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第4章 3つ首の竜 9

 ゲーゲンに着いて早くも5日が過ぎた。

 その間、あたしは上ゲーゲンのゲストハウスの中でほぼ缶詰め状態で過ごしていた。

 ゲーゲンではドワーフ達の間に非ドワーフへの反感が広がっている上に、上ゲーゲンで少し前に意図的に騒乱を引き起こした旧主派の工作員の残党が未だ街中に残っている可能性がある事から外に出る事を控えていたのだ。

 ゲーゲンでも『ローゼン・ガーデン』の隠し部屋と同じ様に引き籠もる結果になってしまった訳だが、このゲストハウスはあの隠し部屋とは比較にならない程広いという点が大きく異なる。

 外に出れない事で相変わらずジーヴァにストレスをかけてしまっているが、歩き回れる範囲は屋内限定とはいえかなり広がる。

 また、このゲストハウスには小さな図書室もあった。

 ノエル曰く、蔵書は面白みの欠けるものばかりだそうだが、それでも暇は充分潰せるらしく片端から彼は読み耽っていた。

 更にほぼあの双子としか接点の無かった『ローゼンガーデン』の隠し部屋と異なり、このゲストハウスには複数の人物が出入りしており、あたしとも普通に顔を合わせていた。

 ハーケンブルクに出回っていたあたしの手配書がここゲーゲンには出回っていない事はドルガ達によって既に確認済みであり、またドワーフ達は非ドワーフの顔の見分けが結構苦手である故にあたしの変装は少なくともドワーフ達には非常に有効だとこの前改めて分かった事も大きい。

 コソコソしていた方が余計に怪しまれるし、変装した上で非ドワーフになるべく会わないようにすればそこまで警戒する事もない、というのがドルガ達と話し合った上で出した結論だった。

 このゲストハウスに出入りするドワーフ達の仕事はあたしの世話をする事でなく、あくまでこのゲストハウスを維持管理する為に掃除などを行う事である。

 彼らは普段は別の仕事をしており、それぞれが数日毎に交代でここの維持管理の為の活動をしているらしい。

 衛兵なんかも同様に持ち回り制度でやっているし、これがドワーフの伝統的風習なのかと思ったが、実を言えば人口減による人手不足で仕方なくそうしているらしい。

 どうしてそれが分かったかと言えば、あたしがここに出入りするドワーフ達から聞き出したからだ。

 とはいえ、彼らから情報を聞き出す程親しくなるにはそれなりに苦労した。

 初日は特にドワーフ達からかなり警戒された。

 普段はともかく、ドワーフ達の間で非ドワーフに対する反感が広まっている以上、それも仕方ないだろう。

 ゲストハウスに滞在している以上、特に説明など無くとも頭領のドルガの関係者という事は察してもらっているので失礼な言動等は無かったが、遠巻きにされた上で、あたしからのコミュニケーションは慇懃な態度でやんわり拒否された。

 そういう中で唯一、普通にコミュニケーションを取ってくれたのが、初日の夕食時に急遽あたしの臨時の世話役に指名されたインゲというドワーフの女性だ。

 普段は上ゲーゲンの非ドワーフ向けの宿屋で働いているというインゲはいかにもお喋り好きなおばちゃんといった感じの女性で、あたし達はすぐ親しくなった。

 彼女が最初から友好的だったのは仕事柄、元々非ドワーフに対する偏見が少ない為かと最初は思ったが、明言こそ無かったもの言葉の端々から察するにどうもドルガ達からあたしの話し相手になるよう頼まれたっぽい。

 そこには純粋な善意だけでなくあたしの人となりを探ろうとする意図もあったかもしれない。

 仮にその意図があったとすれば、無自覚の内に無意味なお喋りに飢えていたらしいあたしはインゲに対して結構余計な事まで喋ってしまった気もするので、効果てきめんだったと言える。

 だがそれが功を奏したのか、翌朝から何名かのドワーフの態度が軟化した。

 インゲがあたしの世話係をしてくれたのは初日の夕食時だけで、彼女程積極的に話しかけてくるドワーフは他にはいなかったが、おそらくインゲがあたしについての良い噂を広めてくれたくれたのだろう、初日と違って何人かのドワーフは話しかさえすればまともに反応してくれるようになり、更にその内の何人かとはその日の内に気安く話せる仲になれた。

 暇を持て余していた事もあり、彼らの仕事を積極的に手伝ったのも良かったのかもしれない。

 親しくなったドワーフはインゲを含めて5人程に過ぎなかったが、短期間でこの成果は上出来だろう。

 一度親しくなるとドワーフ達の口は予想以上に軽く、一緒に仕事をしつつ雑談を重ねていると内に色々な事を喋ってくれた。

 異人街でも経験済みだったが、ドワーフというものは余所者に対する警戒心が強い反面、一度親しくなると極端に距離感が近くなる傾向がある。

 ともかくそれで、ゲーゲンにおける持ち回り制度の理由なども知れたのだが、それ以外にもゲーゲンの最初の頭領がドルガやグエンの祖父である事、レジーナはやはりドルガやグエンの姪であり、グスタフはドルガ達兄弟の末弟であるという事、キアラはゲーゲン唯一のエンチャッターであり、ある意味ゲーゲンの最重要人物でもあるといった事なども知れた。

 あたしが暇潰しを兼ねた情報収集をしていた間、ドルガとキアラの父娘の手により義肢の修理は順調に進んでいだ。

 ドルガやキアラの作業場はあたしが立ち入れない下ゲーゲンにあり、ある程度作業が進むと上ゲーゲンのゲストハウスに彼等がやってきてあたしに修理途中の義肢を装着し、具合を確かめるという進行だったので効率的とは言えなかったが、それでも3日目の昼過ぎには素人目にはほぼ完全に修復されたように見えた。

 その後、更なる微調整を行い3日目の夕方には義肢の修理は完了した。

 素人のあたしが付け焼き刃で色々と弄り回した所で全くどうにもならなかった事を考えると、やはりその道のプロとというのは凄い。

 本来ならこれであたしがゲーゲンに留まる理由は無くなったのだが、ソニアの、というか実質ヨハンナの紹介状には可能ならあたしを暫くゲーゲンで匿って欲しいとも書いてあったらしい。

 ヨハンナ達と連絡が取りづらいという欠点はあるものの、確かにハーケンブルクのスラムよりもここの方が安全なのは確かだ。

 それにもう1つ、ドルガ父娘が例の魔剣に興味を持ち、彼らの方から魔剣の鑑定を申し出てくれた。

 この魔剣について調べてくれる誰かを探していたあたしにとってはまさに渡りに船だった。

 正直言えば、今すぐナギやマヤの元に行って話し合いたいという気持ちも強い。

 だが、お尋ね者であるあたしがハーケンブルクに戻って彼女達に会っても迷惑しかかけないのは明らかだ。

 結果、あたしは取り敢えず魔剣の鑑定が終わるまではここに留まる事にした。

 それに、義肢の修理が完了したことによってあたしには早急にやるべき事が出来た。

 1週間以上義肢を外していたし、義肢の調整をしたのがいつものダリルとエドガーのコンビではなく、ドルガとキアラのコンビという事もあり、義肢を思い通りに動かす為のリハビリを行う必要があったからだ。

 ドルガとキアラがダリルとエドガーより劣っているという訳ではないが、この手の魔道具は作業者の癖がどうしても出てくるし、あたしは長年ダリルとエドガーに頼り切っていたせいで2人の癖に馴染み切ってしまっていた。

 とはいえドルガもキアラも微調整の時点で敢えてダリルとエドガーの癖に寄せてくれていた事は分かったし、それが出来る時点で2人が腕利きである事も分かる。

 だが、実際に義肢を使用するのはあたしであり、義肢が上手く作動出来なくなって窮地に陥るのもあたしだ。

 2人の腕を信用するのと、生き残る為に義肢の作動を完璧に近づける努力を惜しまないのは別の話だ。   

 おあつらえ向きにこのゲストハウスの中には、スパーリングや長柄武器も振り回せる訓練用の部屋もあった。

 あたしはそこで、何時もやっているようにまずナイフを振り回し、次にショート・ソードというように少しずつ重い得物に変えていきながら具合を確かめる。

 動かす前には義肢と腕との接続箇所に痛みが走るかもしれないという不安もあったが、よりバランスの悪いハンマーや、両手剣に見立てた鉄棒を振り回してみても痛みが走ることも無く、特に不具合は見つからなかった。

 だが、あたしは更に延々と武器の用いての型稽古を繰り返し続けた。

 娼館に籠もっている間も暇だけはあったのでトレーニングは続けてはいたが、一週間義肢無しで過ごした結果、やはり身体の全体的なバランスが歪んでしまっている気がした。

 義肢の修復が完了した後は、せっかく親しくなったドワーフ達との交流も最低限にしてあたしは延々と型稽古を続けた。

 正直、あまり体調は万全とは言えない。

 相変わらず夜あまり眠れていない事もあり、どうしても集中力が欠けてしまいがちになってしまう。

 そうした状態で型稽古を行ってもあまり効果がない事も分かっている。

 ただでさえスパーリング形式より型稽古の方が集中力は落ちやすいのだが、型稽古の方こそ集中して行わなければ実戦でその効果は得られないものだ。

 ただ、身体を動かしていた方が余計な事は考えずに済むし、肉体的に疲れれば夜ぐっすりと眠れるかもしれない、という本来の目的からはかけ離れた理由もあって、あたしは延々と型稽古を続けていた。

 そのようにして日々過していると、5日目の昼前頃にドルガとキアラの父娘が、あたしがいつも型稽古をしている訓練部屋にやって来た。

 キアラの方は少し嵩張っている長方形のケースを両腕で抱えていた。

 あたしは型稽古を中断すると笑顔を浮かべて彼らに挨拶をした。

 父娘も気さくに挨拶を返してくれたが、彼等ははあたしの赤い目に気づくと僅かに顔をしかめた。

 ただ彼等は特に何も言わず、キアラはその手に抱えたケースを壁際に並んでいる椅子の上に置くと蓋を開けた。

 「ご要望に添える物かは分からないけど……。」

 ケースの中に入っていたのは、マンドリンだった。

 あたしが所持していたマンドリンはかなり小型のものだったが、このマンドリンは標示的な大きさであたしの持っていた物より一回り大きい。

 しかも胴体には蔦と花をモチーフにした精緻な装飾が施されており、パッと見ただけでもあたしの持っていたマンドリンの数倍の値段がしそうだった。

 彼らがマンドリンを持ってきてくれた理由は、あたしが頼んだからだ。

 だが、こんな高価そうな物を持ってくるとは予想外だった。

 あたしはいつも、義肢のメンテナンス後は指先の動きを確認する為に弦楽器を弾いていた。

 しかし父の形見のリゾネーターギターも、遠征時に持っていく小型のマンドリンも定宿の『トネリコ亭』に置いてきてしまった。

 今頃はもう、あたしの他の私物同様に官憲に押収されてしまっているだろう。

 それで父娘に、ダメ元で何か弦楽器を用意してくれるようお願いしてみた。

 何故ダメ元で、かというと多くのドワーフにとって弦楽器自体馴染みがないものだからだ。

 ハーケンブルクの異人街には父やあたしのギター演奏を受け入れてくれたドワーフもいたが、彼らはあくまで例外的な存在だ。

 とはいえ、ドワーフが音楽嫌いという訳でもない。

 特にドワーフの労働歌は有名だし、戦場における従軍吟遊詩人の奏でる呪歌は、味方の士気を上げ敵の士気を挫くとの評判を得ている。

 実はダリルも、鍛冶仕事中は槌音を打楽器代わりにしながらよくドワーフ伝統の労働歌を歌っている。

 だが、ドワーフの使う楽器は打楽器と金管楽器がメインで、弦楽器はほぼ使わない。

 ドワーフに言わせれば、弦楽器の音は軟弱過ぎるらしい。

 なので、そもそも弦楽器がゲーゲンに存在する可能性自体が低いと思っていたのだ。

 だが意外にもドルガ親子は快諾してくれ、現に今持ってきてくれた。

 「昔本土のとあるヒューマンの貴族の依頼で仕事をした時、そのお方が我々の仕事をえらく気に入って下さってな。正規の報酬とは別にこれを下さったのだ。」

 「とはいえ我々の誰も弦楽器の類は弾けないので、倉庫の中で長らく眠っていたのですが。

 一応、劣化防止の魔術が掛かったケースに入れて保管はしていましたが、きちんとした手入れの方法等は分からないのでそのまま放置していました。

 なので、ちゃんと音が鳴るかは分かりません。」

 予想外に高価そうなマンドリンの登場に固まっていたあたしに対し、父娘は申し訳無さそうに言う。

 「あ〜、これ、かなり高価な代物っぽいのですが、あたしなどが弾いてもよろしいので?」

 高価そうなマンドリンを前に小市民根性が出てきたあたしは、三下のように卑屈な口調で言ってしまう。

 「当然だ。その為に持ってきたのだから。」

 「楽器なんて目で見て鑑賞するのではなく、演奏されてこそ真価を発揮するものでしょう?」

 父娘はあたしの三下発言に対して、呆れたように答えた。

 まあドワーフの職人というものは、見た目の良さ以上に実用性を重視するものだ。

 高価そうな見た目にビビって演奏を敬遠するなど愚の骨頂という意見は、ドワーフとしては当然の価値観と言えるだろう。

 キアラのその言葉に目先の華美さに動揺してしまった自分を恥じたが、同時に気持ちも楽になった。 

 「分かりました。ご厚意に甘えさせてもらって、ちょっと鳴らしてみますね。

 ただこのままの格好ではアレなので着替えだけさせて下さい。」

 「そうだな。場所も変えた方が良いだろう。儂らは先に応接室に行っておる。」

 父娘と一旦別れたあたしは寝室としてあてがわれた部屋に一度戻ると汗を拭いて服も着替え、男装メイクも直してから父娘の待つ応接室へと向かう。

 父娘に初めて会った部屋だ。

 父娘はあたしが入ってきた時、雑談をしていたがお茶を飲む事も無くソファーに行儀よく座って待っていた。

 あたしは父娘にもう一度お礼を言ってからローテーブルの上に置かれたケースの中からマンドリンを取り出す。

 ケースの中に放置されていたという話だったが、一見した所歪んでいる箇所も無く、弦も新品同様に見える。

 保存魔法が掛かっているというこのケースがもしキアラの作であるならそれも納得かもしれない。

 しかし、試しに軽くかき鳴らしてみるとチューニングが狂いまくっていた。

 まあ、保管してきた者に誰も弦楽器の知識が無いのだとしたらそれも仕方がないのかもしれない。

 かなり時間をかけてチューニングを終え、改めてかき鳴らしてみると見た目通りこのマンドリンの音は素晴らしかった。

 見た目だけでなく音も一級品のようだ。

 しかし本格的に弾こうとした所で一つ重要な問題が発覚する。

 あたしの義肢の指が予想以上に動かない。

 最初から上手く演奏出来るとは思っていなかったが、日常生活で使う分には充分動いたと思っていたので、これ程動かないとは思ってもいなかった。

 ただまあ父も、1日演奏しなければ取り戻すのに3日はかかると言っていたし、一週間以上演奏していないとなれば義肢が壊れていなくとも演奏の腕は落ちるだろう。

 演奏技術を元通りにする為には義肢の指を思い通りに動かす訓練だけでなく、演奏の勘自体を取り戻す必要があるという事だ。

 あたしは顔を上げて父娘を見た。

 「馴染ませる為にももう少しこのマンドリンをお借りして練習したいのですが、宜しいでしょうか?」

 「ええ、そのマンドリンもケースの中で眠っているよりは、弾かれた方が本望でしょう。」

 キアラがニッコリ笑いつつ言う。

 しばしば垣間見えるこういう上品な仕草はちょっとドワーフらしくないな、と思ったが勿論口には出さなかった。

 簡単なフレーズを何度も反復練習して義肢の指の動きを取り戻そうとするが、2週間前には簡単に弾けたフレーズが酷くぎこちなくしか弾けない。

 しかしそれでも暫くの間、集中して同じ短いフレーズを繰り返している内に、一進一退ながら次第に指の動きが滑らかになっていき、更に時間を忘れて弾き続けている内にようやく2週間前の感覚を取り戻し始めたのを自覚した。

 これ程長い間義肢を外していたのは初めての経験であり、感覚を取り戻すのがこんなに大変だとは正直思ってもみなかった。 

 だが同時に、初めてまともに音を鳴らせた時、初めて通しで曲を演奏出来た時、初めて客前で演奏してお金を貰えた時といった、父に初めてギターに触らせて貰って以来あたしの音楽人生の要所要所で感じていた感動に近い高揚感を、この時も感じていた。

 そう言えば、マヤと『メリッサのホットミルク亭』でセッションした時に感じた心の動きも、今思い返せば間違いなくそういった感動を伴う経験の一つだったように思う。

 マヤとの付き合いは肉欲と腹の探り合いの両極端に振れてしまっていた気がするが、もしかしたらもっと、あの時感じた自分自身の心の動きを信用しても良いのかもしれない。

 あの時の、あたしの声とマヤの声が初めてハモった時のゾクゾクとした感覚を思い出す内、義肢の指が不器用ながらも自然に動き出していた。

 リハビリとか、技術や勘を取り戻すとか考えずに、少し前まであたしにとっては高価過ぎたて触るのさえ躊躇われたマンドリンを、ゆったりと無心にかき鳴らす。

 どれだけそうしてたのかは分からないが、ふと気づくとローテーブルを挟んで対面のソファーに座っていたドルガ父娘が呆然とこちらを見ていた。

 「ああ、ごめんなさい、すっかりお二人の事を放ってしまって。」

 あたしは少し恥ずかしくなりつつ言う。

 楽器を演奏する人にはままある事だが、演奏に集中し過ぎてしまうと無意識の内に、他人に見せてはいけない様な表情をしてしまう事があるものだ。

 もしかしたらあたしもそういう表情をしてしまっていたのかもしれない。

 「ああ、いや、別にそれは良いんだ。」

 「今まで私、弦楽器というものに興味がなかったのですけど、今の演奏で少し興味が出てきました。」

 ドルガはぎこちなく笑みを浮かべ、キアラは少し興奮したように言う。

 キアラの言葉はお世辞かもしれないが、素直に嬉しく感じた。

 多くのドワーフが弦楽器に興味を持たないのは種族的なメンタリティも理由としては確かにあるかもしれないが、ダリルやラル小父さんといった異人街のドワーフ達が一部とはいえ父やあたしのギター演奏を普通に受け入れていた例もあるし、身近に弦楽器が無いという環境の方が理由としては大きいのだと思う。

 「それで、義肢の具合はどうだ?最初はぎこちなく見えたが、途中から急に動きが滑らかになった気がしたが?」

 ああ、ドルガの方はマンドリンの音色ではなく義肢の指の動きの変化に驚いていたのか。

 やはりドワーフに弦楽器の良さを布教するのは簡単ではなさそうだ。

 「細かい動きについては訓練を重ねるしかないですね。まあ、初めてこの義肢を装着した時よりかはずいぶんと滑らかに動きますよ。1週間もすれば、元の様に動くと思います。」

 「そうか。」

 ドルガはホッとしたように息を吐く。

 「じゃあ、ここで一息入れませんか?もうすぐグエン叔父も来るはずですので。」

 「グエン様が?」

 そういえば、義肢の件で頻繁に顔を合わせていたドルガ父娘と異なり、グエンとは初日以来顔を合わせていない。

 あたしはマンドリンをケースに戻すと蓋を閉め、ドルガ父娘と一緒にお茶の準備を始めた。

 お茶の準備が整い、あたし達3人がソファーに腰を下ろそうとしたタイミングで応接室の扉がノックされた。

 「開いとるぞ。」

 ドルガが言うと、グエンが扉を開けて入ってきた。

 その手には、あたしが父娘に預けた魔剣が握られていた。

 「おお、丁度良いタイミングだったようだな。」

 能天気な口調で言うと、グエンはズカズカと入ってきて、鞘に入った魔剣をローテーブルの上に置いた。

 あたしは少しだけ緊張してグエンが何を言い出すのかと身構えたが、グエンはあたしの隣に腰を下ろすと勝手にカップの1つを手に取り紅茶を啜り始めた。

 「おいおい、お前もこの魔剣について調べたのだろう?何が分かったんだ?」

 どうやら拍子抜けしたのはあたしだけでなくドルガも同じだったようで、呆れた様に尋ねる。

 「この魔剣には、神聖な力も邪悪な力も籠もっていない。つまり純粋な魔法のアイテムで、儂の専門外というのが分かっただけだな。」

 グエンはニヤリと笑った。

 「儂の報告は以上だ。後は兄上とキアラの領分だぞ。」

 グエンの気楽な口調にドルガは毒気を抜かれたように苦笑した。

 「分かった。では、儂とキアラが簡単にだが調べた結果について語ろう。」

 ドルガはローテーブルの上の魔剣を見下ろしながら言う。

 あたしは居住まいを正して話を聞く姿勢を取った。

 「これは武器としても高い性能はあるが、本質的には魔法のアイテムだな。武器としての機能はおまけみたいなものだが、それでいてそこらの魔法の武具より優れているのがまったく腹立たしい。」

 「武器としても一級品だし、持ち手の魔力を上昇させ、秘術呪文を発動させる時の集中力を高める効果もあるので魔術師にとっても有用な代物よ。

 いわゆる『魔術師の杖』としての能力も持っているの。まあ、『魔術師の杖』としての能力は平均的なものだけど。」

 メイジを始めとする秘術呪文の使い手の多くは呪文発動時の魔力消費を軽減し、呪文の制御を助けてくれる補助具を持っている。

 その形状は様々だが、杖の形状が一番容易く製造が可能である事から杖型が最も普及しており、そのとこからこの補助具は『魔術師の杖』の俗称で知られている。

 その能力はまさしくピンキリで、駆け出しでも購入出来る安価な物は気休め程度の力しか無いが、大魔術師御用達の最上級品を用いれば魔力消費が膨大で制御も難しい高レベル呪文でさえ安定して連射出来るらしいが、価格の方も尋常ではないらしい。

 携帯に便利な指輪型の物はもあるが、こちらは作るのが難しい上に高価な魔法物質を原料として使う必要があり、低い性能の物でも価格は跳ね上がる。

 また剣の場合、形状的には向いているらしいが武器としての強度を維持したまま魔術師の杖の能力を付与するにはミスリルやアダマンタイトの様な希少な魔法金属を使用した上に高い技量を持つ鍛冶師でしか鍛えられないとかで、こちらも低い性能の物でもかなり高価になる。

 つまり現時点の説明だけでもこの魔剣トールはかなり稀少価値が高いという事は分かる。

 「でも、この魔剣の本質はそんな事じゃないの。」

 キアラはローテーブルの上の魔剣に目を向けながら声のトーンを一段下げた。

 「この魔剣の本質は、ざっくり言えばドラゴンテイマーとテイムしたドラゴンの魔力的な結びつきを強化するという事なの。そのせいか、武器としての能力を引き出すのにも、魔術師の杖としての能力を引き出すのにもドラゴンをテイムする能力が必要らしいわね。だから、ドラゴンテイマー以外の人には無用の長物とも言えるわ。」

 後を継いで説明したキアラの言葉が終わるまでジッとあたしの表情を観察していたドルガだが、あたしが特に表情を変えなかったのを見てフッと息を吐いた。

 「その辺の所は既に知っていたか。では、お前さんの興味はどうすればこの魔剣を修復出来るかという事か?」

 ドルガの言葉にあたしは頷く。

 「どうやら私はこの魔剣に持ち主認定されたようで、その私が常に身近で携帯していればいずれ自己修復すると聞いていたのですが……。」

 「まあ、それは間違ってはいない。というか、本当の意味での修復はそれ以外に手段はないな。」

 「やはりそうですか……。」

 ドルガ父娘に鑑定してもらっても、結局はマヤの言葉の裏付けにしかならなかったという訳か。

 マヤの話では数百年単位でかかる自己修復が、あたしが携帯する事で数十年単位に短縮出来るという事だったが、数十年もこの魔剣の修復を待つのはやはり長過ぎる。

 その間、この使えない魔剣を常に携帯し続けなけれならないというのも中々の苦行だ。

 あたしが渋い表情で黙り込んでいると、キアラが遠慮がちに尋ねてきた。

 「アストラー王国建国の時代ならともかく、今の時代でこんなドラゴンテイマーに特化したアイテムが果たして役に立つのかと思っていましたが、持ち主認定されたという事はゾラさんは……?」

 発言の最後の方を気を遣ったように濁したキアラに対して、あたしは思わず苦笑しつつ頷いた。

 「ご想像の通りです。」

 キアラも苦笑を返しつつ続けた。

 「この魔剣に限らず魔法のアイテムという物は空中に漂う微量の魔力を吸収して魔力を充填します。更に持ち主を持つアイテムは、それに加えて持ち主からも魔力を吸収し、充填します。

 今、ゾラさんが装着している右腕の義肢もそうやって魔力を充填して動いている訳です。」

 「そうですね。」

 あたしが相槌を打つとキアラは大きく頷いて一呼吸置いてから続けた。

 「魔法のアイテムが持ち主を決定してしまうと、そのアイテムは持ち主にしか使えません。それはゾラさんの義肢などにはむしろ有益な効果と言えますが、例えば今飲んでいるお茶を淹れる為に使用した水を生成する水差しとか、お湯を沸かすポットといった魔法のアイテムとかだと、持ち主を決定するとその人しか使えずに不便になってしまう。だから簡単な魔法のアイテムは敢えて持ち主を指定出来ない仕様になっています。

 では、魔法のアイテムの持ち主を指定するメリットとは何か、というとそれは2つあります。

 1つ目は先程ゾラさんの義肢で言及したように持ち主を限定する事自体に意味がある場合です。要は使える者を限定する事でそれ以外の者には使用出来なくするという事ですね。

 そしてもう1つのメリットは、持ち主からの魔力の吸収量は空中からの魔力の吸収量とは比較にならない程大きい、という事です。

 なので、膨大な魔力を必要とする魔法のアイテムの殆どは、持ち主を指定するようになっています。そして、魔法のアイテムの自己修復能力も膨大な魔力を必要とします。

 とはいえ、この手のアイテムは持ち主の魔力を枯渇させないよう、リミッターが掛かっている事が多い。この魔剣の場合、ゾラさんの魔力が上限の9割になるまで吸収し、9割を下回ると吸収を停止します。」

 キアラからより具体的な情報が出てきたが、結論は変わらないようだ。

 「ではやはり、この魔剣の修復を早めるには……?」

 あたしが余程深刻そうな表情をしていたのか、キアラは困った様に笑った。

 「そうですね、ゾラさんの魔力の上限を上げれば魔剣に流れる魔力の量も増えます。」

 「魔力を上げるとはつまり……?」

 「確実なのは、ゾラさんのレベルを上昇させる事でしょう。」

 キアラの言葉は、むしろあたしを失望させた。

 無計画にクラスを数多く習得したという自業自得な原因ではあるが、レベルが上がりにくいループに陥っているあたしの持つ魔剣の修復を速める方法が、レベルを上げる事だとはとんだ皮肉だ。

 「まあ、レベルを上げる事が最善で正当な手法ではありますが、他に方法が無い訳ではありません。」

 あたしが再び余程酷い顔をしていたせいだろう、キアラの口調が少し慰める感じになる。

 「というと?」

 「最終的にゾラさんから魔剣に魔力を注入する形になれば、大元となる魔力がゾラさん本人のものだろうと、外部からゾラさんにもたらされたものだろうと魔剣にとってはどちらでも構わない、という事です。」

 「どういう事ですか?」

 あたしが尋ねると、キアラはポケットから少し濁った小さな水晶の塊を取り出した。

 「これはお分かりですか?」

 「魔水晶ですよね?」

 あたしの答えにキアラは頷いた。

 魔水晶は呪文を使う冒険者には最もお馴染みと言って良い魔法のアイテムだ。

 呪文を唱える時、この魔水晶を用いれば呪文を唱えるのに必要な魔力の一部、あるいは全てを肩代わりしてくれるので魔術師自身の魔力を温存出来、継戦能力を伸ばす事が出来る。

 しかしこの魔水晶は込められている魔力を使い果たすと砕けて粉末になってしまう使い捨てのアイテムであり、余程資金力のある者でなければ安易に使えない程度の価格はする。

 ある意味、この魔水晶を躊躇無くバンバンと使い潰せるだけの資金力を得て初めて、高レベル冒険者を名乗れるとも言える。

 「呪文を唱える時と同じ要領でゾラさんが魔水晶を使えばゾラさん自身の魔力を消費せずに魔剣に魔力を充填する事は出来ます。

 魔水晶は1つの例です。魔水晶以外にも魔力を肩代わりするアイテムは存在します。まあ、魔水晶が一番安価ですが。

 同様に、魔力を肩代わりするのではなく魔力を回復させるアイテムも有効です。ゾラさんの魔力を上限の9割以上をキープするようにすれば魔剣は休む事なく魔力を吸収し続けられます。」

 「魔力を回復させる……。魔力回復ポーションですか。」

 あたしは、あのポーションの微妙な味を思い出してうんざりした。

 キアラもあのポーションを飲んだ経験があるのだろう、釣られるように苦笑を浮かべた。

 「魔力回復ポーションが一番経済的ですが、あれは一度に大量摂取すると胃が痙攣を起こす事もあるそうですし、長年継続的に服用し続けると心臓に悪影響を与えるという噂もあります。

 この手法を取るならアイテムよりもクレリック等の神聖魔法の使い手に依頼して、魔力回復の呪文を唱えて貰った方が良いかもしれませんね。」

 クレリックが主な使い手である神聖魔法には、自身の魔力を消費して相手の魔力を回復させる呪文が存在する。

 低レベルから使えるこの魔力回復呪文は、治癒呪文と並んでクレリックが冒険者パーティで重宝される理由となっている。

 キアラの話であたしは希望を持ち始めたが、その時黙って聞いていたグエンが渋い顔で口を挟んできた。

 「ちょっと待て。」

 キアラはグエンの顔を見たが、何も言わなかった。

 その表情は、あたしに外部から魔力を供給するという第二案にも致命的な欠陥が存在する事に彼女が既に気づいている事を雄弁に物語っていた。 

 「例えば、儂が他に一切魔法を使わずにゾラさんの魔力を回復させたとして、その魔剣の修復が完了するまでどれだけの時間が必要だと思う?」

 グエンのこの質問で、あたしも第二案の致命的な欠陥に思い至った。

 魔剣の修復には膨大な魔力が必要なのだ。

 「少なく見積もっても、3年はかかると。」

 キアラが申し訳無さそうに答える。

 「儂独りでやるならそんなものか。となると作業的にも金銭的にも現実的とは言えんな。まあ、信者を一万人程集めて大規模な魔法儀式を行えば1週間で終わるかもしれんが。」

 「そっちの方が現実的ではないだろうが。」

 グエンの言葉にドルガが呆れた様に口を挟むが、グエンは悪怯れる様子もなく肩を竦めた。

 「そうだな。それだけの信者を集める事自体不可能だし、仮に出来ても時間が短縮出来るだけで費用は却って嵩むか。」

 クレリック相手でもメイジ相手でも、第三者に呪文を使って貰う時に料金が発生するのは当たり前の話だ。

 術者を長期間拘束したり、術者以外の協力者を大勢雇ったりすれば報酬が跳ね上がるのも当然の事となる。

 冒険者パーティ内で仲間にタダで呪文を行使するのは、あくまで例外的な措置なのだ。

 外部の魔力をあたしを通して魔剣に注入するという第二案も、結局は膨大な魔力が必要になるという点がネックになってしまい、現実的な解決策とはなりそうになかった。

 「結局、時間をかけて解決するしかないという事ね……。」

 あたしがほぼ無意識の内に呟くと、ドルガとキアラは申し訳無さそうに顔を見合わせた。

 それを見て、あたしの方が逆に申し訳なくなってきた。

 キアラ自身現実的ではないと思っていた案をそれでも敢えて口にしたのは、本当にそれ以外の案が存在しないからなのであろう。

 グエンの様な他の分野の専門家が同席していれば、自分では思いつかないような画期的なアイデアを思いつくかもといった願望もあったのかもしれないが。

 そもそも父娘が魔剣を調べてくれたのはあくまで好意であり、あたしにとって不都合な結果が分かったとしてもそれは父娘の責任ではない。

 あたしは取り繕うように笑うと、装着した右腕の義肢を掲げてガチャガチャ動かした。

 「いやいや、お二人にはこの義肢を直して貰って本当に感謝してるんですよ。改めてありがとうございます。」

 あたしのわざとらしい話題の変え方に父娘の顔に思わず失笑が浮かぶが、すぐにキアラが真面目な表情になって言う。

 「修理して改めて感じたけど、その義肢、かなり出来が良い代物ですよ。制作者に感謝しないといけませんよ。」

 「ええ、本当にそうですよね。」

 あたしは最初、単なる相槌のつもりで言ったが、自分で言葉にした後で本当にその通りだと実感する。

 「この義肢についても勿論そうですが、特に鍛冶の方を担当したダリルには幼い頃から世話になりっぱなしで、感謝してもし切れない程です。」

 いささか感傷的になりつつ、あたしはボソボソっと独白する。

 そのあたしの様子を見ていたドルガが、グエンにチラリと視線を走らせた。

 兄に比べて何時もはお気楽な印象のグエンが妙に神妙な顔になり、ドルガに向けて小さく頷く。

 それを見ると、ドルガは一瞬躊躇ってからオズオズと尋ねてきた。

 「そのダリルさんは今、元気かね?」

 この前と同様、ダリルの話題になった瞬間にドルガだけでなくキアラやグエンまでもが挙動不審になるが、あたしはそれに気づかない振りをして答える。

 「元気と言えば元気ですが、今、彼女は妊娠しています。それ自体はおめでたい事ですが、過去に流産を経験しているみたいですし、色々と心配な所ではありますね。一応、今は安定しているみたいですが。」

 あたしの言葉に、ドルガの顔が一瞬だけ緩む。

 「そうか。」

 ドルガ父娘やグエンの態度、それに事前に手伝いのドワーフ達から聞いた噂話からあたしはドルガ達とダリルの間に何らかの関係があった事は察していた。

 それも決して良好とは言え無さそうな関係だ。

 だから興味はあったが、かと言って興味本位で訊くべき事案でもないと質問は控えていた。

 しかし今のドルガ父娘やグエンの様子を見て、むしろ彼らはあたしからの質問を待っている様な気がしてきた。

 「この義肢の制作者のダリルと、あなた方は知り合いなのですか?」

 思い切ってあたしがそう質問すると、ドルガは一瞬目を泳がせてグエンを見たが、グエンの態度も兄と似たようなもので、明らかに浮足立っていた。

 だがキアラが軽くドルガの肩を叩くと、ようやく彼も少し落ち着きを取り戻し、決意を固めたように1つ咳払いをすると前置きを始めた。

 「君の知っているダリルとは同名の別人の可能性もあるが、儂らもダリルという名のドワーフの娘を知っている。いや、知っていたと言うべきかな?」

 煮えきらない言葉ではあるが、ダリルという名前はドワーフの女性名としては特に珍しい名前ではないので、確かに同名の別人の可能性はある。

 「歳はこのキアラとほぼ同じだ。お前の方が3歳くらい下だったか?」

 「そうね。」

 キアラは頷くが、正直余程の年寄りか逆に子供でもない限り外見からドワーフの年齢を判断する事は、未だあたしには至難の業だ。

 「その、君の知っているダリルさんはハーケンブルクの出身かね?」

 「いえ、出身地はハーケンブルクの外のはずです。ただ、具体的に何処の出身なのかは私も知りません。」

 「ハーケンブルクに移ってきたのは?」

 「私が物心ついた頃には既に住んでいたので、40年以上前なのは確かです。」

 あたしの言葉にドルガとキアラは視線を交わし、キアラが口を開いた。

 「8割方、あなたの言うダリルは私達の言うダリルと同一人物でしょうけど、今の所確実とは断言出来ませんね。その上で、私達はあなたに聞いてもらいたいと思っています。」

 キアラの言葉にあたしは頷いた。

 「聞かせてもらえますか?」

 ドルガは一つ大きく息を吐いてから話し出す。

 「儂らの長兄の娘も、ダリルという名前だった。」

 ドルガは今の短い発言だけで体力を大きく消耗したかのように息を吐くと、しばし間を置いた。

 親しくなったドワーフ達は聞いてもいないのに代々ゲーゲンの頭領を努めてきたドルガ達の一族について詳しい事まで話してくれた。

 そのせいでドルガが次男という事まで分かったのだが、ドルガの兄である長男についてはそれまでの口の軽さが嘘のように、誰も話そうとはしなかった。

 元々ドルガの家族構成などにさして興味が無かったあたしではあったが、そのあからさまな態度の豹変に逆に好奇心を刺激され、それとなく一度質問してみたが、せっかく仲良くなったドワーフ達との関係が一気に悪化しそうな気配を感じたので、早々に話題を変えて誤魔化した。

 その、ここゲーゲンで禁忌扱いされていそうなドルガ兄弟の長兄の娘がダリルという事となると、具体的な事がまるで分からない現時点であっても、ドルガ達の態度が妙になってしまうのが納得出来るような気がする。

 しばらく経ってからドルガは、その重い口を再び開いた。

 「長兄は儂の前のゲーゲンの頭領であったが、長兄は平たく言えば暴君であった。だが、兄の統治した時代について儂が断罪するのは控えよう。というのも長兄を糾弾し、長兄に反旗を翻したのは次兄である儂を筆頭とした者達だったからだ。そこにいるグエンも謀反に参加しておる。その当事者たる儂らがこの件について公正に語れるとは思えんし、君ならこの件について後々幾らでも調べる事も出来よう。

 結果、長兄たる兄は自害し、儂は新たな頭領となった。

 だがしかし、兄は罪を犯したが、その家族についてはまた別だ。儂らは兄嫁も姪も罪に問うつもりは毛頭なかったのだが。」

 「そうは言っても兄嫁も姪も、そんな事はとても信じられなかったでしょうな。我々は彼女達にとっては仇でしょうし。」

 絞り出すように語るドルガの後を、彼よりは少し淡々とした口調のグエンが引き継ぐ。

 「兄嫁は姪を連れてここゲーゲンを出奔し、その後ハーケンブルクに向かったと噂に聞いた。だが儂はその噂の真偽を確かめようとはしなかった。

 儂は今でも長兄を誅した事は後悔しておらんが、その妻子についてはもっと違ったやり方があったのでは、と思う事はある。最近は特にそうだな。」

 重苦しく語るドルガの話を聞いている内に、あたしはふと幼い頃の記憶を思い出した。

 ダリルの家には昔、ドワーフの年齢を見分けるのが下手なあたしでさえ一目で年嵩と分かる程老け込んだ、ドワーフの女性が住んでいた。

 ただその年嵩のドワーフ女性は引きこもりがちで、ダリル自身も彼女を他人に会わせたがらなかった気がする。

 直接顔を合わせたのはほんの数回だけだったが、幼かったあたしはその年嵩のドワーフ女性が怖かった。

 言う事は支離滅裂だし、家から殆ど出ないのに大量のアクセサリーをジャラジャラと身につけて着飾り、何の前触れもなしに突然癇癪を起こす。

 『あの人は、可哀想なのよ。』

 あの年嵩のドワーフの女が怖いとあたしが言った時に母が返した言葉が、その時の母の困ったような表情と共に蘇る。

 あたしが何歳の時かハッキリとは覚えていないが、その年嵩のドワーフ女性の葬式に参列したような記憶もある。

 喪主のダリルは悲しんでいるというより、只々疲れていたように見えた。

 「ダリルがゲーゲン出身という噂はありましたが、それを確認しようとしても彼女は何時も明言を避けていました。」

 あたしが口に出して言えたのは、それだけだった。

 暫く無言でぬるくなったお茶を淹れ直したり、お茶をすすったりしていたあたし達だが、空気を変えるようにキアラが不自然に明るい声を出しながら言う。

 「それで、ゾラさんはこれからどうするつもりなのですか?」

 確かに、ゲーゲンでやるべき事はほぼ終えてしまった。

 紹介状には暫く匿って欲しいとヨハンナは書いていたみたいだし、そうするのが正しいのかもしれない。

 今、ハーケンブルクに戻ってもあたしに出来る事が何も無いばかりか、逆に大事に想っている人達に迷惑をかけるだけの可能性も高い。

 でも正直、何もせずにジッとしているのも限界だった。

 少し時間を取って考えた後、あたしは口を開く。

 「取り敢えず、明朝にはここを出てハーケンブルクに……。」

 「ちょっと待って下さい。」

 キアラが険しい声であたしの言葉を遮った。

 最初はあたしのここを出るという決意を翻そうとしたのかと思ったが、すぐにそういう事ではないと気づく。

 キアラから少し遅れてあたしも、あたし達の今いる部屋の一角で急速に魔力が集中し始めている事に気づいたのだ。

 明らかに何らかの呪文が発動する前兆だった。

 それもかなり強力な呪文だ。

 呪文というものは特別な事前準備でもしない限り目視出来ない場所に発動する事は出来ないので、常識的に考えれば部屋の中にいるあたし達以外に呪文は発動出来ないはずだ。

 そのあたし達の誰もが呪文など発動していないのに、現実に何らかの強力な呪文が完成しつつある。

 「こりゃ、いかん!」

 グエンが叫ぶと、立ち上がって部屋の一角の魔力が集中している場所とあたし達との間に対魔法防御の結界を構築すべく、呪文を発動し始めた。

 グエンの唱えた呪文から感じる魔力の量からも彼が高レベルのクレリックである事は確かだったが、それでも集中しつつある魔力の方がより強力で、グエンの結界呪文では威力を弱める事は出来ても完全に防ぐ事は出来なさそうだ。

 チラリとキアラを見ると、あたしやグエンより先に魔力の集中に気づいた彼女ではあったが純粋な技術者である彼女は荒事には慣れていないのだろう、この異常事態でパニックに陥ったらしく呆然とした表情でソファーに座ったまま固まっていた。

 次いでドルガに視線を向けると、彼は立ち上がって油断なく周囲を見回していたが、あたし達の行動で異常事態には気づいたものの、その異常事態の具体的内容には全く見当がついていないようで、あらぬ方向ばかりを見回していた。

 そのドルガとあたしの視線が交錯した。

 「伏せて!呪文が来る!」

 あたしはドルガに向けてそう叫ぶと、ソファーの背もたれに止まっていたノエルを両手で掴んで胸に抱え込み、足元に伏せていたジーヴァの上に覆い被さった。

 ドルガの方もはあたしの言葉と行動に即座に反応し、固まっていたキアラを抱え込みながら床に伏せる。

 効果があるかは甚だ疑問ではあったが、少しでも遮蔽を取る為にローテーブルの下に潜り込むと、グエンに倣って魔法防御力を上昇させる呪文を発動させる。

 元々あたしの魔力自体低い上に呪文詠唱を省略したため、気休め程度の効果しか無いであろうが、やらないよりはましだ。

 「こりゃあ、まずいな。」

 防御結界を完成させたグエンであったが、自身の結界では来たるべき呪文の効果を完全には防げないと思ったのか、不穏な言葉を呟くと少しでも遮蔽を取ろうと膝立ちになってソファーを盾にする。

 直後、魔力が集中していた地点が白い閃光を放ち、部屋中の空気が渦を巻くのを感じた。

 あたしは炎か吹雪か、あるいはそれ以外の何かかは分からないが、来たるべき魔法の衝撃に備えて身を硬くした。

 しかし何事もなく白い閃光は一瞬で消え、部屋の中で渦巻いていた空気の流れも急速に落ち着いていく。

 それでもあたしは油断せずに腰のショートソードに手を伸ばしつつゆっくりと顔を上げた。

 部屋の中は何事も無かったかのように静けさを取り戻していた。

 ただ唯一先程までと異なるのは、今までこの部屋にはいなかった人物が、部屋の中のまさに魔力が集中していた場所に立っていた事だ。

 「あれ?皆で何しているの?」

 ヨハンナの呆れたような声が、静けさを取り戻した部屋に響いた。

 「……何しているは、こっちの台詞よ。」

 あたしは立ち上がりつつ低い声で言う。

 「何の前触れも無くあんな膨大な魔力の集中が起こったら、強力な攻撃呪文が撃ち込まれると思うのは当然の感覚だと思うのですけど?」

 あたしに続いてキアラも立ち上がりつつ低い声を出す。

 というか、キアラの声の方があたしより低く感じた。

 彼女、もしかしたらあたし以上に怒っているのかもしれない。

 「まったく、儂もこれで最期かと肝を冷やしたわ。」

 グエンも冗談めかした口調で言ったが、目は全く笑っていなかった。

 「ああ、ごめんなさい。そこまでは思い至らなかったわ。」

 ヨハンナは神妙な表情で素直に謝った。

 幼少の頃はともかく、成人してからのヨハンナはあたしと違って常識人の印象があったので、こういう突飛な行動を取るのは意外な気がした。

 いや、この前も突然風呂に入ってきたし、副ギルド長を辞めた事でタガが外れて、あたしも知らない素が出てきているのかもしれない。

 いや、ストレスの多い副ギルド長の立場から開放された直後だから、反動で今だけはっちゃけているだけだという事にしておこう。

 それに重要なのはもっと別の事だ。

 ヨハンナが平然とした顔をしてるのでつい感覚がおかしくなってしまうが、今彼女がやってのけたのは尋常ではない事だ。

 「まあ、あんたに常識が欠けていた事は置いておいて、あんた瞬間移動の魔法使ってここに来たんだよね?ていうか、長距離瞬間移動の魔法なんて初めて見たわ。」

 一瞬にして遠隔地に移動出来る長距離瞬間移動の呪文は距離の概念を破壊する高度な呪文で、ヨハンナ以外で使える者は、西方では5人といないであろう。

 「短距離の瞬間移動なら見た事はあるが、ハーケンブルクからここまで転移してくる事が可能とは正直思わなんだ。」

 おそらくクレリックとして長い経歴を持つであろうグエンも感心したように言う。

 実は高レベルの魔術師の中には、目視可能な範囲ならば戦闘中に短距離瞬間移動を戦術的に行う者もいる。

 ウィンドドラゴンのテンペストもそれを使ってカミラの強力な魔法を回避してたっけ。

 だが、長距離瞬間移動の呪文は短距離瞬間移動の呪文とはまるで次元の異なる代物だ。

 「ただ、長距離瞬間移動の呪文の発動には目標地点を明確に記憶している必要があるはずです。それが不可能な場合は、特殊な魔法のアイテムを目標地点に予め用意しておく事が必要だと聞いています。」

 キアラの声が未だ剣呑なのは、自分が知らない内にヨハンナがこの部屋に魔法のアイテムを仕込んだ可能性に思い至ったからだろう。

 だがあたしはすぐに、それはキアラの勘違いだと思った。

 「ヨハンナがこの部屋に入った事は?」

 「2、3回ありますが、瞬間移動の呪文の発動には正確な絵や図面を描けるくらい完璧に記憶する必要があると……。」

 「なら、ヨハンナには可能ね。この娘一度見た事は忘れないのよ。」

 「え?」

 キアラはあたしの言葉の意味が咄嗟には理解出来ない様子で訊き返す。

 「この娘の記憶力は異常なの。一度見た物は完璧に覚えていて、決して忘れないの。」

 「マジか……。」

 呆然としたせいか、キアラの口調が普段の上品な話し方とは全く異なるものになっていた。

 あたし達の賛美というよりドン引きに近い反応をスルーしつつヨハンナは言う。

 「勿論、あたしでも長距離瞬間移動は簡単じゃないわ。ほら。」

 そう言って、ヨハンナは懐から布袋を取り出してキアラに渡した。

 キアラは布袋の口を開いて中を覗き込むと、顔を顰めてあたしに無言のまま差し出す。

 受け取ったあたしが中を覗き込むと、そこにはキラキラと輝く白みがかった半透明の砂粒が詰まっていた。

 「砂粒?」

 「今はね。少し前まではかなり大きな魔水晶だったはず。」

 キアラの言葉に、あたしは唖然となった。

 「もしかして、1回の呪文発動で巨大な魔水晶を使い潰したの?」

 魔水晶は先程キアラが見せたような親指の先程の大きさ位の物が一般的で、それを使えばあたしがよく使う電光の呪文1回分程度の魔力を肩代わり出来るが、その大きさの物でもあたしの10日分の生活費が軽く消えてしまう価値がある。

 大きな魔水晶は大量の魔力が籠もっているせいで実用性が飛躍的に高まるだけでなく、滅多に見つからない事から希少価値も加算され、値段も天文学的な物になるはずだ。

 砂粒と化した残骸の量と布袋の大きさから元の魔水晶の大きさが拳2つ分を超えるくらいだった事は容易に推測出来る事から、少なく見積もってもあたしが冒険者として2、3年かけて稼ぐ金額でも届かないくらいの価値はあっただろう。

 「どれくらいの価値があるものなんだか……。」

 あたしがボソッと呟いた言葉を、ヨハンナは耳聡く聞いたらしい。

 「まあ、安くはないわね。でも、それだけ緊急の用件が出来たのよ。」

 「緊急の用事?」

 あたしの緊張感が一気に高まる。

 「ナギさんが拉致された。」

 淡々と語るヨハンナの言葉に、あたしは凍りついた。

 「いつ!?」

 あたしの剣幕に、3人のドワーフがビクッと身体を震わせた。

 あたしのリアクションを予想していたのか、ヨハンナだけは全く動じる気配はなく答える。

 「まだ1時間経ってないから、急げばまだ奪還出来る。詳しい事は向こうで話すから。」

 そう言うと、ヨハンナはドルガ父娘に近づいた。

 「そういう理由ですので、今から姉を連れて帰ります。これは姉の義肢の修理費用に滞在費用、その他諸々です。不足があれば後ほど別途支払いますので、その際は明細を用意しておいて下さい。」

 「あ、ああ。」

 緊急事態という以外は事態を今ひとつ把握していないらしいドルガ父娘だったが、淡々と語るヨハンナの勢いに押される様に彼女が取り出したおそらく金貨が入っているであろう革袋を受け取ると、中身を確認する事無く頷いた。

 「バタバタしてすみません。落ち着いたら改めて挨拶に伺いますので。」

 淡々とその場を仕切るヨハンナに流されかけるが、一応世話になったのはあたし自身の方なので、一応あたしも自分の言葉で挨拶する。

 「え〜と、御三方には色々とお世話になりました。本当にありがとうございます。機会があればまた改めてお礼に参りますので。」

 「ああ、色々と大変そうだが頑張ってくれ。」

 「まあ、あまり根を詰めるなよ。」

 「その、お元気で。」

 あたしの取って付けたような挨拶にドワーフ3人組も、混乱しつつもそれなりに気を遣った挨拶を返してくれた。

 「じゃあ、呪文の準備を始めるわね。」

 ヨハンナが右手で杖を握り直し、左手に新たに懐から出した先程とよく似た布袋を持つ。

 帰りも長距離瞬間移動の呪文を使うとなればまた高価な魔水晶を使い潰すのだろうが、あたしなどは例え呪文が使えたとしてもこれ程高価な代物をポンポンと使い潰すのにはどうしても抵抗を感じてしまう。

 貧乏性の姉と違って、妹は必要とあれば躊躇なく高価な物でも使い捨てに出来るタイプらしい。

 「じゃあ姉さん、あたしの杖をしっかり握って。転移が完了するまで離しては駄目よ。」

 「あ、うん。」

 あたしは言われるがままにヨハンナの杖を掴む。

 ヨハンナの杖は確か、アビスの深層で見つけたかなり強力な逸品だったはずだ。

 軽減出来る魔力量もかなりのものになるはずだが、長距離瞬間移動の呪文はその杖を使ってさえ膨大な量の魔力を消費してしまうという事か。

 「ノエルとジーヴァは、姉さんがしっかりと魔力の繋がりを意識していれば一緒に転移出来るはず。ただ万が一の事故に備えて、姉さんと身体の一部でいいから接触を保つ様に。」

 ヨハンナの注意を受け、あたしはヨハンナの杖を握る位置を少し下にずらしながら屈むとジーヴァの身体を右腕の義肢で抱えつつその身体があたしの太腿に触れるようにし、ノエルはあたしの右肩に乗ると身体をあたしの右頬に密着させてきた。

 ジーヴァは構わないが、ノエルは中々にウザい。

 「準備出来たわね。じゃあ、ドルガ様、グエン様、それにキアラ、私達はこれで失礼します。」

 ヨハンナはドワーフ達にそう挨拶すると、ブツブツと小声で長い詠唱に入る。

 ヨハンナのこれだけ強力な高レベル呪文を間近で見るのは何気に初めてかもしれない。

 焦点の合っていない様に見える半眼で呪文の詠唱を続けているヨハンナの持つ杖を中心に、魔力が渦を巻くようにして集まっていくのが、特に集中していなくとも分かった。

 あり得ない魔力の集中に、本能的な恐怖を感じて思わず萎縮してしまう。

 長い呪文の詠唱の末に、ヨハンナは呪文を完成させる最後の一節を叫ぶ。

 「旅人を阻む雲を貫く高峰、荒れ狂う大海、果てのない砂漠の理は、我が魔力の理の前にはその意味を失おう。 その千里の道を、我が魔力の翼は刹那の時を以て超えよう!」

 呪文の完成と共に、あたしの視界は白い閃光に包まれた。

 それと同時に、経験した事のある浮遊感に全身が包まれた。

 瞬間移動の呪文なんて初めて経験したはずなのに、とあたしは一瞬思ったが、直ぐに何度もアビスに潜る際に使用するテレポーターを使用した時と全く同じ感覚だと気づいた。

 馴染み深いテレポーター酔いに陥る感覚の前兆を感じつつも、あたしの心は拉致されたというナギの安否に支配され、気が急いてしまうのをどうする事も出来なかった。




 読んで下さりありがとうございます。

 次回の投稿は12月上旬を予定しています。

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