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1.その名はアーバン(2)

 俗に言う”大陸砂漠”を西に進んでいくと、そびえ立つ荒涼とした山、シルバーマウンテンに行き着く。草木も生えない、赤茶けた山肌なのに「シルバー」とはこれいかに、と疑問を持つ者も多いだろう。その由来には、かつて山の裾にある町ニューウェーブタウンの繁栄に関わってくる。


 かつてこの山は、一粒の夢を求めてやってきた開拓者によって発見された名も無き山だった。手つかずの山を前に、数十人の開拓者たちが拠点を作り、山の開拓を進めていく。しかし掘り出されるのはありふれた金属や少しの石炭ばかり。資源としての価値は低く、金にならないものばかり。

 それでもあきらめず鉱道を広げ掘り続けたある日、山に流れ星が落ちた。驚いた鉱夫たちは現場に向かうも、落ちた形跡すら見あたらない。


 しかしそれを吉兆ととらえ、山に入り続ける。すると、今までめぼしいものが見つからなかったはずの鉱道から、銀がわんさか採れるようになった。

 隕石がどう作用したのか誰もわからなかったものの、銀が採れるという噂は瞬く間に人口に膾炙し、開拓者の拠点がにわかに活気出した。


 ゴールドラッシュならぬシルバーラッシュに沸く人々が集まり新たな時代を告げる町、ニューウェーブタウン。彼らは銀色の夢を見せる山を、シルバーマウンテンと呼んだ。

 今は昔の出来事である。



(今のこの町にニューウェーブなんて、まったく似合わないな)

 町の背後にそびえる山を眺め、その名の由来となるエピソードを思い出しながら女はため息をつく。


 彼女、アヤメ・ムラサキは海の向こうの島国からの旅行者だった。その出で立ちは故郷のそれを色濃く反映している。身を包む衣服は伝統的な着物で、ワンポイントに紫の花が刺繍されていた。裾は動きやすいように太股まで短く調整しているので、白く長い脚の露出が多い。しかしその脚は土埃にまみれていた。


「ようやく追いつめたぜぇ、ネェちゃんよ」

 下卑た声で、現実逃避に眺めていた山から目の前にいる二人の男へと視線を戻した。


 町の外、砂漠近くは建物が無く、代わりに隆起した岩が立ち並ぶ。

 岩山を背後に、アヤメは追いつめられていた。


「オレたちのことを嗅ぎ回るネズミめ、もう逃げられねえぜ」

「観念しやがれ!」


 下卑た笑いを浮かべるガンマン風の男と、それに追従するような細身の男の二人組。荒くれ者特有の剣呑な雰囲気はまともな人には近寄りがたい。腰のホルスターに収められている銃がいつ何の拍子に抜き放たれるかわかったものではない。


「……」

 大人の男でも涙を浮かべかねない状況にありながらも、アヤメは平時と変わらないでいる。それでも内心のおびえを隠しきれないのか、首からぶら下げた銀の十字架のペンダントを握る手が震えた。


「せっかくの上玉だがな、あいにくと殺せとの命令なんでな。残念だがオレたちはお前を殺すぜ、今からよ」

「アニキアニキ、なんなら少しくらい手を出しちゃってもいいんじゃないスか?」

「おーう、いいこと言うじゃねえかオレの子分はよ。よし、オレが言い出したんじゃんじゃねぇからな。何か問題あったら責任は全部お前にあるからな」

「え……?」

 目を見開く細身の男をよそに、下卑た笑顔の男は生唾を飲んで妙な手つきで近づいてくる。


 アヤメの肉体は、粗暴な獣の如き欲望をかき立てる程の魅力を持っていた。

 まず目に付くのは着物を大きく膨らませる驚異的な胸囲だった。手を突っ込もうものなら深き谷間へ吸い込まれること必至。二度と抜け出せない極楽の享楽が待っているに違いない。

 若く、まだあどけなさの残る顔立ちは少女のようだ。成熟した体とのアンバランスが色気を誘う。意志の強さを秘めた黒い瞳は、目の前の悪意に恐怖しているように見える。

 後ろ手に束ねられた、美しく艶やかな黒髪はここまでの逃走劇で砂埃にまみれていた。


 じりじり、と。

 一歩にじり寄られると、一歩後退する。

 じりじり詰め寄られ、繰り返していくと、やがて岩山にぶつかる。三方を阻まれ逃げ場はない。

 もはや退路はなく、命の、そして貞操の危機だった。


(どうしよう……。どうすればいい……)


 背を伝う冷や汗を感じながら、思案する。

 アヤメはこの窮地をしのげるかもしれない知恵を持っていた。だがそれは、運を天に任せるにはギャンブルが過ぎると分析する。


 かつて姉とともに旅をしていた時にも、幾度と無く修羅場に直面してきた。アヤメ自身の戦闘能力は高いわけではなく、姦計策略巡らせてようやく死線を潜り抜けてきた。


 男二人に力ずくで襲いかかられると、逃げ出すことは不可能に近い。自分でもよくわかっているし、男たちもそう思っているに違いない。


(だからこそ……そこに隙が生まれる……だよね)


 姉からプレゼントされた十字架を握りしめ、彼女のレクチャーを思い返す。


――あんたは弱い。腕っ節は弱いし頭も弱い。だけど、弱いからこそ生き残れるのさ。

「どうやって? 弱かったら負けちゃうじゃん」

――弱いことと勝ち負けは別さ。昔から言うだろ? 逃げるが勝ちって。強弱なんて関係ない。生きていれば……勝者なのさ。

「弱かったら、どうやって逃げるのさ。すぐやられちゃうよ」

――弱さを見せつけるんさ。泣いて媚びへつらって、自分が無力な存在だと思わせる。そこに油断が生まれる。慢心が生まれる。すなわち、隙ができる。正面切って戦おうとするんじゃなく、正々堂々弱者を演じてとっとととんずらしなさいな。

「ユリお姉ちゃんも逃げるの?」

――いや? あたしは正々堂々、裏から突き落とすのさ。……いいかい、アヤメ。あんたにいい言葉を教えてあげよう。

「なに?」

――『勝てば勝者(ウィナー)』。


 生き残れば勝者。戦わなければ生き残れない。


「ううううわああああああああああああああーん!!」

 ありったけの声量で、泣いて喚いて地団太を踏んで、足下の石を投げつける。


「な、なんだこいつ!? 気でも狂ったか!」


 恥も見聞もなく、喚き散らし、奇声を上げ、涙を浮かべ、足を踏みならす。

 姉の言葉を借りるならば、「弱者を演じた」のだ。

 女は下に敷くものとしか考えていないような、下劣な男の思考につけ込んだこの作戦は必ずや油断を引き出せる。

 そう確信していたのだが。


「お、オレ、泣く女ってそそるんスよね……ちょっと本気になっていいスか?」

「お前、ええ……?」

 細身の男の発言に、さしもの下卑た笑みがひきつっていた。


(ええ……?)

 油断を誘うこの作戦、確かに効き目はあった。だが、効果がありすぎて逆にその気にさせてしまった!


 本末転倒。油断どころか付け入る隙の一つもなくなった。


(どうするどうする……考えるのよ、私)


 取り乱したフリをしながら、冷静な頭をさらにクールに回転させる。思考を止めた途端、訪れるのは死の運命のみ。その前に死と同等の辱めを受けること必至。まだ十八歳、うら若き乙女のアヤメにとって、こんなところで恥辱にまみれて死を迎えるおぞましき終わりなど耐えられようはずもない。


(やるしかない……よね)

 切るべき時に切るから切り札。

 状況を切り拓く、切り札。


(タネシマを……使う)


 かつて姉に護身用として渡された、小型の拳銃タネシマ。アヤメの手に収まる小さな銃だが、至近距離なら十分な威力を持つ。その銃は今、彼女の胸の谷間に隠し持っている。


(どっちか片方は確実に倒せる。でも、もう片方は……)


 単発式の銃なので、一発撃つと再装填が必要。 その時間はあまりにも無防備。

攻撃の手段があるとわかれば、遊びに費やす余裕などかなぐり捨てて、アヤメの殺害を優先させるだろう。同時に二人を無力化できる方法が思いつかない以上、タネシマを使ったとしても逃げ延びる確率はさほど変わらないのだった。


(それでも、やらないよりは……マシ!)

 覚悟を決め、祈りをささげる。対象は信仰する神ではなく、信望する姉。


 胸に手を突っ込んだ瞬間――


――からり、と。


 石礫が落ちてきた。


 からりからりと、その数は増えていく。岩山の上から転がってくる石ころは自然に降ってきたものではない。男たちも気になったのか、アヤメから視線を外し上を仰ぐ。


 アヤメも振り返った。


 斜面を転がるひときわ大きな岩、いや、岩石にしては形が歪だった。細長く、転がるたびに微妙に形が変わる。妙な弾力で、変な跳ね方をした。


「……って、人!?」


 よくよく観察すれば、それが人の体だということがわかった。ごろごろと重力に従い、慣性に則り、転がり落ちてくる。その先は当然、


「ぐえええっ!」

 逃げずに突っ立っていたアヤメの上に墜落した。蛙が潰れたような悲鳴を上げ、もつれて倒れ込んだ。


 痛みに呻き、覆いかぶさる重い体が生者なのか死者なのか、わからない状態だった。 ぼそぼそと、小さな声が聞こえる。


「水を……くれないか」


 男の声が、圧し掛かる人物から発せられた。とりあえず生きているようで、胸を撫で下ろす。

「いろいろと言いたいことがあるんだけど、まずはそこをどいてくれないかな!」

「居心地のいい柔らかいクッションだが、持ち主がそう言うならどこうではないか」

 アヤメの切なる声に応えたのか、ずるりと体を滑り落とす。そこでようやく男の姿を確認できた。


 若い男だった。アヤメとそう歳の変わらない、二十歳前後だろうか。砂避けのマントに体を包み、カウボーイ風の出で立ち。テンガロンハットは泥だらけ。着古したチョッキ。よく見かけるような、ガンマンスタイルだった。


「砂漠を歩いてきて……喉がカラカラなんだ。水があれば分けてくれ」

 顔は土気色、衰弱している。

「生憎だけど、水は持ってないわ。町まで行けば飲ませてくれるところに心当たりはあるけど、今はちょっと……」

「町!」

 男が目を見開いて顔を上げた。


「それはニューウェーブタウンか?」

「え、ええ。そうだけど」

「ようやくたどり着いたか……! 歩けど歩けど見渡す限りの砂と岩。”大陸砂漠”を舐めていた。砂嵐から逃げ回ってついには水も食料も尽き果て、最後の手段として岩山に登って方角だけでも確認しようも見る影なし。運悪く足を滑らせて落っこちてみれば、町を知っている人と出会えたではないか! さあ、今すぐ行こう!」

「や、そうしたいのはやまやまなんだけど……」

 男は体を跳ね起こし、アヤメの手を取って歩き出そうとする。


「水が欲しいのか。ならばくれてやる」

 揚々と立ち上がった男の頭上から、水がぶっかけられた。無色透明だが、頭がくらくらするような匂いが立ち込める。


「水は水でも……ラム酒だがなぁ!」


 下卑た男は空っぽになった瓶を投げ捨てると、岩に当たって砕け散った。

「兄ちゃんよう、オレたちは今お取込み中なんだ。水はくれてやったんだからさっさと消えてくれねえかな」


 テンガロンハットからぽたぽたと雫が垂れ、足元にわずかばかりの水溜りを作った。


 にわかに緊張が走る。


「ハッハア!」

 手下が一歩進み出て、ガンマン風の男の顔面に殴り掛かった。が、その拳は空を切ることになる。


 ふわり、と。


 砂避けマントが地面に舞い降りた。


 マントの持ち主たる彼は、煙のように姿が掻き消えた。いかなる手品かまやかしか、かかって行った男も訳が分からず、呆気にとられ空振りした拳を見つめる。


「俺は町に行きたいんだ。邪魔をするな」

 声はアヤメの真横から聞こえた。驚き、そこでようやく男の全身を確認できた。


 ウェスタンシャツにジーンズ、ボロボロのブーツ。腰にはガンマンの証し、革のホルスター。金属製のバックルは使い込まれているのか、色がくすんでいる。ごくごく普通の、この地域のガンマンとして珍しくもない格好だった。

 だが、彼のことを普通の青年、普通のガンマンとカテゴライズするのは無理があった。

 シャツの袖は両腕共に肘で破れている。そこから伸びる筋肉質の腕、間接の辺りに銀色にきらめく金属のプロテクターを装着している。


 そして、この場にいる誰もが注目する、胸で燦然と輝く星形のバッジ。


「それはまさか……」

「てめえ、保安官(シェリフ)か!?」


 男たちは狼狽する。アヤメも驚きを隠せなかった。ニューウェーブタウンの保安官は、彼女がやってきた時にはすでにいなくなっていたと聞いていた。だからこそ、無法の輩が闊歩しているのだ。


「俺の名はアーバン・クロサイト! ニューウェーブタウンの新たな保安官だ。よろしく!」


 腕を組み力強く高らかに名乗りを上げる。保安官の誇りを謳う、正義と勇気の宣言だった。


「そ、そんな話聞いてねえぞ!」

「あ、兄貴、どうしましょう!」

 彼らのようなチンピラが幅を利かせていられたのは、公正な機関が存在せず、取り締まられる恐れが一切なかったからだ。純正たる保安官がやってきたとなれば、これまでのように組織の恐怖を後ろ盾に好き勝手できなくなる。


「……んなわけねえだろうが! よく見ろ!」

「え……? ああッ!」


 下卑た男ががなり立てると、手下もすぐに真意がわかった。


 本来ガンマンの魂とも言うべき銃が収まっているはずのホルスター。そこには何も差さっていなかった。悪に裁きを与える鉛弾がなかった。アヤメのように銃を隠している風でもなく、正真正銘の徒手空拳。文字通りの丸腰だった。


「おいおい、ゴッコ遊びだって細かいところにこだわるぞ。おウチに忘れてきたのか? ママに届けてもらったらどうだ。遊びなら……よそでやりな!」

 手下の男が腰に吊ったリボルバーに手を伸ばす。


 すると、一陣の風が通り抜けた。


「ぐへえあ!」

 男は血を吐ききりもみ回転しながら吹っ飛んだ。


「俺は拳銃を忘れてきたわけじゃない。初めから必要ないだけだ。だが、鉄砲は持ってるんだぜ。飛び切りのすげえ奴をな」


 保安官アーバンは、さっきまで男が立っていた場所に、肘を突き出して佇んでいた。さながら槍で貫くように。


「鉄砲は鉄砲でも……肘鉄砲だがなあああああああああー!!」


「な、何いいぃ!?」


 肘鉄砲を打ち込まれた……いや、撃ちこまれた男はぴくりとも動かない。射撃よりも速く、銃弾よりも強い。必殺の一撃、肘鉄砲! 拳銃を持たないことのハンデを埋めるどころか、立派に対抗しうる武器だった。


「や、野郎、やりやがったな! ファミリーに手を出しやがったな!」

 下卑た男に笑いはなかった。手下がやられたこと、組織の看板に泥を塗られたことで激昂し、銃を引き抜く。


 が、その手は蹴りあげられ、銃は放物線を描いて上空へと飛んで行った。


「お、お前、オレが誰だか知ってるのか? オレに手を出したらファミリーに喧嘩を売ることになるんだぜ? ドンが黙っちゃいないんだぜ!」

 痛む腕を押さえ、情けない声を出して言う。


「お前が誰かは知らないし、黒幕がいるならそいつも倒すだけだ。なぜなら……」

「な、なぜなら?」

「悪に栄えた試しなし! 俺が終止符を撃ってやるんだからよ……この肘でなああああああああ!!」


 プロテクターが照り返す銀色の肘が男の顔にめり込む。勢いは男の体を持ち上げ、中空へと持ち上げ、もんどりうつ。ぐしゃりと地へ落ちて、二つの憐れな躯が重なった。いずれ獣が群がり、処理するだろう。悪党にふさわしい末路だった。


「……すごい」


 あまりにも圧倒的な強さに、アヤメは絶句する。あっという間に――回転草が視界に入って、外に出る間に――二人もの荒くれ者どもを打ちのめした。


 いや、撃ちのめした。


 銃を使わず、肘鉄砲を使う保安官、アーバン・クロサイト。

 ニューウェーブタウンの新たな保安官だという男。

 この無法の町での救世主たりえるか。


 その可能性を感じ、アヤメの胸にいいようのない震えが生まれた。

 もしかすると……


(もしかすると、この人なら――)


 わずかに芽生えたこの感情は、危機を乗り越えたことによる一時的なハイテンションなのか、それとも神が与えたもうた運命の啓示なのか。


「あ、あの、あなた!」

 肘を突き出したまま動かないでいる彼に声をかけた。その途端、アーバンの体はゆっくりと傾き、地面に倒れた。


「え、ちょっと!?」

 見えなかっただけでケガをしていたのか? 慌てて駆け寄る。外傷はないが、呼吸が荒い。体が熱く、うわ言のようにか細い声が漏れた。


「酒は……キライなんだ……」

「……」


 首まで真っ赤に染まり、目を回してそのまま寝息を立て始めた。

 ぶっかけられた酒で酔っただけのようだった。

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