第2章 東方から来た女 4
2025年7月7日
細かな改変を行いました。
ルカが連れて行ってくれたのは、『腹ぺこハーフキン亭』という食堂だった。
ハーフキンの夫婦だけで経営している小さな食堂で、あたしも何度かその前を通りかかった事があって気にはなってはいたが、いつも満席だった事もあり実際に入った事は無かった。
今日はまだ夕食の時間帯には早いという事もあって、余裕をもって座る事が出来た。
「おう、よく来てくれたな、ルカにクリスタ。」
旦那はわざわざ厨房から挨拶に出て来てくれた。
ハーフキンの男性もやはり童顔だが、何故かモミアゲを伸ばしたり、口髭や顎髭を生やす者が多い。
それもドワーフの男性のように長く伸ばすのではなく、短くキレイにカットするのが主流だ。
ここの旦那もモミアゲを長く伸ばし、キレイに整えられた口髭はご丁寧にワックスのようなモノでカチカチに固めている。
……その体格と童顔のせいで、付け髭を付けた子供にしか見えないけど。
「あらあら、新しいお客さんも連れてきてくれたのね。」
奥方も少し遅れて出てくる。
声や容姿は子供っぽいのに、口調や仕草がオバちゃんっぽいので、やっぱり違和感がありまくりだ。
「彼女は新しくパーティに入ったカミラ。こっちはレジーナが抜けてる間、助っ人に入ってくれているゾラ。」
「よろしくお願いします。」
「はじめまして。」
ルカの紹介を受けて、カミラとあたしはそれぞれハーフキンの夫婦と挨拶を交わす。
しかし、その挨拶の途中でジーヴァに気付くと2人揃って猫なで声になった。
「おやおや、これは立派なムーンウルフじゃないか。」
「本当!格好良いわねえ!」
2人は明らかに撫でる許可を求めるようにジーヴァを見つめるが、ジーヴァがあたしを見上げると、シンクロした動きで視線をあたしに移してくる。
「この子が嫌がらなければ撫でても構いませんよ。」
「おお、ありがたい!」
あたしが許可を出すと、夫婦はジーヴァをモフり始めた。
2人の勢いに少し不安はあったが、ハーフキンはクラスに関係無くテイマーの能力を持っている種族だ。
だからこそ動物好きだし、当の動物が嫌がるような可愛がり方はしないし、テイマーの能力持ちだけあって動物の扱い方は上手い。
そこにハーフキンの夫婦とジーヴァとのスキンシップを邪魔するように、両者の間にルカの相棒の小型の豹くらいにまで成長した山猫のキルスティンが強引にその身体を割り込ませてきた。
「おやおや、どうした?いつもは撫でようとすると威嚇してくるのに?」
「もしかして、ヤキモチかしら?」
夫婦は困惑しつつも、今度はキルスティンを嬉しそうに撫で始める。
山猫の表情などは分からないが、あたしには何となくキルスティンが勝ち誇ったようにジーヴァを見下しているように見えた。
ジーヴァからはひたすら困惑したような感情が伝わってくる。
ひとしきりキルスティンを撫で回すと夫婦はすぐに厨房に戻り、手早く料理を出してくれた。
それにしても、ルカもクリスタもよく食べる。
あたしも冒険者という身体を動かす仕事だから食べる方だが、ルカやクリスタの食べっぷりには遠く及ばない。
ハーフキンはドワーフと同じくらい大食いで有名だ。
むしろドワーフのように大酒飲みではなく食事に集中する分、ドワーフより大食いかもしれない。
そして鳥の獣人だけは例外的に少食らしいが、それ以外の獣人も大食漢で知られている。
そういう知識はあるし、今までもハーフキンや獣人と食事を共にしてきた経験はあるが、やはり愛らしい子供のような容姿のルカや、黙ってさえいれば妖艶な雰囲気すらある美貌の持ち主のクリスタが、物凄い勢いで大量に食べる光景にはやはり違和感をバリバリに感じてしまう。
カミラも同じ印象を受けたらしく、あたし達は何となく顔を見合わせると苦笑し合った。
食事を終えるとルカはサッと立ち上がり、クリスタもそれに続く。
「さ、行こうか。」
「え?今からミーティングじゃないの?」
あたしがキョトンとした顔で尋ねると、ルカの説明不足に気付いたクリスタが苦笑交じりに補足する。
「この店は狭いし、これから混む時間帯だから長居には不向きなの。だからミーティングは場所を変えてもっとゆっくり出来る所でするのよ。」
まあ、このパーティ内では何時もの事なのかもしれないけど、サポートメンバーのあたしや、新入りのカミラにはそんな事説明されないと分かるはずもない。
などと思っている間にもルカはさっさと主人夫婦の所に向かい、素早く会計を済ませてしまった。
何だかマイペースな人だな。オゴリ、というかあたしの分までパーティ資金から出してくれたのは嬉しいけど。
その後向ったルカ達行きつけの酒場『熊の蜂蜜酒亭』は混んでいて、しばらく待たされそうだった。
「こんな時間帯から混んでるとは予想外ね。」
「どうする?待つ?」
ルカとクリスタが困ったように顔を見合わせる。
「良ければ、あたしの行きつけの店に行ってみる?」
あたしが提案してみると、誰の反対もなくあっさりと採用された。
あたしは皆を『メリッサのホットミルク亭』へと連れて行く。
冒険者達の間では知られている店だと勝手に思っていたが、あたし以外の3人は誰もこの店の事を知らない様子だった。
『メリッサのホットミルク亭』には小さな舞台があり、店主のメリッサの許可さえあればバードを始めとする音楽家だけでなく、心臓に毛が生えただけの素人でも演奏を披露する事が出来る。
店に入ると、舞台では見知らぬ人物が長い横笛を吹いていた。
荒々しくも哀愁漂う音色を奏でていたのはおそらく女性で、薄暗い照明せいでその容姿がはっきりとは見えないにもかかわらず、何となく美人っぽい雰囲気を漂わせていた。
未だ容姿のはっきりしない彼女に美人っぽい雰囲気を感じたのは、黒髪に巻いたカラフルなスカーフや、肩に掛けたショールのセンスや着こなしが凄くお洒落で強く印象に残ったせいかもしれない。
「おっ、ゾラじゃねえか?」
舞台上の女に目を奪われかけていたが、あたしを呼ぶ声があたしを現実に引き戻す。
声を掛けてきたのは、『ドリフトウッド』のメンバーの1人、レンジャーのジャニだった。
彼らはテーブルの1つを占拠し、会食の最中だったらしい。
彼らと会ったのは、『ホワイトドーン』と共にヌーク村に行く直前にギルドのロビーで会って以来だ。
「やあ。打ち上げ?」
彼らのテーブルに近づき尋ねると、彼らはバラバラに各々のジョッキを持ち上げて飲んでいる事をアピールしてくる。
彼らにこの店を紹介したのはあたしで、以来彼らもここの常連になっていた。
「いや、依頼を受けて明日からザレー大森林のちょっと深い所まで行かなきゃならならなくなってね。暫く羽目を外せないから今の内に飲んでおこうってね。」
悪びれる事なくあっけらかんと言い放つウォーリアのオヤに、あたしは呆れて言う。
「明日から冒険なら早く帰って寝なよ。」
「いやいや、明日は大森林外縁部のヌーク村までの移動だけだから出発も昼前だし、大丈夫よ。それより一緒に飲まない?」
レンジャーのジャニがニカッと笑いながら誘ってくる。
「有り難いけど、今日はサポートに入ったパーティのミーティングで来たから。」
「なら仕方がないね。また今度ゆっくり飲もうぜ。」
ドルイトのウルが、あたしの背後にいるルカ達に軽く会釈をしながらカラカラと陽気に笑った。
パーティの唯一の男性であるシウバは黙って礼儀正しく頭を下げただけだ。
3人の女性メンバーが常に陽気でかしましいのにシウバは常に口数が少なく、よくやっていけるなと常々思うのだが逆にそれが良いのだろうか?
『ドリフトウッド』のテーブルを離れ、カウンターにいるメリッサの所に近づく途中、カミラがコソッと尋ねてきた。
「今の人達、『ドリフトウッド』の人達でしょう?」
「そうだけど?」
あたしは少し警戒しつつも認める。
腹立たしいが、南方人というだけで彼らを蔑む連中が一定数いるのも事実だからだ。
「結構、あの人達レベル高いよね?そんな人達と知り合いとは流石ゾラは顔が広い。」
「ザレー大森林に限ったクエストでは、既に上級レベルもこなしているって噂よ。」
続いてクリスタとカミラの口から出た言葉は純粋に称賛ぽかったので、あたしは内心胸を撫で下ろす。
「あの歪なパーティ編成であれだけレベルを上げられるのは、何か秘密でもあるのだろうか?」
ルカがボソッと呟いてあたしは内心ドキッとする。
ルカは実は鋭い所を突いており、彼らにはちょっとした秘密があった。
それは犯罪行為でもなかれば誰か他人を害する行為でもないが、バレれば明らかに多くの人から非難の目を向けられる行為であり、事実彼らが故郷の南方大陸から離れる原因ともなった。
彼等と親しくなって割とすぐに、酔った彼らからその秘密を聞かされた時、あたしは何度もそれを恥じる必要はないが、安易に他人に話してはいけないと口を酸っぱくして何度も言ったものだ。
ルカの鋭い疑問にあたしが内心動揺していると、タイミングよくカウンターの向こうにいたメリッサがあたしに気づいて手を振ってきたので、ルカの注意を逸らす為にも彼女に近づいて声を掛ける。
「こんばんは、メリッサ。」
「ゾラちゃん、いらっしゃい。」
「4人なんだけど、いいかな?もしかしたら、長めに居座っちゃうかもしれないけど?」
あたしの問いに、メリッサはクスクスと笑う。
「ゾラちゃんって変な所で遠慮するよね。大丈夫よ、今日は混んでないし。」
「それじゃ、空いているテーブル席に適当に座らせてもらうね。」
「は〜い。」
メリッサの了解を得て、あたしは空いているテーブル席の中で、舞台から一番遠い場所を選んで皆を案内する。
わざわざ舞台から一番遠い席を選んだのは、舞台上の横笛を吹いている彼女の演奏が気に入らなかったのではなく、舞台の彼女の演奏に気を取られてこれからする真面目な話に集中出来なくなるのを回避する為だ。
ゆったりとしたテンポで奏でられる彼女の横笛は、技術的には取り立ててどうこうという事はなかったが、店に入ってからずっと、それこそ『ドリフトウッド』のメンバーやメリッサと話している間も、不思議とその音色に耳が持っていかれそうになっていた。
席に着き、それぞれがアルコール度数の低いお酒と軽いおつまみを注文すると、早速ミーティングが始まる。
「今回、カミラが加入して初めての冒険という事でアビス上層階を冒険の舞台に選んだのだけど、そもそもその選択が間違いだったわね。」
まず最初にルカが口火を切る。
「確かに今日はちょっと不運もあったけど、間違いという程のことかな?カミラもゾラも何度もアビスには潜っているし、帰り道の移動距離が短くて済むアビスだったからこそ無事に帰れたとも言えるけど?」
クリスタがルカに反論する。
「それは確かにあるけど、やっぱり今回の反省ポイントは、レジーナがいる時と同様に惰性でアビスを選んだって事よ。重装戦士の彼女は閉鎖空間のアビスと相性が良い反面、ザレ―大森林やヘスラ火山のようなオープンな空間では長所が打ち消されがちじゃない?」
「それは、まあ、ね。」
「だからあたし達は、新メンバーが入る度にアビス上層階での実戦で連携を深めてきた。事実今回も、レジーナがいればスケルトンの群れと対峙した時、今日みたいな苦戦はしなかったと思う。」
今日アビスに潜って、3回目の戦闘で対峙したのがスケルトンの群れだった。
スケルトンにも色々種類はあるが、今日対峙したのは最下級のスケルトンで、ノーマルのゴブリンと大差無い戦闘力しかないが数が多すぎた。
それでも、クラスに関係なく神聖魔法を使えるドワーフであるレジーナがいればかなり楽に戦えたはずだ。
神聖魔法には低レベル帯から、スケルトンのようなアンデットに有効な呪文がある。
あたし達の連携の未熟さもあって戦いがグダグダな乱戦に陥った所で、カミラが攻撃魔法を連発してスケルトンの数を減らし、何とか事なきを得たのだ。
「やっぱりちょっと考えが足りなかったですね。」
カミラが反省するように言う。
カミラの魔法はスケルトン撃退には役立ったがその代償としてカミラは魔力の残量を大幅に減らし、その結果、帰還途中にジャイアント・アントの群れと遭遇した時に予想外の苦戦を招いてしまった。
「いや、そこでカミラを責めるつもりはないよ。スケルトンに攻撃魔法を連発したのは正しい判断だった。」
「そうそう。そもそも、アビス上層階でスケルトンもジャイアント・アントもあんなに大量に出る事はそうそう無いしね。」
「いや、クリスタのその考え方は危機意識が甘すぎて問題ね。」
「なんでよ?!」
ルカの発言に乗っかってした発言が当のルカに否定され、クリスタは悲鳴じみた抗議の声を上げる。
ルカとクリスタのやり取りには遠慮がなく、いかにも気心が知れた仲といった感じがする。
それに比べて、冒険中も感じていたが、やはり新入りのカミラと他のメンバーとの間にはまだ遠慮があって、それが連携に悪影響を与えているような気もする。
それを解消する為のミーティングでもあろうから、短期間のサポートメンバーであるあたしは一歩引いて、意見を求められた時だけ答えるスタンスがいいのかもしれない。
そう思いつつも、話だけは集中して聞いておこうとはしたのだが、まばらに起こった拍手があたしの意識を再び舞台の方に向ける。
横笛の演奏を終えた例の女性は、横笛を脇に置いて別の楽器を用意し始めた。
弦楽器なのは確かだが、見たことの無い形状だ。どうやら弓で弾くタイプらしい。
西方でもフィドルのように弓で弾くタイプの弦楽器は各種存在するが、明らかにあたしが見た事のない形状の楽器だった。
あたしは顔はルカ達の方に向け、ほぼ自動的に相槌を打ったりしつつも、横目で不思議な弦楽器のチューニングをする女を注視していた。
やがて、女はその不思議な弦楽器をゆったりとしたテンポで弾き始めた。
弓で弾く弦楽器という事もあってフィドルと似たような音だが、より儚げでかつ張り詰めたような響きがする。
それがこの楽器の特性なのか、女の弾き方の特性なのかは分からなかったが、最初の一音であたしの意識はそのエキゾチックな響きに持っていかれてしまった。
そして、女の口が開き、歌が紡ぎ出され始める。
声量はそれほどではないが、よく通る美しい澄んだ高音だった。
日がな一日延々と機織りを続ける地味な村娘の心に秘めた恋心について唄った歌詞で、それなりに多くの曲を知っているあたしでも聞き覚えのない曲だった。
元々異国に伝わる歌を、歌詞だけ西方の言葉に翻訳したものかもしれない。
あたしの父も、故郷の南方大陸の曲を歌詞だけ西方語に翻訳して歌っていたっけ。
彼女は熱唱型ではなく、むしろそれとは真逆の抑揚の少ない感情を抑えた歌い方だったが、それでもあたしの脳裏には、想いを寄せる相手と物語に出てくるような劇的な恋愛をする事を夢想しつつもその相手に自分の想いを伝える事すらせず、朝から晩まで毎日機織りに勤しむだけの単調な生活を繰り返しながら老いていく、地味な村娘の情景がありありと浮かんでいた。
「ゾラ、聞いてるの?」
意図しないままに女の歌に聴き入っていたあたしは、その声で現実に引き戻された。
ハッとしつつつもほどんど条件反射のように愛想笑いを浮かべて同席しているメンバーを見回すと、呆れたような表情のルカと、同様に呆れつつも少し同情も入っていそうなクリスタとカミラの表情が目に入った。
「ゴメンなさい。正直、注意力散漫でした。」
あたしが頭を下げ、素直に謝罪するポーズを示すと、クリスタとカミラが妙に嬉しそうに反応してきた。
「もしかしてあの人、ゾラさんの知り合い?」
「いや、多分、知らない人だと思う。」
半分以上からかった感じで聞いてくるクリスタに、あたしは生真面目に答えた。
薄暗い照明のせいで未だに彼女の容姿はハッキリとはしないが、少なくともあのエキゾチックな弦楽器は見た事はないし、その弦楽器の演奏者にはもっと心当たりはない。
「確かにあの楽器と彼女の声はオリジナリティがありますよね。惹かれるのも解ります。」
今までいかにも新入りらしく控目だったカミラも、バードの一員として興味あるのか嬉しそうに言う。
「分かる?あたしにはああいう綺麗な高音が出せないからさ―――。」
自分が気に入った音楽に好意的な意見を寄せられてつい嬉しくなってあたしも語ろうとすると、ルカがパンパンと手を叩きながら素早く場を締める。
「はいはい、バード同士盛り上がるのは分かるけど、ミーティングが終わってからね。」
失礼な話ではあるが、ルカが成人している事は頭では分かっていても見た目が子供なので、注意されると他の人より心に突き刺さるものがある。
「度々、ゴメンなさい。集中するから話を続けてください。」
再び素直に謝ると、ルカは苦笑しつつそれ以上突っ込まないでくれた。
結局、今回の苦戦の最大の原因は、ルカが最初に問題提起したように惰性で冒険の舞台をアビスにした事という結論に達した。
それを踏まえて、次回はパーティの特徴をしっかりと踏まえた上で冒険の舞台を決めようという事になる。
「という事は、依頼は受けずに冒険する方向で?」
あたしの問いに、ルカは頷く。
「最低1回は、依頼無しの冒険で連携を深めたい。」
「ルカは慎重だなあ。今回の冒険で問題点がハッキリしたんだし、それを繰り返さないように意識して行動すればいいだけじゃない。」
クリスタは言うが、その口調は断固とした反論というより、一応反対意見も言ってみた程度のものに感じた。
「あたしは、ルカさんに賛成ですね。」
カミラが、ミーティング開始時よりはやや力強い口調で言う。
「パーティでの戦闘に、いいイメージを持ってから依頼を受けたいという気持ちはあります。」
「ゾラさんは?」
「アビス以外となると、ザレー大森林の外縁部に行くつもり?」
「決めてはいないけど、それが順当ではあるね。」
「あそこに行くなら、薬草採取レベルの簡単で安い依頼でも受けた方がいいと思うよ。依頼無しだと結構な確率で赤字になる。」
「ああ、そうかぁ。そこまで考えてなかったなあ。」
あたしとルカの会話を聞いていたカミラは、思わず嘆息した。
アビスの場合、魔物が無限に湧き出すのと同様に宝物の類も湧き出すので、依頼無しの探索でも実入りは良い。
しかしザレー大森林ではそのような超常現象は起きないので、純粋に倒した魔物やその他換金可能な薬草なり食材原料なりが収入になる。
そして依頼に拠らない魔物討伐の報酬は安く、高価な素材の取れる魔物に遭遇でもしない限りは赤字になる事が多いし、余程珍しいモノでなければ薬草も食材原料も安く買い叩かれてしまう。
「あたしとしては、最大2回くらいは赤字覚悟でも連携強化に努めたいという気持ちだったけど。」
「赤字2回は覚悟か。う~ん。」
ルカの言葉に、クリスタも悩ましげに唸る。それからハッと気付いたように言う。
「それじゃあさ、ヘスラ火山に行くのはどう?」
依頼無しの魔物討伐の報酬は魔物ごとに決まっており、どこで倒しても魔物討伐の報酬は変わらない。
ただ、ヘスラ火山によく出没する魔物の報酬はやや高目の傾向がある。
その理由は、ヘスラ火山が冒険の舞台として人気がないからで、少しでも冒険者をヘスラ火山に向かわせたいギルドの思惑があった。
「ヘスラ火山ですか……。あたし、行った事無いんですよね。」
カミラが少し不安そうに言う。
ヘスラ火山が冒険の舞台として人気が無いのには当然理由がある。
「私は2、3回はあるかな?クリスタは?」
「あたしも前に組んでいたパーティで1回だけ行った事がありますね。ゾラさんは?」
「何回かあるけど、ほとんどは5合目辺りをウロウロしただけだよ。6合目はちょっと覗いた程度だから、ヘスラ火山独特の環境にはほとんど触れた事が無いも同然ね。」
ヘスラ火山の5合目辺りまではそこそこ樹木も生えているし、地面もしっかりしている上に傾斜もそれ程キツくはない。
しかし6合目以上になると、身を隠せる樹木も極端に少なくなり、足元は一面ガレ場か砂地でその上傾斜もキツいという戦闘には不向きの足場になる。
そして出現する魔物の4割弱が、この不安定な足場に関係なく移動や攻撃が可能な飛行する魔物だ。
「それでも、ヘスラ火山独特の条件下で戦った経験はあるんですよね?」
「まあねぇ。意外とこのパーティ編成は、ヘスラ火山向きではあるとは思うけど……。」
「それは、私も思った。」
あたしの言葉に、ルカが同意する。
前衛後衛または攻撃役守備役等の役割分担が明確なスペシャリストで編成されたパーティは、アビスのような狭い空間では特に有効だ。
ところが身を隠せる場所が極端に少なく、三次元移動してくる飛行系の魔物が多数現れるヘスラ火山ではこのパーティ編成のセオリーが通用しない。
それが、ヘスラ火山が人気の無い理由の1つだ。
むしろヘスラ火山では、攻撃も防御も自力で出来る上に、遠距離攻撃の手段も持った万能タイプで編成されたパーティが向いている。
ルカはスリングや投石が得意だし、クリスタも今回はその手腕を見る機会は無かったが、長弓を携帯していた。カミラだって、攻撃魔法は勿論、それ以外にも小型のクロスボウを携帯している。
「じゃあ、次はヘスラ火山でいいんじゃない?」
クリスタは勢い込んで言うが、あたしは素直には頷けなかった。
「向いてる事は向いてるけど、それはある程度のレベルの高さが前提って話で……。」
あたしの歯切れの悪い言葉に、クリスタは首を傾げる。
「それはどこでもそうじゃないの?」
多少の相性の悪さはレベルが高ければゴリ押し出来るし、相性が良くてもレベルが低ければ対応できないのはどの魔境でも共通する一般論だが、ヘスラ火山には独特の状況も存在する。
「階層破り、ですよね?」
カミラの指摘に、あたしは頷く。
バードというクラスは元々耳聡いものだが、これはヘスラ火山が敬遠される最大の理由なので、むしろクリスタの方が情報に疎すぎるというべきだろう。
アビスのようなダンジョン型でも、ザレー大森林のようなオープンフィールド型でも、浅い部分に出現する魔物は弱く、深部に行く程強くなるという大雑把な法則が魔境には共通して存在する。
しかし、時折、深部にしか出現しない強力な魔物が浅い階層に出現する事がある。
それが『階層破り』と呼ばれる現象だ。
アビスのようなダンジョン型魔境では滅多に起きないが、ザレー大森林のようなオープンフィールド型の魔境ではしばしば起きる。
とはいえザレー大森林で起こる確率は、平均して1年に1度あるかどうかといった程度だ。そしてこれは、オープンフィールド型魔境としては平均的な確率と言える。
ところが、ヘスラ火山の場合、1月に1度くらいの確率で階層破りが発生する。
そして階層破りをする魔物のほとんどは、飛行系の魔物だ。
身を隠す場所もなく、足場も悪いヘスラ火山では飛行系の魔物からは逃げる事すら難しく、階層破りのせいで明らかに格上の魔物に遭遇した冒険者は、その魔物が気紛れを起こして見逃してくれるのを祈るくらいしか対応策が無いのが現実だったりする。
「いや、階層破りが多い事は知っていたけど、ヘスラ火山ってそんなヤバい魔物が多かったっけ?」
いや、さすがにクリスタも階層破りについては知っていたようだ。
でも危機意識はやっぱり低すぎると言わざるを得ない。
「ヘスラ火山の火口にはドラゴンの巣があると言われているわね。」
「え、マジ?」
あたしの言葉に、クリスタの表情がさすがに変わる。
「確かめた人がいる訳じゃないよ。ヘスラ火山を専門にしている冒険者パーティだって、行けて8合目って話だし。あそこにいる『ドリフトウッド』だって、あたしの知る限りやっぱり8合目までしか行けてないはずよ。」
「そうかぁ。」
少し離れた所で飲んでいる、先程よりかなり酒が回っているらしい『ドリフトウッド』の連中を視線で示しつつ言うと、クリスタがあからさまにガッカリとした声を出す。
彼女は『ドリフトウッド』の実力をかなり評価しているようだし、具体例を挙げた事でその危険さがよりはっきりと実感出来たようだ。
「まあ多分、歴史的にも火口に辿り着いたパーティはいないんじゃない?」
「『シーカーズ』なら行けましたかね?」
あたしが何気なく付け加えると、カミラがふとそんな事を聞いてきた。
『シーカーズ』は、ハーケンブルク史上最強とも噂される冒険者パーティだ。
解散してもう5年経つが、知名度抜群なのでこういう質問が出るのも不思議ではない。
「どうなんですかね、ゾラさん。」
ルカが意味有りげに笑いながら尋ねてくる。
『シーカーズ』のメンバーにはあたしの妹のヨハンナもいた。
ルカが何故あたしを名指ししたのか分かっていない様子のカミラは、あたしとヨハンナの姉妹関係については知らないのだろう。
一方のルカはその笑みからして確実に知っていそうだ。
「どうだろうね?魔法以外の飛び道具の扱いにはそんなに長けていなかったし、案外厳しいかも。」
「そういや、ハーケンブルク上空をたまに飛んでいるドラゴンって、ヘスラ火山に巣があるって噂、聞いた事あったわ。」
クリスタが天然に話題を戻してくれたので、『シーカーズ』についてはこれ以上話題が深まらずに済んだ。
それにしてもクリスタって、意外と抜けている所が多いな。昼に上空の影を見てあれだけドラゴン、ドラゴンって騒いでいたのに、その巣がハーケンブルクのすぐ近くの独立峰、ヘスラ火山にあるという話を思い出すのにどれだけ時間がかかっているのだか。
「アストラ―王国の建国伝説にはドラゴンやそれを操る竜騎士の話が沢山出てきますからね。」
「というか、王家や古い家柄の貴族の半分以上は元を辿れば竜騎士だよ。」
カミラの言葉に、今まで大人しくしていたノエルがテンション高く口を挟んだ。
そういえばコイツ、今『アストラー王国建国史』を読んでいるな。コイツにとってはタイムリーな話題な訳か。
「ほう、じゃあカラス君。今、ドラゴンをほとんど見かけないのはどうしてかね?」
一瞬、突然のノエルの参戦に驚いた表情のクリスタだったが、ちょっとからかうようにノエルに尋ねる。
「人族同士の戦いに関わった事で、数を減らしすぎた結果だね。人族、特にヒューマンと違ってドラゴンは繁殖力も低いし、成長も遅いから一度数を減らせば元に戻るには千年単位の時間がかかるからね。
加えて、人族の騎竜になって死んだドラゴンの多くが、これから卵を産むはずだった若い個体ばかりで、このままでは種の存続に関わると思ったドラゴンの長老達が人族に関わるのを禁じたって説もあるよ。」
からかうようなクリスタの表情に気づかずにドヤ顔で説明するノエルに、あたしはちょっと恥ずかしくなる。
「カラス君、物知りで偉いねえ。」
あたし達にはその容姿に似合わず毅然としたリーダーっぷりを発揮するルカが、猫撫で声で褒め始めた。
やはりハーフキンの例に漏れず、ルカも動物には見境なく甘いのだろうか?
「偉い偉い。」
クリスタの方は完全にからかっているだけだな。
まあ、ノエルは気にせず得意になっているから構わないか。
ジーヴァに比べると冷たい扱いがされる事も多いし、たまにはいい目を見てもいいだろう。
ただ、得意気に知識をひけらかす姿は身内としてはやっぱり恥ずかしいので、その嘴の中にナッツを突っ込んで黙らせる。
ナッツはノエルの好物だし、文句は無いだろうなどと思っていたら、ナッツの突っ込み方が少しだけ乱暴だったようで、ノエルから不満の感情が流れてきた。
「でも、ドラゴンは知能も高いって話だし、人間との関わりを避けているっていうのなら階層破りはしないんじゃないてすかね?」
あたしがノエルにナッツをあげた姿に何か刺激されたのか、カミラが使い魔のネズミのジョージにやはりナッツをあげながら尋ねてくる。
両手でナッツを持ってカリカリ食べるジョージの姿は、結構可愛い。
「ドラゴンの階層破りは聞いた事ないけど、ワイバーンなんかの階層破りは結構あるみたいね。ワイバーンはドラゴンよりはずっと弱いけど正直、あたし達では戦うのはもちろん、逃げるのも難しいと思う。」
「ワイバーンかあ。確かに厳しいなあ。」
カミラは難しい顔になる。
実際に遭遇する確率はかなり低いし、気にした始めたらキリが無いと言われるレベルなのだろうけど、カミラも今日の苦戦のトラウマでナーバスになってしまっているのだろう。
あたしも似たような気分なので、その気持ちはよく分かる。
「5合目までなら身を隠せる灌木もまばらだけど生えてるし、階層破りの起こる確率もぐっと減るらしいけど。」
「でも、5合目辺りだとギルドで討伐報酬を高く出す飛行系の魔物もあまり出ないよね?そうなると、ザレー大森林でいいんじゃない、という話になる。」
あたしの折衷案に、ルカが正論を当ててくる。
話し合いが煮詰まり、やっぱり順当にザレー大森林でいいんじゃないか、という雰囲気になりかけた時、何気なくあたしの方を見たルカがギョッとした表情になった。
続いてクリスタとカミラもビックリしたようにあたしを見る。
あたしは自分が無意識に何かしでかしたのかと一瞬焦ったが、すぐに3人の視線の先が、あたしの頭より少しだけ上にある事に気付いた。
そこでようやく、あたしは背後に人の気配がある事に気付いた。
3人に遅れて、あたしもビックリして飛び跳ねるように振り向くと、そこには先程まで舞台で演奏していた女が、蠱惑的な笑みを浮かべながら佇んでいた。
舞台より明るい照明の下で見る女は、ビックリする程ナギに顔立ちが似ていた。
しかし、カラフルなスカーフと共に複雑に編み込んだ黒髪といい、真っ赤な口紅や赤紫のアイシャドウといった濃いメイクをケバい印象にならずに仕上げるテクニックといい、化粧っ気が全く無くてお洒落にも無頓着そうなナギとは全く対照的だった。
何より、どこか他人を拒むような雰囲気のナギとは異なり、柔らかくオープンな雰囲気を彼女はまとっていた。
そもそも彼女がナギにそっくりだと思ったのは、ハーケンブルクには東方人の数が少なく見慣れていないせいで、あたしには東方人が皆同じように見えているだけかもしれない。
「驚かせたみたいで、ごめんなさいね。」
女は容易に他人の警戒心を溶かすような、よく通る柔らかい声で言った。
くぐもったような声でボソボソ喋るナギとは喋り方も正反対だ。
「いや、こっちこそ大袈裟に驚き過ぎて悪かったわね。」
あたしは反射的に愛想笑いを浮かべながら、何となく女の切れ長の目の奥の漆黒の瞳を見る。
女と視線が合った瞬間、あたしの胸がドキリと高ぶる。
魂が魔法的に揺さぶられるとしか表現しようのないこの感覚は、つい最近感じたばかりだ。
この女と目が合った瞬間、ナギと最初に目が合った時と全く同じ感覚に襲われた。
やはり、この女はナギと何らかの関わりがるのかもしれない。
「あらあら。」
女はその切れ長の目を更に細め、微笑む。
あたしは何故か、その微笑みに不穏なものを感じた。
「お知り合い、ゾラさん?」
ルカの声で、あたしは我に返った。
「いえ、知りません。……知りません、よね?」
一度否定してからあたしは自分の判断に妙に自信が無くなり、女に確認してみる。
「大丈夫、初対面ですよ。」
女は相変わらず柔らかい口調で言ったが、その薄い唇の端がわずかに吊り上がる。
その表情は、あたしをからかっているように感じられた。
「そうでしたか。それで、何かご用ですか?」
ルカの口調は丁寧だが、女に対する警戒心を隠そうともせず、あたしのような愛想笑いすら浮かべずに真顔のままだ。
「ごめんなさい、盗み聞きするつもりはなかったのだけど、あなた方がヘスラ火山に向かうという話が聞こえたものだから、つい。」
女の話し方は滑らかで、何となく軽い印象もあるが、同時に無意識にその言葉を信じてしまいそうになる力もあった。
「そうなんだ?お姉さんもあそこに用でもあるの?」
女の軽さに釣られたように、クリスタも軽い調子で聞き返す。
「ええ、そうなのだけど、流石に一人ではあんな所には行けないから護衛を探していた所なの。」
「そう。なら冒険者ギルドに依頼を出す事ね。」
相変わらずの気楽な調子で女は答えるが、ルカが被せ気味にバッサリと斬った。
確かに怪しい挙動の女だが、ルカの警戒心はちょっと過剰気味なのではないか、と思ってしまう。
だが、ふとルカの足元の彼女の相棒である山猫のキルスティンを見ると、伏せた状態のままわずかに毛を逆立て、油断無く女を見上げていた。
キルスティンが警戒しているからルカも警戒したのか、主人のルカの警戒がキルスティンに伝わったのかは分からないが、キルスティンの警戒具合は、和やかな雰囲気の酒場の中ではちょっと異常だ。
あたしは気になって相棒のジーヴァに視線を移すが、彼はキルスティンとは対照的に相変わらず床に伏せたままのんびり欠伸などしていて警戒心の欠片もない。
混乱するあたしをよそに、女は相変わらずの柔らかい口調でルカに答えた。
「ギルドにはもう依頼は出しているのよ。でも、中々引き受けてくれる冒険者がいないとかで、もう5日も待ちぼうけなの。」
そう言うと女は、何故か会話相手のルカではなく、あたしの方を見てニッコリ笑った。
彼女の笑みは決して不快ではないが、何だか居心地が悪い。
「あのう、新入りのあたしが言うのもアレですが……。」
カミラがオズオズと口を挟む。
「立ち話もなんですし、彼女には一回座ってもらって話してもらうのは……?」
「そうね。引き受けるのかどうかはギルドで改めて依頼を確認してから決めれば良いし、話したい事があるならどうぞ。」
クリスタもカミラに同調し、いつの間にか女の話を聞く流れになる。
ルカも無表情のまま肩を竦めて、少なくともこれ以上は反対しない意を示した。
足元のキルスティンは、先程のようなあからさまな敵意こそ表に出していないが、相変わらず女を警戒しているように見える。
「ありがとう。」
女は愛想良く笑いかけると、近くの空いていた椅子を引き寄せ、おそらく例のエキゾチックな弦楽器や横笛の入っていると思しきケースを足元に置くと、何故か当然のようにあたしの隣に座る。
というか、明らかに距離が近すぎる。
女の控え目な香水の匂いが、あたしの鼻をくすぐって落ち着かなくさせる。
「まずは自己紹介からさせてもらうわね。あたしはマヤと言います。見ての通りバードで、こうして演奏したりして暮らしています。」
マヤ。最近聞いた事のある名前だ。
そこでようやく、あたしはナギの同居人の話を思い出した。
ナギに外見はよく似ているが雰囲気が真逆という、同居人の名前が確かマヤだったはずだ。
身体を売って生活しているという噂もあるという話だったが、その真偽はともかく、男に媚を売る系統の水商売をしてもおかしくはない雰囲気はある。
「冒険者ギルドに加入は?」
考え込むあたしをよそに、ルカがサクサクと質問を始める。
「してないの。ちょっと事情があって。」
「ふーん。」
ルカは相変わらずマヤと名乗った女に不信感を抱いているようだが、冒険者ギルド未加入の理由については突っこまなかった。
冒険者向けのクラスを持っている者全員が冒険者になるわけではないし、特にバードは冒険者としては器用貧乏に過ぎる上に冒険以外にも稼げる手段はあるので、冒険者ギルドに所属していなくとも別に不思議ではない。
「それで、依頼の内容は?今の時点で話せる内容だけでもいいから教えてくれないかな?」
あたし達もそれぞれ、名前を名乗るだけの簡単な自己紹介をしてから、クリスタはルカよりいくらかフレンドリーな口調で尋ねる。
「ヘスラ火山の6合目か7合目に古い祠があるらしいの。そこまで、あたしを護衛してほしいのだけど。」
「6合目と7合目では随分と依頼の難易度が変わってくるけど?」
ルカが少し厳しい口調で突っ込むと、マヤは困ったように微笑む。
「ええ、実を言うと、その祠の正確な位置は分からないの。もっと言うと、昔あったのは確かだけど、今でも残っているか確認は出来てないのよ。だから正確には、祠の正確な位置と存在の確認も依頼内容に入ってくるわね。」
「そうなると、単なる護衛より依頼料は高くなるはずだけど?」
ルカの警戒心が、一段上ったような気がする。
「ええ、承知してます。」
しかし、マヤの表情も口調も相変わらず、あくまで軽くて柔らかい。
「ギルドには既に依頼を提出済みってさっき言ったわよね?」
「ええ。」
「ギルドはその依頼を受け付けたの?」
「ええ、特に問題はありませんでしたよ。」
「その、祠の位置の調査も含めて?」
「ええ。それは明日にでもギルドに赴いて確認すればすぐに分かる事です。あたし、すぐに分かるような嘘は吐きませんよ。」
そう言うと、マヤはニッコリ笑った。
美しく、ひどく魅力的で可愛らしくすらある笑顔ではあったが、どこか胡散臭い感じもする。
「ちょっと待って。」
ルカはそう言うと、クリスタと額を寄せ合うようにして小声で相談を始める。
新入りのカミラはこの密談に参加していいものか少し迷っている様子で、結局あからさまに2人に近付いて密談に参加する事はなかったが、ハーフエルフの特徴の中途半端に長く尖った耳をピクピク動かして、2人の密談を聞き漏らすまいとしているのが分かる。
あたしも上辺は、少し身を乗り出して密談に興味津々のふりをしていたが、頭の中では全く別の事を考えていた。
初めて正面から目を合わせた時、同じように2人から魔法的な衝撃を感じた。
今までの人生の中で同じ様な衝撃を感じた経験は皆無で、それにもかかわらず2人からは感じたという事は、やはり2人には何か共通点があるのだろう。
と同時に、あたしと彼女達を結びつける何らかの要素もあるはずだ。
それも、魔法が関係している何かだ。
でもそれが何なのか、皆目見当もつかない。
この世界のほとんどの事象に魔法の力は関わっているから、考えられる可能性は無限にある。もうちょっと、考える範囲を狭めないと、あたしでは正解に辿り着けそうもない。
あたしよりも物知りなはずのノエルは、この件にそもそも興味が無さそうだし、むしろあたしの話をあまり信じていない気配すらする。
という事は、あたしが感じた魔法的衝撃をノエルは感じていなかったという事か。
彼女達の事を考えている間に、あたしは無意識のままにマヤの横顔を凝視してしまっていた。
マヤは密談をしているルカ達を退屈そうに眺めていたが、不意にこちらを向くとあたしに向かってニッコリと微笑みかけてきた。
妖艶という言葉が似合う微笑みで、やっぱり彼女の微笑みには破壊力がある。
正直、こういった無闇に色気を振りまくタイプは苦手だと思っていたが、不穏なものを感じつつも彼女の微笑みに惹かれている自分に気づいてしまった。
「待たせてごめんなさい。」
密談を終えてこちらに向き直ったルカの声に、あたしも現実に引き戻される。
「いいえ、お気になさらず。」
マヤは相変わらずの柔らかいの口調と表情で、ルカ達に向き直った。
会ってから数分しか経っていないが、今の所このマヤという女が、狼狽えたり感情的になる様子は想像出来ない。
「現時点では、引き受けるかどうかは何とも言えないわね。それを踏まえた上で、ちょっと判断材料にする為にも色々と質問しても構わない?」
「ええ、どうぞ。」
ルカの問いに、マヤは鷹揚に応じる。
「護衛って事だけど、あなた自身は戦える人?」
「秘術呪文は中レベル程度までなら使えるけど、制御に難があるのであまり当てにしないで。」
「制御に難。」
ノエルがあたしの耳元で、小声で繰り返した。博識な彼には何か心当たりがあるのかもしれないが、それ以上彼は何も言わなかった。
「接近戦は?」
今度はクリスタが尋ねる。
「少数の低レベルの魔物相手なら、防御に徹すれば自分の身を守れる程度かな?非力なので攻撃力には期待しないでね。」
「呪歌であたし達の援護は出来ますか?」
続いて、カミラがバードらしい質問をする。
「援護系の呪歌は覚えていないの。あたしの知っている呪歌は攻撃系ばかりで。」
ある意味、自分が役に立たない事柄を列挙したのに、何故かマヤは余裕の表情でニッコリと微笑む。
敵味方見境なく効果を発揮する呪歌は使い所が難しいが、攻撃系の呪歌は特に難しい。
格下の多数の敵を相手にするという限定的なシチュエーション以外ではほぼ役に立たないからだ。
例えばかつて、この街で貧富の差の拡大が原因で暴動が起こった時、衛兵隊に所属するバードが暴動を起こした民衆相手に、眠らせたり平衡感覚を狂わせるといった攻撃的な呪歌を使って、多大な効果を挙げた事があった。
効果があった理由は、暴動を起こした民衆の殆どに本格的な実戦経験が無かったからだ。
また、戦争でも軍所属のバードがしばしば攻撃的な呪歌で戦果を挙げる事はあるが、それは相手がろくに訓練されていない徴用兵の場合に限られ、熟練兵相手ではほぼ戦果を挙げた試しはないらしい。
そして冒険者の戦闘は軍隊のそれとは違って、基本的に同格以上の相手との少数対少数の戦いが多いので、やはり戦闘系呪歌は役立つ機会はほとんど無いというのが常識だ。
3人は顔を見合わせる。
どうやらこのマヤという女は、自己申告によると戦闘力に関しては一般人と言ってよく、本気で護衛しなければならない対象のようだ。
ルカを中心にして、その後も3人は色々と質問を重ねる。
「目的の祠って、どういう類のものなの?」
「ドラゴンに関するものらしいわね。かつて、西方世界でドラゴンと絆を結んだ竜騎士が沢山いた時代のものだと聞いているわ。」
「あなたが、そこに行きたい理由は?」
「そこにお宝があるらしいの。分かり易いでしょ?」
「そのお宝って、どんな物か分かってるの?」
「おそらく、人とドラゴンを何らかの形で結びつける類の魔法のアイテムよ。どんな形状をしているかは分からないわ。更に言えば、祠と同じで確実にあるとは言えないわね。あたしの調査では7対3くらいの確率であるとは思っているけど。」
「発見したお宝は全てあなたの物?」
「目的の魔法のアイテムは、あたしが貰います。それ以外に価値があるアイテムが見つかった場合は、5分の1はあたしが貰うというのはどうかしら?ただ、目的のアイテム以外に金目の物がある可能性は低い、という事は言っておくわね。当然、倒した魔物の討伐報酬や素材は全てあなた方の物という事で構わないわ。」
「迷わず目的地に着けても最低3泊、長ければ1週間は野営する事になるけど、それは大丈夫?護衛対象だからといって、あなたも手ぶらという訳にはいかないわよ?それなりに大荷物を担ぐ事になるけど?」
「野営も荷物運びも得意ではないけど、経験はあるからそこは気にしないで。」
どのような質問にも、マヤはスラスラと澱みなく答えた。
あたしは何となく納得したような気分になって他のメンバーを見回すが、彼らも同じような気分なのか質問は途絶えてしまった。
「とりあえず明日、私達は冒険者ギルドに行って、あなたの依頼を確認します。返事はその後で構いませんか?引き受けるにしても、出発は最速で明後日になりますし。」
「そうね。明日1日くらいは準備に費やさないと。」
場を締めるようにルカが口を開き、クリスタがその補足をする。
「構いませんよ。あたしとしては、是非、あなた方に引き受けて欲しいのですが。」
言ってから、マヤはチラリと横目であたしを見る。
そのマヤの視線に釣られるように、他の3人の視線もあたしに集中する。
いや、どうしてあたしを見るの?何だか意図せずに悪目立ちしているんだけど。
「ところで、あなたへの返事はどうやって伝えればいいの?あなたも一緒にギルドに来るの?」
あたしは皆の視線から逃れる為に、深く考えずに質問する。
マヤは申し訳無さそうに眉尻を下げる。
「ごめんなさい、明日ギルドに行けるかどうかはちょっと分からないの。行けたら、朝一で行きます。いない時には申し訳ないけど、伝言を頼めますか?そうだ!」
マヤは急に両掌を叩き合わせてパチンと音を立てる。
意外と音が大きく響き、あたしはビクンと身体を震わせるが、マヤは全くそれには構わずにあたしの方を見ると、やたらとフレンドリーな口調で話してくる。
「ゾラって名前、さっきから聞き覚えがあると思っていたのよ。あなた、あたしと同じ東方人のナギって知っているわよね?」
「まあ、顔を知っている程度だけど。」
「やっぱり!ナギからあなたの事を聞いていたのよ。すぐに思い出せなくてごめんなさいね。彼女はあたしの同居人だから、彼女に伝言を頼めるかしら?もし依頼を引き受けてくれた場合は当然、無理してでもあなた方にスケジュールを合わせるので。」
そう言って、マヤは自分とナギが同居しているという集合住宅の住所を教える。
マヤはずっとあたしの方を向いて喋っていたが、話し終えてからようやくリーダー格のルカに視線を向け、返答待ちの姿勢になる。
「そういうことなら、異論はありませんね。」
少しだけ不自然な間を置いてから、ルカは返答した。
「そう、それなら安心だわ。あたしってば、お友達同士楽しく会話しているのに強引に割って入っちゃって、ゴメンなさいね。これで退散しますから。それでは良い返事を期待しています。」
マヤはそう言い残し、足元に置いたケースを持つと、ゆったりとした足取りであたし達から離れ、そのまま酒場からも出ていった。
あたし達はしばらく無言だったが、少し間を置いてカミラが口を開く。
「妙な事になりましたね。」
「まったく。」
カミラの言葉に、クリスタがしみじみと同意する。
続いて口を開いたルカの口調は、2人より幾分硬かった。
「あの女、どう思う?」
「胡散臭いですね。」
「うん、胡散臭い。」
カミラが即答し、クリスタも間髪入れずに同意する。
ふと、ルカの足元のキルスティンを見ると、マヤがいた時には警戒心を顕にしていたのに、今は普通にリラックスしている。
やはりマヤには、キルスティンを警戒させる何かがあったのだろう。
でもジーヴァはマヤには何の反応も示さなかったので、キルスティンを警戒させた何かはジーヴァには感じられなかったという事になる。
キルスティンとジーヴァの違いというと、咄嗟にはレベル差くらいしか思い浮かばない。
レベル差だとすれば、マヤは何かを隠していて、低レベルのジーヴァは誤魔化されたが高レベルのキルスティンは見破った、なんて事も充分考えられる。
マヤの事を頭の中だけで考えていたあたしと違い、他の3人はその不信感を口に出して喋っていた。
「人とドラゴンを結ぶアイテム?そんなもの何に使うんだろう?」
「まあ、売れば結構なお金になるだろうし、換金目的だろうとは思うけど。」
「ドラゴンを使役して何かやらかすとか?」
「それはちょっとシャレにならないわよね。」
「じゃあ、理由をつけて断りますか?」
3人の会話に思わず口を挟むと、3人は一斉にあたしを見る。
今まで黙っていた人が突然発言したのだから当然の反応ではあったが、自分の声に思った以上に棘があったので、あたしは言った後にちょっと後悔してしまった。
「……それは、明日、ギルドで依頼を確認してからかな?」
少し間を置いてからなされたルカの答えは、ちょっと歯切れが悪いようにあたしには感じられた。
「……まあ、そのアイテムが本物でも、肝心のドラゴンにはそうそう出会えませんしね。」
「そうですね。使役する相手がいなければ宝の持ち腐れですから、換金目的一択でしょうね。」
取り繕うように言うクリスタとカミラの会話が、あたしにはひどく空虚なものに聞こえた。
2025年3月10日
後で登場する人物の顔見せを済ませておきたくて、加筆修正しました。
一応、話の流れ的には大きな変化はありません。




