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第3章 煙る雨 9

 あけましておめでとうございます。

 レベルの低い目標ではありますが、今年は1年を通じて月1回投稿を継続していきたいと思っております。

 昨年拙作を読んで下さった皆様、またブックマークや評価をして下さった皆様、今年も宜しくお願いします。


 2025年11月10日

 細かい修正を行いました。


 来る時に通ったメインストリートを避け、あたしは人気のない裏路地を選んで帰路へと就く。

 色々な意味で目立ちたくなかったし、誰からも声をかけられたくなかったからだ。

 鬱屈した気分で足早に歩いていると、前方の狭い路地を塞ぐようにたむろしている集団に気づき、あたしは思わず舌打ちをした。

 彼らはヒューマンと獣人が半々くらいの男達で、小雨とはいえ雨降りの中マントも羽織らず、ムキムキの筋肉をひけらかすように薄着か、あるいは上半身裸の格好をしていた。

 あたしが彼らに気づいてから一瞬遅れて彼らの内の何人かもあたしの方を見たが、あたしは彼らから視線を逸らし、彼らを避けるように脇の路地へと入ろうとする。

 遠回りになるが、仕方がない。

 「待てや、姉ちゃん。」

 だがしかし、あたしが脇道に入る前に集団の中でも一際立派な体格の虎の獣人の男が、よく通るドスの効いた声で話しかけてきた。

 あたしは足を止め、顔を上げて男達を睨みつけた。

 間違った行動を取っているという自覚はあった。

 その声を無視して、立ち去るのが正しい選択というものだ。

 もし連中がしつこく追いかけてきたとしても、短距離でも持久走でも足が自慢のレンジャーであるあたしが本気で逃げれば、そうそう追いつかれる事はない。

 だがこの時のあたしは、こんな連中に絡まれる程度の事が許容出来ないくらいに苛立っていた。

 男達がユルユルと近づいてきて、あたしの周囲を取り囲む。

 苛立ちつつも同時にどこか冷め切っていたあたしは、男達を冷静に観察していた。

 男達の総数は8人。

 内、3人は棍棒を手にし、4人は今の所は素手だが腰やブーツにナイフを差していた。

 あたしに声をかけた虎の獣人も素手だが、その鋭い鈎爪は武装しているのと変わらない。

 あたしはその虎の獣人を知っていた。

 ダリルから教えてもらった、異人街内部の3人の裏切り者候補の中でも最も怪しいと言われていたカシュガルだ。

 ダリルに教えてもらったカシュガルを含む3人をあたしは早速調査したが、結構早い段階で1人は無関係、もう1人は完全にカシュガルの使いっ走りになっており、その結果やはりカシュガルこそが裏切り者集団のトップであるのは間違いないと判断を下していた。

 調査の中で、カシュガルの後ろ暗い噂は数多く聞いたが、気になったのはある時点でその後ろ暗い噂の質が変わった事だ。

 ある時点までエドガーが言っていた通りカシュガルは、喧嘩や脅迫といった直接的で粗暴だが個人レベルの犯罪を突発的に行っていたのが、それが急に違法な高利貸しや地上げといった、陰湿かつ組織的な行為にシフトした。

 その変化が起こったのは丁度、彼が廃品回収業を始めた頃だ。

 そしてその変化が起こる前、彼は3回も捕まり短期の強制労働や罰金刑に服したのだが、廃品回収業を始めてからは違法行為の尻尾をほぼ出さなくなってしまっていた。

 あたしにしても、彼が裏切り者だという状況証拠はかなり集まったのに未だに決定的な証拠は得られていない。

 それだけ犯罪の証拠を残さないように用心深く振る舞っているのだろうが、粗野な乱暴者というイメージだったカシュガルの急激なスタイルの変化は、自覚のある無しに関わらず彼が誰かの指示に従って動くようになったからではないか、という推測にあたしは至っていた。

 なので一見暇を持て余しているチンピラが、単に目についた獲物を弄ぼうとするだけに見える今の状況も、もしかしたらカシュガルを操っている何者かの計略の一つなのかもしれない。

 もしそうならかなりヤバい状況のはずなのだが、あたしは妙に冷めた気持ちで彼らと自分自身を眺めていた。

 この冷めた感覚は、半分自棄になっていたのが原因かもしれない。

 「何か用?」

 あたしの口から、驚く程冷たい声が出る。

 「よう、姉ちゃん。ちょっと俺等と遊ばねえか?」

 カシュガルの隣りにいた、やはりマッチョの南方人ぽい男がニヤニヤ笑いながら声を掛けてきた。

 確か彼が、カシュガルが異人街来る以前にチンピラ達を束ねていたギルとかいう男だ。

 「お断りよ。用はそれだけ?」

 あたしは憮然とした態度を隠そうともせずに言う。

 あたしの反応に、男達の何人か不機嫌そうな表情になる。

 「なあ、姉ちゃん。俺達と何で遊べねえのか理由を教えてくれないか?」

 今度はカシュガルが、相変わらずのニヤニヤ笑いを浮かべつつ尋ねてくる。

 「自分達の顔と態度を考えればすぐ分かるはずよ。」

 「そうじゃねぇだろ、レズ女。」

 あたしが更に冷たい声で答えると、カシュガルがその臭い息がハッキリと分かる程顔を近付けて、言い放った。

 「俺達が男の良さを教えてやるよ!」

 「たっぷりと時間をかけてな!」

 取り巻きの牛の獣人と東方人がすかさず下品な合いの手を入れ、他の取り巻き達が下卑た笑い声を一斉にあげた。

 カシュガルの言葉と取り巻き達の息の合ったお追従は下手くそな芝居を見せられているようなわざとらしさが感じられた。

 根拠としては薄弱過ぎるが、これが単なる突発的な嫌がらせではなく、やはり計画的な行動であるかもしれない、という思いがあたしの中で強まった。

 少なくともシュガル達があたしがレズビアンであるという噂を流した張本人であるか、そうでなくとも張本人と繋がっている可能性はかなり高そうだ。

 異人街でのあたしの居場所を無くす企みの第一段階が噂で、第二段階がこの嫌がらせがという訳か。

 もしこの推測が当たっているとすれば、二流冒険者のあたしに対してかなりの人員を割いた上に手の込んだ事をしている。

 普通に考えれば被害妄想という結論に至りそうなくらい大掛かりな事をしているが、被害妄想ではないとすれば、あたしの行動を余程余程目障りに感じている奴がいるという事だ。

 それも結構な金と人員を動かせる奴だ。

 そう考えても、あたしの中には何の動揺も感慨も浮かばなかった。

 浮かんだのは冷たい怒りだ。

 その怒りを自覚した時、何故か無意識の内にあたしの顔に笑みが浮かんだ。

 無自覚に浮かべた笑みではあったが、取り巻き達の表情が一斉に強張り、その中の何人かは一歩二歩と後退った所を見るに、中々凄味のある笑みだったのかもしれない。

 「おい、何笑ってやがる?あまり舐めた真似してんじゃねえぞ!?」

 カシュガルはビビりこそしなかったが、その顔から下卑た笑いが消え、明らかに苛ついた表情へと変わった。

 「舐めた態度を取っているのはどっち?これ以上用が無いならあたしは行くわよ。」

 あたしは嘲笑を浮かべたままカシュガルの脇をすり抜けようとするが、彼はあたしのマントの胸ぐらを掴み、強引にあたしの行く手を阻む。

 「待てと言ってるだろう?」

 凄むカシュガルを、あたしは冷めた目で見上げる。

 「手を離してくれないかな?」

 あたしが淡々とした口調で言うと、カシュガルの顔がハッキリと怒りに歪んだ。

 「調子に乗りやがって、この……。」

 カシュガルの恫喝の言葉を最後まで聞かずに、あたしは右手の義肢でカシュガルの顔面を鷲掴みにした。

 あたしの右腕の義肢には、冒険中の不測の事態に備えて日常生活では用いるには明らかに過剰なパワーと強度が備わっている。

 そのパワーを容赦なく開放し、金属製の義肢の指でカシュガルの顔面を締め上げた。

 「このアマっ……!」

 「先に手を出したのはそっちだよ。」

 カシュガルが吐きかけた悪態に被せるようにあたしが言うと、カシュガルはあたしの胸ぐらから手を離し、両手であたしの右腕の義肢を掴んで自身の顔面から引き剥がそうとする。

 カシュガルの意識が顔面に向いたタイミングを見計らい、あたしは彼の脚を払ってバランスを崩させると、彼の顔面を掴んだままその後頭部を石畳の路面に叩きつけた。

 結構ヤバい音がして、一瞬あたしはやり過ぎたかとも思いつつ彼の顔面から右腕の義肢を離したが、かなり頑丈に出来ているらしいカシュガルは意識を失うどころか逆に目に怒りを滾らせつつ立ち上がろとした。

 あたしは動揺する事なく、容赦なしに彼の顔面に金属製の右腕の義肢で追撃のパンチを放つ。

 それで彼は動かなくなった。

 殺してしまったかと再び思ったが、その口から低い呻き声が漏れていたので、少なくとも即死ではない。

 ここまま治療せずに放置すればどうなるかは分からないが、いずれにせよあたしに中に後悔の気持ちは全く湧いてこなかった。

 というか、カシュガルがあたしを舐めてたのに乗じて先手を取ったから一方的に勝てたが、事前に集めていた噂と実際彼を目の前にした感覚からして、普通に殴り合っていたら7対3くらいであたしの方の分が悪かっただろう。

 剣を抜いてようやく五分五分くらいだろうが、大勢に囲まれていたとはいえ、街中で堂々と剣を抜けば後々面倒な事になる。

 特に、衛兵が信用出来ない今の状況では。

 無理な挙動をしたせいか、義肢と腕の繋ぎ目の部分に痛みを感じる。

 義肢のパワーはあたしの本来の力に比べて過剰に強力なものなので、安易に全力を出すとあたしの身体にもかなりの負担がかかる。

 今はアドレナリンが出ているから大して気にならないが、それが切れたら痛みで七転八倒する事になるかもしれない。

 その前に治癒呪文をかける時間があれば良いが、その時間があったとして、あたしの低レベルな治癒呪文で完治出来るかは微妙な所だろう。

 「て、てめぇ、何しやがるっ……!」

 あたしが立ち上がったタイミングで、カシュガルに次ぐナンバー2のギルが凄んできた。 

 「ふざけた真似しやがって!」

 「生きて帰れると思うなよ!」

 他の取り巻き達も口々に脅しの言葉を吐く。

 その中の1人が腰からナイフを抜いたのを見てあたしはツカツカとそいつに近づく。

 「な、何だ?」

 無防備に近づくあたしの意図が読めずに男が戸惑っている間に、あたしは右腕の金属製の義肢で男の右手をナイフごと鷲掴みにする。

 「は、離せ!」

 ナイフごと右手を掴まれた男が喚くが、当然ながらそんな言葉に従う義理などない。

 「この女!」

 「やっちまえ!」

 この期に及んでようやく取り巻き達のスイッチが入ったようで、ギルを先頭に一斉に襲いかかってくる。

 ジーヴァが左側をカバーしてくれるのを横目で確認したあたしは、ナイフを持った男を振り回し、右側面から襲いかかってくる男にぶつけると、2人の男達は絡み合うようにして路上を転がっていく。

 更に、右斜め後方からタックルしてきたギルをサイドステップでかわし、かわしざまにその脚を払うと、ギルは間抜けな悲鳴を上げながら路面の上に顔面からダイブする。

 チラリと左横を見ると、ジーヴァに足首を噛まれたらしい男が足を抱えながら路上を転がっていた。

 出鼻を挫かれてしまったせいか残りの男達の動きが止まる。

 リーダーとサブリーダーが倒されたせいで、つい数分前まで無駄に威勢の良かった彼らの態度は一変し、その表情には明らかに怯えの色が浮かんでいた。 

 そんな彼らの態度の変化を見て、頭に血が登っていたあたしも幾らか冷静さを取り戻す。

 怒りに任せてカシュガルを叩きのめしはしたが、これは彼から背後関係を聞き出すチャンスかもしれない。

 だが、尋問には取り巻き達の存在が邪魔だ。

 出来ればこのまま逃げ出してくれたら楽なんだが。

 そう思い、あたしは地面にダイブした際に顔面を強打してうつ伏せのまま呻いているギルに近づくと、キツくカールした彼の髪を右腕の義肢で鷲掴みにして顔を上げさせる。

 ギルの顔は鼻血塗れな上にあちこちに小さな擦り傷が幾つも出来ていたが、それは彼の受け身が下手くそだったせいで、あたしの責任じゃない。

 「あんた達がどうしても遊びたいって言うから遊んでやったけど、もっと遊びたい?」

 「ひっ……!」

 先程自然に浮かんだ笑みと違って、今回はギルを脅す為に演技で浮かべた笑みのせいか自分自身では迫力不足に感じたが、ギルには充分だったらしく彼の口から短い悲鳴が漏れる。

 「ひっ、じゃなくて、もっと遊びたいのか、もう充分なのか、どっちなの?」

 「も、もう充分です、はい。」

 ギルが、あからさまに媚びる笑みを浮かべる。 

 その笑みに、落ち着きかけた苛立ちが再びあたしの中で沸き立ち始めるが、そこは自制してギルの髪を力任せに引っ張り上げ、強引に立たせる。 

 その痛みに再びギルが悲鳴に近い声を上げるが、実の所あたしも義肢と右腕の継ぎ目がかなり痛い。

 何度も力任せに義肢を使ったせいで、右腕の義肢との接続部分を痛めてしまったのだろうが、ここで連中に弱みを見せる訳にはいかない。

 痛みを何とか堪えつつ、あたしは笑みを浮かべたまま猫なで声で言う。

 「今すぐ消えて。そして二度とあたしの前に現れないで。」

 そう言うとギルの髪の毛から手を離し、その胸元を軽く押す。

 軽く押しただけなのに、ヨタヨタと2、3歩後退ったギルはそのまま尻餅をつく。

 しかしすぐに跳び上がるような勢いで立ち上がると、仲間を置いて脱兎の如き勢いで逃げ去っていった。

 「ま、待ってくれ、兄貴!」

 残ったチンピラ達も、口々にそう言いつつギルの後を追う。

 「さて。」

 チンピラ達全員が視界から消えたのを見計らって、あたしはカシュガルに近づく。

 ザッと見た感じ、やっぱり気絶しているだけでまだハッキリと呼吸をしている。

 急所を狙ってパンチを当てる程の技量があたしにはなかったのが幸いしたようだ。

 ただまあ、このまま雨に打たれながら放置しておけば結構な確率で死ぬ事だってあるだろうし、何より情報を聞き出さなくてはならないので、気は進まないながらも治癒呪文を掛けようとした時だった。 

 「おやおや、これは一体どうした事かな?」

 背後から聞こえた声に振り向くと、チンピラ達が今逃げ去ったばかりの路地からシェールと2人の衛兵を背後に従えたベクターが現れた。

 いつもの爽やかな笑顔を浮べたベクターは、ゆったりとした歩みであたしに近づいてくる。

 あたしは警戒心を顕にしつつ立ち上がると、倒れたままのカシュガルから少し距離を取る。

 「今、慌てて走り去るそいつの取り巻き連中とすれ違ったのだが、何か関係があるのかい?」

 ベクターはいつも通りの爽やかな口調で尋ねながら、自分には敵意がない事をアピールするかのように、両手を広げた。

 それでもあたしは、ゆっくりとした歩調ながら決して足を止めないベクターを警戒するのを止められなかった。

 ベクターの肩越しに彼の連れに視線を走らせると、2人の衛兵はどちらも経験の浅そうに見える若者で、その内の1人は確かこの前詰め所で会ったロニーとかいう衛兵だ。

 そして、ベクターの後に控えたままの2人の衛兵と異なり、シェールはベクターから離れてゆっくりとした足取りで倒れたカシュガルの方に近づく。

 あたしの視線に気づくと、シェールはこの前と同様にヘラっと軽薄そうな笑みを浮べた。

 そこであたしは何となく彼女に違和感を感じた。

 真っ先に気付いたいつもとは違う点といえば、雨具の頭巾のせいで彼女のゆるフワな髪が完全に隠れている事だ。

 鳥の獣人は背中の大きな翼のせいで、常日頃から大きく背中の開いた服を着用しており、一般的な雨具であるマントは着ない。

 そして、背中の大きな翼は油分を含んでいるのでそれで身体を覆えば少なくとも上半身の大部分は濡れる事はない。

 ただ、頭部は翼でカバー出来ないので、鳥の獣人は水を弾く素材で作られた頭巾やターバンなどを雨具として愛用する。

 頭巾で完全にその髪を隠しているのだけが違和感の正体だろうか?

 でも、それだけではないような気もする。

 だが、その違和感の正体を突き止める前に、ベクターの声があたしの意識を彼に引き戻す。

 「どうしたんだい?いつも愛想が良い君が今日に限って黙り込んだ挙げ句にそんな仏頂面をしているなんて。」

 ナンパ野郎のような軽薄な口調だが、どうしてもあたしにはその軽薄さの裏に何かがあるような気がしてしまい、緊張感が更に高まる。

 「まあ、君のその態度とカシュガル達の日頃の行いからして大まかな想像はつくが、僕も立場上君から直接話を聞く必要があるんだ。分かるだろう?」

 あたしは小さく息を吐いた。

 今のベクターにはある程度の公権力がある以上、何となくの感覚だけで彼の要求を突っぱねる事は無駄なリスクを生むだけだ。

 「こいつとその取り巻き達があたしを取り囲んで、冗談では済まされない事を言ってきた挙げ句、あたしの胸倉を掴んで脅しをかけてきたのよ。」

 「うん、それで?」

 ほぼ棒読み口調で話すあたしの言葉に、ベクターは優しげな口調で相槌を打つが、何だかそれすらもあたしから失言を引き出そうとしているように感じられる。

 「身の危険を感じたから、自分の身を守る行動を取っただけ。」

 「なるほど。まあそんな事だろうと思ったよ。」

 最後の方は早く話を打ち切りたくなって更にぶっきらぼうになってしまったが、ベクターはあっさりと納得した。

 それからベクターは、カシュガルの傍に跪いて色々と調べていたらしいシェールの方に視線を向ける。

 「彼の様子はどうだい?」

 「息はしてるわね。取り敢えず生きているのは間違いないけど、頭を打ってるみたいだし暫く動かさない方が良いと思う。治癒呪文をかけるにしても暫く経ってからの方が安全ね。」

 興味無さそうに気怠い口調で語るシェールの言葉にベクターは一つ頷くと、ロニーの方を向いた。

 「ロニー、奴にお前のマントを掛けてやれ。」

 「ええっ!?」

 ロニーはベクターの言葉に露骨に嫌そうな顔をする。

 「いくら頑強な虎の獣人とはいえ、こんな雨の中放置したら身体を壊すだろう?」

 優しく諭すような口調ではあったが、有無を言わせぬ高圧的な雰囲気も同時に感じられた。

 渋々マントを脱ぎだしたロニーを確認してからベクターはあたしに向き直る。

 「さて、君に協力して欲しい事があるのだが?」

 あくまで柔らかい口調のベクターの言葉に、あたしは眉をひそめる。

 「面倒事は御免だよ。」

 「そうそう面倒は掛けないよ。詰め所に来て、さっきの事について証言し、書類にサインするだけだ。」

 あたしはため息を吐く。

 カシュガルが倒れているのが見つかった以上、このまま無罪放免とはいかないだろう。

 武装解除を求められたり、拘束されたりしないだけまだましかもしれない。

 「分かった。」

 あたしが短く答えると、ベクターはあたしに安心させるように笑いかけた。

 「カシュガル一味は随分とこの街の人々に迷惑を掛けていたからね。奴らの証言なんて誰も信じないだろうし、これを機に連中をこってり絞るつもりだ。そうすれば、連中の余罪が次々と出てきて、最低でも10年、下手すれば一生強制労働だろうね。」

 一貫して今日のベクターはあたしに協力的だが、それでもやけに饒舌な彼にあたしは胸騒ぎを感じた。

 「シェール、君はカシュガルの事務所に行って奴の部下達の動きを見張ってくれ。これを機にカシュガル一味をしょっ引くぞ。ロニーとカイルは近所から荷車と人員を借りてカシュガルを詰め所まで運ぶんだ。面倒だし、カシュガルの本格的な治療は留置所に入れた後に行う。搬送途中で目を覚ましても大丈夫なように、今の内に手枷足枷は忘れずにはめておけよ。

 さて、ゾラさん。一緒に詰め所まで行きましょうか。」

 部下にテキパキと指示を与えると、その流れのまま、あたしにも丁寧だが有無を言わさぬ口調で言ってくる。

 「この子を連れて行っても?」

 あたしがジーヴァに視線を向けつつ言うと、ベクターは子供をあやすような笑顔を浮べた。

 「勿論、構いませんとも。」

 「ご配慮、どうも。」

 笑顔だけでなく喋り方も子供をあやす感じだったのが癇に障り、あたしは大人気なく慇懃無礼な口調で返した。

 あたしの大人気ない返しにもベクターは特に反応せずに微笑を浮かべたままだ。

 「あ、ベクターちょっと。」

 そう言いつつシェールがベクターに近付き、何やら小声で話し始めた。

 チラリとベクターがこちらを見つつシェールから何かを受け取るような仕草を見せたが、シェールの大きな翼のせいでその手許が隠れているのでよく見えない。

 2人の話はすぐに終わった。

 「待たせたね。じゃあ、行こうか。」

 ベクターはそう言うと、ついてくるように手振りで示しながら歩き出した。

 前を行くベクターの背中は、ひどくリラックスしているように見えた。

 あたしなら、ベクターが後ろからついてくる状態では常に背後を警戒せずにはいられないだろう。

 ベクターに注意が行き過ぎたせいか、小さな水溜りに足を踏み入れてしまい、あたしは小さく舌打ちした。

 異人街は全体的に、住人の生活レベルからすると分不相応な程に、路面に敷かれた石畳が立派なものとなっている。

 これは、異人街に住むドワーフを中心とした石工達が格安で石畳の補修や修繕をしてくれているからだ。

 ただ、決して水捌けも悪くはないはずなのだが、二週間もの間断続的に振り続ける雨のせいであちこちに小さな水溜りが出来ており、所々滑りやすい箇所もある。

 前を進むベクターは路地裏ばかりを選んで進んでいたが、大市で人のごった返しているメインストリートを避けるのは自然な事で、あたしは特に疑問を感じる事もなかった。

 だが、暫く進むと路地を塞ぐように1台の幌馬車が停まっていた。

 幌馬車の周囲には、何かを待っているのか荷運び風の格好をした男が5人、手持ち無沙汰にたむろしていた。

 「あいつら道を塞ぎやがって……。すぐに空けさせるから、ゾラさんはここで待っていてくれ。」

 ベクターは一方的にそう言うと、あたしの返事を待たずに男達に近づいていく。

 幌馬車が塞いでいる道を迂回すれば済む話なのに、とぼんやり考えた所であたしはハッとする。

 5人全員が、西方人のヒューマンである事に気付いたからだ。

 基本的に異人街の住民は、余程の事がない限り同じ異人街の住民に仕事を優先的に回す。

 仕事にあぶれる者を出さない事が、コミュニティの治安維持に役立つという考えからだ。

 荷運びの様な単純労働は特にそうで、外部の本職を雇う位なら、仕事が雑であったとしても仕事にあぶれたり、金に困った内部の者を雇うのが異人街の流儀だ。

 あたしは幌馬車の前でたむろする荷運び達に視線を向ける。

 少し距離はあるが、ハーフエルフの視力はヒューマンより優れている。

 彼らはだらけ切っていて緊張感の欠片もないように見えるし、今の所特におかしな点は感じられない。

 ベクターは彼らの元に辿り着くと、こちらに背を向けたまま男達の手前で立ち止まる。

 短い会話があったようだが、すぐにベクターは踵を返して彼らに背を向けあたしの方に戻り始め、男達は幌馬車を動かすつもりなのか何やら作業を始める。

 その作業自体もだらけた態度に見えたが、何人かが作業しつつあたしの方をチラチラ伺っているのが妙に気になった。

 彼らの視線が妙に鋭く、だらけた仕事態度と酷くミスマッチな気がしてくる。

 単に元々目つきが悪いだけ、と言われればその程度の事なのだが、一度気になると不必要な程に勘繰ってしまう。

 具体性のないモヤモヤを抱えたまま彼らを凝視していると、ふと彼らの様子が馬鹿な女っぽく振る舞いつつ、どこか油断のならないシェールと重なって見えた。

 その瞬間、あたしは今日シェールに会った時に感じた違和感の正体について思い至った。

 いつも彼女がネックレスのように首周りに巻いている、極彩色の蛇の使い魔が今日に限っていなかったのだ。

 では、あの使い魔は何処にいたのか?

 カシュガルとあたしのトラブルを物陰から監視していたのではないだろうか?

 単なる思いつきではあるが、そう考えれば都合の良いタイミングでベクター達が現れた説明はつく。

 では何故、監視していたのか?

 好意的に考えれば、ベクターがカシュガルの悪事を探るべく内偵していたのだろう。

 だが、そうでないとしたら?

 あたしの背中に冷や汗が流れる。

 今すぐベクターに背を向けて逃げ出すべきとも思ったが、安易にそれをするとベクターに公権力を使ってあたしを捕らえる大義名分を与えてしまう気もして、決心がつかない。

 そうこうしている間にベクターはあたしとの距離を詰め、何か行動を起こすタイミングを逸してしまった。

 あたしは近づいてくるベクターに視線を向けたまま、同時に足元のジーヴァに殆ど口を動かさずに小声で話しかける。

 「いつでも戦えるよう、心構えしておいて。」

 あたしの言葉で、ジーヴァが臨戦態勢に入ったのが伝わってくる。

 結局、ベクターが戻ってくるまでに出来た事といえばそれだけだった。

 ベクターは相変わらずにこやかな口調で話しかけてくる。

 「色々と文句を言っていたが、馬車は動かしてくれるそうだ。とは言っても、今、ここを動く訳にはいかないらしくて、ちょっと横にずらすのが精一杯らしいけど。」

 確かに前方の幌馬車を見ると、2頭の引き馬を外した幌馬車を、馬を見張っている1人を除いた残り4人で持ち上げて少し横にずらしていた。

 大の男4人がかりとはいえ、持ち上げられたという事は幌馬車の中に荷物はほぼ無く空に近い状態という事だろう。

 加えて、幌馬車を移動させた結果出来た隙間はかなり狭い。

 つまり、その隙間を通り抜ける間身動きはかなり制限される事になる訳だ。

 「どうしたんだい?行くよ。」

 突っ立ったまま動かないあたしを見て、ベクターは笑顔を浮べながら促す。

 その笑顔にはやましい所は微塵も無いように見えた。

 「この前、裁判所に移送中の容疑者が忽然と消えた事件があったらしいけど。」

 「そんな事件があったのかい?」

 あたしが不自然に話題を振ったにも拘らず、ベクターは怪訝そうな表情を一切浮かべずに返事を返してきた。

 その反応が、あたしにはものすごく異様に見えた。

 「馬車の中ならば、本来手枷足枷で拘束されるべき囚人の拘束が外されていても外からは分からない。移送する衛兵がグルなら、人知れず脱獄さえ出来るわね。」

 「それが可能ならばそうだろうけど、現実的ではないな。」

 同じ衛兵として、侮辱されたと感じて激昂してもおかしくない事をあたしは言っているのに、ベクターの表情も口調も穏やかでにこやかなままだ。

 「どうして現実的ではないの?」

 「衛兵は法を護るのが仕事だ。だから法を犯して囚人に協力するなどあり得ない。」

 真面目くさった顔で建前を言うベクターを見て、あたしはより直接的に言う事にする。

 「あの幌馬車も、外から中は見えないよね?」

 「まあ、幌馬車だからね。」

 「誘拐した人間を運ぶのにはもってこいよね。」

 「おいおい、どうした?そんな物騒な事を言うなんて。」

 相変わらずにこやかに笑いながら、ベクターは馴れ馴れしくあたしの肩に手を回そうとする。

 その瞬間、あたしの背中に悪寒が走った。

 いけ好かない男に肩を抱かれようとした嫌悪感ではない。

 レンジャーの能力の1つである、危険察知能力が発動した時に感じる悪寒だ。

 あたしは反射的に右腕の義肢で、あたしの肩に回そうとしたベクターの腕を払う。

 一瞬遅れて何かがあたしの右腕の袖口を噛んでいるのに気付いた。

 見覚えのある、極彩色をした小さな蛇。

 シェールの使い魔の蛇だ。

 ベクターを睨みつけると、彼の顔から初めて爽やかな笑顔が消え、驚いたようにあたしの右腕の袖口に噛みついたままぶら下がる極彩色の小さな蛇を見つめ、次いでゆっくりとその視線をあたしの顔へと移す。

 その時、あたしはベクターの右腕の袖口がだらしなく開いている事に初めて気付いた。

 普通、戦士の多くは戦闘中に絡まったり引っ掛かるのを防ぐ為に袖口は絞るものだ。

 シェールの使い魔の蛇を、ベクターは袖口に潜ませていたのだ。

 金属製の義肢で払わなかったら、あたしは何処かしら蛇の毒牙に噛まれていただろう。

 一瞬で頭に血が昇ったあたしは、逃げようとする蛇を義肢で掴んで握り潰す。

 アドレナリンのせいか、力任せの行動にもかかわらず、接合部の痛みは感じなかった。

 その様子を見ていたベクターの顔に、再び爽やかな笑顔が戻る。

 「相変わらず、いけ好かない女だ。」

 もはや不気味さしか感じられない爽やかな口調でそんな悪態を吐いたベクターに向けて、あたしは握り潰した蛇を投げつけた。

 ベクターが難なく投げつけられた蛇を避けたのと同時に、ジーヴァが吠えた。

 直後、あたしの周囲に影が落ちる。

 咄嗟に横に飛び退くと、つい一瞬前まであたしがいた場所に、轟音と共に青白い魔力の力場で出来た檻が出現した。

 捕らえられれば常人には脱出がほぼ不可能な魔力の檻で、かなり高レベルな秘術魔法だったはず。

 このような高度で強力な呪文を使いこなせる魔術師など、ハーケンブルクに10人とはいないだろう。

 上空を見上げると、翼を広げたシェールがあたしの頭上に浮かんでいた。

 その顔には何時もの軽薄な笑みはなく、苦痛に歪んでいた。

 使い魔と感覚を共有している最中に使い魔が傷を負った場合、主人も実際に傷を負う訳ではないものの使い魔が感じた痛みだけは共有してしまう。

 あたしが使い魔の蛇を握り潰した時、文字通り死ぬような苦痛をシェールは感じたはずだ。

 直後に使い魔とのリンクを切ったとしても一度脳が認識した痛みは、幻の痛覚であっても直ぐには消えない。

 だからこそ集中が乱れ、咄嗟に飛び退いたあたしの動きに反応出来ずに呪文を外してしまったのだろう。

 むしろ苦痛に耐えて高度な呪文の発動を完遂した事こそ驚きだ。

 しかし、感心はしても手を緩めるつもりはない。

 実力的に明らかに格上の2人を相手にそんな余裕などあるはずもない。

 格下のあたしは、半ば反射的な行動の結果意図せずに得た幸運を最大限に利用し、更に持てる手札も惜しみなく使わなければこの窮地を脱する事は出来ないだろう。

 あたしは右腕の義肢から金属製ワイヤーを射出する。

 高レベルとはいえ、近接戦闘には不慣れな専業の魔術師だからか、あるいは痛みの感覚が残っているせいか、シェールの回避行動は鈍く、金属製ワイヤーは彼女の右脚に絡まる。

 「嵐を纏いし風の乙女よ……。」

 「させん!」

 あたしが呪文の詠唱に入ると、ベクターがあたしに素手で掴みかかろうとしてきた。

 呪文詠唱を邪魔する為に魔術師に対して戦士が組打ちを仕掛けるのは常套手段であり、時と場合によっては武器を抜いての攻撃より有効とされる。

 だが直後、ベクターはバランスを崩して転倒してしまう。

 ジーヴァがベクターの左足首に噛みつき、そのまま引き倒したのだ。

 その様子を横目で確認しつつ、呪文の詠唱を完成させる。 

 「閃光と共にその荒ぶる魂を解き放て!」

 呪文の完成と共に、金属製ワイヤーを伝って魔法の効果が直接シェールに襲いかかる。

 シェールの全身が電光に包まれ、派手に光る。

 あたしより遥かに魔力の高いシェールは魔法への抵抗力もかなり高いはずで、とても致命傷になるとは思えないが、濡れた目標に対して電光の呪文の効果は上昇するし、金属製ワイヤーを通した呪文は接触して発動した扱いになるので離れて発動した場合よりも効果は高く、無傷とはいかないはずだ。

 事実、ダメージはそれ程負っていないようだが、電光の呪文の副反応である麻痺の兆候が若干ではあるが見て取れた。

 それを見て、あたしは自ら後方へと倒れ込むとそのまま路面を転がる。

 当然、金属製ワイヤーで繋がれたシェールはあたしが倒れる事によって引っ張られた。

 シェールは翼を拡げて空中に留まろうとするが、その抵抗は却って金属製ワイヤーがシェールの右脚の肉に食い込み、激痛をもたらす結果となった。 

 「いっ……!このっ……!」

 再びの激痛に顔を歪めたシェールは、何時もの彼女からは考えられない怒りに満ちた表情で悪態を吐く。

 恐らく麻痺の程度は軽微なものであろうが、それでもシェールはあたしの行動にワンテンポ以上遅れた反応しか出来ない。

 「調子に乗るな!」

 自らに気合を入れる意味もあったのか鬼の形相で叫ぶと、今度は逆に翼を畳んで急降下を始める。

 あたしとの距離を詰める事で金属製ワイヤーのテンションを緩めようという目論見だろう。

 だが、痛みや麻痺、何より酷く慌てたせいで冷静な判断力を失ってしまったのだろう、ここが5階建ての高層住宅に挟まれた狭い路地だという事を失念してしまったようだ。

 距離を詰める為に急降下した後、墜落を免れるギリギリのタイミングで勢いよく翼を拡げて減速しようとしたが、その時には彼女の右側にはその大きな翼を拡げるようなスペースなど無く、拡げようとしたシェールの右の翼は建物のレンガの壁を打ちつけ、その反動で更にバランスを崩しただけであった。

 驚愕の表情を浮かべたシェールは減速に失敗した上に空中での制御を完全に失い、回転しつつ石畳の路面に墜落する。

 路面にうずくまるシェールはうめき声を漏らしていたので即死ではない事が窺えたが、結構な勢いで叩きつけられたので、何らかの回復手段を取らない限りはもはや行動不能だろう。

 あたしは金属製ワイヤーに魔力を込めてシェールから外すと巻き戻して義肢の中に収納する。

 それからベクターとジーヴァの様子を急いで確認する。

 ジーヴァに引きずり倒されていたベクターは既に立ち上がり、腰の剣を抜いてジーヴァと対峙していた。

 ジーヴァの方はベクターとまともに戦おうとはせずに距離を取って牽制し、時間稼ぎに徹しているようだ。

 流石にジーヴァはあたしのして欲しい事を的確に実行してくれている。

 「シェール!くそっ!」

 電光が派手に光った上に路面に墜落した時も大きな音がしたので流石にベクターもこちらの様子に気づいたようで、ジーヴァに向けて威嚇するように剣を大きく振ると、こちらに向けて駆けてきた。

 大振りした剣を避けたせいでジーヴァが一歩出遅れる。

 ふとベクターの更に向こう側の幌馬車の方を見ると、その周りにいた荷運び達も手に棍棒を持ちながらこちらに向けて駆けてくるのが見えた。

 「極北に住まう冷たき乙女よ!その無慈悲なる吐息にて我が敵を凍りつかせよ!」

 あたしは氷の呪文をベクター本人に対してではなく、彼の足元の石畳の路面に向けて発動する。

 雨に濡れた石畳の路面はあっという間に凍結し、勢いよく走っていたベクターは足を滑らせ再び転倒する。

 「ジーヴァ、こっちへ!逃げるよ!」

 凍結した路面を器用に滑り抜けたジーヴァに声をかけると、あたしは彼と共にベクター達に背を向け一目散に逃げ出す。

 「待て、ゾラ!」

 ベクターの叫び声が背後で響くが、当然彼の言葉に従うつもりはない。

 ともかく大市のせいで人で溢れかえっているメインストリートに出さえすれば、人混みに紛れて逃げおおせる事も可能だろう。

 あたしはそう考え、路地をメインストリートの方向に向けて駆けるが、メインストリートに面する路地の出口に衛兵が2人立っているのが目に入った。

 大市の警備をしているならばこちらに背を向け、メインストリートの方を向いているのが自然だが、何故か彼らは最初からこちらを見ていた。

 しかも、ヒューマンより視力の良いハーフエルフのあたしが彼らの顔を判別出来ない距離なのに、彼らは一斉に腰から警棒を抜き、移動を阻止するように両腕を拡げて叫ぶ。

 「止まれ!武器を捨てて投降しろ!」

 さっきの戦闘で発した派手な音や閃光に彼らが気付いた可能性はあったが、彼らが今いる位置からではその戦闘の具体的な様子は見聞き出来ないはずだ。

 嫌な予感がしたあたしは、別の路地へと飛び込む。

 大火後に再建された異人街の地理にはあまり詳しくなく、この路地が何処に続いているのか全く分からないが、今はともかく逃げて身を隠す事が大事だ。

 入り組んだ路地を適当に走った後、角の手前であたしは立ち止まる。

 あたしも方向感覚に絶対の自信がある訳ではないが、大まかな方角からして恐らくこの角を右に曲がるとメインストリートに通じる道に出るはずだ。

 事実、右手から雑踏の音も漏れ聞こえてくる。  

 角からそっとその先を覗くと、果たして細い路地の向こうにメインストリートの人混みが見えたが、先程と同様に2人組の衛兵がやはりメインストリートに背を向ける形で立っていた。

 あたしは慌てて顔を引っ込める。

 この先にいる2人組の衛兵はパッと見、雑談に夢中になっていたようであたしに気づいた様子はなかったが、2組も不自然な警備をしていた事からこれは偶然ではあり得ないだろう。

 「ジーヴァ、こっちへ。」

 あたしはジーヴァを連れて路地を戻り、集合住宅の間の路地とも言えない隙間に入り込む。

 移動しつつ、あたしは最悪の予想が当たった事を感じていた。

 ベクター達はあたしを捕らえようとしている。

 噂を流したのも、異人街でのあたしの居場所を無くすのとは別に、あたしとは面識の無い異人街の住人にあたしの存在を広く印象づけ、あたしが異人街に来た時に速やかにベクターなり彼の協力者の耳に入れる状況を作るという目的もあったのかもしれない。

 恐らく最初はカシュガルを使って捕らえようとしたのだろう。

 それが失敗したので、仕方なく自ら手を下す事にした。

 最初自ら手を下そうとせずカシュガルを使ったのは、衛兵が本来行うべき真っ当な逮捕ではないからかもしれない。

 この先にいる衛兵の緩んだ態度からしても、封鎖の為に動員された衛兵達も本当の目的は知らされていない可能性は高い。

 そこは数少ない安心材料ではあるが、いずれにせよあたし1人の為にこれだけの人員や手間をかけるのは尋常ではないし、その目的も分からない。

 失敗し、露見したらベクター達やその背後にいるであろう連中だってタダでは済まないはずだ。

 だからこそ、ベクター達はそう簡単にはあたしを逃がしてくれないだろうし、例えこの場を逃れたとしてもあたしを犯罪者に仕立てる位の事は間違いなくするであろう。

 目まぐるしく色々な事を考えるものの、情報が圧倒的に足りないせいでどれも推測の息を出ない。

 あたしはノエルに念話で連絡しようと思ったが、ふとシェールの事を思い出す。

 一応シェールは無力化したはずだが、そんなに高い所から墜落した訳ではないし、余程打ち所が悪くなければ命に別状はないだろう。

 今の衛兵詰め所には怪我したシェール本人しか治癒魔法の使い手はいなかったはずだし、普通なら回復するにしても時間がかかるはずだ。

 でも、あたしを捕らえる為に幌馬車や明らかに外部の人間を用意するなどかなり大掛かりに準備してきた。

 予め回復用のポーションを用意したり、シェールとは別の治癒魔法の使い手を待機させるなど、回復させる手段を複数用意してきた可能性も無いとはいえない。

 もしそうなら、ノエルとの念話はシェールに盗み聞きされたり、位置を特定される結果を招きかねない。

 我ながら神経過敏過ぎる気もしたが、これ程大掛かりな事をしでかす相手にはそれくらいが丁度よいのかもしれないと思い直す。

 ともかく、今は異人街から逃げ出すのを最優先としつつ、次点の優先順位としてこの状況を信用出来る第三者に伝えねばならない。

 あたしがここから逃げ出すのに成功したとすれば、ベクターとその黒幕は次に確実にあたしを犯罪者認定するだろう。

 ともかく長々と何かをしている余裕は無いので、完璧を期す事など求めずに即断即決で動かなければならない。

 あたしは先日エドガーから貰った魔道具入りの大きめのベルトポーチを開ける。

 エドガーは言わなかったが、このベルトポーチ自体も一種の魔道具で、強度や防水性、保温性、防腐性等を高める魔法が付与されており、元々使っていた物に変えて今はこれを使用している。

 中に入っていた魔道具についても一通り目を通しており、取り敢えず使いそうにない物は取り出し、代わりに前のベルトポーチに入っていた物も入れていた。

 なので、目的の魔道具が今も中に入っているか今一つ記憶に自信はなかったが、ちゃんと底の方にあった。

 それは記録用の水晶球だ。

 ギルドで貸与される物より一回り小型であるが、腕の良いエドガーの作らしく記録出来る容量はかなり大きくなっている。

 でも今は時間もないし、短い映像を撮るだけだ。

 あたしは水晶球を起動すると、それに向けて語り出す。

 「あたしはハーケンブルク冒険者ギルド所属の冒険者ゾラ。

 理由は不明だが、異人街の衛兵隊チーフのベクターとサブチーフのシェールに拉致されそうになり、それを回避する為に正当防衛行為を行った結果、逃亡中。

 あたしの拉致に失敗した結果、2人はあたしに冤罪を被せ、犯罪者認定する可能性が高いので、身の潔白が証明出来るまで身を隠すつもりです。」

 そう吹き込むとあたしは水晶球の稼働を切り、特定の人間にしか起動出来ないよう封印を施す。

 起動可能な人物の条件として、あたしと濃い血の繋がりのある人物を設定する。

 亡くなった両親に隠し子でもいない限り、封印に引っかからずに起動出来るのは妹のヨハンナだけだが、封印の強度はあたしの魔力に依存することになるので中レベル程度の魔術師には簡単に破られるくらいの強度しかないが、気休めでもやらないよりましだ。

 あたしは水晶球に映像を吹き込んだ後、ポケットの中を探る。

 そこにはマヤと交換したスカーフが入っていた。

 一応心の中でマヤに謝罪しつつスカーフで水晶球を包むと、あたしは跪きそれをジーヴァの首に巻いた。

 「いい?良く聞いてね。」

 跪いた姿勢のまま、あたしはジーヴァと目を合わせると強い口調で前置きをしてからジーヴァに語りかけた。

 「あたしが衛兵達の気を引くから、その隙にあなたはメインストリートに出て、人混みに紛れて冒険者ギルドに向かいなさい。直接ヨハンナに会うのはまず無理だろうから、可能ならエレノアか、同じ位信用出来そうな人に首に巻いた水晶球を渡すのよ。」

 あたしがそう言うと、いつもは忠実な相棒が不満げに低く唸った。

 あたしは思わずもう一段口調を強くして言う。

 「いい、ジーヴァ、良く聞きなさい。あなたの行動の成否が、あたしの命を左右するのよ。」

 あたしが強くそう言うと、ジーヴァからあたしの言葉に従う意思が伝わってはきたが、それでも不満の感情が消えた訳ではなさそうだった。

 それでもあたしはジーヴァの中で燻る不満に気付かぬ振りをして、少しだけ口調を柔らかくして続ける。

 「ギルドに着くまではなるべく目立たないように移動してね。いざとなったら躊躇わずに全力で駆けても良いけど、それまでは不本意でも野良犬の振りをして歩くのよ。」

 高級住宅街はともかく、異人街を含む下町では放し飼いされている飼い犬や、不特定多数の者に餌付けされている野良犬も少なくないので、1匹で犬がうろついていても、それだけではそれ程注目は引かないだろう。

 ただそれでも、目立つ毛色な上にジーヴァ程の大きさの野良犬はそうそういないので、あたしの言っている事がかなり無茶振りなのは分かっている。

 それでも他に名案は浮かばないし、他の名案が浮かぶまで考える時間もない。

 あたしの後ろめたい気持ちを察したのか、ジーヴァは大丈夫だと言わんばかりに鼻面を近づけてきた。

 一瞬だけ自然と表情が緩んだあたしは、ジーヴァを軽くハグしてから立ち上がった。

 先程の曲がり角まで戻ったあたしは、再びその先を覗き込む。

 先程と同様に2人組の衛兵がメインストリートを背に、こちらを向いて立っていた。

 相変わらず雑談に熱中しているようで、お世辞にも仕事熱心には見えない。

 これならば、さり気なく2人の脇を通り過ぎれば難なくメインストリートに出て人混みに紛れる事も出来るかもしれない、という希望が湧いてきた。

 あたしは顔を引っ込めると再びジーヴァと目線を合わせる為に跪く。

 「もし何事もなくあたしがあの2人の脇を通過出来たら、ジーヴァは少し間を置いてから同じようにあいつ等の脇を抜けてきて。

 そうでなければ最初の計画通りに、あたしがあの2人の注意を引いている間にあいつ等に見つからないように通り抜けてね。

 どちらにしても、この前エレノアを待った時と同じく、冒険者ギルドの裏口近くの路地で合流しよう。」

 あたしがそう言うと、ジーヴァは分かったと言わんばかりに小さく吠えた。

 あたしはもう一度ジーヴァを軽くハグしてから立ち上がり、フードを被り直すと少し顔を俯けたままゆっくりと衛兵の方に近づく。

 このまま仕事をサボって雑談に集中してくれ、と願いつつフードの奥から2人の様子を伺いながら近づいていくが、やはりそう甘くはなかった。

 1人があたしに気づくとすぐにもう1人に何か言い、2人は雑談を止めると一瞬にして険しい表情に変化し、ジッとあたしを注視し始めた。

 あたしは心の中で舌打ちしつつ、2人の態度の変化に気づかない振りをしてそのまま近づく。

 近づいてよく見ると、2人共名前は覚えてはいないが顔は知っている衛兵だった。

 あたしは顔を上げるとニッコリと愛想笑いを浮かべて会釈をし、そのまま2人の脇を通り抜けるべく道の端に寄るが、1人が警棒を持ち直すと通せんぼするかの様に両手を拡げた。

 あたしが足を止めると、もう1人がわざとらしく右手に持った警棒で自分の左掌を叩きながら近づいてくる。

 「ゾラだな?」

 衛兵の言葉は質問というよりも明らかに確認の為のものだった。

 あたしが彼らの顔を知っているという事は、向こうもあたしの顔を知っている可能性が高いので、とぼけるのは得策ではなさそうだ。

 「ええ、そうですけど?お仕事ご苦労さまです。」

 あたしは可能な限り愛想よく言ったが、衛兵の表情が険しいままなのを見る限り、愛想を良くした効果はほとんど無さそうだった。

 「お前に対して捕縛命令が出ている。俺達だって女相手に手荒な真似はしたくないし、大人しく捕まってくれ。」

 そう言いつつ衛兵は警棒を右手に持ったまま、左手でマントの下から鎖で繋がれた金属製の手枷を取り出す。

 あたしは背中に冷や汗が流れるのを感じつつ、表面上は冷静を装って尋ねる。

 「罪状は?」

 あたしの質問にその衛兵は僅かに狼狽し、誤魔化すように言う。

 「俺達は自分の仕事をするだけだ。」

 やはり衛兵は、詳細を知らされずに動員されただけらしい。

 加えて、あたしがシェールを負傷させた事もまだ伝わっていないのだろう。

 確認したい事を知れたので、あたしは追跡に手加減を加えてもらえるよう、衛兵に疑いという毒を注入する事にする。

 「罪状を知らされていないんでしょう?それもそうよ。そんなもの、無いんだし。」

 あたしがそう言うと、衛兵は眉を顰めた。

 「おい、聞くなよ!戯言だ!」

 後方に控えていたもう1人の衛兵が、後ろから声を上げた。

 「分かってるよ。言い分があるなら後で詰め所で幾らでも言えばいい。」

 衛兵はあたしから目を逸らす事なく相棒に返事をすると、威嚇するように警棒を掲げながらジリジリとあたしとの距離を詰め始めた。

 「ベクターがあたしを捕らえようとしているのは、あたしがベクターの犯罪の証拠を掴んだからよ。あたしに手を上げたらあんた達も共犯よ。」

 あたしの言葉が終わる前に、もう1人の衛兵が食い気味に叫ぶ。

 「聞くな!早く黙らせろ!」

 「分かっているよ!」

 あたしが適当にでっち上げた言葉より、むしろ神経質な相棒の言葉に苛ついた様子の衛兵が、あたしの肩口めがけて警棒を振り下ろしてきた。

 何らかのアクションが来る事を存分に警戒していたあたしは、バックステップでその一撃をかわす。

 そのまま身体を反転させると衛兵達に背を向け、全速力で走り出した。

 「おい、待て!」

 衛兵達の怒号を背後に聞きながらあたしはジーヴァが潜んでいるのとは反対側の路地に飛び込む。

 その際、チラリと衛兵達の方を見ると、期待通り彼らはあたしを追いかけては来たが、1人は走りながら何処かから取り出した魔道具に何か話しかけていた。

 あれは通信用の魔道具で、結構高価なものだ。

 衛兵隊にも支給されているのは知ってはいたが、その数は少なく、滅多な事では使用許可が下りない代物だったような気がする。

 ベクターの本気度が見えた気がして、あたしの背中に再び冷や汗が走った。

 あたしは衛兵達を巻く為に土地勘の無い路地を闇雲に走り回る事を覚悟していたが、いくらも走らない内に背後の衛兵達の気配が消えた。

 あたしは足を止めて振り向き、来た路地を少し戻ると角から先を覗き込む。

 2人組の衛兵は呆気なくあたしの追跡を諦めたらしく、こちらに背を向けて来た路地を戻っていく様子だった。

 ジーヴァが抜け出す時間は充分稼いだし、そういう意味では当初の目的を果たして万々歳のはずだが、余りに淡白な衛兵達の態度に逆に不安を感じてしまう。

 その不安故に更に衛兵達を観察していると、1人が再び通信用魔道具に向けて何か話している様子が見えた。

 そこであたしは確信する。

 あの衛兵達の仕事はあたしを逃さないようにするだけであり、獲物を仕留める役割を負っているのはやはりあの男なのだ。

 その時、再びあたしの背中に悪寒が走り、レンジャーの危険察知能力が発動したのを感じた。

 「……ああ、お前らは奴が逃げられないよう持ち場を固めていればいい。仕留めるのは僕がやる。」

 背後から男の声が聞こえ、振り向くと脇の路地から通信用魔道具に話しかけながらベクターがゆっくりとした足取りで現れた。

 「まったく、何度も同じ事を言わせないで欲しいな。物覚えの悪い部下ってのは本当に苛立たしいものだ。」

 ベクターはそう愚痴を言うと通信用魔道具をベルトポーチに突っ込み、顔を上げてあたしを正面から見つめ、トレードマークの爽やかな笑顔を浮べた。

 「君もそう思わないかい?」

 呼んで下さり、ありがとうございます。

 次回の投稿は2月上旬を予定しています。

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