第1章 冒険者パーティー『ホワイトドーン』 4
差別的、侮蔑的言動をする人物が登場しますが、これは登場人物の人間性を表現する為の手段であり、これらの言動を正当化するものではありません。
不快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、予めお断りしておきます。
2025年6月7日
細かい修正を行いました。
ゴブリンロード共を倒した後、あたし達は冒険者ギルドからの貸与品である水晶玉に倒した魔物共を1体1体全て記録し、急いでヌーク村へと戻った。
ポーションなどを使って最低限の回復はしたが、全員かなり疲弊していたので帰途に全く魔物に遭遇しなかったのは僥倖だった。
約束通り、ヌーク村ではあたし達に一夜の宿を提供してくれた。泊まったのは村に数軒ある冒険者向けの宿の中の一軒で、この村の他の宿と同様にほぼ民宿といってよい規模の宿だ。
村側から指定を受けたのであたし達に選択の余地は無い。
無論有料だ。
そこまで案内してくれたのはイリアさんで、村の中に入ってその宿に着くまで彼女以外の村人達はあたし達を遠巻きに見ているだけで、終始無言だった。
ただイリアさんだけは終始友好的で、あたしだけでなく『ホワイトドーン』の連中にも気さくに話しかけていたし、それだけではなく『個人的に』あたし達の傷や疲労を魔法で回復してくれた。
普通なら他のエルフ達のあたし達に対する視線を気にして居心地が悪くなる場面であったが、この時のあたし達にはそんな事を気にする余裕すらない程疲れ切っていた為、ろくに食事も採らずに早々に眠りこけてしまった。
翌朝、『ホワイトドーン』の面々はすっかり回復し、朝から元気だった。
これが若さだな、とあたしはしみじみと思った。
あたしも回復はしていたし、これといってハッキリと分かるような不調も無かったが、身体の芯の方に何となく感じられる疲れが残っていたし、頭もちょっとボンヤリしていた。
何より朝からモリモリ食べる若者達に対してあたしは余り空腹を感じず、それでも栄養補給の為にいくらか無理矢理詰め込んだが、若い連中の半分も食べられずに諦め、煙管をふかしながら彼らが食べ終えるまで時間を潰していた。
イリアさん以外であたし達に接触したのはこの宿を経営している夫婦くらいで、彼らはいつもは装備していない短剣を腰に佩いていた。
この夫婦はあたしとも古い顔見知りだったが、終始余所余所しい態度だった。
ただその余所余所しい態度も何処かぎこちなく、多分、村人の1人として怒っているという態度をとる義務があったんだろうな、という推測は出来た。
チェックアウトの時、とうとう怒っているというポーズがしんどくなったのか、夫婦共に申し訳なさそうな顔になり、それを見てあたしの方も恐縮した。
何か言いたそうにしていたが、夫婦のどちらも結局何も言わなかった。
村を出る時も終始無言のままあたし達を遠巻きに見守る疎らな村人達の前を、イリアさんに先導されつつ歩く事になった。
昨日はあまりに疲れていて気付かなかったが、その村人達の中でも少なくない人達が宿の夫婦と同様の申し訳なさそうな表情であたし達を見ていた。
イリアさんに見送られて村を後にすると、『ホワイトドーン』の連中の口数は多くなった。
まだ魔境の領内ということもあり油断こそしてなかったが、彼らは明らかに興奮していた。
昨日のゴブリンロード共との戦いで、あたし以外の全員がレベルアップしたからだ。
話を聞くに、全員1レベルではなく一気に2レベルも上昇したらしい。
独り疎外感を感じつつも、表面上あたしは良い先輩を装い愛想良くしていた。
昨日戦ったゴブリンロード率いる一団と再戦したとしても彼らは昨日のようなギリギリの戦いをする必要もなく連中を退けられるだろうが、独りレベルの上がらなかったあたしだけは昨日と同様に運が生死を左右するようなギリギリの戦いを強いられるだろう。
そして、彼らがこの後も順当にレベルを上げ続け、昨日戦った敵を歯牙にもかけなくなっても、あたしだけは相変わらずギリギリの死線を彷徨う戦いを強いられるのだ。
レベルアップが遅いせいで後輩に次々に抜かれていくのはこれまで何度も経験してきた事だが未だに慣れるという事はなく、過去何度も繰り返し直面してきた時と同様に暗い思考に囚われ、自分が嫌な奴になった気がする。
それでも染み付いた愛想笑いのお陰で、『ホワイトドーン』の連中にあたしの暗い思考が気付かれなかったのは幸いだった。
もし、彼らに同情するような言葉を掛けられたら逆ギレしていたかもしれない。
実際、頭はいいが気の回らないノエルが目聡くあたしの様子に気付いて、
「あんまり気にするなよ。」
と言ってきた時には、彼が怯える程冷たい目で見てしまった。
幸いその後すぐ小休憩になり、あたしはジーヴァの事を執拗にモフって心の安寧を回復出来た。
普段は大人しいジーヴァが、さすがに迷惑そうにしていたが。
そんな事もあったが、帰路は弱い魔物にポツポツ遭遇した程度で大したトラブルも無く、ハーケンブルクの巨大な城壁の前に帰り着いた。
ザレー大森林を出たあたし達は城壁に沿って、通称『ザレー門』と呼ばれる小さな城門へと向かう。
正式名称は他にあって、確かハーケンブルク四大商家の内の1つの創始者にちなんだ名前が付けられていたはずだが、ザレー門が定着し過ぎていてあたしもその正式名称を覚えていない。
ザレー門に近付くと、いつもの様に冒険者らしき連中がまばらにたむろしていた。
ザレー門を使用するのはほとんどが冒険者で、その管理も自治会議から委託を受けた冒険者ギルドが行っている。
門の外でたむろしているのは、これから森に入る連中と、帰ってきた連中が情報交換しているからだ。
あたしはそんな冒険者パーティーの1つに何気なく目をやり、そのパーティーメンバーの1人を見てギョッとした。
向こうもほぼ同時に気付いた様で、あたしを見て同じようにギョッとしている。
いかにもシーフといったくすんだ色合いの革鎧に身を包み、ボブに切りそろえたちょっと癖のあるライトブラウンの髪を今は簡単に後で括り、ソバカスが目を引く美人とういよりは愛嬌のある印象のその女性は、一昨日の夜から昨日の朝にかけて酔った勢いで関係を持ってしまった未だにリタかリサか名前が判然としないあの彼女だった。
あたし達はほんの数秒間フリーズした後、ぎこちない愛想笑いを互いに浮かべつつ、軽く会釈を交わし合った。
それでこの場は擦れ違って終わりと思っていたが、向こうのパーティーのリーダーらしい、いかにもファイターっぽい装備のヒューマンの男が近付いてきた。
その男については、顔を知っているという程度でその人柄については良くは知らない。
だが、冒険者ギルドのロビーで見かける時、大抵リタかリサか名前の判別していない彼女と一緒だったのは覚えている。
つまり彼は、浮気したとかいうリタかリサの彼氏という可能性がかなり高い。
その彼が、彼女の浮気相手と言えなくもないあたしの方に向かって一直線に歩いてきたのだ。
ちょっと後ろめたい気持ちもあって過剰に構えてしまったが、彼はあたしではなくイヴァンに近付いていく。
「よう、イヴァン。今、帰りか?」
「はい、ベクターさん。」
2人は普通に挨拶を交わしている。
どうやら2人はそこそこ親しいらしい。
そう、確かに彼はベクターとかいう名前のそこそこのベテラン冒険者であり、知らない相手でも気さくに声をかけれるタイプである事も思い出す。
あたしなんかは、彼の馴れ馴れしさに何故か他の人には感じない妙な圧を感じてしまい、それで距離を置いていたのだが、素直なイヴァン達からすると頼れる先輩という感じで親交を深めていたのかもしれない。
それから、何となく流れで2つのパーティーは互いに自己紹介する事になる。
というのも、イヴァン達もベクターとリタかリサか判然としない彼女とは親交があったものの、他の2人はほとんど交流が無かったらしい。
まあこの自己紹介のお陰で、シーフの彼女の名前が自然に特定出来たのは有難い。
イヴァンの頭をグッジョブと言いつつ撫でたいくらいだ。
その一方で、あたしは自分の記憶力の乏しさを罵倒したくなったが。
彼女の名前はリタでもリサでもなくリザだった。
彼らのパーティー名は『レイ・オブ・グローリー』というらしい。
結成されたのはつい1月程前ということ。
あたしの曖昧な記憶では、ベクター達は長らく『何とかフェローズ』という名前のパーティを組んでいたが、メンバーの1人が冒険中に亡くなったのをキッカケに解散し、以来ベクターとリザの2人は何度か新パーティを結成したものの、どれも短期での解散を繰り返していたとか。
その合間に、新パーティメンバーの勧誘の意図もあったのだろうが、他パーティのサポートを積極的に行い、イヴァン達ともそこで知り合ったらしい。
何だか大仰な名前を持つ、新しいパーティの残りの2人は両方共女性だった。
2人の人柄なんかもあの夜、リザが話していたような記憶はあるが、内容は断片的にしか覚えていない。
クレリックのイザベラはどっかのお貴族様の令嬢で、当然姓は有るはずだがここでは名乗らなかったし、リザもあの時『長ったらしい苗字』としか言ってなかった気がする。
彼女がリザに『魔法のピアス禁止令』を出した張本人で、実家の後ろ盾でパーティに資金を投入しているせいで、パーティリーダーのベクターも彼女には逆らえないらしい。
輝く様な金髪に白い肌のゴージャスな印象の美女だが、その美貌には威圧感がある。
今も簡単に自己紹介した後はほとんど世間話に加わらず、一歩引いた所でベクターを見守っているが、その視線はベクターを査定している様にも見える。
正確にはベクターを主にだが、それ以外のこの場に居る全員も品定めしている感じだ。
もう1人はシェールというメイジで、鳥の獣人だ。
鳥の獣人は、背中にまさに鳥の様な翼が生えている以外は、外見的にはヒューマンと大差ない。
鳥の獣人に限らず、獣人はその特徴を持つ動物に近いメンタリティを持つと主張する者も多いが、あたしは個人的にはその主張は眉唾だと思っている。
例えば鳥の獣人は、光り物が大好きで使う当ても無いのに貨幣を際限無く集め続けるとか、一度伴侶を決めると一生添い遂げるとかも言われている。
このシェールはそんな鳥の獣人についてもっともらしく語られてる主張に、実は大した根拠が無い事を証明する存在と言えるかもしれない。
彼女はギルドでは結構な有名人だ。
正確には悪名高いと言うべきだろう。
あたしを含めたこの2パーティ、合計9人の中で最もレベルが高いと思われるし、仕事もキッチリとするらしいが、妻や恋人のいる男を見ると手を出さずにはいられないらしい。
多少噂が大袈裟になっているきらいはあるが、実際彼女の加入で人間関係が崩壊したパーティはあたしの知る限りでも2つある。
そして彼女こそが、リザの言う所のベクターの浮気相手だ。
何だか健康的な雰囲気のリザとは対称的に、だらしない色気を振りまいている印象がある。
ネックレスの様に首に緩く巻き付いている極彩色の鱗の蛇の使い魔が、不健全なエロさを増幅している。
まああたしも実際の彼女の人柄は詳しくは知らないし、噂も話半分に聞いてるけど、その噂を信じたくなる様な雰囲気は確かにある。
というか、チラチラと彼女の事を横目で見ているベクターに気付きながら、イヴァンやオーウェン、キースに色気タップリに微笑みかける彼女の行動からするに、噂は話半分では済まない気がする。
何より、リザが哀れ過ぎる。
チラリと彼女を見やると、ベクターの事を冷たい目で見ていた。
その視線は、ベクターの事をもう見限っているのか、それともまだ未練があって怒っているのか、あたしには判断がつかなかった。
リザがあたしの視線に気付いて苦笑を返してくる。
その苦笑には他人に嘴を突っ込んで欲しくないという意図が込められているように、あたしには感じられた。
多分シェールが噂通りの女なら、『ホワイトドーン』の若い男達に色気を振りまいているのはほとんど条件反射みたいなモノで、意味など無いのだろう。
それでも年上の色気ムンムンの女に免疫の無さそうな3人は、ただ微笑み掛けられたらだけで挙動不審になっているし、そんな仲間のだらしない姿を見てデボラはむくれている。
シェールの微笑みは『レイ・オブ・グローリー』のメンバーを含めて、この場にいるほとんどの人間の感情をカオスに陥らせたみたいだ。
そんな中で、イザベラだけが冷めた目でパーティーメンバーを眺めているのにあたしは気付いた。
自己紹介の挨拶の後のだらけた雑談の間、ほとんど口を開かなかったそのイザベラが唐突に口を開く。
「ベクター。」
名前を呼ばれただけで、年下の男達に無駄に色気を振りまく愛人?にヤキモキしつつも、当の若者達に気のいい先輩として振る舞うという、無駄な器用さを発揮していたベクターの表情が、一気に引き締まった。
それは、真のパーティリーダーがベクターなどではない事を雄弁に物語っていた。
「なあ、イヴァン、みんな。森から出てきたのならちょっと教えて欲しいんだ。」
気の良い先輩の柔らかい口調はそのまま、これから真面目な話をするという雰囲気だけは強めてベクターは言う。
「何ですか?」
「俺達は森に探索に入ったまま帰還しないパーティーの捜索を依頼されたんだ。だから、知ってる事があったら教えて欲しい。」
「いいですよ。そのパーティー名は?」
イヴァンはベクターの事を信用しているのか、素直に尋ねるが、あたしはヌーク村でエルフ達に拘束された貴族のボンボン共と、実質貴族令嬢の支配下にあるパーティーの組み合わせから嫌な予感がしていた。
「『ブルーブラッド』だ。聞いた事あると思うが……。」
ベクターの声が若干尻すぼみになったのは、彼らの悪名を把握しているからだろう。
イヴァンを含む『ホワイトドーン』のメンバーの顔色が分かり易く変わり、一斉にあたしの顔を見る。
それを見てベクターはさすがに何かを察したらしく明らかにあたしの顔を見た。
そのままあたしに詰め寄ると思ったが、何故かイヴァンに視線を戻すと相変わらず彼に向けて話し続ける。
「なあ、イヴァン、何か知ってるのか?なら、教えてくれよ。無論タダとは言わん。情報料はキッチリ払うよ。」
ベクターに詰め寄られても、イヴァンは困った様にあたしを見るだけだ。
仕方ないので、あたしが前に出る事にする。
「ベクターさん。」
「ああ……。」
あたしに話かけられて、ベクターは面倒臭そうに返事をする。
貴重な情報ならあたしから得ようが、イヴァンから得ようがどっちでも良いはずだが、あたしから得るのはご不満らしい。
というか、純朴なイヴァン達相手なら楽にカモれると思っていたのに面倒臭い相手が出てきたな、という感じか?
じゃあ期待通り、面倒臭い事を言いますか。
「先程、依頼を受けてと仰いましたが、それは冒険者ギルドを通した依頼ではありませんよね?」
決めつける様に言うあたしの言葉に、ベクターはあからさまに動揺し、振り向いてイザベラを見る。
証拠は無いが、確信はあった。今のベクターの態度で証拠も得たも同然だ。
ただ、キョトンとしたリザの表情を見ると『依頼』は彼女抜きに進められたのだろう。
あたし達の会話に興味無さそうにしているシェールも同様かもしれない。
もっとも彼女は、場の雰囲気がシリアスになってからはずっと退屈そうに枝毛のチェックばかりしているが。
一方、ベクターから助けを求める様に見られたイザベラは、手助けを拒絶するかの様に全くの無反応だった。
ただ、ベクターを査定するような目付きは相変わらずだ。
それでベクターは覚悟を決めたかのようにあたしに向き直る。
「だとしたらどうなんだい、ゾラさん?」
開き直ったベクターは、威圧する様な口調で尋ねてくる。
でも何だかその口調が板に付いていない所を見ると、イヴァン達が慕う気の良い先輩の顔が素に近いのかもしれない。
「どうもこうも無いですよ。ギルドを通さなければ、それはモグリの依頼ですので協力する義務は生じないというだけです。」
あたしは満面の愛想笑いを浮かべながらそう言った。
ちょっとこの愛想笑いはベクター達を煽るかな、とも思ったけど、リザに対する仕打ちを聞いていたあたしは自分で自覚している以上にベクターに腹を立てていたのかもしれない。
当のリザはあたし達が何を話しているのか今ひとつピンと来てない様子だったが。
「という事は何か知っているのか?」
「ですから、知ってるのかどうかも含めて何も教えられません。ただ……。」
「ただ、何だ?」
「あたし達はこの後、森の中で見聞きした事をギルドに報告します。あなた方の依頼がギルドを通さないものであったとしても、正当化されうる事情があれば、ギルドはあなた方に情報を開示するでしょうね。」
あたしの言葉にベクターは再び狼狽えたが、今回はそれに加えてあたしに対する怒りも感じた。
勿体ぶった分、また彼を煽る形にはなったが、あたしにはリザがどこまで『ブルーブラッド』の悪行を知った上でこの依頼を受けたのか、確かめたい気持ちもあったのだ。
結果、リザはやっぱりあたし達の会話にピンと来てない様子で、どうしてベクター達が正規の手続きを踏まないのか不思議がっている節もある。
本来、パーティメンバーがリーダーに依頼を丸投げするのは良くない事だが、それでもあたしはホッとしてしまった。
一方、ベクターは再び助けを求める様にイザベラを見る。
イザベラは無表情のまま、黙って首を振った。
どうでもいいけど、イザベラさんの中でベクター君の評価はダダ下がりだろうな。
それを自覚してか、ベクターの必死さが増す。
それまではあたしに対する怒りを隠そうともしなかったのに、猫撫で声を作ってまであたしを説得しようとする。
「なあ、ゾラさん。これでも俺はあんたの事をそれなりに知っている。あんたに立場ってものがあるって事もな。
だからあんたがギルドに忠誠を誓っている気持ちも分かる。なんたって、あんたの妹は副ギルド長だからな。」
この言葉に驚いたのはリザだけだった。
そして、あたしはリザが驚いた事に驚く。
別にあたしは自分の妹が、2人いる副ギルド長の1人である事を吹聴して回っている訳では無いが、特に隠している訳でもない。
だからあたしがレズビアンである事を知っていたリザなら、妹の事も当然知っていると思ったのだ。
事実、彼女以外のこの場にいた全員が知っていたようだったし。
ただ、ベクターはあたしの驚きの原因をどういう風にかは分からないが勘違いしたようで、何だか説得の言葉が調子付いてきた。
「それを踏まえた上で敢えて言わせて貰うけど、ギルドの上層部にただ従うだけが忠誠って事では無いと思うんだよ。
ギルド上層部が間違っていればそれを正すのも忠誠の形さ。」
調子に乗ったベクターの態度は少し気味が悪い。
だが、あたしはその気味の悪さの原因が分からず、それを探る為に頭の悪さを装って尋ねてみる。
「間違いって例えば?」
あたしの頭の悪い女の演技が功を奏したのか、ベクターは得意げに話してくる。
「今のギルド上層部の態度、あれはいただけないね。
いいかい、ここアストラー王国を統治する権限を持っている唯一の存在が国王陛下であり、それを支える貴族の方々だ。
それは自由都市として自治権を与えられているここハーケンブルクでも変わらない。
なのに今のギルド上層部は分かっていない。そういう現実を見ずに理想を語った所で結局の所何も成し遂げられず、かえって下々の者達に要らぬ苦労を強いるだけだ。
そうは思わないかい?」
長々と語るベクターにあたしは苛ついたが、それでもニッコリと愛想笑いを浮かべて告げる。
「つまり、あなたは何があっても権力者に迎合する事こそが現実的と仰りたいのですね?」
あたしの身も蓋もない言葉に、さすがにベクターの顔色が変わる。
彼の声に明らかな苛立ちが混じる。
それでも彼は笑顔を浮かべ、猫撫で声であたしを説得し情報を引き出そうとするが、その説得する為の内容は貴族に逆らうなの一点張り。
表現は色々と細かく変えてはいるが、数分前まで頼れる先輩として接してきた『ホワイトドーン』の面々まで困惑している位だから、ベクターの必死さはちょっと異常だったかもしれない。
それは、『レイ・オブ・グローリー』の面々も同様で、査定の厳しさをアピールするかのようにイザベラはわざとらしい溜息を吐くし、シェールの枝毛チェックの熱心さは全く話を聞いていないのが明らかになるレベルだ。
唯一の例外がリザで、彼女はベクターの事を同情的というか、何ともいたたまれない視線で見守っていた。
あ、これは自分がみすみす不幸になると分かってもリザはベクターの事を見捨てられないんだな、とあたしは思った。
そう思うと、あたしは何だかベクターに対して腹が立ってきて、作り慣れた愛想笑いも段々と引き攣ってきた。
「もういい。」
それまでほとんど喋らなかったイザベラが、少し乱暴にベクターの肩を摑んで、彼を押し退けるようにし前に出てきた。
ファイターとして鍛えられたベクターが、簡単にフラついたのは明らかに精神的な動揺によるものだろう。
「ゾラと言ったな?」
あたしの前に進み出ると、イザベラは無遠慮にあたしを値踏みする様に上から下までジロジロと見回す。
美人に見つめられるのは本来大歓迎のはずだが、彼女の視線は居心地悪かった。
ベクターに向けたのと同じ、他人を物の様に品定めする視線だ。
なる程、ベクターがされていた時は面白かったが、自分がされるとこれ程不愉快なのか。
「お前の事はある程度調べてある。」
視線同様、口調も不躾で高慢なものだった。
「それは、どうも。」
イザベラの自然な傲慢さに、あたしの中からフツフツと怒りが湧いてくるが、冷静さを保つ為にも作り笑いの仮面を顔に貼り付ける。
それでも、口調はかなりぶっきらぼうになってしまった。
ベクターが、まるで彼自身が無礼を働いたかの様にイザベラの後で顔を青ざめさせたが、当のイザベラはあたしの『無礼さ』を全く意に介していないようだ。
「副ギルド長のヨハンナはこの街の最重要人物の一人だ。その唯一の肉親となれば当然調べもする。」
あれ?何だか話があたしが想像していたのとは別の方向に大袈裟になってきた気がする。
傲慢な貴族のお嬢様がお遊び半分で冒険者をやってると思ったけど、彼女の目線が個々の冒険者レベルでは無くて、政略的というか陰謀的に感じられるのが凄く嫌な感じだ。
思わず嫌悪感が作り笑いの仮面を破って表情に出た様な気がしたが、イザベラは平然と言葉を続ける。
「今のギルド上層部を占める元冒険者パーティーの『シーカーズ』の面々とは妹を通じて面識があるだけと思っていたが、どうやらそれだけでは無いようだな。現ギルド長のソニアとは、彼女が駆け出しの頃に一緒にパーティーを組んでいたらしいじゃないか。」
よくそんな事まで調べたな。
彼女とパーティーを組んでいたのは彼女が本当に駆け出しだったほんの短期間で、彼女が冒険者として名を上げ始めるずっと前の話だから知らない人の方が多いのに。
案の定、リザも『ホワイトドーン』の面々も驚いている。
それはともかく、イザベラのあたしに向ける嘲笑が気になる。
今の話で嘲笑を浮かべる様なポイントが存在したか?
「器用貧乏のゾラ。」
嘲笑を浮かべつつ、イザベラはあたしの有難くない仇名を口にする。
その意地悪い口調に、今まで状況が今一つ理解出来ずに静観していた『ホワイトドーン』の面々の雰囲気が変わる。
さすがにあたしに対する明確な悪意を感じ、個々の温度差こそあれ怒りの感情を顔に浮かべたのだ。
いい奴らだと思いつつも、若さ故の直情さに少しばかり危うさも感じる。
まあ、あたしが落ち着いてそんな事を考えられたのも、彼らが怒ってくれた事で逆にあたしの方が冷静になってしまったからだけど。
「あたしをそう呼んでいる連中が居る事は承知してますが、それが何か?」
あたしは愛想笑いを作り直して顔に貼り付けつつ、尋ねる。
「長らく冒険者ギルドに居るくせに、低レベル帯に居座り続ける寄生虫の様な存在。権力を持った妹だけでなく、ギルド長にまで卑怯な手で取り入っているなら、お前の様な能無しが大きな顔をしているのも納得ね。」
そう言って嘲笑を浮かべたかと思うと、不意に目を細め汚物でも見るかのような嫌悪感を隠そうともせず、吐き捨てる。
「お前、穢らわしい同性愛者だってね。ギルド長にも色目を使って取り入ったんだろう?」
ああ、またか、とあたしはウンザリした。
ここハーケンブルクは、同性愛者に対して他地域に比べれば寛容な方ではある。
噂では、同性愛者という事が発覚すると火炙りで処刑されてしまう地域もあるらしい。
少なくともここハーケンブルクでは公権力が同性愛者というだけで介入してくる事は無い。
一方で、個人レベルで同性愛者を嫌悪し、侮蔑する連中は他地域より特に少ない訳でもない。
そして自由な気風を尊び過ぎるハーケンブルクでは、公権力が同性愛者に介入しないのと同様、個人レベルで同性愛者を差別する人々にも公権力は介入しないし、ほとんどの住民はその公権力の対応を当然だと思っている。
さすがに暴力沙汰に及べば処罰の対象になるが、口頭での侮辱程度では騒ぐ方がおかしいというのがこの街の大多数の人々の認識だ。
そして、あたしがレズビアンというだけで侮辱してくる連中は掃いて捨てるほどいる。
だからこういう連中への対応は慣れてはいるが、だからといって不快にならない訳では無い。
「貴族の方々は高貴なものだと思っておりましたが、存外下世話なものなのですね。」
あたしは愛想笑いの仮面を何重にも被りつつ、刺のある言葉を可能な限り柔らかい口調で言う。
「はぁ?」
まさかあたしが反論するとは思わなかったのか、イザベラがあたしの言葉に反応するまで少しタイムラグがあった。
「下町育ちのあたしでも、他人のプライバシーは無闇に探らない、偶然知ったとしてもそれをひけらかさない位の慎みは持っているつもりでしたので、高貴なる方々ならそれ以上であると勝手に思っておりました。」
あたしの言葉に対してイザベラは初めてその表情にあからさまな怒りを浮かべたが、すぐに冷静さを取り戻してあたしに対して冷たい嘲笑を浮かべた。
「なる程、その舌はよく回るようだ。」
「どう致しまして。」
あたしは表面上は余裕を持って対応したが、内心嫌な予感がしていた。
世間知らずで高慢なだけの貴族のお嬢様と思っていたが、予想以上に食わせ者っぽい。
この女は完全に貴族の選民思想に染まっているが、その彼女から見て下賤な人間であるはずのあたしからの侮辱に対してもすぐに冷静さを取り戻せるのは、余程自制心が強いのだろう。
「まあ、お前が強気に出るのも分かる。確かにこの街での冒険者ギルドの権力はあり得ない程強大だ。その上層部の後ろ盾があるのだからな。」
ん?
せっかく、内心で切れ者判定しようと思ったのに、何故かまた見当違いの事を言い出したな。
というか、この女の中では全ての人間関係はパワーゲーム的フィルターを通して理解されているのかもしれない。
「だが、その後ろ盾が安泰だと思っている時点でお前は愚かだと言わざるを得ない。」
うーん、選民思想に加えてパワーゲーム思考で視野が狭まっている分、言動に迷いが無いんだな。
下手に権力を持っているだけ、この手の輩は厄介かもしれない。
「まあ、今の上層部の連中は非合法に今の地位を得たのだ。同様に地位を追われても自業自得というものだろう。」
確かに、あたしの妹やギルド長を含む現執行部は多少強引に今の地位に就いたし、そこに含む所を持つ連中が居るのも知っている。
イザベラはそういった反執行部の連中と本当に繋がりがあるのか、それとも深い考えの無い単なる脅しなのか。
今までのやり取りから察するに後者の可能性が高いような気もするが、一応心に留めていた方が良さそうだ。
「ご忠告感謝します。でも、これ以上はお互い話し合っても不毛と思いますし、そろそろお暇しても宜しいですか?」
「器用貧乏のゾラ。」
あたしがあくまで低姿勢を装っているのに、イザベラは傲慢な態度を崩そうとはしない。
「野蛮な南方人と未開のエルフとの混血の上に穢れた同性愛者とは、本当に救われない存在だな。
そんなお前に慈悲を与える最後の機会を与えてやる。
『ブルーブラッド』について知ってる事を残らず話せ。」
あれだけあたしを侮辱しておいて情報を教えてもらえると思える思考に心底驚くが、侮辱の言い回しも捕まっていた『ブルーブラッド』の連中と大差無かったし、とても信じられない事だが彼女達の中では侮辱している意図すら無い可能性も充分ありそうだ。
「先程も言いましたが、あたしは全ての事をギルドに報告します。その後の事はギルドに一任しますので、あなた方に理が有るならば、ギルドはきっと情報を開示してくれるでしょう。」
「分かった。」
おや、予想外にあっさりと引き下がったな、と思ったら最後にまた恫喝じみた事を言い出した。
「お前ら愚昧な平民共は、この街が自治都市である、などという戯言を本気で信じているかもしれないが、ここアストラー王国は建国以来、国王陛下とその代理人たる貴族達の手によって治められる事で隆盛を誇ってきた。
それはここハーケンブルクも例外ではない。
今は下賤な商人や冒険者上がりに不当に支配されているが、この街は昔も今もブランズウィック侯爵家の領地だ。
ゆめゆめ、それを忘れないように。」
そう言って、イザベラは踵を返した。
『レイ・オブ・グローリー』の他のメンバー達が慌てて彼女の後ろを追いかける。
なる程、彼女はブランズウィック侯爵家の縁者か。
あたしも詳しく知っている訳では無いが、ここハーケンブルクがかつてはブランズウィック侯爵家の領地で、王位継承争いに付随する権力闘争に敗れた上に、ハーケンブルクを失った事でブランズウィック侯爵家は一時はその権勢を大いに失った。
しかし、ここ数十年でかつての権勢を大いに取り戻し、今では王国の反動主義的貴族達の盟主的存在になっているらしい。
反動貴族共は、あたしの感覚からすれば色々と馬鹿馬鹿しい主張をしているらしいが、その馬鹿馬鹿しい主張の中にハーケンブルクの自治権を取り上げろという主張も含まれている事は知っている。
あたしを含めたほとんどのハーケンブルクの住民にとって、それは下らない言い掛かり以外の何ものでもない。
何故ならハーケンブルクは自治権獲得以来、毎年どの貴族よりも多額の税を王国に収めてきたからだ。
ハーケンブルクからの税収が滞れば王国の財政はあっという間に傾く、と言われる程にその納税額は群を抜いている。
でも今日のイザベラを見て、反動貴族にはそんな道理は一切通じないのだと実感した。
何だか虚しい気分になりながら、あたし達からの離れる『レイ・オブ・グローリー』の後ろ姿を眺める。
あたしの背後では『ホワイトドーン』の面々が若者らしい率直な怒りの言葉を発していた。
その多くがあたしへの侮辱に対する文句で、本来なら喜ばしい事だが、あたしはそれらの言葉がほとんど耳に入らなかった。
『レイ・オブ・グローリー』の面々はあたし達から離れた場所足を止め、何か話合っている。
あたし達と話して得た情報から、森に入っても無駄足になると判断して街に戻って仕切り直すつもりかもしれない。
相変わらず枝毛チェックばかりしているシェールはともかく、リザまでが話し合いに集中せずチラチラとこちらを伺っているのが気になって、あたしは何だかこの場を離れる気になれなかった。
本当はリザに一声かけたかったが、何を言えばいいのか分からないし、一昨日の夜の事を忘れたいと言っていた彼女に、この場のこの状況で話しかけてもいたずらに彼女の立場を悪くするだけなのは分かっている。
なのであたしはイザベラ達にバレないように、愛想笑いではない笑顔を浮かべ小さく頷いて見せただけだった。
リザの方も、ぎこちないながらも笑顔を返してくれたので、あたしはそれで満足すると振り返って若い『ホワイトドーン』の面々に笑いかけた。
「あたし達も行こうか。まずはギルドに報告だけど、それが終わったら打ち上げでもしよう。
あたしが奢るから期待していいよ。」
素直に歓声を上げる『ホワイトドーン』の面々に少し心が洗われたが、ふと気付くとイザベラが冷たい目であたしの事を見ていた。