2.ニューウェーブタウン(2)
先導する彼女に続き部屋を出て、階段を降りていく。この建物の構造がわかった。二階が居住スペースで、一階が店舗スペース。酒場では数人が丸テーブルにつき、思い思いに酒を呷っている。飲酒による陽気さはなく、皆どこか陰のある表情だった。
アヤメに促され、カウンター席に座る。すると、奥の厨房から男が姿を現した。
筋骨隆々、褐色の太い腕。白いエプロンには汚れ一つついてない。厳めしい男だった。
「………………」
無言でアーバンを睨み付ける。上から下まで舐め回すように視線を動かした。
「なあ。何か食べさせてくれるんじゃないのか? 俺が料理されそうだが」
「マスターはいい人だから大丈夫だよ。……多分」
検分が終わると、厨房に引っ込んだ。すぐに戻ってくると、両手には皿が乗っていた。
「食え」
赤いチリソースの海に沈む、インゲンやレンズ豆。牛肉の大陸がごろりと転がる。香辛料の辛い香りが上昇気流になってアーバンの鼻孔をくすぐり、空腹を加速させた。
「……い、いただく」
本能に逆らえず、促されるまま、スプーンでひと口掬う。
たったひと口。
それだけで、この味の虜になった。
上昇した気流はやがて雲を生み出し、海を荒らすハリケーンとなる。
アーバンはまさに、ハリケーンが如き荒々しさで豆スープの海を平らげていく。不思議なことに、飲み下すごとに手足の隅々まで力が行き渡り、衰弱していた体に活力がみなぎってくるようだった。
「お前さん、あの〝大陸砂漠〟を越えてきたばかりだってな。あれはどんな体力バカでもかなり消耗するはずだ。このおれの料理を食えば、すぐさま復活する」
しゃべっている間に皿が空になった。
「おかわりだ!」
「慌てるな。用意はとうにできている。……いいか、お前が満足するまでイスを離れられると思うなよ?」
いつのまにやらカウンターの上には食器の軍勢が今か今かと出番を待っていた。豪華ではなく高価なものではないものの、豪勢であり豪気な料理の数々。
「のぞむところだ!」
これは施し施される関係ではない。
互いのプライドを懸けた、誇り高き対戦相手だった。
「あ、マスター、私はお水ちょうだい」
「何言ってやがる! アヤメちゃんも手伝え!」
「ええっ!?」
凄惨にして戦乱。
牛飲馬食。
乱痴気騒ぎの狂乱。
鬼に会うては鬼を喰い、仏に会うては仏を喰う。
めまぐるしく変化していく戦況が片っ端から消えていく。
だがそれも、永遠とは続かなかった。
「はあ、はあ……スプーンを持つ手が……上がらない」
「はあ、はあ……それは、お前の腹が満足したってことだぜ」
「俺の負けだ、マスター。こんなに食えたのはマスターの料理だったからだぜ」
「よもやおれのバトルクッキングの五奥義のうち三つ目まで使わされるとは思わなんだ。ここまでやったのは初めてだぜ」
熱い握手を交わす二人。それを横目に、アヤメは手伝いの疲労から、空になった器が所せ所狭しと並ぶカウンターに突っ伏していた。
「さあ、次はデザートだ」
「デザートは別腹だぜ!」
「まだ食べるの!?」
アヤメは戦慄した。
「ところでマスター、俺は金など持ってないんだが、支払いはどうすればいい?」
「金はいい。アヤメちゃんを助けてくれた礼と、お前さんへの歓迎を兼ねているのさ」
「そうか。なら安心だ」
と、水を一杯飲む。この一杯を遠慮なく飲み干した。
「二人はどういう関係なんだ? 親子じゃないよな」
「私のお姉ちゃんがお世話になってたみたいで、ついでに私もここに滞在する間、お世話になってるの」
「ああ。この町は……物騒だからな。十年前の事件でケチがついたのか、どんどん人がいなくなった。今じゃ、無法者が集まる有様さ」
物騒、という言葉に周囲にいた客の歓談が一瞬止まった。皆、見えない恐怖に慄いている。それは根が深く、町中を薄く粘つくように包み込んでいる。
「だからこそ、俺がやってきたんだ」
胸のバッジがきらりと光る。
保安官であることを示す、星形のバッジ。ニッケルでできたその重みは、正義を背負う重み。中央には「SPECIAL SHERIFF」と刻印されていた。
「保安官といっても、正式にこの町の保安官になったわけじゃないんだ」
「モグリってこと? そのバッジは手作り? 特別保安官なんて聞いたことないよ」
「本物さ。これは中央……セントラルシティで受け取ったものだ」
大陸の中央部、最も栄えている、位置的にも機能的にも国の中心といえる街がある。様々な人、物が行き交い、清も濁も合わせ飲む、自由の街セントラルシティ。アーバンが育った道場も、その郊外にあった。
「特別保安官。治安の良くない地域に派遣され、安定を図る保安官だ。試験的に導入を始め、俺が第一号なんだ」
「治安の悪い地域。なるほど、ここはまさにうってつけの場所だってわけだな。保安官はいない、支配するのはマフィア。彼らの機嫌ひとつで昨日生きていた奴が屍と化す……ここは地獄にほど近い町だ」
マスターは皮肉げに笑った。
「元々は保安官がいたというのは中央で聞いた。そいつはどうしたんだ? 逃げたのか?」
「殺されたのさ」
感情を殺したような声に、アーバンは押し黙るしかなかった。
「来て早々だが若い保安官よ、明日には中央に帰るといい」
「どういうことだ、マスター。俺にシッポ巻いて逃げろというのか?」
「ああそうだ」
間髪入れずに答えた。
「前の保安官、ロイスは俺の友達だったんだ。気のいい、まっすぐなバカだった。職務に忠実で、愚直すぎた。奴らに支配されたこの町を救おうと……しちまったんだ。俺が止めるのも聞かず、立ち向かい」
殺された。
そう、マスターは言った。
アヤメは下を向き、感情を押し殺す。
「わかるかい、保安官殿、そしてアヤメちゃん。俺はもう、友達を失いたくないんだ。死にに行くのを見たくない。止められなかったことを後悔したくないんだよ」
顔を上げたアヤメが言い返す。
「マスター、でも私は」
「お前の気持ちはわかる。だが、だからこそ、むざむざと殺されに行くのを黙って見ていられないんだ」
マスターの語るロイス保安官は腕に覚えがあり、悪を許さぬ正義の人だった。故にこそ、マフィアに牛耳られている現状を知って無視することはできなかった。
彼の実力を間近で見たマスターは、もしかしたら本当にやってのけるのでは、と期待した。
心の奥底で期待してしまった。
結局、丁々発止の説得は失敗に終わり、立ち向かっていった彼は二度と戻ってこなかった。
後悔に苦しんだ。
悔恨に責め立てられた。
「あんな思いはもうしたくない。お前の手足を折ってでも、止めてやるさ」
言葉だけでない、やると言ったら必ず実行するという強い意志が表れていた。
「一筋縄じゃいかないようだな」
アーバンはイスから立ち上がる。
「悪いが俺は保安官だ。巨悪がそばにいると知って、知らぬ顔でいることはできない」
「……やっぱり似てるよ、あいつとお前は。言って聞かねえなら、本当に折るしかないな」
「たとえ手足を折られても、俺は向かっていく。なぜならば……正義の心は折れないからだ!」
さっきまでの和やかな雰囲気ではない、剣呑な空気が流れる。
「ち、ちょっと、アーバン、マスター! なんでケンカになるのさ!?」
「口を出すな、アヤメ。マスターは見た目通りに強い。本気を出さなきゃどっちかが大ケガしかねん」
「こ、殺さないよね?」
その言葉には微笑みを返す。
「安心しろ。善良な市民を殺すことなんてしないさ。ましてや――友達は殺せない」
アーバンとマスター、二人の視線が交差する。アーバンは元より、マスターの気迫はただの酒場の店主には出せないもの。強者同士の競り合いだった。
「第二ラウンドの……始まりだ!」
互いにぶつかり合う、その瞬間。
ドカン、とドアが激しく開かれた。
「ご機嫌麗しゅう、皆の衆」
荒々しく入ってきたのは、縦にも横にも大きな……牛だった。