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第2章 東方から来た女 10

 今回で第2章は終わりです。

 今回は短いです。

 今回に限った事ではないのですが、1投稿分の話の長さにバラつきがある事が多く、そこは申し訳なく思っております。


2025年8月4日

 以下の変更をしました。

 クリーガー商家→アールワース商家

 アドルフ→ルドルフ

 加えてこの世界の地理について少しだけ加筆したのを含め、細かな修正を行いました。

 『トネリコ亭』のお世辞にも高級とは言えないベッドの上で、あたしは目を覚ました。

 部屋の天井近くにあたしが灯した魔法の灯りがまだ頼りなげに瞬いているが、鎧戸の隙間から外の光が全く差し込んでいない所を見るとまだ夜明け前らしい。

 中途半端な時間に目が覚めた、とぼんやりと考えていると、横向きに寝ていたあたしの背後から静かな呼吸音と確かな温もりを感じた。

 まだ湿っているシーツが、夜の出来事が夢ではなかった事をあたしに教えてくれる。

 奔放なマヤにつられるように、あたしも昨夜は結構乱れてしまった。

 あんなに我を忘れてしまったのは、かなり久しぶりだったような気がする。

 そのせいか、背後で寝息を立てているマヤの事を恥ずかしくて見る事が出来ない。

 それでも目を閉じると、マヤの切れ長の目の奥の漆黒の瞳や、薄い唇から漏れる荒い息、上気してほんのり赤く染まった白い肌、汗で濡れて肌に貼り付く乱れた長い黒髪なんかがありありと思い浮かび、自然とあたしの唇は緩んでしまう。

 「ひうっ!」

 一人にやけていると、不意にあたしの背中を触る感触があり、あたしは情けない声を上げてしまう。

 背後からクスクスと悪戯っぽく笑う声がする。

 「起きてたんだ。」

 照れ隠しの為、あたしは冷静な声を出そうとするが、微妙にうわずった声になってしまう。

 「そうね。」

 言いながらもマヤは、あたしの背中を擦るのを止めようとしない。

 その手付きは先程までとは違い、性的な感じではなかった。

 不快ではなかったのでされるがままにしていると、マヤがボソリと言った。

 「ここには呪紋は入れてないのね。」

 確かにあたしの身体には、魔力で身体能力や抵抗力などをを上昇させる魔法のタトゥーである呪紋が小さなサイズのものばかりあちこちに彫られているが、最も大きな呪紋が入れられる背中は空白のままだ。

 「そうね。」

 「もしかして、竜紋の為に取ってあるの?」

 「……まあね。」

 あたしは、ためらいがちに頷く。

 ドラゴンテイマーによるドラゴンのテイムは普通のテイムとは異なる点が多々あるが、その中でも最大の相違点は、正式な乗騎契約は生涯においてたった1体のドラゴンとしか行えないというものがある。

 ドラゴンと正式に乗騎契約したドラゴンテイマーの背中には、契約したドラゴンに相応しい特別な呪紋が浮かび上がる。

 それが竜紋だ。

 それが実際どのようなモノなのかは正確には分かっていないにもかかわらず、アストラー王国建国伝説における竜騎士の伝承により、竜紋の知名度だけは高い。

 「まあ、自分以外のドラゴンテイマーには会った事がないから本当に竜紋なるモノが現れるのかは分からないけど。」

 「あたしの故郷にはそこそこドラゴンテイマーは居たわよ。」

 マヤがあまりにさり気ない口調で言ったので、あたしは危うく聞き流す所だった。

 「そうなの?!」

 一拍置いてから、あたしは上体を起こしながら勢いよく振り向く。

 当然シーツが捲れて上半身が顕になったが、室内はかなり薄暗いし、何より興味の有り過ぎる話題だったのでそこまで気が回らなかった。

 マヤは肘を折り畳んだ自分の腕を枕にしつつ、いつもの胡散臭い笑みを浮かべながらあたしの顔を見上げていた。

 いつもはお洒落にまとめてある長い黒髪が乱れたままなのが、妙に艶めかしい。

 あたしは急に恥ずかしくなり、狭いベッドの中でも可能な限りマヤから離れた場所に上体を倒し、マヤと共有しているシーツで上体を隠しつつ、彼女と正対する。

 「え〜と、マヤって東方の出身って事でいいのよね?」

 少し動揺しかけたが、あたしは改めて聞いてみる。

 「そうなるわね。」

 「あたしも東方については詳しくはないから偉そうな事は何も言えないんだけど、それでもバードをしていれば普通の人よりは噂話は耳に入るわ。そんなあたしでも、明らかに嘘っぽい噂話を含めて東方にドラゴンテイマーがたくさんいるなんて話は聞いた事がないわ。」

 「ああ、それはね。」

 マヤは笑いながら、自分の顔にかかった乱れた黒髪には無頓着のまま、あたしの顔にかかった銀髪を人差し指で引っ掛け、あたしの少しばかり尖った耳に器用に掛けながら言う。

 「東方って言っても広いのよ。西方だって、ここアストラー王国と、もっと西の方や北の方の国では全然文化や風俗が違うでしょ?」

 「それはそうね。」

 あたしは頷く。

 「東方にも色々な国があってね。ハーケンブルクにやってくる東方の交易船や船乗りはそのほとんどが東方で最大の版図を誇るハン帝国やその属国の人達よ。」 

 「それはあたしでも聞いた事がある。」

 あたし達の住むこの大陸は中央部に人跡未踏の巨大な大山脈があり、その大山脈により大雑把に西方世界と東方世界とに分断されている。

 現在西方世界はアストラー王国を含めた五王国と呼ばれる大国を中心に、それ以外の小国を含めれば20以上の国々が乱立している状況だ。

 一方東方世界ではその中心地にハン帝国と呼ばれる圧倒的な帝国が存在し、その周囲に幾つか小国が存在するもののそのほとんどはハン帝国の属国となっているという。

 「という事は、あなたはハン帝国出身ではないのね?」

 あたしの問いにマヤは頷いた。

 「あたしの故郷はハン帝国から海を隔てた場所にある島国で、ハン帝国やその属国からも蛮地呼ばわりされていたの。

 ハン帝国を始めとする東方の他の地域との交流もそれ程盛んではなかったから、ハーケンブルクにやってくる東方人の船乗りや商人も、あたしの故郷については噂程度しか知らない連中がほとんどだったはず。」

 「でも、西方に来るよりは楽でしょう?距離だってずっと短いだろうし。」

 「航海自体はね。でもまあ、歴史的に色々あったみたいで、あたしの故郷は外国との交易に昔から消極的だったのよ。ハン帝国やその属国にしても、竜に支配された島っていう悪評が独り歩きしていたみたいだから、積極的に交易したい相手ではなかったみたいだし。」

 「そんなにドラゴンがいたの?」

 「ゾラのイメージするドラゴンとは違うと思うけど、それなりには居たわね。だからこそ、ドラゴンテイマーも存在できたんだけど。」

 「でも、マヤはドラゴンテイマーじゃないわよね?ナギもそうでしょ?」

 「そうね、違うわ。

 でも、ドラゴンやドラゴンテイマーが多いと言ってもそれ以外の人の方が圧倒的に多いわよ。冒険者の街と言われているハーケンブルクでも、冒険者以外の仕事に就いている人の方が圧倒的に多いのと同じでね。だから、あたしやナギがドラゴンテイマーでなくとも不思議じゃないわね。」

 マヤの言う事は全く正論だったが、あたしはなんだか誤魔化されたというか、話題を逸らされたように感じた。

 それは、マヤの喋り方がいつもより少しだけ早口に感じたからかもしれない。

 ただそれは、気のせいと言われればそうかもと納得してしまうくらいの些細な違いだったので、あたしは気にせず話を続けようとしたが、そこで部屋の扉が控え目にノックされた。

 こんな夜明け前に来客など普通はあり得ない。

 あたしは上体を起こすと、右腕の義肢のギミックをいつでも作動できるように警戒心を高めつつ、扉の向こうに問いかける。

 「なに?」

 「お休みの所すみません。この宿の女将の息子のリックです。」

 扉の向こうから申し訳なさそうな声がする。

 「どうしたの、リック?」

 「そちらの部屋にマヤさんという方がお泊りですか?」

 あたしはマヤの顔を見る。

 確かに宿に入る時、リックもマヤの顔は見たはずだが、名前までは知らないはずだ。

 状況が分からずどうするべきか迷っていると、マヤがいつもの呑気そうな声をあげた。

 「マヤはあたしよ。どうかしたの?」

 「あの、アールワース商家のルドルフ様の使いと申される方がお迎えに来たと仰っているのですが、心当たりはありますか?」

 リックの声は明らかに緊張しているようだった。

 確かにマヤが異人街で部屋を借りる時も、冒険者ギルドで依頼を申請する時も、アールワース商家の紹介状があったという話は聞いていた。

 ただそれは、商家傘下の誰かが与えたものだと思っていたし、アールワース商家のトップであるこの街有数の権力者ルドルフと、特にこれといった身分も無さそうなマヤが直接繋がっているなんて普通は想像しない。

 あたしがなおも混乱していると、相変わらずマヤは呑気な口調で言う。

 「分かった。15……いや、20分で行くってその使者に伝えてくれる?」

 「あ、はい、そう伝えます。」

 扉の向こうからそう答える声がして、次いで慌てたように廊下を駆ける音がした。

 「そういう訳だから、あたしもう行かなきゃ。ゴメンね。」

 あくまで軽い調子で言うと、マヤはベッドから降りる。

 「悪いけど、軽くでいいから身体を拭きたいからタオルか何か、貸してくれる?」

 「ああ、気がつかなくてゴメン。」

 そう言いつつあたしは部屋に干したままの乾いたタオルを取り、呪文で水を発生させて湿らせてからマヤに渡す。

 「ありがとう。」

 ニッコリ笑うと、マヤはそれで軽く身体を拭き始める。

 「え〜と、聞いていいかな?」

 一息ついた所であたしはマヤに尋ねる。

 お互いまだ全裸のままだったが、何故か気恥ずかしさは消えていた。

 「アールワース商家のルドルフと知り合いなの?」

 「そうよ。」

 マヤは悪びれる事なく答えると、もう拭き終わったのかタオルを投げ返してきた。

 「ゾラも、拭いたら?」

 「あ、うん。」

 あたしはそう返答するが、身体を拭くわけでもなくタオルを握ったまま尋ねる。

 「どういう知り合いか、訊いていいかな?」

 「スポンサーよ。」

 「スポンサー?」

 「あたしなんかが今回の依頼料金をポンと出せる訳ないじゃない。」

 あたしとマヤの両方が脱ぎ散らかした服の山からマヤは自分の下着を発掘しながら、クスクス笑う。

 確かに今回支払われた依頼料は、依頼内容からして妥当な金額とはいえ結構な金額だった。しかもあたし達に支払われた金額以外に、仲介する冒険者ギルドがそれなりに手数料を取るから、マヤがギルドに支払った額はかなりのものになるはずだ。

 ほんの1月前にこの街に流れ着いたよそ者の女がポンと払える額とは到底思えない。

 そこであたしは、ダリルがマヤについて言っていた身体を売って生活しているという噂を思い出した。

 その言葉が急にリアリティを帯びてくる。

 どうもマヤは正業には就いていないっぽいし、あたしの勝手なイメージでしかないが、マヤはその手の仕事に抵抗がないだけでなく安易に手を出しそうな気もする。

 マヤのような若い女が、アールワース商家のルドルフのような金持ちの老爺の支援を受けるとなれば、どうしてもそういう良くない想像が浮かんでくる。

 すごく訊きいてみたい衝動に駆られるが、そんな失礼な事はとても訊けないとあたしが葛藤していると、再び廊下の外に慌ただしい声がする。

 「マヤさん、使いの方は宿の外で待っているそうです。」

 「分かったわ。なるべく早く行きますと伝えて。」

 リックの声に、手際よく下着を着けつつマヤは答える。

 「分かりました。」

 リックの足音が遠ざかってから、あたしは不安に耐えきれずにほとんど発作的に尋ねてしまう。

 「ねえ、ルドルフがマヤを支援したのって……。」

 手際よくシャツを着ていたマヤは、あたしの曖昧な質問の意図にもすぐに勘づいたらしく、ニコっと笑う。

 「あのお爺ちゃん、そっちはもうムリよ。」

 マヤがサラッと返してくれた事にホッとしつつも、今度は自分の失礼さが恥ずかしくなる。

 「ゴメン、失礼な質問だったわね。」

 あたしが気落ちした様子で言うと、マヤは一瞬だけ驚いた表情になり、それからカラカラと声を出して笑った。

 「謝る事ないわ。ゾラなりに心配してくれたんでしょ?」

 そう言うと、からかうような目つきであたしを見る。

 なんだか子供扱いされたような気持ちになったあたしはむず痒い表情となるが、その表情を見てマヤは満足したらしく話を続けた。

 「ていうかあたしの見る所、元々性欲は薄そうな感じだったわね。たまにいるのよ。欲望が特定の方向に偏っている人って。」

 マヤはサラッと言ったが、あたしは妙に引っ掛かった。

 「特定の方向って?」

 「あのお爺ちゃんの場合は、多分権力とか支配欲ね。」

 相変わらずの軽い口調のマヤだったが、あたしは妙な胸騒ぎを覚えた。

 「あたしも玄関まで送るよ。」

 あたしはそう言うと、濡れたタオルを身体を拭かないままサイドテーブルに置き、下着を着け始める。

 あたしが、最低限表を歩けるだけの服を着終えると、既にビシッと短期間にお洒落に服を着込んだマヤが、あたしに櫛とスカーフを差し出してきた。

 「あなたが整えて。」

 あたしは眉をひそめた。

 「あんたみたいに上手く出来ないわよ。」

 「いいわよ。そんなの気にしないから。」

 「それに、このスカーフ……。」

 マヤが差立したスカーフは、彼女のモノではなくあたしのモノだ。

 「交換したいと思ったんだけど、ダメ?」

 マヤのあざといおねだりには抵抗するだけ無駄な事を知っているあたしは、黙って受け取り彼女の髪を梳き始める。

 マヤの長い黒髪は驚く程癖のない綺麗なストレートで、数回梳いただけで整ってしまう。

 結構な癖毛のあたしにとっては羨ましい限りだ。

 複雑に、かつ美しく仕上げる技量など元々ないし、何より彼女のストレートヘアを活かしたくて、あたしはマヤの額の上部をスカーフで巻いてから、うなじの少し上で彼女の黒髪をスカーフの残りの部分で束ねた。

 サイドテーブルに伏せてあった小さな鏡を彼女に向けると、マヤは彼女にしては珍しく胡散臭くない笑顔を浮かべた。

 「あんまりこういう髪型ってしたことなかったけど、結構いいかもね。」

 元々細い目を更に細めて笑う彼女は、やはり一般的な美人の範疇からは外れるだろうが、あたしにとってはどうしても魅力的に感じられた。

 「ゾラにもしてあげるよ。」

 「いいよ。あんまり待たせちゃダメでしょ?」

 「いいから、いいから。」

 マヤは強引だったが不思議と嫌悪感は感じず、結局あたしは流されて髪のセットを任せる。

 小さな鏡越しにマヤの動きを観察していると、あたしにはとても真似できないような手際の良さで、いつもあたしが苦労している癖毛をスカーフも使って上手にまとめ上げていく。

 ほんの数分で、あたしの銀髪はお洒落にコーディネイトされていた。

 小さな鏡に映ったあたしの姿はまるで別人のように見える。

 サイドに流す髪型はマヤに会いに行く時にここで自分でセットした時と基本的には同じだが、出来映えはまるで違っていた。

 具体的に何処がどう違うのかまるで見当がつかない辺りがあたしのお洒落センスがどうしようもないレベルである証左な気がする。

 ふと鏡に映るあたしの背後のマヤの顔を見ると、満足そうに笑っていた。

 お礼を言おうと思いつつも照れ臭くて躊躇していると、マヤがあっ、と小さく声を上げた。

 「さすがに待たせ過ぎかもね。慌ただしくて悪いけど、あたしもう行くね。」

 そう言うとマヤは、その言葉とは裏腹に全く慌てる様子もなく、でも無駄のない動きでフード付きのマントを羽織り、転がっていた背負い袋を拾い上げて片肩に背負った。

 背負い袋からは布に包まれた細長い物体がはみ出しているのが見えたが、長さからしてあの折れた魔剣である可能性は充分に考えられた。

 2人でロビーまで降りていくと、息子のリックだけでなく女将のサンドラ、旦那のガースまでいた。

 さすがに下の子供達は寝ているようだが、起きている3人は皆不安そうにしている。

 それだけアールワース商家のルドルフはこの街ではビックネームだし、庶民にとっては雲の上の存在なのだ。

 その使いが直々にこの下町に、しかも事前予約も無くまだ人々が寝静まっている時間帯に現れるなど悪い予感しかしなくとも仕方がない。

 「ゾラ!」

 宿の人達の背後から預けていたノエルが不器用に飛んできて、定位置のあたしの右肩に止まろうとするが、いつもと違う髪型に気づいて慌てて宿の受付カウンターの上に着地した。

 続いて、ジーヴァも寄ってきた。

 「え、ゾラも一緒に行くの?」

 いつもよりお洒落なあたしの髪型を改めて確認して、ノエルが驚いたように尋ねる。

 「見送るだけよ。」

 あたしは寄ってきたジーヴァを軽く撫でながらそう答えると、宿屋一家の方を向く。

 「大丈夫よ。何でも無いから。」

 あたしは愛想笑いを浮かべつつ根拠の無い事を言ったが、いつもは豪快なサンドラも含め、皆引きつった笑顔を浮かべるだけだった。

 宿屋の玄関扉を開ける前に、マヤは立ち止まってマントのフードを被る。

 その間に、あたしは前に回り込んで扉を開けてやった。

 「ありがとう。」

 化粧する時間は無かったし、暗い上にフードで顔の半分は隠れていたというのに、マヤの顔は単に美しいというだけでなく高貴にすら見えた。

 サンドラ一家やノエル達を宿の中に残して外に出ると、街中に一定間隔で建っている街灯の魔法の灯りをボヤけさすくらい、数時間前より更に濃い霧に包まれていた。

 それでも宿屋の前に横付けされた2頭立ての豪華な四輪馬車と、軽装ながら高価そうな装備を身に着けた屈強な2人の護衛はハッキリと見てとれ、サンドラ達がビビるのも無理はないとあたしは思った。

 低レベルから中レベル帯の冒険者向けの安宿や安酒場が密集した典型的な下町の風景には余りにも似合ってない高級馬車で、護衛だけでなく御者すらも高価そうなお仕着せに身を包んでいる。

 馬車の傍らに控えていた、やはり立派なお仕着せを着た執事っぽい初老の男が進み出てくると、恭しくお辞儀する。

 「マヤ様。お待ちしておりました。」

 「ご苦労さま。」

 あたしなら雰囲気に飲まれて緊張のあまり挙動不審になってしまいそうだが、マヤはごく自然に慣れた様子で言うと、片肩に掛けていた背負い袋を男に渡す。

 決して高価そうには見えない、むしろ使い込んだように見えるマヤの背負い袋を丁寧な仕草で受け取ると、初老の男は豪奢な馬車の扉をマヤの為に開けたが、マヤはそれを無視してクルリと振り向くとあたしの方を見た。

 「待ってるわよ?」

 馬車とその周囲の人々から漏れ出す上流階級な雰囲気にビビっていたあたしは、サンドラ一家と似たような引きつった笑みを浮かべつつ言う。

 マヤはあたしの言葉には全く反応せず、まるで彼女のために待っている人達が全く目に入っていないといった様子で、その魅力的な顔をグイッとあたしに近づける。

 その自分の為に周囲の者を待たせるのが当たり前といった態度は、まさしく貴族などの上流階級の人間特有のもので、あたしは急にマヤがハーケンブルクの支配階級の1人であるアールワース商家の当主ルドルフとコネを持っているのが当然のような気がしてきた。

 そして同時に、マヤとの間に大きな壁を感じてしまう。

 そんな想い囚われたあたしは無意識の内にしかめっ面をしていたが、そんなあたしとは対照的にマヤはあざとく無邪気な笑顔を浮かべた。

 「ねえ、今度はゾラからキスしてよ。」

 「へ?」

 マヤの脈絡のない唐突な提案に、あたしは間の抜けた声を上げる。

 女の子とイチャイチャするのは好きだが、あたしの場合、それは2人きりの時に限られる。

 あたしは結構他人の目が気になるタイプなのだ。

 そういうメンタルで長年過ごしてきたので、マヤを迎えに来た御一行とか、多分背後でコッソリ見守っているサンドラ一家の前でキスするとか思いつきもしなかったし、提案されても正直実行する度胸もない。

 「ダメ?」

 あざとく小首をかしげるマヤ。

 あたしってこんなにチョロかったっけ、と思うくらいそのあざとい仕草には逆らえる気がしない。

 もうあれから多分4、5時間は経つのに、愛し合った時の疼きがまだ残っているような気もするし、ただ視線を絡めただけなのに再び燃え上がりそうな気分にすらなる。

 2人きりなら即座にマヤとキスしたであろうが、チキンなあたしはチラリとマヤを迎えに来た執事っぽい男や護衛達に視線を走らせ、彼らがお上品にあたし達の方から視線を逸しているのを確認してから、あたしはマヤの唇に軽くキスをした。

 するとマヤはあたしの首に両腕を回し、濃厚なキスを返してきた。

 ビックリして硬直している内に、短いが濃厚なキスが終わり、唇を離したマヤは満足そうに微笑む。

 ヘタレなあたしが動揺してフリーズしていると、人差し指の先で艶めかしくあたしの唇を素早くなぞり、今度はからかうように笑った。

 「またね、ゾラ。」

 そう軽い口調で言うと、マヤは踵を返し馬車へと向かう。

 その後ろ姿は優雅で堂々としており、淑女という表現がピッタリだった。

 執事っぽい初老の男から差し出された手を当然のように取ると、マヤはゆったりとした完璧な所作で馬車に乗り込む。

 初老の男がマヤが乗って一拍置いてから扉を閉めるが、その直後に、馬車の窓越しに先客の姿が見えた。

 小柄な老人のように見えたが、深く被った帽子や立てた外套の襟、口元まで覆うように巻かれたマフラーのせいで人相ははっきりとは分からない。

 しかし、豊かな白い眉毛の下の鋭い眼光を持つ目は一度見たら忘れられないような強烈なインパクトがあった。

 あたしは、アールワース商家の当主ルドルフの姿を実際に見たことはないが、目つきの悪い小柄な老人という伝聞は何度も聞いた事があった事から彼こそがルドルフ本人に違いない、と直感的に思った。

 だが、どうしてこんな夜明け前の寝静まった時間帯にそんな大物が直に出迎えに来るのだろうか、さっぱり見当がつかない。

 ルドルフらしき老人は一瞬あたしの方を見たような気がしたが、彼はすぐに姿勢を変えて馬車の窓の死角に入って見えなくなってしまう。

 執事らしき初老の男は慇懃な態度であたしに一礼すると、馬車の後部に作られたランブルシートに乗り込む。

 2人の護衛の内の1人は執事らしき初老の男の隣に、もう1人は御者の隣に座る。

 全員が馬車に乗ったのを確認すると、御者は手綱を振り、2頭の馬はリズミカルに蹄の音を響かせながら動き出す。

 良くスプリングが効いているらしい高級そうな馬車は音もなく滑らかに動き出すと、深い霧が立ち込めた夜明け前の街へと消えていった。



 読んで下さってありがとうございます。

 次回の投稿は第3章を書き終えてからになるので、また間が空いてしまいます。

 具体的には、第2章と同じペースで書いた場合、ゴールデンウィーク頃になってしまいますね。

 具体的に書くと随分と先なのが実感出来てしまいます。

 出来るだけそれより早く書き上げられるよう精進しますので、もし、続きを読みたいと思ってくださる方がいましたら、気長に待っていただければ幸いです。

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