序幕
よくある異世界ファンタジーですが、よろしくお願いします。
「それが本当なら、私は王族として民を守る義務がある」
ぼんやりとした意識の中で、声が、ハッキリと聞こえた。
「……構わない。私はいずれ父上の跡を継ぎ、この大陸を治めるのだから」
凛とした声は、大好きな姉に似ていた。意志の強さを響かせる声の強さが、大好きな兄さんに似ていた。けれど思い出した途端、誰のことを思い出したのか混濁した意識の中に消えていった。このまま何もかも無くなっていくのだろうか。
――――――――――いや、だ。
消えたくない。消したくない。でももう、意識が遠くに引きずられていく。お願い、消さないで。消えないで…
ふわりとそよ風が心地良い。木漏れ日が程よく昼下がりの眩しい日差しを遮り、暖かさだけを少年に届けていた。少年は小鳥のさえずりや木々の奏でる静かな葉音に耳を傾けながら、微睡んでいた意識を無理やり戻して舌打ちをする。昼寝には最高の場所だったのに、見た夢が最悪だった。覚えてはいないが、爽やかな目覚めには程遠い。やはり、1人で寝るといつもこうだ。少年は再び瞳を閉じて深く息を吐く。まだ眠気がある。眠りたい。だがまた夢見が悪かったら嫌だな。そう思うとまた深く息を吐いた。落ち着いていたのに、最近になって復活した不眠症に辟易していた。
「ミサトー?ミーサートー!!」
「……リナか?」
少年は自分を呼ぶ声にむくりと上体を起こして下に目線を向けた。太陽の光を受けて、サファイア色の髪が淡いアクアマリンへと輝きを変える。その美しさに思わず目を細める。
「…どうした?」
「あら、そんな所で寝たら落ちて怪我するわよ?」
「どこで寝ようが俺の勝手だろ」
ふわ…っと小さくあくびをしながら頭を掻き大きな木の枝の上で胡座をする少年――ミサトに、青髪の少女は呆れたように腰に手を当てて立ち直した。
「折角の美少女が台無しのあくびね」
「…殺すぞ、テメェ」
「ヤダこわーい」
少女はからかうように言うと、タンッと大地を蹴り、身軽にジャンプしてミサトの隣へと着地する。一般人には出来ないことでも彼女にはなんら問題のないことだった。
「……精霊と契約出来るってのはそういう時便利でいいな」
「まーねー。あら、なかなかいい眺めじゃない。城も見えるし城下町も見渡せる。こんな丘があったのね」
「お前、一応この国の王女だろう。地理ぐらいちゃんと知っとけよ」
「城下町からはあまりでないから仕方ないじゃない?」
「……それもそうか」
少女――リナはクスクスと笑う。リナはこの国の第1王位継承権を持つ王女だ。なのにこの目の前にいる少年はかしずく事も機嫌取りもしない。昔からずっと変わらずにいてくれる。それがリナにはとてもありがたかった。本人の性格もそうなのだが堅苦しいのはあまり好きじゃない。人目や世間の目があるので立場的に『そう振る舞わないといけない』が、それがかなりストレスが溜まる。根本的に、恐らく自分は王族の生活が性にあわない。今だってこうして偶に息抜きに城を抜け出して城下町を散歩する。行きつけの喫茶店に行けば『ミサト君もさっきまで来てましたよ』と女主人に言われた。父上からの言伝もあったことを思い出し、ついでに探すかとまた城下町を探索する。リナなら、一言『命令』すれば誰でも言うことを聞く。だがそれは本人もしたくないことなのでやりはしない。どうせ残り少ない自由な時間を、楽しく過ごしたいのだ。
ミサトは、そんなリナの心情を知ってか知らずか、飾らない。疑問に思えば言い返すし、気に食わなければやり返す。それがたとえ相手が王女であっても、だ。それがたまらなく好きなのだ。
「ところで、なんで俺を探してた?」
「あらヤダ、忘れてた。父様がミサトのこと探してたわよ?」
「陛下が?」
「えぇ。多分、予言の件じゃないかしら」
「……あぁ。あれか」
「この世界の大きな事柄を記したと言われる予言の書……確かにその通りのことが起き始めているわ」
「4大王と、その後継者だけが閲覧を許されてるんだろ?」
「というか、そのレプリカが父様の書庫にあるのよ。鍵穴のない本で施錠されててね。合言葉を言えば鍵が解除されて読めるの。まぁ、それでも古代文字が読めないと読めないけどね」
「読み終わったら鍵はどうすんだ?合言葉言うのか?」
「いいえ。オートロック」
「なんでそこだけ現代的なんだよ…」
「さぁ?設計した人に聞いてちょうだい?歴史上の人物だけど」
東に傾き始めた陰を見ながらリナが大きく伸びをして、腰掛けた。ゆっくりとその体を預けるようにミサトへと寄りかかってみれば、ミサトは当たり前のようにその肩へと腕を回して抱き支える。リナはミサトの整った顔を見上げた。黙っていれば誰がどう見ても美少女という。それがミサトの最大のコンプレックスだが、それを抜きにしても美しいと思う。
(この世界で唯一の真紅の瞳……吸い込まれそうな赤い瞳)
「……ねぇ、ミサト」
「……あ?」
「好きよ…?」
「………」
「あなたが好きよ」
一目でその美しさに心を奪われた。子供ながらに、これは最初で最後の恋だと思った。
「知ってる」
「あなたは?」
「そんなの決まってる。愛してる」
そっと頬を撫でる手に、甘えるように瞳をとざせば、唇に触れるだけのキスが舞い降りる。見た目の通りの美しい心を持った少年に、少女は一目で恋に落ちたのだ。
同じことの繰り返しだ。それが人生だ。別に不満はない……いやあるか。
「……はぁ」
女は1人ため息をつく。好きだと自覚して告白し、玉砕して2年。それでも思いは消えず、諦めることが出来なかった彼女は連絡を取り続け、ランチに行ったり海に誘われればタイミングが合えば必ず行っていた。
飼っている猫に餌を上げ、スマホを見れば彼からのメッセージ。先程の返事だ。それだけでも嬉しい。たとえ内容が『おやすみ』だけでも。それが恋というやつで、厄介なものである。
「振られてからもっと親しくなるってどうよ」
猫に向かっていえばニャーと鳴くだけ。それに再びため息をつく。女は布団に潜って目を閉じた。猫が枕元で丸くなる。おまえだけだよ、あたしを好きでいてくれるのは。なんてことを言いながら仕事で疲れた体を休ませる為に深い眠りに落ちていった。
どこか懐かしさのある神殿に、気づいたら立っていた。夢か?そう思って周りを見渡すと不意に抱きしめられた。
「ここにいたのか、テラ」
「ここが好きなんだ。君もだろ?ルーシー」
体が勝手に動き、そう話した。知らぬ者の名を口がつむぎ、相手も知らぬ名を呼んだ。
「…やっぱり、行くの?」
「……ああ。終わらせにな」
「あの子は君が大好きだから、暫くはずっと泣くんだろうね」
「…テラ」
「行ったらダメだ!……私の夢はよく当たる…!」
「だからこそ、行かないといけない。でないとこの戦争は終わらない」
「…君が死ぬなんて、たえられない」
ポロポロと溢れる涙を相手が拭う。祈るように頬を包み、額に口付ける。
「……こんな私でも生まれ変われるのなら、また君を愛する。私は君以外愛せないから」
「……っ」
「泣かないで、なんて言わないよ。でも、笑顔でいて」
「…ルーシー」
「私達の出会いは奇跡だ。私達なら、奇跡を起こせるんだ。だからきっと今度は同じ星で巡り会える」
涙は頬を伝うと、床に硬い音を奏でながら落ちていく。ティアーズドロップと言われるとても希少な宝石となって。それを1粒拾うと、光に翳して眩しげに見つめた。悲しみを帯びた淡いマリンブルーに輝くそれを。目を閉じ、静寂が訪れる。けれどその静寂は羽音ともに直ぐに破かれる。日の色をした、大きな翼によって。
「―――――行ってくる」
「ルーシー……!ルシフェル…!」
顔面を踏まれた。瞼を開ける。右目は開かず、目の間に広がるのは愛らしい2つのアクアブルーの瞳。
「……ポッポ、痛いよ」
呆れ笑いとともに不満を漏らせば愛猫が可愛い声で鳴く。時計を見ればアラームから10分程時間が過ぎていた。
「起こしてくれたの?ありがとう」
視界の半分を遮っている愛猫の前足を退かして体を起こして伸びをする。不思議な夢を見たものだ。あまり覚えていないけれど。欠伸をしながら餌やりと新しい水を入れ、水栽培機をしているベビーリーフの様子を見る。この機械は想い人がクリスマスにくれたものだった。
「もう少しで収穫かなぁ…採れたら持っていこう」
なんでもいい。彼に逢いに行く理由が出来た。嬉しい。会いたいと言えば、会ってくれるのだろうか…なんて寂しさには蓋をして、美冬はいつもの準備に取り掛かるのだった。
長年働いていたホテルの業務で営業スマイルは完璧だった。猫を被るのも完璧だし、体調不良を隠すのも完璧だった。そう、はずだった。
「なんで熱があるって気づいた時に早退しないかな」
「うぅ…こんなはずじゃなかったんだけど…」
「前にも言ったと思うけど、早退したら迷惑かけるんだよ」
「わかってる…ごめんなさい」
「ウチに謝らなくていいよ」
美冬は車の中にいた。仕事中、徐々に体温が上がっていったのは自覚していた。けれど大丈夫だろう。もうすぐで休憩に入れる。そうしたら薬を飲んで様子をみよう。そう思っていたのだがそのまま意識が暗転して倒れたのだ。たまたま、本当に偶然、そのタイミングで想い人――春人に、抱き支えるように受け止められたのだ。買い物に来ていた春人は、挨拶をしようと伸ばされた腕をそのまま受け止められることになったのだけれど。それも抱き留めた身体は熱を持ち、布越しでも高温と分かるそれに、早退の申し出をしたのは美冬ではなくて春人だ。それから1時間も経っていないのだ。なのに今助手席で顔を赤くし、浅い呼吸を繰り返しているのに残りの勤務を全うしようとしたのだからありえない。
「…ごめんなさい」
「…別に、ウチは迷惑だって思ってないから…」
「でも…」
「着いたら起こすから、少し寝てな」
赤信号の待ち時間に頭を撫でる。彼女は甘え下手だ。それを自覚しているのかいないのかは分からないが体調を崩しても誰にも言わない。頼ろうとしない。けれどこうして頭を撫でられるのは好きだと、前に言われた春人は弱っている時や酔っている時にだけする。そうすれば素直に目を閉じて甘えるように自分に身を預けてくれる。
やがて、車内には小さな寝息が聞こえるようになった。春人は静かになった車内の中で視線だけを美冬に向ける。美冬は5つも下だ。初めて会った時は未成年かと思ったほどに幼い顔立ちをしていた。自分よりもはるかに小さいのにどこから出すのか、歌うと自分よりも低い音域を難なく出し、高音も透き通っていて聴き惚れた。同じ趣味をしていると知ったのは偶然。そこから妹が居たらこんな感じか、などと思いながら過ごしていた。
『ハルさんが、好きなの』
そんな時に不意に告げられた想いに、気づいていないわけでなかった。正確には、懐いてくれてるなと思ってはいた。その好意に頷くのは簡単だった。嫌ではなかったから。けれど春人は頷けなかった。駄目なのだ、自分は。交際すると、いつも決まって相手を悲しませてしまう。交際すれば相手を好きになろうと努力した。その途中でいつも『あなたは私を愛してない』と言われる。『あなたといても寂しい』と言われる。きっと自分は恋愛には不向きなのだろう。こんなにも懐いてくれる彼女の笑顔を曇らせたくなかった。寂しい思いをさせるくらいなら……
だから、断った。それでもすぐに気持ちは切り替えられないから、と彼女は言って会う回数が減った。いや、正しくは美冬からの連絡が減っていった。目に見えて、ではなく…徐々に。それこそ、常連の客に言われてようやく自覚したレベルに。
春人がとった行動は、真逆だった。いつもなら『仕方ない』とそのままにするのに、美冬の場合は気づけば自分から連絡をとっていた。彼女の趣味は自分と同じだ。好みの系統とジャンルが多少異なるが、根本的な好みが似ている。だから、彼女が興味を引く話題を探すのはとても容易だった。
それからの春人は、不自然ではない程度に連絡を取った。何故か胸の奥でざわめくのだ、美冬からの連絡がない事に。本来ならば、引き留めるようなことをしてはいけない。それは分かっている。けれど、自分が経営する店に『友人』だと言って異性を連れてきた時も、『昔世話になった』と言って年上の異性を連れてきた時も少しの苛立ちと胸に痛みを覚え自覚してしまった。彼女に特別な気持ちを持ってしまっていると。
春人は再び美冬を見る。少し苦しげに呼吸を繰り返していた。これは、アパートではなくて病院の方がいいのではないだろうか。意識が混濁している今なら、病院に連れて行っても問題無いはずだ。美冬は、病院にトラウマを持っていて基本的に行こうとしない。前に連れていこうとした時に泣いて嫌だと過呼吸を起こした程だ。結果的に救急車を呼ぶ羽目になってしまったのは記憶にまだ新しい出来事である。
春人は進路を変える。普段元気だが、実は重度のアレルギー体質でもある美冬だ。素人判断が1番危険だと判断したのだ。そもそも昨日まであんなに元気だったのに、たった数時間でこんなに体調が悪くなるなんておかしい。
(医者がダメなら、おばさんの所に連れていかないといけないな)
春人とにとって美冬は、世話を焼いてしまうレベルで特別な存在だった。傍から見れば二人は恋人だと言ってもなんなら遜色はない。人を好きになったことの無い春人と、相手からの好意を自覚できない美冬では…両想いなのだということに気づくのに何年も掛かるだろう(気づかない確率の方が高いかもしれないが)。それくらい、美冬は春人に懐いていた。だから、春人には自分から告げていた。自分も叔母と同じで『特異な人間』なんだと。死んだ人だけではなく、人では無いものを見ることが出来ると。そしてこうも言った。
『叔母さんやお母さんは見えないけど、ゲームとかで出てくるような妖精や精霊も見えるんだよね…小さい頃は彼らとしか遊ばなかったから、はたから見たら変わった子に映ってたかも』
人ならざるものを見るだけでなく、交流も出来る。意思疎通が出来ると、笑って話していた。寂しそうに。
そういったことに否定も肯定もしない春人は、ただ一言「そうなんだ」と応えただけだった。その時の面とくらった顔は今でもハッキリと覚えている。気持ち悪くないのかと、信じるのかと。そう言いながら自分を見つめる大きな瞳を。
『嘘つくようなことでもないでしょ?肯定も否定もする事はウチには出来ないよ。でもそれで受け入れないのは違くない?見えることがそっちにとっては当たり前の日常なんでしょ?』
そう言った時の、安堵と喜びが混ざった様な綻んだ微笑みが目に焼き付いて離れなかった。本当に、心から安心した、そんな様な表情だった。思えば、その日を境に子猫のように自分に懐き始めた気がする。
なんて、ことを考えていたから……春人が美冬から視線を戻したその時にはもう遅かった。真っ白な光の輪のような物に車を走らせていたことを。声にならない驚きと共に咄嗟にハンドルを切ったが間に合わなかった。ジェットコースターや飛行機を思わせる浮遊感を感じた。その後に車内は大きく縦や横へと揺れ動く。その時間はとても長く感じた。やがて、声が聞こえた。一言だけ。そして春人の意識は消えた。
続
目標は完結させることです。