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第2章 東方から来た女 7

今回は、ちょっと長くなってしまいました。


2025年7月14日

細かい修正を行いました。

 あたしが『何か』を感じた場所に到着するまで思ったよりも時間がかかってしまった。

 この辺りは岩が点在する以外はほぼ砂地で、その上傾斜も厳しいので今まで以上に移動が困難だったせいだ。

 レンジャーであるあたしやクリスタ、ドルイドであるルカはこういった悪い足場にもある程度対応出来るが、それでも結構難儀した。

 そういったクラスを持たないカミラはかなり危なっかしい足取りだったが、あたし達は時間を掛けてでも事故が起きないよう慎重に移動するよう彼女に言い、何とか彼女も無事目的地まで踏破出来た。

 その代わり、彼女はかなり疲弊してしまっていたが。

 そして移動に時間を掛けた為かその間、2回魔物の群れの襲撃があった。

 1回目は、燕を2回り大きくしたような外見の魔物である『カッタースワロー』。

 燕と同様に高速かつ自在に飛び回り、すれ違い様に魔法で生成した真空の刃で斬りつけてくる。

 2回目は、小型の蛇の胴体にトンボのような翅を持つ『フライスネーク』。

 その尾の先端は常に帯電しており、帯電した尾で接触して獲物を弱らせてから猛毒を持つ牙で噛み付く戦法を取ってくる。

 カッタースワローの真空刃にしても、フライスネークの尾の電撃にしても威力は低く、何十発も喰らわない限りあたし達相手でも致命傷にはなり得ない。

 フライスネークの猛毒だけは危険だが、毒牙自体は短く、革鎧さえ滅多に貫通する事はない。

 その一方で、あたし達の攻撃もなかなか当てられなかった。

 カッタースワローは、とにかく基本の飛行速度が速い上にアクロバティックな急旋回も行う。

 フライスネークはホバリング飛行が基本だが、攻撃時や回避時にほとんど予備動作を感じさせずに予想外の方向に急加速と急停止を繰り返すので、動きが全く読めない。

 長弓などの飛び道具は狙いをつけるのさえ覚束かず、接近してきた所を近接武器で攻撃しても空振りばかり。

 不甲斐ないあたし達に代わって活躍したのが、ルカの相棒の山猫のキルスティンだった。

 彼は、カッタースワローとフライスネークを1匹ずつ難なく仕留めている。

 まあ仕留めた後、狩った獲物にご執心するあまり他の敵に対する興味を失ってしまい、すぐに戦力外になってしまったのはご愛嬌だったが。

 結局、あたし達は空振りの連続に苛々し過ぎた結果、範囲攻撃魔法を連発してこれらの魔物を撃退する事に決めた。

 フラストレーションが溜まってしまったのと、相手の回避能力に対する過剰な警戒心から後先考えずに魔法を派手に連発したところ、明らかにオーバーキル気味に殲滅出来たのだがその結果、範囲攻撃魔法を習得していないクリスタとお客さんという立場上戦闘には不参加のマヤ以外は魔力を大幅に減らしてしまった。

 そういう訳で、あたしとルカとカミラは仲良くまたあの不味い魔力回復ポーションを飲むハメになった。

 用意してきた魔力回復ポーションはあまり多くはなく、既に半分以上は消費してしまった事になる。

 先日のアビスと同様の失敗をしてしまった感もあるが、魔力回復ポーションを事前に用意していた分だけ成長したと思っておこう。

 「さて。」

 魔力回復ポーションを飲み終え一段落ついてから、ルカが言う。

 「本当にここに反応があるのね?」

 「……うん……。」

 念を押され、あたしは自信無さ気に答える。

 そこは、少し大きめの岩が周囲より多く存在する以外は周囲と大差ない砂地だった。

 「マヤさんはどう思う?」

 ルカが依頼人に向き直り、尋ねる。

 そう言えばマヤも、自己申告ではバードしかクラスがないはずなのに、カミラと違ってあまり疲労している様子はない。

 加えて、傾斜のある砂地という悪い足場の移動でも、カミラほど苦労してはいないように見えた。

 考えられる理由は2つ。

 レンジャーやドルイド、ウォーリアといった不整地踏破に優れたクラスを自己申告していないだけで実は持っているか、レベルが極端に高いかだ。

 レベルの高さというものは大抵の弱点を凌駕してしまう程圧倒的な力を持つもので、例えば最高レベルのファイターなら全身を金属鎧で覆ったまま、この傾斜のキツい砂地の上を平気な顔で踏破する事だって可能だ。

 もっともマヤがその域に達しているとすれば、護衛など必要としない気もするが。

 「そうねぇ。」

 マヤは芝居がかった仕草で顎に指を当てながら転がる岩の1つに近付くと、間近で観察する。

 「可能性は、あるわね。」

 「そうなの?」

 クリスタが疑わし気に尋ねた。

 「岩の一部に明らかに人工的に加工された痕跡があるわ。全くの自然岩じゃない、と思う。」

 マヤはニッコリと何故か、質問したルカやクリスタではなく明らかにあたしの顔を見て微笑む。

 「噴火とか地滑りとかの結果、祠は倒壊して残骸として残ったのがこの散乱した岩の瓦礫って事ですか?」

 「まあ、ハーケンブルクにまで被害が及ぶような噴火はここ最近はないけど、小規模な噴火は日常的に起こっているからねぇ。これが祠の残骸かはさておき、あなたが探していた祠ってかなり古いものだっけ?」

 カミラの質問に何故かクリスタが答え、そのクリスタがマヤに別の質問をする。

 「あたしが読んだ古文書の記述を信じるなら、この国の建国当初に建てられたっぽいけど?」

 「この国って、ハーケンブルク?」

 「いや、国って言ったらアストラー王国のことですよね?この前、竜騎士がどうこうって話をしていたし。そもそも、ハーケンブルクは自治権はあっても街であって、国ではないですよ。」

 「そう、建国に竜騎士が関わっている国。あたしはこの辺の地理にも歴史にも疎いから、あなた達の方が詳しいと思うけど?」

 クリスタとカミラの漫才のようなやり取りをマヤがまとめる、という妙な状況が生まれる。

 「アストラー王国建国当時というと、400年くらい前か。」

 「え、じゃあ、ハーケンブルクが出来たのは?」

 「ハーケンブルクが今のような港湾都市の形態になり始めたのは大体250年くらい前ですよ。それ以前は辺境の漁村に過ぎなかったんです。自治都市になったのは更に時代を下って、今から100年くらい前ですね。」

 「へぇ~、カミラって物知りだね。」

 色々知識を披露するカミラに、クリスタが心底感心したように言う。

 (それくらい、僕だって知ってる。)

 拗ねたようなノエルの念話が唐突にあたしに伝わる。

 まあ、ノエルが知ってたのは本当だろうけど、それを敢えて主張するのは器が小さいと思う。

 口に出さずに念話にしただけ偉いと言うべきかもしれないけど、やっぱり誰かに自分も知っているという主張はしておきたかったんだろうな。

 「それだけ昔の祠なら、保全されてない以上原型を留めてなくても当然かもしれないけど。」

 そこまで言ってから、ルカはマヤの方を見る。

 「お宝も壊れたりしてない?」

 ルカの問いに、マヤは白々しく肩を竦める。

 「壊れていても不思議じゃないけど、ゾラは何か感じたんでしょ?」

 何か、マヤはナチュラルにあたしに色々押し付けようとしているような気がする。

 「正体不明の気配は感じたけど、それ以上の事を訊かれても困る。」

 「それもそうね。」

 ルカはあたしの言う事をあっさり受け入れた。

 ルカの不信感はマヤだけに向いていて、あたしはまだそれには巻き込まれていないらしい。

 「じゃあ、今度こそあたしが探知魔法で確認してみましょうか?」

 カミラが再び申し出る。

 「そうね。別の人がした方が、ゾラの言う『何か』の手掛りを掴めるかもしれない。ゾラ、可能な限りでいいから、その『何か』の正確な位置を教えてあげて。カミラは出来るだけ対象に接近してから魔法を。」

 「分かった。」

 「了解です。」

 ルカの指示に、あたしとカミラは返答する。

 あたしの感じた気配は、一見ただの岩に見える瓦礫が、最も密集してる一角から感じられた。

 指摘された上で見れば加工された石材の残骸だと何となく分かるが、ノーヒントだとあたしでは自然石との区別はつかないだろう。

 「知覚の糸よ、魔力の昏き輝きへと伸び、その力を我に知らしめよ……。」

 カミラは小声で詠唱すると、あたしが示した場所に向けて呪文を唱える。

 しばらくしてからカミラは顔を上げ、ルカの方を見た。

 「確かに魔力は感じましたね。あたしの感覚だと、生き物ではなく何らかのアイテムから発する魔力に感じました。」

 ルカにそう言ってから、カミラはあたしの方を見る。

 「それにしてもゾラさん、よく分かりましたね。魔力反応は微細で、あらかじめ場所を特定していなければ見落とす程度のモノでしたよ。」

 「あ、そうだった?」

 あたしは照れ笑いっぽい笑みを浮かべたが、その実体は困惑の笑みだった。

 マヤに言われた通りにやってみたら、自分でもよく分からない内に訳の分からない気配を感じただけの話で、自力で何か成し遂げたという感覚はまるでない。

 「後、ちょっと気になったのですが……。」

 「何?」

 「その魔力以外にも別の魔力を感じるような気がします。ただ、確実に感じる訳じゃないんです。アイテムっぽい魔力も微細なものでしたが、この魔力は更に微かで、ノイズというか勘違いの可能性も高いのですが……。」

 「魔力の種類とかは分からないのね?」

 「反応が弱すぎりるので、あたしの力量ではなんとも……。」

 「あーっ、それなら……。」

 カミラとルカの会話を聞いていたクリスタが突然大声を上げたが、すぐにその声は尻すぼみに小さくなっていく。

 「どうしたの?何か思いついたの?」

 ルカに突っ込まれて、クリスタがバツが悪そうにモゴモゴ答える。

 「いや、思いついた時はナイスアイデアと思ったけど、すぐにちょっとアレかなぁって思って……。」

 「いいから言って。アイデア言うくらいなら何の害もないし。」

 「う〜ん、じゃあ言うけど……。」

 クリスタはチラリとカミラを見てから、歯切れ悪く言う。

 「今調べた辺りさ、結構岩と岩の間に隙間があるからさ、カミラの使い魔のジョージ君なら偵察できるんじゃないかなって思った訳よ。」

 なるほど、クリスタのアイデアは至極真っ当だが、歯切れが悪くなるのも分かる。

 使い魔を持つ者の中には、使い魔を偏愛して危険に晒すのを極端に嫌がる者も結構多いからだ。

 付き合いの短いカミラがそのタイプかどうかはハッキリしないけど、嬉しそうにジョージ君にナッツなんかを与えて、それを食べるジョージ君の姿をメロメロな様子で眺めている姿を見ると、その可能性は高い気もする。

 「あ、ああ、そうね。うん、偵察にはジョージはうってつけね。ネズミなら入れそうな隙間だし。」

 引きつった笑顔を浮べ、やや震える声で言うカミラの様子を見るにどうやら懸念は的中したっぽい。

 だが新入りという立場と、理性的に考えればジョージが最適任という揺るがない状況からカミラとしては受け入れざるを得ないと考えたようだ。

 ルカやクリスタが微妙な表情で見守る中、カミラは両掌で包むようにネズミの使い魔のジョージ君を運び、瓦礫の隙間に送り出す。

 その時、小声で、

 「危なそうになったらすぐに逃げるのよ。」

 なんて囁いていたが、傍から見る分にはジョージ君は喜々として瓦礫の隙間に入っていったように見える。

 「ネズミは狭い場所が好きだから。」

 ノエルが耳元であたしに囁く。

 魔術の研究者によると、使い魔になると元の動物とは別の存在に変化するが、元々の動物の本能はある程度残るものらしい。

 ジョージが瓦礫の隙間に入っていくらも経たない内に、彼と視覚を共有していたらしいカミラが言う。

 「鞘に入った剣っぽいのを見つけました。なんだか、こんな環境下なのに不自然なくらい劣化している様には見えないので、もしかしてこれかもしれません。ジョージを通じて魔力感知の魔法を直接この剣にかけてみるから、ちょっと待ってて下さい。」

 「お願いね。」

 カミラに答えてから、ルカは答えを求めるようにマヤを見る。

 「アイテムの形状については把握していないの。でもまあ、剣の形をしていても不思議じゃないわね。」

 マヤの返答に、ルカは小さく頷く。

 「確かに魔力は感じます。多分、この剣で間違いないでしょう。でも、さすがにジョージがこの剣を引っ張り出すのは無理ですよ。」

 カミラの言葉に、ルカが珍しく苦笑する。

 「そこまでは求めてない。それから、あなたが気にしていた別の魔力については何か分かった?」

 「うーん、多分だけど、鞘かな?」

 「鞘?」

 「より強い魔力の周囲を、弱い別の魔力が覆っているような感じなんです。なので完全にあたしの推論になるのですが、中心の強い魔力が剣で、周囲の弱い魔力が鞘かもしれません。」

 「なるほど、あり得るわね。」

 「鞘って事は、剣の魔力を封印してるとか?」

 カミラの説明に納得したルカの言葉を受けてあたしが何気なく思いついた事を口にしたら、ルカとクリスタがギョッとしたようにあたしを見る。

 「それって、鞘から抜いたらヤバいヤツじゃね?」

 警戒心を顕にするクリスタだが、カミラがやんわりと否定する。

 「封印にしては魔力が弱すぎますね。可能性としては、剣の魔力を隠蔽してるって方があり得ると思います。あくまで可能性の1つですけど。」

 カミラの言葉に安心感が広がる。

 「じゃあとりあえず、ネズミ君を戻して瓦礫をどうにかしましょうか。」

 マヤの言葉にカミラがあからさまにホッとした表情になり、ジョージを呼び戻すと両手で掬い上げ、もう二度と危険な任務には送り出さないと言わんばかりに懐に入れる。

 その様子を生暖かく見守ってから、あたし達は目を背けていた問題に向き合う事にした。

 「さて、この剣を取り出すには瓦礫を除けなきゃいけないけど、あたし達の能力では地道に肉体労働で除ける以外に方法は無いよね?もし、他に良いアイデアがあったら喜んで採用するけど?」

 ルカの問いに、皆、目を背ける。

 「やっぱり肉体労働か。」

 一瞬の沈黙の後で、クリスタがうんざりしたように言う。

 「2人が瓦礫の除去、2人が周囲の警戒とマヤさんの護衛という事でいい?あたしは瓦礫の除去を担当します。」

 ルカの立候補にあたしは驚く。

 ドルイトが使用する自然魔法には筋力などの術者自身の身体能力を向上させる呪文があるので冷静に考えれば適任なのだが、やはり子供っぽい見た目のルカが純粋な力仕事に率先して手を挙げるのは違和感があり過ぎる。

 「じゃあ、あたしも立候補するわ。」

 あたしも手を挙げると、あからさまにクリスタがホッとした顔をする。

 「じゃあ、見張りはあたしとカミラがするからよろしくね。」

 あたしの気が変わるのを恐れたのか、クリスタが早口で言う。

 順当に考えれば、素の筋力はクリスタが一番高いと思われるが、ファイターとはいえパワーよりテクニック重視のクリスタの場合はあたしとの差はそう大きくはないだろう。

 あたしが立候補した最大の理由は、存在は強く主張するのにその正体がよく分からない例の物をいち早く確かめたいという気持ちだ。

 一応、カメレオンで『レイバー』のクラス能力をコピーする。

 単純な肉体労働ならそれなりに能力を底上げしてくれる。

 それでもキツかったら更に魔法で筋力を底上げする事も考えたが、思っていたより瓦礫の量は少ない上に個々の瓦礫の大きさもそれ程大きくはなく、筋力増強の魔法をかける必要のある場面が訪れる事も無いまま予想より早く件の剣が姿を現した。

 しかし、剣が7割方その姿を現した所であたしとルカの顔が引き攣り、その手が止まる。

 それまで声を掛け合いながら作業していたのが急に静かになったので、クリスタとカミラが覗きに来る。

 「あちゃ~っ!」

 「魔力が微細だったのはそういう事ですか。」

 2人の声で、あたし達も我に返る。

 「マヤさん?」

 「あら、これはどうしようもないわね。」

 ルカの呼びかけにすぐに反応した所を見ると、マヤも一緒に覗き込んでいたらしい。

 そして彼女の口調は相変わらず淡々と軽く、大してガッカリした様子もなかった。

 姿を現した剣は、刀身の3分の2程の所で鞘ごと完全に折れていた。

 「どうします?回収しますか?」

 「まあ、剣としては使えないだろうけど、相変わらず魔力を発散しているという事は魔法のアイテムとしての能力はある程度残っている可能性もあるでしょうし、引き続きお願いしますね。大丈夫、魔法のアイテムとして役立たずだったとしても、ミッション成功として報酬は払いますから。」

 依頼人から続行の言葉が出たので、あたし達は残りの瓦礫を手早く撤去する。

 見張り及びマヤの護衛をするはずのクリスタとカミラも、最後の方は何となく雰囲気に流されて作業に加わっていたが、誰もその事にツッコミは入れなかった。

 やがて、折れた先端部分も含めて剣はすぐ取り出せる状態になったが、誰もそれに触ろうとせずに自然とマヤに視線が集中する。

 視線を浴びたマヤだが、特に臆する事もなくいつも通りの飄々とした物腰で剣に近付くと、2つに折れた剣のうち柄のついている方を持ち上げ、躊躇なく鞘から抜いた。

 青みがかったその刀身は明らかに普通の鋼ではなく、ミスリルは確実に混じっているし、もしかしたらそれ以外の希少な魔法金属も混じっている可能性もあるような、かなり高価な魔法合金製なのが素人目にもすぐ分かった。

 シンプルな造りの真っ直ぐな刀身の両刃剣で、装飾の類は一切無い。

 錆も刃こぼれも、一見した所は全く見当たらない事から、かなり強固な防護の魔法がかけられていた事が伺えるが、それでも真っ二つに折れていたのは余程強烈な力が加えられた結果だろう。

 「あれ、素材だけでもかなり高く買い取ってもらえるヤツだよね。」

 「ミスリルは完全に入っていますよね?多分、オリハルコンも。高価で買い取ってもらえるのは確かですが、余程の腕の鍛冶師でなければ鋳潰すのも難しいですよ。」

 クリスタとカミラが小声で生々しい話をしているが、何故かあたしは2人の会話に苛立った。

 折れた剣など、冒険者にとってはいくらで下取ってもらえるかくらいの興味しかないのは当たり前の話なのに。

 マヤは2人の会話が耳に入らなかった様子で、剣を鞘に戻した後、折れた先端部も拾い上げる。

 「じゃあこれ、あたしが頂いていくけど、いいわね?」

 「構いませんよ。そういう契約ですし。」

 「では、失礼して……。」

 そう言いつつマヤが、剣をその中に入れる為に背負い袋を肩から外そうとしたとした時だった。

 ジーヴァがいきなり激しく吠え始めた。

 基本、大人しいジーヴァは滅多な事では吠えない。

 しかも、こんなに激しく吠え続けるのはおそらく初めてだ。

 しかもジーヴァだけではなく、キルスティンも全身の毛を逆立てて激しく唸っている。

 マヤやナギに対してもそういう態度を取った事もあったが、激しさはその比ではない。

 あたし達は、ジーヴァとキルスティンの視線の先を見上げた。

 そこには、太陽を背にしながらこちらに向かって高速で接近してくる飛行生物がいた。

 まだ大分距離はあるし、逆光のせいでハッキリとは見えないが、ハーケンブルク上空のかなり高い場所を飛行するのをたまに見かける、あの影に似ているような気もするがハッキリとはわからない。

 いずれにしても、その飛行生物とあたし達との距離が縮まってくるにつれ、その飛行生物が並外れた巨体である事が明白になってくる。

 あまりに圧倒的な圧力に、あたしは現実を受け入れるのを拒否するかのように思考が麻痺しかける。

 しかし絶え間なく流れ込んでくるジーヴァとノエルからの危機感が、あたしをすぐに現実に引き戻す。

 「散開して!あいつ、明らかに私達を狙っている!」

 ルカが叫ぶと、皆、即座にその指示に従う。

 階層破りが日常的に発生するヘスラ火山に登る事になった時、あたし達は格上の相手となし崩し的に戦闘になってしまった時の対処法をいくつか決めていた。

 ここでのルカの散開の指示は、敵が持つかもしれない広範囲攻撃に全員が一度に巻き込まれないように散らばり、1人を犠牲にしても全滅だけは避けるという本当に後がない時にだけ使うべき戦術で、この時、ルカの危機感はそれ程に高ったのだろう。

 あたし達は散開したが、ここで予想外の事態が起きた。

 正確には、予想外というよりはあたし達の想定が甘かった故に起こった事態と言うべきだろう。

 その飛行生物は、一直線にマヤめがけて急降下してきたのだ。

 そして、散開を強いられるような状況下で誰がマヤを守るのかハッキリと決めていなかったせいで、誰もマヤの護衛にはつかず、マヤは孤立していた。

 「ヤバ……っ!」

 焦りつつ呟いた時には、既に助けに行くには遅すぎる状況だった。

 依頼人を囮にするとか、例え結果的にそうなってしまっただけであったとしても冒険者として赦される事案ではない。

 飛行生物は急降下する勢いそのままに、巨大な後脚の鉤爪でマヤを押しつぶそうとした。

 その瞬間、再び信じ難い事が目の前で繰り広げられた。

 マヤが側転気味に宙を舞いながら、まさに華麗としか言いようのない動きでその一撃を躱したのだ。

 演劇における殺陣でしばしば見かけるような回避方法だが、実戦で、それもザコ敵相手ではなく圧倒的なまでに力が上の相手との戦闘で見るとは思いもしなかった。

 というか、見栄え重視でリスクばかり高いこんな回避方法を、実戦で試みようは考えもしないのが普通だろう。

 案の定、マヤが着地寸前の不安定な体勢になった所で、その飛行生物の首が伸び彼女をその巨大な口で噛み砕こうとする。

 しかし足から着地せず、身体を丸めて地面を転がる事でその噛み付きからも逃れる。

 だがその飛行生物はまだ諦めず、身体を反転させつつその長い尻尾を地面を転がるマヤに叩きつけようとする。

 地面が砂地だったせいでモウモウと砂煙が舞い上がるが、その砂煙の中からマヤが飛び出してきた。

 地面を転がった状態からどういう身体の使い方をしたのかは分からないが、再び跳躍しつつ尻尾の一撃を躱したらしい。

 そのままマヤは飛行生物と距離を取って対峙する。

 こんな緊急事態でなければ笑ってしまいそうになる程セオリー無視のムチャクチャな回避行動だが、少し間を置いてから、あたしはこの回避方法を含む戦闘テクニックを思い出した。

 それはバード独自の白兵戦のテクニックだ。

 バードは白兵戦時において、攻守においてトリッキーな動きを多用する傾向がある。

 マヤのあの派手な回避方法も、普通あそこまで極端ではないが、その1つだ。

 実際、あたしも酒場の乱闘なんかでは、もっと地味な見た目になってしまうが、使った経験のある回避方法ではある。

 まあ、高レベルの戦士相手にはまず通用しないし、中レベル相手でも初見で裏をかければ御の字という程度のもので、低レベル相手に混乱を誘ったり、実体以上に実力差を見せつけるハッタリ程度の利点しか思い当たらない代物でしかない。

 明らかに数段以上格上の、それも掠っただけで致命傷を与えそうな攻撃をしてくる相手に使うとは想像だにしないし、正気を疑うレベルだ。

 でも実際に、マヤはあの巨大飛行生物相手に無駄の多いトリッキーな回避方法で攻撃を凌ぎ切ってしまった。

 というか、相手の攻撃意図が完全に読めていないとあんなアクロバティックな回避方法なんて無理だし、それを現実に行える身体能力も尋常ではない。

 特に最後の地面を転がった状態から跳び上がる回避法なんて、人の身体機能で実現可能なんてとても思えない。

 魔法の補助があれば可能かもしれないが、少なくとも呪文を唱えたような気配は感じなかった。

 ある意味、コケにしたような回避方法を取られたせいでもないだろうが、飛行生物は再び飛翔する様子もなく、2本の後ろ足でしっかりと地面の上に立ち、その場でマヤと対峙する。

 巨大飛行生物の動きが止まった事で、あたしはようやくその巨大飛行生物をじっくりと目にする機会を得た。

 しかし全くもって冒険者失格な事だが、現在の危機的状況が頭からすっかり抜け落ちた様にその巨大飛行生物の姿に見入ってしまう。

 くすんだ青色の鱗と大きな翼に力強い後ろ脚を持つその巨大飛行生物は、実物は見た事は無いものの絵姿では何度も見てきたドラゴンの姿に似ていた。

 ただ、絵姿で見るドラゴンよりはほっそりとした体つきで、ドラゴンにはあるはずの前脚は一見無いように見える。

 「あれ、ワイバーン?」

 ぬか喜びは避けたい心情が働いていたのか、あたしは無意識の内に否定的な事を呟いていた。

 ドラゴンどころかワイバーンも実物を見た事はないが、伝聞によればワイバーンの胴体は蛇のように細長く、脚は後脚だけで前脚は翼と一体化しているらしい。

 その頼りない知識に照らし合わせると、あの飛行生物はドラゴンではなくワイバーンっぽい。

 「いや、あれはワイバーンじゃないよ。ウィンドドラゴンという、れっきとしたドラゴンの一種だよ。小さくて目立たないけどちゃんと前脚も見える。何より、ワイバーンより2回り以上大きいし。」

 あたしの呟きを拾ったノエルがそう答える。

 そしてノエルの言葉で、あたしは急速に心臓の鼓動が速くなるのを感じた。

 ドラゴンはあたしにとって、子供の頃からの憧れの存在だった。

 あたしの父は南方の大陸出身だが、ハーケンブルクに渡ってきてからは熱心に西方の歌や吟遊詩を学んでいたのでそのレパートリーも多く、子供のあたしにもよく聴かせてくれた。

 その中でも、アストラー王国の建国王や彼を支えた竜騎士達を讃えた吟遊詩は、特にあたしのお気に入りだった。

 でも今はその事自体を恥じ、あたしの中では黒歴史扱いにしてしまっている。

 ノエルがアストラー王国建国をテーマにした、彼曰く歴史書を騙った娯楽小説を、いささかスレた感じで楽しんでいるいるのにイラッとしたのもそれが理由だ。

 あたしが今まで役立たずの4番目のクラスを選んだ理由は、その建国物語の竜騎士達の活躍に憧れていたからだ。

 あたしが選んだ4番目のクラスは『ドラゴンテイマー』。

 竜種に特化したテイマーで、今では伝説となっているアストラー王国建国前後にはそこそこ人数がいたが、その後廃れてしまった。

 廃れた理由は、人間の戦争に巻き込まれる形でその数を大きく減らしたドラゴンが、人間の前から姿を消してしまったからと言われている。

 テイムする竜がいなければ、ドラゴンテイマーなど何の役にも立たないクラスだ。

 でもあたしは、子供の頃ハーケンブルク上空をしばしば高高度で飛ぶ例の飛行生物の影を、何の根拠もなくドラゴンだと信じ込み、あれは単なる巨大な鳥の魔物だ、と主張する連中を内心蔑んでさえもいた。

 その飛行生物の巣があるという噂の、ヘスラ火山山頂部の火口に行けばドラゴンに出会えるだろうし、そこでドラゴンをテイムする事も出来るだろうと単純に思っていた。

 まだ怖いもの知らずだった若い頃は、しばしばヘスラ火山にドラゴンを探しに出向いたものだが、ドラゴンの巣があると噂の山頂部はおろか、あたしの実力では5合目付近をうろつくのが精々だった。

 その内、自分の限界を悟らせるような出来事が相次ぎ、ドラゴンをテイムするどころか出会う事すら至難の業という現実を受け入れざるを得なくなった時点で、あたしは4番目のクラスとしてドラゴンテイマーを選んだ事、そしてその動機となった幼い頃に建国の竜騎士伝説に憧れていた事を黒歴史として扱うようになっていた。

 その頃になるとあたし自身、ハーケンブルク上空をしばしば飛ぶ影を見ても、

 『あれはドラゴンなんかじゃなく、大きな鳥の魔物か、せいぜいワイバーンよ。』

 と口にするようになり、無邪気にドラゴンと信じている者を内心で蔑むようにすらなっていた。

 そんなどうしようもなくスレてしまったあたしだったが、実物のドラゴンを目の前にすると、あたしは子供の頃以来の湧き上がる興奮を抑える事が出来ずにいた。

 それはもう、あたし自身を含むこの場にいる全員の絶対的な危機が頭の中から抜け落ちる程に。

 「アレと乗騎契約するつもり、ゾラ?」

 自分の世界に入り込んでいたあたしを、ノエルの呆れたような声が現実に引き戻す。

 「え?」

 ドラゴンとの乗騎契約。

 それは、基本的に使い魔契約や相棒契約と同じものだが、強力な力を持つドラゴンとの契約は、それ専門の能力を持つクラスが必要だ。

 『ドラゴン・テイマー』はその筆頭とも言えるクラスである。

 ただあたしは、自分の4番目のクラスの事を誰にも喋った事はない。

 でも、主人と使い魔は互いの能力を口に出さなくとも何となく把握しているものなので、冷静に考えればノエルが知っていてもおかしくはない。

 「ドラゴンと乗騎契約を結ぶような本格的なテイムは今は不可能だよ。既に敵対状態になっている相手には、短時間簡単な命令に従わせるくらいのテイム能力しか使えないっていうのは、ドラゴン相手だろうと、野生動物相手だろうと変わらない事だよね?」

 ノエルは、浮ついていたあたしの気持ちに冷や水を被せる様な事を言う。

 ただそれは、厳然たる事実だ。

 初めて実物のドラゴンを目の当たりにして、諦めていた夢がもう既に現実化したような浮ついた気分でいたが、あのドラゴンが敵としてあたし達を認定して襲ってきた時点で、乗騎として契約が出来る可能性は限りなく低い。

 ノエルの指摘でいくらか冷静さを取り戻したあたしは、すぐに頭を切り替えようとする。

 浮ついた気持が完全に消えた訳ではないが、現在のヤバ過ぎる状況では、夢を見ている余裕などない事を判断できるだけの理性は回復した。

 とりあえず、ファイヤードラゴンやアイスドラゴンといったメジャーな種と違って初耳だったので、あたしはノエルに尋ねる。

 「ウィンドドラゴンって、どんなドラゴン?」

 まあ、ノエルの知識も所詮書物から得ただけのものだから、どこまで正確かは分からないが、あたしより知っている事は間違いない。

 正直な所を言えば、例外的に弱いドラゴンだよ、と言ってくれる事を期待していた部分もあった。

 「ドラゴンの中では、飛行能力は機動性も速度も両方ともずば抜けてトップクラスだよ。その分格闘能力は低いけど、それはドラゴン同士で戦う時の話であって、人間相手なら他のドラゴンと同じく、当たれば一撃でペチャンコにするくらいの力はあるからね。」

 どうやら例外的に弱い、というあたしの期待は当然の如く裏切られたようだ。

 「何か弱点とかはないの?」

 「弱点って程じゃないけど、強いて言えば、ブレスの種類が雷撃で、炎のブレスように拡散するタイプじゃなく直線状に飛んでくタイプだから、真横に回避すれば避けられるかも?まあ正直、気休めレベルの話で、狙って吐かれたら避けられるはずもないけどね。」

 「本当に気休めね。まあ、とにかくノエルはこの辺で隠れながら様子を見て、何か気付いたらあたしに知らせて。

ジーヴァはノエルを守ってあげてね。」

 「ちょっと待って。まさかドラゴンと接近戦でもする気?」

 ノエルの口調が変わる。

 いつもは従順なジーヴァからも不満の感情が伝わってくる。

 「まともに戦うつもりはないよ。依頼人にいつまでも囮役をさせるわけにはいかないから、あたしが囮役に変わるだけ。防御に徹して時間稼ぎをする以上の事はするつもりはないよ。」

 「でも……。」

 「それにあたしならテイム能力で、あのドラゴンの動きを一時的に止める事が出来るかもしれない。」

 「ゾラの魔力じゃ、それはとても無理だよ。」

 「時間がないからこれ以上議論はしない。じゃあ、2人ともよろしくね。」

 あたしは強引に話を打ち切ると、そのまま駆け出す。

 ノエルの懸念は充分承知していたし、恐らく彼の方が正しいのは分かっていた。

 だからこそ、議論を続ければノエルの意見に流される予感があり、それを避けるには議論を打ち切るしかない。

 どちらにしろ、依頼人であるマヤを見殺しにする選択肢は、たとえ中レベル寸前で長年足踏みしていたようなロートル冒険者のあたしであってもあり得ない。

 最終的に撤退するにせよ、それはマヤの安全を確保してからだ。

 ウィンドドラゴンとマヤが対峙している辺りは一面の砂地で、しかも傾斜もあるので不整地踏破能力の高いレンジャーのあたしでもかなり走り辛い。

 走りながら、カメレオンのクラス能力でファイター能力をコピーする。

 残念ながら、強化系の魔法を自分にかける時間的余裕はなかった。

 短い時間とはいえ、あたしが呆けていた間にもマヤは、鋭く大きな牙がビッシリと生えたウィンドドラゴンの巨大な口による連続した噛み付き攻撃の目標になっていたが、相変わらずの出鱈目かつ無意味に派手な動きで回避し続けている。

 どうしてあんな動きで回避できるのか不思議だが、実際にウィンドドラゴンの攻撃はかすりもしない。

 そして、ウィンドドラゴンの動きも不自然な事に気付く。

 高い飛行能力を持つにもかかわらず、ウィンドドラゴンは全く飛行しようとせず、不安定な足場に脚を滑らせつつも、歩いてマヤを追いかけ回している。

 飛行に特化したウィンドドラゴンの身体は、地上を二足歩行で駆け回るにはアンバランスな体型であり、それもマヤに対する攻撃を外しまくっている一因であるような気がする。

 そして、マヤに対する攻撃に集中しているせいか、ウィンドドラゴンは接近するあたしには全く関心がなさそうだった。

 接近しつつ観察するが、その体表は硬そうな鱗でビッシリと覆われ、あたしの剣の腕でその鱗を斬り裂けるのかは甚だ疑問だった。

 直接攻撃は後に取っておき、まずはテイムを試してみる。

 今まで一度も使った事の無いドラゴンテイマーのクラス能力だが、クラスを得た時、そしてレベルが上がった時にそのクラスとレベルで使用可能な能力の使い方は自然と理解できる。

 基本的には、レンジャークラスで野生動物を一時的に従わせる方法と変わらない。

 魔力を集中させ、あたしは叫ぶ。

 「止まれ!」

 その言葉に応じたように、ウィンドドラゴンの動きがゆっくりと止まる。

 しかし妙だ。

 あたし自身にテイムに成功した時の手応えがなかったし、テイムで強制的に動きを止めた場合動きが不自然に急停止するはずで、あんなゆったりと動きが止まる事はない。

 ウィンドドラゴンは初めてマヤへ執着するのを中断し、ゆっくりとあたしの方を向く。

 ドラゴンテイマーの能力のおかげか、あたしはウィンドドラゴンのあたしに対する怒りをハッキリと感じた。

 あたしのテイムはウィンドドラゴンには通用しなかったが、テイムしようとした事実だけはしっかりドラゴンに伝わってしまった、という事らしい。

 伝説通りにドラゴンが非常にプライドの高い存在ならば、あたしはかなりの不届き者という事になるだろう。

 それでもマヤの代わりに囮になるという目的は果たせたようだ。

 ウィンドドラゴンはあたしの存在を認識すると苛立たし気に唸り、身体全体を半回転させてその長い尻尾であたしを薙ぎ払おうとする。

 第三者としてマヤへの攻撃を見ていた時とは迫力がまるで違った。

 格闘能力が低いというノエルの言葉は、本人が言った通りあくまでドラゴン同士の戦いにおいてであって、丸太より太い尻尾が高速で迫ってくる迫力に押され、恐怖で身体が硬直してしまった。

 もはや、初めて実物のドラゴンに遭遇できた、という浮ついた気持ちは完全に消し飛んでしまった。

 我を失って身体が硬直していたのはほんの一瞬だけだったが、そのせいで回避行動のタイミングが明らかに遅れてしまう。

 だが、場数だけは多く踏んでいたあたしはその遅れを取り戻すべく、咄嗟に自ら後に倒れ込むように跳ぶ。

 くすんだ青色の鱗に覆われた尻尾があたしの目の前スレスレを通過し、その尻尾が起こす風圧であたしの顔が歪むのを感じた。

 時間の経過がひどくゆっくりに感じ、視界もいつもより広がった様に感じたのは死の危険を脳が察知し、一時的に集中力が極端なまでに高まった為だろう。

 それ程この回避は紙一重だったのだ。

 極端な集中力の上昇が収まり、時間の経過速度が通常に戻った瞬間、あまりにも勢いが良すぎた事と受け身を取る余裕さえ無かった事が重なって、あたしは背中を地面にしたたかに打ち付けてしまった。

 地面が柔らかい砂地にもかかわらず勢いが良過ぎたせいで、衝撃が肺にまで達して呼吸と意識が一瞬止まる。

 マヤの華麗な回避方法に比べると余りに泥臭い上に、敵の眼前で無防備な姿を晒す結果となってしまったが、そこでルカ達が一斉に弓矢や魔法で攻撃してきた。

 ルカの小規模の竜巻の魔法、カミラの氷の矢の魔法、そしてクリスタの長弓による矢の連射。

 しかしクリスタの矢はウィンドドラゴンに到達する前に、不自然にその軌道を変えてあらぬ方向へ飛んでいく。

 矢玉から身を守る呪文でもかけているのだろう。

 強力な射手ならばその防御魔法を打ち破る事も出来ようが、あたしより少しだけレベルが高い程度のクリスタでは難しいようだ。

 ルカやカミラの魔法も、どれだけ効いているのか定かではない。

 それでも結果的に、あたしが回復するだけの時間は与えてくれたようだ。

 あたしは激しく咳き込みつつ、何とか再び呼吸が出来るようになると慌てて起き上がり、一度体勢を立て直そうとウィンドドラゴンの接近戦攻撃の範囲外に出ようとする。

 ウィンドドラゴンは再び苛立たし気に唸ると、あたしの方を向いて大口を開けた。

 ウィンドドラゴンの口の中から青白い光が漏れ、小さな放電も見えた。

 あたしは背筋に冷たいモノが走るのを感じた。

 明らかに雷撃のブレスの予備動作だ。

 あたしはハッとして後を振り向く。

 いつの間にか、ウィンドドラゴンから見てあたしとカミラがほぼ一直線上にいる事に気付いた。

 「カミラ!ブレスが来る!」

 あたしは叫ぶと、横方向に走り出す。

 ウィンドドラゴンにとっては、まだブレスの向きを変えられるタイミングなので回避行動を起こすには早すぎるが、あたしの動きに合わせて狙いを変えてくれれば後方のカミラもろともにブレスに巻き込まれる事態は避けられる。

 案の定、ウィンドドラゴンはあたしの動きに合わせて口の向きを変えてくる。

 そこまで確認してからあたしは急に進行方向を変え、ウィンドドラゴンの懐、というか顎の下目掛けて無我夢中で飛び込む。

 直後、耳を聾するような轟音が響き視界が一瞬青白い閃光に塗りつぶされる。

 全身のあちこちにピリピリとした痛みが走り、僅かに筋肉の一部が引き攣ったような感覚があるが、ドラゴンのブレスの直撃を受けたら一瞬で黒焦げになるのは確実なので、この程度の痛みで済み、意識も保っているという事は何とか回避出来たのだろう。

 そのまま地面の上を転がり、ウィンドドラゴンの身体の下を通過して再び距離を取る。

 幸いにして今度こそ受け身に成功したので、砂まみれにはなったが無謀なアクションの割にはどこも身体は痛めなかった。

 そのまま立ち上がると、目の前にマヤがいてギョッとしてしまう。

 まあ、ウィンドドラゴンと正面からずっと対峙していたのはマヤなので、この場にいるのは当然といえば当然なのだが。

 「いや、あなたみたいなブレスの躱し方、冗談ではよく聞くけど、本気で実行出来る度胸と身体能力をあなたが持ってるとは思ってもなかったわ。」

 マヤは戦闘中とは思えない暢気な口調で言う。

 ドラゴンといえども自分に向けてブレスは吐けないから、ブレスを吐かれそうになったら懐に飛び込め、とは冒険者達がよく言う冗談だ。

 ドラゴンに遭遇する事自体滅多にないにもかかわらず、そのブレス回避法を実行したという胡散臭い武勇伝は山程聞くし。

 でも少し想像力を働かせれば、その回避方法がそう簡単に出来る代物ではない事は分かるだろう。

 タイミングが遅ければ潜り込む前にブレスに巻き込まれるし、早ければその意図に気付いたドラゴンがブレスの向きを修整するだけだし、そもそも愚かにも懐に飛び込んできた卑小な人間などブレスを使わずともその巨体を利用して自重で押し潰せば事足りる。

 何より理屈で分かっていても、圧倒的存在感を持つ巨体のドラゴンの懐に自ら飛び込むというのは勇敢を通り越して狂気の沙汰だ。

 この時、あたしがこの無茶な回避方法を実行出来たのは、追い詰められ過ぎて半分ヤケになっていたからに過ぎない。

 「ドラゴンはあたしが引き付けておくから下って、マヤさん!」

 危機感が欠け過ぎのマヤに激しく苛立ちながら、あたしは叫ぶ。

 「う〜ん、それは無理だと思うなあ。」

 マヤは相変わらず暢気な口調で言う。

 あたしは素早く周囲を見回し、3人、特にブレスの目標になった可能性のあるカミラの姿を探す。

 カミラを含め、3人共無事っぽかった。

 ホッと安心するが、相変わらずマヤはその場から全く動こうとはしない。

 グズグズしているうちに、自らのブレスが引き起こした土煙であたし達を見失っていたらしいウィンドドラゴンが、こちらを向く。

 「実力不足なのは分かっているけど、いつまでも依頼人に危険な真似はさせられないでしょう!」

 マヤの態度にあたしは半ギレになりつつ、両手を広げて自らの存在をウィンドドラゴンにアピールしながら叫ぶ。

 マヤに代わって囮になる為には、彼女以上に目立ってウィンドドラゴンの注目を集める必要がある。

 ウィンドドラゴンは明らかにあたしを一瞥したが、今度はあたしを無視してより遠い位置にいるマヤに向けて首を伸ばし、噛みつこうとしてきた。

 「なっ……!」

 あたし達にも攻撃してきた事からマヤに対する異常な執着は無くなったと判断していたのだが、どうやら間違っていたらしい。

 あたしは慌てて振り返るが、マヤはウィンドドラゴンのその攻撃を予測していたようで、相変わらず無駄の多いトリッキーな動きでその攻撃を回避した。

 そこへ、カミラとルカの遠距離攻撃が再開される。

 ウィンドドラゴンは苛立たし気に唸るが、それでもマヤを視界から外そうとはしない。

 少し距離を取ったマヤに対して今回も飛行が得意なはずのウィンドドラゴンが、何故か飛行する事もなく不器用に二足歩行しながら迫っていく。

 ここに至ってあたしは、ウィンドドラゴンのマヤに対する執着が異常なレベルである事を確信する。

 「マヤ!あんた、このドラゴンに何をしたの?!」

 それまで彼女に対して行っていたお客さん向けの丁寧な言葉遣いも忘れ、あたしは怒鳴る。

 「何もしてないけど、多分これかな?」

 マヤは、右手に持ったままだった先端部が折れた魔剣を掲げてみせた。

 実際あまり効いていないのかもしれないが、散発的にその身に浴びせくるカミラとルカの魔法を無視しつつ、ウィンドドラゴンは執拗にマヤを追い掛け回す。

 あたしはドラゴンの知能は平均的な人族より高い、という通説を思い出す。

 その通説通りなら、知脳の高いドラゴンが得意の飛行能力を使わないのには何らかの理由があるはずだ。

 だが、飛行に特化した体型のため地面の上を駆け回るにはあまりにバランスの悪いウィンドドラゴンが、ヨチヨチと言っていい脚運びでマヤを追いかけ回す姿には知性の欠片も感じられず、滑稽ですらある。

 (ノエル!どういう事か、分かる?)

 もはやマヤは受け答えできる状況ではなさそうなので、あたしは念話でノエルに尋ねる。

 (多分、このウィンドドラゴンは、例の魔剣を守護するように呪いの魔法で縛られているんだ。)

 それであたしはようやく理解出来た。

 カミラが言っていた鞘から感じた別の魔力とは、カミラが予測した魔剣の魔力を隠蔽するものではなく、この守護者であるウィンドドラゴンに異変を知らせるためのものなのだろう。

 剣を移動させたためか、あるいは一度鞘から抜いたためか、そのどちらかがそれがトリガーとなってこのウィンドドラゴンを呼び寄せたに違いない。

 一度着地してからは再び飛び上がらず、不器用に二本足で追いかけ回すのも守護者としての呪いがその行動を制限しているせいもしれない。

 「マヤ!剣を捨てて!」

 あたしは叫ぶ。

 任務は失敗になるが、依頼人を死なせるよりはずっとマシだ。

 「イヤよ。」

 マヤは、聞き分けのない子供のような返事をする。

 結構な大金を払った上に自らもかなりの労力を払ってここまで来た以上、彼女にもそれなりの理由があるのだろう。

 しかし、マヤの回避方法は派手な分体力の消費が激しいはずだ。

 しかも砂地の急斜面という派手なアクションには全く不向きの足場だ。

 実際、マヤの動きは段々と鈍くなっている様にも見える。

 一度の回避の失敗が、即死に直結し得る状況だ。

 「それならマヤ!その剣をあたしに渡して!」

 あたしが叫ぶと、マヤの顔に戸惑いの表情が浮かぶ。

 ついでに、その動きも止まってしまった。

 そこへウィンドドラゴンの巨大な口が、マヤめがけて牙を剥き出しにして迫る。

 タイミングよくルカの呪文が発動し、砂埃をまとった小型の竜巻呪文がウィンドドラゴンの視界を覆うように現れたので、目測を誤ったウィンドドラゴンの噛み付きは空振りに終わったが、この攻撃に対してマヤは全くの無反応だった。

 彼女の事だから空振りを見越しての意図的な無反応だった可能性もあるが、見ているこちらとしては肝が冷える。

 更にそこへ、クリスタとキルスティン、そしてジーヴァが、マヤとウィンドドラゴンの間に割り込むように駆けつけてくれた。

 クリスタは弓矢の攻撃が魔法で防がれたので、それに見切りをつけ前線に来てくれたのだろう。

 彼らのいずれもドラゴンに手傷を負わすにはパワー不足だろうが、回避能力にはそれなりに優れているので時間稼ぎや囮には充分役立つ。

 「マヤ!」

 あたしがもう一度叫ぶと、マヤは苦笑じみた笑顔を浮かべた。

 「そうね。あなたの方が上手く扱えるかもしれない。」

 マヤの声は小さく、ハッキリとは聞き取れなかったが、多分そんな事を言ったような気がする。

 それからマヤは先端部の折れた魔剣をあたしに向けて放り投げ、叫ぶ。

 「貸すだけだからね!」

 折れた魔剣を受け取り、鞘から剣を抜く。

 剣を抜きながら、この折れた魔剣が妙に手にしっくりと馴染むのを感じた。

 折れたせいでバランスが悪くなっているはずなので、物理的な剣の形状との相性ではなく、込められた魔力との相性が良いという事かもしれない。

 剣を抜いてすぐに、この剣の魔力の本質的な部分は未だ損なわれてはいない事を直感する。

 いわばこの剣は半休眠状態であり、おそらく折れた事が原因で自身の能力の多くにロックがかかっている状態なのだろう。

 剣を再び完全な形状に戻せば、再びその力を取り戻せる事も直感的に分かった。

 どうしてそれらの事が分かったのか、自分でもその理由は分からないが、印象としてはそれらの知識が魔剣自身から流れてきたような気がする。

 その印象が正しいのか、また流れ込んできた知識自体が正しいのか、今は確かめる術も余裕も無いが。

 そして予想通り、ウィンドドラゴンの注意は明らかにマヤからあたしへと移っていた。

 それを狙って剣を受け取ったのだが、自分が標的認定された現実を前にすると後悔の気持ちも湧き上がる。

 前傾姿勢であっても体高はあたしの3倍以上、その口はあたしを軽く一飲み出来るくらいの大きさであるのにも加えて、半開きの口には無数の鋭い牙が並んでいる。

 この前戦った、巨大化したブラックウルフとそれに騎乗したゴブリンロードの組み合わせより、あたしの体感では単純な大きさだけでも5倍以上は大きい気がする。

 傍から見ていた時は、恐らく呪いのせいもあって意外と動きが単調で鈍いとか思っていたりしたが、正面から殺意を向けられるとそんな客観的な分析は吹き飛んでしまう。

 避けやすい、という思考が消え、避けられなければ死ぬ、という思考に頭が支配される。

 巨体である、ということはそれだけで圧倒的な恐怖をもたらす事実を、あたしはイヤという程体感していた。

 そんな、存在するだけでハンパない威圧感を与える相手に対し、あんなナメ腐った方法で攻撃を回避し続けたマヤは、身体能力が飛び抜けているとかいう以上に、恐怖心が欠落しているというか、精神的にどこかブッ飛んでいるとしか思えない。

 そこまでブッ飛んでいないあたしは、絶え間なく湧き上がる逃げ出したい気持ちを必死に抑え込む。

 冒険者としての矜持がそうさせた、と言えば格好良いし、僅かに残った冷静な思考が、背中を向けて逃げ出した方がより危険だという判断を下せたという事情も、一応はある。

 ただ最も大きいのは、この折れた魔剣を握った時に感じた相性の良さが、今の所武器としては何の役にも立ちそうにないにもかかわらず、根拠のない自信を僅かながらにあたしに与えた事により勇気が底上げされ、その分冷静さと集中力を何とか維持出来た事だ。

 ウィンドドラゴンの細長い首が伸び、あたしに噛みつこうとする。

 思ったほど速くはなく、想定通りに動きも単調で回避はそれ程難しくはないが、やはり巨大な口に鋭い牙、その口から漏れ出す獣臭さと焦げ臭さが混じったような強烈な匂い、そして巨体のウィンドドラゴンの行動に付随して発生する振動や風、腹に響く轟音などが、あたしの本能的な恐怖心を呼び起こし、集中力をゴリゴリと削っていく。

 (ゾラ?)

 その時、ノエルの念話があたしに届く。

 (何?)

 (カミラが時間をかけて呪文を唱え始めた。恐らく、限界まで魔力を注ぎ込んだ強力な魔法を放つつもりだ。だから、それまで回避に専念して。)

 (了解!)

 現金なもので、具体的な目標が見えれば少しばかり精神的な余裕も大きくなる。

 無論、カミラの魔法一発でドラゴンを倒せるほど甘くはないだろうが、限界まで威力を高めればそれなりの傷を負わせ状況を好転させるくらいはできるはずだ。

 上手くいけば、ウィンドドラゴンを倒すのは無理でも逃げてくれる事はあり得る。

 やや落ち着きを取り戻した事で、ドラゴンの動きもよく見えるようになり、回避の動きのキレも良くなっている気もする。

 その間にもルカが、魔法を次々とウィンドドラゴンに放ち、ウィンドドラゴンの視界を一時的に遮ったり、足場を脆くしてバランスを崩したりして、ウィンドドラゴンの攻撃を阻害してあたしの回避の難易度を少なからず下げてくれている。

 またクリスタやキルスティン、ジーヴァがウィンドドラゴンの注意を引くべく動き回るが、こちらの方は残念ながら効果は大してないようだ。

 彼らがいかに囮となって攻撃目標を分散させようとしても、魔剣を持っているあたしに対してウィンドドラゴンが執着している以上、ウィンドドラゴンが彼らを無視してあたしへの攻撃を優先させるのは当然の事だ。

 (ルカからの伝言だ。目眩ましの呪文をドラゴンにかけるから、それを合図にドラゴンから離れて。)

 (了解。)

 ノエルからの念話を受け、あたしはジーヴァにも同様の指示を念話で送りつつ、ジリジリしながらその時を待つ。

 大して待つ必要もなく、その時はやってきた。

 砂煙をまとった突風が、ウィンドドラゴンの視界を塞ぎ、その巨体を砂埃で覆う。

 チラリと見ると、キルスティンがバックステップで素早く距離を取っていた。ルカの相棒だけあって、事前に念話で指示を受けていたのだろう。

 ジーヴァもあたしの元に駆け寄ってくる。

 ただ、クリスタだけは連絡手段がなかったせいか、キルスティンとジーヴァの行動に戸惑っているように見える。

 「離れて、クリスタ!カミラの魔法がくる!」

 あたしの叫びで、クリスタも状況を理解したようだ。

 あたし達がウィンドドラゴンから距離を取った直後、白く輝く一条の光が、ドラゴンのいるだろう砂埃の雲の中心を貫いた。

 砂煙の中から爆音が起こり、あたしは慌てて地面に伏せる。

 飛んできた大量の砂に爆風、地面を揺さぶる振動からして、地形を一部変えてしまう程の威力だったに違いない。

 あたしはカミラの実力を甘く見ていたようだ。

 あれは純粋な魔力エネルギーの塊を打ち出す『魔力弾』と呼ばれる呪文で、魔法使いなら初心者の段階で覚える呪文の1つであり、あたしにも使える程度の呪文だ。

 しかしあれだけの威力の魔力弾は見た事がない。

 長い詠唱時間に限界まで注ぎ込んだ魔力、それに恐らく命中精度まで犠牲にして一撃の威力に全振りした結果であろうが、同じ条件下でもあたしは半分の威力も出せないだろう。

 同じハーフエルフで、同じようにクラスを多く取っていても、きちんと考えてクラスを組み合わせれば、器用貧乏ではなく万能になれるという良い例がカミラなのだ。

 それに、ここを勝負時と決めた時に全力を注ぎ込める度胸の良さにも戦闘のセンスを感じる。

 相手がドラゴンなので油断は出来ないが、あの威力の魔法の直撃を受けたらタダでは済むまい。

 ドラゴンを倒してしまった可能性だって大いにある。

 大量の砂を被った上に轟音の影響で耳鳴りもするが、身体にかかった大量の砂を払ったり、口から吐き出したりしつつあたしは期待を胸に立ち上がる。

 あたしの傍では、ジーヴァがブルブルと身体を震わせ身体に付いた大量の砂を振い落していた。

 轟音のせいで平衡感覚がおかしくなっているらしく少しふらつくが、結果を確かめようと少し薄くなりかけた砂煙の中を凝視する。

 (そこじゃない!上だよ!)

 焦ったようなノエルの念話は、まだ戦闘が終わっていない事をあたしに警告していた。

 ノエルの言う通り砂煙の上空を見上げると、果たしてそこには例のウィンドドラゴンが空中でホバリングしていた。

 身体中砂まみれだが、パッと見外傷らしきものは見当たらない。

 どうやったか知らないが、カミラの全力の魔法を回避する事に成功したようだ。

 そしてウィンドドラゴンは、折れた魔剣を持っているあたしの方を見ていなかった。

 ウィンドドラゴンの視線の先を見ると、そこには地面にうずくまったカミラと、彼女を守るように立つルカの姿があった。

 (短距離テレポートの呪文で、ドラゴンは魔法を回避したんだ。)

 離れた位置から戦況を観察していたらしいノエルからの悔しそうな念話が届く。

 (長距離テレポートと違って、短距離テレポートは風属性の呪文だからウィンドドラゴンが使う可能性はあったのに、すっかり失念していた。)

 確かに同じ風属性の矢弾避けの呪文を使っていたし、予測はすべきだったかもしれないが、皆そこまで余裕がなかったので誰も責める事は出来ないだろう。

 それに短距離テレポート自体は中レベル帯で習得出来る呪文ではあるが、そのレベル帯の中では大量の魔力を消費する呪文なので、習得してはいてもそう軽々しく使える使える呪文ではない。

 実際、あたしも短距離テレポートの呪文が使われているのを見たのは1回か2回だけだし、ウィンドドラゴンがこの呪文を使うとは想像すらしなかった。

 あたしはウィンドドラゴンの次の行動が読めずに自分のすべき行動を決めかねていたが、その場でホバリングしながらウィンドドラゴンはゆっくりとその巨大な口を開いた。

 そこであたしは、ウィンドドラゴンが再びブレスを吐く予備動作に入った事を確信する。

 それはルカも気付いたようで、慌ててグッタリとしたカミラを肩に担ごうとする。

 先程の魔法で全ての魔力を使い切った結果、カミラは気絶してしまっているか、意識は残っていても指一本動かせないくらい極度の疲労状態なのだろう。

 アビスで魔力切れを起こした時より明らかに深刻な状態だ。

 おそらくこのパーティ内では、そのレベルが頭一つ抜け出ているだろうルカなら雷撃を防ぐ防御呪文も一応使えるはずだが、先程のウィンドドラゴンのブレスを見て、自分の防御呪文ではあのブレスは防ぐにはレベルが足りないと判断したのだろう。

 瓦礫を撤去した時と同様に自分に筋力増強の呪文はかけているのだろうが、小柄なハーフキンであるルカが平均的なハーフエルフの体格のカミラを肩に担ぐといかにもバランスが悪い上に、カミラの足が地面にまで届き、引きずる形になってしまっている。

 おまけに砂地の急斜面という足場の悪さ。

 ハーフキンは俊足で鳴らす種族だし、ドルイドであるルカの不整地踏破能力はレンジャーであるあたし以上だが、自分より1回り以上大きな体格のカミラを担いだ状態ではそういった諸々の利点は殆ど打ち消されてしまっているだろう。

 ウィンドドラゴンの雷撃のブレスは効果範囲が狭い分射程が長く、とても逃げ切れるとは思えない。

 「クソッ、こっちだっ!」

 悪態を吐きつつ武器を長弓に持ち替えたクリスタが矢を連射するが、先程と同様に矢弾避けの呪文を突破できずに虚しく軌道を逸らされ明後日の方向に飛んでいく。

 クリスタの矢を全く無視しているウィンドドラゴンの口の周囲で放電が始まる。

 ブレスの準備が整った証拠だ。

 カミラを担いだルカが必死であの元祠だったという瓦礫の陰に逃げ込もうとするが、どう見ても間に合いそうにないし、例え間に合ったとしてもあたしの膝よりも低いあんな瓦礫ではブレスから身を隠せる訳もない。

 それでもこの見通しの良すぎる山腹では、あんな瓦礫くらいしか遮蔽物はないのだ。

 あたしは絶望的な気分に陥り、思わずクリスタと同じように叫ぶ。

 「こっちを向け!」

 それは何かを期待した叫びではなく、実質的には悲鳴だった。

 ところがその直後、ウィンドドラゴンはこちらを向く。

 まさにブレスを吐こうとした直前に、急に90度近く首を動かしたため、ブレスは明後日の方向の空に向けて飛んでいってしまった。

 しかしあたしは、すぐにはその事態を把握する事が出来なかった。

 立ち眩みにも似た症状にあたしは襲われ、一瞬意識が遠のきかけた為だ。

 この症状は経験がある。

 一度に許容量以上の大量の魔力を消費した時に起こる、ある種の拒絶反応だ。

 魔力は総量とは別に、一度に使える魔力量も術者の魔法への習熟度によって制限を受ける。

 詠唱時間の延長や事前準備によってこの拒絶反応を防ぐ事は可能だが、そういう準備無しに許容量以上の魔力を一度に消費すれば、例え魔力の残量に余裕があっても今のような拒絶反応が起こる。

 魔力自体が残ってさえいればこの拒絶反応はすぐに収まるが、戦闘中はこのような一瞬の茫然自失状態でも命取りになりかねない。

 幸いにして、この時の拒絶反応もすぐに収まり、そしてあたしが茫然自失としている間も戦況に動きはなかったようだ。

 (ゾラ、何があったの?)

 「ゾラ、今のはあんたが?」

 ノエルの念話とクリスタの言葉がほぼ同時に届くが、あたしはその問いに答えられなかった。

 あたしはあのウィンドドラゴンに対して積極的に何か行動した自覚が全くなかったからだ。

 ドラゴンテイマーの能力のせいか、ウィンドドラゴンからも呆然とした感情が伝わる。

 こうなれば、思い当たる節は1つしかない。

 あたしが無意識の内に、あのウィンドドラゴンをテイムし、強制的に行動を変えたのだ。

 普通のテイムではあり得ない量の魔力を消費したのは、相手がドラゴンだからだろう。

 しかし、さっきは全く手応えなくテイムの試みが失敗したのに、何故今は無意識に行ったのに成功したのか?

 その疑問の答えを導き出す間もなく、呆然状態から脱したウィンドドラゴンが、怒りの感情を急速に増幅させていったのをあたしは感じた。

 「ジーヴァ。」

 あたしは、足元で勇敢にもウィンドドラゴンを威嚇している相棒に声をかける。

 「カミラの所に行って、彼女を守って。多分、彼女は自力では動けないから。」

 あたしの言葉に、ジーヴァが珍しく不満の感情を向けてきたが、あたしは言葉に魔力を込め、強い口調で命じる。

 「早く!」

 ここまで明確に命令されては、相棒はいくら命令に不満があっても主人には逆らえない。

 ジーヴァは、明らかに危険に晒されるだろう主人の傍を離れる事が不満である事をもう一度あたしに伝えてから、カミラ達の元へと駆けていく。

 あたしは、空中にホバリングしたままあたしを見下ろすウィンドドラゴンを見上げた。

 ドラゴンテイマーとしての能力のおかげか、ウィンドドラゴンの大まかな感情が伝わってくる気がする。

 驚嘆や混乱、怒りなどの感情が渦巻いているが、そういった様々な感情は次第に全て怒りへと塗りつぶされていく。

 その単純化された怒りに満ちた目にはやはり知性は感じられず、ひどく濁って見えた。

 そしてウィンドドラゴンは空中でホバリングしたまま、怒りに任せたように咆哮を上げる。

 ドラゴンの咆哮には魔力が込もっており、聞いた相手の抵抗力が弱ければ様々な悪影響を及ぼす。

 半分エルフの血を引くあたしは、この手の精神攻撃に対する耐性が同レベルのヒューマンや獣人よりいくらか高いはずだが、魔力の減少や疲労の為か、ウィンドドラゴンを一時的にテイムしたために魔力的な繋がりが出来てしまった為か、あるいは単に生まれつきの運の悪さの為か、全身が硬直してしまう。

 意識はハッキリしているが、指先一本動かせない金縛りにも似た状態。

 その状態のあたしに向けて、ウィンドドラゴンが急降下してきた。

 飛行能力はドラゴンの中でも一番というノエルの言葉を裏付けるようなその凄まじいスピード。

 まだあたしとウィンドドラゴンの間の魔法的なリンクは続いているらしく、ドラゴンからのあたしに対する強烈な殺意が流れ込んでくる。

 その殺意が、あたしの焦りを更に増幅させる。

 あたしはつい先程、偶然成功したテイムにすがりつく。

 敵対的な相手を一瞬だけ支配下に置くようなテイムは、その都度相手の抵抗を破る必要があり、今回も成功するとは限らないが他に方法は思いつかない。

 金縛りのせいで声を発する事は出来ないが、テイムは念じるだけでも発動する。

 呪文と詠唱の関係と同じで、念じるだけだと相手の抵抗を破る力が減少するが、仕方がない。

 (止まれ!)

 あたしは可能な限り強く念じた。

 しかしウィンドドラゴンは止まらず、あたしの魔力は消費されないまま。

 テイムは失敗した。

 あたしの肉体を破壊するには過剰すぎる力を持ったウィンドドラゴンの巨体が迫るのを、あたしは自分の意思では指一本動かせない状態で呆然と見つめる事しかできなかった。



 

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