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1.その名はアーバン(1)

 この頃師匠の体調が思わしくない。


「師匠が倒れられて三日。早く良くなってくれるといいが」

 アーバン・クロサイトが師事する師シルバ・アージーは、数か月前から床に臥せることが多くなり、三日前からは床から出ることもままならない程に衰弱してしまった。四十五歳とまだ老衰という歳ではなく、よくない病なのかと往診に来るドクターに尋ねても、はっきりとした原因はわからないと言葉を濁すばかり。不安が募っていく。


「だが、これを飲めばたちまち元気になるだろう」

 赤い液体で満たされた瓶を抱えている。ドクターに頼んで外国から取り寄せてもらったトマトジュースで、通常のものよりも赤色が強く、栄養も豊富だという。これを飲んでいるので、師匠はすぐに良くなるはずだ。


 幼い頃よりシルバの下で育って五年、十五歳となった今、実の親よりも親らしくしてくれる彼のことを父のように慕うも、恩を返せる機会がなかなか訪れない。ならばせめて、早く元気になってもらうためにどんなことでもやるのが弟子である自分の務めだ。


「しかしロディの奴、どこへ行ったんだ。今日の修行メニューも話し合わねばならんというのに」

 アーバンと同い年の兄弟弟子、ロディ。互いに切磋琢磨し技を競い合い、共に育ってきた。まだまだ未熟な二人。立派に成長し師匠を超えることが、最大の恩返しになるに違いない。その時を師匠には見届けてもらわなくてはならない。


「師匠、入りますよ」

 シルバが休む部屋のドアに手を掛けると、中から声が聞こえてきた。他に誰かがいるようだ。

 よくよく聞くと、それがロディだということがわかった。

 ここにいたのか。ちょうどいい。師匠を交えて今後の修行について論じよう。


 だがしかし。


 そんな思いを嘲笑うかのように、運命は彼の望まぬ方へと転がっていくことになる。


 ドアを開けた瞬間、空気が爆ぜる音が轟いた。


「!?」


 鼓膜が震え、耳を覆う。

 頭で考えるよりも先に部屋へ入り、何が起きたのか探ろうとした。


 奥にあるベッド。普段シルバが使っているベッド。その前に人が立っている。


 見慣れた人影、ロディだった。

 ロディは伸ばしていた腕を下ろす。手には鈍く光る塊――拳銃が握られていた。


「ロディ……?」

「来たか、アーバン」


 ロディが振り向く。

 金の短髪に、青い瞳を覆うサングラス。いつもと変わらないスタイル。その変わらなさが、逆に不気味だった。


 体勢がずれたことで、ベッドの上が見えるようになった。


 力なく横たわるシルバに生気はない。その体が、さらさらと崩れていく。

 まるで砂のように、シルバだった者の肉体が、白い灰のように崩壊していく。


 何が起きているのかわからず、放心。持っていた瓶が落ち、割れた。トマトジュースの水溜りが足元に出来上がる。


 にわかには信じられない。

 目を疑う。

 現実を疑う。

 そこには、確かに師匠がいた。でも今はもういない。煙のように立ち消えた? あるいは砂岩のように瓦解した? 


「う……うおおおおおおおおああああああッ!!」


 それは確かに師匠の顔であり、目を閉じても思い浮かべられるほどに見慣れた、親のように慕うシルバの顔だった。それが、一瞬のうちに肌が白化し、自重に耐えきれず、崩れた。


 人の体が! 砂でできた城のように……砕け散ったのだ!


「脆いもんだな、人間なんてものは。あれだけ強かった師匠もこうなっちゃあ、二度と動き出すことはない」


 ロディは静かに言う。師匠の消失を目の当たりにしているというのに、何も感じていないような、凪のような言い方だった。


「それにしても、これはいいもんだな。初めて使ったが、こうも簡単に人を殺せる。今まで修行してきたことがバカみたいだ」


 荘厳な装飾を施された銀色の拳銃をくるくると手で弄ぶ。


「……ロディ、お前かッ! お前がやったのか! 何のつもりだ!?」


 悲しみに先立つ困惑、怒り。激情でもってロディに詰め寄る。


 二度、空気が爆ぜた。


「う、があああああーッ!!」


 両腕が吹き飛んだような激痛に、膝から崩れ落ちた。


「……お前の両腕は破壊した。もう使い物になるまい」


 なんでもないように、何事もなかったように、日常の延長とでもいうように、アーバンの肘を撃った。悪意もなく殺意もなく、共に育ったことへの情けも一切なかった。


「確かに師匠は強い。強かった。そしてお前も強い。認めるよ。オレはお前の強さに嫉妬していた。だが……」


 倒れたアーバンを避け、ドアに手をかけ、振り向かず……笑った。


「鉄砲はもっと強い」


 ロディは部屋を出て行く。それをただ睨み付けることしかできない。


 無力。

 非力。

 ああ無能。

 怒りを込めて腕を叩きつけようにも動かせない。


「ぐう……ッ!」


 残ったのはアーバンと師匠だったものの残骸。

 苦痛。悲しみ。疑問。様々な感情の奔流に飲みこまれていく。


「……ふざけるな」


 それらは涙とともに、血とともに体から流れていく。


「ふざけるな。こんな……わけのわからんままでいられるか! 俺は! 必ず貴様の前に立つぞ! 必ずお前を殺してやる! 師匠の無念は俺が晴らすッ! ロディぃぃぃッ!!」


 体内からすべてのものを放出したように空っぽになった体にただひとつ、復讐心のみが心の奥底を焦げ付かせている。すでに力の入らない体は黒い感情だけを原動力にして立ちあがる。


 奴をこの手で殺すまでは死ぬわけにはいかぬ。

 それは、生半可な気持ちでは通れない修羅の道。

 それは、自らを省みない鬼の道。

 血と硝煙とトマトジュースの匂いが満ちる中、固く決意した。




「ふむ。これでしばらくすれば普通に動かせるようになるじゃろう」

「…………」


 治療が終わったばかりの両腕は包帯が巻かれ、固定されていた。動かそうとしてもぴくりとも動かない。


 重傷を負いながらも這いつくばってドクターの下へ駆け込み、意識を失った。血まみれのアーバンを見て、事情を把握するよりも早くすぐさま治療を行った判断の速さは名医の証しだ。寝ずの治療の甲斐あって数日間目を覚まさなかったアーバンが意識を取り戻し、ドクターの厳命により絶対安静を言い渡され、ようやく彼が動くことを許可される頃には事件からひと月経過していた。


「両肘に撃ちこまれた弾丸は、複雑に骨を破壊し内部に留まったままじゃ。下手に取り除こうものなら神経を傷付けかねん。幸いにも、そのままでも生活に支障はないはずじゃ」

 手を握ったり開いたりを繰り返してしてみる。問題なく動いた。


「ありがとうございます、ドクター。それで、いつになったら外に出られますか? 俺にはやるべきことがあるんです」

「ひとつ。ひとつだけ心得ておけ、アーバンよ」

 ドクターは静かに言った。


「お前はもう戦えない」


「…………」


「動かせる、というのは、肘にサポーターを取り付けたらという話じゃ。日常生活においては不自由はないものを用意してやろう。ただな、戦闘のような激しい負担には耐えられんよ。特にお前の、お前さんらの戦闘術――無銃(ムガン)流――の戦い方ではサポーターも持たないし肘も耐えられない」

「耐えられ……ない」


 両手に目を落とす。戦えなくなるということは、これまで高めてきた戦闘技術の全てを失うことを意味する。修行の日々を全否定することを意味する。そして、復讐を成し遂げる力を失うことを意味する。


「俺は……まだ戦わなければならないんです。奴をこの手で葬るまで……師匠の仇を取らねばならないのです!」


 すがるような目でドクターを見る。満足に腕が動いていたなら、白衣に掴みかかっていた。今の腕は包帯で固定され、ぎしりと骨が軋む音がするだけだった。


「……ロディか。あいつは一体何を考えていたのか」

「師匠の無念は俺が晴らす。兄弟弟子の不始末は俺が片を付ける。ドクター! そのために、俺に力をくれ! あいつを裁く力を! 復讐を成し遂げる力を!」


 怒り、憎しみ。アーバンが痛みを忘れていられるのは渦巻く激情によるものだった。激しい感情のうねりが師を失った悲しみから目を背け、前へ進む活力を生み出している。


「…………」

 ドクターには、アーバンが進もうとしている道が正しいものかわからなかった。だからこそ、答えあぐねている。


「ドクター!」


 長い、長い沈黙。


 やがて、ドクターが沈黙を破った。

「…………わかった。お前を信じよう」


 戦いのみを求めるような凶戦士に堕ちる恐れがある。あるいは力に溺れ、破滅の道を進むことになりかねない。だけれども、アーバンを信じてみる。シルバの意志を受け継ぐ彼を信じてみることにした。


「肘に付けるサポーターは、あくまで肘の動きをサポートする器具だ。それを、戦闘用のプロテクターへと変更する。戦闘に耐えうる強固かつ柔軟な金属ならば、お前の戦いについていけるどころか、戦闘力をアップさせることになるだろう」

「金属とは?」

(シルバー)、じゃ」


 奇しくも師匠と同じ名を持つ金属。


 これよりアーバンは師匠の無念を背負いリハビリに臨むことになる。同時に、ロディを倒す力を身に付けなければならない。修行中に幾度となく拳を合わせたが、二人の実力はほぼ互角だった。

 アーバンは肘にハンデを負い、ロディは無銃(ムガン)流を抜けたことでどんなスタイルで戦うのか予想もつかない。だがしかし、だからこそ、アーバンは無銃(ムガン)流をさらに極めて討ち取らなくてはならない。


 無銃(ムガン)流最後の使い手として。

 それが師シルバへの手向けになると信じて。

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