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第4章 3つ首の竜 4

 誠に勝手ですが、今エピソードより登場人物の『アドルフ』の名前を『ルドルフ』に変更します。

 その理由、及び既に投稿済みのエピソードについて等、詳しい事は後書きで説明します。


 2025年7月18日

 一部加筆修正しました。

 「分かった。彼女に会うわ。」

 あたしがそう言うと、エルマは再び困ったような顔をした。

 「あの、この部屋は存在していない事になっておりまして……。」

 「じゃあ悪いけど、別の部屋を用意してくれないかな?その分のお金は払う。」

 「いえ、短時間の会話くらいならお金はいりませんが、ただ、他のお客様や娼婦がそろそろ建物内を歩き回り始める頃合いですので、出来れば念の為に変装して頂けると助かるのですが。」

 「分かったわ。この前と同じ男装で良い?」

 「はい、結構です。」

 「じゃあ、変装に時間が掛かるから、彼女を待たせておいて貰える?」

 「はい、畏まりました。」

 あたしの答えはエルマの懸念をある程度払拭出来たようで、彼女の表情も幾らか緩んだ。

 「面白そうね。あたしも同席して良いかしら?」

 突然、ヨハンナが口を挟んできた。

 「え!?」

 「何か問題でも?」

 あたしが驚いて声を上げると、ヨハンナが妙に圧を感じる笑顔を浮かべた。

 「いや、別にそういう訳じゃないけど、あんた忙しいんじゃなかったの?」

 別にやましい所がある訳ではなかったが、無意識の内に妙に言い訳がましい口調で答えたあたしを見て、ヨハンナの笑顔の圧が更に強まった。

 「別に1、2時間くらいどうって事ないわ。」

 「あんたがそれで良いなら構わないけど。」

 「では先方にもそう伝えますね。」

 エルマはすっかり元の笑顔に戻ると、再び目を閉じて集中に入る。

 「何してるの?」

 あたしはヨハンナにコソッと尋ねた。

 「エマとエルマは、集中すると感覚を共有したり、念話で会話出来るのよ。」

 「使い魔と魔術師みたいに?」

 「そう。一卵性の双子が偶に持つ能力よ。」

 「噂では聞いていたけど、てっきり都市伝説の類だと思っていた。っていうか、あんたあの双子と親しいの?」

 「親しいっていうか、仕事上の知り合いね。」

 最後の質問に対してヨハンナはちょっと誤魔化す様な口調になったが、それを追求する前に感覚共有を終えたエルマが話しかけてきた。

 「マヤ様も了承されたみたいですね。今客室に案内されているところです。では朝食をお下げした後、すぐ戻って廊下で待っておりますので、準備出来たらお声がけ下さい。」

 「分かったわ。色々と手間かけてゴメンなさいね。」

 「いえ、仕事の内ですのでお気になさらずに。」

 エルマはそう言うと、手際よく空の食器を集めてトレーに載せ、テーブルを拭いてから部屋を出て行った。

 あたしは片付いたテーブルの上に変装道具を並べると、早速男装メイクを始める。

 ヨハンナはあたしの後ろに立ち、興味深そうに鏡越しにあたしのメイク作業を眺めている。

 「見ていて楽しい?」

 「うん、かなり。」

 そういうヨハンナは珍しく子供っぽい表情をしていた。

 何時ものように付け髭を付け、頭にタオルを巻いてメイクは完成した。

 最近、男装メイクの機会が増えてきたせいで手際が良くなってきた気もするが、毎回同じメイクなので別のパターンも用意すべきかもしれない。

 最後に幻覚魔法でオッドアイを両目共黒に変え、匂いも男っぽいものに変える。

 「お〜、イケメンじゃん。」

 ヨハンナがパチパチ両手を叩いて喜ぶ。

 「あんたも顔見られたら不味いのは同じでしょ?一応変装したら?」

 「それもそうね。」

 ヨハンナは頷くと、無詠唱の上に集中すらせず一瞬にして学者っぽい優男に姿を変える。

 「やっぱりあんたは凄いわ。」

 ヨハンナの早業に、あたしはつい溜め息混じりに言ってしまう。

 「まああたしの場合、別人に化けても外見だけで、中身を演じる事なんて出来ないんだけどね。」

 「ふ〜ん。」

 あたしが拗ねた様な返事をすると、困った子供を見る様な目を妹に向けられてしまった。

 あたしはヨハンナから視線を逸らすとノエルとジーヴァを見る。

 「あんた達を連れて行くと目立つから、ここで留守番していて。」

 「気を付けてよ。」

 このノエルの発言に含みを感じたのは、彼にマヤとの色々を知られているせいだろうか。

 一方で何時もは聞き分けの良いジーヴァからも少し不満の感情が伝わってきたのは、やはり狭い地下室暮らしのストレスのせいだろう。

 あたしは短剣を腰に吊り、マントを羽織ると部屋を出た。

 「お待たせ、エルマ。」

 「では、ご案内します。」

 廊下で待っていたエルマの先導で、あたしとヨハンナは隠し部屋の外に出た。

 エルマの言っていた通り、移動中まばらではあるが娼婦や客達とすれ違う。

 中にはチラリと視線を向けてくる者もいるが、全員がそれ以上のリアクションを示さない所を見ると、冒険者ギルドの前副ギルド長と指名手配犯であると気付いた者は無さそうだ。

 通されたのは2階の部屋で、娼館らしいケバケバしい内装の部屋だった。

 ベッドには細い紐で腰の辺りを締めたチュニックとガウチョパンツという、一見ゆったりとしていてその実動き易い服装のマヤが座っており、その斜め後ろにはエマが控えていた。

 何時もより服装やメイク、簪は地味なものだったが、スカーフと簪を使って完璧に編み込まれた黒髪が象徴するように、相変わらず憎たらしい程にセンスは良い。 

 「あら、今日はイケメンなのね、ゾラ。」

 部屋に入るなり、ニッコリ笑ったマヤにそう言われてしまう。

 事前にあたしが来る事を知らされているとはいえ、会った知り合いの多くに一発で男装がバレるのが続いているせいで、自分の変装スキルに自信が無くなってしまいそうだ。

 マヤはそれからあたしの後ろのヨハンナに視線を向けた。

 「そちらの方はどなた?」

 「あ〜……。」

 考えなしに答えかけたが、すぐに何と言うべきか迷い、言い淀む。

 変装しているヨハンナをそのまま紹介して大丈夫なのかと今更気付いたのだ。

 しかし優男に変装したままのヨハンナは、マヤにニッコリと微笑みかける。

 「ゾラの妹のヨハンナです。」

 「妹?」

 マヤが首を傾げる。

 まあ、男にしか見えない人物が『妹』とか名乗ったらそうなるだろう。

 しかし一瞬にしてヨハンナは変装を解き、元の姿に戻った。

 「わあ、お見事!」

 マヤがわざとらしい歓声を上げるが、全然驚いている様子がなかったので、見ようによっては煽っているだけにも見える。

 しかしヨハンナは動ずる事無く穏やかに笑う。

 「私も同席して良いかしら?」

 「あら、どうして?」

 「こう見えて姉はお人好しですから、騙されないか心配で。」

 「おやおや、お姉さんに対して随分と過保護なのね?」

 「姉は唯一の肉親ですから。」

 2人は微笑みを浮かべつつ柔らかい口調で会話を続けるが、何だか結構雰囲気が怖い。

 「まあ、別にやましい所もないし、構わないわよ。」

 「同席を認めて頂き、ありがとうございます。」

 ヨハンナはニッコリ笑ってマヤに一礼すると、双子に目配せする。

 それで双子は退出しかけたが、あたしは左手を上げてそれを制した。

 「その前に一つはっきりさせておきたいんだけど、あんたはどうしてあたしが此処にいる事を知ったの?」

 あたしの仕草で退室しようとする動きを止めた双子は訝しげにあたしを見たが、あたしの問いを聞くとその視線の先を同時にマヤへと変えた。

 「クリーガー商家のルドルフから聞いたの。」

 マヤがあっさりと答えた。

 その返答を受け、ヨハンナが再び双子に目配せすると、今度こそ双子は一礼して退室した。

 双子が退室すると、マヤがいつもの胡散臭い笑みを浮かべた。

 「座ったら?」

 「そうね。」

 あたしは頷くと、ベッドに座ったマヤから見て正面の、しかし少し離れた場所に椅子を引き寄せて腰を下ろした。

 一方、ヨハンナはあたしの隣に椅子を引き寄せ座る。

 「色々と大変だったみたいねぇ。」

 マヤがなんてことのない世間話みたいな口調で言う。

 「あたしがどう大変だったのか、あなたはどれくらい知っているの?」

 あたしは言葉を選びつつ、冷静な口調を心掛けて尋ねる。

 「世間一般に知られている事くらいしか知らないけど?」

 マヤがニコニコ笑いつつ、曖昧な返答を返してきたので、あたしはもう少し突っ込んでみる。

 「お友達のルドルフお爺ちゃんから、世間一般より詳しい情報は教えて貰ってないの?」

 「お爺ちゃんから教えて貰った特別な情報と言えば、あなたが此処に居るらしいって事くらいね。あたしはただのメッセンジャーだから。」

 「メッセンジャー?」

 マヤが意外な事を言い出した。

 「ルドルフお爺ちゃんが、ゾラに会いたがっているのよ。」

 「あたしに?どうして?」

 あたしはルドルフとは全く面識がないし、そもそもあたしにとって彼は雲の上の存在で、向こうがあたしの事を知っている事自体が俄には信じられない。

 「姉さん、この方が支払ったヘスラ火山遠征の報酬って、ルドルフから借りたものでしょう?だったら姉さんがドラゴン・テイマーである事がルドルフに伝わっていてもおかしくはないわ。」

 横からヨハンナに指摘され、それはそうか、と腑に落ちる。

 だが、そういう理由ならルドルフに良いように利用される未来しか見えず、益々気が進まない。

 あたしが渋い顔をしたまま黙っていると、ヨハンナが横から助け舟を出してくれた。

 「姉さんの側には、ルドルフと会う理由が見当たらないんだけど?」

 「色々と情報は得られると思うわ。まあ、あの曲者のお爺ちゃんから話を聞き出すのはそれなりに大変かもしれないけど。」

 「情報?」

 あたしは眉を顰める。

 「まあ、妹さん、というか冒険者ギルド長やその派閥に役立つ情報が得られる可能性はかなり高いと思うわ。妹さんだって、クリーガー商家の当主に会って話せる機会の重要さは分かるでしょう?」

 「それは……。」

 今度はヨハンナが渋い顔になった。

 ルドルフとの会談は情報収集の意味でも、革新派に対する彼の協力を継続させる意味でも、ソニアの右腕という立場のヨハンナにとって大きな意味を持つ。

 しかしあたしの妹の立場としては、あたしのリスクが大きすぎるから葛藤しているのだろう。

 「それに、ゾラにとっても役立つ情報も得られるかもね。例えば、これからどう動くべきかのヒントが得られるかもしれない。」

 短い沈黙の後に放たれたマヤの言葉は具体性を欠いていたにも拘らず、あたしの心を少なからず動かした。

 ダリルから依頼された件の調査は、この街の支配者階級から情報を得られなかった事によってある時点から停滞してしまったのだが、ルドルフとの会談はこの停滞した状況を打破するまたとない機会となるかもしれない。

 まあダリルの依頼を達成する事自体、今となっては無意味なってしまったのかもしれないが。

 「まあ、あたし達にメリットがある事は何となく分かる。でも、ルドルフ側のメリットは?今のあたしは犯罪者だし、あたしと会うのはルドルフにとってかなりのリスクを伴う事よね?」

 「普通に考えればそうね。

 でも例えば、姉さんを騙して捕まえれて旧守派に引き渡せば、リスクを超えるリターンはあるかもね。」

 ヨハンナが珍しく、あからさまな皮肉を込めて言う。

 しかしマヤは全く動じる事なく、淡々とした口調で返してきた。

 「ルドルフが今まで革新派に肩入れしてきたのは、義俠心とか正義の為じゃなくて、あくまで彼の考える利益のためよ。

 ゾラに会うのもそれと同じ。

 あたしからは詳しく言えないけど、今旧守派は自分達の利権の為に本土の反動貴族達にこの街を売り飛ばそうとしているの。

 それはルドルフにとって明らかに一線を超えた行為よ。それを阻止する為なら青臭い理想論を語るだけの連中に力を貸すのだって吝かではないって事なんじゃない?」

 「青臭い理想論ねぇ。」

 あたしは思わず苦笑した。

 昔から改革派についての常套手段的な陰口ではあるが、それを革新派のリーダー格の1人であるヨハンナに対して攻撃的になる事なく普通にサラッと言えたのはマヤらしい気がする。

 それにしても今のマヤの発言で、先程ヨハンナから聞いたばかりの情報の裏が図らずしも取れてしまった。

 流石にルドルフも、この情報についてはしっかりと掴んでいるようだし、彼女自身の言葉を借りれば単なるメッセンジャーのマヤにまで漏らしたのは、反動貴族によるハーケンブルク侵攻が最早後戻り出来ない段階まで進んでしまっている1つの証左なのかもしれない。

 「それは、青臭い理想論に肩入れすれば勝機があると判断した時の話でしょう?現実主義のルドルフとしては、勝機が無いと判断すれば自分の主義を曲げ、損切りしてでも勝馬に乗ると私は思うのだけど?」

 考え込むあたしの横でヨハンナの方も、穏やかな口調と表情を崩す事なくやり返す。

 「それについては、まあ、あたしの憶測ではあるけど思う所があってね。」

 マヤの声が少し低くなる。

 「ルドルフお爺ちゃんは恐らく、自分の寿命がもう長くないと思っている。だから、自分の利権とか権威とか、そういうものに対して以前より執着しなくなっているんじゃないかな?」

 マヤの言葉を聞いても、あたし自身は噂でしか知らない人物の話だけに特に思う所は無かったが、チラリとヨハンナの顔を見ると神妙な表情で黙り込んでいた。

 その表情を見て、あたしはヨハンナも今マヤが言ったのと似たような情報を得ているのかもしれない、と思った。

 「……でも、自分自身の利権の為ではなくとも、クリーガー商家の後継者の利権の為に動く事もあるわよね?」

 そう反論するヨハンナの口調は幾らか弱々しかった。

 「まあ、そういう事もあるでしょうね。」

 落ち着いた声でヨハンナの反論を肯定したマヤの態度には、むしろ余裕を感じた。

 それを聞いて、ヨハンナは大きく溜め息を吐いた。

 あたしはヨハンナの反応を確認すると、視線をマヤに向けた。

 「あんたがルドルフに雇われただけのメッセンジャーだという立場を理解した上で、敢えてあたしはあんたの個人的な意見を訊きたい。あたしはルドルフに会うべきだと思う?」

 あたしの質問に、マヤとヨハンナが揃って驚いた様な表情になる。

 一瞬後、マヤの方が先に元の表情に戻った。

 「そうね、会う価値はあるとあたしは思うわ。」

 その言葉を聞いてヨハンナは渋い顔をしたが、何も言わなかった。

 「分かった。会いましょう。」

 あたしの言葉を聞くと、ヨハンナは今までとは一変した厳しい口調でマヤに言う。

 「姉さんの決断にはもう口は挟む気はないけど、あなたには個人的に誓って欲しい。

 姉さんを危険に巻き込む事はしないと。」

 ヨハンナの言葉に対し、マヤは何時もの胡散臭い笑みを浮かべた。

 「あら、お姉さんから聞いていない?あたしはかなりお姉さんの事を気に入っているつもりだけど?」

 匂わせの様な言葉にあたしは思わず顔を顰めたが、ヨハンナはあたしの方を一顧だにせずマヤを見つめたまま続ける。

 「あなたは一度、姉さんをヘスラ火山で危険に晒した。そして今も誤魔化す様な物言いをする。それで信用しろと?」

 「やれやれ、中々厳しい妹さんね。」

 マヤはあたしの方を見て苦笑した。

 個人的には、誓いとは守るつもりのある者が立てるからこそ意味があるもので、マヤに誓わせてもさほど意味があるとは思えないのだが。

 「いいわ、あたしはゾラを罠に嵌めたり無闇に危険に曝すつもりは無いと誓うわ。」

 マヤはヘラヘラ笑いつつ、軽い口調で言う。

 とても誓いを立てる人の態度ではない。

 あたしにとっては予想通りだが、ふとヨハンナを横目で見ると、彼女の頬がピクピクと引き攣っているのが見えた。

 しかしヨハンナは怒りを爆発させる事もなく、自らを落ち着かせる様に大きく溜め息を吐く。

 「……どうしてルドルフは、この人を寄越したんでしょうね?」

 ヨハンナが独り言にしては明らかにハッキリとした声で呟く。

 「さあ。あのお爺ちゃんが何考えているのか正確には分からないけど、普通に考えてゾラとお爺ちゃんの共通の知り合いがあたししか思い付かなかったからじゃない?」

 ヨハンナの独り言っぽい言葉に、マヤが普通に答えた。

 ヨハンナはマヤの事を黙って見つめていた後、口調を改めて尋ねる。

 「それで、いつ会うつもり?」

 「可能なら今から。」

 マヤが即答すると、ヨハンナがあたしに返答を促すように視線を向けたので、あたしは答えた。

 「今は他にやる事無いし、此処のマダムとその雇い主であるヨハンナの了承が得られるならあたしは構わないわよ。」

 あたしの答えにヨハンナは頷き立ち上がった。

 「分かった。あたしは他に用があるから付いていく事は出来ないけど、充分注意してね。マダムには双子を通して話を付けておく。」

 「ありがとう。あんたも気をつけてね。」

 あたしも立ち上がると、ヨハンナと軽くハグし合った。

 ハグが終わるとヨハンナはマヤに向き直る。

 「それじゃあ、姉さんを宜しくお願いします。」

 ヨハンナは笑顔を浮かべつつ礼儀正しく言ったのだが、あたしの目には何故かマヤを威圧している様に見えた。

 「ええ、分かったわ。」

 ヨハンナの圧を、いつもの胡散臭い笑顔でマヤも軽く受け流す。

 ヨハンナは小さく息を吐くと踵を返しかけたが、ふと思い出したかのようにマヤに視線を戻した。

 「そういえば、あなたは東方の出身でしたよね?」

 「ええ、見ての通り。」

 確かにマヤもナギも、西方人が思い描く典型的な東方人といった容貌をしている。

 「東方の何処か訊いても良いかしら?」

 「東方の中心部といえるハン帝国から更に海を隔てた小さな島国ですよ。」

 「という事は……、『ホーライ国』?」

 ヨハンナの答えに、一瞬だけだがマヤは珍しく驚いた様な顔をした。

 「よくご存知で。東方人と言えばハン帝国人と一派一絡げにする人が殆どなのに、流石博識でらっしゃるのね。」

 マヤは一見感心した様に言うが、あたしの彼女に対する偏見のせいかなんだか軽薄なおべんちゃらにも聞こえてしまう。

 ヨハンナはマヤのお追従にはほぼ反応せずに、あたしに視線を向けた。

 「何?」

 眉間に皺を寄せつつあたしを凝視するヨハンナの様子に少し不安になったあたしは、妹相手なのについ愛想笑いを浮かべつつ尋ねる。

 「いえ、何でも。」

 ヨハンナはニッコリ笑うとあたしの左肩を軽く叩いた。

 「それじゃあ姉さん。色々気をつけてね。」

 ヨハンナは意味有りげに言うと、部屋を出て行った。

 ヨハンナを見送ると、あたしは椅子の上で脱力してしまった。

 「中々お姉さん想いの妹さんね。」

 マヤがからかう様に笑う。

 その笑みは意地が悪い印象だったが、同時に先程までの笑顔より自然なものに感じられた。

 あたしはジロリとマヤを見る。

 「こんな微妙な時期に、胡散臭い話を持ち込んでくるからでしょ?」

 「それはそうだけど、時間が無いのも確かなのよ。」

 ルドルフの先が長くないという先程の話を思い出し、あたしはマヤを見つめた。

 「どういう意味で?」

 「色々な意味で。」

 相変わらずはぐらかす様な物言いに少し苛立つが、なんだか彼女のそういう所にも少し慣れてきてしまった様な気もしてきた。

 あたしは椅子から立ち上がった。

 「それなら早速行こうか。」

 「あら、せっかちね。ちょっとだけ楽しまない?折角こういう場所なんだし。」

 そう言ってマヤはベッドの上でわざとらしくしなを作る。

 「マジか?」

 あたしは呆れて言った。

 しなの作り方が余りにもわざとらしかったので恐らく冗談だとは思うが、あながち冗談と断言出来ないのがマヤだ。

 そもそも普通の感性なら今この状況でそんな冗談は出てこないだろう。

 「あら、そんな呆れた顔しないで。ほんの冗談よ。」

 マヤは悪びれずに言うと、立ち上がってあたしに近づく。

 そして、あたしの頬を艶めかしい手つきで軽く撫でた。

 「それにあなたと愛し合う時は、男に化けていない時にしたいしね。」

 そう言うとマヤはあたしの脇をすり抜け、外套掛けに掛けてあった半乾きのマントを羽織ると部屋の扉を開けた。

 そこには双子の片割れが待っていたが、利き手が分かる動作をしないと未だにあたしにはどちらか見分けがつかない。

 「お待たせ。聞いていると思うけど、ちょっとゾラを借りるわね。」

 「承知しております。出口まで案内しますね。」

 そう言って双子の片割れは、右手で廊下の先を指し示す。

 という事はエマか。

 あたしもマヤも、マントのフードを深く被り直してから廊下を歩き始める。

 「あたしが出掛けている間、ノエルとジーヴァの面倒を見てくれたら有り難いんだけど?」

 彼らを連れて歩くと目立つので、今回は置いていく事にしようと思い、エマに頼んでみる。

 「ええ、構いませんよ。」

 「世話かけるね。」

 「いいえ。」

 廊下ですれ違った娼婦や客は1組だけで、ロビーに降りてきても客は2人程しか居なかった。

 ロビーの奥のテーブルではマダムが煙管をふかしながら何やら書類とにらめっこしていたが、あたしに気付くと愛想よく手を振ってきた。

 正直あたしはリアクションに困ったが、取り敢えず軽く左手を挙げてそれに応じた。

 「あなた、誰とでもすぐ仲良くなれるのね。」

 マヤが、からかう様に囁く。

 「そう言う訳じゃないけど。」

 あたしは答えてから男声を作っていなかった事に気づいて顔を顰めた。

 ヨハンナと再会して、ここがある程度安全だと分かってからどうも気が緩んでいるようだ。

 幸い小声だったせいで、近くにいたエマはともかく客達には聞かれなかったようだが。

 ロビーの玄関から外を見ると、久々に陽光が差していた。

 2週間以上雨か曇りだった上に、その後4日も地下に籠もっていたので随分久しぶりに陽の光を見た気がする。

 だが外に出ると実際には空の8割近くが分厚い雲に覆われており、たまたま僅かな雲の切れ目から太陽が覗いていただけだった。

 路面は相変わらず濡れているし、つい先程まで雨が降っていたのかもしれない。

 そして空を見上げるに、いつまた雨が降り出してもおかしくない空模様である。

 「それではゾロ様、お気をつけて。」

 玄関でエマが深々とお辞儀をしながら言う。

 「ゾロ?」

 耳聡くマヤが、エマが口にした偽名に気づく。

 「男装時のあたしの偽名よ。」

 「ふ〜ん。」

 マヤが意地悪くニヤニヤと笑う。

 あたしをからかう為の良いネタを手に入れたとでも思っていそうだ。

 「それじゃあ、行ってくる。」

 今度は男声を作ってエマに言うと、マヤを見る。

 「で、何処に行けば良いの?」

 「スラムの外で馬車が待ってるから、取り敢えずそこまでは歩きよ。」

 「まあ、スラムの中に馬車は入れないか。」

 スラムの中に馬車で乗り入れるような目立つ事をしたら、余程の数の腕利きの護衛を動員しない限りまず間違いなく略奪の対象になってしまうだろう。

 生半可な護衛では、スラムの中に大量にいる自暴自棄になっている食い詰め者達に数の力で押し切られてしまうはずだ。

 マヤが先導し、あたしが周囲を警戒しつつその後ろを歩く。

 あたし自身今現在はお尋ね者だし、それでなくともスラムの中は危険だらけなので、どうしても緊張感で肩に力が入ってしまう。

 だが、前を行くマヤは何時もと変わらず軽やかな足取りで歩いていく。

 フードやマントで顔や体型が判り難いとはいえ、一見して女性と分かる歩き方だ。

 スラムで女性が出歩く時は、安全の為にも女っぽさをなるべく出さない様にたち振る舞うものなのだが。

 数は少ないが、用心の為にあたしの様に男装までする者も一定数はいるくらいだ。

 だが不思議と、あちこちにたむろしている目付きの悪い男達の注目を集める事はなかった。

 存在を希薄に感じさせたり、周囲の風景に溶け込んだりして、注目を集めない様にする魔法でも使っているのだろうか?

 でもそうした魔法を使った場合、あたしが見てもマヤの姿がぼやけたりして何時もと違う見え方をするはずだ。

 でも、前を行くマヤの姿はあたしの目には何時もと変わらず普通に見えている。

 そういえば、ノエルはマヤの事を混沌魔術の使い手と言っていたな。

 混沌魔術師は数が少ないし、その性格上系統立った学問なんて無いから、あたしの知識の及ばない呪文や魔法の応用なんかを使っているのかもしれない。

 そうしたちょっとした疑問は生じたが、何事もなくスラムの外に出れた。

 とはいえお尋ね者として衛兵や賞金目当ての冒険者につけ狙われている今、スラムの外でも危険度は変わらない。

 相変わらず緊張感が解けないままマヤの後ろを歩いていると、スラムから出て幾らも歩かない内に、待機している馬車が見えた。

 1頭立ての小型の2輪馬車で、御者台が座席後方にあり、座席の屋根越しに手綱を使うタイプだ。

 街中での短距離移動に特化したタイプの馬車で、小金持ち以上の連中が乗り回しているのを偶に見かけるが、あたしはこの手の馬車に乗った経験はない。

 スラムの外とはいえここはまだ下町であり、実用一辺倒とは程遠いこの手の馬車は場違い感が半端ない。

 馬車の傍らで暇そうに煙管を吸っていたお仕着せを着た中年の御者が、マヤに気づいて吸っていた煙管の灰をいささか乱暴に路上に落とす。

 「早かったな。」

 「あら、そう?」

 「まあいい。早く乗りな。」

 中年御者は座席前方の、足元しかカバーしない観音開きの扉を開けながら言う。

 御者が脇に退くとマヤは、馬車のキャビン脇に付属している小さなステップの前で立ち止まり、さも当然といった感じであたしに対して左手を差し出してきた。

 そうなれば御者の手間、男装したあたしがエスコートするしかない。

 「よろしくお願いするよ。」

 マヤをエスコートする前、あたしは御者に軽く会釈をした。

 「ああ。」

 御者はぶっきらぼうに返してくる。

 面倒事には極力関わり合いにはなりたくない、とその表情が雄弁に物語っていた。

 マヤはあたしの手を取ってステップに足を載せ、馬車に乗り込む。

 こういう時のマヤは堂々とした仕草が自然と様になっており、貴族等の上流階級の出身ではないかという以前から感じていたあたしの想像がより強まる。

 続いてあたしも馬車に乗ると御者は例の足元だけカバーする小さな扉を閉め、座席後方の御者台に登る。  

 御者が手綱を振るうと馬車はゆっくりと動き出した。

 サスペンションの効きが良いのか、乗り心地はかなり良い。

 何か意味があるのかと思っていた膝上までしかない小さな観音開きの扉も、馬車を曵く馬が跳ね上げてしまう飛沫や小石をかなり防いでくれるし、屋根も結構前方までせり出しているので、横殴りのもの以外なら雨も結構防いでくれそうだ。

 それに、この馬車自体は下町では悪目立ちしてしまうが、乗り込んでいるあたしの人相風体についてはすれ違う人々からある程度は隠してくれる。

 ただ、貧乏人気質の抜けないあたしの感性では、この手の金持ち向けの馬車に乗っているのはどうにも居心地が悪い。

 その点マヤは、あたしと違って乗り慣れた様子でリラックスしている。

 そういう図太い所は見習うべきなのかもしれない。

 馬車が走り出して幾らもしない内にマヤが身を寄せてきた。

 座席は2人で座るにはかなり余裕があるし、路上に通行人が溢れているせいで馬車はかなりゆっくり走っているのでほとんど揺れも無い。

 つまりマヤが身を寄せてきたのは意図的なものなのだが、その意図が分からずあたしは尋ねる。

 「……どうした?」

 小声なら御者には聴こえないとは思ったが、一応男声を作って尋ねる。

 「あら、良いじゃない。あたし達、他人じゃないんだし。」

 そう言って、元々細い目を更に細めてマヤが笑いかけてくる。

 くそっ、相変わらず色っぽい表情だな。

 それに身を寄せてきたせいで、香水が混じった彼女の匂いが鼻をくすぐる。

 匂いを嗅ぐと、どうしても彼女と過ごした2度の夜の事を思い出してしまう。

 とはいえ、完全には目隠しのされていない馬車の中でいちゃつける程、あたしも図太くない。

 「今はあんまり目立ちたくないんだけど。」

 「ええ〜、良いじゃない。」

 やんわりと拒絶しようとしたが、マヤはわざとらしく甘えた様な上目遣いで見上げてくる。

 打算があるのが分かっていても、拒否するのが難しくなってしまうような目つきだ。

 自意識過剰気味なのはわかっているが、通行人達の視線が酷く冷たく感じてしまう。

 実際の所は、殆どの通行人は馬車の中の様子に気づいていないだろうし、気づいていても無関心なのだろうと頭では分かっているのだが。

 まあ、マヤに何を言っても軽く受け流されるだけなのはこれまでの付き合いで分かっているし、周りの目を抜きにすればしなだれかかられるのも悪い気はしないので、気を取り直してそこはスルーし、訊きたかった事を尋ねる事にする。

 この質問をすればマヤが機嫌を損ねる事は予想出来てはいたが、いつもマヤの掌の上で踊らされている感じもあったあたしにとって、ちょっとした意趣返しの気持ちもあった。

 「とことでナギは元気?」

 あたしの言葉にマヤは予想通り不機嫌な顔になり、あたしからパッと離れる。

 「……どうしてあの女の事を訊くの?」

 暫く間を置いてから、珍しく低い声色で訊いてきた。

 「彼女のお陰で助かったし、そのせいで彼女が官憲に目を付けられていたらあたしの目覚めが悪いじゃない。」

 何となく言い訳がましい口調になったが、これはこれで正直な気持ちだ。

 助けてもらった後は知らない、という気持ちには流石になれないし、同居している姉妹のマヤなら情報源としても確実だろう。

 マヤは不機嫌そうな表情を隠そうともせず、黙ったまま前方を見据え黙り込んでいる。

 例の胡散臭い笑顔をこれほど長時間浮かべていないのは初めてかのしれない。

 気まずい沈黙が流れる中、馬車はゆっくりと下町を通り過ぎて行く。

 ハーケンブルクでは、港湾地区を除けば基本的に貧しい者程海に近い低地に住み、金持ち程海から離れた高い場所に住む。

 ハーケンブルクは街全体が海からヘスラ火山の麓に向かって緩やかに傾斜しており、馬車は街の高台にある山の手に向かってその緩やかな坂道をゆっくりと登っていく。

 人通りが多いせいで馬車はゆっくりと進まざるを得ず、中々下町から抜け出せない。

 かなりスピードが出そうなこの馬車がノロノロとしか進めないのは、まったくもって性能の無駄遣いといった感じだ。

 すれ違う通行人達に改めて視線を向けると、乗っているあたし達の事をあからさまに覗こうとする連中は流石に皆無ではあったが、それでも下町には不釣り合いな馬車自体に対し不躾な視線を送る通行人の数は思った以上に多く、あたし自身その気持ちは分かるので、居心地の悪さに拍車がかかる。

 結構な時間をかけて緩やかな坂を登り続けると、次第に通行人の数も減り、似たような馬車もチラホラ見えてきた。

 ようやく下町を抜ける事が出来たようだ。

 下町と山の手の境目であるこの周辺は高級住宅街に住む金持ち向けの店が立ち並ぶ上品な歓楽街で、この前エレノアと食事した高級レストランもこの近辺にある。

 通行人の数は大分減ったが、その数少ない通行人の多くが従者を引き連れている着飾った金持ち連中であり、彼らに対しても下町の住民に対するのとは別の意味で気を遣う必要が出てくるので、やはり馬車はスピードを抑えて進んで行く。

 それでもここまで来ると不躾な視線もなくなるので、気持ち的には少しだけ楽になる。

 ふと横を見ると、マヤはまだむっつりと黙ったままだった。 

 仲が悪いとは思っていたが、こんなに不機嫌になるとは正直予想外だった。

 質問した時はちょっと意地悪な気持ちもあったが、その主要な意図がナギの無事を確かめたかっただけなのは確かだし、失言したとも思っていなかったが、このままではちょっと空気が重すぎる。

 ちょっと後ろめたい気持ち自体も確かにあったので、ここはあたしが折れる事にした。

 「悪かったよ。」

 あたしはマヤに向かって頭を下げた。

 「……何が?」

 微妙に間を開けて、マヤが聞き返してくる。

 彼女の顔には例の胡散臭い笑顔が戻っていたが、いつもと違って作っている事が明らかに分かる様な作り笑いだ。

 普通に怒りを顕にするより怖い。

 何となくそんな感じはしていたが、滅多に怒らない分、一度怒るとしつこいタイプかもしれない。

 「あんたが不機嫌になるのを承知で、ナギの名前を出したって事よ。何だかいつもあんたに良いようにされている気がして、大人気なく意地悪してしまった。本当にゴメン。」

 あたしなりに誠実に頭を下げたが、マヤは作り笑いを浮かべたままあたしの顔をじっと見つめている。

 馬車の車輪の回るカラカラとした音がやけに大きく響いている気がした。

 「……別に怒ってなんかないわよ。あんな女の事で。」

 口調はいつも通りだったが、喋り始めるまでの間といい、とても額面通りには受け取れない。

 「ナギはいつも通りよ。相変わらず貧乏人の為に何の得にもならない事を続けているわ。」

 まあ、これまで通り治療院で変わらず働いているという意味なのだろうが、言い方に一々棘があるな。

 その事を指摘したい気持ちはあったが、これ以上マヤの機嫌を損ねたくなかったので、あたしは突っ込まずにおいた。

 「そうなんだ。教えてくれてありがとう。」

 「どう致しまして。」

 それからあたし達の会話は再び途切れた。

 気まずい雰囲気のまま馬車は高級住宅街の中へと入っていく。

 高級住宅街に入ると坂の傾斜がキツくなってきた。

 なるほど、足腰の弱い老人や肥満した者達にはこの坂は厳しいかもしれない。

 相変わらず自分で乗ろうという気は起きないが、このタイプの馬車の需要がある理由は理解出来た。

 高級住宅街に入ると、それ程長い距離を走る事なく馬車はとある豪邸の門前で停止する。

 まあ、今は門と塀しか見えないので、中が本当に豪邸なのかは分からないが。

 御者が、門前で警備している門衛と二言三言言葉を交わすとすぐに門が開いて馬車はそのまま邸内へと入っていく。

 物語ではよく、領主や大金持ちの邸宅は門から屋敷まで延々広大な庭を進むのがテンプレであるが、門の内側の庭園は想像以上に狭く、門を潜ると直ぐに屋敷が見えた。

 屋敷は2階建ての重厚そうな建物で、凄く古臭い雰囲気がある。

 ここ高級住宅街は、ハーケンブルクが自治権を得た後に拡張された部分であり、ここより低地の港湾地区や下町よりも歴史は浅いはずだ。

 高級住宅街建設当時に建てられたとしてもせいぜい築70年くらいだろうが、築300年と言われても不思議ではない雰囲気がある。

 ただその詳細をじっくり観察する猶予もなく、馬車はルーフバルコニーの下の玄関扉の前に辿り着く。

 想定以上に庭園が狭く感じられたが、土地不足のハーケンブルクでは大金持ちであってもこの程度の広さが限界なのかもしれない。

 ルーフバルコニーの下で馬車が止まるとすぐに若い厩番が駆けつけてきて御者から手綱を受け取り、馬の世話を始めた。

 御者は御者台から降りると、前に回り込んできて座席の前の小さな扉を開け、直ぐ脇に退く。

 あたしが先に馬車から降りると、マヤが当然の様に手を差し出してきた。

 あたしに腹を立ててはいても、あたしがエスコートするのは彼女にとって当然の行為らしい。

 あたしの手を借りて馬車から降りると、マヤは直ぐにあたしの手を離す。

 やっぱりまだ根に持っているようだ。

 マヤはサッパリした気質だと思っていたが、どうやら間違だったようだ。

 それとも、ナギの事だけが特別な地雷なのだろうか?

 その事を深く考える間もなく玄関扉が開き、いかにも執事といった風貌の初老の男が現れた。

 何だか見覚えがある気もするが、確信は無い。

 「お待ちしておりました、マヤ様。」

 男は慇懃無礼を絵に描いたように一礼すると、あたしに視線を走らせた。

 「こちらの方が、ゾラ様ですか?」

 「ええ、用心の為に変装しているけど、間違いないわ。」

 マヤは、馬車に乗っていた時より明らかに自然に見える作り笑いを浮かべつつ答える。

 「ゾラ様、一度マヤ様を迎えに行った時にお会いしておりますな。改めて自己紹介させて頂きます。私、当家の執事をしておりますクンツと申します。以後、お見知りおきを。」

 慇懃無礼に挨拶するクンツを見て、あたしはマヤと初めて関係を持った夜に彼女を迎えに来た馬車に乗っていた執事だとようやく思い至る。

 「ゾラです。こちらこそよろしく。」

 男装のままでは違和感があると思ったが、あたしが女だとバレている以上男声を作るのも妙だと思い、地声で挨拶する。

 「あ、そうそう。」

 マヤはわざとらしく今思い出したとアピールする様に両手を叩きながら、意地の悪い笑顔を浮かべた。

 「ゾラに事情があって男装している事は知ってるでしょう?だから男装している時はゾラじゃなくてゾロって呼んであげてね。」

 マヤの笑みから察するに、この女はあたしの安直過ぎる偽名をイジる気満々のようだ。

 「なるほど、ゾロ様ですね。了承致しました。」 

 クンツはクンツで表情一つ変えずに生真面目な口調で確認してくる。

 あからさまに笑われるより、こちらの方が恥ずかしい。

 ゾロという偽名はそろそろ変えるべきかもしれない。

 如何にも有能な執事然としたクンツは、淡々と話を進めていく。

 「早速ですが主人が待っております。どうぞ、こちらへ。」

 玄関扉を潜って屋敷の中に入ると、中年のメイドが出迎えてくれた。

 「マントをお預かりしますね。」

 「ああ、どうも。」

 近づいてきた中年メイドに、一応男声で返事をする。

 自分で脱ぐものなのか迷っている内にメイドが素早く手を伸ばしてきたので、彼女に任せる事にする。

 昔、依頼人の金持ちの家に招待された時は、使用人に全て任せるのが礼儀だという話を聞いた様な気もするが、その時の記憶も定かでなければその話が本当なのかも分からない。

 中年メイドにマントを脱がしてもらいつつ、そういう事に慣れていないあたしは落ち着かずに周りを見渡す。

 玄関ホールの中は静まり返っており、執事のクンツとこの中年のメイド、それにあたしとマヤ以外に人の気配は感じない。

 例の依頼人の金持ちは四大商家よりかなり格が下だったはずだが、その屋敷でさえ目についただけでも結構な人数の使用人を見かけたものだ。

 素人目にも使用人の数が少なすぎる気がする。

 改めて玄関ホールを見渡すと、あたしが今匿われている娼館の『ローゼン・ガーデン』の玄関ホールと似通った間取りなのに気づき、少し笑えた。

 ただ、ケバケバしい内装だった『ローゼン・ガーデン』と違って内装は地味であり、加えて屋敷内の照明はかなり落とされているせいか印象はまるで違っていた。

 掃除が行き届いていて清潔であるにもかかわらず、廃墟じみた印象さえあった。

 中年メイドはあたしに続いてマヤのマントも脱がす。

 流石にマヤは堂々とした様子で、こうして世話されるのに慣れている感じがする。

 「では、こちらへ。」

 あたし達がマントを脱がされ終えたのを見計らって、執事のクンツがゆっくりと屋敷の奥に向かって歩き出す。

 あたしは彼の後に続き、マヤもあたしの後をついてくる。

 クンツは1階の奥まった所にある扉の前で立ち止まり、ノックをした。

 「ご主人様、クンツでございます。」

 「入れ。」

 クンツの呼びかけに対し、中からかなり掠れてはいるがハッキリとした声が聞こえてきた。

 クンツは静かに扉を開けて、中に入ると部屋の奥に向けて一礼をする。

 「失礼します。お客様をお連れしました。」

 「通せ。」

 先程の掠れた声に、あたしは戸惑う。

 クンツは扉を抑えたまま脇に退いて、あたし達の為に場所を開けた。

 「どうぞ、中にお入り下さい。」

 「ちょっと待って。武器とか預けなくて良いの?」

 背中に背負った折れた魔剣は実戦の役には立たないが見た目だけは剣呑な物だろうし、腰の短剣にしても大型万能ナイフにしても殺傷能力は十二分にある。

 というか、部屋に通される前にボディーチェックくらいはされると思っていたし、最低でも目立つ武器は預けなければならないと思っていたのだが、そういう手続きもなくいきなり中に通されるとは予想外で、少し浮足立った。

 「構わん。お前さんも理由もなく儂を害そうとする程愚か者ではないだろう。」

 部屋の中から先程と同じ掠れ声がした。

 普通に話していても、相手に威圧感を感じさせる様な声だ。

 初めて聴いた声だが、あたしはすぐにルドルフの声だと確信した。

 まあ、ここでゴネても仕方がないので、あたしは腹を括って入る事にする。

 「失礼します。」

 あたしは一礼しつつ部屋に入る。

 部屋の奥に大きなベッドがあるので寝室なのは間違いないだろうが、その大きなベッドの近くに執務机もあるし、壁際には本棚もあって書斎の様な雰囲気もあった。

 執務机の傍には如何にも金持ち商人風の上等な服を着込んだ初老の男と、それより一回り若い中年の男がこちらに不躾な視線を向けていた。

 ベッドの脇には上品そうな初老のメイドが穏やかな笑みを浮かべている。

 そしてベッドの上には分厚いガウンを羽織り、首にも分厚いスカーフを巻いた老人が、腰上まで掛け布団に包まりつつも上体を起こした姿勢でこちらをジッと見つめていた。

 特徴的な鉤鼻と、痩せこけた皺だらけの顔に薄くなった白髪頭という典型的な老人っぽい容姿、その老人らしい容姿には不釣り合いな鋭い目付きをしたこの男こそ、この館の主人であるクリーガー商家の当主、ルドルフである事に疑いの余地はなかった。 


 読んでくださり、ありがとうございます。

 前書きにも書きましたが、誠に勝手ながら『アドルフ』という登場人物の名前を『ルドルフ』に変更しました。

 深く考えずに適当につけてしまった名前ですが、実在した同名の有名人の存在を考えた場合、安易につけるべき名前ではないと個人的に思うようになった事もあり、名前の変更を決意しました。

 加えて今後の話になりますが、『モリソン』以外の四大商家の家名も変更するつもりです。

 こちらも

 「4つも姓を考えるのが面倒」

 との安易な考えで、昔の某ロックバンドのメンバーの姓をそのまま流用したのですが、ずっとしっくりこなかったので、この際変更しようと思います。 

 ついでに、最近になって思いついた登場人物を物語初期に登場させるつもりですが、こちらは顔見せ程度で物語を大きく変更させるつもりはありません。

 また、物語を書き始めた当初は曖昧にしていた地名等も加筆するつもりです。

 こういった変更は1エピソードずつ順次行うつもりです。

 そのため、エピソード毎に固有名詞が異なる等混乱を招くかもしれませんが、ご容赦下さいませ。

 実際に変更を行った場合は各エピソードにて、固有名詞の置き換えの場合は前書きに、話の内容に手を加えた場合や加筆等は後書きにてその旨を表記するつもりです。

 更に加えて、この作業中に誤字脱字やおかしな表現を見つけたりした場合、細かな修正も行うかもしれませんが、そういった細かい修正については特に明記しないつもりです。

 以上、長々と失礼しました。

 次回の投稿は7月上旬を予定しています。

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