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第4章 三つ首の竜 5

 このエピソード以降では、最初から2025年6月以降に変更した固有名詞を使用しています。

 未だ固有名詞の変更が行われていない投稿済みエピソードもあり、読者の方々を混乱させている可能性がありますが、どうかご容赦下さい。


 2025年7月18日

 少しだけ加筆修正しました。

 老人らしからぬ爛々とした目つきであたしを凝視していたルドルフは、ふとあたしの斜め後ろに立っていたマヤに視線を移した。

 「間違いないか?」

 「間違いないわ。」

 マヤの返事に頷くと、ルドルフは掠れ気味だがそれでいてハッキリとした力強さを感じさせる声で言った。

 「では皆、暫く退室してくれ。」

 「分かりました。」

 部屋に居た面々は口々にそう言うと、ルドルフに一礼をしてから続々と退室していく。

 何となく彼らを見送っていると、マヤも彼らと一緒に部屋から出ていこうとしているのに気づいてあたしは少し慌てた。

 「ちょっと、あんたは残るんじゃないの?」

 男声を装うのも忘れてそう尋ねると、マヤは意地の悪い笑みを浮かべた。

 「いいえ、あたしも部屋を出るわ。」

 マヤはあっさりとそう言うとあたしが何かを言う間もなくさっさと出ていき、その直後に最後まで残っていた執事のクンツも扉を閉めて退室してしまった。

 「なんだ君達、喧嘩でもしているのかね?」

 あたしが呆然と閉じられた扉を凝視していると、背後から声がかかる。

 「そういう訳では……。」

 あまりに自然に声を掛けられたのでつい普通に返事をしかけたが、あたしはすぐに我に返って振り返る。

 声を掛けてきたのは当然、あたし以外で唯一この部屋に残っているルドルフだった。

 ルドルフはさして興味が無さそうな顔であたしの事を眺めていた。

 「……私達の事、どれくらい知っているのですか?」

 少し悩んだ後、あたしは一応男声を作って尋ねる。

 「あ〜、儂に対して声を作って話す必要はない。儂はな、無駄が嫌いなんだ。」

 ルドルフは面倒くさそうに軽く手を振って前置きしてから、真面目くさった表情で話を続ける。

 「先程の質問に答えると、肉体関係はあるが恋愛感情はお互い持っていないという風に君達の関係を認識しているのだが。」

 別にあたし自身、マヤとの関係に特別な物もロマンチックな物も感じてはいなかったが、第三者であるルドルフに淡々とした口調で表現されると、酷く陳腐で俗っぽい関係に感じられてしまう。

 「マヤから訊いたのですか?」

 あたしの問いに対して、ルドルフは全く表情を変えずに言う。

 「儂は何か情報を得る時は、常に複数の情報源から仕入れる事で精度を高めるようにしている。」

 「つまり、複数の人間が私達の関係について知っていると。」

 「君達自身、特に隠しているようには感じなかったが?」

 「別にやましい事でもないですし。」

 「それはそうだ。儂だって君達の関係について言及したのは単に訊かれたから答えただけだし、君達の関係ついてあれこれ評価するつもりなど端から無いからな。」

 そう言われてあたしは言葉に詰まった。 

 ルドルフの言う事は一々尤もであり、それ故に会話のペースを完全に相手に握られてしまった気がした。

 「そんな所に突っ立っていないで座ったらどうだ?」

 あたしが言葉に詰まっていると、ルドルフが穏やかでさり気ないが、同時に有無を言わせない圧を感じさせる口調で言ってきた。

 確かにあたしは、部屋の入口近くで突っ立ったまま喋っていた。

 「……失礼します。」

 ルドルフに対して自覚が無いまま自然と下手に出てしまう自分の態度に気づき、何とかそれを軌道修正する為にも平常心を取り戻そうと自分自身を鼓舞しつつ、あたしは彼のベッドから少し離れた椅子に近付き座ろうとする。

 「すまんが、正直声を張るのがしんどくてな。もう少し近くに来てくれると助かるのだが。」

 しかし、平常心を取り戻そうとする出鼻を丁度挫くようなタイミングで、ルドルフがそう声を掛けてきた。

 偶然か意図的なのかは分からないが、そのタイミングの悪さに少し苛つく。

 だが、こんな些細な事で苛立つのは流石に狭量過ぎると思い直し、あたしは誤魔化すように愛想笑いを浮かべるとルドルフの枕元の椅子に座り直した。

 その間、ルドルフは黙ったままその鋭い目でジッとあたしの動きを凝視していた。

 何だか一挙手一投足を値踏みされているようで、居心地がすこぶる悪い。

 居心地の悪すぎる沈黙を打ち破るべく自分から何か話を切り出そうとするが、場の雰囲気に呑まれてしまったせいか頭の働きがどうにも鈍く、切り出すべき言葉が何も思いつかない。

 そんなあたしを気遣った訳ではないのだろうが、有り難い事にルドルフの方から口を開いてくれた。

 「さて、知っているとは思うが一応自己紹介させてもらおう。儂はアールワース商家の当主であるルドルフだ。そして、一応確認させてもらうが、君はゾラ君で間違いないな?」

 男装している状態で女性名の本名を名乗るのは妙な気もしたが、先程無駄が嫌いと言っていたし素直に認める事にする。

 「ええ、ゾラで間違いありません。」

 あたしの答えにルドルフは小さく頷いた。

 「まずは儂の呼び出しに応じてくれた事に対して礼を言わせてもらおう。君の今の立場を考えれば、儂の呼び出しが無理難題である自覚はあったのだが、君とはどうしても一度、直接会って話したかったのでね。」

 あまり熱量を感じさせない淡々とした口調だったが、その目つきは相変わらずあたしを品定めしているかのように鋭い。

 その品定めをするような目つきが気に入らなかったあたしは、こちらからも探りを入れてみる事にする。

 「リスクで言えばルドルフ様の方が大きいのでは?お尋ね者の私と会ったのがバレれば大スキャンダルです。そうなれば、失うものは私より大きいでしょう?

 せめて直接会うのではなく、誰か間に人を挟めば幾らかリスクは軽減出来たでしょうに。」

 「それは全くその通りだが、それでも君とは直接会いたかったのでね。」

 「私自身にそのリスクに見合う価値があるとは思えないのですが?」

 決して自虐的な気持ちではなく、普通にあたしはそう思う。

 「儂のリスクは儂自身にしか背負えん。故に、君と直接会う価値とそれによるリスクを天秤にかけ決断するのは君ではなく儂自身がする事だ。」

 「まあ、あなたがそう仰るのであればそうなのでしょう。」

 丁寧な口調を心掛けはしたが、我ながら投げ遣りな物言いになってしまった気もする。

 だがルドルフはあたしの物言いに対して気分を害した様子も見せず、ベッドの上で姿勢を正すと静かな口調で切り出した。

 「よろしい。では時間もあまり無い事だし本題に入ろう。今この街の状況はとても良いとは言えない。」

 「そうですね。」

 あたしは頷く。

 「君は自分を嵌めた連中について、確証は無くても心当たりくらいはあるだろう?」

 「あなたを含むこの街の指導者の方々について、私は噂以上の事は知りません。だから私は、自分の推測を検証する術を持たないのです。」

 あたしの言葉にルドルフは頷く。

 「自分を飾らない率直さは好ましい資質だ。さて、私が君を呼んだ理由の1つは情報の擦り合せにある。」

 「では、1つ質問しても良いですか?」

 「うむ。」

 「スラムの闇ギルド『獣牙』が異人街で派手な事件を連発して意図的に治安悪化を引き起こした事は分かっています。ですが、『獣牙』を雇った黒幕が分かりません。黒幕が誰か、ご存知ですか?」

 あたしの質問に、ルドルフは少し考え込む。

 「直接的な黒幕、という意味ではラドリッチ商家の当主であるカールだな。」

 ルドルフの言い回しにあたしは眉を顰める。

 「『直接的な』とはどういう意味ですか?」

 「君も、いわゆるこの街の旧守派と本土の反動貴族が結びついている事は知っているだろう?」

 「はい。」

 「反動貴族共は自分の子飼い共をこの街の色々な組織に潜り込ませたりしてはいるが、他所から来たばかりの新参者に出来る事には限りがある。だから連中の手先となってこの街の旧守派共を取りまとめ、実際に陰謀を差配しているのがラドリッチ商家のカールという訳だ。」

 「なるほど。」

 納得はしたが、今一つピンとこない。

 「腑に落ちないといった顔だな。」

 ルドルフが真面目くさった顔で言う。

 「いえ、先程も言ったように、この街の指導者達については良く知らないので実感が湧かないだけです。」

 あたしがそう言うと、ルドルフは意地の悪い笑みを浮かべた。

 「まあ、確かにあいつは長年ラドリッチ商家の当主をやっている割には影が薄いよな。」

 その言葉にどう反応すれば良いのか分からず、あたしは押し黙ってしまう。

 ルドルフはすぐに真面目な表情に戻ると先を続ける。

 「まあ、あ奴の気質は良くも悪くも指導者というよりかは実務屋だ。それ自体は何も悪くはないが、問題はあ奴自身が自分の気質を分かっていないという事だな。まあ、当主の息子として生まれたからには当主の地位を受け継ぐのが当然、と考える者共に囲まれて育ち、その環境を疑いもせずにあの歳まで生き続ければもう変わりようもないだろうが。」

 上から目線なのは気になったが、ルドルフがラドリッチ商家のカールの人柄について良く知っている事だけは伝わった。

 「ではラドリッチ商家の当主が、本土の反動貴族の命に従って実際に陰謀を主導していると?」

 あたしの言葉に対して、ルドルフは皮肉っぽく笑った。

 「外から客観的に見ればそうなるな。

 だが困った事に、カールの目線で見れば状況は全く異なるのだ。あ奴は完全に自分がこの件のイニシアチブを取っていると疑いなく思っているし、だから本土の反動貴族の手先になっている自覚はない。

 むしろあ奴の中では、反動貴族共の力を上手く利用して、彼らを上手く御しているつもりでさえいるのだ。」

 あたしの理解力が低いのか、どうも話しについていけない。

 「あの、ルドルフ様は本土の反動貴族達がこの街に攻め込む準備をしているのをご存知ですか?」

 当然ルドルフなら知っているだろうと思って尋ねてみると、予想外に彼は驚いた顔をした。

 一瞬失言だったかと後悔しかけたが、直ぐに彼は面白そうに笑った。

 「当然知っておるよ。貴族の私兵共を運ぶ為にラドリッチ商家とモリソン商家が船と船員を供与している事もな。しかし、君がそれを知っているとは思ってもみなかった。」

 「私が自分で情報を集めたのではなく、単に人から教えてもらっただけですから。」

 「そうか。」

 更に愉快そうに笑うルドルフを見て居心地の悪さを感じたあたしは、急いで話を元に戻す。

 「反動貴族の中にはこの街の自治権を未だに認めていない者も多いと聞き及んでいます。そうした連中の手を借りてこの街の支配権を取り戻したとして、その先カール様が傀儡以上の存在になれるとも思えないのですが。」

 「その点に於いては儂も君と同意見だ。だが、この件を理解するには客観的な見方よりカールの主観を理解する方が重要なのだよ。」

 そう言ってからルドルフはその鋭い目であたしをジッと見た。

 「儂の目には君は理性的な人間のように見える。そして恐らく自分以外の人間も、程度の差こそあれ理性的であると思っているのだろう。だが実際は生まれながらにして理性を持ち合わせておらん輩も少なくないし、元々理性的であった人間が変わってしまう事もある。

 それに、いつも理性的な人間が時と場合によって一時的にそれを失ってしまう事だってあるだろう。恋愛なんてその最たる例ではないか?」

 ルドルフはそう言って意味有り気に笑った。

 「何が仰りたいのですか?」

 訳知り顔のルドルフに対してムッツリとした表情で答えると、彼も真面目くさった表情に戻った。

 「先程も言ったが、カールは自分が反動貴族共を御せると信じている。儂にしてみれば思い上がりも甚だしいが、カール本人がそう信じているからこそ逆に、本土の反動貴族共に良いように利用され、それに気づきさえしないのだ。」

 あたしは小さく溜め息を吐いた。

 「ルドルフ様の話を聞く限りでは、カール様は正常な判断力を失っているとしか私には思えませんが?」

 あたしの言葉を聞いて、ルドルフの顔にまた意地の悪い笑みが浮かんだ。

 「あ奴からしてみれば、君の所の大将やグウィン商家のエリザベータこそ正気を失っているように見えているのだろうよ。

 あ奴の感覚ではこの街はあくまで自分達の所有物なのだ。だから自分達が支配者であるのが当然であり、そうでないのは異常事態という感覚なのだろう。異常事態を正す為には大抵の手段は正当化されるだろう?」

 ルドルフの言葉を聞いて、あたしはあのイザベラを思い出した。

 「私には、カール様と反動貴族の考え方が、枝葉は違ってはいてもその根本が全く同じように思えるのですが。」

 あたしの言葉に、ルドルフの意地の悪い笑みが更に深まった。

 「今の君の言葉を連中が聞けば、どちらも顔を真っ赤にして全否定するだろうが、実際の所は君の言う通りだろう。まあ、権力の世襲化という意味では貴族もこの街の大商人も大差ないのだから、同じ様な思考法になるのは冷静に考えれば当たり前の話ではあるのだがな。」

 「でも、根っこの考え方が同じとはいえ、何時までも共闘関係が続くとは限りませんよね?」

 「うん?」

 あたしの質問が言葉足らずだったのか、ルドルフが訊き返す。

 「もしカール様の思惑通りに旧守派がこの街を制圧した場合、今度は旧守派とそれに協力した反動貴族の間での争いになりますよね?」

 あたしの質問に対してルドルフは嘲笑めいた笑みを浮かべた。

 「まあ裏での暗闘で収まるか、街を焦土にする様な全面戦争に発展するかは分からんが、間違いなくカールと反動貴族はこの街の支配権を巡って決裂するだろうな。だが、そういう状況を儂は生きて見る事はないだろう。儂が生き残る唯一の方法は連中がこの街を手に入れるのを阻止する事だ。それに失敗したらどうせ儂は生きてはおらんだろうし、死んだ後の事を考えても仕方あるまい。」

 ルドルフのこの言葉は、あたしにとって意外なものだった。

 あたしの中のルドルフのイメージは、自身は旧守派と革新派の両方に良い顔をしつつ裏で両者の対立を煽り、上手く立ち回ってキャスティングボードを常に握って漁夫の利を得ているというものだった。

 今回の旧守派と革新派の争いでも、どちらが勝っても自分だけは生き残る算段くらいはしているであろうし、何なら旧守派の勝利後に旧守派と反動貴族の争いが起こってもむしろそれを利用して、再びキャスティングボードを握る計略くらい考えていると思っていたのだが。

 あたしは黙ったままだったが考えが顔に出てしまっていたのだろう、ルドルフがクックッと小さく笑った。

 「そんなに意外だったか、ん?」

 「あ、いえ。」

 あたしの取って付けたような返事を無視して、ルドルフはサイドテーブルのポットから小さなカップにお茶らしき物を注ぐ。

 それをゆっくりと啜ったが、僅かな量にも拘らず激しく咽せ始めた。

 あたしは慌てて立ち上がるとルドルフに近づいて彼の背中を擦る。

 「すまんな。」

 丸1分くらい咽せ続けた後、ルドルフが片手を挙げて大丈夫だとアピールしてきたので、あたしは彼から離れて席に戻った。

 話している最中はつい忘れがちになるが、ハンカチで口元を拭う彼の弱々しい手つきは彼が老人である事をあたしに思い出させた。

 2、3度咳払いを繰り返してから、ルドルフは何事も無かったかのように話を再開した。

 「儂は自分が世間からどう見られているかくらいは知っておるし、その評価を否定するつもりもない。だが今回に限ってはカールの奴は一線を超えた。儂だって自分が清廉潔白な人間だと言い張るつもりはないが、超えてはいけない一線だけは守ってきたつもりだ。」

 「はあ。」

 ルドルフの口調は他人事の様に淡々としており、そこにはカールに対する怒りも自分自身に対する誇りも感じられなかった。

 そのせいかあたしの相槌も気の抜けたものになってしまい、ルドルフの顔に苦笑が浮かぶ。

 「ただまあ、今回の件に関しては儂の見通しも甘かった。そのせいで行動が後手後手に回ってしまったのは否定しない。」

 そこでルドルフは言葉を切り、あたしの顔をジッと見つめた。

 「今回のカールの愚かな行為については君の所の大将に任せておけばどうとでもなると思っていた。」

 「それは……ギルド長のソニアの事ですか?」

 あたしの問いにルドルフは頷いた。

 「彼女は人として、1枚も2枚もカールより上手だ。カールが彼女に対して抱いている脅威が、今回の奴の暴走の原因になったとさえ儂は思っている。当初の儂の見通しでは、ソニアは今回のカールの暴走を逆手に取り、それを口実としてカールを始めとした旧守派を一気に叩き潰す事さえ余裕に見えた。無論、儂の手助けなど必要なしにな。

 そして君も儂に呼ばれる事などなく、事態が収束するまでノンビリ隠れているだけで冤罪も晴らされたはずだ。」

 「では、ソニアでも手に負えない様な何かが起きていると?」

 ルドルフは頷く。

 「これから話すのは確かな確証がある訳ではなく、むしろ気の弱った年寄の過剰な心配による妄想の代物かもしれん。その前提で聞いて欲しい。」

 「はい。」

 ルドルフらしくない弱々しく言い訳じみた前置きは正直気に入らなかったが、あたしとしては頷くしかない。

 弱々しい言葉とは裏腹の鋭い眼光を保ったまま、ルドルフは口を開く。

 「旧守派にはラドリッチ商家のカールの他に、もう1人大物がいるな?」

 「モリソン商家のロジャー様ですか?」

 あたしが挙げたその名前に、ルドルフはあからさまに顔をしかめた。

 「先代のモリソン商家の当主のダグラスの死後、新しい当主にロジャーが選ばれたのは儂にとっても予想外な事だった。正直に言えば、モリソン商家の内実についてそれなりに詳しく探っていた儂でさえ、ロジャーの事は完全に頭から抜け落ちていた。」

 「……もしかして、ロジャーはモリソン商家当主の血を引いていないとか?」

 「いやいや、そういう話ではない。単純にダグラスの子や孫の中では目立った存在ではなかったというだけだ。

 とはいえ、ロジャーの父親のピーターについてはそれなりに知っておった。前当主のダグラスは好色な男で本妻以外に妾も多くおり、当然その子供も大勢いた。その数多い子供の中でも個人的に儂が最も評価していたのがピーターだ。」

 「優秀な方だったのですか?」

 「優秀、というよりは活力に溢れた上に人を惹きつける魅力を生来持っていた男だったな。ただまあ、嫡子も3人もいたし、庶子であるピーターは端から当主の座を継ぐ事は諦めていたようで、自らは船に乗って遠方との交易に専念し、成人してからは半分以上を海の上で過ごしていたようだ。船乗りとしてはかなり優秀だったようで、モリソン商家は彼のお陰でかなり儲けたはずだ。」

 「それでも当主にはなれなかったのですね?」

 「むしろ彼の活躍は、嫡子達の嫉妬を煽った結果にしかならなかったようだな。全く愚かな事だ。」

 ルドルフは吐き捨てるように言う。

 「そのピーターさんは、今どうしてます?」

 「死んだよ。もう10年以上前になるかな?乗っていた交易船が嵐で沈没したらしい。船長だったピーターを含め多くの船員がこの時命を落としたが、幸運にも生き延びた乗組員も僅かながらにいた。その中にロジャーも含まれていたらしい。」

 さり気なく付け加えられたルドルフの言葉にあたしは驚く。

 「え?モリソン商家の現当主のロジャー様ですか?」

 「そうだ。」

 「ロジャー様はかなり若いと聞いていますが、その当時はもう船員として働ける年齢だったのですか?」

 「ああ、いやいや。ロジャーは船員として乗っていた訳ではない。ピーターはロジャーが6、7歳になると自らが船長を務める交易船に乗せるようになったのだよ。ピーターが亡くなった時、ロジャーはまだ十代前半だったはずだ。」

 「そんな幼い頃から……?母親は反対しなかったのですか?」

 「いや、ピーターがロジャーを船に乗せたきっかけがそもそも妻の死なのだ。母親が亡くなった我が子を手元で育てたかったのだろう。」

 「なるほど。」

 あたしが頷くと、ルドルフは再び小さなカップに入ったお茶のような物を啜る。

 先程激しく咽たせいか、今回は唇を濡らす程度しか飲まなかった。

 「ピーターについては注目していた事もありそれなりに情報は集めていた。だが、ロジャーについてはハーケンブルクに帰ってきている事すら暫くの間気付かなかったよ。」

 「何処に居たんですか?」

 「アルカディア諸島だ。ピーターの船が沈んだのはあの近くの海域だった。」

 アルカディア諸島。

 ハーケンブルクのあるアストラー王国は大陸西方地域の南端に位置するが、その西方地域から更に北東に位置するのがアルカディア諸島だ。

 距離的には南方大陸や東方地域より近いが、その周辺の海域は夏の僅かな間を除いて常に荒れており、航海の危険度は段違いに高い。

 なので商売に貪欲なハーケンブルク人であってもアルカディア諸島との交易はほんの僅かしか行っておらず、結果としてその実態も殆ど知られていない。

 「その、ピーターさんは一攫千金を狙ってアルカディア諸島への交易に向かったのですか?」

 「無論、それも理由の1つではあろう。既にピーターは南方貿易で大きな成果を挙げていたが、それだけではモリソン商家では肩身が狭かったのかもしれない。だがそれ以上にピーターが冒険心溢れる性格だったという理由の方が大きい気がするな。」

 「では、ピーターが亡くなった後数年間ロジャーはアルカディア諸島で暮らし、その後ハーケンブルクに戻って来たと?」

 「その辺の事については情報を集めさせたものの、はっきりとは分からなかった。そうかもしれないし、早々にアルカディアを立って他所の土地で暮らしていたのかもしれない。ともかくロジャーは、遅くとも前当主のダグラスが倒れる1年半前にはハーケンブルクに戻っていた。というのもその頃に、ダグラスは家人や主だった部下を集めてロジャーは自分の孫に間違いないと宣言したらしい。これも異例な事だ。」

 「そうなんですか?」

 「ダグラスは本妻との間の嫡子以外に妾との間にも20人くらいは庶子がおる。孫の数ともなれば60人を超えるかもしれん。その全てを公的に認知すれば収取がつかなくなるだろう。まあ、その時のロジャーの認知も内密の会合で行われたらしいので公的とは言い難いが、それでも内輪の人間達にロジャーが3人の嫡子やその子供達に次ぐ跡取り候補と宣言したに等しい。」

 「庶子やその系統の孫達の中で、ロジャーだけが特別扱いされたと?」

 「そうだ。そして、その一連の行動は全てモリソン商家内部で内密に行われていたのでダグラスが倒れるまで儂も全く気付けなかった。」

 そう言うルドルフの表情は苦々しいものだった。

 「ロジャーがダグラスに気に入られた理由って見当がつきますか?」

 「1つは単純にダグラスの嫡子やその系統の孫達が頼り無さ過ぎたせいだろう。しかしまあ、これはダグラスの自業自得ではあるな。子供の頃から暴君じみたダグラスの顔色を伺って育てばイエスマン以外になりようがない。

 もう1つの理由はロジャーが魅力的な人誑しという事だ。実際に何度かロジャーに会えば、あの傲慢だったダグラスの懐にすんなりと入り込む事も彼なら容易いと思える様になるぞ。」

 「そんなにですか?」

 「多くの者は人畜無害な好青年という印象しか持たないだろうね。だが一方で頭も切れるし、冷酷な一面も持っている。

 だが、彼について儂が最も脅威に感じたのは、彼が頭脳明晰な事自体でも冷酷な性格事自体でもなく、普段はそういう一面を表に出さずにお人好しなお坊ちゃんを装っているという事だ。

 決して好青年然とした彼の外面に騙されてはいけないよ。」

 そこで一つ間を置くと、ルドルフは世間話の様な軽い口調で驚くべき事を言った。

 「なんといっても、君を生け捕りにするよう命じたのはそのロジャーだからな。」

 「え?」

 あたしは思わず間抜けな声を上げてしまった。

 恐らく表情も間抜けなものであっただろうが、ルドルフは有り難い事に表情一つ変えずに話を続ける。

 「ロジャーにとって君は、結構な重要人物になってしまっている。」

 ルドルフは念を押してくれたが、あたしの理解は全く追いつかない。

 「え〜と、私、ロジャー様との面識は全く無いのですけど?」

 「だろうな。だがロジャーは、当主になってからドラゴンに関するアイテムをモリソン商家の財力を注ぎ込んで買い漁っているのは知っているか?それならば、ロジャーが君に関心を持つ心当たりはあるだろう?」

 予想外の言葉にあたしは言葉を失った。

 正直、あたしが狙われたのは旧守派の連中の陰謀を調査した為か、妹のヨハンナの政争に巻き込まれた為と思っていたが、ドラゴン絡みだとは全く思っていなかった。

 しばし呆然としていたが、辛抱強くあたしの返事を待っていたルドルフの様子に気づいて気を取り直す。

 マヤを通してルドルフはあたしの事を詳しく知っているだろうから誤魔化すのは良くない。

 「あたしが狙われたのは、これのせいですか?」

 あたしは背負ったままの折れた魔剣の柄を軽く叩いた。

 「それにも興味はあるだろうが、むしろ『ドラゴン・テイマー』である君自身の方に興味があるのだろうな。」

 それまでルドルフの前では一応猫を被っていたのだが、この時は思わず大きな溜め息が漏れてしまった。

 「なるほど、私と直接会って話をしようと仰られた理由がようやく分かりました。」

 「理解が速くて助かるよ。」

 僅かに皮肉を込めたあたしの言葉に、ルドルフはあくまで真面目くさった口調で返してきた。

 「それで、ドラゴンに関するアイテムって、具体的にはどういうものですか?」

 「そうさな。儂の得た情報によると、ドラゴン殺しの魔剣とか、ドラゴンを操る水晶球、ドラゴンを酩酊させる香などだな。」

 「あ、ドラゴンの彫像とか絵画ではないのですね?」

 「その手のものではなく、実際にドラゴンとの戦闘に役立ったり、ドラゴンを操ったりする類のアイテムだな。」

 ルドルフの言葉にあたしは眉を顰める。

 あたしも長い間冒険者をしているが、ルドルフが言うようなドラゴンに関するアイテムなど実物を見たのは今背負っている折れた魔剣『トール』が初めてだし、伝聞であっても稀に噂を聞く程度で、しかもその殆どが眉唾ものだ。

 祖先が建国時に竜騎士だったという本土の古い貴族がその手のアイテムを未だに保持しているという噂もあるが、そういった伝説的なアイテムは家宝として宝物庫の中で厳重に保管されているだろうし、当然ながらも幾ら金を積まれたところで市場に流出する事など無いだろう。

 「その手のアイテムが簡単に手に入るとも思えないのですが?」

 「無論、そうだろうな。実際儂の調査によると、ロジャーが手に入れたアイテムの9割以上が完全な偽物だ。残り1割も気休め程度の効果しか持たないものばかり。だが逆に、それでも尚集め続けている所に狂気じみた執念を儂は感じるがな。」

 あたしは溜め息を吐く。

 「そういう人がいるとは想像もしてませんでした。」

 「ああ、知らないのも無理はない。ロジャーはこのアイテム収集を普通の商取引なり単なる道楽に見せかけているからな。その手腕を見るだけでも、単なる好青年などではなく、悪賢い若造だという事は充分に分かるよ。

 この儂もつい2ヶ月前までは全く気付かなかった。恐らく君の誘拐も、副ギルド長の姉だからとか適当な理由をつけて、実行犯のベクター君にも本当の理由は明かしていないと思う。」

 「つまり、ロジャーは旧守派の一員としてカールに協力しつつも、実際は独自の思惑で動いていると?」

 「そうだな。むしろ、旧守派という立ち位置は自身の本当の思惑を隠す隠れ蓑でしかない様な気がする。とはいえ、ロジャーの目的は旧守派とある程度は一致しているのだろうな、今の所カールと歩調を合わせてはいる。

 ただ、カールからしてみればロジャーの仕事っぷりはいい加減なものに映っておるようだ。カールはその理由をロジャーの軽薄な性格のせい思っている節があるが、実際の所はロジャーの真の目的がカールのそれとはまるで異なっておるからだと儂は思っておる。」

 「では、ロジャーの真の目的とは何でしょうか?」

 あたしがそう言うと、ルドルフは白々しく両手を挙げた。

 「儂も色々と調べてはいるが、確証と呼べるものは未だ得ていない。」

 ここまで話した上で結論については言及しないルドルフにあたしは苛立ち、愛想笑いを浮かべつつも半ば無意識に嫌味な口調になって尋ねた。

 「それでも彼の行動から推測している事くらいはあるのではないですか?」

 「そうさなあ。」

 ルドルフはわざとらしく顎を擦りつつ、考え込む様な仕草をする。

 「ロジャーは常に、クロエという名のお気に入りの護衛の女を帯同しているのは我々の間では有名な話だ。その女は、ロジャーがアルカディア諸島から連れてきた女という噂があってな。」

 そう言うとルドルフは、意地の悪い目つきであたしを見た。

 「君は、アルカディア諸島と聞いて何を思いつくかね?」

 「その島々については殆ど何も知りません。」

 「根拠の無い伝聞や伝説で構わんよ。」

 そう言われてあたしは考え込む。

 「……最果ての島、1年中荒れた海、島流しの流刑地、極寒の地にそびえる巨大火山、伝説の武具を作るドワーフ、ドレイク……?」

 バードに伝わるアルカディア諸島を舞台にしたいくつかの物語から思い浮かぶキーワードをブツブツと呟いていると、ふとある言葉に引っ掛かった。

 ドレイク。

 アルカディア諸島を舞台にした物語にしばしば登場する種族で、一見ヒューマンと変わらぬ外見を持ちながらドラゴンに変身する能力を持つという。

 「あの、ドレイクって実在するのですか?」

 あたしは何故か、恐る恐るといった気分になりながら尋ねた。

 「儂も、自らをドレイクであると公言している者には未だ会った事は無いな。しかし人間形態時のドレイクは、ヒューマンと外見上の区別はつかないと言われているし、ロジャーの護衛のクロエは真偽不明ながらドレイクという噂もある。」

 彼自身確証を持っていないせいか、ルドルフの言い回しは回りくどい。

 だが、未だ確証は無いと言うルドルフに対し、推測で良いから語って欲しいと要請したのはあたしの方なので、それは仕方のない事だろう。

 「アルカディア諸島での暮らしでドレイクと何らかの関わりを持ち、それがドラゴンへの執着の原因になった……?」

 あたしの独り言に、ルドルフが頷いた。

 「そうかもな。もしかしてロジャーが執着しているのは、ドラゴンではなくむしろドレイクの方なのかもしれない。専門家でないので断言は出来ないが、伝説ではドラゴンに効果のあるアイテムはドレイクにも同様の効果があるというしな。」

 そこであたしはハタと気づく。

 「もしかして、『ドラゴン・テイマー』の能力もドレイクに対して有効だったりしますか?」

 あたしの言葉にルドルフは大きく頷いた。

 「ドレイク自体、ここ西方ではほとんど見かけない故に情報もほぼ無いので断言は出来ないが、個人的にはその可能性は高いと思っている。

 ともかく、ロジャーが君を狙った理由はまさにそこにあると儂は思っておる。生け捕りに拘ったのも、自分の手駒として使う為だろう。」  

 ルドルフの言葉にあたしはゾッとした。

 「だからって、いきなり拉致誘拐しようとしますか?普通に勧誘してそれが断られた後に実力行使に出るならまだ分かりますが?」

 「それが、ロジャーという人間の紛れもない一面だと儂は思っている。」

 ルドルフの声が一段低くなった。

 「実を言えば、儂はロジャーという若者の実像を未だ捉えきれてはおらんのだ。ラドリッチ商家のカールが考えておる様に、人誑し能力だけに優れた甘やかされた考え無しの若造という可能性も無論ある。その線で考えればドラゴン関連のアイテムの収集も、君の拉致計画も道楽の延長線上に過ぎない事となる。」

 「もしその通りなら腹立たしい事この上ありませんが、でも、ルドルフ様はそうは考えてはいませんよね?」

 「そうさなあ。」

 ルドルフはそう呟くと、考えをまとめる様な表情になりながら再びサイドテーブルのポットに手を伸ばし、カップにお茶を注ぎ始める。

 先程よりたっぷりと時間を掛けてお茶を啜ると、カップを静かにサイドテーブルに戻し、静かな口調で話を再開する。

 「確証の無い事はあまり言いたくないのだが、危険を冒して儂との会談を引き受けてくれた君に、注意喚起を促す意味でも言っておくべきかもしれない。

 ただ、今から話すのはあくまで断片的なロジャーの言動や、それを見聞きした儂の印象から積み上げた、推論というより妄想に近い代物だ。それを差し引いて聞いて欲しい。」

 ルドルフらしくもない自信無さ気な前置きは、慎重な性格の彼からすればまだ他人に明かす段階ではない事柄なのだろう。

 「仰って下さい。」

 ルドルフの気が変わらぬ様に、あたしは少し語気を強めて促した。

 「君は、この国の建国伝説に登場する竜騎士達の伝説については知っておるな?」

 「ええ、ただ私が知っているのは史実ではなく脚色された伝説の方ですが。」

 最近、何かとノエルが建国物語の伝説は史実とは大きく異なると力説する事が多かったせいか、ついそう口走ってしまったが、それはルドルフの苦笑を誘っただけのようだ。

 「その辺の違いは今はどうでも良い。

 竜騎士の中には戦いで命を落とした者もいれば、戦いを生き抜き建国王と共に新たな国の礎を築いた者もいる。

 しかしそういった、いわば建国に伴う栄光に浴した者とは別に、建国戦争中は最も勇敢に戦いながら建国後に無謀な反乱を起こして自滅してしまった竜騎士について君は知っているだろうか?」

 「それは、『ドラゴンに呑み込まれた竜騎士』フスの事ですか?」

 あたしの答えに、ルドルフは満足そうに頷いた。

 「竜騎士フスはあまりに深く自らの乗騎のドラゴンと心を通わせてしまった為に、その精神性が人間のそれよりむしろドラゴンに近づいてしまい、人間を仲間ではなく支配すべき存在と認識するようになってしまったという。

 無論、これは400年も昔の話で、いみじくも先程君が言った様に史実ではなく都合良く捻じ曲げられた伝承に過ぎないのかもしれない。それでも儂は、長らく伝えられてきた伝承には例え如何に荒唐無稽なものであったとしても何らかの真実が込められていると思っておる。」

 「つまり、ロジャー様はフスの様にドラゴン、というかドレイクに『呑み込まれている』と?」

 あたしの問いに、ルドルフは大きくため息を吐くと小さく首を振った。

 「ロジャーという若者は基本的に礼儀正しく使用人に対してさえ愛想の良い人間であるが、しばしばその仮面が外れて異様な行動を取る事があってな。

 未だ独身のロジャーには野心に満ちた名家のお嬢様のアプローチが絶えないのだが、とあるパーティでは一線を超えてしつこくアプローチしてきたお嬢様を、柔和な笑みを浮かべて優しい口調のまま相手が泣いて許しを請うているのを無視して延々と理詰めで問い詰め続けていた事もあった。

 またある時は、粗相をした使用人を公衆の面前で無表情のまま激しく執拗に折檻していたかと思うと、急に元の愛想の良い人間に戻って優しい口調で労り、後半死半生の使用人に対して高価な治癒ポーションを気前よく与えて傷を癒やしたらしい。

 彼のこの手の行動は一応モリソン商家が隠蔽しようとはしているが、しばしば公衆の面前で行っている事もあって完全には隠蔽しきれてないから、機会があったら儂の言った事の裏を取れば良いだろう。

 ともかくこういった彼の行動を見聞きした儂が感じたのは、彼の中で他の人間という存在は、仲間というより物分りの悪いが故に、自分の様な高等な存在が辛抱強く教え導くべきものと思っているのではないか、という事だ。」

 ルドルフの言うロジャーの行動は確かに異様ではあったが、だからといってルドルフのロジャー評は些か飛躍しすぎている様な気もする。

 それでも、実際にロジャーと会った経験が何度もありそうなルドルフのロジャー評は軽視してはいけない気もする。

 そして、ルドルフの言う『人間より高等な存在』とは、昔話によく出てくる『悪役の』ドラゴンが自身に対して持つテンプレ的な感覚だったりする。

 実を言えば、アストラー王国建国の伝説に登場する竜騎士の乗騎たるドラゴンは、昔話に登場するドラゴンの中では例外的な存在だ。

 その理由として、乗騎契約を結んだドラゴンはより人間に近い気質を持つようになる為、と言われている。

 あたしが唯一接した経験のあるドラゴンであるテンペストは、理性を取り戻した後は終始話の通じる相手であったが、それは彼がかつて竜騎士と乗騎契約を結んだ経験があるからであり、その為により『人間に近い』ドラゴンになったからだと思われる。

 建国伝説以外の昔話や伝説に登場する多くのドラゴンは、人間と会話自体は出来るが話が噛み合わない事も多い。

 それは、ドラゴンと人間で根本的な考え方が異なる為だ。

 曲がりなりにもバードとしてそういった昔話に一般人より深く精通しているあたしが感じるのは、そういった『悪役』のドラゴンは人間を家畜か精々愛玩動物として認識しているという事だ。

 仲間どころか敵とすら認識していないのだから、ドラゴンの元に訪れた人間の目的が話し合いにしろ討伐にしろ、彼との会話が噛み合わないのは無理もない。

 「もしルドルフ様の推測通りロジャー様が『ドラゴンに呑み込まれている』のなら、彼の真の目的は最低でも自身がこの街の人間を支配する事であり、一見盟友に見えるカール様の事も便利な道具としか見ていないという事ですか?」

 あたしの言葉にルドルフは苦笑を浮かべた。

 「改めて君の口から言われると、我ながら酷い妄想に聞こえてくるな。」

 「でもそれなりに考えを重ねて得た推測でしょう?」

 「そうさなあ……。」

 ルドルフは再び考えをまとめる様にあたしから視線を逸らして、中空を見つめた。

 「そもそもこの推測の出発点は、ロジャーという男の何処か人間らしさが欠けた言動が引っ掛かった事だ。そこからドラゴン関係のアイテムの収集癖を知り、『竜に呑み込まれた竜騎士フス』の伝承を思い出して、それらの要素を後づけで結びつけて得た結論に過ぎん。

 無論、儂もこの推測が合っているのか裏を取ろうと情報を集めさせたが、未だにその成果は出ておらんしな。

 この推論の最大の弱点は、出発点が儂の印象でしかないという事だ。生まれつき他人との共感性が欠けている人間というのは一定数存在する。ロジャーが単にそういう人間に過ぎないという方がより現実的な結論とは思わないかね?」

 「でもルドルフ様は、あたしに今の推論をお話して下さった。」

 「それは万が一、儂の妄言が当たってしまった場合に備えて、君にだけは話しておきたかったからだ。」

 「あたしに?」

 そこが最も分からない所だ。

 何故あたしなのか。

 「ドラゴンを制するにはドラゴンが必要だ、とは思わないかね?」

 薄々嫌な予感はしていたが、やはりそういう話になるのか。

 「という事は、ロジャーは単に気質がドラゴンに近くなっているだけでなく既に何らかのドラゴンの力を手に入れていると?」

 「証拠は無いし、あくまで可能性の問題だ。だが、あれだけ大量にドラゴン関連のアイテムを集めておるのだ。1つくらい本物が混じっている可能性だってあるだろう?」

 あたしは眉を顰めた。

 「確か、ドラゴンに変身出来る首輪を手に入れた男の昔話がありましたね。」

 「うむ。それからドラゴンを意のままに操る錫杖を手に入れた男の昔話もあったな。」

 どちらの話も史実と捉えられている話ではないが、何だか今までの話と相まってあたしの中で急に信憑性が増してきた。

 それだけに、あたしの手には余る話だという気持ちも強くなる。

 「ソニア率いるパーティは、アビスで何頭かドラゴンを倒しましたよ。」

 あたしは一応、ささやかな抵抗のつもりで言ってみる。

 ソニア率いる冒険者パーティ『シーカーズ』最後の敵が、アビスの最下層に居たティアマトという名の7つの首を持つ巨大な多頭竜というのは有名な話なので、当然の様にルドルフもその話は知っているだろう。

 「ソニアが未だ一介の冒険者であるなら儂も彼女に話を持って行くが、今の彼女は余りにも多忙だ。

 船に乗って攻めてくる反動貴族共の私兵達の対処に加えて、冒険者ギルド内のスパイや反対派の炙り出しもある。

 加えて、『海の民』の艦隊が南から攻めてくるとか、反動貴族の別働隊がザレー大森林を抜けて攻めてくるといった真偽不明の噂にも対処しなければならない。

 こういった真偽不明な噂の方がむしろ、ロジャーがドラゴンやドレイクの力を使ってこの街を支配しようとしているという妄言より、優先順位は高いのではないかね?」

 そう言われて返す言葉もなく、あたしは思わずムッツリと黙り込んだ。

 そのあたしの表情を見て、ルドルフはお馴染みの意地の悪い笑顔を浮かべた。

 「本来、儂はこうした根拠の乏しい推測だけで人を動かすのは好きではないが、今回ばかりは推測が万が一当たった時の被害が甚大過ぎる。なので、保険くらいは掛けておきたいと思ってな。」

 「あたしなんかが保険になりますかね?」

 あたしは不貞腐れつつ自虐的に言ってしまったが、ルドルフの態度に特に変化はなかった。

 「君は今回冤罪をかけられた時、街を逃げ出す選択肢もあったのに敢えて街に留まる事を選んだ。

 そこら辺から想像するに、君にはこの街にそれなりに愛着を持っているように想像するのだが?」

 「そこは否定しませんが、だからといって出来る事と出来ない事があります。」

 「確かにそうだ。そして寡聞にして儂は、ドラゴンやドレイクをテイム出来る能力を持つ者を君以外には知らない。」

 ルドルフのこの言葉に、あたしは完全に何も言えなくなってしまった。

 「……まあ、やれる事はやりますけどね。」

 あたしが負け惜しみを言うと、ルドルフは満足気に頷いた。

 「それで結構だ。

 今日、儂が話した事を飲み込んだ上で下すだろう未来の君の決断について、どんな決断であってもそれは正しいものになる、と儂は信用しておるよ。」

 「それは買い被り過ぎですよ。」

 「そうかね?だが儂は先程も言ったように、単一の情報源だけでは物事を判断したりはしない。複合的な判断によって、君は信用出来ると判断したのだがね。」

 「まあ、ルドルフ様の判断に口出しする気はありませんが。」

 褒められるとつい反射的に捻くれた言動をしてしまうというあたしの悪い癖がまた出てしまったが、ルドルフは鷹揚に笑っただけだった。

 「そう、儂が勝手に君に期待しているだけの話だ。」

 そのルドルフの笑みを見て、あたしもルドルフに対する遠慮が解けてきた事もあり、前々から訊いてみたかった事を思い切って質問してみる事にした。

 「ところで話は変わりますが、1つお訊きしてもよろしいでしょうか?」

 「何だ?」

 「ルドルフ様は、我々の……というか、ソニア一派の、ひいては革新派の味方なのですか?」

 あたしの質問に対して、ルドルフの表情自体は変わらなかったが代わりに考え込む様な仕草のまま黙り込む。

 暫く間を置いてからルドルフは、ゆっくりとした口調で言った。

 「儂が忠誠を向けるのはこのハーケンブルクの街そのものだけだ。グウィン商家のエリザベータや君の親分のソニアといった革新派ににある程度肩入れしてきたのはその為だけありで、儂自身が革新派と呼ばれる連中の考えに賛同した訳ではない。

 だが、カールが一線を超えてしまった今、『ある程度の肩入れ』では済まなくなってしまったな。これからは、その対抗馬である革新派に全面的に協力する以外に儂には選択肢が残されてはおらん。」

 疲れた様な口調で語るルドルフは、初めて歳相応の弱さをあたしに晒したように見えた。

 「消極的支援という事ですか?」

 あたしの言葉にルドルフは頷いた。

 「そうなるわな。この街は四大商家を始めとする大商人が力を持ち過ぎ、結果として金持ちが貴族化してしまった。儂はそれをずっと危惧しておった。この街が栄える事が出来たのは力ある者が成り上がり、力無き者は過去にどんな偉業を成し遂げようと淘汰される厳しい環境のせいだ。だが今や、無能な金持ち共が永遠にのさばり、将来力を得る可能性のある者の芽を潰す状況が永らく固定化してしまった。」

 「だからエリザベータ様を支援したのですか?」

 「渋々にだがな。彼女には最低限旧守派の対抗馬になる程度には力をつけて貰いたいというのが儂の考えであった。」

 あたしは眉を顰めた。

 「エリザベータ様ではルドルフ様のお眼鏡にはかないませんか?」

 アドルフの顔にまた意地の悪い笑みが浮かぶ。

 「彼女は自分の理想に傾き過ぎており、現実の人間の弱さや強欲さが見えておらん。その天真爛漫さや情熱は人々の心を動かす原動力にはなるが、もっと現実に目を向けなければ一過性の熱狂は引き起こせても継続的に人々を動かし続ける事は出来ないだろう。それでは何かを根づかせる事は出来ん。」

 あたしは実際のグウィン商家のエリザベータ様の事など知らないし、恐らく何度も会っているであろうルドルフの方がその人柄についてはよく知っているであろう。

 だが、噂で知っていただけとはいえエリザベータ様には以前から共感を抱いていたし、ルドルフの上から目線の物言いに少しばかり腹が立ったので、つい嫌味ったらしい口調になりつつ尋ねる。

 「ではルドルフ様の理想からすると、ソニアも力不足なのでしょうね。」

 「ソニアか。彼女は力量だけなら儂の理想を軽く超えておるぞ。」

 先程からソニアを高評価する言葉が何度もルドルフの口から出てきたが、今の言葉は今までの言葉とは次元が違う。

 そういった言葉がさらりとルドルフの口から出た事にあたしは驚いたが、すぐにルドルフの微妙な言い回しに気付いた。

 「力量だけなら?」

 ルドルフはあたしの言葉に頷くと、わざとらしく間を置いた。

 「彼女のクラスは何だったかな?」

 「『ハイランダー』だったと。」

 「そうだったな。滅多に得られない強力なクラスだと聞き及んでいる。」

 数多く存在するクラスはその全てが同等の能力を持っている訳ではない。

 中にはチートと言える程強力過ぎるクラスも存在する。

 ソニアのクラスである『ハイランダー』はその代表的存在で、メイジとファイターの両方のクラス能力を併せ持つ。

 それだけでも充分チートと言えるが、更にチートなのはその強力な能力と引き換えに有るべき欠点も特に無いと言われている事だ。

 本来2つのクラスで得るべき能力を1つのクラスで得た上に、ヒューマンの種族能力によって他種族の倍のスピードで成長する事も可能となった。

 この様なチートな能力を持つクラスなら皆望んで取得したがるのが当然だろうが、『ハイランダー』がクラス選択時に現れる事自体が滅多に無いらしい。

 実際、ソニアは20年ぶりに現れた『ハイランダー』とも言われている。

 このチートなクラスの唯一の欠点らしい欠点がその出現率の低さかもしれない。

 無論、そのチート過ぎる能力故にその出現条件の考察は昔から色々と行われてきたが、他のクラスの出現条件が不明であるのにハイランダーだけが判明する道理はなく、結局の所推測の範囲内で好き勝手言われているに過ぎない。

 「君は器用貧乏と呼ばれているらしいな。」

 ルドルフがまた意地の悪い笑みを浮かべつつ言う。

 「そう陰口を叩かれている事は知っています。」

 あたしは作り笑いで不快な思いを隠しつつ、少しだけ反撃の気持ちを込めて語気を強めた。

 ルドルフがあたしの語気があからさまに強くなったのに気づいて苦笑した所を見ると、彼がしばしば意地悪な笑みを浮かべるのは無意識の癖に過ぎないのかもしれない。

 「ソニアは君の上位互換だな。『万能のソニア』とでも呼ぶべきか。」

 その意見に反論は無いが、わざわざあたしを引き合いに出す必要は無かっただろう。

 意地悪な笑みを浮かべる癖といい、そういう所が彼の評判が今一つな理由である事は間違いなさそうだ。

 「予想外だったのは、その『万能』っぷりが冒険者という枠に収まらなかった点だ。冒険者として優秀な者が組織のトップとしても優秀とは限らない。だがソニアは、冒険者とは全く異なる組織運営でも万能っぷりを発揮している。」

 このルドルフによるソニア評は、あたしにとって少し驚きであった。

 「ルドルフ様がそこまでソニアを評価しているとは思いませんでした。」

 「無論、彼女にも至らぬ点はある。コネクションの少なさがその最たるものだが、全く別の世界から飛び込んできた以上、それも仕方がない部分ではあるな。そして、この5年でその欠点も大分解消されてきた。」

 そう言うと、ルドルフはやや暗い目であたしを見た。

 「そう、『万能』な彼女は何でも出来る。冒険者ギルド長という地位で可能な事以上の事が、彼女には出来るのだよ。だとすれば、今以上に自分の能力が発揮出来る事が見つかれば、まだ若い彼女があっさり今の地位を捨てるのも当然の事の様な気もするがね。」

 ソニアがギルド長を辞める、という発想自体が無かったあたしはその言葉に驚いた。

 「私は、彼女がそんな無責任な行動を取るとも思えませんが……。」

 ルドルフから投げかけられた言葉を充分吟味する前に、あたしの口から言い訳じみた言葉が漏れた。

 「ああ、儂は何も今すぐソニアがギルド長を辞めるとか言っている訳じゃない。だが、今の件に片がつきこの街に新しい統治機構が作られる目処がつけば、もう彼女をこの街に縛り付ける理由も無くなるのではないかな。」

 ルドルフの補足説明は、あたしの中でぼやけていたソニアの人物像にハッキリとした輪郭を与えた。

 思えばソニアは、冒険者として一定の成果を挙げた時点でキッパリと冒険者を引退した。

 ギルド長の地位も、一定の成果を挙げた時点でキッパリ捨ててもおかしくはない。

 常人なら一生かけて成し遂げ得る仕事も、『万能のソニア』なら後数年で完遂出来るとルドルフは思っているのだろう。

 「ソニアは組織のリーダーとしては間違いなく優秀だが、ある意味イレギュラーな存在でもある。そのイレギュラーな存在を普通なものとして感じてしまうのは長い目で見れば良い事とは言えない。これはむしろ、彼女の敵より彼女の味方や部下こそが肝に命じておく事柄だと思うがな。」

 「確かにそうですね。」

 捻くれ者のあたしにしては珍しく、彼の言葉に心から素直に同意した。

 あたしの同意に、ルドルフは少し毒気が抜かれた様な表情になる。

 「まあ、今の話は単なる年寄りの懸念で、そうはならない可能性もある。ソニアも人間である以上、情というものがある。ソニアをこの街に縛り付けるだけの情があれば、案外長くギルド長として働いてくれるかもしれないしな。」

 「そうかもしれません。」

 あたしは再び同意したが、今度は上辺だけの同意だった。

 この前、ソニアに直接会っていなければルドルフの言葉に今度も心から同意出来たかもしれない。

 だがこの前、久しぶりにソニアに会って話した時に感じた彼女に対する畏怖の気持ちの正体が、ルドルフとの会話を通してハッキリと分かった気がした。

 ソニアは生きる為に他人を必要としない類の人間ないのではないか?

 それは能力的な意味だけでなく、精神的な意味でもだ。

 先程、ロジャーの感性が人間よりドラゴンに傾いているという話が出たが、あたしからすればドラゴン的な気質とはむしろソニアにこそ当て嵌まる様な気がする。

 ソニアにも、ヨハンナを始めとする元パーティメンバーや部下に対する情自体はある気もする。

 だが、生きる為に他人を必要としないというあたしの仮説が正しければ、その情は何時までも彼女をこの街に繋ぎ止める鎖にはなり得ない気もする。

 自分の考えに没頭していたせいで、ルドルフがあたしを凝視している事に中々気づけなかった。

 その視線に気づいたあたしは、居住まいを正してルドルフに問いかける。

 「先程、ルドルフ様は自分の忠誠心はこの街だけに向けられれいると仰いました。」

 「うむ。」

 「その事について、もっと具体的に教えてもらってもよろしいですか?」

 「そうさなあ。」

 ルドルフはまた、少しだけ視線を宙空に彷徨わせた。

 「君からしてみれば年寄りの感傷としか感じられないかもしれないが、それでも構わないか?」

 「構いません。」

 あたしが断言すると、アドルフは再びお茶を少しだけ啜ってから話し始める。

 「儂がまだ若造だった頃のハーケンブルクは、まだ四大商家の力も今程は無かった。油断していればすぐに新興の商家に追い落とされてもおかしくはない状況で、その意味では厳しい時代とも言えたが、同時に健全な時代とも言えた。

 ハーケンブルクの街自体が若く成長期だったのだろう。能力がある者は成り上がり、能力が衰えれば蹴落とされるべき、という儂の考え方は、いわばハーケンブルクの黄金期を経験した故に形成されていったとも言える。若い頃の儂も、儂の周囲の者もそれが当たり前であり、疑いもしなかった。」

 自分自身の事なのにどこか他人事の様に話すルドルフの姿が、何だか凄く彼らしい気がした。

 「だからこそ儂は、当主になどなる気は無かった。」

 「え?」

 ルドルフの続く言葉にあたしが驚きの声を上げると、彼はニヤリと笑った。

 「先程、カールを上に立つ気質ではないと偉そうに断じたが、実際の所儂も同じなのだ。儂は人を使うのは決して上手い方ではない。人を育てるのはもっと下手だ。可能なら、全ての仕事を自分一人でやってしまいたい気質なのだよ。」

 「……もしその通りなら、確かにリーダーには向いていないかもしれませんね。」

 どう相槌を打って良いか分からず、あたしの口からは意味の薄い無難な言葉が垂れ流された。

 「儂が当主になったのは、父や上の兄2人が流行り病や海難事故で次々に亡くなったのが直接の原因だ。

 しかし当時、儂よりリーダーとして遥かに優れていた商会の幹部が数人いた。

 儂は彼らの中から次の当主が選ばれるべきと純粋に思っていたのだが、彼らは口々に言った。

 『我々はアールワース商家の血を引いてはおりません。アールワース商家の当主は、先代の血を引くルドルフ様が継ぐべきです。』

 ショックだったのは言葉そのものより、その言葉を彼らが疑いもせず、さも当然とばかりに言う態度の方だった。

 実力主義を純粋に信じていた若造が、その実力主義が建前に過ぎなかった事を思い知った瞬間だったよ。」

 年寄りの昔話を聞いているとままある事だが、このルドルフにも若くて純粋な時代があったというのはどうしてもピンとこない。

 「しかしまあ、曲がりなりにも当主として本土の貴族共と顔を合わせる機会が増えると、建前でも実力主義を標榜しているハーケンブルクが他の土地よりもマシではないかと考えを変えるようにはなった。血筋しか誇るもののない無能な貴族に支配された王国本土は、儂の目には衰退する未来しか見えなかった。

 だがそれ以降も、ハーケンブルクの四大商家を始めとする大金持ち共は自ら進んで本土の貴族共を真似する様に、能力主義より血統主義への傾倒を重視する様になっていく。

 それは、儂の目には自治権を勝ち取った祖先への裏切り行為に見えた。」

 ルドルフは冷めた目であたしの事をジッと見つめた。

 「その流れに逆らう様に、儂は自分の商会内で実力主義を徹底させた。些か意固地になって、やり過ぎたのは認めよう。

 身内からは随分と冷血漢呼ばわりされたものだ。特に、子供達の能力不足に気付いて彼等を跡継ぎ候補から外した時、妻からは酷く罵られたものだ。あれは堪えたが、後悔はしていない。妻は死ぬ間際まで私を許さずに、未だ眼鏡に適った後継者が居ない儂を嘲笑った。儂の求める高い能力を持つ人材などこの世に存在しないとな。」

 ルドルフの口調が段々と強くなり、僅かだが彼が珍しく興奮しているのが見て取れた。

 「もしかしたら儂が死ねばそれでアールワース商家は終わるかもしれん。しかしそれも儂は仕方のない事だと思っておる。そうなってしまったとしてもそれは単に、アールワース商家がその役割を終えただけの話だ。それが、貴族化したこの街の大金持ち共に退場を促す契機になるのなら儂もこの街に対して最後の奉公が出来るというものだ。」

 そう言ってルドルフは強気に笑ったが、その笑いはあたしの目には虚勢にしか見えなかった。

 

 読んで下さりありがとうございます。

 次の投稿は8月上旬を予定しています。

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