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未来脚本  作者: ぼなぁら
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九月十三日

 八月の煮えたぎるような暑さこそ去っていったものの、まだまだ残暑厳しく積乱雲とのつながりも断ち切れない九月十三日、俺はその遺体と対面していた。

 「何じゃこりゃあ。」

 思わず、刑事らしい台詞が口を衝いて出てしまった。俺も刑事としてそれなりに場数を踏んできたつもりだったが、こんな遺体は初めてだった。街中にひっそりと佇む小さな公園、Y公園の男子トイレの個室で発見されたそれは、裸で洋式トイレのふたの上に体育の授業の様に座らされ、全身を縄で縛られていた。その上、口には猿轡の様なものを填められ、おぞましいことに肛門には太い棒の様なものが突き立てられている。縛っている縄はトイレの後ろのパイプに結びつけられて、身動きのとれないようになっていた。遺体は大分腐敗が進んでいるのか、きつい匂いが鼻孔を刺激する。

 唖然としている俺の横に、太刀林利雄巡査が答えた。

 「これは亀甲縛りっすね。」

 「亀甲縛り?」

 「はい。ほら、よくあるじゃないっすか。SMプレイってやつでよくやるあれっすよ。」

 「詳しいな太刀林。お前もこんなことをしょっちゅうやってるわけか。」

 「嫌だなあ笠原さん。俺はこんなことしませんよ。常識ってやつっす。」

 「つまり俺には常識がないということか。」

 俺は顔をしかめて太刀林を睨みつけるが、どこ吹く風と言わんばかりの表情を見てため息をついた。どうにもこの後輩は若手のくせに妙に肝が据わっているというか、普通の人間とはズレた所がある。極めて常識的な俺はともかく、こいつなら本当にこんなことをしているのかもしれない。

 「しかしこんな仏さんは初めてっすね。ケツ穴に張形ぶち込まれて殺されるなんて、なんなんすかね、やりすぎっすよ。」

 下品で非常識な太刀林を無視して、俺は遺体に近づいて合掌した。こんなことになるまで誰にも見つからなかったなんて、この被害者は死んでからも悲惨な運命を辿ったようだ。俺程度の合掌など大した意味はないだろうが、少しは死者の魂の安寧に繋がってほしいものだ。

 死者へのささやかな祈りを捧げた後、俺は遺体を調べ始めた。比較的小柄な体躯、その割に長く華奢な手足、生前はしなやかに動いていたであろう肉体はしかし、今では見る影も無い。見た限り、殴られたような痕も刺されたような傷もない。その代わり、首を紐の様なもので締められた跡が見つかった。

 「絞殺か。他に外傷もないし、これが死因ってとこか。」

 「そうみたいっすね。せっかく一山終えたばかりだってのに、また忙しくなるなあ。」

 「愚痴を言っても仕方ないだろう。で、仏さんの身元は分かっているのか。」

 返事をしたのは、鑑識と話をしていた藤堂晴子巡査部長だった。

 「はい、笠原さん。ガイシャは浅田宏美、R大学に通う二十歳の学生です。住所は上京区、すぐそこですね。遺体の近くに学生証が落ちていました。」

 俺はすぐさまその学生証を受け取った。そこには、映画学部二年とあった。写真を見る限り、多少幼さを残すものの中々整った顔立ちをしていたようだ。

 「裸で置かれていたのに、学生証があったのか?」

 「はい。便器の側に落ちていました。それ以外は何もありません。」

 犯人は浅田の持ち物を持ち去っていき、学生証だけを置いていったのか。もし忘れて行ったなら相当な間抜けだが、わざとだとしたら目的はなんなのだろうか。

 「つまりあれっすね。犯人は仏さんが浅田であることをアピールしたかったってことっすよ。怨恨っすかね?自分がされたらと思うとケツが寒いっすよ。」

 「何決めつけてやがるんだ。それを今から調べるんだろう。単に忘れていっただけかもしれん。」

 そう言いながらも、俺も内心太刀林と同じことを考えていた。この学生証がなければ、俺たちはこの被害者の身元をすぐに知る事はできなかった。もちろん、この被害者が間違いなく浅田宏美であればだが。わざわざ遺体の身元の分かるものを置いていったということは、犯人は浅田宏美を陵辱したことを強調したかったように見える。ここまで人の尊厳をぶち壊していった犯人なら、それぐらいのことはやりかねない。

 「論理的じゃないっすよ〜。もっと想像力をもって捜査に当たるべきっす。」

 「エラそうな事を。太刀林、そこら辺は藤堂に教えてもらえ。その内絶対にお前の想像を超えてくるから。それで藤堂。犯人の痕跡は何かないのか。」

 「残念ながら今のところ何も。おそらく凶器は細い紐のようですが、まだ見つかっていません。」

 「縛っている縄じゃなさそうだしな。太さが違いすぎる。」

 藤堂はうなずいて続ける。

 「そうですね。遺体をもっと詳しく調べてみなければなりません。」

 「なにもかもこれからってことだな。俺は一旦通報者と話をしてくる。ここはお前に任せる。太刀林、お前も藤堂についておけ。」

 「分かりました。」

 「承知したっす。」

 表情一つ変えない藤堂と、妙ににやけた太刀林を見比べて、俺はため息をついた。

 「太刀林、やっぱりお前はこっちに来るか?」

 「すいません先輩。俺、現場の捜索についてもっと藤堂先輩に教わらないといけないと思います。」

 いきなり顔をキリッと引き締めた太刀林の頭を一発はたいて、俺はトイレの出入り口に向かった。あの若手の性根を藤堂が叩き直してくれると良いのだが……。正直不安で仕方がない。自分が警察組織という才能と嫉妬と非常識に塗れた場所にいるという事が、どれほど恐ろしい事か、太刀林は理解できていない。藤堂は別ベクトルで理解しているはずなんだが。そして、近いうちに太刀林も体験する事となるだろう。それで無事に終われば。……最悪の場合、俺自ら二人まとめて教育し直す必要があるだろう。

 俺はもう一度ため息をつき、脚立の立てかけられた出入り口から異様に明るい外に出た。その時、

 「笠原さん。」

 初老の男性を連れて、久我輝明巡査がやってきた。

 「こちら、通報者の佐竹和夫さんです。」

 「佐竹といいます。」

 蒼白な顔をした男が、そう言いながら深々とお辞儀をした。薄くなった頭頂部と同じく、何となく弱々しい印象を受ける男である。おずおずと顔を上げたが、こちらとは目を合わさない。

 死体を見つけたばかりなのだから、当然といえば当然か。

 「京都府警の笠原です。早速で申し訳ないのですが、遺体を発見したときの状況についてお話いただけないでしょうか。」

 「ええ、大丈夫です。」

 そう言いつつも、佐竹は身をぶるっと震わせた。

 「本当に大丈夫ですか?少し休んでからでも構いませんよ。」

 久我は慌てて佐竹に声を掛けるが、佐竹は手を振りながら小声で「大丈夫です」と繰り返している。

 「私は、このY公園の管理人をしているんです。それで、ええと、今朝、電話がかかってきたんです。『公園の男子トイレの一番奥の個室が、ここ数日ずっと閉まっている。確認してくれ。』って。それで、私は管理人なんで、確認せんとと思って来てみたら本当に閉まっていて。声を掛けても返事がないし、変な匂いもするしで。それで、あのトイレはドアの上が抜けているんで、仕方なく覗いてみたら、あの、あれがあって。」

 「あれとは遺体のことですか?」

 「そうです。それで、それで」

 「大丈夫です。ゆっくり、ゆっくりでいいんですよ。」

 佐竹の背中を撫でながら、久我は優しく佐竹に言った。

 「ありがとう、ございます。それで、大変だと思って、警察に通報したんです。」

 佐竹は吐き出すように言い切った。

 「ありがとうございます。それでは、いくつかこちらの方から質問させていただいても構いませんか?」

 俺もできるだけ丁寧な態度で佐竹に尋ねた。横柄な態度で取り調べをする刑事も多いが、このタイプにはそんなことをしても萎縮するばかりで、何一つ話が進まなくなってしまう。

 頷いた佐竹に少しほほ笑みながら、俺は質問を始めた。

 「それでは、まず一つ目です。被害者と面識はありませんか?」

 佐竹はまた一瞬体をぶるっと震わせた後、ボソボソと答え始めた。

 「ありません。全然、知らないです。」

 佐竹はそう言い切るが、腐敗した遺体の顔だけでは正確な判断はできない可能性がある。

 「ではこちらはどうでしょう?」

 俺は学生証を佐竹に見せる。

 「こちらの顔写真の人物に見覚えは?」

 「ないです。本当に見ず知らずの人なんです。」

 「この『浅田宏美』と言う名前は、聞いた事はありませんか。」

 「だからないって……。いや、どうだったかな。」

 「聞いた事があるのですか?」

 佐竹は数秒考え込んだが、結局くしゃくしゃな顔で首を振った。

 「あるような、ないような。わからないです。」

 煮え切らない答えだが、仕方あるまい。俺は次の質問にいく事にした。

 「では、今朝かかってきたという電話の正確な時刻は分かりますか?」

 「はい。ええと、確か十時を回った頃でした。ニュース番組が終わった直後だったので。」

 「その電話の相手が誰かは分かりますか?」

 「いいえ。ただ、若い男の声だったと思います。」

 「ありがとうございます。その電話を受けてY公園にやってきた訳ですね。それは何時でしたか?」

 「十一時頃だったと思います。それで、十分くらい個室の中に呼びかけたりしたんですが、反応がなくて。何かあったんじゃないかって。」

 「なるほど。では遺体を発見したのはいつ頃ですか?」

 「確か、十二時だったと思います。」

 「それまでの一時間は一体何を?」

 「ええと、一度家に戻って、脚立を持ってきたんです。それに上って覗きました。」

 「そして通報したのが十二時ということですね。」

 「はい。家との往復で一時間程かかります。」

 「ありがとうございます。最後に一つお聞かせ下さい。佐竹さんはこの公園の管理人とのことですが、どれくらいの頻度でこちらに来るのでしょうか?」

 佐竹の表情が硬くなり、さらにしどろもどろになってしまった。

 「ええと、その。数日に一回、いや三日に一回ぐらいかな。その時によると言いますか……。」

 「つまりは非定期だったということでしょうか。」

 「そうですね。そういう事に、なりますでしょうか。」

 がっくりと肩を落とす佐竹。どうやらあまり仕事熱心な方ではないようだ。

 「わかりました。質問は以上です。もしかしたらまたお話を聞く必要があるかもしれませんので、その時はご協力をお願いします。もし何か思い出したら、警察に連絡下さい。どんな小さなことでも構いませんので。」

 小さく頷いた佐竹だったが、まだ何か言いたげな表情をしている。

 「佐竹さん?」

 俺が声をかけると、意を決したのか佐竹は震えた声で俺に尋ねてきた。

 「刑事さん。あの、私、捕まりませんよね?」

 一瞬久我に目を向けたが、久我も俺と同じで何のことを言っているのか分からないらしい。何か犯人だと思われることをやらかしているのか、この男は。

 「どうしてですか?」

 「いや、あの、トイレを覗いたから。」

 なんとまあ。内心脱力した俺だが、それを表情に出す程未熟なつもりもない。それにしても、この男は自分が覗き魔として捕まることにおびえていたというのか。殺人事件に巻き込まれているというのに!殺人犯と疑われることを心配するのが普通だと思うのだが。引っかかりを憶えつつも、俺は取り繕った優しさを崩すことなく佐竹に答えた。

 「大丈夫ですよ。佐竹さんはトイレの異常を確認するためにトイレを覗いたのですから、管理人としての責務を果たしただけで、何も悪いことはしていません。現状では捕まることはありませんよ。」

 まるで、おびえた子供をあやしているかの様だ。五十は越えているだろう年上の男に取る態度ではない。しかし、世の中に様々な人間がいることは、この仕事をしていれば嫌でも気づかされる。警察というだけで頑に口を閉じる人や、何はなくともとりあえず暴れようとする証言者にも過去に遭遇したことがある。それらに比べれば、話をしてくれるだけ随分マシなほうだ。

 もっとも、話していることに嘘や隠し事がなければだが。

 言いたいことが言えたからか、少し安堵したらしい佐竹を開放した俺たちの元に、太刀林が汗を拭きながらやってきた。

 「こちらは大体終わったっす。第一発見者はどうっすか?」

 「久我。お前はどう思う?」

 水を向けられた久我は、一瞬考えて答えた。

 「そうですね。何か怪しい気がします。嘘をついている様には見えませんでしたが、この状況で殺人ではなく覗きを気にするというのが、どうにも引っかかりますね。しかも彼なら本当はすぐ殺人に気がつけたはず。なにしろ管理人ですからね。彼がもっと頻繁にY公園に来ていれば、もっと早く遺体は見つかっていたでしょう。」

 「俺も同感だ。事件とどれだけ関係あるかはまだ分からんがな。」

 どこを向くでもなく、おれは呟いた。これはそこらの突発的な殺人事件とは違う。刑事の勘なんてなくとも分かる、憎悪に満ちた陵辱だ。何が関わってくるか、今はまだ分からない。だからこそ、俺たちは考えて、考えて、考え抜かねばならない。

 「絶対に、取っ捕まえてやる。」


抜ける様な青い空のもと、俺たちの捜査は始まった。


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