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第1章 冒険者パーティー『ホワイトドーン』 6

 2025年6月11日

 細かい修正を行いました。

 万年低レベルの冒険者の姉と違って副ギルド長に出世した妹に呼び出されたあたしは結果報告という名目での雑談を続けたが、ヨハンナの秘書らしき男が扉の外から遠慮がちに予定時間をかなりオーバーしている事を告げたので、あたしは辞する事にした。

 何だか話題がアチコチに飛ぶ典型的な雑談だったが、剣呑な内容も結構含まれてた気もする。

 ヨハンナの秘書は扉を開けてあたしを見送ってくれたが、ヨハンナに対する態度とあたしに対する態度があからさまに違っており、やっぱり歓迎されていないなと痛感した。

 優秀な妹に寄生する駄目な姉といった、このギルドで定着してしまったあたしの評判をそのまま体現したような視線。

 随分慣れてしまったはずだが、それでもやっぱり少しヘコむ。

 ただ、外面を良く装う事は得意なので気付かないふりを押し通し、秘書に愛想笑いを向けつつあたしは妹の執務室を後にした。

 受付エリアを抜けロビーに出た所で何となくエレノアの姿を探すと、彼女は部下の受付嬢達にテキパキと指示を与えていた。

 何を言っているのか全く聞こえなかったが、それでも出来る女っぽくって格好いい。

 あたしの視線に気付いたのかエレノアはこちらを見ると、相変わらすの無表情のままペコリと会釈してきたので、あたしも小さく会釈を返す。

 直ぐにエレノアは視線を部下達に戻して仕事を再開し、あたしも視線を前方に戻そうとした所で誰かにぶつかりそうになった。

 向こうも手に持った書類を見ながら歩いていて、前を見ていなかったらしい。

 「あっ、ゴメン。」

 「いや、こちらこそ。」

 あたし達はほとんど反射的に謝罪し合った後、お互い相手に気付く。

 彼女は、あたしが2度と名前を忘れないと心の中で誓ったリザだった。

 「あっと、偶然だね。」

 「うん、元気だった?」

 「まあね。そっちは?」

 「あたしもまあまあね。」

 この前同様気まずい空気が流れるが、あたし達は半ば自動的に内容の無い会話をスラスラと続ける。

 あたしはそこで、先日彼女のパーティメンバーと険悪になった事をふと思い出し、リザの周りをキョロキョロと見回す。

 そんな、いちいち挙動が不審なあたしを見てリザは苦笑した。

 「今はあたし1人だから大丈夫よ。」

 確かに彼女の周囲にはパーティメンバーの姿は無いし、彼女自身冒険に出る格好では無く普段着姿だ。

 「あっ、そうか……。じゃなくて、この前はなんて言うか、ゴメンね。リザの仲間と険悪な雰囲気になっちゃって。」

 イザベラやベクターに対しては悪い事をしたという気持ちは全くなかったが、リザには何だか申し訳気持ちがずっとあって、気付いたら彼女に謝っていた。

 「ああ、いや……。うん。」

 何だかリザも急に歯切れが悪くなる。

 またあたし達の間に気まずい沈黙が訪れ、あたしはすぐにいたたまれなくなって、愛想笑いを浮かべつつ早口で言う。

 「うん、今日は会えて嬉しかった。じゃあ、また今度。」

 そう言って足早に彼女の脇をすり抜けようとすると、いきなりリザはあたしの左手首を摑んだ。

 あたしは驚いてリザの顔を見たが、リザも自分の行動に驚いた様子で、慌ててあたしの手首を離す。

 「ああ、ゴメン。つい……。」

 「いや、いいよ。どうした?」

 あたしは強張った愛想笑いを浮かべる。

 「ああ、いや、あのね……?」

 リザは少し迷った様に俯いたまま視線を彷徨わせていたが、すぐに意を決した様に顔を上げ、あたしの顔を正面から見た。

 「あたし、これから少しギルドで用事があるんだけど、それが終わったら一緒にご飯でも食べない?」

 まさか彼女の方から誘って来るとは思わなかったので、あたしは少し驚いてマジマジと彼女の顔を見つめてしまった。

 あたしの反応を拒絶と受け取ったのか、リザは落ち込んだ様な笑みを浮かべた。

 「うん、無理なら良いんだ。」

 「あっ、そういう訳じゃなくて、午後から用事があるから夕方以降はどうかなって。」

 リザはあたしの慌てっぷりに一瞬驚いたような表情になったが、すぐにクスクス笑い出した。

 ああ、元々愛嬌があるタイプだと思ったけど笑うと可愛いな、などとあたしは思ってしまう。

 「デート?」

 笑った事で緊張が解けたのか、リザはからかう様に尋ねる。

 「だったら良いけどね。あたしがサポートした冒険者パーティの打ち上げに呼ばれてさ。」

 「ああ。」

 リザは何だか複雑そうな表情で頷く。

 彼女はその冒険者パーティーが『ホワイトドーン』だと推測したのだろう。まあ、彼女のパーティーと『ホワイトドーン』も微妙な感じになったから、彼女の表情も理解出来る。

 「それでいいよ。場所は『メリッサのホットミルク亭』でいい?」

 リザが提案してきたその場所は、この前あたしとリザが飲んだ場所だ。

 「分かった。遅れないとは思うけど、遅れそうな時は遣いを送るね。」

 「うん。でも、あんまり遅いとあんたが着いた時には既に出来上がってるかもしれないからね。」

 リザは冗談めかして言うと、あたしと別れの挨拶を交わし、朝の混雑時のピークが過ぎてすっかり人の引いた受付カウンターに向かった。

 「いいの?」

 黙ってあたしとリザのやり取りを聞いていたカラスの使い魔のノエルが肩の上から訊いてくる。

 「何が?」

 「彼女、『ホワイトドーン』の連中と違って信用出来ないよ?ノコノコ出掛けて行って、イザベラ達が待っていたらシャレにならないよ?」

 ああ、その可能性はすっかり忘れてた。

 この前会った時はリザは一言も喋らなかったし、イザベラに対してどういう感情を抱いているのか分からない。

 恋人のベクターはイザベラに忠誠を誓っている感じだったし、彼女も同類だったらあたしを罠にかける可能性もある。

 貴族出身の冒険者達がギルドに対して何か企てている気配があるし、あたし自身に価値は無くとも副ギルド長の姉という立場には価値がある。

 それでもこの前会った時、リザは終始他のパーティーメンバーと距離を取っている感じだったし、何よりさっき見せた笑顔はこれから陥れようとする相手に見せる様な表情では無い。

 でも、ノエルにそんな事を言っても、

 『だから騙されて失恋ばっかりするんだ。』

 なんて正論を吐かれて終わるだけなので、あたしは短く言う。

 「大丈夫だと思うよ。」

 「ふーん。」

 ノエルは全く信用していない様子で言う。

 ちょっと上から目線っぽい態度でムカつく。

 この内弁慶カラスめ。

 そういやリザに対しては、イリヤさんやヨハンナに対する時の様に、お得意の『頭隠して尻隠さず』のポーズを取らず、普通にしていたな。

 何て分かり易く、失礼なエロカラスだ。

 ノエルをタップリと白い目で見てから、あたしはギルドを出た。

 タップリ朝食を採った上にあまり身体を動かしてはいないので、まだ空腹を感じない。

 『ホワイトドーン』の面々との打ち上げの時間までまだ間があるので、異人街に戻り昔馴染みの女ドワーフの鍛冶屋の所へ行き右腕の義肢のメンテの予約をしに行く事にする。

 予定さえ無ければ今日済ましてしまう所だが、それはまあ仕方がない。それに、途中で焼き切れたままのミスリルと銅の合金製ワイヤーも交換しないと。あれは制作に数日かかるはずだ。

 あれも結構高いので地味に痛い出費だ。

 その女ドワーフの鍛冶師の元に行くと、彼女は不在で夫のヒューマンのエンチャッターだけがいた。

 まあ、彼女は単なる鍛冶師では無くこの異人街の顔役の1人でもあるので、不在は珍しくも無い。

 あたしはメンテの予約だけを旦那にお願いし、早々にそこを辞した。

 旦那は飄々とはしているが寡黙なタイプだし、あたしも実らなかった初恋の相手の伴侶にどう接すればいいのか未だに分からないので、彼女が間に居ない時はいつも微妙な沈黙に包まれてしまう。

 それからあたしは異人街を出て、馴染みの武器屋や防具屋、ポーション屋に巻物屋、魔法道具屋などを冷やかして時間を潰す。

 丁度頃合いになったので、あたしは『ホワイトドーン』と待ち合わせをした『大鹿亭』に向かう。

 『大鹿亭』は冒険者ギルドの近くにある食堂で、質より量を売り物にする若い駆け出しの冒険者達に人気の店だ。

 天井一面に鹿角付きの巨大動物の頭蓋骨が吊ってある。

 あれが店名の由来になった大鹿で、正確には動物では無く魔物の類らしいのだが、この店の初代店主が冒険者時代にザレー大森林で狩ったモノらしい。

 今の店主は初代の孫である3代目で、妻と恐らく将来4代目になるだろう息子夫婦の4人で切り盛りしている。

 一応、元気一杯に店内を駆け回って愛嬌を振りまいている息子夫婦のまだ幼い一人娘も数に入れれば5人で切り盛りしている事になるが。

 約束の時間帯まで余裕を持って着いたはずだったが、『ホワイトドーン』の面々は既に全員揃っていて、食事もせずに額を付け合わせる様にして話し合っている。

 もしかして、時間を間違えて覚えていて遅刻した?

 それとも、逆に早く来すぎて彼等の身内の話し合いの邪魔をしてしまいそうになっているとか?

 そう不安になるくらい彼等の話し合いの表情は真剣なもので、あたしが近づくのを躊躇して店の入り口に突立ったまま見守っていると、キースがあたしに気付いてイヴァンに目配せした。

 あたしに背を向ける位置に座っていたイヴァンは、振り返りつつ立ち上がるとすぐにあたしを見つけ、人の良さそうな笑みを浮かべた。

 「いやあ、何か深刻そうに話し合っていたから、お呼ばれしたのは勘違いかと思ったよ。」

 照れ隠しにそんな事を言うと、全員が何とも言えぬ生暖かい笑みを浮かべた。

 よく分からないが、滑ったのは確からしい。

 「とりあえず座って下さい。僕達の分の注文は終わっているので、ゾラさんが注文すればすぐ始められます。」

 イヴァンの言葉が終わる前にこの店の息子の嫁がオシャマな一人娘を連れてやってきた。

 「ご注文は何ですかっ!?」

 娘が舌足らずながらやたら元気に尋ねてきて、その場全体に暖かい空気が流れる。

 「まずは冷たいエールを。それから、軽めのおつまみを見繕ってね。」

 女の子の栗色の可愛らしい巻き毛を撫でくり回したい誘惑に駆られたが、さすがにそれは不審者が過ぎるので自重し、女の子にも分かるよういつもよりゆっくりとした口調でオーダーする。

 もっとも、実際にオーダーをメモるのは女の子の背後に控えた母親なのだけど。

 「承りましたっ!!」

 女の子は元気に言うと母親がメモり終わる前にUターンして厨房の方に戻る。

 あたしと母親は、何となく視線を合わせて苦笑を交わし合った。

 それでも女の子のオシャマぶりに充分癒やされた気分になって『ホワイトドーン』のメンバーに向き直ると、当然の様にあたしと同様に女の子に癒やされてだらしない顔になっていると思いきや、彼らは硬い表情をしていた。

 そこでようやくあたしは、彼らが妙に緊張しているらしい事に気付く。

 いつもは真っ先にジーヴァを撫でくり回す許可を求めるデボラさえ、今は許可を求めるどころかあたしの足元で伏せているジーヴァの事が目に入ってすらいない様子だ。

 「え~と、皆、どうした?」

 あたしが戸惑いつつ尋ねると、彼らはそこで自分達が緊張で固くなっている事をようやく自覚したらしい。

 彼らはぎこちない笑みを浮かべつつ互いに忙しく視線を交わした後、結局、いつもの様にイヴァンが代表して話す事にしたようだ。

 「えーと、ゾラさん。今朝一で『アビス』の探索許可証がギルドから発行されました。」

 「おおっ、おめでとう!」

 あたしは拍手しながら祝福の言葉を述べるが、『ホワイトドーン』の面々はまだぎこちない笑みを浮かべつつ、まばらに拍手を返すだけだ。

 ん?また滑った?

 「ゾラさんも探索許可証を持ってますよね?」

 イヴァンがいつも以上に真面目な表情で尋ねてくる。

 「まあね。」

 キャリアだけは無駄に長いから、と自虐ネタを付け足したかったが、何やら今日は余計な事を言う度に滑るのでそれは自重する。

 「じゃあ、僕達と一緒に『アビス』に潜りませんか?」

 「ああ、初心者ガイドの件?いいよ、慣れてるし。」

 『アビス』では探索許可証が下りたばかりのパーティーは、最初の数回はギルドが認めたガイドを同行させねばならない。

 あたしはそのガイドの資格をギルドから得ていることをかつて『ホワイトドーン』の面々に話した事があったので、その事かと思った

 「そうではなくて。ゾラさんに正式に僕達のパーティーに加入して欲しいのです。」

 イヴァンが、聞き手のあたしが思わず居住まいを正す程の真剣さで言った。

 ああ、店に入ってからずっと感じていた緊張感の正体はこれか、とあたしは腑に落ちた。

 実を言えば、彼らにパーティー加入を打診されたのはこれが初めてではなく3回目だ。

 けれど、今回は彼らから感じる真剣さの圧がまるで違う。

 特に、イヴァンからの圧は怖いくらいだ。

 だからこそ、あたしはきちんと答えなければならない。

 あたしは1つ深呼吸してから、穏やかだがよく通る様に意識して言葉を吐く。

 「ゴメン。皆の気持ちは嬉しいけどあたしは『ホワイトドーン』に入るつもりはない。」

 はっきりと断ったあたしの言葉に、『ホワイトドーン』の面々の空気が弛緩するのを感じる。

 過去の2度の加入要請もハッキリと断っていたので、ある程度覚悟はしていたのだろう。

 唯一の例外がイヴァンで、彼はあたしに対する圧を緩める事無く言葉を重ねてくる。

 「どうして『ホワイトドーン』に加入出来ないのか、理由を訊いてもいいですか?」

 イヴァンの言葉に、あたしは顔をしかめてしまった。

 だって、イヴァンの質問に答えるのはあたしにとって恥というか、コンプレックスをさらけ出す行為だから。

 でも『ホワイトドーン』の面々は、出来損ない冒険者のあたしを慕ってくれる存在だ。

 ならば、あたしも彼らに誠意を持って応えねばならない。

 「この前のゴブリンロード討伐で、皆レベルが上がったでしょ?1レベルか、もしかして2レベル?」

 あたしの問いにイヴァンだけ顔がクシャッと歪む。

 その理由が理解出来ていないらしいオーウェンが、黙り込むイヴァンを不審がりつつも素直に答える。

 「はい、2レベル上がりました。」

 「そう。あたしは全然上がっていない。正直に言えば、ここ3年程あたしはレベルが上がっていない。」

 あたしの言葉に、イヴァン以外の面々も黙り込む。

 あたしが断固として『ホワイトドーン』加入を断る理由については皆、この言葉で想像がついたであろうが、それでもあたしは敢えて言葉を重ねる。

 「多分、実力的にあたしは皆と現時点で同じ位だと思う。

 でも、1ヶ月後には確実に皆のレベルの方が上になっている。そしてその差は広がる事はあっても縮む事は無い。

 早晩、あたしは皆の足手まといになる。」

 あたしの言葉に、『ホワイトドーン』の面々は何も答えられなかった。

 「でもまあ、ソロやサポートならあたしに合ったレベルで冒険出来るし、冒険者として充分食べてもいく事も出来るから。だからあんた達は、あたしの事は気にせず先に進みなさい。」

 あたしは肩を竦めて、敢えて軽い口調で言った。

 「ごめんなさい。ちょっとしつこく勧誘していまいましたね。」

 短い沈黙の後、イヴァンが吹っ切れた様な笑みを浮かべた。

 「いいのよ。」

 あたしも笑みを返したが、心からの笑みとはとても言えなかった。

 折良くこの店の息子夫婦が料理や酒を運んできて、微妙な空気が少しばかり有耶無耶になる。

 乾杯の時こそお互い変に気を使う雰囲気が残っていたが、酒が入るとすぐにそんな空気は霧散してしまった。

 しばらくすると『大鹿亭』は昼食時の混雑が完全に終わり、ほぼあたし達の貸切状態になった。

 店主夫婦も息子夫婦も交代で休憩に入っているし、一時奥で昼寝していたらしい孫娘も起き出して、ジーヴァをモフりつつ、ノエル相手にたわいもない会話をしては、キャッキャと笑っている。

 その様子を横目で眺めていると、ガタンと音を立ててイヴァンが急に立ち上がった。

 ビックリして彼を見上げると、目はかなり据わっているのにやたらと滑舌の良い口調で言う。

 「申し訳ありませんが、トイレに行ってきます。」

 泥酔しても丁寧な口調のイヴァンがツボに入ったのか、キースがケタケタ笑う。

 イヴァンは上半身はピシッと背筋を伸ばしたまま、下半身は千鳥足という器用な酔っ払いぶりを見せつけながら、トイレへと去って行った。

 「あんた達、明日は『アビス』に行くんでしょ?そんなに飲んで大丈夫なの?」

 老婆心ながら尋ねると、唯一まだ素面っぽいオーウェンが答えた。

 「いやあ、さすがに明日は中止でしょう。」

 ……素面だと思っていたけど、異様にニコニコしている所を見ると、彼もいくらか酔っているようだ。いつにも増して、使い魔のトカゲを撫でくり回しているし。

 「まあ、依頼じゃないので1日くらいの延長はどうってことないし、そもそもゾラさんにガイド頼むつもりがチャラになったので、別の人にガイド頼をまないといけなくなったし。」

 オーウェンは余り余計な事は言わないタイプだと思っていたが、ペラペラと喋る所を見るとやはり結構酔っているようだ。

 でも、急に何かに気付いた様に黙り込む。

 少し青い顔をしたのは、自分が失言したと思って一気に酔いが醒めたのかもしれない。

 別にあたしはオーウェンの言葉を失言とは思ってなかったし、パーティー加入はダメでも『アビス』の初心者ガイドくらいは引き受けてもいいとも考えていたが、さすがにそれは口に出さなかった。

 というか、パーティー加入を断った時点で『アビス』の初心者ガイドの話も無くなった事に今更気付いた。

 気まずいだろうし、まあ仕方ないけど。

 「イヴァンはね、ゾラさんの事が好きなのよ。」

 デボラが突然、余り呂律の回らない口調で口を挟んできた。

 「ああ、……うん……。」

 あたしはぎこちない笑みを浮かべつつ、曖昧な相槌を打つ事しか出来ない。

 いくら男性からの好意に興味が無いあたしでも、何となくそんな気はしていた。

 でも確証は無かったし、確認した所でレズビアンのあたしは彼の気持ちに応える事は出来ないので、気にしない事にしていた。

 でも、パーティー加入を断った時の彼の態度で彼の気持ちを確信してしまった。

 デボラは据わった目であたしの事を見てくる。むしろ、睨んでいるというレベルかもしれない。

 その圧に耐えかねて、つい言い訳じみた口調で言う。

 「ほら、イヴァンも皆もあたしの噂、知ってるでしょ?そういう事だから。」

 器用貧乏程ではないが、レズビアンである事は冒険者仲間にはそこそこ知られている。

 「それで諦められたら苦労しないよな。」

 さっきまで無意味にテンション高くケタケタ笑っていたキースが、急にシリアスな表情でボソリと言う。

 「好きになるってそう言う事じゃないもんね。」

 デボラもあたしから視線を外すと、ため息混じりに言う。

 あたしだってその気持ちは分かる、と言いたかったが黙っていた。

 これまでも頼りない先輩だったし、こうなった以上もう彼らとの付き合いは途絶えるかもしれないが、少し位は先輩として格好付けたかったのかもしれない。

 なかなか帰ってこないイヴァンを心配してキースがトイレに様子を見に行くと、彼はトイレの中で酔い潰れていたらしい。

 締まらない形になったが、今日はこれでお開きになった。

 イヴァン以外の『ホワイトドーン』の面々も皆足元が覚束なかったので、意図的にセーブして飲んだあたしが完全に酔い潰れたイヴァンを定宿まで背負って運んだ。

 イヴァンは定宿に着いても目を覚まさなかった。

 正確には途中、一度目を覚ました様な気配はあったが、本当に目を覚ましたのかあたしは敢えて確認しなかった。

 その内イヴァン再びは寝息を立て始めた。

 あたしは部屋の前までイヴァンを運んだが、部屋には入らず後の事は彼の仲間達に任せた。

 その頃には他の3人の酔いもいくらか醒めたようで、特にデボラは失礼な事を言ったと謝ってきたが、もうその時には気にするなと先輩らしくあたしも穏やかに言う事が出来た。

 間違った事をしたつもりはなかったが、それでも心にモヤモヤが残っている気がしたので、時間には早いが『メリッサのホットミルク亭』に向かう。

 リザとの約束の時間はおろか、開店時間にもまだ早いかも、と思っていたが案の定、店には『準備中』の札が掛かっていた。

 ここの店主は時間にルーズな所がありしれっと開店時間が早まっている事も多々あり、今日もそうである事を期待ていたのだが、そうそう都合良くはいかないようだ。

 そして時間にルーズという事は逆にに言えば、開店時間が遅くなる事もよくある事なのだ。

 どこか余所で時間を潰すか、あくまでここで待つべきかと迷いつつ、しばらく店の前をウロウロしていると背後から声がかけられる。

 「あら?ゾラちゃん?」

 そこには頭に2本の牛の角が生え、明るい茶色のフワフワの髪をセミロングまで伸ばした、少し大柄で、豊かな胸がもの凄く目立つ牛の獣人の女性が買い物袋を両手で抱えて、あたしに優しげに微笑みかけていた。

 「ああ、メリッサ。」

 あたしは釣られる様に微笑み返す。

 この牛の獣人の女性こそが、この『メリッサのホットミルク亭』の店主のメリッサだ。

 「ゴメン、知り合いと店で待ち合わせしたんだけど早く来すぎちゃって。」

 「あらあら、そうなの?それじゃあ中で待っててもいいわよ。」

 メリッサさんはおっとりとした口調で言う。

 「でも、迷惑じゃない?」

 「嫌ね、今更遠慮しないでよ。」

 メリッサは呆れた様に笑う。

 「じゃあ、甘えようかな。」

 「そうして。あっ、ちょっと鍵出すから袋持ってて。」

 あたしは店の扉を開けるメリッサの代わりに、彼女が抱えていた買い物袋を持つ。

 ドアを開けたメリッサに続いて薄暗い店内に入ると、買い物袋を彼女の指示に従ってカウンターの上に置き、あたしはお気に入りのカウンターの一番奥の席に腰を下ろした。

 カウンターの隅で、ゆったりとしたペースで開店準備を始めるメリッサをボンヤリと眺めつつ、ジーヴァをモフったり、ノエル相手に下らない話をしていると胸のモヤモヤが少しづつ晴れてきた。

 やはりメリッサにはそこに居るだけで周囲の人の心を癒す力がある、とあたしは思う。

 ほとんどの獣人は全般にヒューマンより寿命が短い傾向があり、実はメリッサはあたしより1回り以上年下だが、その包容力はあたしよりずっと年上に感じる。

 生き方にしたって、彼女はあたしよりずっとしっかりとしている。

 彼女は元々は冒険者で、腕利きのファイターだった。

 将来を嘱望された逸材だったが、あっさりと冒険者を引退してしまう。

 メリッサにとって冒険者は、あくまでこの店を開く為の資金稼ぎの手段でしかなかったからだ。

 牛の獣人は総じておっとりとしたノンビリ屋が多いと言われ、中でもメリッサは飛び抜けている印象だったが、そういう所はしっかりしている。

 つい、ダラダラと惰性で冒険者を続けているだけのあたしとしっかり者の彼女とを比較してしまう。

 「ゾラちゃん、もしかして疲れてる?」

 ふと気付くと、メリッサが開店準備を中断してすぐ傍に佇んでいた。

 「まあ、最近忙しかったからね。でも今日で一段落ついたから大丈夫よ。」

 あたしが苦笑しつつ言うと、いきなりメリッサはその豊満な胸であたしの頭を包むようにして、抱き締めた。

 「ゾラちゃんは真面目な頑張り屋さんだから、たまには息を抜かないとダメよ。」

 その暖かい声は確実にあたしの心を癒し、そのまま身を委ねたくなる。

 その時、優しく穏やかな雰囲気を容赦なく破壊するように店の扉に取り付けられたベルがカランカランと騒々しく鳴って、誰かが扉を開けた事をあたし達に告げた。

 「あれ?まだやってなかった?」

 入ってきた客は、一部しか明かりが灯っていない店内を見て戸惑ったように言う。

 「あらやだ、アタシったらさっき扉を開ける時に『準備中』の札も外しちゃったのね。」

 メリッサはそう言うと、何事も無かったかのようにあたしから離れる。

 「そうね、もうこのまま開店しちゃうわね。いらっしゃい。」

 メリッサはニコニコ笑いつつ、入ってきた客に挨拶する。

 「よっ、早かったね。」

 入ってきたのはリザだった。

 明るく挨拶してきたリザだったが、鼻歌を唄いながら店内の魔法の照明具を灯し回っているメリッサと微妙な表情をしているあたしとを見比べて変に気を回してたらしく、一段声のトーンを下げて遠慮がちに小声で尋ねてきた。

 「もしかして、お邪魔だった?」

 「もう、メリッサが誰に対しても距離感が近過ぎる事は、あんたも常連なら知ってるでしょ?」

 そう、メリッサはあたしにとても優しいが、あたしだけに優しい訳ではなく大抵の人にとても優しい。

 その優しさにクラッときて、実際あたしは彼女と一時期付き合っていた。

 結局、メリッサの愛情はあたしだけに留まらないで、男女問わず色々な方向に際限無く向いてしまうので、その事にあたしの方が耐えきれずにすぐに別れてしまったが。

 良くも悪くも『来る者は拒まず、去る者は追わず』を徹底してるのがメリッサだ。

 そう言えばメリッサが冒険者をしていた頃は頻繁に所属パーティーを変えていたけど、彼女と組んだことのある連中で彼女を悪く言う者はほとんど居なかった気がする。

 結果的にメリッサの浮気が原因で別れる事になったあたしでも、彼女を憎む事は出来ずに今でも彼女の店の常連になっているのはそういう事なんだろう。

 「ははっ、そうだね。」

 リザは納得したように笑う。

 「メリッサ、早速で悪いけど注文していい?」

 リザはすんなり納得してくれたけど、あたしは何となくまだ照れ臭くてリザから視線をそらす為だけにメリッサの方を向いて尋ねる。

 「良いけど、お酒と簡単なおつまみ以外は後回しよ。」

 空気を読まないメリッサのおっとりとした声が、何だか心地良く感じる。

 「大丈夫、大丈夫。あたしが味にうるさいタイプじゃない事はメリッサも知ってるでしょ?」

 「ええっ、そうだったけ?」

 メリッサとたわいもない会話をしている内に、ここ数日リザと対している時に感じる緊張感が少し薄らいだ。

 「とりあえず、あたしはエールと簡単なおつまみで。リザは?」

 「あっ、じゃああたしも同じで。」

 そう言ってから、リザはジーヴァとノエルの方に視線を走らせる。

 「ワンちゃんとカラス君の分の注文は?」

 そう言えばこの前飲んだ時もリザは同じ質問をした気がする。

 それが妙に印象に残ってたのはどうしてだったか?

 ジーヴァは犬じゃなくて狼だよ、とその時にツッコんだ記憶も微かに残っているが、それが理由では無い気もする。

 例によって飲み過ぎたあの晩の記憶は全てにおいて曖昧だ。

 「どうかした?」

 記憶を取り戻そうと無意識に難しい顔をしていると、リザが不思議そうに訊いてくる。

 「いや、何でも。そうね、彼らの分も頼んでおくわ。」

 メリッサはすぐにエールと簡単なおつまみ、ジーヴァやノエル用の食事を運び終えるとすぐに、手前のかかる料理の仕込みの為に奥の厨房に入ってしまう。

 メリッサが居てくれた方がリザとの会話が捗るかも、とチキンな考えも浮かんだが、本来の開店時間前に押しかけておいて更に図々しい事を言う強引さは、生憎とあたしは持ち合わせていない。

 「……じゃあ、乾杯しよっか?」

 酒の上の過ちのせいで気まずくなったのに、酒でしか今の雰囲気を打破する方法が見つからず、あたしは苦笑しつつジョッキを掲げる。

 「……そうね。」

 あたしと同じく困ったように笑うリザを見るに、彼女もあたしと似たような心持ちだったのかもしれない。

 ジョッキを合わせてからエールを喉に流し込んだが、薄いエールではアルコールの助力は微々たるもので、とてもこのぎこちない雰囲気を打破する勢いは得られそうに無い。

 するとリザは、ノエルの事を優しい目で見ながら、おつまみのナッツを摘まんでノエルに差し出している。

 「カラス君、これは嫌いかな?」

 反応の鈍いノエルに、ちょっと悲しそうな表情を浮かべるリザ。

 これは結構レアな光景だ。

 モフモフなジーヴァに構いたがる者は多いが、ノエルにここまで興味を持つ者は珍しい。

 なのにノエルはリザを明らかに警戒して、近付こうともしない。

 使い魔とは魔法的に繋がっているので、ノエルの今の感情は大体分かる。

 ヘタレでコミュ障のノエルは、そもそもあたし以外の者と一緒に食事をするのを嫌がるし、プライドも意外と高く、餌付けされてる様にも見える今の絵面に内心憤慨している。

 でも、あたしは心を鬼にしてノエルに念話を送る。

 (接待だと思って、食べなさい!)

 (え──っ!)

 ノエルからブー垂れた念話が返ってきたが、あたしが笑顔で圧をかけるとノエルは渋々従って、リザの手からナッツをついばむ。

 「お利口なカラス君だねぇ。」

 リザが目を細めながらノエルの頭を撫でると、ノエルから迷惑半分、嬉しさ半分の微妙な感情が伝わってくるが、場の雰囲気改善の為にもノエルには引き続き頑張ってもらう。

 「……あたしの弟はメイジでね、やっぱり使い魔はカラスだったんだ。」

 「ああ、そうなんだ―――。」

 あたしは適当に相槌を打ちかけて、慌てて口をつぐんだ。

 リザは1年前まで、5人でパーティーを組んでいた。

 その詳細についてあたしはほとんど知らないが、そのパーティー所属のメイジが『アビス』探索中に亡くなった事で、パーティーが解散した事は噂で聞いた。

 絶句したあたしを見て、リザは一瞬だけ笑顔を作りかけたが、上手くいかなかったようで表情を消すと無心でノエルを撫で続ける。

 ノエルからは困惑の感情が伝わるが、さすがに事情を察してか、されるがままになっていた。

 そうだ、あの晩も聞いた先のリザの発言が妙に心に残っていたのは、彼女のノエルを見る目つきが非常に優しげだったからだ。

 あたしもどうリアクションを取っていいか分からずに彼女から視線を逸らし、ほとんど減っていないエールの入ったジョッキを両掌で弄んでいると、リザがボソリと声をかけてきた。

 「あたし、この街を出る事にしたの。」

 思いもよらない言葉に、あたしはリザの横顔をガン見した。

 「え?本当に?いつ?」

 リザは相変わらずノエルを優しく撫でながらも、視線はノエルにもあたしにも向けずに何も無い空間を凝視しつつ、淡々と答える。

 「3日後の船便を予約した。多分、もうこの街には帰って来ないと思う。」

 「それは、何か随分急だね。」

 「うん、まあ、確かに決心自体は急だったけど、街を出る事は結構前から考えてはいたんだ。ずっと迷って結論を先延ばしにしてただけでね。」

 「……そうだったんだ。」

 色々訊きたい事はあったが、大して親しくもないあたしが興味本位で訊くのも違う気がして凡庸な相槌を打つ。

 「今日は色々手続きがあってギルド行っただけなんだけど、そこで偶然あんたに会ったらお別れの挨拶くらいしておいた方がいい気がしてさ。で、飲みに誘ったわけ。」

 そう言うと、リザはあたしの方を向いてニッと笑った。

 何だか、力の抜けた良い笑顔だった。

 それから彼女はノエルを撫でるのを止め、彼を軽くあたしの方に押し出す。

 「ほら、ご主人の元に戻りな。」

 ノエルは少し戸惑ったが、カウンターの上をチョンチョン跳ねながらあたしの元に戻り、定位置の右肩に乗る。

 リザはその様子を微笑みながら見届けると、ジョッキに半分程残ったエールを豪快に飲み干した。

 何となくリザが誰かに話を聞いてもらいたがっている気がしたので、あたしは少し躊躇しつつも尋ねてみる。

 「パーティーメンバーには相談したの?」

 「いや、独りで決めた。勿論、決めた後に脱退は告げたよ。ベクターは一応引き留めてくれたけど、本当に一応って感じだったわね。

 まあ、彼も薄々勘付いててたんだと思う。」

 リザは吹っ切れたような笑顔を浮かべつつ、淡々と言う。

 あたしは、見当違いと思いつつも訊いてみる。

 「パーティーを抜けたのは、もしかしてあたしの……せい?」

 リザがキョトンとした表情になった所を見ると、その質問はやはり見当違いだったようだ。

 あたしが自分の自意識過剰っぷりに恥ずかしくなっていると、リザはカラカラと楽しげに笑った。

 「そうね、ある意味ではあんたのせいかもね。」

 ひとしきり笑うと、リザは穏やかな表情で言った。

 「まあ、あんたとはもう二度と会わないかもしれないけど、いや、だからこそあんたにあたしの事知ってもらいたいって気分かな。」

 「あたしで良ければ、聞くよ?」

 あたしの言葉に、リザは小さく頷いた。

 「とは言っても、この街の冒険者にとっては何の新鮮味も無いありふれた話なんだけどね。

 貧しい農村出身の幼なじみの5人組が、一獲千金を夢見て冒険者の集う街に来たっていう。」

 「うん、いいじゃない。聞かせて。」

 あたしが微笑むと、リザはカウンターに戻ってきたメリッサが新しく注いでくれたエールをチビチビ飲みながら続ける。

 「村の若者のリーダー格だったベクターは、子供の頃から冒険者になって成り上がるって公言しててさ、あたしはそんな彼に憧れていたから15歳の誕生日にシーフのクラスを得た時は嬉しかったよ。これからもベクターと一緒に居られるってね。あたしが冒険者になった理由はこんなもん。」

 「親は反対しなかったの?」

 あたしの問にリザは首を振った。

 「貧乏人の子沢山だったから、むしろ歓迎していたわ。まだクラスを得ていない弟のルイスまで一緒に連れて行けって言ったくらいだったし。」

 「あなた達のパーティー、『アビス』の中層くらいまで潜れる位の実力はあったんじゃない?」

 「そうね、最初の1年はパーティー編成のバランスが悪かったから苦労したけど、ルイスが何とかメイジのクラスを得て、パーティーに加入してからはバランスも取れて結構とんとん拍子だったと思う。でも、1年前……。」

 リザはそこで口を噤んだ。

 あたしはリザが話を再開するまで待つつもりだったが、その沈黙が余りに長くて重苦しく、話したくない事まで彼女に話を強いているのではと不安になった頃、彼女が話を再開する。

 「弟が死んだ時は、本当に何か特別な事があった訳じゃないの。

 『アビス』の新しい階層に挑んだ訳じゃないし、あたし達の手に負えないような強力な魔物に遭遇した訳でもない。

 多分、弟も含めて全員が少しずつ油断して集中力が欠けていたのと、色々不運が重なったせいだと思う。」

 リザは具体的な事は一切言わなかったが、あたしはそこを突っ込む気にはならなかった。

 「弟が死ぬと、レンジャーのシルヴィアとクレリックのピートが相次いで辞めると言い出したの。

 ピートがそう言うのは予想がついた。彼は元々冒険者としては繊細過ぎる所があったしね。

 シルヴィアはちょっと意外だったな。彼女はベクター程ではなかったけど向上心はあったし、冒険者としての才能はあたし達の中で一番あったように思う。

 でも彼女は辞めて、前々から言い寄っていたパン屋の息子とあっさり結婚してしまった。

 大商人か貴族としか結婚しないって昔からからほざいていたのにね。」

 リザは少し懐かしそうにクスクス笑う。

 「でも、リザは辞めなかったんだよね?」

 「そうね。」

 「どうして?」

 「大した理由は無いの。今から思い返せば、惰性が一番の理由かな?」

 自嘲気味に笑いながら吐いたリザの惰性という言葉が、あたしの胸にも突き刺さる。

 冒険者としての才能の限界を自覚しつつも、未だにこの稼業にしがみついている理由も、惰性という言葉が一番シックリとくる。

 「パーティーが解散した後もあたしはベクターと行動を共にしていたのだけど、彼は以前にも増して上昇志向が強くなったみたいだった。そんな彼から見て、あたしの上昇志向の無さはもどかしく感じたらしく、口論も多くなったわね。」

 「イザベラと組んだのも上昇志向のせい?」

 あたしの問いに、リザは諦めたように笑った。

 「そうね。最初は、貴族とのコネを得る為に仕方なくって感じの事も言ってたけど、段々彼女に心酔するようになってね。彼女の期待に応えるのが全て、みたいになってきて。」

 リザの眉間に少し皺が寄る。

 「シェールをパーティーに入れたのもそう。確かに彼女はメイジとしては一流だけど、あの性格で幾つものパーティーを崩壊させてきたのは彼も知っていたのにね。

 以前のベクターならそんな奴は決してパーティーには入れなかったと思う。」

 「その、ベクターさんはすっかり人が変わってしまった感じなの?」

 あたしの問いに、リザは困ったように笑う。

 「そうなら、話は単純なんだけどね。人のいい兄貴分って所は変わってないのよ。

 それに、彼がシェールと浮気した事についてはあたしにも原因が無い訳では無いし。」

 「そうなの?」

 「彼がイザベラに心酔するようになってから、あたし中途半端に彼と距離を取ってたの。変わっていく彼を直視したくなかったのね。

 弟が死んだ時と同じで、気持ちの整理を先延ばしにし過ぎたのよ。」

 そこで、リザはあたしを見て笑った。

 「この前、ここであんたに絡んだのもさ、あんたがあたし自身の嫌な部分の鏡映しみたいな気がしたからなんだよね。

 まあ、あの時は実際のあんたを知らずに、噂のあんたを鵜呑みにして絡んだだけなんだけどね。」

 「実際のあたしも大して変わらないよ。惰性で冒険者を続けているのも事実だし。」

 あたしの言葉に、リザは首を振る。

 「そう言えば、まだちゃんと謝っていなかったね。ごめんなさい。」

 リザはそう言うと、頭を下げた。

 「うん、分かった。だから頭を上げて。」

 あたしが慌てて言うと、リザは悪戯っぽく笑った。

 彼女からの謝罪の気持ちは確かに伝わったが、半分はあたしをからかったのかもしれない。

 いつの間にか、店内にはあたし達以外の客も入り始め、メリッサも忙しく店内を動き回っている。

 そんな彼女を尻目に、あたしとリザの間にはまったりとした空気が流れる。

 あたしは煙管を取り出し、リザを見る。

 「吸ってもいいかな?」

 「うん、いいよ。」

 タバコの葉を取り出し、火皿に詰める様子をリザは興味深そうに眺めている。

 そういやあたしの呪紋や魔法のピアスも興味深そうに見ていた事を思い出す。

 あたしが一服する間もジッと見てるので、正直吸い辛い。

 「ねえ、それって美味しいの?」

 彼女は予想通り訊いてきた。

 「人によるかな?ダメな人はダメだし。」

 「ふーん。」

 あたしの熱量を欠いた答えに、リザは少し気の抜けた返事をする。

 「良かったら吸ってみる?」

 「うん!」

 あたしの提案に、リザは喰い気味に返事をした。

 あたしは吸い口をハンカチで軽く拭ってから煙管をリザに渡す。

 リザは少し恐る恐るといった感じで吸い口を咥え、吸ってみる。

 案の定、彼女は盛大に咳き込んだ。

 「あたしには無理だ、コレ。」

 少し涙目になりつつリザは煙管を返してきた。

 「最初はそんなものよ。」

 初々しい反応にあたしは微笑ましい気分になりつつ、もう一服する。

 「でも試してみないと、自分に合ってるかどうかさえ分からないしね。」

 「そりゃそうだ。」

 「あたしに足りなかったのはそこだったのよね。」

 軽い気持ちで相槌を打ったら、思いの外リザが重いトーンで返してきたのであたしは少し慌てて話題を変える。

 「それでさ、これからの当て、っていうか予定って決まっているの?」

 「昔の冒険者仲間だったクレリックのピートが故郷の村の近くで領主に仕えていてね。何度か手紙が来て、あたしも手伝わないかって誘われていたんだ。」

 「ふーん。それ、いい話なのよね?」

 「正直よく分からない。あたしが故郷にいた頃の領主の評判は悪かったけど、代替わりしてからは故郷の村の生活も驚く程良くなった、ってピートの手紙には書いてあったけど。」

 「信用出来ない?」

 「っていうか、その新領主がどんな奴か全然知らないしね。だからこそウダウダ悩んでいたんだけど。」

 「でも、決断出来たんだよね?」

 「まあね。その新領主はともかく、ピートは信用出来る奴だったから。」

 そこでリザは大きく息を吐くと、ニッコリ笑ってあたしを見た。

 「イザベラと組むようになってから、ベクターは重要な決断は全てイザベラの指示を仰ぐようになって、あたしはそれが凄く嫌だったんだ。

 でもそれはあたしも同じで、村を出てからずっと重要な決断をベクター任せにしてた。そして、イザベラ任せにするベクターの姿を見るまで、その事の自覚すら無かったのよ。」

 「浮気した元彼も、最後には反面教師として役立ったんだ。」

 言ってしまってからあたしは、少し攻め過ぎた冗談だったかもと不安になったが、リザは力無い苦笑を浮かべたものの傷ついた様子は見せなかったのであたしは一応胸をなで下ろす。

 「もう一つ、あたしが決断出来たのはゾラ、あんたのお陰でもあるよ。」

 「へ?あたし?」

 間抜けな声を上げるあたしに、リザはクスリと笑う。

 「ハーケンブルク人は自主独立を尊ぶって良く言われるけど、あたしにはピンとこなかったんだよね。仕切っている人間が他の場所では貴族で、ここでは金持ち商人がその代わりっていう事以外に根本的に大きな差は無いと思っていたし。」

 「まあ、それはあるね。」

 「でもさ、イザベラと対峙しているあんたを見た時、初めてハーケンブルク人の自主独立って事が分かった気がしたんだ。」

 「そう、なの?」

 自覚の無い事で褒められているからか、赤の他人の事の様に実感が無い。

 「しっかり自分の芯みたいなモノを持ってるな、って気がしたよ。だから普段は頼り無く見えても、大事な場面ではブレないんだろうね。

 まあ、あんたは特別なだけなのかもしれないけど。」

 「特別……ねえ。」

 ベタ褒めされても照れる事なく苦笑してしまうのは、やはりリザが語っているあたしと、あたし自身の思い描いているあたしとは乖離し過ぎているからだろう。

 「あたしもそうだし、ほとんどの冒険者は若い頃だけ冒険者をやって、その内別の仕事に就いて冒険者時代をいい思い出にしてしまうのよ。」

 「まあ、それが普通だし、別におかしくはないよね?」

 「おかしくはないよ。そういう人達が堅気になって真面目に仕事しているお陰で世の中は回っているんだし。

 でも彼等とは別に、生粋の冒険者とでもいうべき連中も確かにいて、彼らは冒険者時代を思い出にする連中とは何かが違うのよね。」

 そう言って、リザはあたしの事をじっと見る。

 「リザの言いたい事は何となく分かるわ。今のギルド長なんて正にそうだしね。

 でも、あたしは違うよ。辞め時を失ってしがみついているだけだし。」

 リザの高評価がくすぐったくて誤魔化す様にそう言うと、リザはクスリと笑う。

 「別に、ギルド長のようにあんたが英雄になれるって言いたい訳じゃないの。ただ、冒険者が天職というか、あんた程冒険者が似合う人も中々いないなって話なだけで。」

 「それって、冒険者以外にはなれないとも聞こえるけど。」

 「それも間違ってはいないかもね。」

 少し拗ねて言うあたしを、リザはバッサリと斬る。

 持ち上げたり斬り捨てたりと、リザに思いの外翻弄されてしかっているが、彼女からあたしに対する親近感が伝わってきて案外悪い気はしない。

 「まあ、惰性とか器用貧乏とか色々ネガティブな事も考えるかもしれないけど、レベルとか関係なくあんたは冒険者として格好いいって、あたしには見えたのよ。

 その事は覚えておいて。」

 再びリザは持ち上げてきたが、賞賛に慣れていないあたしは捻くれた反応しか出来ない。

 「どうした?悪いモノでも食べた?」

 「まあ、あんたらしいと言えばあんたらしいけどね。」

 リザは折角の賞賛が無駄になっても怒る気配もなく、むしろあたしをからかう様な勢いで言う。

 「さっき、あたしが冒険者を引退する決意が出来たのはあんたのせいだって言ったの、覚えている?」

 引っ掛かった言葉なので覚えてはいたが、やっぱり何だか照れ臭くてあたしは白々しくとぼける。

 「覚えているような、覚えていないような……。」

 でもリザは、あたしの白々しいおとぼけを聞かなかった事にするという力技で無効化する。

 「ゾラ、あんたのような人間になりたいってあたしが思ってしまったのが最大の原因よ。

 その為には、大事な事は最終的には自分で決断しなきゃ駄目って気付いたのよ。」

 「はあ、それは……。」

 リザが、自分の将来を自分で決めようと思うようになったと言った事自体は喜ばしく感じるが、それがあたしの影響だと言われてもやはりピンとこない。

 「まっ、そう言う訳だから、その……。」

 今まで饒舌だったリザが急に口ごもり出す。

 「ん?」

 「この前の夜の事、お互い忘れようってあたしから言い出したんだけどさ、あれ、無かった事にしたいなーって。」

 「えーと、それは……どういう?」

 彼女の意外な申し出は結構嬉しかったが、その感情を素直に出すべきか迷ってしまい、戸惑ったようなリアクションになる。

 リザはあたしの上っ面のリアクションを真に受けたようで、少し慌てた様子で付け加える。

 「あ、いや、ゾラにどうこうして欲しいって話じゃなくて、あたしはちゃんと覚えておこうって事を言いたかっただけで。」

 必死な様子のリザを見て、あたしから余計な力が抜けてフワッと自然な笑みが漏れた。

 「何でそんな気になったのか、教えてもらってもいい?」

 あたしの態度が余裕ぶっていると思ったのか、リザは少しむくれ気味に言う。

 「……女と寝たりするのは、これからはもう無いと思う。これから帰る田舎はそういうのに対する目がここよりずっと厳しいだろうし、正直、あたしはそれに逆らってまでする情熱は無いしね。」

 「……そうね。」

 リザが突然言い出した現実に、浮ついていたあたしの気分も急に冷める。

 リザはそんなあたしを見て、一本取ったとばかりに軽く笑う。

 「まあ、元々、あたしは恋愛方面は淡白な方だから。ベクターと別れたのもそれが原因の1つだと思っているし。」

 「淡白……?」

 あの夜の出来事は恋愛とは別物だろうが、それでもあたしの断片的な記憶で覚えている限りでは、淡白という言葉の意味があたしと彼女とでは違うのでは、と言いたくなる。

 「そういう事じゃなくて。」

  あの夜についての自覚があるのか、リザは顔を赤らめて否定する。

「話を元に戻すと、あの夜の事は決して嫌じゃなかったの。それをさ、変に常識ぶって無かった事にするのは違うなってあんたを見て思っちゃったのよ。

  別にあの夜の事はこれから誰かに言うつもりもないし、あたしの心の中に留めておくつもり。

 心の中に留めておくだけだからこそ、無かった事にする意味もないかな、と。」

 リザは少し早口でまくし立てると、照れた様にあたしから視線を逸した。

 「そうね、そう言ってくれると嬉しい。」

 あたしにしては珍しく素直に言葉が口から漏れた。

 「取り敢えずさ、この街を離れる前にそれだけはあんたに伝えておきたいと思ってさ。

 何か形に残る物では無いけど、この街で過ごした日々で得た大事な物の様な気がしたから。」

 「そっか……。」

 ボソッと呟いたあたしを見て、リザは少し驚いた様な表情になり、茶化す様に言う。

 「なんだよ、あたしの話が感動的だからって泣くなよ。」

 リザの言葉であたしは自分が涙を流している事に気付いた。

 涙を流したのは随分久しぶりのような気もする。

 でも、自分が泣いている事は意外には感じなかったし、恥ずかいとも思わなかった。

 あたしの顔を見ていたリザの表情が和らぐ。

 「泣きながらそんな笑顔浮かべる人、初めて見た。」

 リザはクツクツと楽しそうに笑う。

 「器用貧乏の仇名は伊達じゃないのよ。」

 相変わらずあたしの目からは涙が流れていたが、口元は自然に笑っていた。

 「違いない。」

 楽しそうに相槌を打つリザを見ながらあたしはハンカチと取り出し鼻をかむ。

 妙齢の女らしからぬ豪快なかみっぷりに、リザはギャーギャーとお説教を始めた。

 何だかスッキリしたので、これからまたしばらくは涙が出る事はないような気がする。

 それからあたしはリザと夜中まで楽しく飲んだ。

 でも色っぽい雰囲気には全くならず、『メリッサのホットミルク亭』を出ると、自然とそこで別れてそれぞれの宿へと帰った。

 3日後、あたしはリザを見送る為に港へ行った。

 ベクターを含めて、あたし以外に見送りはいなかったが、リザは別に気にする様子もなくあたしを力強くハグすると、船へと乗り込んだ。

 あたしはリザを乗せた大きな帆船が、水平線の向こうに消えるまで見送っていた。

 もっと晴れやかな気持ちでリザの旅立ちを見送れると思っていたが、何だか取り残されたような寂しい気分になってしまう。

 それだけに、足元で大人しく伏せているジーヴァと、珍しく無駄口を叩かずに黙って一緒に見送ってくれる右肩に乗ったノエルの存在を有難く感じた。

 

 

 読んで下さり、ありがとうございます。

 次回以降につきましては、ある程度書き溜めてからの投稿になりますので、しばらく間が空きます。

 ご了承下さい。

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