのくせに生意気だぞ!」

 ダリルは半ギレ気味に絡んでくるが、それも不器用な拗ね方だと分かると可愛いもんだ。

 あたしがチューニングを始めると、皆、話を止めてこちらを見る。

 「ちょっとした余興だから気楽に聴いてね。ええと……。」

 あたしは周囲を見回し未使用の小皿を見つけると、自分の前に置く。

 「演奏が良かったら自由におひねりを入れてね。気に入らなくとも文句は心の中だけに留めて、口には出さないで貰えると助かります。」

 あたしの前口上に、数少ない観客達から失笑じみた笑いが起こる。

 あたしは気にせず、ポケットから親指に固定するタイプのピックを装着する。

 このサムピックというピックもマイナーな代物だが、父がずっと愛用していたものだった。

 バードになって数少ない他のギター弾きとの交流が深まるようになるまでは、これがスタンダードなピックだと思っていた。

 あたしは1つ咳払いをしてから、ルーズに前奏を弾き始める。

 元々左利きのあたしはギター演奏も左利きスタイルだが、右腕を失い義肢にした時に、ギターの演奏は右利きに変更しようかと悩んだ時期もあった。

 でもダリルが、義肢を使った細い指先の作業は数をこなさないといつまでも精度が上がらない、と言われリハビリを込めて左利きスタイルを継続した。

 義肢の指先の動きは、半年程で日常生活に支障が無いくらいまで熟達するようになったが、ギターの演奏だけは人前で聴かせられるレベルになるまで5年かかった。

 義肢には触覚が無い事が最大の難点で、しかも義肢自体になまじパワーがある為に、義肢を装着した直後はふと気を抜くと、意図せずにそのパワーで色々なモノを握り潰したり叩き壊したりしてしまったものだ。

 半年程でそうした失敗はほとんど無くなったが、ギター演奏に関しては指先に弦を押さえている感覚が全くなく、最初の内は押弦を常に目視で確認しなければならなかった。

 加えて、義肢自体のコントロールも非常に集中力を必要とした上に、慣れるまでは本当にぎこちなくしか動かなかったものだ。

 ただダリルが言ったように、気が遠くなるような反復練習の末に、義肢の指も随分と器用に動くようになったし、指を動かすのに必要な集中力もだいぶ減った。

 今ではたとえ触覚が無くとも、無意識に丁度良い力加減で押弦出来るようになったが、触覚が無い事によるフワフワとした不安感を一番感じるのは実は楽器の演奏中だったりする。

 ただ、やっぱりギターの演奏は楽しい。

 気の遠くなるような反復練習も、最初の内は苦行でしかなかったが、出来る事が多くなるにつれ楽しくなっていった。

 素の肉体には及ばないが、それでもかなり自在に義肢を動かせるようになったのは、ギターの反復練習のお陰なのは間違い無い。

 ちょっとラフでありながらも、徐々に感情を込めた前奏をゆったりと弾いている内に、数少ない観客も私語を止め、あたしのギターに集中していくのを感じる。

 あたしはノーマルの押弦奏法に加え、金属製の義肢の指を弦の上で滑らせる独自のスライド奏法も時折混ぜる。

 これは押弦の反復練習時に偶然見つけだしたあたし独自の奏法だ。

 その音が面白くて練習に飽きてきた時の気分転換時に色々と研究を重ねてきたもので、今ではギター弾き仲間からも一目置かれるようになり、あたしを真似て金属製の筒を指に嵌め、スライド奏法する連中も極少数ながら現れた。

 オリジナルより随分とゆったりとしたテンポで前奏を弾いている内に、あたしの気分も上がり始め、女性にしては低音の部類に入るやや酒焼けした声で歌い始める。

 あたしの父の出身地の南方大陸で古くから伝わる曲で、行きずりの色男に騙されてばかりいる幼なじみの女に片想いし続けている内気な男の歌だ。

 あたしはゆったりとしたテンポでブルースを歌う。

 最初は静かに、徐々に感情を込め力強い声を出しながら。

 歌いながらあたしが思い浮かべていたのは、歌の主人公である女に片想いする内気な男ではなく、その歌を弾き語っていた時のあたしの父親だった。

 『面白いね、ゾラ。』

 熊のようなガッチリとした体格に加え、ここ西方地方では滅多に見られない褐色の肌のせいで謂われなく野蛮人呼ばわりされていたあたしの父は、およそ子供向きとは思われない内気な男のウジウジとした片想いについての歌を歌い終えると、その優しい人柄を存分に感じさせる何とも言えない笑顔を幼かったあたしに向けると、言った。

 『今の歌はパパのオリジナルじゃないんだ。パパのお爺ちゃんのさらにお爺ちゃんの頃から歌い継がれてきた古い歌なんだよ。

 でもパパが長い航海の末にこの地に着いたら、南方から遠く離れたこの西方の地にも同じような曲がたくさんあったんだ。ヒューマンだけでなく、エルフやドワーフ、各種獣人たちの間にもね。

 この歌がありふれてた歌だって事が、パパには凄く嬉しかったんだよ。』

 自分達が大切にしてきた歌が他の土地でもありふれたテーマの歌だったのに、それを嬉しく思った父。

 そういった事を思い出しつつ歌っていた為か、思いの他感情移入してしまい、クライマックスではやや声が裏返ってしまったが、最近では中々に満足出来た演奏だった気がする。

 客受けもよく、ヒルデさんなんか泣いて感動してくれた。

 まあ彼女は結構酔っていたように見えたので、その涙は半分くらいは酒の力っぽかったけど。

 ラルさんはあたしの肩をバンバン力任せに叩きながら、

 「お前、これからはもっとここに帰ってきて歌え!」

 と脅迫じみた称賛をしてくれた。

 その後、あたしは2曲程アップテンポの明るい曲を歌い場を盛り上げたが、それを歌い終えた頃にはラルとヒルデの夫婦の酔払い加減が結構ヤバくなってきたので、余力のある内に帰そうという話になり、宴会はお開きになった。

 あたしもそのタイミングで帰ろうとすると、

 「お前は今夜は泊まってけ。」

 とダリルさんがいつもの暴君ぶりを発揮する。

 助けを求めるようにエドガーさんを見たが、彼は無言のまま諦めろ、と言わんばかりに肩を竦めただけだった。

 ドランとレナはちょっと足取りが怪しくなり始めたドワーフ夫婦に付き添わないといけない事もあって、結局いつものようにあたしが折れる事となった。

 4人を見送ると、なんとなくの流れで本格的な後片付けは明朝行う事になり、残った料理をつまみながら、3人でまったりと飲む事になる。

 「しかし、ヒルデさんもラルさんも変わってなかったなぁ。」

 あたしがしみじみ言うと、ダリルが半眼であたしを見た。

 「よく言うよ。ヒルデおばちゃんはともかくラルおじさんの事は完全に忘れていたクセに。」

 図星を突かれたあたしは、大人気なく言い訳をしてしまう。

 「ドワーフのおじさんは皆、髭で顔の半分以上が隠れているから仕方ないよ。あれじゃあ覆面してるのと変わらないし。」

 「はいはい、お前は昔から口だけは達者だからな。」

 そう言うダリルの口調は呆れてるといった感じではなく、何だか妙に感傷的で優しかった。

 「それにしてもヒルデおばさん、少し老けたのかな?あんなに涙脆かったっけ?」

 ダリルの口調に引きずられるように少し感傷的な気分になったあたしは、気になっていた事を聞いてみる。

 「おばちゃんは昔から泣き上戸だったよ。ただまあ、最近はストレスも多いから今夜は余計に泣き上戸に拍車がかかったのかもな。」

 「ストレス?」

 あたしが聞き返すと、ダリルはニヤッと少し意地の悪い笑みを浮かべた。

 「さっきも話に出てたガイアスの嫁さんとおばさん、反りが合わなくてさ。」

 「そうなの?」

 「どっちが悪いって話じゃないよ。ただ、どうしたって反りの合わない人はいるってだけの話で。」

 ダリルの言い方に不穏な空気を感じたのか、エドガーが補足を入れてくれる。

 そしてエドガーが口を挟んだ事で、あたしの中で話の信憑性が急上昇した事にも気付く。

 ダリルも意図的に嘘をつく方ではないが、無意識の内に曖昧な記憶で断言したり、話を盛ったりする傾向があって結果的に話が胡散臭くなる事が多々あるから。

 その点エドガーさんは、自分の中で確実と思った事しか口にしないイメージがある。

 そこであたしはふと気付く。

 「あ、もしかしておばさんが、あたしをガイアス君の嫁にしたかったって言ったのはそういう脈絡から?」

 「だろうなあ。」

 ダリルは妙に同情するようにあたしを見た。

 もしかしてダリルは、ガイアスの嫁になるチャンスを知らぬ間にみすみす逃してしまった事を、あたしが残念がっているとでも思っているのだろうか?

 いや、あたし全然残念に思っていないから、と言いたかったが、ダリルの事だからそんな事言っても負け惜しみとしか取られない予感があったので黙っている事にする。

 あたしがレズビアンという事は、長らく疎遠していたせいか、ここ異人街の昔馴染み連中には伝わっていないらしい事が今日の宴会を通じて何となく伝わった。

 もしこれから、彼らと再び交流を密にするような事があればいずれここの連中にも知られてしまうだろう。

 だが、冒険者になってから知り合った連中にレズビアンである事を知られるのとは違って、ここの連中に知られる事には妙な抵抗感を感じてしまった。

 少なくとも今、ダリルにカミングアウトしてまでガイアスの嫁云々の話の誤解を解く気にはならなかった。

 「ところで。」

 普段はあたしとダリルの会話にはあまり首を突っ込まないエドガーが、珍しく強引に話題を変えてきた。もしかして、あたしが難しい顔で黙り込んでしまったので気を遣ったのかもしれない。

 「東方人の娘が、今回の強盗事件の犯人をほぼ1人で捕まえたって本当なのかい?」

 「ああ、ナギね。」

 ダリルがナギの名前を出しても、エドガーさんはあまりピンと来てない様子だった。

 顔役として異人街の様々な住民と密に交流のあるダリルと違って研究者肌のエドガーさんは自宅に引き籠もりがちなので、彼女の事は知らないのかもしれない。

 「覚えてないか?1ヶ月程前に、アールワース商家の紹介状を持ってここに来て、住居の斡旋を頼んだ東方人の女がいただろ?」

 「ああ、いたな。でも、ちょっと待て。その東方人の女、そんな名前だったか?」

 「紹介状を持ってきたのはマヤって女だ。ナギとマヤは姉妹で、一緒にハーケンブルクにやって来たらしい。今も一緒の部屋に住んでいるはずだよ。」

 「へえ、姉妹で一緒に住んでいるんだ。どっちがお姉さん?」

 あたしは興味津々で尋ねるが、ダリルは大して興味なさそうに首を傾げる。

 「そういや、どっちが上か確認したことなかったな。歳も同じくらいに見えるし、もしかしたら双子かも。」

 「ふ〜ん、双子でもおかしくないってことは良く似ているの?」

 「私にはそう見えるけど。でもまあ、単に東方人を見慣れていないだけで、皆同じ顔に見えるだけかもしれない。」

 確かに、様々な人種や種族が集うここハーケンブルクでも東方人の数は少なく、出会う機会は少ない。

 ぞれにしても、急に歯切れが悪くなったダリルの口調が気になる。

 「その、ナギさんの姉妹のマヤさんってどんな人?やっぱり堅物な感じ?」

 「いや、いつもヘラヘラしていて軽薄な感じだな。正直、あんまり好かん。」

 「珍しいな、お前がそんな事を言うなんて。」

 エドガーが驚いたように言うが、実はあたしも同感だ。

 口の悪いダリルだが、心は広く多少の奇人変人は寛大な態度で受け入れるし、その場に居ない人間のストレートな悪口もあまり口にする方ではない。

 特に、姉御肌で顔役でもあるダリルが、保護すべき立場の異人街の住人にあからさまな嫌悪感を示すのは滅多にない。

 あの極端なまでに周囲と壁を作っているっぽいナギに対しても、ダリルなりに気を遣っているし。

 「ナギはあれだ、無愛想ながらも神殿で不定期に働いて稼いでいるのに、マヤの方は何して稼いでいるのかさっぱり分からん。身体を売って生活しているって噂する連中もいるくらいだ。」

 「本当なの?」

 あたしが突っ込むと、ダリルはちょっとバツが悪そうな顔になる。

 「少なくとも私の目の届く異人街でそういう事している形跡は無いが、あの女、しょっちゅう異人街の外に出てるしな。それに普段から、周りの男達に媚びまくっているからそういう噂を立てられるんだ。」

 珍しく言い訳がましく早口になるダリルを見て、ああ、そのマヤって女は同性から嫌われるタイプか、と腑に落ちた。

 どうやら、思った程深刻な事案という訳ではなさそうだ。

 それにしても、ナギと似た顔立ちでヘラヘラと媚びを売りまくっている女とか、ナギの無表情のイメージが強すぎるせいで想像するのも難しい。

 あたしが脳内の無表情のナギを、ヘラヘラ笑っている表情に変換しようと成功の見込みの無さそうな努力を虚しく続けていると、再びエドガーが口を挟む。

 「そう言えば、彼女がアールワース商家の紹介状を持って来た時は驚いたな。」

 「それね。あんな大物の紹介状でこの異人街の住居の斡旋を頼まれたのは初めてだな。」

 それはあたしも気になっていた所ではある。

 既にその土地で信用を得ている人物や団体の紹介状は様々な交渉事において持ち主の有利に働くが、それを悪用されれば紹介状を書いた者の信用に関わるので、特にアールワース商家程の大物なら渡す相手を厳選するはずだ。

 異人街の部屋の家賃はかなり安く、その程度の交渉事で用いるには過剰なアイテムと言える。

 「その紹介状って本物だったの?」

 不安になり、あたしは訊いてみる。

 「私もエドガーも、アールワース商家の依頼で仕事した経験もあるし、コネもある。その伝手で商家に仕える人間に確認したら間違いなく商家の紹介状だって。」

 「その人は、ナギさんやマヤさんの事は知らなかったの?」

 「そうだな。まあ、あれだけデカい組織になれば違う部署でやってる事なんて知らなくて当然だろうけど。案外、商家に属するのモテないオヤジをたらし込んで書かせたってオチかもしれないな。」

 ダリルの決めつけにエドガーが苦笑を浮かべるのを横目で見ながらあたしは言う。

 「ふ〜ん。でも、ナギさんもよくそんな女と同居してるわね。」

 「ん?」

 「いや、だって、ダリルの話を聞いているとそのマヤって女、男に色気使いまくっているだらしない女にしか聞こえないからさ。あたしの印象ではナギさんって人間関係に潔癖なものを求めてそうだし。」

 「ああ、いや、マヤについてはちょっと言い過ぎかもしれない。そういう雰囲気に見えるだけで、私だって実際に男を連れ回しているのを見た訳じゃないし。」

 ダリルは自分が言い過ぎた事を自覚したのか、再び言い訳がましく言ってからあたしを見る。

 「でも、ナギだってそんな人間関係に潔癖さをも求めているとも思えないけど?どうして、そういう発想になった?」

 「いやだって、さっき少し喋っただけなのに、もう嫌われたような感じがしたから。」

 「そうか?考え過ぎだろ?彼女は誰に対してもああだぞ?」

 ダリルの口調は軽く、あたしに気を遣って言っているという感じではない。

 「そ、そうかな?」

 ふと気付くと、あたしの頬が少し緩んでいた。

 「まあ、彼女は親しくなるまで時間のかかるタイプなのかもな。誰だってお前みたいに初対面から愛想よく出来るとは限らないんだぞ。」

 「まあ、それはそうかもね。」

 ちょっとニヤニヤし始めたあたしを見て、ダリルは意地悪そうに笑う。

 「まあ、お前の本性が分かったらナギに本格的に嫌われる可能性もあるけどな。」

 「ダリルって、本当に一言多いよね。」

 ダリルの言葉にむくれていると、ふとノエルがあたしの事をジッと見つめている事に気付いた。

 カラスの表情は分からないが、魔術的な絆のせいで彼の呆れの感情が伝わってくる。

 その後すぐ、この小規模な二次会はお開きになり、あたしはリビングの長椅子をベッド代わりに寝る事になる。

 ダリルとエドガーが寝室に引き揚げ、あたしが長椅子に横たわり、借りた毛布を身体に掛けた時、ノエルが話しかけてきた。

 「ねえ、ゾラ。」

 「ん、どした?」

 「ナギとかいう東方人の女に惚れたんじゃない?」

 「な、なにを言ってるんだ君は?!」

 正直あたし自身にそういった自覚がハッキリとは無かったにもかかわらず、何故かあたしは動揺してしまった。

 そのあたしのリアクションを見て、ノエルはわざとらしく溜息をつく。

 「まあ、別にいいんだけどさ。リザを見送ったのは今朝の話だよ?彼女は別に恋人ではなかったかもしれないけど、いくらなんでも早くない?」

 ノエルの言葉にあたしはグウの音も出ずに黙り込んでしまう。

 ノエルのクセに、と彼に理不尽な怒りをぶつけつつ頭から毛布を被り、ふて寝を決め込もうとした所でふと冷静になり、気を取り直してすぐに毛布から顔を出す。

 「ねえ、ノエル。」

 「なんだい?」

 「彼女に対して抱いているのは恋愛感情とは別物っぽい。」

 「へえ、そう?」

 わざわざ声のトーンを真剣なモノに変えて言ったのに、ノエルは全く本気にする様子がない。

 「彼女と初めて目が合った時、それから初めて握手した時も、魔法的な何かを感じたんだよね。」

 「彼女が運命の相手〜って?」

 相変わらずノエルは馬鹿にしたように言う。

 もしかしてお前妬いているのか?と言いたかったが、カラスと修羅場を演じる趣味はないので、薄暗い照明の下でノエルの目をジッと見つめながら、冷静さを保って言う。

 「恋愛感情を抜きに、純粋に魔法的な何かを感じたの。」

 そう力説するあたしをノエルはジッと見つめた後、甲高い声でまくし立てる事の多い彼にしては珍しく落ち着いた口調で言う。

 「まあ僕としては、そのナギさんがどうこうより、ゾラの恋愛脳の方が心配なんだけど。」

 「ちょっと、あんた、恋愛脳って。」

 あたしは反論しかけたが、過去の自分の行いを省みた上で、しかもその行いのほとんどを知っているノエルに対して効果的に反論出来る可能性がほぼ残っていない事に気付く。

 結局あたしは、大人気なく頭から毛布を被って再びふて寝を決め込む事しか出来なかった。

 「……ゴメン、ちょっと言い過ぎた、かも。」

 少しの間があって、ノエルが謝ってきた。

 ふて寝したあたしを見てすぐに不安になって、悪くもないのに謝ってくるあたり、やっぱりノエルはヘタレだ。

 でもノエルに、必要もないのに下手に出る態度を取らせておいて良心の呵責を感じないでいられる程、あたしの神経も太くはない。

 「まあ、あたしの日頃の行いのせいでノエルに心配をかけているのも確かだから、あたしの方も悪くはある。」

 あたしが毛布を被ったまま、ボソボソっと言うと、ノエルから安堵の感情が伝わってくる。

 曲がりなりにも和解が成立した事でこのまま眠っても良かったが、ノエルとの間の誤解を完全に解いておきたくなり、再び毛布から顔を出すとノエルに話しかける。

 「ただ、あたしとナギの間に魔法的な何かがあったのは確かなのよ。それが原因で妙に彼女を意識してしまってるのも確かだけど、順番は逆なの。」

 「うん。」

 「ノエルはこの事、しっかり覚えておいて。あたしは、その、ノエル程記憶力は良くないから。」

 「ゾラはそれでいいよ。チームは適材適所だから。」

 ノエルが珍しく、あたしに対してデレたような気がする。

 別に嬉しくはなかったが、安心はした。

 今日1日色々あって、精神的に疲労していたせいもあり、ちょっとした安心感は瞬く間にあたしを眠りに誘った。

 翌朝、あたしは結構早くに目を覚ました。

 とはいえ、あたしより先にジーヴァもノエルも起きてはいたが。

 ジーヴァはリビングの床の上で眠そうに欠伸をしつつ全身を伸ばしているし、ノエルは例によって、嘴で器用にページを捲りながら読書に勤しんでいる。

 この前、本を返すのを忘れて係員から静かな怒りを向けられていたばかりなので、ほとぼりが冷めるまでは図書館には近寄らないつもりだったのだが、ノエルのあまりのしつこくさに根負けして昨日図書館に一緒に行って借りてきた本だ。

 本の題名は『アストラ―王国建国史 第1巻』。

 「その本、面白い?」

 普段はノエルの読む本にほとんど興味を示さないあたしだが、実はこの本に関しては彼が図書館で借りた時から興味を持っていた。

 ノエルは分厚い本に視線を向けたまま、やたら早口で語る。

 「面白いよ。この本って今から150年くらい前の、アストラー王国中興の祖って言われているノバク11世っていう王様が国中の歴史学者を掻き集めて編纂した歴史書って触れ込みなんだけど。」

 「ふ〜ん。」

 あたしの興味は急に薄れる。

 歴史を題材にした娯楽小説は好きだが、きちんとした歴史書というのはそれだけであたしの中で拒絶反応を起こしてしまう。

 まあ歴史書でなくとも、びっちり文字が詰まった本は見るだけで敬遠してしまうので、あたしはノエルのような読書家には100年経っても成れないだろう。

 「でも、これって完全に歴史書を騙った娯楽小説だよ。」

 「そうなの?」

 ノエルの言葉にあたしの興味は少しだけ復活する。

 「まあ、この本が書かれた時の裏側のエピソードを僕は知ってるからね。」

 ノエルはようやくあたしの方に顔を向け、ドヤ顔をする。

 自分が語りたいだけなのに、あたしから

 『どういう事?聞きた〜い!』

 という言葉を明らかに待っているノエルに軽くイラッとする。

 まあ昨夜、ノエルと微妙になってしまった後だけに、通常運転の彼にホッとしている部分もあるが、それよりもやはりイラッとした部分が勝ってしまった事もあり、あたしはあえて素っ気ない態度を取る事にする。

 「そうなんだ。ま、楽しんでね。さて、タオルはどこにあったっけ?」

 あたしがわざとらしく顔を洗うためのタオルを探し始めると、ノエルが拗ねたように言う。

 「なんだよ。この本とは別だけど、ゾラだって同じテーマのこの国の建国伝説の叙事詩は好きだろう?」

 「そうだっけ?」

 あたしは勝手知ったるダリルの家という事もあり、引き出しを開けてタオルを取り出しつつ、ノエルの質問にとぼけた返事をする。

 「ゾラの吟遊詩の十八番じゃないか。ギターの弾き語り演奏よりよっぽど受けるし、稼げるし。」

 「受けがいいから演ってるだけ。別に好きでも嫌いでもないし。」

 「そうなんだ。伝説に子供っぽい憧れを抱いていたのは過去の話って訳ね。」

 ノエルは意味有り気に言う。

 実際、コイツはあたしの様々な黒歴史を知っているので、彼の言わんとしている事はすぐに分かった。

 ノエルが自慢する機会をあえてスルーしたあたしも大人げないが、腹いせにあたしが気にしている黒歴史を持ち出すノエルも大概だな。

 あたし達2人が熱くなりかけた所で、床に寝そべっていたはずのジーヴァがあたしとノエルの間に割って入り、最初はあたしを、ついでノエルをジッと見上げる。

 それで、あたし達は両方共に冷静になった。

 昨日の今日で、あたし達は2人共何やってるのか。

 「あたしは顔を洗いに行くから、ノエルは読書楽しんで。」

 「分かった。外はまだ暗いから気をつけてね。」

 あたし達は互いに少し申し訳ない気分になりつつ、意図して何事もなかったように会話を交わす。

 ジーヴァがあたしに付いてくるが、別にあたしを気遣った訳ではなく、尻尾が緩やかに揺れている所を見ると外に出たかっただけらしい。

 外に出ると、まだ薄暗い上に朝霧が立ち込め視界は悪かった。

 海に近いハーケンブルクは特に朝や夜は霧が多い。

 早朝から働く者も多い異人街ではあるが、ダリルの家のあるこの周辺はまだ静かなもので、遠くの方からたまに商売人のものらしい声が聞こえるくらいだ。

 あたしはひんやりとした早朝の空気を気持ちよく感じつつ、路地裏の広場に向かう。

 その広場の中心には井戸があり、周辺住民の共用の水場になっている。

 ハーケンブルクにはこういった水場が結構多く存在するが、その人口に完全に対応できる程の数では無く昼間はどこの水場も人でごった返しているが、まだ薄暗い早朝の時間帯の今は先客は一人しか居なかった。

 その唯一の人影は、濃い朝霧の中で何やら不思議な動きをしていた。

 武術の型を練習しているっぽいがその手には武器の類は一切持っていないし、あたしが見てきたどの型稽古とも違っていた。そもそも動きがゆっくりし過ぎて、本当に型稽古なのかもちょっと自信がない。

 朝霧と薄暗さのせいでボヤけたシルエットしか見えていないにもかかわらず、あたしの目にはその動きがひどく美しく見えた。

 あたしの足元で最初は不思議そうにあたしの視線を追ってその人物の動きを見ていたジーヴァも、すぐに飽きて後ろ脚で自分の耳の後を掻いたりし始めたが、そんな退屈しきった彼を放置したまま、その人物の動きをまるで呆けたようにあたしは見続けた。

 やがて濃い朝霧は急速に晴れていき、周囲を高い建物に囲まれたこの広場にも朝日が建物の隙間から一条の光となって射し込む。

 光に照らされたその人物は、ナギだった。

 シルエットが似ていたし、昨日の強烈な印象もあって、最初から彼女かもしれないと思ってはいたが、確信はなかった。

 昨日も感じたが、目は細すぎるし唇も薄く顔のパーツが線だけで表現出来そうな上に、やや面長な事もあって10人が10人とも美人と思うような容姿ではない。

 それでもあたしは、朝日に照らされた彼女を綺麗だと感じた。

 すると朝日が目に入ったのか、ナギは唐突に型を中断すると朝日を避けるようにこちらを見た。

 あたしに気付くとナギは相変わらず無表情のまま、その動きを止めた。

 ナギは身動き一つせずにあたしを凝視し続けている。

 普通なら明らかに不躾なこういう態度は不快に感じるはずだが、不思議とこの時は腹も立たなかった。

 とはいえ、距離を空けたまま無言で見つめ合っているのも妙な気がしたので、あたしは笑顔を浮かべながら意識して軽い口調で話しかけつつ彼女に近づく。

 「おはよう。朝から熱心だね。」

 「おはようございます。」

 ナギは近づいてくるあたしをあからさまに警戒しつつ、ボソボソっとした口調で挨拶を返してくる。

 「昨日は結局、ダリルの家に泊まってさ。あの人達、酔うと酷いね。」

 あたしはナギの警戒心に気付かない振りをしつつ、軽い口調を維持したままダリルをダシに世間話を試みる。

 「そうなんですか?」

 ナギは無表情のまま、やる気の無い相槌を打つ。

 「あーと、あたし、眠気覚ましに顔を洗いに来ただけだから、気にせず続けて。」

 「あ、いえ、丁度終わる所だったので。」

 明らかに話を打ち切りたがっているナギの言葉にあたしは微妙に凹みながら、表向きは平然とした態度で備え付けの汲み桶を井戸の中に下ろす。

 「一緒に顔を洗う?」

 どうせ断られるだろうとは思いつつも、一応声をかけてみる。

 「いえ、これから用事があるので失礼します。」

 「そうか。じゃあ、また今度ね。」

 予想通りの塩対応だったが、あたしは作り慣れた愛想笑いをナギに向ける。

 ナギは相変わらず無表情のまま小さく会釈すると、背筋を伸ばしたやたら良い姿勢のまま上体をほとんど動かさず、まるで地面の上を滑る様な奇妙な歩き方で去っていった。

 ナギがその場から去ると、あたしの口から大きな溜息が自然と漏れた。

 気を取り直して井戸から水の入った汲み桶を引き上げ、持ってきた手桶に水を移してから顔を洗う。

 水は冷たく、気持ち良かった。

 スッキリした気分になり持ってきたタオルで顔を拭き、ふと顔を上げて前を見ると、歩き去ったと思っていたナギが少し離れた建物の角に半身を隠すようにしながら、あたしの方をジッと見ていた。

 あたしと視線が合ってもナギは特に悪怯れた様子もなく、無表情のままもう一度小さく会釈をして、今度こそ建物の陰へと姿を消した。

 余りに不審者過ぎるナギの行動だったが、あたしは彼女を警戒するどころか自分に興味を持ってくれたように感じて少し嬉しくさえ感じてしまった。

 だがすぐに、昨夜寝る前のノエルとの会話を思い出し、ノエルがあたしの事を恋愛脳だとディスった事を思い出す。

 それで少し冷静さを取り戻し、今のナギの一連の行動を冷静に分析してみようとするが、ナギのあたしを無遠慮に見つめる、少し吊り上がった切れ長の細い目の奥の漆黒の瞳を思い出すと、暫くの間感じていなかった感情が胸の奥から湧き出し、自然と唇の端が緩んでしまうのを自分でもどうする事も出来なかった。

 2025年6月17日

 エピソードの最後、ナギの様子について大きく変えています。

 これは、後のエピソードにおけるナギのキャラクター性と乖離しているように感じたからです。

 それ以外にも細かい改変を行っています。

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