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第5章 森の娘 1

 今回から第5章となります。

 今回は、かなりボリューム過多になってしまいました。

 2エピソードに分割する事も考えたのですが、分割すべきポイントを見つける事が出来ず、結局いつもの倍近いボリュームになってしまいました。

 予めご了承下さい。

 「ああ、ゴメン。」

 同性愛者である事を理由に、常識の範囲内のスキンシップを拒否されるのは普通ならかなり腹立たしい行為だ。

 しかしこの時のあたしは、ミオの雰囲気に呑まれてしまったせいで何も考えずに反射的に謝ってしまい、彼女の肩を掴んでいた手も離した。

 ミオの顔から攻撃的な作り笑いが消え、眉を顰めながらあたしが掴んでいた自分の右肩をジッと見つめた。

 微妙な沈黙が流れるが、それを破ったのはヨハンナだった。

 「ちょっと質問がくどくなって申し訳ないのだけれど、あなたがミオさんで間違いない?」

 ミオは顔を上げると、ヨハンナにも肉食獣を連想させる作り笑いを向けた。

 「ああ、そうだよ。」

 「今の自分の状況とか、封印されてから今まであった事とか、どれくらい理解している?」

 「大まかな事は分かっているとは思うけど、所々歯抜けの様に分かってない部分はあるとは思う。

 表現は難しいけど、第三者が話している内容を別の作業をしながら集中せずに聞き流した感じって言えば分かるかな?

 印象的な記憶がポツポツと孤立して頭の中に残っているけど、それらの個々の記憶が時系列順どう並んでいるかは分からないし、その記憶にある出来事がどのように発生したのか、そこに至る過程がどうだったのか、についてもあやふやだね。」

 ミオの説明は彼女の自己申告通り、抽象的で分かり難かったが、その割には説明の仕方が妙にこなれていて、今まで何度も同様の説明をした経験がある事を連想させた。

 ふと気づくとミオの顔から作り笑いが消え、半眼になりながらあたしを見上げていた。

 「何?」

 「何って、あんたがアタイをジロジロ見てたんじゃないか。」

 どうやらあたしは、無意識の内にミオの顔を凝視していたようだ。

 「ごめんなさい。自覚は無かったんだけど。」

 「まあ、いいけどね。そういう珍獣を見るような反応には慣れているし。それより座ったら?」

 「そうね、ありがとう。」

 あたしはお礼を言いつつ再び椅子に腰を下ろす。

 ミオの口調はカラッとはしているが、かなり攻撃的でキツい。

 あたしに対してだけそうなのか、それとも誰に対してでもそんな感じなのかは分からないが、今の所、彼女からは敵意しか感じられない。

 「もう一つ確認なんだけど、ナギさんの魂が封印に近い状態にあるって本当?」

 「そうみたいね。まあ、アタイはさっき目覚めたばかりで詳しくは知らないけど、今現在あたし達の中で、ナギの存在が希薄なのは確かだ。

 まあこの件に関してはマヤの方が詳しく理解しているとは思うけど、彼女にしてもさっき話した以上の事は知らないのじゃないのか?」

 ヨハンナはミオの答えに頷くと、少し姿勢を正した。

 「じゃあ、これから本題に入るわね。

 まず最初に、ミオさんにはナギさんやマヤさんと同様に、あたし達と協力関係を構築する気があるのか訊きたいのだけど?」

 ヨハンナの質問にミオは顔を顰め、乱雑にガシガシと頭を搔いた。

 「あんた達の状況が差し迫っていて時間が無いのは何となく分かっているし、アタイ達の今置かれた状況からして、共通の敵がいて協力した方が良いのは分かる。

 でもさっき言った通り、アタイにあるのはボヤッとした記憶と、さっき頭の中でマヤから教えてもらったザックリとした情報だけだから何の実感も無いし、詳細も分からない。その状況で言質だけ取られる様な事態は避けたいな。」

 そう語るミオの表情は思ったより理知的で慎重に見え、攻撃的な第一印象からは意外に感じられた。

 ヨハンナも思ったより話が通じると思ったのか、少し口調が落ち着いたものになる。

 「それは分かるわ。今すぐあなたの答えを求めるつもりはない。

 あたし達としては今後あなたとどう関わりを持つべきか行動指針が欲しいだけだから、言葉尻を捉えて言質を取ったとか騒ぐつもりはないわ。

 どの道あなたもマヤと話し合ってでないと大きな決断は出来ないでしょう?」

 「そこが頭の痛い所なんだよな。」

 ミオはそれが癖なのか、また乱雑に頭を掻く。

 「知っているかどうか分からないけど、アタシはドルイドだ。元々は、森の中で動物に囲まれて静かに暮らす事が出来ればそれ以上の事は求めないような人間なんだよ。

 まあ正直、欲を言えば気の合う男と子供を作って子育てするくらいが追加の望みくらいだ。

 アタイはずっと、それ以上の事は望んではこなかった。」

 裏表なさそうに率直に語るミオの言葉は、悪意が無い分あたしの心の敏感な部分を疼かせる。

 ミオはあたしの様子に気づいた様子もなく話を続ける。

 「けどアタイの、たったこれだけの望みはいつだって叶いはしない。マヤは街中じゃなきゃ生きられないとかほざくし、男の趣味だってあたしとは正反対だ。

 ナギはナギで何時だって独りを好むし、あたし達が好いた男といい感じになっても、ナギに人格が変わった瞬間にパニックを起こして、何度もそういう機会を台無しにしてきたからな。

 ああ、ついさっきマヤから教えてもらって初めて知ったんだが、ナギは生粋の同性愛者らしいな。」

 それまでヨハンナを見て話していたミオは、最後の一文を語った時だけ、あたしの方を向き、棘のある視線で見た。

 「その辺の事は、一応マヤさんからも聞いているけど……。」

 ヨハンナがそう言うと、ミオの視線は再び彼女に向く。

 「まあ、男とか子供とかはマヤやナギの協力が無ければどうしようもない事は理解しているから、もう仕方ないと諦めている所はある。

 でも、それは逆も然りだ。マヤが女同士をすんなり受け入れた事はアタイにとっても意外ではあったけど、アタイはマヤやナギとは違う。

 アタイは女同士とかはあり得ない。そこだけは覚えておいて欲しい。」

 半眼であたしを見ながらキツい口調で釘を刺すミオに、流石にあたしも我慢出来なくなってきた。

 「同性愛者だからって、女相手に誰彼構わず発情しているように思われるのは流石に心外なのだけど?」

 それまでミオの雰囲気に呑まれて下手に出ていた反動もあって、思った以上にキツい口調になってしまった。

 それまであたしが大人しくしていたからか、あたしの口調にミオは初めて少しだけ怯んだように見えたが、すぐにその切れ長の目を吊り上げ、嘲笑うような口調で反撃してきた。

 「へえ、でもナギとマヤの両方と寝た女が言ってもあまり説得力が感じられないね。」

 「大丈夫、あなたに手を出すような事は決してありませんから。」

 あたしの方も一歩も引かずにやり返すと、ミオの薄い唇の両端が吊り上がり、再び肉食獣じみた笑みが浮かんだ。

 「まあまあ姉さん。今のミオさんは、目覚めていきなり敵陣のど真ん中に放り込まれたみたいな状況だし、警戒心が強くなっているのも仕方ないわよ。」

 あたしとミオの間で火花が散りかけたが、文字通りヨハンナがあたし達の間に身体を割り込んできて仲裁してきた。

 それで毒気を抜かれたのか、ミオの笑みが肉食獣じみたものから苦笑に変わる。

 ミオは気持ちを落ち着かせる為か一度大きく息を吐いてからあたしに向き直り、軽く頭を下げた。

 「確かにさっきのは言い方が悪かった。気に障ったのなら謝るよ。ゴメンな。」

 ミオの謝罪は口調も仕草も上っ面だけの軽いものに感じたし、その軽い謝罪だけではとても許せる気分にはなれなかったが、ここでゴネるのも大人気ないという気持ちに負け、あたしも譲歩してしまった。

 「分かった。こっちもちょっとムキになり過ぎた。」

 あたしも憮然とした表情で、上っ面だけの和解の言葉を言う。

 当然の様に微妙な空気になりかけるが、しかしここで間髪入れずにヨハンナが口を挟み、強引に雰囲気を変えた。

 「それじゃあ仲直りしたって事で話を戻すわね? 

 さっきの質問の続きというか、より深く踏み込んだ質問をするけど、ミオさんは姉さんと乗騎契約する気はある?

 あ、さっきも言ったけど、これで言質を取ろうとかは思っていないから。今すぐどうこうとかでもなくて、将来的に条件が揃えばやってもいいかな、みたいなフワッとした気持ちだけでも教えて欲しいのだけど?」

 彼女にしては珍しくやたらと軽い口調で言うヨハンナを、ミオは探る様にジッと見つめてから不意に彼女はあたしを一瞥し、すぐにヨハンナに視線を戻した。

 「純粋に契約だけって話なら、結ぶのも吝かではない。」

 ミオは不貞腐れたような口調で言う。

 つまり、ビジネスライクな乗騎契約を結ぶ事自体は問題無いが、それ以上の馴れ合いは御免被るという事か。

 そういった条件付きであっても、この女から了承が出た事は正直意外だった。

 一方あたしとしても、はっきり言ってこの女と乗騎契約などしたくはないが、この女を除外してナギやマヤとだけ契約を結ぶのは不可能らしい以上、あたしにも選択の余地は無い。

 「あたしもそれで異存はないわ。」

 あたしの口調があからさまに不貞腐れていたせか、ヨハンナがチラリとあたしを咎めるように見た。

 心ならずも仲介人的な立場になってしまったヨハンナが話を纏めようとしているのに、当事者であるあたしが大人気ない態度を取った事に苛ついたのだろうが、あたしは取り敢えずその視線に気づかなかった振りをして話を進めた。

 「乗騎契約の為には3つの魂全ての承認が必要なのは知っているわよね?問題は、封印されてしまったナギの仮契約が今も生きているかって事なんだけど……?」

 「生きていれば、ミオさんと契約すれば3つの魂との契約が完了するっていう事?」

 ヨハンナがあたしとミオを交互に見ながら質問すると、ミオは頭の後で手を組みながら言う。

 「こればかりはやってみなければ分からないわね。そもそも仮契約っていう状態が、アタイにとっても前代未聞のものだし。」

 確かに前代未聞の事なら、考えるより試行錯誤で正解を見つける方が早道だろう。

 あたしは深呼吸か溜め息か自分でもよく分からずに大きく息を吐くと、ミオに向き直った。

 「じゃあ、今から試してみますか?ミオさんさえ良ければですけど?」

 子供っぽいとは思いつつも、つい挑発的な口調であたしは尋ねてしまう。

 案の定、ミオはムッとした表情であたしを見た。

 「アタイだって構わないけど?」

 ミオはあたしの挑発に乗ったらしく、明らかに深く考える事無く反射的に返事をした。

 とはいえ心境としてはあたしも似たりよったりだったので、彼女を悪く言うのはブーメランでしかないが。

 「じゃあ、やってみるわ。」

 あたしはミオではなくヨハンナの方を向いて言うと、目を閉じ自分の内部のドラゴンテイマー能力の知識を呼び覚ます。

 そしてすぐに、あ、無理だと思った。

 ドレイク相手に乗騎契約を行う場合、『正当な』方法では、ドレイクがドラゴン形態になった時でないと契約は行えないらしい。

 『正当な』方法の利点としては手法が確立している事で、その手法さえ踏襲すれば半自動的に契約は成立する。

 一方、あたしが無意識の内にマヤやナギと仮契約を結んだ裏技的手法の欠点は、やり方が確立されていない事であり、その手法は曖昧な上に運の要素に大きく左右されるなど、かつ不確実な部分も多い。

 とはいえこの曖昧な上に不確実な手法にも必須の条件が幾つか存在し、その中には精神的な強い絆が両者に既にある状態で、肉体的な接触を行う事が含まれているようだ。

 計らずもマヤの推測が的中したのだが、同性愛を嫌悪するミオでは、こういった裏技的手法での契約条件をクリアするのは無理だろう。

 とはいえこの情報は文書のような形で明示されたのではなく、抽象的なイメージをあたしが解釈したものなので、正確性や具体性は更に欠ける。

 例えば、『肉体的接触』がどの程度必要なのかも分からない。

 もしかしたら、指先で触れる程度で済むかもしれない。

 特に今はマヤの推測を聞いた直後なので、その推測に引っ張られる形であたしが歪んだ解釈をしている可能性もある。

 なので、やはりここは考え込むより色々と試行錯誤しながら正解を求める事が必要だろう。

 取り敢えずやれそうな事からやってみる事にする。

 この女と精神的絆を築いたり、肉体的接触をせずに乗騎契約を結べる方法ももしかしたら見つかるかもしれない。

 最初の取っ掛かりとして、使い魔や相棒との契約の初期段階の手順と同じく、ミオとの魔力の同調から試してみる事にした。

 あたしは立ち上がり、ミオの正面に立つ。

 「魔力の同調を試みるから、あなたの額に触るけどいい?

 嫌なら止めるけど?」

 断ってくれた方が面倒がないんだけど、と内心思いながらあたしは尋ねる。

 「必要ならやればいい。」

 ミオは嫌悪感を隠そうともせずにそう答えた。

 あたしは苛つきつつもミオの額に左手の人差し指で触れ、目を閉じて集中し、ミオの魔力を感じようとする。

 意外にもすんなりと、ミオの魔力の流れを感じ取る事が出来た。

 これ程簡単に出来たのは、あたしとミオの魔力の相性が良い方である事を意味する。

 続いてミオの魔力の流れにあたしの魔力を少しだけ流し込んでみる。

 これまた、すんなりといった。

 これは魔力の相性が、単に良い方というレベルではなく、かなり良いレベルである事を意味していた。

 これはもしかして、このままあっさりと契約までもっていけるのではないか、という希望が浮かんできた。

 魔力の同調を少しづつ深化させていき、魔力の流れが完全にシンクロした所で、あたしとミオの間に魔力のリンクが形成された。

 「第一段階は成功よ。

 続いて精神的リンクを形成していく。これが成功すれば少なくとも、ミオさんとの乗騎契約の最初の足がかりは出来るはず。」

 「あ、ああ。」

 半分トランス状態のままあたしが言うと、ミオが戸惑った声で同意した。

 魔力リンクを通じてあたしの意識をミオの意識に接近させていく。

 最初はミオの表層意識に触れる。

 ミオの方の意識もあたしの意識の侵入に気づいた感覚があり、その時点でミオの意識があたしの意識を拒む事も出来たはずだが彼女はそれをせず、あたしはこれまたすんなりとミオの表層意識の中に入り込む。

 あたしに対する最も大きなミオの感情は戸惑いや不安であり、意外にもあたしへの敵対心や憎しみはほぼ感じられなかった。

 もう一つ意外だったのは、あたしに期待する感情も僅かながらあった事だ。

 ただこの意識同士の接触であたしが分かるのはかなり大雑把な感情に過ぎず、心を読むような事は出来ない。

 どちらかといえば、彼女の心の中で今こういった感情が優勢である程度の事だ。

 ただあたしに対する敵対心が薄く、希望の感情が僅かでもあれば精神的リンクも上手くいくかもしれない。

 そう思って次の段階に向かうべく、ミオの意識の更に深い所にある深層意識に接触しようとした時だった。

 強烈な拒絶反応があたしの意識を弾き、あたしの意識はミオの意識から一気に追い出され、魔力リンクも途切れてしまった。

 我に返ると、あたしはミオの前で呆然と突っ立っていた。

 呆然としたままミオを見下ろしていると、彼女は怪訝そうにあたしを見上げた。

 その様子からすると、彼女は自分の深層意識があたしの精神接触を拒絶した自覚がないように見える。

 「大丈夫、姉さん?」

 ヨハンナが心配そうに声をかけてきた事で、あたしは我に返った。

 「ええ、大丈夫。」

 あたしはそう答えると、一つため息を吐いて椅子に腰を下ろした。

 「どうだったんだよ?」

 やはり事態を理解出来ていないっぽいミオが、苛立たし気に尋ねてきた。

 「人間形態のあなたと契約を結ぶのは無理っぽいわね。」

 突き放すようにあたしが言うと、ミオは如何にも心外といった表情になった。

 「本当か?」

 あたしはため息を一つ吐いてから、冷静な口調を心掛けて言った。

 「あんたの表層意識が乗騎契約に前向きな事は確かだったわ。ただ、人間形態のまま乗騎契約をするのは一種の裏技みたいなもので、表面上の同意だけでなく深層意識から契約に同意する必要があるの。」

 やってみて初めて分かった事だし、詳細は敢えてミオには言わなかったのだが、深層意識同士をリンクさせれば、時間をかけて精神的絆を築く過程をスキップ出来る可能性はあった。

 同じ原理で、魔力を更に深く同調させれば肉体的接触もスキップ出来たかもしれない。

 だがミオの深層意識に激しく拒絶された今となっては、それが不可能である事も分かった。

 「あんたの場合、その深層意識が、あたしとの接触自体を激しく拒んでいる。

 多分その拒絶反応は本能に近いもので、あんたの心持ち次第でどうこう出来るレベルものではないと思う。」

 あたしがそう言うと、ミオは唇を噛んで黙り込んだ。

 その表情からして、どうやら心当たりがある様だ。

 もしかしてミオには同性愛者を拒む原因となったようなトラウマでもあるのかもしれない。

 「じゃあ、乗騎契約は無理なの?」

 ヨハンナが、探るような口調で尋ねてきた。

 「正当な方法なら出来ると思う。

 つまり、ミオさん達が竜形態に変身した状況で行う事よ。

 これなら魔法的拘束力を持った儀式の中での契約だから、3つの魂全員が形式的に誓いの言葉を述べるだけで済む。それなら契約者の本心がどうであろうと関係ない。」

 「でも、ナギさんの魂が封印された状態にある以上、竜形態への変身は不可能なのよね?という事は結局、ナギさんの封印を解くのが早道という事になるわね。」

 ヨハンナがそう答えると、ミオが口を挟んできた。

 「マヤは自分の2度目の封印が解けてから、あたしの封印も解く為に色々やってきた。だからマヤに聞けば、何か封印を解く方法の手掛かりが掴めるかもしれない。」

 ミオが発言した事で、あたしとヨハンナの視線が彼女に集中する。

 するとミオが、少し居心地悪そうに身じろぎした。

 ヨハンナはすぐにミオから視線を逸らし、いつもの顎に指を当てて考え込む仕草をする。

 「さっきの話では、マヤさんは行き当たりばったりに思いついた方法を試していただけみたいだけど、結果的には仮契約という予想外の成果が得られたのだし、方向性としては間違っていないのかもしれない……。」

 考え込むヨハンナを放置して、あたしはミオに向き直り尋ねた。

 「そもそも、あんたはどうしてあたしとの乗騎契約を受け入れる事にしたの?」

 ミオはムッとした様子で眉を吊り上げた。

 「悪い?」

 あたしは冷静さを心掛けつつ、低いトーンで続けた。

 「良い悪いの話じゃなくて、あなたの深層意識の拒絶反応は尋常ではなかった。それなのに、表層意識は嫌々ながらも同意している。そこのすれ違いが、あたしにはどうしても気になってしまうのよね。」

 あたしの問いに、ミオはわざとらしく大きなため息を吐いた。

 「自分達を守る力が欲しいからよ。それは理由にならない?」

 強い意思を感じさせる目でまっすぐこちらを見つめるミオに、誤魔化しのようなものは感じられなかった。

 「確かに乗騎契約はドラゴンテイマーと、その相手のドラゴンやドレイク両方の能力を底上げする事は知っている。取り敢えず今は、ドラゴンテイマーの心当たりがあたししかいないから、消去法って訳か。」

 「それもあるし、今更他のドラゴンテイマーが現れたとして、ナギやマヤがあんた以外を選ぶとも思えないしね。」

 心底嫌そうに言うミオを見て、あたしは何だか怒りを通り越して苦笑を浮かべてしまった。

 「何笑ってんだよ。」

 ミオは怒っているというより拗ねている様な表情で言う。

 マヤやナギと文字通り同じ顔で、彼女達がまずしないだろう表情を浮かべたのを見て、あたしは不覚にも少しだけ可愛いと思ってしまった。

 「契約によって力を得る……。そうか!」

 ブツブツと独り言を言いながら考え事に没頭していたヨハンナが突然大声を上げ、あたしとミオは驚いて同時に彼女の方を向いた。

 「何?」

 「どうしたの?」

 怪訝そうに声を掛けるミオとあたしにお構いなく、ヨハンナはマッドサイエンティスト的な情熱を隠そうともせずにまくし立てる。

 「姉さんはヘスラ火山で、契約していないドラゴンのテンペストの呪いを解いたわよね?」

 「でもそれは、この魔剣の力を借りたからだし、その結果この魔剣は力を失ったから、今同じ事は出来ないよ?」

 戸惑いつつあたしが答えると、ヨハンナは頷く。

 「魔剣を復活させるには姉さんから魔力を供給する必要があるけど、今の姉さんの魔力では魔剣の復活には下手をすると百年以上はかかると。そうだったわよね?」

 「まあね。」

 知っていた現実ではあるが、改めて指摘されるとどうしても苦虫を噛み潰したような表情になってしまう。

 「その復活速度を上げるには、姉さんの魔力を上げるしかなく、それは一般にはレベルアップしかないと言われている。

 でも、あたしは前から別の可能性を考えていた。」

 「そんなのがあるの?」

 驚き尋ねるあたしに、ヨハンナは苦笑を向けた。

 「それが乗騎契約よ。乗騎契約をすればレベル自体は上がらないけど、身体能力や魔力はそれだけでかなり上がる。

 この国の建国伝説に登場する竜騎士達は乗騎契約を機に、超人的な能力を得ているわよね?

 まあ伝説だから誇張はあるだろうけど、それを抜きにしても伝説から推察するに、姉さんの魔力は最低でも倍以上にはなるんじゃないかしら?

 まあ、それだけでは魔剣の復活にかかる時間が100年から50年になるだけだけど、重要なのは魔力や身体能力が上がれば今より難易度の高い冒険もこなせる様になり、そうなればレベルアップの速度も格段に上がる。短い時間でレベルアップを重ねていけば魔力も短期間で上昇していき、魔剣復活の時間もどんどん短縮されていく好循環が生まれる、っていう皮算用だったんだけど……。」

 そこまで言ったヨハンナとあたしは、思わず顔を見合わせて苦笑した。

 ヨハンナは文献で知ったようだが、あたしはテンペストと乗騎契約可能な状況になった際、感覚的に乗騎契約を結べば自分の身体能力と魔力が爆上がりする事を知った。

 だが、ナギの封印を解くのに魔剣の力が必要→魔剣を復活させるのにあたしの魔力を上げる事が必要→あたしの魔力を上げるには乗騎契約が必要→乗騎契約の為にはナギの封印を解くのが必要→ナギの封印を解くのに……という無限ループに気づいていたので、口には出さなかったのだ。

 恐らくヨハンナも同様だったと思うのだが、それでも敢えて口に出したのはこの無限ループを解く何らかの方法を見つけ出したという事だろうか?

 「これはあくまで仮説だけど、魔剣に与える魔力は姉さんの自前である必要はないんじゃないかしら?他から魔力を調達し、その魔力を姉さんを通して魔剣に与えれば良い。」

 ヨハンナのアイデアは既に聞いた事があったのであたしは少しガッカリしたが、その事を悟られないよう苦笑を浮かべて誤魔化す。

 「ああ、その仮説は聞いたわ。ゲーゲンのキアラがその可能性について語っていたけど、必要な魔力が膨大過ぎて天文学的な金額の魔水晶が必要になるし、現実的ではないって。」

 「なるほど、流石キアラはそこまで気づいていたか。」

 ヨハンナは感心したように頷いたが、同時に自分より先に気づいた者がいた事に少し悔しそうにも見えた。

 それはともかく、長距離転移呪文の使用に際し、湯水のように高価な魔水晶を使い潰していたヨハンナの姿をあたしは思い出す。

 「もしかしてあんたなら、必要とされる膨大な魔水晶を用意出来るの?」

 あたしの質問にヨハンナは一瞬驚いた様な表情になったが、すぐに笑い出した。

 「それは流石に無理よ。まあ、あたしとソニアの権力を総動員すればワンチャン可能性はあるかもしれないけど、これから間違いなく戦争が起こるって時に、姉さんの件だけに全てのリソースをつぎ込む訳にもいかないし。」

 それからヨハンナは居住まいを正し、少し強めの口調で言った。

 「正直、結構な予算と時間をかけて大規模な儀式魔術を行えば、あたしだってナギさんの封印を解く事は出来るとは思う。でも同じ理由で今は、必要な予算も時間も足りない。

 今回、あたしやアビゲイルが直々にナギさん達の救出に動いたのは、戦略的にそれだけの価値があると判断したからで、姉さんが身内だからじゃいし、あくまで例外的な措置なのよ。

 こういう状況でなければあたしも全面的に姉さん達の手伝いはするけど、基本的には今は、余程の事でない限り後方支援的な援助しか出来ないと思って欲しい。」

 ヨハンナの言葉にあたしは頷く。

 「そうね。この隠れ家を用意して貰っただけでも充分なくらいよ。」

 あたしが答えると、ヨハンナはリラックスした表情に戻った。

 「まあ、姉さんになら釘を刺す必要は無いとは思ったけど、一応ね。」

 そう前置きしてからヨハンナは珍しく勿体つけて言った。

 「あたしが提案するのは『魔力溜まり』の魔力を利用する事よ。」

 「『魔力溜まり』の魔力を利用?そんな事出来るの?」

 魔力溜まりとは、魔力が不自然に大量に湧き出したり滞留している場所の事だ。

 魔力溜まりには3つの種類が存在するが、特に有名なのが魔境に存在する『混沌の魔力溜まり』で、単に魔力溜まりと言った場合この『混沌の魔力溜まり』と同義に捉えられる場合も多い。

 あらゆる魔境は複数の魔力溜まりを内包し、更に魔境の中心部に向かう程、魔力溜まりは強力になっていく。

 逆に言えば、多くの強力な魔力溜まりを内包した領域を『魔境』と呼ぶのだ。

 不自然に強力な魔力を生み出し続ける魔力溜まりは、魔境に存在する魔物や不可思議な魔法のアイテムの源泉だ。

 そして無尽蔵に魔力を生み出し続ける魔力溜まりを自在に利用する事が出来れば、理論的には魔力消費を気にせず無制限に魔法を行使出来る可能性がある事から、魔力溜まりを自在に利用する方法はないか、あるいは人為的に魔力溜まりを作り出す方法はないか、かなり昔から多くの者が研究を重ねてきた。

 それがある程度成功したのが神殿だ。

 多くの人の祈りが長年積み重なる事によって、神殿そのものが神聖魔法限定の『聖なる魔力溜まり』としての機能を持つようになったのだ。

 それによって神聖魔法に限定されるものの、神殿内では多大な魔力を要するような大規模な儀式魔法も、本来よりも簡単に実行する事が可能となっている。

 ただ、聖職者達は『魔力溜まり』という呼び方を嫌い、『神聖力』とか『聖なる力』といった呼び方をするので、神殿の『神聖力』が魔力溜まりの一種である事を知らない者も多い。

 ともかく、『魔力溜まり』の創造や活用で唯一上手くいっているのが神殿の『神聖力』だけであり、それ以外の試みが上手くいっていない事はフワッとした曖昧な知識しかないあたしより、ヨハンナの方が詳しく知っていると思うのだが。

 「正直言って、姉さんだけでは魔力溜まりを利用する事は無理だと思う。けど、姉さんと『仮契約』しているマヤさんの力を借りれば……。」

 ヨハンナはそう言うと、暫く前からあたしとヨハンナのやり取りを黙って見守っていたミオに視線を向けた。

 ヨハンナの視線を受けたミオが僅かに首を傾げた。

 あたしは今の彼女の仕草に違和感を感じたが、間髪入れずに話を続けるヨハンナに注意を戻されてしまった。

 「ある程度高レベルの秘術魔法の使い手なら、魔境にあるような『混沌の魔力溜まり』の魔力を自身に取り込む事は可能なの。まあ、それなりに面倒な準備は必要だし、高度な魔力制御も必要になるけどね。

 そうして苦労して準備しても、その魔力は溜めておく事も出来ずにその都度消費しなければならないから、魔術師の間でも余り利用する者はいないわ。

 ただ状況によっては効果を発揮する事もある。あたし達がアビスの最下層でその主のティアマトと戦った時がそうよ。

 ティアマトのねぐらがアビス最大の魔力溜まりだった事からあたし達は、その魔力を利用する作戦を思いついた。あの時は幾ら強力な魔法を連発しても自身の魔力は殆ど消費せず、魔力溜まりの魔力だけで戦えたわ。」

 「え、本当に?」

 それが本当なら、どんな強力な魔法でも無制限に使える事になるので、強力な魔法使いさえいればアビス攻略はかなり簡単になると思うのだが。

 あたしの驚いた表情を見て、ヨハンナは苦笑した。

 「まあそれは敵も同じ、というかむしろアビスに住み着いている敵の方がより効率的に魔力溜まりの魔力を使えるんだけどね。」

 ヨハンナの至極真っ当な答えに、あたしも苦笑を浮かべた。

 それから表情を改めて話を元に戻す。

 「つまりマヤが魔力溜まりで魔力を吸い取ってそれを仮契約を結んでいるあたしに送り、その送られた魔力をあたしが魔剣トールに注ぐって事?」

 発想が裏技っぽいけど、果たしてそれは可能なのだろうか?

 しかしヨハンナはハッキリと頷いた。

 「実を言えば神殿でナギさんが同じ事を行った方が安全ではあるんだけど、ナギさんが封印されている以上それは無理だからね。

 まあ、そうでなくともこの街の神殿で行うには政治的リスクが高すぎる。」

 革新派と旧守派の政争について、神殿勢力は表向きはずっと中立を保ってはいるが、実際の所は神殿内部でも同様の分裂が生じている為に、その分裂状態がある程度解決しない限りはどちらかに肩入れ出来ないというのが実情のようだ。

 末端の神官は8割方革新派支持だが、上位の神官になるとその割合は完全に逆転し、8割方旧守派支持となるらしい。

 もっと正確に言うと、上位の神官の多くは本土の反動貴族との繋がりが強く、その流れで反動貴族との結びつきの強い旧守派大商人を支持しているらしい。

 そして魔剣トールを復活させるレベルの魔力を得るには、ハーケンブルク各所に点在する小規模の分神殿では殆ど効果はなく、この街で最も大きな神殿である中央神殿が唯一の候補となるだろう。

 だが、中央神殿を使用するには莫大な費用と神殿の有力者とのコネ、そして神殿を利用する正当な理由が必要だ。

 そして中央神殿の使用について、どの様な理由が正当かを決めるのは、旧守派支持者が多数派を占めるだろう高位の神官達だ。

 なので例えナギが健在だったとしても、政治的リスクのせいで神殿を利用する事が出来ないというのは理解出来る。

 ただヨハンナの言葉には、もう一つあたしが気になった点があった。

 「神殿が安全って事は、それ以外の魔力溜まりは危険っていう事?」

 「そうね、まず神殿の魔力溜まりが神聖魔法に対応しているように、自然魔法に対応した魔力溜まりも存在する。」

 それはあたしも知っている。

 神聖魔法に対応した魔力溜まりが『聖』がつく別称で呼ばれるように、自然魔法に対応した魔力溜まりは、『霊樹』や『霊泉』、『霊峰』等と『霊』がつく別称で呼ばれる事が多く、それ故こちらも魔力溜まりの一種であると認識していない者も多い。

 「その手の魔力溜まりって、人跡未踏の原初の自然環境下にしか存在しないって聞くけど?」

 あたしの言葉にヨハンナは首を振った。

 「いえ、意外とこの手の魔力溜まりは数多く存在しているのよ。ザレー大森林外縁部にも最低10か所はあるし、小規模の村の中にある場合すらあるのよ。」

 ヨハンナの言葉にあたしは驚く。

 「それは知らなかったわ。本当なの?」

 ヨハンナは頷いた。

 「これらの魔力溜まりは環境の変化に弱くて、ちょっとした変化で枯れてしまう事が多いし、一度に大量の魔力を吸い取られても同様に枯れてしまうの。

 そして、こうした魔力溜まりが枯れてしまうと周囲の自然環境が荒廃してしまう事も多々あるので、森の守り人を自称するエルフやドルイドはその存在を知っていても秘匿し、外部の者を近づけないようにしているのよ。」

 という事は、自然魔法の魔力溜まりを利用する事は止めた方が良いか。

 ザレー大森林のエルフやドルイトを敵に回したくはないし、一帯を荒廃させてまで魔剣を回復させても寝覚めが悪くなるだけだ。

 「じゃあ、最後の選択肢である、魔境にある『混沌の魔力溜まりだけど、あそこはあそこで危険なのよね。

 『混沌の魔力溜まり』の魔力を利用出来るのは、魔物を除けばあたしのような秘術魔法の使い手だけど、人が使い易いように系統立てられた一般的な秘術魔法の使い手には魔力溜まりの混沌とした魔力は扱い難く、混沌の魔力を制御出来なければ魔力の暴走を招いてしまうのよ。」

 やはり魔境の魔力溜まりが危険という常識は、冒険者達の長年の経験の積み重ねの上に生み出されたものだったらしい。

 それでも先程の話では、ヨハンナは混沌の魔力溜まりを利用出来たと言っていた。

 「あんたはどうやったの?」

 あたしの問いに、ヨハンナは少し得意気に言う。

 「最低条件として、高レベルである事が求められるわ。まあ後は、魔力の低い魔力溜まりで色々試したり制御の訓練をしたり、役に立ちそうな魔法のアイテムを買い漁ってどれが効果が高いか実験を繰り返したりね。」

 要はしっかり事前準備を重ねてきたって事か。

 そういう所は、如何にもヨハンナらしい。

 だが取り敢えず、ヨハンナはその手のノウハウを持っているという事か。

 レベルの高さも必要だと言ってはいたが、ヨハンナから言い出したという事は、レベルの点についてはマヤはクリアしているという事だろう。

 「じゃあ、マヤを連れて何処かしら混沌の魔力溜まりのある場所に行けば、魔剣トールを直せるだけの魔力を得る事は出来ると?」

 「可能性はあるわ。まあ、行くとすればアビスになるでしょうけど。」

 ザレー大森林にもヘスラ火山にも混沌の魔力溜まりは存在するが、両者共に広い範囲に散在しているので移動に時間がかかり過ぎるだろう。

 その点、アビスは比較的上層階からそれなりに密集して存在しているので効率が良い。

 一箇所の魔力溜まりで足りなければ複数の魔力溜まりをハシゴする事も容易そうだ。

 「ただまあ、アビスに行くとして、どれくらい深く潜るかはそこはリスクと相談になるわね。」

 ヨハンナが思い出したように付け加える。

 「あまり強力な魔力溜まりだと、マヤの手に余ると?」

 あたしは未だマヤがどれくらいのレベルか具体的には知らないが、同じ肉体を共有するナギは明らかに高レベルだし、マヤも何となく高レベルなイメージがある。

 それでもヨハンナから見ればマヤのレベルの方が低いのだろうし、ヨハンナのように最下層の超強力な魔力溜まりを利用するにはレベルが足りないというのが彼女の判断なのだろう

 しかしあたしの問いにヨハンナは首を振った。

 「あたしの言うリスクとはもっと単純なものよ。アビスは下層になる程、強力な魔物が出現して危険度が増すから、どの程度の強さの魔物がいる階層まで潜るのが効率的かってだけの話。

 魔力の吸収そのものについては、マヤさんなら最下層の魔力溜まりでも問題無いと思っているわ。」

 「そうなの?」

 驚くあたしに、ヨハンナは少し呆れたように問いかける。

 「彼女、混沌魔術師でしょ?」

 ヨハンナの問いに、あたしは少し考える。

 そう言えば数日前にナギ達の事をヨハンナ相手に吐き出した時に、マヤが混沌魔術師である事も言ってしまった気がする。

 あたしが黙ったまま頷くと、ヨハンナは話を続けた。

 「普段から混沌の魔術の行使に長けている彼女なら、あたしよりも効率的に魔力を吸収出来るはずよ。」

 よく分からないが、そういう理屈らしい。

 ただあたしはこの時、別の事が気になっていた。

 「あのさ、普通の魔術師にとって、混沌魔術師ってどうよ?」

 我ながらフワッとした質問だったが、ヨハンナは正確にあたしの質問の意図を汲み取ってくれたようだ。

 「学者肌の魔術師には系統立てられない事が理由で嫌われているし、冒険者からも好まれてはいないわね。」

 ヨハンナの答えに顔を曇らせたあたしを見て、彼女は苦笑を浮かべた。

 「だって、考えてもみて。呪文を正確にコントロール出来ない混沌魔術師って、攻撃魔法に味方を巻き込んだり、肝心な時に魔法を不発させたりする事が当たり前なのよ。

 それでいて雑魚相手に大魔法を発動させてオーバーキルしたりするしね。

 ただまあ、嫌われているだけで、異端とか迫害対象とかになっている訳ではないわ。」

 よく考えればあたしも何となく知っていた話ではあるが、本職の魔術師であるヨハンナの言葉でついあからさまにホッとした顔をしてしまう。

 それを見たヨハンナに、何だか生暖かい笑みを向けられてしまったが。

 「まあ、マヤさん次第になると思うけど、出来ればアビスの可能な限り深い魔力溜まりに同行してもらって、魔剣の修復を試みて欲しい所ね。

 ただ、アビスのあるヘルム島への出入りは街の外に出るより難しいから、その工作に時間がかかるのがネックだけど。」

 「じゃあ、それが解決するまで別な事をしたら?」

 ミオのカラッとした口調ではない、柔らかいがネットリとした口調が、横合いから口を挟んできた。

 「薄々勘づいていたけど、マヤ、あんたいつ表に出てきたの?」

 「う〜ん、さっきから。」

 マヤはニッコリ笑うと、相変わらず具体性を欠いた返事をする。

 恐らくあたしとヨハンナの会話に口を挟まなくなった頃にはミオと交代して表に出ていたのだろう。

 「それで、別のやるべき事って?」

 ヨハンナが、マヤの人格交代に全く動じる事なく、当たり前のように質問する。

 「アビスに潜るより街の外に出る方が簡単なのでしょう?じゃあ、妹さんがアビスに潜れるよう準備している間、ゾラはミオと一緒にザレー大森林の『自然の』魔力溜まりに行って、ミオに手伝ってもらって少しでも魔剣に魔力を注入すればいいわ。無論、その『自然』の魔力溜まりが枯れない程度にしか吸収出来ないだろうから大した効果は無いかもしれないけど、それでも少しでも魔剣に魔力を注入しておけば、アビスでのあたしの負担も多少は減るかもしれないじゃない?」

 「アビスに潜る事自体には同意してくれるのね?」

 ヨハンナが、あたしが突っ込もうとしていた事とは全く別の事を、あたしが口を開く前に質問していた。

 するとマヤはあたしを、わざとらしいがそれでも色っぽい流し目で見てきた。

 「だって、好きな人の役には立ちたいじゃない?」

 マヤからわざとらしい好意アピールをされる程、逆に彼女からの好意を疑ってしまうのが常だが、だからといって彼女の色気に無反応でいられる訳でもない。

 あたしは不自然に明後日の方向を見ると咳払いをし、話題を逸らす意味もあって元々突っ込もうとしていた事を尋ねる。

 「あたしとの仮契約すら本能的に拒んでいるミオを、ザレー大森林の自然の魔力溜まりに連れて行っても無意味じゃない?」

 マヤとは仮契約が結ばれているから魔力の融通は可能だ。

 ドルイトのミオであれば『自然の魔力溜まり』から魔力を吸収する事自体は可能だろうが、彼女とは仮契約すら結ばれていないはずなので、彼女を通してあたしが魔力を融通して貰う事はほぼ不可能だろう。

 まあ、一応あたしもレンジャーなので、自然の魔力溜まりから魔力を吸収する事は出来るだろうから全くの無意味では無いだろうが、低レベルのあたしではかなり効率が悪く、吸い取れる魔力の量も微々たるものでしかないだろう。

 あたしの言葉に、マヤはいつもの胡散臭い笑みを浮かべた。

 「まあ、それは全くもって、ゾラの言う通りなんだけどね。

 実を言えば、魔剣の修復っていうのはどっちかと言えば口実でしかないのよ。無論、少しでも進めた方が良いのは確かだけど、極端な事を言えばザレー大森林では進捗が全くなかったとしも構わないの。むしろ本当の目的は、ゾラとミオがもっと仲良くなって欲しいからよ。」

 「はい?仲良くってどういう事?」

 あたしはマヤの言わんとする事が全くわからずに訊き返す。

 しかしマヤはあたしの問いには直接答えず、ヨハンナの方を向いて尋ねる。

 「アビスへ入れるよう準備を整える間、あたし達とゾラは、この地下室に籠る事になるのでしょう?」

 「安全を考えれば取り敢えずそうなるかな?」

 戸惑いつつもヨハンナはそう答えた。

 「でもこんな所に閉じ込められたら、あたしはともかくミオはストレスでおかしくなるわ。

 でも逆に、あの娘は単純な所もあるから自然の中にいればご機嫌になるはず。そうすれば、ゾラに対するツンケンした態度も少しは和らぐと思うのよ。」

 マヤの答えはあたしの疑問の答えには全くなっていなかったが、ヨハンナが真剣に考え始めたせいであたしは突っ込むタイミングを逸してしまった。

 「確かに今、ザレー大森林はハーケンブルクの内情がきな臭いせいで、純粋に冒険に赴く冒険者の数は減っている。それに、姉さんが姿を隠した直後はともかく、今は姉さんの潜伏先として案外悪くはないかもしれない。」

 ブツブツと呟くヨハンナを見て、あたしはまた本人抜きであたしの行動が決定されようとしているのを感じた。

 ヨハンナは顔を上げるとあたしを見た。

 「あたしは悪くない話だとは思う。

 ただ、仮契約さえ望み薄なミオさんを魔力溜まりに連れて行くだけなのは無意味だと思うので、姉さんには別の仕事を頼みたい。」

 流石ヨハンナ、マヤの意味不明な提案を、意味のある物にアップグレードしてくれたようだ。

 「まだ裏は取っていないのだけど、艦隊で海から攻めて来る反動貴族の主力の襲撃とは別に、別働隊がザレー大森林を抜けて奇襲をかけてくるって情報も入っているのよ。

 その情報を裏付けるように、旧守派に雇われた冒険者が既にザレー大森林に入り、別働隊を手引きする準備を始めているって話も入っている。

 この話がどこまで本当かは分からないけど、情報を得た以上手をこまねいて見ている訳にはいかないから、信用出来る冒険者パーティを1組ザレー大森林のヌーク村に派遣して情報を探らせる事になっているわ。」

 ヨハンナの言葉にあたしは眉を顰めた。

 「ハーケンブルクの防衛隊が反動貴族の主力の艦隊に気を取られている隙に、ザレー大森林を抜けてきた別働隊に襲われたら確かに被害は甚大になるのは分かる。でもそもそも、軍隊規模の集団があの森を抜けられるとは思えない。」

 ハーケンブルクがアストラー王国本土から切り離された陸の孤島と化しているのは、その間にある広大なザレー大森林のお陰だ。

 この大森林を抜けるには、単純に距離だけを考慮しても徒歩で3日かかると言われている。

 しかし3日間歩き続ければ抜けられるかと言えばそう話は単純ではなく、実際には比較的安全と言われている外縁部でさえ数多くの魔物と遭遇するし、森歩きに慣れていない者は確実に迷うだろう。

 そしてその中心部は未だに高レベル冒険者ですら少数しか侵入出来ていない未開の地だ。

 高レベルのレンジャーやドルイトで編成された精鋭部隊ならまだしも、小規模ではあっても軍隊規模の集団がザレー大森林を踏破出来るとは思えない。

 「そうね。私も可能とは思えない。ただノエルなら知っているとは思うけど、歴史上奇跡の勝利と言われた戦いの幾つかは、不可能と思われた行軍を実現した事が勝因だったりするのよね。」

 「確かにそうですね。」

 ヨハンナに話を振られたノエルは嬉しそうに答える。

 「アストラー王国建国史におけるコボークの戦いとか、ハーケンブルク黎明期のカルパンの海戦とか。」

 前者はアストラー建国史の華とも言える竜騎士団が初めて活躍した戦いで、敵が竜騎士団の飛行能力を初めて思い知った戦いだ。

 竜騎士団は徒歩による移動が不可能な峡谷を飛行して飛び越え、囮として偽の敗走をしていた王国軍の追撃に夢中になっていた敵軍の無防備な横腹を突いて壊滅させた。

 後者はハーケンブルクと『海の民』との間で起こった大規模な海戦で、ハーケンブルクと海の民のパワーバランスが逆転する切っ掛けとなった戦いとして知られている。

 ハーケンブルクの操船技術と造船技術が未成熟であると甘く見ていた海の民は、ハーケンブルク人には向かい風を切り上がって航海する技術も、それを可能にする大型帆船を建造する技術も未だ習得していないと侮っていた。

 しかし実際はハーケンブルク人は既に両方共手に入れており、その結果ハーケンブルク海軍は海の民が予想だにしなかった風下から現れ、最終的には海の民の船の多くを浅瀬に追いやって座礁させた。

 この2つの過去の戦の詳細を興奮気味に語るノエルに優しく微笑んでみせるヨハンナに、あたしは少し冷ややかな視線を向けた。

 「だからザレー大森林を抜ける行軍も可能だと?」

 あたしの問いに、ヨハンナは余裕のある微笑を浮かべた。

 「そうは言っていないわ。私はこれを情報戦の一環だと思っている。」

 「情報戦?」

 正直、予想していなかった言葉に戸惑っていると、横からマヤが口を出す。

 「なるほど、デマを流して無駄な兵力をザレー大森林側に割かせると。」

 マヤの相槌に、ヨハンナは嬉しそうに頷く。

 「あなたならこのデマに、どうやって真実味を持たせる?」

 「そうね、例えばハーケンブルクの旧守派に忠実な冒険者を雇って反動貴族の私兵風の格好をさせ、ハーケンブルクのザレー大森林側の城門に派手に奇襲を仕掛けてすぐ撤退するのを繰り返させるとか。」

 「そうそう。そういう事をやられたら、ザレー大森林にこちらの知らない秘密の抜け道があるかもしれない、と疑心暗鬼になる可能性だってある。」

 話している内容はかなり剣呑なものだったが、まるで若い娘が恋愛について話す様な口調で2人が盛り上がっているのを見て、あたしはため息を吐いた。

 「楽しそうね、あなた達。」

 あたしが冷ややかに言うと、ヨハンナはしまったとでも言いた気な表情で慌てて咳払いをする。

 一方のマヤは、いつも通り涼し気な表情を崩さない。

 自分だけハシゴを外されたとでも思ったのか、マヤを少しだけ恨めしそうな表情で一瞥してから、ヨハンナは真面目な表情を作って言う。

 「まあそういう事もあるから、この情報が半分以上ガセだとしてもこちらとしては全く無視する訳にもいかないのよ。

 だから姉さんは取り敢えずザレー大森林内のヌーク村に行って欲しいの。」

 「それはいいんだけどさ。具体的には何をすれば?」

 「取り敢えずは情報収集ね。

 もし仮に、本当に反動貴族達がザレー大森林を抜けて進軍してくるなら、メッツァー派の冒険者の手助けが必要なはず。

 そしてその情報が完全にガセであったとしても、マヤさんの言っていた様に、メッツァー派の冒険者がザレー大森林を拠点に破壊工作なりその準備をしている可能性は充分ある。

 いずれにせよ、本来なら先行するパーティと合流して協力するのが望ましいのだけど……。」

 「その先行するパーティって、既にヌーク村に入っているの?それともこれからヌーク村に行く予定?」

 「いえ、今朝出発しているはずだから、予定通りなら丁度今頃、ザレー大森林の中をヌーク村に向けて移動している最中のはず。」

 という事は、今から派遣されるパーティを、あたしが特に親しくしている人達に変えて貰う事は不可能か。

 「手配中のあたしが下手に他のパーティと接触すると、思わぬ所から秘密が漏洩する可能性があるわね。という事は、基本的にはミオと一緒に単独行動?」

 「その方が良いと思うけど、その辺は臨機応変ね。

 派遣したパーティを手配したのはエレノアだから、それなりに信用出来る人達を送っているはずだし、事情によっては姉さんの独断で協力するように決めて構わないわ。」

 「あたしとしては、ミオと仲良くなってもらう為にも、2人きりの方が好ましいけど。」

 突然口を挟んだかと思うと、空気を読まない事を言い出したマヤだが彼女の事だ、天然ではなく計算しての発言だろう。

 あたしは眉を顰めて言う。

 「あの人と仲良くなるなんて、あたしには不可能としか思えないけど。」

 あたしの言葉を聞いてヨハンナが深い溜め息を吐いたのが聞こえたが、一方のマヤは余裕の感じさせる笑顔を変えなかった。

 「あら、どうして?」

 やっぱりこいつ、あたしがどう考えているのか知ってて訊いてくるな、と思いつつもあたしは答えた。

 「あの人は、あたしの様な同性愛者を嫌悪している。まあ、そういう人が一定数いるのは仕方ないし、一々気にしないようにするしかないけど、だからといってあたしの方がそれを飲み込んでまで仲良くする義理も無いしね。」

 あたしがそう言うと、マヤは困った様な愛想笑いを浮かべた。

 マヤにしては珍しい、むしろあたしがよく浮かべるような、ぎこちなくて下手くそな愛想笑いだった。

 「ゾラの言う事はよく分かる。その、自分にとって譲れない部分を頭ごなしに否定する様な人間に対する嫌悪感もね。

 でも、そこを曲げてでもミオの事は嫌わないであげて。」

 マヤが、他人と言って良いのかは分からないが、自分以外の人の為に頼み事をするのが意外過ぎて、あたしは何だか毒気を抜かれてしまった。

 ミオに対するマヤの対応が、ナギに対するものとは余りに違い過ぎる。

 「その、あんたにとって、ミオってそんなに大事なの?」

 あたしの問いに、マヤは更に困った様な表情になった。

 「大事っていうのとは少し違うかな?

 ただあの娘は、非常に子供っぽい部分があるのよ。色々とあなたにキツい事を言ったとは思うけど、必ずしも本心とは限らないわ。

 まあ、自分を曲げてまで仲良くしろというのは流石に無茶振りだとあたしも分かっている。

 ただ、あの娘に対する評価を、今の話し合いの内容だけで決めないでくれると嬉しいのだけど……?」

 マヤはこれまた珍しく、あたしの顔色を伺う様に下手に出ながらお願いしてくる。

 その様子を見て、あたしは思わず溜め息を吐いた。

 常にマイペースな印象のマヤにそこまで下手に出られたら惚れた弱みがあるあたしにはそもそも断れないし、それ以上にそんなマヤの姿はあまり見たくはなかった。

 やっぱりマヤには、例えハッタリでも堂々とした態度でいて欲しい。

 「既に言われた事はそう簡単には忘れられないし、その事で抱いた感情も無かった事には出来ない。でもまあ、取り敢えず後何日かは彼女の事を否定しないし、最低限の付き合いは出来るよう努力する。」

 あたしの答えにマヤはあからさまに安堵の表情を浮かべると、いつもの余裕が戻ったのか例の胡散臭い笑みを浮かべた。

 その胡散臭い微笑みを見て、少し安心するあたしもどうかとは思うが。

 「あたしが思うに、ミオがやたらとあなたに攻撃的だったのは、単にあなたの事をまだ知らないからよ。

 あなたの事を良く知れば、すぐにあの娘もあなたの事を好きになるわ。」

 「ふうん。」

 いつもの信用度ゼロの軽い口調に戻ったマヤに妙な安心感を感じてしまったのは確かだが、やはり同じ様な軽い口調で愛を囁かれた時と同じくその言葉は薄っぺらく、何の説得力も感じられなかった。

 それでつい、あたしも気のない返事を返してしまったが、そこでふと、気まずそうな表情であたし達の会話が終わるのを待っているヨハンナに気づいた。

 妹が気まずく感じている事に気づいたあたしも同様の気まずさを感じてしまい、わざとらしい大きな咳払いをして強引に雰囲気を変えようと試みる。

 「ちなみにヨハンナは、先行したパーティって知らないんだよね?」

 先程のヨハンナの発言からして、おそらく彼女は具体的な事は知らないだろうとは思ってはいたが、一応確認は大事だし、それ以上に雰囲気を変える為には何か会話の取っ掛かりを作らなければならない。

 その取っ掛かりとなる質問を得たヨハンナは、少しだけホッとした様子を見せつつ答える。

 「エレノアに全て任せているから知らないわ。

 可能な限り彼女とは情報交換はしてるけど、あまり密に出来ているとは言えないわね。」

 「まあ、エレノアはギルドの内勤だし、メッツァー派の監視も厳しいだろうしね。

 何処かの仮病を使っている人みたいに、呪文をバンバン使って監視の目を誤魔化す訳にもいかないしね。」

 あたしの冗談にヨハンナは苦笑する。

 「取り敢えず姉さん達はあくまで身を隠す事をメインに考えて、情報収集は出来る範囲でやって貰えばいいわ。その上で更に余裕があったら魔力溜まりで魔剣の回復を行う事も有りだけど、まあこれはついでね。

 あ、ただ情報収集の前にヌーク村の村長に会って、情報の共有はしておいて欲しい。」

 「村長っていうと、イリア様?」

 あたしはおっとりとした雰囲気ながらも凄腕のドルイトであるエルフを思い浮かべる。

 「いえ、イリアさんはソニアとの会談後正式に村長を引退して、アーウィンさんが正式な村長に就任したわ。」

 「ああ、アーウィンさんかあ。」

 今度はエルフ至上主義者の気難しいエルフを思い浮かべて少し気が重くなる。

 ヨハンナはあたしの表情を見て苦笑を浮かべたが、構わずに話を続ける。

 「前々からイリアさんは半隠居状態だったし、前から実質的に村を仕切っていたのはアーウィンさんだから、ハーケンブルクに対する対応も今の所特に変化は無いわ。

 ただ、程度の差こそあれヌーク村はこれから起こるハーケンブルクの戦争のとばっちりを受ける可能性が大だから、事前に話は通しておいた方が後々揉めないとは思うの。」

 「それはまあ、そうだろうね。」

 「彼にはこの先起こるであろう事態について、結構詳しい部分まで話して貰って構わない。加えて彼がゴネる様なら事態収束後に補償する用意があると伝えて貰っても構わないわ。事後承諾になるけど、ソニアの名前を出してもいい。」

 これはヨハンナが、というよりソニアがヌーク村との関係を非常に重視している事の現れだろう。

 それは分かるが、これからこちらの瑕疵で迷惑をかける可能性が大であるとあのアーウィンに伝えるのは中々気が重い。

 そんな思いが表情に出てしまったのか、ヨハンナが珍しく猫なで声で言う。

 「実はヌーク村との交渉役って、姉さん以上の適任者って中々いないと思うのよね。」

 ヨハンナの白々しい言葉に、あたしは半眼になりつつ言う。

 「適任とか言うけど、この仕事思いついたのは今でしょ?」

 あたしの言葉に、これまた珍しくヨハンナは一瞬言葉に詰まったが、すぐににっこり笑うと再び流暢に舌を回し始める。

 「そこは否定しないけど、でも重要な仕事に変わりは無いわ。

 それにいつだったか、アーウィンさんが姉さんの事を気に入っているってイリアさんも言っていたし、あたし達も姉さんなら全面的に信用出来るし。」

 「ああ、分かった分かった。」

 あたしは苦笑しつつ折れた。

 平時ならあたし以上の適任者は幾らでもいるだろうが、今は平時では無い。

 ただでさえ人材不足のソニア陣営の中で、今現在フリーに動けてかつ適任である者となると、確かにあたしくらいかもしれない。

 そもそも今は、ほとんどヨハンナに養われているのも同然の状態なのだから、余程の理由が無い限りは断る事自体、妹に甘え過ぎという事になるだろう。

 「そういう事になったけど、あんたはそれでいい?」

 あたしはそう言いつつ、マヤに視線を向ける。

 マヤはその薄い唇を僅かに吊り上げ、薄っすらと色っぽい笑みを浮かべる。

 「あたしの意思は気にしないで良いわよ。暫くはミオが表に出て、あたしは奥に引っ込んでいるから。」

 「ある程度、人格の交代をコントロール出来るって聞いたけど、そこまで可能なの?」

 「ヘスラ火山に遠征する際、ずっとあたしが出ずっぱりだったでしょう?両者の合意があれば長期間表に出る事も可能よ。

 ただ1人が表に出続けた場合、あたしの経験則でしかないんだけど、『事故』も起こり易くなるみたいだけどね。」

 ここで言う『事故』とは、当人達の意思に反して突然人格が替わってしまう現象の事だろう。

 マヤの話では『事故』は、行為の最中や事後に発生確率が上がるらしいし、あたしが直面し、認識出来た唯一の『事故』も、マヤとの事後にナギに替わってしまった時だった。

 「まあ、ミオさんが表に出ている時に『事故』が起きても、気まずい事にはならないだろうしね。」

 あたしは無意識の内にボソッと呟く。

 マヤとの事後に、『事故』が起きてナギに人格が変わった時は非常に気まずくなり、ほぼ喧嘩別れの様になってしまった。

 以後ナギとは全く会えていない。

 だがミオが以降暫くの間出ずっぱりになるという事は、たとえ『事故』が起きたとしてもその原因は性的な要因とは無関係なものになるはずだ。

 なので、ナギの時のような気まずさは生じないだろう。

 しかしあたしの独り言を耳聡く聴きつけたマヤが、少し意地悪く言う。

 「そうとは限らないわよ。あたしだって女相手はゾラが初めてだし、そんなあたしが夢中になるくらいだもの。」

 「いや、ないない。」

 あたしは即座に否定した。

 駄目なものは駄目なのだ。

 あたしがどんなに気が合う相手であっても男相手が無理なように、女同士が無理な者はどうやっても無理なのだ。

 マヤは女同士はあたしが初めてと今言ったが、それが本当だったとしても彼女は元々女同士が駄目だった訳ではなく、単にそれまでその機会がなかっただけに過ぎない。

 「そうかしら?」

 意外としつこい所のあるマヤが混ぜっ返す。

 「あの人が求めているのは、夫となれる男と自ら産む子供でしょう?あたしはあの人の求めるものを何も持っていない。」

 言った後で、あたしは胸の奥の古傷が疼くのを感じた。

 「それは確かにそうね。あの娘が求めているのは子供っぽい理想の家庭よ。だからなのかな、あの娘が昔から付き合ってきた男は総じてつまらない男ばかりよ。」

 「それは単に、あんたの好みから外れているだけなんじゃないの?人の好みはそれぞれだから、あんたが嫌いなタイプがミオさんのタイプだったとしても何もおかしくはないわよ。」

 ミオに対して好意的だと思っていたマヤが急に辛辣な口調でミオをディスり始めたので、あたしは反射的にミオを庇うような事を言ってしまった。

 「本当にそれならいいんだけどね。」

 自分の言葉を否定されたマヤは一瞬だけ驚いた様な表情を浮かべたが、すぐに何故か満足気な笑みを浮かべた。

 それから、何やら悪だくみでも考えていそうな思案顔をすると、少しだけ間を置いてから再び言葉を発した。

 「あたし、ナギの事は大っ嫌いだけど、一つだけ大きく評価している事があるの。

 あのいい子ちゃんが、ゾラ、あなたの事になるといい子ちゃんの仮面を脱ぎ捨ててエゴ丸出しになる事よ。

 その一点についてだけは、あたしはミオよりナギの事を評価している。」

 「……そりゃあ、どうも?」

 リアクションに困ったあたしは、戸惑った表情のまま、自分でも意味不明な相槌を打った。

 マヤがナギを、皮肉も込めずに全面的に褒めるという事態がまず意外過ぎた。

 また、今までの経験からしてあたしがナギを褒めると決まってマヤは不機嫌になった事から、マヤ自身がナギを褒めた今の状況であってもあたしが諸手を挙げて賛意を示せば、やはりマヤは不機嫌になってしまうかも、という懸念も少しだけだがあった。

 しかしマヤは、あたしの懸念をよそに機嫌を損ねた様子もなく淡々と続けた。

 「その点、ミオは駄目ね。あの娘は頭の中だけで作り上げた理想の家庭を実現する為の手段としての、理想の夫を求めているだけ。別の言い方をすれば、自分の理想にとってにとって都合の良い条件の相手を求めているだけで、その相手そのものはどうでも良いのよ。」

 「でもそれって、普通の事じゃない?」

 お貴族様でも庶民でも、夫婦関係を築く最大の目的は、子作りと子育てだ。

 そこに恋愛関係が上乗せされたらベストだが、もし子作りや子育てと恋愛関係が対立する様な状況になったら、優先されるのは普通は前者だろう。

 あたしの様な同性愛者を白眼視する連中が一定数いるのはあたし達が明らかに、子作りや子育てより恋愛関係を重視している異端者であるからでもある。

 そんなマイノリティーであるあたしが、メジャーな一般論を口にするのも考えてみればおかしな話であるが、それはマヤの発言あまりにが一方的に感じたからつい、反論したくなって反射的に口から出てしまった。

 ただやはり、反射的に口から出ただけで実感の伴っていない一般論は陳腐に感じたらしく、マヤの薄い唇の端が僅かに不快そうに吊り上がった。

 「ミオの場合はちょっと違うのよ。なんて言うのかな、思春期の子が恋に恋する様に、ミオの場合は理想の家庭に恋している感じ。」

 「ああ。」

 あたしは思わず納得して頷いてしまった。

 ミオの事を良く分かっていない時点で、マヤの言葉に納得してしまうのは良くない事ではあるが、凄く腑に落ちてしまった。

 あたしの納得顔を見て、マヤは機嫌を直した様子で微笑む。

 「だからあの娘は、今まで本当の意味で人を好きになった事は無いと思うの。そして一番の問題は、本人にその自覚が全く無い事なのよね。」

 「マヤの言いたい事は、何となく分かった。」

 そして口には出さなかったが、マヤがあたしに求めている事も何となく想像が出来た。

 「ただあたしは、余りにもミオの事を知らない。マヤの言う通りの人間なのかも全く分からない。」

 あたしの言葉に、マヤは満足そうに頷いた。

 「あなたのそういう所、本当に好きよ。」

 マヤはいつもより少しだけ真剣味がこもった、しかしやはり軽い口調で言う。

 そして言葉より遥かに雄弁な熱っぽい視線であたしを見つめながら続けた。

 「最近、本当に思うんだけど、あたしとナギの両方がゾラの事を好きになったのは、偶然じゃ無いと思うのよね。」

 マヤの熱っぽい視線に当てられて少しのぼせかけたあたしは、ミオの言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。

 その言葉に含まれる意味に気づくとあたしは、思わず眉を顰めた。

 「だからミオも、あたしを好きになると?」

 「可能性は高いと思うわ。」

 しれっと言うマヤに、あたしの眉間の皺が更に深くなった。

 「今日だけの態度で判断するなとあんたは言うけど、それでもあたしには信じられないわ。

 それに、あんた達の魂は完全に独立しているんだから、好きになる相手も違っている方が普通なんじゃない?」

 さっき乗騎契約を試みた時、ミオの意識が本人の自覚の及ばない深層レベルに至っても、独立した存在である事が確認出来た。

 つまりミオ達3人は、1人の人間の異なった3つの側面というレベルではなく、個々の3人の人間と言って良いレベルで完全に独立している人格なのだ。

 しかしマヤは、その切れ長の目を更に細めて微笑みながら、自分の胸元にそっと自らの右手を添えた。

 「ドラゴン形態のあたし達の姿は、確かに3つの頭を持つわ。

 でも心臓は一つなのよ。」

 そう言うとマヤは、あたしを煙に巻く様に少し声を張って続ける。

 「あなたなら、今のミオが求めている子供っぽい理想の家庭以上の何かを、あたし達に与えてくれると思うんだけどなぁ。」

 そう言うと、マヤがクスクスと笑った。

 いつもより少し楽し気に感じられるマヤの笑い声に、何となく彼女の言葉に珍しく信憑性を感じた瞬間、再びヨハンナのわざとらしい咳払いが響く。

 あたしはまた、ヨハンナを放置してマヤと2人の世界に入っていた事を自覚して、急に恥ずかしくなる。

 あたしだって、ヨハンナと恋人の赤裸々な会話を近くで延々と聞かされたりしたら、その場に居るのもしんどくなってしまうだろう。

 それでなくとも大事な話の最中なのに、何度もその手の話に脱線するのはよろしくない。

 あたしが神妙な表情を浮かべると、それがツボに入ったのか、ヨハンナは小さく笑って表情を緩めた。

 「さて、ちょっと長居し過ぎてしまったわね。あたしもこれからやる事あるし、そろそろお暇するわ。」

 そう言ってヨハンナは立ち上がると、キョロキョロと周囲を見回し始めた。

 「どうしたの?」

 あたしの問いに、相変わらず周囲を見回しつつヨハンナが答えた。

 「ああ、出来ればここを出る前にアビゲイルと話をしておきたいのだけどね。確か、この部屋には通信用魔道具があったはずだから、それで彼女がもうここに帰っているか確認しようかと……。」

 そう説明するヨハンナの言葉が終わらない内に音もなく部屋の入り口の扉が開き、あたしは文字通り椅子から跳び上がる程驚いた。

 音もなく扉を開けたのは、当のアビゲイルだった。

 流石高レベルシーフといった所ではあるが、余りにも心臓に悪いので止めて欲しい。

 「名前が呼ばれたから来たよ。」

 アビゲイルはシレッとした顔で言う。

 「あなた、また盗み聞きしてたでしょう?趣味悪いわよ?」

 半眼でアビゲイルを睨むヨハンナ。

 やけに良いタイミングだと思っていたら、ずっとあたし達の会話を扉の外で聞いていたのか。

 会う前に抱いていた印象より友好的で面白い人だと思ってはいたが、今のヨハンナの言葉によると盗み聞きの常習犯らしい。

 最高レベルシーフである彼女が本当にそんな悪癖を持っているとすれば、かなり恐ろしい話となる。

 ヨハンナの文句とあたしの恐怖を軽く受け流し、アビゲイルはあたしとマヤに向き直った。

 「ゾラと、マヤさんだっけ?ザレー大森林に行く手筈が整うまでここに居ても良いよ。マヤさんはゾラと一緒のベッドでも構わないだろうけど、ミオさんは嫌がりそうね。後で簡易ベッドを運び込ませるからそれを使って。

 そうなるとただでさえ狭い部屋が更に狭くなるけど、そこは我慢してね。」

 「そこは構いませんが……。」

 この部屋を自分のもののように語るアビゲイルにあたしは違和感を覚えたが、すぐにその理由に思い至った。

 「ここってやっぱり『紫霧』の傘下って事ですよね?」

 あたしの世話を焼いてくれた例の双子も、娼婦というのは単なる隠れ蓑で本当はアビゲイルの部下らしいし、ここの主人であるあの巨漢の女将ももしかしたら『紫霧』の幹部か何かなのかもしれない。

 「えっ?」

 「えっ?」

 しかし確認の為に発したあたしの問いに、何故かアビゲイルが驚いた様な表情をし、その意外なリアクションにあたしも驚き返す。

 もしかして裏社会ではそういう事をあからさまに訊くのはタブーだったりするのだろうか?

 あたしも裏社会の流儀にはそれなりに精通していたはずだが、よく思い返せばあたしの裏社会での交流相手は小物かそれに毛が生えた程度の連中ばかりで、アビゲイル程の大物と関わりを持った事はほとんど無い。

 もしかしたらアビゲイル程の大物には、下っ端連中とはまた違った流儀があるのかもしれない。

 あたしが勝手にそんな妄想をして震え上がっていると、ヨハンナが呆れたように言った。

 「あなた、あの姿が自分が変装したものだとまだ姉さんに明かしてないでしょう?」

 「ああ、そうか!」

 ヨハンナの言葉に、アビゲイルは腑に落ちたように言うと、あたしに向き直ってニヤッと笑った。

 それから左手を小さく一振りすると彼女の左手中指に嵌めていた地味な指輪が閃光を発し、あたしの目は一瞬眩んでしまう。

 ほんの数秒後にあたしが視力を回復した時、漆黒の肌のスレンダーなダークエルフの姿が消え、代わりに立っていたのは生っ白い肌の肥満したヒューマンの巨漢の女性だった。

 「そう言えばまだ名前を名乗っていなかったね。あたしの名前はマダム・アビーだよ、ミスター・ゾロ。」

 この娼館の女将は、芝居がかった口調であたしが男装時によく使う偽名を口にすると、バチンと色々な意味で強烈なウインクをあたしに向けてしてきた。

 

 読んで下さりありがとうございます。

 次回の投稿は7月上旬を予定しています。

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