幕間3
「捜査二日目はこうして終わりを告げました。浅田を取り巻く人間関係こそ垣間見られましたが、警察としてはまだ犯人の目星をつけることはできませんでした。」
「『警察としては』ということは、笠原さん個人としては既に犯人の予想がついていたということでしょうか?」
紀藤はメモをとる手を止め、真剣な眼差しで尋ねてきた。ただの世間知らずかと思っていたが、意外と鋭い面もあるのかもしれない。
「もしかしたら、というのはありました。しかしその時点では、証拠も何もない予感でしかありませんでした。『犯人はわかっていた』なんて、口が裂けてもいえませんね。」
あの人物が犯人だとわかったとき、俺の胸に浮かんだのは虚無感であった。俺にはこれ以上のことはできないのかという無力感であった。
「世間的には衝撃の犯人なんて言われていましたが、今にして思えばそんなに特殊な事例とも言えないでしょう。もう事件から二十年ですからね。時代は大きく変わりました。紀藤さんなんて、あの頃はまだ子どもだったでしょう?」
紀藤は深く頷いて答える。
「あの時は四歳でした。ですが、事件については朧げながら憶えています。センセーショナルな事件として大きく報道されましたからね。」
「社会に大きな影響を与えた事件でした。犯人だけでなく、被害者へのバッシングもそれはそれは酷いものでした。その最大の要因がなんだったか、紀藤さんにもわかりますよね。」
紀藤は神妙な顔で頷いた。もっとも、彼が「わからない」と答えたところで、俺はそれを許さなかっただろう。何時間かけてでも、答えさせたはずだ。
「不本意ながら、一部のメディアの行き過ぎた報道があったことは否めません。もちろん弊社にはそんなことはありませんでしたが、一ジャーナリストとして、とても許せることではありません。」
「私にとっては、どこのメディアだろうとあまり関係はありませんよ。ただ、あの悲劇を繰り返してはならない。事件そのものだけでなく、その後日談も含めてね。今日お話しているのも、それが一番の理由なのです。もしも紀藤さんたちが事実をねじ曲げて放送でもしようものなら、ネットでも何でも使って告発しますから、覚悟しておいてくださいね。」
あくまでにこやかに、朗らかに俺は言ったのだが、紀藤の表情は一瞬固まってしまった。俺も衰えたものだな。本心を汲み取られてしまうなんて。
「そうそう、事件についての当時の週刊誌の記事が残っていました。」
俺はスクラップブックをぺらぺらとめくりながら話を続ける。
「どこだったかな?ああ、あったあった。これです。事件発生から数日と経たずに発売されたものですね。内容は酷いとしか言いようがない。」
記事のタイトルは、『歪んだ愛憎劇!大学生に蔓延る性のワナ!』であった。犯人の逮捕される前に発売されたものであり、取材により得た『真実』(本当に取材をしているのかすら疑わしい)を載せている。内容はめちゃくちゃで、まるで浅田が売春行為に及んでいたかのような書き方がされている。ちなみに、犯人については「同大学に通う男性」「如何わしい関係」「痴情の縺れ」などと書かれていた。他にも、「疑惑の劇団」「近日公演」などとも書いてある。
「この出版社は、この後にも何度か事件についての特集を組んでいます。流石に犯人の逮捕後は、それに合わせて多少の軌道修正をしたみたいですね。しかし、結局は読者を誤解させるものばかりでした。あなたの言う一部のメディアと言えそうですね。ところで、一つお願いがあるのですが。」
俺は体をを前傾させ、紀藤の顔の正面を捉えた。
「私は、このことについても放送に載せて欲しいのです。当時のメディアが読者を喜ばすためだけにどれだけ杜撰な取材をしたのか、どれだけ悪質な報道を行ったのか。それを載せられなければ『京都SM殺人事件』を真の意味で振り返ることなんて夢のまた夢です。」
スクラップブックをめくる。二枚目の週刊誌の記事が出てくる。犯人逮捕後に発売されたものだが、これが一番酷かっただろう。そのうち、これについても話に出てくる。俺は指で記事をトントンと叩いた。
「少し話が逸れてしまいましたね。では、続きと参りましょうか。」