第五話 迷子
「はぁぁ……」
陽気が満ちた昼下がり。
帝都のギルドの一つ《蒼の双星》でため息が吐かれた。
その主は椅子の背もたれに顎を抱えてもたれ掛かる長い青髪の美女──団長アンナ・ハリスである。
そしてその隣には赤髪の剣士──レオナルド・ラギアンが半眼で彼女を見据えていた。
「いきなりどうしたんだ、ため息なんてついて」
「めんどい」
「はぁ…?」
詳しく聞いてみると、アディン達に帝都の案内をするのが億劫だということであった。
彼女の様子にレオも嘆息一つ。
「自分で言ったことだろうが。果たせよ」
「そうは言ってもねぇ…」
曰く、いつもの日向ぼっこの時間が奪われる。
曰く、勝手に歩かせれば勝手に覚える。
曰く、どうせ帝都に生まれ育ってる。
挙げ句の果てにレオ一人でやれとまで言ってきていた。
「お前なぁ…、流石に俺でも殴るぞ?」
「殴れば?、治るし」
「はぁ………、三人呼んでくる。支度しとけよ」
「えぇー……?」
埒があかないと、憂鬱を隠さないアンナを無視し席を立ち、声を張り上げて子ども達を呼んだ。
数分後、彼らは外行きの格好をしてレオの前に整列していた。
ジャスミンの従順振りが怖いくらいである。
「おいアンナ、行くぞ」
「………」
「オラ」
「はいはい、……もぅ、わかったわよぉ~~」
渋々といった表情でのさりのさりと立ち上がる。
「さて、さぁ、張り切っていくわよぉ!」
「「「おーー!」」」
「はぁ……」
様子を豹変させたアンナに、ため息の尽きないレオであった。
■■■■■
「ここが私達御用達の武器屋、よっ!」
「お~~~!」
「冷やかしなら変えれよ~」
まず始めに立ち寄ったのが、完全に顔馴染みの武器屋であった。名を《ドワーフの穴蔵》。ネーミングセンスが皆無の主人である。因みに彼は『炭鉱族』ではない。
「次はここ、私達御用達の飲食店、よっ!」
「いらっしゃ──」
「ごめん、もう食べてるから」
「いません?」
名を《ピクシー行きつけ店帝都西部支店》。ただの有名店である。従業員はピクシー──小人族しかおらず、彼らは同胞かどうか何故か判断できるため『凡人族』の子どもが勤めていることはない。小さい姿がバタバタとしている様子が微笑ましく、手先も器用で文句なしに旨いため人気となっている。
「はいここ!」
「あっ!、アンナさんじゃないですかー。試着します?」
名を《ファシネイン》。たった一人で店を切り盛りするキャサリンのセンスは鋭く、奨められた試着を頼むと高確率で満足するものを選んでくれるというものだ。
「というよりアンナさん、いい服があるんですよ。ちょっとファッションショーしてください」
「もう、仕方ないわねぇ」
色とりどりの衣服をもってアンナを試着室に誘うこと三○分、ようやく通りに姿を現した彼女の相貌は満面の笑顔に彩られていた。
気ままに歩き時間が刻々と過ぎていった頃。
ふとレオが口を開いた。
「あぁ?、おいアンナ、アディンはどこだ?」
「はぁ?、ついてきてるでしょう?」
その返答にレオは再度辺りを見渡すも……
「どこにも見当たらないが…」
困惑気な彼の様子にアンナはハッと肩を揺らして目を閉じた。
「………魔力にも反応がない、レオ!」
「ああ、お前は二人を、俺はあいつを探してくる!」
「大丈夫だと思うけど急いでね!」
「わーってるよ!」
最低限のやり取りを済ませるとすぐに駆け出していった。
突然の出来事に未だ概要が掴めないジャスミン達二人はお互い顔を見合せ、首を傾げていた。
帝都で人拐いなど容易にできるものではない。
彼女の兄が統治するこの帝都には警備団に加え彼の私兵である皇帝直属のギルドがある。数人はそれぞれの任務に就いているだろうが残りは常駐組と巡回組に別れている筈だ。
そんな治安維持が行われるこの場所で人拐いなど行えば、忽ち検挙されご用となる。
しかし、アディンが拐われる心当たりが無いでもないのだ。
アンナの脳裏に一抹の不安が過った。
「無事、よね…?」
人知れず、そう呟くほどに。
その頃のアディンは。
「みんなどこ行ったんだろ。……まあいいか」
絶賛迷子中だった。
■■■■■
僕はアディン・ネルヴァ。
今、家族である黒猫のクロと一緒に帝都の何処かを歩いている。
実は最近入ったギルドの人に連れられて来たのだけれど、既に彼らの姿は無く、僕は自分が迷子になったのだと自覚した。
前に厄介になっていたお婆さんの家の近くなら分かるけど、今歩いているここの風景は見覚えが一切ない。
何とかなるだろうと思うものの、唯一の不安要素が人の姿が見えないことであった。
クロに探してきてもらうことも考えたけれど、どうせその後にははぐれてしまうのは予想がつくので止めた。
もう考えても仕方ないと気ままに歩いているときだった。
このとき、声を出してしまったのが失敗だったのだろう。
「いやっ、離して、離してくださいっ!!」
「あ………」
通りかかった路地裏でそんな声が聞こえてきて、不意に口から音が洩れてしまったのだ。
やらかしたと気づいたときには既に複数の目がこちらを見ていた。
(うわぁ……)
ギラギラとした眼光を向けてくる五人の男達。
今まさに犯行の瞬間を目撃してしまっただろうというのは僕にでもわかることだった。
「ちっ、ガキだが仕方ねぇ。殺るか」
そして、既に殺す算段をつけているらしい。
(怖い…)
大人の男の睨みというものは、僕を萎縮させるには十分過ぎるもので、襲われている女の人には申し訳無いけれど、僕はすぐに走り去った。
このまま見逃してくれればいい、そう淡い期待を抱いていた。
でも、現実はそう甘くはない。
「待てやオラぁぁっ!」
必死で逃げる僕に比べて格段に速い男がすぐ後ろに迫っていた。
四の五の言ってられず、そこからはがむしゃらに逃げた。
気づいたときは時既に遅し、袋小路に追い込まれ壁に背中を向けて、こちらにゆったりとした足取りで男が向かってくる恐怖に、歯を食い縛っていた。
「よく見たら刀も持ってるじゃねぇか。旨い殺しだ」
嗜虐的な笑みを浮かべ男が剣を抜く。
独特な金属音に当てられ、冷たいものが背中を伝う。
一歩一歩が踏みしめる土音さえ、今は身を縮めるのに十分だ。
異常に高まる脈拍に段々と頭まで痛みを覚えてくる。
どうにもならない。
男の隣を抜けることはできないだろう。
幾つもの希望を想定しても、そのどれもが失敗に終わる。
ここまで追い詰められたら仕方がない。
誰も責めないはず。
どうして忌諱するのかは記憶ない。
けれど今まで一度も使うことがなかった左腰の片手刀。
それを、抜く。
「あぁん?……へっ、いっちょ前に刀なんて握りやがって。上げて下ろすんだぞ~?──はははははっっ!」
何を笑おうが知ったこっちゃない。
お前を殺す刀だ。
誰も見ていない。
誰も知らない。
ここで僕が誰を殺そうとも、咎める者はいないのだ。
「【我が身を喰らえ】」
このとき僕は、人を殺すという忌むべき行為についてどういうわけか考えてもいなかった。
だからだろうか。
突然目の前に現れた人間を見て、一瞬思ってしまった。
邪魔が入った、と。