表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/37

第2章 東方から来た女 3

2025年7月4日

細かい改変を行いました。

 ダリル達の家に泊まった翌々日、あたしは『キルスティンズ・ガーディアンズ』というパーティのサポートメンバーとして『アビス』の上層に潜っていた。

 アビスの狭い通路では並んで戦うのは2人が限界であり、しかもその狭さ故に特に前衛は足を止めての戦闘を余儀なくされる。

 なのでアビスにおいては重装備のファイターが重宝され、あたしのように機動力重視の戦い方をする軽装系の戦士は分が悪い。

 にもかかわらずあたしは前衛に立ち、ジャイアント・アントの群れと足を止めての接近戦を行っていた。

 普通のアリと比べれば十分『ジャイアント』ではあるが、その大きさは中型犬と同じくらいで、体格的にはジーヴァより1回り小さい。

 鋭い上顎による攻撃は充分脅威だし、外皮も硬く、駆け出し戦士程度の攻撃は簡単に弾いてしまう。

 それでもザレ―大森林などで遭遇していれば、あたしは簡単に対応出来ていただろう。

 ジャイアント・アントは意外と脚が遅い上に動作も鈍く、常に背後に回り込めばほぼ反撃を受けずに一方的に攻撃が出来るし、腹部の外皮は頭部や脚部ほど硬くはない。

 だが、ここアビスの通路にはジャイアント・アントの背後に回り込めるだけのスペースがなく、故に正面からの殴り合いを余儀なくされてしまった。

 加えてジャイアント・アントは垂直な壁や、天井すらも地上と同様に移動できる。

 つまり、あたしは床の上を這い回る奴らだけでなく、壁や天井を這い回る奴らも同時に相手をしなければならない。

 さらに、その頑丈さと力強さの割には体重の軽いジャイアント・アントは、仲間が2、3匹上に乗っても意に介さないらしく、積み重なったジャイアント・アントからの連続攻撃を受けるハメにもなる。

 複数の敵と戦う時のセオリーは、常に移動し続けて一度に相対する敵の数をなるべく減らす位置取りを心がける事だが、この狭いアビスの廊下ではそのセオリーを実行する事ができない。

 ジャイアント・アントの攻撃は単調とはいえ、これだけ多数を一度に相手にすると防御だけで精一杯になり、反撃の機会すらなかなか見出だせない。

 それでもあたしは、例によって『カメレオン』でファイター能力をコピーして接近戦能力を底上げし、何とかジャイアント・アントの猛攻を凌いでいる。

 足を止めての接近戦ではいつも以上に、右腕の小さな丸盾の存在が大きくなる。

 義肢の指先が自由になるように、手で持つのではなく直接義肢の上腕部にマウント出来るように作られたこの特注の丸盾は、冒険の間、付けっぱなしにしても邪魔にならないように盾としては最小のサイズだ。

 当然盾としての性能は低いし、大型の盾のように持っているだけで攻撃を弾くなんて事はなく、むしろ敵の攻撃に対して自ら当てに行くつもりでなければ攻撃を受け流す事も出来ないような、扱いの難しい代物だ。

 それでも複数の敵の攻撃に同時に晒されているような今のシチュエーションでは中々に役に立つ。

 壁に張り付きつつ攻撃してきたジャイアント・アントの噛みつき攻撃をこの丸盾で受け流した所、偶然にもそいつは丸盾とダンジョンの壁に挟まれて頭を潰される形になり、1匹屠る事が出来た。

 義肢のパワーと、タイミングと、壁との位置関係が偶然上手く組み合わさった結果による、滅多に起きないラッキーヒットに過ぎないが、形はどうあれ今は1匹でも数を減らすのが大事だ。

 防御中心の戦術を採らざるを得ない事もあり、このラッキーヒット以外にあたしが倒したジャイアント・アント未だ2匹だけと討伐スピードはかなり遅くなってしまっている。

 ジャイアント・アントは目視出来るだけでも7、8匹はおり、灯りの届かないその奥の暗闇にもおそらく少なくない数が潜んでいるのは確実だ。先は長い。

 それでも、あたしは一人ではない。

 あたしの隣で一緒に前衛を勤めているのが、狐の獣人のファイター兼レンジャーのクリスタ。

 本来1つしかクラスを持てない獣人が2つクラスを持っているのは、あたしと同じオッドアイだからだ。

 自分以外のオッドアイを見たのは、20年の冒険者生活でも彼女を含めて3人か4人しかいなかったような気がする。

 深緑の右目と灰色がかった薄い青の左目を持つクリスタは、あたしと同様の軽装戦士で、両手にそれぞれショート・ソードを持つ二刀流スタイルだ。

 レベル的にはあたしより少し上という程度だが、あたしのおよそ倍のペースでジャイアント・アント共を屠っている。

 ただ、あたしと同様に常に移動しながら戦うタイプらしい彼女は、やはり足を止めての正面からの斬り合いは不得手なようで、特に防御面では難があり、あたし以上にジャイアント・アント共の攻撃を喰らっていた。

 そんなクリスタの負傷を素早く魔法で回復し続けているのが、ハーフキンのドルイドのルカだ。

 ルカは、あたしやクリスタが負傷すると素早く回復呪文を唱え、時折『松ぼっくり爆弾』を作ってジャイアント・アント共に投げつけている。

 『松ぼっくり爆弾』はドルイトの使用する自然魔法の低レベル帯では数少ない、直接ダメージを敵に与えられる呪文で、松ぼっくりに魔力を込め、任意のタイミングで爆発させるものだ。

 魔力を込めた松ぼっくりを敵に投げつける手間はあるし、そもそも呪文の行使の為には松ぼっくりを予め集めておき、嵩張る松ぼっくりを運搬するという手間もあり、使い勝手はあまり良くない呪文ではある。

 ただ、ハーフキンは投石や投石器を扱う能力がどんなクラスであっても高い種族なので、手間はともかく命中精度に問題は無い。

 至近距離なのでスリングは使わず、直接ジャイアント・アントの群れの中心に投げ入れているが、さすがハーフキンとでも言うべきコントロールで、最も効果的な場所に投げ入れているのは流石だ。

 まあ『松ぼっくり爆弾』自体低レベルの呪文だから元々の威力は高くないし、爆発のエネルギーそのものよりも爆散した破片の方がメインのダメージ源となる呪文なので、硬い外皮を持つジャイアント・アントに対してはさらに威力は限定的になるのが残念だが、結構効果的なタイミングで効果的な場所に投げ入れているので、地味にジャイアント・アント共の連携を妨害してはいる。

 惜しむらくは、ドルイトの自然魔法には、クレリックの神聖魔法と異なり味方の能力を底上げするサポート系の呪文が少ない事だ。

 自然魔法にも、様々な攻撃力や防御力を底上げする呪文は存在するが、クレリックの神聖呪文の多くが仲間に対しても発動できるのに対し、ドルイトの自然魔法はドルイト自身にしか効果がないものが多い。

 その分効果は強力だが、それでも目一杯かけて同レベルのファイターに少し劣る程度の近接戦闘能力を得られるだけだ。

 そして、この狭いダンジョンの通路内では3人目の戦士など交代要員の役割しかなく、ルカのドルイトとしての高い能力が宝の持ち腐れになっている感もある。

 ルカの代わりにあたし達に強化呪文をかけてくれたのが、シーフ兼バード兼メイジのカミラだ。

 3つのクラスを持っている事から分かるように、彼女はあたしと同じハーフエルフだ。

 あたし達に様々な補助呪文をかけてくれたせいもあるが、現状彼女はかなり魔力を消費し肩で息をしている。

 実は、彼女はこれまでの戦闘でも派手に魔法を使ってきており、彼女の魔力の残量が心許なくなった事もあって冒険を早めに切り上げ帰路についたのだが、運悪く帰路についた早々でこのジャイアント・アントの大群と遭遇してしまった、というのが今の状況だ。

 実は、彼女はこの冒険がこのパーティに初めて参加したという新入りのメンバーだ。

 だから新入りとしていい所を見せようと焦っていた事もあったし、他のパーティメンバーとの連携が上手くいかずに無駄な行動も増えてしまって、結果的に彼女は過剰に魔法を連発してしまった。

 もう1つ彼女が不運だった理由を挙げれば、このパーティの正規メンバーが1人急用で抜け、代わりのサポートメンバーとして急遽あたしが入った為、既存のメンバー同士の連携もいつも以上に乱れたという事情もある。

 このジャイアント・アントの群れと遭遇した後、彼女はあたし達に支援魔法をかけてくれたのだが、その時も秘術魔法の応用力を最大限生かして詠唱時間を伸ばし、更に効果を抑えてまで魔力消費量を減らした事からも、彼女の魔力の残量が底をつきかけているのが伺い知れる。

 そしてジーヴァも無論頑張っているが、今回の彼の役回りは地味だ。

 あたしの後に陣取り、あたしやクリスタの攻撃をすり抜けて後方に回り込もうとするジャイアント・アントを確実に仕留めるという任務だ。

 ダンジョンの通路が狭すぎるせいで前衛に立てない故のこの任務だが、一度に対応する敵の数が多すぎた結果あたしやクリスタの討ち漏らしも多く、しばしば壁や天井を這うジャイアント・アントにすり抜けられており、予想以上に重要性が増してしまっている。

 そしてジーヴァと同じ仕事をしているのが、このパーティ名の由来でもある山猫のキルスティンだ。

 ルカの相棒であるキルスティンは元々山猫であるが、小型の豹くらいの大きさにまで成長している。それは、キルスティンを相棒にしているルカのドルイトとしてのレベルの高さを示している。

 実際、戦果はジーヴァより挙げているようだ。

 こういった戦闘の構図が出来上がった所で、戦闘はやや膠着状態に陥ってしまった。

 手間取ってはいるものの、重傷者を出す事なく確実にジャイアント・アントを1匹ずつ倒しているあたし達がやや優勢ではあるのは確実なはずだが、仲間の死を気にせずに淡々と暗闇の中から現れ続けるジャイアント・アントの群れの姿は、この戦いが永遠に続くような錯覚をあたし達に与える。そして終わりが見えない戦いは、しばしばメンタルを地味を削り、その結果焦りのあまり理性的でない判断に導いてしまう事もままある。

 「極北に住まう冷たき乙女よ……。」

 背後からカミラの呪文詠唱の声が聞こえた時、あたしは困惑した。

 彼女が強力な呪文の発動を決めた理由が膠着状態に単に焦れてヤケになったのか、それともここが勝機と踏んでリスク覚悟で決断したのか、彼女の人柄を知らないあたしには判断がつかなかったからだ。

 ただ一般論で言えば、この時点での強力な呪文を発動する判断自体は決して間違いとは言い切れない。

 だがそれは、魔力が潤沢に残っていた場合の話だ。

 強力な呪文を発動した場合、おそらく彼女の魔力は底を尽くだろう。ここで魔力を使い果たす事が正しい判断なのかは正直、未来を見通す事の出来ないあたしには判らない。

 どういった判断が正しいのか誰にも見通せないこうした状況の時こそ、リーダーの決断が重要になる。

 このパーティのリーダーのルカの耳にもカミラの呪文詠唱の声は聞こえたはずだ。そのルカが止めないという事は、彼女はカミラのこの時点での呪文発動を認めたという事になる。

 リーダーがそう腹を括ったなら、サポート要員のあたしは口を出さず、その決断を前提に自身の行動を決めるだけだ。

 カミラはおそらく魔力消費を抑える為に呪文詠唱を引き延ばしてから、呪文を発動するだろう。だからあたしは、防御を今以上に固めて詠唱完成までの時間稼ぎを第一に考えて戦うことにする。

 ジリジリとしたかなり長く感じた時間が経過した後、カミラの長い詠唱がようやく完了する。

 「……その無慈悲なる吐息にて、我が敵を凍てつかせよ!」

 カミラが呪文の発動を完了させると、最前線にいるジャイアント・アントの後方を中心として局所的な吹雪が巻き起った。

 専門のメイジではないにもかかわらずカミラの唱えた呪文の威力は結構高く、ジャイアント・アント共は続々と凍り付き、動きを止めていく。

 兼業メイジの割にはカミラの魔力が意外と高かった事に少し驚いたが、そもそもジャイアント・アントのような昆虫系の魔物に対しては冷気の呪文は特に効果が高い。

 ジャイアント・アントの総数が分からない状態での、残り少ない魔力を全消費する呪文発動は賭けだったが、カミラのその賭けは正解だったようだ。

 カミラの冷気呪文によって動きを止めてしまった仲間を踏み越えてやってきた、増援のジャイアント・アント共の数は思ったよりは少なかった。

 終わりが見えれば士気も上がる。

 残りのジャイアント・アント共も恐れを知らずに突進してくるが、その残りの数が少ないのが明らかになった時点で、ジーヴァとキルスティンがあたし達の援護から開放され、遊撃部隊としてジャイアント・アント共の背後に回り込む事も可能になるった。

 それによって膠着状態は打破され、その硬い外皮に多少手間取ったものの、以後はほぼ一方的にジャイアント・アント共を殲滅させた。

 戦闘が終わると、背後からの敵襲を警戒していたあたしの使い魔のカラスのノエル、クリスタの相棒のトンビのハーヴェイ、カミラの使い魔のネズミのジョージがそれぞれの主人の元に戻ってくる。

 もっともネズミのジョージ以外は鳥目なので、ほとんど見張り役の役には立っていなかっただろうが。

 一応、ノエルは灯りの呪文や夜目を得る呪文を知ってはいたが、魔力総量が少ない上に慎重な彼は魔力の安易な使用を惜しむ傾向が強いから、夜目が効くネズミのジョージもいる事も考慮して鳥目のまま警戒に励んだ事は想像に難くない。

 ルカはギルドからの貸与品の水晶玉を取り出すと、倒したジャイアント・アント共の映像を記録し始める。

 その間、あたしを含む残りのメンバーはルカを囲むようなフォーメーションを取りながら、周囲を警戒する。

 さらなる魔物の出現を警戒しての事だ。

 ここ『アビス』を始めとするダンジョン型の魔境は、外界の常識の通用しない独自の法則が多々存在する。

 この通路は侵入時にも通過しており、その時に遭遇した魔物は全て掃討済みだ。しかもそれから大して時間も経っていないので、普通に考えたら魔物など居ないはずだ。

 だが現実に、あたし達は魔物の掃討を完了した通路を帰還途中にジャイアント・アントの大群と遭遇した。

 そしてこういった現象は、ここ『アビス』では普通に有り得る事態だったりする。

 『アビス』ではどういう理屈なのか未だに誰も説明できていないが、通路だろうと部屋だろうと場所を問わず魔物はランダムなタイミングで無限に湧き出てくる。

 罠や宝物なども同様だ。

 それ故に、アビスは枯れないダンジョンとしてハーケンブルクの冒険者や街に莫大な富をもたらしているのだが、それは同時に冒険者の撤退のタイミングを難しくもしている。

 それを見越して今回も早目の撤退を心掛けたのだが、それでも肝を冷やす状況に陥ってしまった。

 ルカが素早く録画を終えると、あたし達は移動を始める。

 先程の遭遇で皆ピリピリしており、必要最低限の言葉しか口にしない。

 カミラは魔力切れによる疲労で明らかに集中力を欠いており、歩くのも辛そうだ。

 もう一度遭遇があっても全く戦力にはならないだろう。

 幸いこれ以降は魔物に遭遇する事もなく、帰還用のテレポーターの明かりが前方に見えた。

 移動距離自体は短かったので、魔物に遭遇しなかったからといって格段にあたし達が幸運だったという訳でもないのだが、それでもテレポーターのボンヤリとした明かりは、あたしに希望をもたらす。

 ただそれでも誰ひとり気を抜かず、周囲を警戒しつつテレポーターに向けて移動を続ける。

 石床に直接彫り込まれた直径1メートル程の円形の魔法陣がテレポーターだ。

 魔法陣は常にオレンジ色の柔らかい光を放っており、加えて魔法の心得がある者は強力な魔力をこの魔法陣から感じる事が出来る。

 初めてアビスに潜った時、そしてそれ以降も暫くはこの魔力を感じただけで圧倒されたくらい尋常でない強烈な魔力なのだが、慣れとは恐ろしいもので、今ではテレポーターの魔法陣から発散される強烈な魔力を感じても何の感慨も持たなくなってしまった。

 テレポーターを前に、あたし達は視線を交わす。

 アビスのテレポーターは1人ずつしか入れないので、入る順番というものが意外と重要になってくる。

 パーティによってそれぞれの流儀はあるが、それでも一応セオリーもあって、アビスに入る時はシーフのように単独でも行動が出来る者が最初で、続いて近接戦闘担当、魔法火力担当、最後は回復や支援役という順番だ。

 帰還時はその逆だが、特に消耗していたり大怪我している者がいる場合は役職に関わらず2番目に入るのが慣例だ。

 そういった者が最初に帰還しないのは、最初に帰還した者がテレポーターの先で待機しているギルド職員に話を通しておく為だ。

 まず最初にルカが入り、次に消耗の激しいカミラ、ルカの相棒のキルスティン、クリスタの順にテレポーターに入っていく。

 ノエルくらいの大きさなら主人と一緒にテレポーターに入る事も可能だが、ジーヴァやキルスティン程の大きさになると別々にテレポーターに入らなくてはならない。

 クリスタの後にジーヴァを送り出し、最後にあたしがテレポーターを潜る。

 実はあたしはアビスに入る時は先頭、帰還時は殿が多い。

 器用貧乏は意外とこういう時は最も危険な役割を押し付けられがちだ。

 今回はあたしはサポートメンバーだったし、役割が微妙に被っているカミラが侵入時に先頭になってくれたが、そのカミラが酷く消耗した結果、帰還時は結局あたしが殿を務める事になってしまった。

 テレポーターに足を踏み入れると、いつものように急激な浮遊感に包まれる。

 文字通り地に足がついていない感覚に加え、視覚は気味が悪い光の渦に包まれ、聴覚は不安定な重低音に押し潰される。

 五感全てが生理的な嫌悪感を催す感覚に包まれる度に、このテレポートという行為が自然の摂理に反した事象で、それ故に肉体が全力で拒絶反応を示しているのだという思いを抱く。

 テレポートの時間はほんの2、3秒のはずだが、時間感覚までおかしくなる事もあり、体感的にはもっと長く感じる。

 そしてテレポートが終了したらしたで、テレポート中の非現実的な状況から急激に現実の状況に戻されるのだが、今度はその現実に五感がすぐには適応できず、適応するまでの数分間、あたしはいつも悪酔いした時のように気分が悪くなり、強烈な吐き気に襲われる。

 加えて身体の方も、無重力状態から急に回復した重力に感覚が追いつかず、自重に耐えかねふらついてしまう。

 アビスのテレポーターは、それこそ数え切れない程使用してきたが、未だにあたしはこの『テレポート酔い』に慣れる気配は無い。

 行きのテレポートはまだマシなのだが、このテレポート酔いは、気力や体力、魔力の消耗しきった状態で乗る事の多い帰りのテレポートの方がより症状が酷くなる傾向がある。

 ただ、このテレポート酔いには個人差があって、中には全く平気な者もいるようで、そういう人は心底羨ましいと思う。

 テレポート酔いが酷い者も、中〜高レベルになるにつれ、症状は軽減、または全く無くなるのがほとんどらしい。

 あたしがそうなるのは、何時の事やら。

 ただ、帰りのテレポート中の気味の悪い感覚やその後のテレポート酔いを味わうと、無事に帰還出来た妙な安堵感があるのも確かだ。

 特に今回のような厳しい戦いの後では。

 「お帰りなさい。」

 テレポート後の吐き気と身体の重さにゲンナリしているあたし達を笑顔で出迎えたのは、アビス出入口のテレポーターに常駐している受付嬢だ。

 一見、他のギルド受付嬢と大差ないように見えるが、ここの受付嬢は全て、最低でも中レベル帯に達した後に引退した元冒険者だ。

 ここアビスのテレポーター出入口のあるヘイム島は、少数精鋭の部隊が警護に当たっているが、言い換えれば必要最低限の人数しかいない、という事でもある。

 なので何か不測の事態が起こっても、守備部隊が受付嬢を守る余裕があるとは限らず、最低でも受付嬢自身が自分の身は自分で守れるように元冒険者を雇うようになったらしい。

 テレポーターのあるこの部屋にいるのは、受付嬢が1人と、負傷を負った状態で帰還してきた者を回復するのが主な仕事のクレリックが1人、警備役が3人だ。

 警備役はここ以外にも島のあちこちに常駐しており、それ以外にもこの島には、様々な事態に対応する為のメイジを中心とした秘術魔法の使い手、緊急時の連絡用の鳩や上空警備用の猛禽類、海中警備用のイルカなどの海獣をテイムしたテイマーが数名、料理人や雑役夫数名、そしてそれぞれの交代要員が居て、彼らギルド職員がこの島の住民全てとなる。

 「『キルスティンズ・ガーディアンズ』のルカ、クリスタ、カミラ、それにサポートメンバーのゾラ、以上全員、無事に帰還しました。」

 全くテレポート酔いの症状が無いっぽいルカが淡々とその受付嬢に報告するのが聞こえた。

 ドワーフとハーフキンはテレポート酔いに強く、獣人とヒューマンはそれぞれ個人差が大きく、エルフやハーフエルフは弱いという噂を聞いた事があるが、案外本当かもしれない。

 クリスタやカミラは気持ち悪そうにしているし。

 ちなみにジーヴァは全く平気そうだが、ノエルはあたし同様に参っているらしい。

 ルカの相棒の山猫のキルスティンはちょっと苛々した感じで同じ場所をグルグルと歩き回り、クリスタの相棒のトンビのハーヴェイは彼女の肩の上でグッタリしている。カミラの使い魔のネズミのジョージは、彼女が着ているシーフ御用達のポケットのたくさん付いた上着のポケットの1つを占領し、そこから顔を覗かせてるが、平気そうに見える。

 ルカと受付嬢との話はすぐに終わった。

 受付業務のほとんどはここではなくハーケンブルクの冒険者ギルドで行うので、ここでの手続きはアビスに入った者が無事に帰還できたかの確認くらいで終わる。

 そもそもここの受付嬢は事務処理能力は元から期待されておらず、緊急事態発生時に適切に、肝の座った対応が出来るかを重視して選ばれた人達だ。

 何やらメモを取ってから、受付嬢はあたし達の方を見た。

 「連絡船はすぐに出発できると思いますが、いかがされますか?少し休んでから行かれますか?」

 アビス行きのテレポーターのあるヘイム島とハーケンブルクを結ぶ連絡船の運行は、夜間及び荒天時は原則運休するという決まり以外はかなり適当なもので、乗客がある程度埋まった時点で船長が適当に出港を決める。

 受付嬢はあたし達のテレポート酔いを察して、乗船を遅らせるか訊いてきたのだろう。

 テレポート酔いと船酔いに二重に襲われるのは確かに悪夢としか言い様がない。

 「あたしは大丈夫だけど、皆は?」

 あたしがそう言ったのは別に強がりではなく、あたし自身はテレポート酔いの症状は短時間で収まる事が多いからだ。

 「あたしも大丈夫、かな?」

 クリスタの狐耳は相変わらずペタンとなっているが、顔色はだいぶマシになっている。

 「あたしも大丈夫。」

 カミラもそう言うが、彼女の顔色は明らかに悪い。

 「本当に?」

 余計なお世話かもといつもなら、そう親しくない相手だし躊躇する所だが、カミラの顔色が余りにも悪いので考える前に反射的に言葉が出てしまった。

 カミラは弱々しく笑う。

 「本当は結構しんどいけど、テレポート酔いはいつも短時間で収まるから。」

 まあカミラの顔色の悪さは、テレポート酔いよりも魔力切れの要因の方が大きいのかもしれない。

 カミラの言葉に、ルカは頷く。

 「すぐ行く。」

 「了解しました。」

 受付嬢は、ニッコリと営業スマイルを浮かべる。

 「よお、結構お疲れのようだな。」

 受付嬢との話が終わったのを見計らって、回復役のクレリックが話しかけてくる。

 この島の回復要員のクレリックは3、4人でローテーションを組んでいるが、彼はその中でも一番の古株で、あたしとも顔馴染みだ。

 「そう思うなら、疲労回復の呪文をかけてよ。」

 「悪いな。規則で安易な回復魔法の使用は禁止されているんだ。」

 クレリックはニヤニヤ笑いながら答える。

 その規則はあたしも知っているし、このやり取りは顔を合わせる度に毎回している恒例行事みたいなものだ。

 アビス内部から瀕死の状態で帰還する者はそう多い訳でもないが、そういう者が現れた場合には例外無く深刻な事態になる。

 そういう時に、顔見知りの冒険者のちょっとした軽症や疲労に回復呪文をかけた為に、魔力不足で充分な治療が受けられなかった、という事態を避ける為にこの規則は作られた。

 あたしもこのアビスで右腕切断の重傷を負い、失血死してもおかしくない状況でここの常駐クレリックに救われた経験をしているから、この規則の重要性は分かっているつもりだ。

 「ところでさ。」

 「ん?」

 「あ、いや、何でもない。」

 質問しかけて止めたあたしを、クレリックは訝し気に見たが、何も言わなかった。

 彼がこうしてのんびりしているという事は、今日は何事もなく平穏無事だったという事だろう。

 実は昨日ギルドに行った時に、顔見知りの受付嬢の1人に『ホワイトドーン』についてさり気なく尋ねてみたのだ。

 『ホワイトドーン』はあたしとは別のガイドを雇って、既に3回程アビスに潜り、新人としては中々の戦果を上げ、その担当ガイドもベタ褒めしていたらしい。

 そして今日、『ホワイトドーン』は初めてガイド無しでアビスに潜る予定だとも聞いていた。

 往路の船便で一緒にならなかったので、まあ同じ日に潜るといっても顔を合わせる事はないとは思っていたし、ちょっと気になったが今更あたしが嘴を突っ込む事でもないだろう。

 テレポーターのある広間のスタッフ一同に挨拶してからあたし達はそこを辞し、短い廊下を抜けて建物の外に出る。

 テレポーターをその中に含む通称テレポーター棟は、テレポーターの存在する遺跡を完全に覆う形で建てられた為かなりの大きさがあるが、テレポーターのある大広間以外にはスタッフ用の控室に小さな事務室、物置部屋があるくらいでかなりガランとした印象だ。

 テレポーター棟を出ると、少し離れた場所にこの島で働くスタッフ用の宿舎が見える。

 この島でもっとも大きな建物で、噂では内部の設備はかなり充実しているらしいが、基本的にスタッフ以外は立入禁止なので、噂の真偽は分からない。

 テレポーター棟から桟橋まで、時折階段も混じる少し急な坂道を下っていく。道の両側が森になっているせいでちょっと遊歩道的な雰囲気もあり、あたしはこの道を歩くのは嫌いではない。

 ゆっくり歩いても10分足らずで桟橋に到着する。

 桟橋には冒険者ギルド所属の衛兵用の詰め所が付随しているが、それは小さな砦と言って良い程の堅牢な外観をしていて、その上部には灯台を兼ねた見張り塔まで建っている。

 桟橋の上には、ダラけた様子の冒険者の一団がたむろしていた。

 彼らの気持ちは分かる。

 アビス探索の精神的緊張からの解放と肉体的疲労の積み重ねで、連絡船の出航を待つ間はどうしてもそうなりがちだ。

 桟橋に通じる道を塞ぐ形で建てられた検問所は、詰め所本体に比べればかなりチャチな造りに見えるが、ここでは事務処理しか行わないし、非常時には砦じみた詰め所に籠るので造りとしてはこれで充分なのだろう。

 その検問所で、テレポーター棟でのチェックと同様に島への出入りをチェックされる。

 冒険者と違って元気が有り余っている様子の衛兵達はキビキビとこれらの手続きを終え、検問所を通過したあたし達が桟橋に行くと、待機していた船長が出航を宣言する。

 船は定員20名程の中型船で、船員は船長と助手の2名。

 朝夕の混んでる時間帯は定員ギリギリまで(時には定員を5人くらいはオーバーして)乗せるが、今のように比較的空いてる時間帯には定員までまだ余裕がある人数で出航する事も多い。

 この船は、前方から取り込んだ水を魔力で後方に噴出する事で前進する魔法動力船というものだ。

 魔法動力船は凪の状態でも安定して航行出来るし、漕ぎ手も必要なく、船員の数も抑えられるという利点がある。

 一方で魔法動力は未だ安定して高い動力を得るには未だ至っておらず、大型船を動かすにも波の荒い外洋を航行するにもパワー不足な上に、メイジやエンチャッターによる定期的なメンテも欠かせず、維持管理費も割高だ。

 なので、魔法動力船はもっぱら流れの緩い運河や河川、波の穏やかな湖や内海でしか運用できないし、メイジやエンチャッターを定期的に雇える環境も必要になる。

 使い勝手が悪いと言われている魔法動力船だが、波の穏やかな日が多い内海のクレタ湾限定の航行、そしてメイジやエンチャッターとのコネには事欠かないハーケンブルクの冒険者ギルドが運用する事により、例外的にここでは安定的に活躍できている。

 桟橋で待つ冒険者達の中にも『ホワイトドーン』の姿はなかったが、あたし達はかなり早めに冒険を切り上げてきたので、最初からいる可能性は低いと思っていた。

 冒険者達を乗せると船はすぐに出航した。

 貧弱な推進力しかない魔法動力船の中では大型の部類に入るこの連絡船は、やはりパワー不足のせいかスピードは出ないが、その分揺れは少なく乗り心地は悪くない。

 屋根代わりに張られた厚手の防水布が、頭上で風に靡いてパタパタと心地よい音を奏でている。

 あたし自身も柔らかい風を心地よく感じながら、冒険中はいつもキツくお団子に結わえている銀髪を一度解くと、今度は緩めに結え直す。

 すると何だか、冒険中の緊張感から改めて解放され、リラックスした気分になった。

 ふと見ると、カミラは余程魔力切れによる疲労がしんどかったのか、隣に座るクリスタの肩に寄りかかって爆睡していた。

 寄りかかられているクリスタも眠そうに、大口を開けて欠伸をしていたが、あたしの視線に気付くと誤魔化すように笑う。

 「あ。」

 パーティの中で唯一まだまだ余裕がありそうなルカが小さな声を上げると、船べりから身を少しだけ乗り出して上空を見上げた。

 「え、何?」

 あたしはルカの視線の先を追って、同じように船べりから身を乗り出し、上空を見上げる。

 ポツポツと散在する白い雲に彩られた青空の中を、小さな鳥のような影が悠々と飛んでいた。

 だが、小さく見えるのはかなりの高度を飛んでいるせいで、実際はかなりの巨体であるのは容易に想像できた。

 「お、ありゃあドラゴンじゃねえか。」

 同乗していたが中年の戦士らしい冒険者があたし達の視線を追うと、ノンビリとした声を上げる。

 「久しぶりに見たな。こりゃあ、運がいい。」

 クレリックらしい別の冒険者が、顔を綻ばせる。

 ハーケンブルクの街の上空を鳥のような影が飛行するのは、日常茶飯事という程ではないが月に数回は目にする光景だし、その影が街に何かしでかすという事もないので、住民は特に驚きもせずに受け入れている。

 そしてハーケンブルク人の大半は、あの影をドラゴンだと思っている。

 実際、あの影はかなり高い高度を飛行しているので個体の識別は肉眼ではほぼ不可能だし、魔術を使っての鑑定が可能だと思われる高レベルメイジ達も、箝口令でも敷かれているのかこの件についてはお茶を濁すような発言しかしない。

 そもそもここ400年以上、西方地域ではドラゴンなんて魔境の奥での遭遇しか記録がないので、ほとんどの人間は実物のドラゴンなんて見た事は無いはずだ。

 かくいうあたしも、ドラゴンなんて実際に見た事は無い。

 実際に見た事は無いのだが、ドラゴンを描いたイラストの類は飽きる程見ている。

 というのも、このアストラー王国の建国において、ドラゴンを従えた竜騎士達が大活躍した伝説があるのだ。

 400年以上前の話だし、史実というよりは現王家の正統性を示す為に話を盛りに盛った、半分以上フィクションというのが実態の伝説であろうが、この伝説はアストラー王国全域で未だに人気だし、普段はアストラー王国本土に何かと対抗意識を燃やし、結果としてアストラー王国本土の文化や習俗を反射的に貶す事の多いハーケンブルク人にも、この伝説は例外的に大人気だったりする。

 上空を飛行する正体のハッキリしない影が、その辺でよく見かける鳥をそのまま巨大化したような魔物ではなく、大好きな伝説に登場するドラゴンだと思いたがる気持ちも分かる。

 それに、ハーケンブルクの住民にとって関わり合うことすら不可能な高高度をしばしば飛行するだけの毒にも薬にもならない存在を、このクレリックのように都合よく吉兆と捉える者もまた珍しくない。

 「新メンバーのカミラが入って最初の冒険で、いきなり酷い目に遭ったけど。」

 自分の肩に寄り掛かったまま静かに寝息を立てているカミラに視線を走らせながら、クリスタは例のクレリックの意見に同意する。

 「帰りにドラゴンを見られるなんて、意外と彼女はパーティにとって幸運の女神なのかも。」

 何の根拠も無くそんなお花畑な事を言うクリスタに、あたしは妙に苛ついてしまった。

 普段のあたしならそんな事で苛ついたりしないだろうし、たとえ苛ついたとしても黙って発言をスルーしていたと思う。

 でもあたしはこの時、考えるよりも先に言葉が口から出ていた。

 「皆、アレの事をドラゴンって言うけど、誰も確かめた訳じゃないよね。」

 無意識の内にやや強い口調で放ったあたしの言葉に船に乗っていた面々は黙り込み、一斉にあたしに注目する。

 和やかだった船内の空気が一瞬にして凍りついたのを感じた時、あたしは自分の発言を激しく後悔した。

 「私、ゾラはもっとロマンを求めるタイプだと思ったけど、意外と現実的だったのね。」

 ルカが茶化すように言ってきた。

 茶化してはいたが、同時に和やかな雰囲気を壊したあたしに失地回復の機会を与えてくれた事も分かった。

 ルカとは顔見知り程度の仲だが、お互い古くから知っている。

 あたしが意味もなくそんな言葉を吐くはずがない、と思ってくれたのかもしれない。

 「ドラゴンよりもっと凄い存在かもしれないじゃない。フェニックスとか。」

 あたしの苦しい弁解に、同乗の冒険者達から失笑っぽい乾いた笑いがまばらに起こる。

 「だからあたしは、昔からあれはドラゴンではなく大きな鳥説を支持しているのよ。」

 あたしが馬鹿っぽく更に強弁すると、クリスタがクスッと笑い出す。

 「なに、それ?」

 クリスタが明るく笑った事で、あたしの空気を読まない発言が何となくチャラになったような雰囲気が漂い出す。

 あたしは心の中で彼女に頭を下げた。

 クリスタについてはルカ以上にその人物を知らないが、今日1日行動を共にして彼女のサバサバした気質に好感を持ってはいた。

 船内に和やかな空気が戻り、再び乗客達が思い思いに雑談を始めたタイミングで、ノエルが念話で話しかけてきた。

 (一体、どうしたのさ?)

 (何の事?)

 あたしは一応とぼけてみる。

 (空気が悪くなるくらいなら自分を曲げて愛想笑いを浮かべるのがゾラだと思ってたけど?)

 (悪かったわね。)

 自覚があった分、あたしはノエルの言葉に本気で苛つく。

 まあ、完全に八つ当たりでしかないけど。

 (今まで同じような会話があってもゾラはスルーしてきたでしょ?今回に限って何で?)

 (疲れが溜まって苛ついていただけよ。)

 (そうなんだ。)

 ノエルは全く納得してない様子だったが、あたしの苛つきが伝わったのかそれ以上は何も言わなかった。

 まあノエルは、疑問に思った事はどんな小さな事でも解決しないと気が済まない質だから、ふとした折に蒸し返す可能性はあるけど。

 足の遅い魔法動力船でも、20分足らずでハーケンブルクの波止場に到着する。

 クリスタに起こされたカミラは、10分ちょっとしか寝ていないはずだがスッキリとした表情をしていた。

 魔力切れによる疲労には、魔力を回復させる回復魔法やポーションも有効だが、実は睡眠が最も手っ取り早い回復手段だったりする。10分ちょっとの仮眠であっても、魔力切れによる極度の疲労感はかなり軽減される。

 とはいえ、10分程度の仮眠では最低限の魔力しか回復していないはずで、ちょっとした魔法を唱えただけでも再び魔力切れの症状は出てしまうだろう。

 連絡船を降りたあたし達は、同乗した他の冒険者達と一緒に冒険者ギルドへと向かう。

 波止場から冒険者ギルドまでそう遠くはないが、緩やかな上り坂がなんだか今日は少しキツい。

 やはり、あたしも少し疲れているようだ。

 ギルドの窓口で受付嬢に魔物討伐の証拠となる水晶玉と、アビス内で拾った少数の換金可能なアイテム類を渡し、少し待たされた後に報酬を受け取る。

 報酬からは往復の連絡船の船賃やテレポーターの使用料など、アビスを探索する度にギルドに支払わねばならない諸経費が天引きされている。

 まあ、ギルドを通した依頼や、他の魔境における魔物討伐でも手数料を含む諸経費は報酬から天引きされているのだが、アビスの場合はその諸経費が高いので、駆け出しの冒険者の場合は赤字になる場合すらある。

 とはいっても、アビスは効率よく稼げる場所なのは確かだし、今回、上層階を短時間探索しただけのあたし達でさえも、低レベルの魔物とはいえ倒した数が多かった事で一応黒字にはなった。

 まあ黒字といっても微々たるものだったが、今回の冒険は元々儲けを出すより、新メンバー加入による連携の確認が主な目的だったから、微々たる黒字でも御の字ではある。

 「そうそう、ルカさん。」

 対応していたのとは別の受付嬢が、メモを片手に近寄ってきた。

 「何かな?」

 「レジーナさんから通信魔法を使用した伝言が届いてますよ。えーと、『帰るのは最短で10日になる。』だそうです。」

 「10日かあ。」

 ルカは渋い顔でクリスタを見るが、クリスタは黙って肩を竦めた。

 レジーナは『キルスティンズ・ガーディアンズ』のメンバーの1人のドワーフのファイターで、詳しい事情は知らないが故郷で急用が出来て急遽帰郷したそうで、それで彼女の穴を埋める為にあたしにサポートの仕事が回ってきたという訳だ。

 ちなみにレジーナの故郷は、ハーケンブルクを見下ろすヘスラ火山の麓にあるゲーゲンという名前のドワーフ地下集落なので、徒歩で片道半日の距離しかない。

 「あ、それからもう1つ。」

 「え、まだあるの?」

 「大した事じゃないですよ。通信魔法の料金は、パーティの共有資金から払って欲しいそうです。」

 「相変わらすチャッカリしてるわね。」

 ルカはボヤく。

 遠距離でも通話や映像のやり取りの出来る通信魔法は便利な代物だが、双方に専用の水晶玉とそれを操作する秘術魔法の使い手が必要なため、誰でも手軽に使える代物ではない。

 各国の官僚組織や軍隊、それに大陸を股にかける大商家などは独自の通信魔法のネットワークを持っているが、冒険者ギルドもそのような独自の通信魔法ネットワークを持っている組織の1つである。

 ただ冒険者ギルドのネットワークは、多くの組織のネットワークが所属メンバーの公的な用件でしか使えないのと異なり、ギルドの使用が最優先されるものの料金さえ払えば誰でも、私的な用件であってもこの通信魔法ネットワークを利用できる。

 庶民が気軽には使えない程度に料金は割高だが、今回のように映像も直接通話も無しに短い伝言を送る程度なら、一度に複数の伝言をまとめて送れるという事もあって、料金は結構安くなる。

 「ゾラさん。」

 ルカはクルリとあたしの方を見て言う。

 「はい?」

 自分に話を振られるとは予想していなかったので、あたしは驚いて少し声が裏返ってしまった。

 「そういう訳ですので、予定ではサポートは3日程という事でしたが、10日間に延長してもらう事は可能でしょうか?」

 ハーフキンであるルカの身長はあたしの半分程で、当然あたしは彼女を見下ろす姿勢になるのだが、態度が自然に堂々としているせいか、対するあたしの口調も丁寧なものになってしまう。

 「特に予定は無いので、あたしはそれでも構いませんけど……。でも、大丈夫ですか?」

 「大丈夫、とは?」

 ルカは首を傾げる。

 普段は落ち着いた態度のルカが、ハーフキン特有の子供っぽい容姿でこういう仕草をすると、不意打ちで可愛い。

 「その、あたしより純戦士系の人をサポートに入れた方が、パーティバランス的には良いんじゃないかって思ったのだけど?」

 「そこはあなたが考える事じゃないです。」

 ルカは即座にキッパリと、しかも断固たる口調で言う。

 リアクションに困ったあたしが、視線をクリスタに向けると彼女は肩を竦めた。

 「確かにゾラはレジーナとはタイプが違うけど、その事で特に不具合は感じなかったよ。むしろゾラの方が、あたし達のやり方に合わせてくれたでしょ?周りもよく見えてるし、あたしとしても隣で戦っていてやりやすかったけど?」

 褒める口調が淡々としているのが逆に、お世辞感が無く何だかむず痒い。

 「そういう事なら、もう少し皆のお世話になろうかな?」

 煮え切らない口調ながらルカの提案を了承すると、ルカはニッコリ笑って右手を差し出してきた。

 最近引かれるリアクションばかりだったのに、懲りもせずにあたしは右腕の義肢を掲げてカチャカチャ鳴らし、右手では握手出来ない事を示す。

 するとクリスタは吹き出し、カミラは顔を背けて笑いを堪える顔を隠そうとする。

 受けを狙った訳ではないが、それでも笑ってくれた事で、あたしの中で彼女達の好感度が急上昇してしまう。

 薄々感じてはいたが、我ながらあたしって中々にチョロい所があると思う。

 まあ、ルカだけは見事に無反応だったけど。

 改めて、あたしが彼女全員と一人一人左手で握手を交わした後、ルカが粛々と提案する。

 「それじゃあ、取り敢えずこれから食事に行って、それから今日の冒険の内容を踏まえてミーティングしようか。」

 最近知り合った別のハーフキンであるレナの不思議ちゃんっぷりが子供っぽいハーフキンの容姿に凄くマッチしていたせいで、それとは対照的で落ち着いたしっかり者感溢れるルカの言動には凄く違和感を感じてしまうが、彼女の力強いのに強引さを感じさせないリーダーシップは全く不快ではなかった。

 「じゃあ、行くよ。」

 あたし達は小さなリーダーに先導され、夕暮れ前のハーケンブルクの街に繰り出した。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ