2.ニューウェーブタウン(1)
アーバンは夢を見ていた。
幼い頃の自分が泣きじゃくっている。
かたわらに、泥酔した実の父親。常にアルコールの臭いを漂わせ、赤ら顔で正体をなくしている。この時も相当飲んだのか、体を揺らしながらアーバンを見下ろしている。こういう時はいつもアーバンに暴力をふるっていた。泣いているのも拳あるいは蹴りがどこかに当たったからだろう。
どういう状況なのか詳細はわからないが、おそらく過去にあった出来事が夢として現れているのだと思った。心当たりがありすぎていつの頃かはっきりしない……いや、母親の姿が見当たらないところを見ると、庇うことを放棄するほど暴力が日常的になった時期、すなわちアーバンが家を追い出される少し前の頃だとわかった。
当てもなく彷徨い、生きることに絶望した果てにシルバに出会う前の記憶。
あらゆるものに怯え、理不尽に恭順していた、思い出したくない記憶。
この時も、何故殴られたのか思い出せない。食事の準備に手間取っただけかもしれない。いつもより起きるのが遅かっただけかもしれない。あることないこと難癖をつけ、アーバンを怒鳴り散らし当り散らすことを日課としていた。
「うるせえぞ、このガキ!」
ウィスキーの瓶が頭めがけて飛んでくる。
とめどなく溢れる涙で前が見えないが、瓶を見ることなく避けた。
この頃になると、暴力から身を守るための回避技能が極まりつつあった。何度も何度も何度も理不尽な攻撃に曝されたことで身に着けた反射神経。それは後に武芸へと昇華するのだが、この時は避けたことが気に入らなかった父親によってさらなる暴力が加えられることになる。
おもむろに取り出したのは拳銃だった。
その銃口をアーバンの眉間に合わせる。
(ああ、ダメだ)
「今」のアーバンは、撃ち殺されることはなかったと知っている。わざと外したのか、当たっても問題ないと判断したのかはわからないが、弾が体に当たらなかった。だが、それでも、自分に向けられた絶対的な暴力への恐怖は消えていない。目が離せず、背中を冷や汗が伝い、呼吸が乱れる。避けられるかどうかを考えることもできなくなるくらいに頭は混乱し、混迷する。
やがて、ゆっくりと、トリガーが引かれた。
BANG!
「うわあああああああああ!」
「きゃああああ!?」
「ぎゃあああああああああ!?」
アーバンが跳ね起きると、アヤメは持っていた皿を取りこぼす。器を離れ広がったアツアツのスープが、アーバンの体に降りかかった。
「あああ、ゴメン!」
「熱ッ! いいにおい! なんだこれは! 腹が焼けるのか腹が減るのか! 地獄の業火、まさに腹がヘル!」
「待って待って、今拭いてあげるから」
アヤメは素早く服をはぎ取り、濡れタオルを投げる。ひんやりとした肌触りに、スープのかかった腹部の熱が次第に収まっていく。
ようやく落ち着きを取り戻したことで、アーバンに周りを見る余裕が生まれた。
見慣れない室内。質素な調度品がわずかにある。それと自分が体を預けるベッド。民家のようだった。カーテンが閉まってない窓から、真っ暗な夜闇が見える。すでに太陽は沈んだ時刻だとわかった。
そして、今まさに業火を浴びせ、高速で服をはぎ取り、布で服のシミを落とそうと苦戦している人物がベッドの端に腰かけている。
この若い女は一体誰なのか、自分は何故こんなとこんなところにいるのか、次々と疑問が浮かぶ。
「だいぶうなされていたみたいだけど、大丈夫?」
女は顔だけをアーバンに向け、言う。その言葉で、ついさっきまで見ていた夢を思い出した。
思い出した記憶を見ていた。
忌まわしき、おぞましき過去。
父と酒と拳銃。
「あー……」
少しずつ記憶がはっきりとしてきた。砂漠を彷徨った果てに女と出会い、ガラの悪いチンピラを退治した。その際に酒をぶっかけられ、ぶっ倒れた……ところで記憶が終わっていた。
「さっきは助けてくれてありがと。約束通り、町まで連れて来たよ」
目の前の女と、出会った女が同一人物だと気付き、合点がいく。
「じゃあ、ここがニューウェーブタウンか」
過酷な〝大陸砂漠〟横断を乗り越え、ついに目的の地にやってきた。万感の思いが胸に去来するが、これがゴールではない。ここから始まるのだ。
「世話になったようだな。えっと」
「アヤメ。アヤメ・ムラサキよ、アーバン保安官」
ウィンクとともにアヤメは答えた。
「ここは君の家なのか?」
「いいえ。私は旅行者なの。酒場のマスターにお世話になってるのよ」
「ここは酒場か。どおりでさっきからいいにおいがすると思ったら。……とりあえず、まずはこの町について、それから町に巣食う悪党どもについて話を聞きたいんだが」
ぐう、と。アーバンの腹の虫が音をあげる。
アヤメはくすりと笑った。
「あは。私の方も聞きたいことがあるけど……お互い情報交換の前に、腹ごしらえにしない? マスターには話を通してあるから、下に行こう」
返却された服はシミが残り、スープの匂いが染みついていた。