九月十七日
俺たちの捜査は振り出しに戻った。初めから洗い直すしかなかったのだ。捜査会議室には焦燥感が募り始めていた。それでも、続けるしかない。俺たち十一班のメンバーは、雁首揃えて考え込んでいた。
「『劇団プリズム』の連中にももう一度話を聞かないといけないな。それに、あのサークルから二人も死者が出たんだ。安全確保のためにも張り付いておかなければ。」
「そんな必要はないんじゃないかなあ。」
捜査会議をしていると、後ろから今一番聞きたくない(いつだってそうか)声がする。振り返ると正木が勝ち誇った顔でこちらを眺めていた。
「遺書まで見つかったんでしょう?犯人は井上で確定じゃない。」
「もしもそうなら井上を死なせてしまった我々の失態です。よくもそんな顔ができますね。」
「あの状況で井上の自殺を防ぐのは無理だったでしょう。無理だったことを考えていても仕方がない。」
「ならばあなたは好きにするといい。我々は捜査を続けます。」
「それはこちらのセリフだよ。好きにしたまえ。」
あの男のことは放っておこう。話をすればするほど怒りがこみ上げてくる。
「俺と久我はもう一度R大学へ向かう。二人は井上の現場の周辺を洗ってくれ。頼んだぞ。」
R大学の敷地内は、今までと比べて妙にひっそりとしていた。学生が立て続けに二人も死んだのだから当然なのかもしれないが、数万人規模の大学で肌に感じるほどの変化があるものだろうか。むしろ、俺の方が二人目の死者という事実に影響されているのかもしれない。
「サークル棟に向かうぞ。何人かはそこにいるはずだからな。」
「はい。急がなければなりませんね。」
今日は迷うことなくサークル等にやってくることができた。このキャンパスにも少しずつ慣れてきたな。できればこれ以上慣れる前に終わらせてしまいたいのだが。
俺たちはサークル棟の階段を再び登る。前回よりも、心なしか早足になっていることに気づく。イカンイカン、慌てるな。
やはり人が少ないのか、今日は誰ともすれ違わなかった。すぐに『劇団プリズム』の部室へと辿り着く。軽くノック。すると、中から小さな返事(だと思うが、小さすぎてよくわからない)が聞こえた。
「失礼します。」
ドアを開けると、陰気な眼をした学生が三人いた。城崎典彦、早月光、佐竹宮子だった。三人とも以前に会った時とは比べ物にならないほど顔色が悪い。当然か。突然身近な人が二人も死ねば、誰だって動揺する。
返事をしたのは、早月だったらしい。
「刑事さん。」
早月は立ち上がり、こちらに駆け寄ってきた。
「井上さんが亡くなったって、本当なんですか。」
「残念ながら、事実です。」
「そんな。どうして。」
「現在、捜査中です。」
「何が捜査中だ。」
部屋の奥で椅子に座っていた城崎が、荒々しく立ち上がった。
「そんなこと言われても納得できるわけないだろう、刑事さん。」
城崎はそのまま俺に詰め寄ってきた。充血した目が見えるほどだ。どうやら、随分と焦燥しているようだな。
「うちのサークルから二人も死人が出たんだぞ。一体どうなっているんだ?」
「私たちも殺されるの……?」
真っ青な顔をした佐竹宮子がポツリとつぶやいた。
「冗談じゃない!俺は何もしていないのに!」
「落ち着いてください。そんなことにはさせません。そのために我々はここに来たのです。皆さんの話をもう一度聞かせていただけませんか?」
「落ち着いていられるか!大体話って、何を話せばいいんだよ。知っていることは全部話したじゃないか。」
二日前はある程度落ち着いていた城崎だが、流石に今は興奮しているようだ。楽観的な性格だと井上からは聞いていたが、その見立ては不完全なものだったのかもしれない。それとも、死んだのが井上だったからこその反応なのだろうか。さて、どう落ち着けたものか。そう考えていると、早月が割り込んできた。
「あ、あの、井上さんは自殺じゃないんですか?テレビではそうだって、遺書も見つかったって。」
「それもまだ捜査中です。自殺だと言い切ることはできない。」
「つまり、殺人の可能性もあるということですか?」
俺は黙って頷いた。ひぃっと息を飲む早月に、顔面を蒼白にする城崎。佐竹宮子は俯いてしまい、表情を読むことができない。
「話は署で聞かせてもらいます。車で来ておりますので、ご同行をお願いします。」
「あの……。やっぱり私たちって疑われているんですか?」
警察署内、取調室。暗い室内には俺と久我、そして早月がいた。俺と早月は机を挟んで向かい合い、久我は後ろで座って待機している。まだ本格的な聴取をさせるには経験が足りないからな。こうして見て覚えることもまだまだ多いはずだ。
早月が聴取の一番手になったのは、意外にも彼女が一番落ち着いているようだったからである。というよりも、元々おどおどしているため、平時との違いがわからなかった、というのが正しいか。どちらにしても、残りの二人に落ち着いて話を聞くためには、少し時間が必要だった。
「いえ、そういうわけではありません。しかし、以前のように外で話をできる状況でもなくなってしまいました。」
「そうですか……。」
前回と同じく、今日もさっそく目が泳いでいる。
「それでは、いくつか聞かせていただきます。まずは井上さんの死についてお聞きします。仮に井上さんが殺されたとして、その理由に心当たりはありませんか?」
「井上さん……。誰かに恨まれていたということは多分なかったと思います。少なくとも『劇団プリズム』内では、特にトラブルはありませんでした。」
「そうですか。どんな小さなことでも構わないのですが、思い浮かびませんか?」
早月はブンブンと首を振るばかり。まるで怯えた子供のようである。仕方がない。色々と聞いていけば、何かが少しずつ見えてくるかもしれない。
「もう少し性格的なことを尋ねさせていただきます。早月さんから見て、井上さんはどんな人物でしたか?」
「えっと。とにかくいい人でした。なんて言ったらいいんだろう、博愛主義者かな?誰に対してもいいところを見るようにしていたというか、悪いところを見ないようにしていたというか……。少し前に、サークル内で集めたお金がなくなったことがあったんですけど、その時も盗難の可能性は考えていなかったみたいでした。絶対に事故か何かだって言っていました。」
旭川が犯人だったあの事件か。井上の考えは残念ながら間違っていた。
「なぜ井上さんは、事故だと考えたのでしょうか?」
「具体的な理由はわからないのですけど、えっと、そういう人だったんです。疑うことを知らないというか。人の悪意という存在を知らない、無邪気な人だったんだと思います。」
その印象は、少ない接触ながら俺も抱いていた。浅田の事件の時も、田村は犯人ではないと言い張っていた上、『劇団プリズム』のメンバーの関係も良好だと思い込んでいるようだった。そういう人間も、ごく稀に存在する。人を疑うことで食にありつける俺たちとは、真逆の存在と言えるだろう。
「では、そんな井上さんをあなたはどう感じていましたか?好印象?それとも何か悪いイメージがありましたか?」
「基本的には、好ましく思っていました。その前向きな考えに励まされたこともあります。……ただ、少し鬱陶しい時も、正直ありました。」
意外に厳しいことを言うじゃないか。
「それは、どんな時ですか?」
早月はなかなか答えてくれなかった。、やはり、故人のことを悪く言いたくはないらしい。口をキュッと結んでしまっている。言いかけたことは、最後まで言って欲しいものだ。
「早月さん。これは捜査の一環です。決して他言はしませんし、むしろ井上さんの名誉のためでもあるんです。どうかご理解ください。」
そうやって粘った結果、ようやく早月は口を開いてくれた。
「あんまり、悪いことは言いたくないんですけど……。えっと、ポジティブすぎるというか、落ち込んでいる時に前向きなことばかり言われるとそれはそれで疲れるというか。さっき話した盗難騒ぎの時も、私たちの代表なのに責任感のある行動をとってくれなかったから……。」
「それで失望したと。」
「そこまでは言わないです。少し不安になっただけです。」
早月は慌てて否定する。両手を顔の前でブンブンと振り回している。俺たちは真実を追いかけているので、取り繕わない方がありがたいくらいなのだが。相手は一般人、仕方ないか。
「九月十六日、つまり昨日ですが、正午頃は何をしていましたか?」
「昨日は、諸星さんと遊びに行っていました。舞台の練習も休みだったので。それで四条で買い物をした後、十八時までカラオケで歌っていました。どうしても暗い気分になってしまっていたのでそれを吹き飛ばしたかったんです。」
まるで言い訳をするかのように、早月は俯き加減で答える。誰かが亡くなったからといって、遊びに行ってはいけないわけではない。それでも気に病んでしまうあたり、早月も相当人がいい。
「その後二人で晩御飯を食べて帰りました。正午だとカラオケで歌っている最中だったと思います。……あ、そうだ。カラオケのレシートに入った時間が書いてあるかもしれない。」
早月はゴソゴソと財布からレシートを取り出した。そこには「十時五十八分入室、十八時退室」と確かに書いてあった。これはアリバイ確定と言っても良さそうだ。念のため店舗に確認をとっておこう。
おそらく、早月と諸星は井上殺しの犯人ではない。分身でも作れない限り、物理的に不可能だ。しかし、だからと言って浅田殺しの犯人から除外できるわけではない。
「そういえば、『劇団プリズム』で使われているロープ、あなたの知り合いの店のものらしいですね。」
「あ、はい。親戚の友達の店というか、そんな感じです。前にも別の刑事さんロープについて聞かれたのですが、やっぱり……?」
俺はゆっくりと頷いた。
「まだ確定とまでは言えませんが、おそらくそのお店のロープが犯行に利用されたと考えています。そして、浅田さんの事件の少し前に『劇団プリズム』からそのロープが紛失したと聞いています。」
「やっぱり。犯人は私たちの中に……。」
早月はより深く項垂れてしまった。俺は、彼女の黒々としたおかっぱ頭に向けて話を続けた。
「そもそもそのロープはどのように使われたものだったのですか?舞台用の小道具か何かですか?」
「あのロープは、以前の公演『紅の女』で使われたものなんです。崖から落ちそうになっているヒロインを、ヒーローが助けるシーンで使われました。」
「確かその作品は浅田さんがヒロインを演じたのでしたよね。ではヒーローは城崎さんが?」
確か井上は城崎のことを「ウチのスター俳優」と言っていた。
「そうです。あ、でも、最後の公演だけは田村さんが代役で舞台に立ちました。城崎さんが自転車事故にあっちゃって、怪我は軽かったんですけど最後の公演には出られなかったんです。それで急遽田村さんが出ることになって。」
田村がヒーロー。正直に言って似合わなさそうだ。
「そういうことは、よくあるんですか?」
「いえ、滅多にないです。その時は本当に急な出来事で、城崎さんのセリフを空で言える男の人は田村さんだけでした。」
脚本担当の田村なら、当然セリフは頭に入っていただろう。
「そのシーンでロープは使われて、その後は部室で保管されていたのですね。」
「そうです。一応、小道具の管理は私の仕事なので、私が仕舞いました。少し前に『愚行の行方』でも使うと聞いて探してみたんですけど、見つかりませんでした。」
このサークル、セキュリティ管理が甘すぎやしないか?ロープが無くなり、十万円が盗まれて。少しは対策を考えた方がいい。
「それで、九月十日に新しいロープを買ったと。」
「はい。」
犯人はそれ以前に部室からロープを盗み出した。そしてそれを使って浅田を絞め殺した。しかし、何のためにわざわざ『劇団プリズム』のロープを使ったのかがわからない。浅田の体を縛っていたロープは『劇団プリズム』のものとは違うものであった。つまり犯人は自前でロープを準備できていたのである。それにも関わらず、犯人はそちらを使わずに『劇団プリズム』のロープを犯行に使用した。
浅田が殺されたのが九月五日なので、それよりも先にロープが盗まれていたのは間違いない。しかし、それは一体いつなんだ?なんのために?
城崎の顔は依然青いままであったが、先ほどまでに比べれば多少は落ち着いたらしい。今はしょんぼりと肩を落としている。
「井上さんのことについて、お聞きさせていただきます。まず、彼についての総合的な印象を聞かせてください。」
「いいやつでした。俺が大学内での人間関係に悩んでいる時にサークルへ誘ってくれて。そのおかげで充実した学生生活を送ってこられたんです。それなのに……。」
せわしなく指先を絡めながら、城崎は答える。前の聴取の時よりも、その速度はだいぶ速い。
「人のいい人物だったようですね。」
「そんなレベルじゃなかったですよ。困っている人には助けの手を伸ばす、漫画の主人公みたいな奴でした。」
主人公が崖から転落して死亡となると、あまりぱっとしない展開の漫画になりそうだ。
「浅田も誰かのために頑張れる人間でしたけど、井上はまた少し違いました。」
「違う、ですか。どのように?」
「浅田は裏でサポートに徹する性格だったんですけど、井上は困っている人に対してグイグイ出て行くと言うか、表立って動くことも少なくなかったんです。」
「積極的だったんですね。」
城崎は黙って深く頷いた。やや血走った目がこちらを捉えている。浅田の死は割と早くに受け入れた様子の城崎であったが、井上の死はまだ受け入れられないようだ。
「井上さんを恨んでいる人物に心当たりはありませんか?」
「悪いことをしたなんて話は聞いたことがありません。恨みなんて誰も……。でも、逆恨みはあったかもしれない。」
「どういうことですか?」
「誰かのために一生懸命になれる奴でしたから、その分やっかいな奴との衝突も多かったんです。例えば、前に佐竹が暴漢に絡まれたことがあって、それを井上が助けたことがあったんですけど、追い返された相手は相当悔しそうな顔をしていました。もしかしたら相手は井上を恨んだりしたのかもしれない。」
城崎の目が少しずつ、奇妙な輝きを帯びだした。狂気、と言ってしまえば安っぽく聞こえるが、実際は相当危険な輝き。現実逃避の光だ。自分たちの中に犯人がいるはずないと思い込みたいのかもしれない。
「具体的に、恨みのある人物の名前は挙がりますか?」
城崎は少し考え込んだが、すぐに苦々しい顔になった。目もそれに合わせて暗くなる。
「そこまではちょっと。」
やはり、出てこないか。もちろん俺たちの方で調べてはみるが、あまり信憑性のある情報とは思わない方がいいだろう。
「昨日の正午頃、何をしていましたか?」
「昨日は家で勉強していました。お昼もそうです。」
「外には出なかったのですか。」
「出てないです。食事も家にあるもので済ませました。疲れていたのでどこにも行きたくなかったんです。仲間が死んでしまって、そうそう元気に外になんて出られませんよ。そんな人でなしじゃない。」
声から苛立ちが漏れ出している。早月(と諸星)が聞いたらなんて思うだろうか。相当なショックを受けることだろう。
「家にいたことを証明できる人はいませんか。」
「誰もいません。一人暮らしですからね。」
ということは、城崎には井上殺しのアリバイがまったくないということになる。本人もそれがわかっているのだろう。すぐに潔白を訴え始めた。
「刑事さん。これだけは言っておきますけど、俺は井上も宏美も殺していません。そもそもそんなことをする動機がない。」
動機。厄介なことに今回の事件ではそれがなかなか浮かび上がらない。俺の中に考えがまったくないわけではないのだが……。
そういえば、一つ疑問だったことがある。
「『愚行の行方』の公演はどうなるのでしょう。やはり中止ですか?」
メンバーが二人も欠けてしまっては、練習すらままならないのではないだろうか。続けられるわけがない。俺はそう考えていたのだが、
「とんでもない。絶対にやり遂げてみせます。中止だなんてありえない。井上と宏美の分まで俺たちがやってみせます。」
城崎の目の輝きが再び少しずつ大きくなってゆく。
「ここまできて、やめられるわけがないんです。刑事さんにはわからないだろうけど、俺たちは舞台に色々賭けているんです。学生時代の思い出、なんて簡単にまとめられるようなものじゃない。今後の進路や人生にも関わってくるんです。大した才能のない俺だけど、役者になるために一生懸命なんですよ。だから、やめません。絶対に。」
「しかしですね。『愚行の行方』は犯罪に関わっている可能性がある。お話の中にある殺人と同じような事件が二件も起きているんですよ。三件目があったってもう驚かない。それでも続けるというのですか?」
「事件と関わっているというのなら、その証拠を持ってきてくださいよ。それがない限り、俺たちは続けます。」
やれやれ、若者の暴走には手を焼かされる。俺にできることは、心の中で頭を抱えることくらいであった。
佐竹宮子の顔も相変わらず蒼白であったが、彼女の場合、健康上の理由なのか井上の死のせいなのかこちらからは判断ができない。わかっているのは、彼女の体調が相変わらず芳しくないということだけだ。
「お体の方はどうですか?」
「あまりよくはないです。本当は家にいたかったのですけど。やる気も起きないですし。」
「では、今日はなぜ大学にいらしたのですか?」
「もう見納めかもしれないと思って。」
「見納め?」
「ええ……。ほら、メンバーが二人も亡くなってしまいましたから。井上くんは座長でしたし。もう『劇団プリズム』も終わりかもしれないと思ったら、最後に部室を見ておきたくなって。」
いくら何でもそんな急に消滅するものでもないと思うのだが。『劇団プリズム』は大学公認サークルとのことだったので、大学からの停止命令くらいは出るのかもしれない。しかし、突然なくなられてしまうと俺たちとしても困る。
それにしても、とってつけたような言い方である。何か別の理由もありそうだ。
「それだけですか?」
「……それだけです。」
それ以上は口を閉ざしてしまい、聞くことは叶わなかった。
「それでは、井上さんについて聞かせていただきましょう。あなたは井上さんにどのような印象を抱いておりましたか?」
「優しい、人助けが趣味のような人でした。」
心の篭っていない言い方であった。そもそも井上にあまり興味がないらしい。その上、どうやらここに来るだけで疲れ切ってしまったようだ。しかし、もう聴取を打ち切るような余裕はこちらにもない。
「そう言えば、あなたも井上さんに助けられたことがあるそうですね。暴漢に絡まれたところを助けられたとか。」
「……ありましたね、そんなことが。そうです。繁華街を歩いていた時にガラの悪い男性に絡まれたことがあって、そこに通りかかった井上くんと城崎くんが追い払ってくれたのです。」
「そうだったんですか。それがきっかけで交際を?」
「交際?何のことですか?」
宮子はキョトンとしている。大きな目をまん丸にして、こちらを見ている。
「あなたと井上さんが付き合っていると証言した方がいらっしゃいました。事実は違うのですか?」
「誰が、そんなことを!違います。そんなことは断じてありません。」
はっきりと、きっぱりと否定されてしまった。先日の田村とのやりとりからそう言うのではないかと思っていたが、ここまで激しく否定されるとは思わなかった。
「お二人がホテルに入るのを見たという証言があるのですが。」
「それは……。何かの間違いです。私ではありません。」
徐々に宮子の表情に怒りが滲んでくる。
「そもそも、私が誰と付き合っていようが、事件とは関係ないでしょう。放っておいてください。」
「申し訳ありません。『佐竹さんの』ではなく『井上さんの』交際相手が知りたかったものですから。亡くなった人の人間関係を把握しなければ捜査はできないもので。」
「私には運命の相手がいるのです。私たちの愛をバカにしないでください。」
宮子は俺の言うことなんて聞いちゃいないようで、よくわからないことを言い始めた。どうも彼女の頭の中はファンタジーというか、いや、これ以上はやめておこう。
「次に行きましょう。昨日の正午の行動を教えてくだいますか?」
「私と彼は来世で結ばれるの。いいえ、本当は今世でも結ばれているのだわ。心はずっと一つ。それを誰が、他の男と付き合っているなんて。」
やはり聞いていない。この際だからこの話の流れに乗ってみようか。何か漏らすかもしれない。
「その運命の人とはどなたのことですか?」
「決まっているじゃない、田村くんよ。彼は私だけを愛してくれているの。刑事さんだって見たでしょう。わざわざ私に会いにきてくれた彼のあの顔を。私のことが心配でたまらないって表情をしていたわ。」
そうだったのか。俺にはただの無表情にしか見えなかったが。宮子の洞察力は平凡な人間である俺を凌駕しているらしい。
「と言うことは、佐竹さんと田村さんは交際をしていらっしゃるということですか?」
途端に彼女は苦虫を嚙みつぶしたような顔になった。
「そうなる、はずなのに……。どうして……。」
どうやら違うらしい。やはり、痴情の縺れの匂いは彼女自身からだったか。
しかし、そんな表情も一瞬であった。
「でも彼が私を愛しているのは事実なの。」
刑事という仕事柄、裏表のある人物や言動にギャップのある人物には慣れているつもりである。だが、今回の豹変っぷりは流石に少々感心した。宮子は突然幸せそうにうっとりとすると、甘い声で歌うように喋り始めたのである。危ない薬でも使っているのではないか、と疑ってしまうほどの躁鬱ぶりである。
「なぜ、そう言い切れるのですか。」
「だって田村くんはいつだって私だけを助けてくれるもの。誰も彼も助けようとする井上くんとは違うわ。『私だけ』を見ていてくれるのよ。今だって、私のことを影から支えてくれているわ。」
「ほうほう。具体的にはどのように?」
「そんなこと、刑事さんに教えるわけがないじゃない!」
今度は突然怒鳴りだした。どうやら体だけでなく精神にも異常を来しているようだ。これは仕方がない。しばらく叫ばせておこう。体力はそんなに持たないはずだ。
「私、彼が使ったものや関わったものは全部保存するようにしているの。ストローとか、ティッシュとか、集められる限りすべてよ。たくさん!私たちの愛の証明がたっくさんあるの。だから絶対振り向いてくれるはずよ。田村くんは私と一緒にいるのが一番幸せなんだから。」
おいおい。
「そんな物を集めて、処分などはどのようになされているのですか?」
これは、純粋な興味からの質問である。
「処分なんて、するわけないじゃない。すべてが私と彼の愛の記録なのだから。捨てるなんて以ての外よ!」
その後、彼女はきっかり五分間も喚き続けた(思っていたよりも元気じゃないか!)。とはいえ流石に疲れたようで、その後は目に見えておとなしくなった。
「改めて、昨日の正午の行動を教えてください。」
「昨日は、家で休んでいました。本当はあまり外出してはいけないとお医者様にも言われているのです。」
「そのことを証明してくれる人は?」
「いません。部屋にずっといましたから。」
城崎と同じく、アリバイなし、と。しかし、彼女に井上が殺せただろうか。一般的に女性が男性を殺すのは少々ハードルが高い。しかも、宮子は病人である。そんな彼女に殺人なんて可能だったのだろうか。
三人の聴取が終わったことで、一瞬だけ時間に余裕ができた。休める時には休んでおかなければ、刑事というハードワークは務まらない。俺は、砂糖とミルクのたっぷり入ったコーヒーを入れることにした。しかしその途中で、藤堂と太刀林が諸星と西川を連れて帰ってきた。
「休む暇はなさそうだな。」
「またまたあ。笠原さんが休んでいるところなんて見たことがないっすよ。」
「お前は俺のことをターミネーターか何かだと思っちゃいないか?俺だって感情のある普通の人間なんだぞ。」
「顔つきはシュワルツェネッガーよりも敵の液体金属の人っぽいっすね。」
「聞かんかい。」
英語の発音が妙にいいのがまた癪である。
「大丈夫、わかっているっす。笠原さんは動きにメリハリのある素敵な人って言いたかっただけっすよ。」
「またわけのわからないことを。」
俺はいつも相手への態度や表情を考えながら行動している。機械的なターミネーターとは真逆のはずだ。
「そもそも、ターミネーターと言い始めたのは笠原さんの方です。諦めてください。」
「藤堂、お前は太刀林の味方なのか。」
「味方も何もありません。そんなことより次の聴取が待っています。」
「わかっているよ。まったく。」
雑談の時間は短い。仕事に塗れた男の一瞬の休息である。側から見れば、馬鹿馬鹿しい話をしているようにしか見えないだろう(事実、内容は馬鹿馬鹿しい)。しかし、こういった時間も生きる上では、本当は大切なのだ。心の余裕を生み出す、この時間が。被害者にはもう過ごせない時間でもある。生きている俺たちが大切にしないで、誰が大切にすると言うのだ。
とは言え、藤堂の言う通り俺たちにはまだまだやることが残されている。そろそろ行かなくてはならないだろう。俺は甘いコーヒーを一気に飲み干すと、再び取調室に戻った。
諸星は一見、先日と変わりない様子であった。しかし、よく観察すると指先が小刻みに震えていた。
「さて、井上さんが亡くなったことはご存知ですね。彼について少し聞かせていただきます。」
「どうぞ。」
僅かだが、声も震えているようだ。
「まず、諸星さんの抱いていた井上さんへの印象を教えてください。」
諸星は一瞬考えるように目線を宙にやると、ゆっくりと喋り始めた。
「親切な人ではありました。私が『劇団プリズム』に入った時も、周りに馴染めるように話を振ってくださったり、度々声をかけてくれたりしました。他の人も、同じような印象を持っていたと思います。同時に、とても純粋な方だとも感じました。言い方はよくないかもしれませんが、詐欺に会いそうで少し心配でした。」
「詐欺、ですか。何か前例でもあったのですか?」
「前例、というほどでもありませんが、井上先輩は他のメンバーに体良く使われているようなところがありましたから。」
「それは、どなたにですか?」
「主に、田村先輩と佐竹先輩です。田村先輩は自分が脚本に集中するために、面倒ごとを井上先輩に押し付けている節がありました。もともと『劇団プリズム』の立ち上げを企画したのは田村先輩でしたが、そのための実働はすべて井上先輩がしたそうです。佐竹先輩は、大学の課題やレポートを度々井上先輩に手伝わせていました。井上先輩は、頼めば断らない性格な上に成績も良かったので都合が良かったのだと思います。ただし、本人は使われているなんて考えてはいなかったと思います。一々『人助け』とすら思ってはいなかったのではないでしょうか。」
井上にとってそれはあまりにも当たり前のことで、特筆すべきことではなかった、ということらしい。
「なぜ、井上さんはそんなにお人好しだったのでしょうか。」
「そう言えば、井上さんは特撮作品が好きだったと聞いたことがあります。正義のヒーローに感化された、ということだったのかもしれません。」
正義のヒーローか。確かに、子供の頃に見た特撮作品に影響を受けた人は多いだろう。もっとも、俺はあまり見たことがないので、真の意味で理解することはできないのだが。
「井上さんを殺す動機のある人物に心当たりはありませんか?」
「……そうですね。少なくとも『劇団プリズム』の中にはいないと思います。それ以外だと……。申し訳ありません、わからないです。」
「逆恨みされていた、ということはありませんか?人助けというものは、往々にしてそれを生み出すものですが。」
「そういうことも、あったかもしれません。井上さんの行動は、悪い言い方をすれば表面的なものが多かったですから。ただ、具体的にはお答えできません。」
『劇団プリズム』には先輩を悪く言う文化でもあるのだろうか。行動を『表面的』とまで言われることはそうそうないと思うのだが。
「今度は、諸星さん自身についてお聞きします。昨日の十二時頃はなにをしていましたか?」
「昨日は、早月先輩と一緒に買い物とカラオケに行っていました。十二時頃ならカラオケで歌っていたと思います。」
この辺りの供述は早月のものと相違なさそうであった。この二人のアリバイは決定的と言っていいだろう。
ここまでの諸星の供述は非常にまとまった、正確なものであった。しかし、話すに連れて彼女の指の震えが少しずつ大きくなっているのを、俺は見逃さなかった。
「諸星さん、大丈夫ですか?先ほどから強く震えているようですが。」
諸星自身も気づいていなかったようだ。ぎょっとした顔をして、自分の腕を掴んだ。
「なんでもありません。大丈夫です。」
「諸星さん、無理をする必要はありませんよ。状況が状況です。恐怖するのも緊張するのもおかしなことではありません。刑事を相手に警戒するなと言う方が無理はあるでしょうが、ここにあなたの敵はいません。言いたいことがあるなら、吐き出してくれて構わないんですよ。」
俺はできる限り優しく、諸星に声をかけた。本来ならば一々聴取相手にそんなことは言っていられないのだが、根の真面目な人間から情報を得ようとする時には、このような優しさが必要になる時もある。
俺の言葉が、諸星の心に届いたようだ。諸星は鼻を啜りあげた。
「……刑事さん。私も殺されるのでしょうか?」
それまでとは打って変わって、諸星は涙声になっている。
「私、あまりみんなに好かれていないのです。言った方がいいと思ったことを正直に言っていたら、煙たがられるようになってしまいました。犯人が誰なのかわかりませんが、次は私が殺されてしまうのではないでしょうか。私、嫌です。まだ死にたくない。」
「落ち着いてください、諸星さん。そんなことにはさせません。それに、浅田さんはともかく、井上さんはまだ殺されたと決まったわけではありません。心配になるのは当然ですが、思い込みで自分を追い込んではいけない。」
俺は井上も殺されたと思っているが、そこは口には出さない。不必要に心配させることもないだろう。
本人は痛く心配しているようだが、俺の聞いた限り諸星が嫌われているということはなさそうだった。少なくとも、彼女を否定するような話は全く出てきていない。それに、昨日は早月と遊びに行っているあたり、他のメンバーと交流がないわけでもないだろう。俺に言わせれば諸星の思い込みに過ぎない。
しかし、彼女も彼女で極限状態なのだろう。不安の告白は止まらない。
「きっと井上先輩も殺されたのです。私、怖いのです。警察では保護してくれないのですか?」
「そうですね。不安があるのならば、諸星さんの家の近くに捜査員を派遣しましょう。こまめに見回りをしてくれるはずです。大丈夫です。これ以上の被害は出しません。」
諸星を落ち着けるのに、またきっかり五分かかった。俺は相談員ではないのだが、文句を言っても仕方がない。それに今回は俺の方から聞いたのだから、言ってしまえば自業自得だ。いいことをしたと思うようにしよう。刑事とは、往往にしてそんなものだ。
西川は顔色こそ悪かったものの、なぜか笑顔を浮かべていた。あまりにも引きつっていたので、最初は笑顔だとわからなかったが、その甲高い声を聞くと、おかしな精神状態になっていることがよくわかった。
「刑事さん。死んだ人には悪いんだけど、これってもしかしてすごい宣伝になるのではないかしら。」
「宣伝?『劇団プリズム』のですか?」
「そう。そしてひいては私の宣伝になるのよ。現実の事件と劇中の事件がそっくりだなんて、メディアが放っておくわけないもの。」
確かにそうではある。もしも本当に『愚行の行方』が公開されれば、その注目のされようは半端なものではないだろう。すでに『愚行の行方』の存在に気づきつつあるメディアもあるらしい。しかし、
「中止にするという考えはないのですか?二人も亡くなった以上、しばらく活動は止めるのが無難だと思いますよ。」
「何を馬鹿なことを言っているの?こんなチャンス、一生来ないかもしれないのに!」
西川は笑顔と怒り顔の綯い交ぜになったおそろしい形相で言葉を吐き出し続ける。
「みんな、私を見てくれるわ。これで私も本物の女優に仲間入りよ。そうだわ、脚本に言って主役を私に変えてもらわなくちゃ。九月二十六日が本番よ。刑事さんも見に来ればいいわ。その方が盛り上がるから。」
大分おかしくなっていやがる。他のメンバーとはベクトルが異なっているものの、これはこれで大概危険だ。これもある種の集団心理というものなのかもしれない。一人なら正常な判断ができても、複数人だとおかしな方向へ走ってしまうということは案外よくあることである。
しばらく彼女も喚いていた。話を食い止めるのはなかなか骨の折れる作業だった。一通り喋り終えて声のトーンが少し下がった頃、俺はすかさ質問を挟んだ。
「井上さんについて、教えてください。西川さんはどのような印象をお持ちでしたか?」
いつも以上に冷静にはっきりと、口を大きく開けて尋ねた。そのおかげか、西川の耳にもきちんと届いたようだ。
「座長は座長よ。それ以上でも以下でもなかったわ。」
「それは、どういう意味ですか?」
「座長としての機能は果たしていたけど、それだけね。あまり面白い男ではなかったわ。全体的に言っていることがふわふわしていたのよ、あいつ。『頑張りましょう』とか『気持ちを込めましょう』とか、中身のない演技指導しかできなかったわ。田村がいないとあまり役に立たなかったわね。人間的な底が浅いくせに、無理に深めようとしている、そんな感じかしら。」
西川の人物評は、側から聞いているだけだと中々面白い。言われる方は堪ったものじゃないだろうが。
「誰かに恨まれていたなんてことはありませんか?」
「あんなの、恨むほどの価値もないわよ。演劇の才能なんて欠片もなかったんだから。じゃなきゃ私を主役から外すなんてありえないわ。」
余程腹立たしかったのだろう。主役から外されたことをまだ根に持っているらしい。
「仮に井上さんが殺されたとして、その犯人が演劇関係とは限りません。何かご存知じゃないですか?」
「ご存知じゃないわ。演劇から離れた座長なんて、何の意味があるって言うのよ。そんなもの、わざわざ知ろうだなんて思わないわ。」
「そうですか。」
極端な視野の狭さである。ここまでくると西川本人もなかなか生きづらいだろう。
「昨日の正午頃、どこで何をなさっていたかを教えてください。」
「その時間なら烏丸で能を観ていたわ。」
「能、ですか?」
「そうよ、何よ、おかしい?女優たるもの様々なものから演技を吸収しなければならないのよ。」
もちろん、おかしいとは思っていない。ただ、「能を観る」という言葉に馴染みがなかっただけだ。京都に長く住んでいるが、能や狂言には一度も触れたことがない。
「もったいないわね。こんなに身近にあるものなのに。現代の感覚からすると理解できない点が多々あるのは事実よ。気づいたら始まっていて気づいたら終わっているなんて普通じゃあ考えられないもの。だけど、勉強になる点もたくさんあるんだから。例えば……。」
「申し訳ない。聞きたいのは山々なんですが、今回はご遠慮ください。なんせこちらも仕事ですから。」
西川はフンと鼻を鳴らした。これは俺も西川の低評価人間リストに載ってしまったかもしれないな。
「犯人なんて決まったようなものじゃない。脚本通りの事件が二件も起きているのよ。田村以外に考えられないわ。ただね。あいつを逮捕するのは『愚行の行方』の公演の後にしてよね。あいつが捕まっちゃったら本当に中止になっちゃうわ。」
「はい」と素直に言うわけがないだろう。刑事を舐めないでいただきたい。
『劇団プリズム』のメンバーで話が聞けていないのは、田村と旭川(こちらは元が付くが)の二人である。本当は早いところ田村の話を聞きたいのだが、他の捜査員(今更だが、我々十一班以外にも捜査に参加している刑事は存在する)曰く「どこかに出かけていて行方が分からない」らしい。なぜ、目を離してしまったのか。意味がわからない。仕方がないので、まずは旭川の家に向かうことにした。
再び訪れる旭川の家。前は話しかけるや否や逃げ出して行ったが、流石に二度目はないと思いたい。念のため警戒を強めつつ、チャイムを鳴らす。数秒。何も起きない。今度はドアをノックしてみた。
「旭川さん、いらっしゃいますか。」
再び数秒おいて、ドアがゆっくりと開いた。中から出てきた旭川は、無精髭こそ剃られていたが、表情は先日とほとんど変わりがなかった。
「刑事さん。」
「旭川さん。井上さんが亡くなったことはご存知ですか?」
「はい……。今、丁度聞きました。」
「今?」
部屋の中を覗き込むと、何者かの影。その影は徐にこちらへと動き出し、その顔を見せた。
「聞き込みですか?大変ですね。」
「こちらにいらっしゃいましたか、田村さん。」
その男は田村であった。相変わらずその顔に表情はなく、妙に尊大な物腰もまるで変わりがない。
「旭川先輩に用事があったので。」
「用事?一体何の用事でしょう。」
「刑事さんに話す必要はないのですが、いいでしょう。今度の公演に代役として参加してくれないかと頼んでいたんです。メンバーが二人も欠けてしまいましたからね。人手が足りないんです。」
「やはり、公演はやめないのですね。」
「ええ。むしろ必ずやり遂げようという気力が高まっています。」
両手を広げてみせる田村。それに対して、旭川は俯いていた。
「僕はあまり乗り気ではないんですけど……。」
「そこをなんとか。この通りです。」
口ではそう言っているが、その実動きは伴っていない。頭を下げることもなく、不遜に立ち続けている。側から見れば失礼なこと極まりないのだが、意外にも旭川は迷っているようだ。
「お話中申し訳有りません。お二人にはお聞きしたいことがいくつかありますので、署までご同行願えますか?」
「そんな!僕じゃない!」
途端に旭川が声高に喚き始めた。ここでまた逃げられでもしたら堪ったものではない。慌てて久我が旭川をなだめ始めた。
「あくまで話を聞くだけです。落ち着いてください。」
「そうですよ、やっていないのなら堂々としていればいいのです。」
田村が冷たい声で言い放つと、旭川もおとなしくなった。田村は動じることなくこちらを向く。
「それで、今から行けばいいのですか?あまり拘束されたくはないのですが。」
「どれだけかかるかはお話次第です。外に車がありますので、今から来ていただきます。」
「仕方がないですね。」
田村は肩を竦めて見せると、さっさと靴を履き始めた。
「君は強いな……。」
ポツリとこぼした旭川の萎れた顔が、妙に強く印象に残った。
車で署に来たため、少し時間を置けたのが良かったのだろう。取調室での旭川は、以前より落ち着いて見えた。田村の言葉が効いたのかもしれない。
「旭川さんは『劇団プリズム』をやめて二ヶ月ほどと聞いていますが、その間井上さんとの交流はありましたか?」
「あんまりなかったですね。井上に限らず、『劇団プリズム』のメンバーとは疎遠になっていました。」
「では、最近の井上さんの様子はご存知ない、ということですか。」
「はい。元々そんなに仲が良かったわけでもないですし……。」
「そうなんですか?」
「それなりに長いこと在籍していたのですが、あまり馴染めませんでした。メンバーとも、そんなに交流があったわけではありません。代役とはいえ、声がかかるとは思わんかったな。」
遠い目をする旭川。自身の評価について、多少の自覚はあるのかもしれない。
「井上さんについて、どのような印象をお持ちですか?」
「陽気なお人好し、と言ったところでしょうか。あまり裏表を感じない人でした。すこし正直すぎるところもあったように思います。」
「正直すぎる……。例えばどんな時にそう感じましたか?」
「そうですね。井上はどうも佐竹に好意を抱いていたようで、佐竹のことをよく褒めていたんです。例えば、その日初めてあった時は『その服、よく似合っているよ』ってほぼ必ず言うんです。ある日、朝にサークルの会合があったのですが、佐竹が遅れて来たんです。急いで来たのでしょうね、普段はコーディネイトをばっちり決めていた彼女が、少しラフな格好をしていました。すると井上が出会い頭に『あんまり似合っていないね』って言っちゃったんです。思わず出てしまった言葉だったのでしょう。普段の服装がよく似合っていた、というのもあったんでしょうが。それを聞いて、佐竹は怒って帰ってしまいました。井上本人もまずいことを言ったのは認識していたようです。すぐに謝りに飛んでいきましたよ。おかげで仲直りはできたようです。」
それは、ちょっと、恐ろしい話だな。一歩間違えれば悪意があると思われかねない。女性の服装を貶すのには、ある種の勇気が必要だ。そしてそれはただの蛮行になることが多い。なるほど、井上には少々素直すぎるところがあったらしい。
しかし、この旭川という男。前に話をした時には気づかなかったが、落ち着いていればそれなりにスムーズに会話のできる人物のようだ。
「井上さんに殺人の動機を抱いていそうな人物に心当たりはありませんか?」
「少なくとも恨まれるような人物ではなかったように思います。見た目も人当たりも悪くなかったですし。もちろん、僕も井上には何の恨みも持っていません。」
「そうですか。」
今のところ、動機のある具体的な人物名は一つも上がっていない。ということは、犯人には井上に対する恨みなぞ本当に存在しなかったのかもしれない。
「昨日の十二時頃の行動を教えてください。」
「昨日は、就活で大阪に行っていました。十二時ならお昼ご飯を食べていた頃です。お店の名前も覚えているので、確認してみてください。」
彼にもまた確固たるアリバイがありそうだ。前科持ち(正確にはお咎めなしで済みそうだが)を疑うのは鉄則だが、今回はさすがに無理筋なようだ。
田村の顔からは、相変わらず何の感情も読み取れなかった。取調室でも傲岸な態度は変わらない。しかし俺は、彼も人並みに感情を持っていることを知っている。広島時代、信頼できる人に弱音を吐いていたこと、夢を語っていたことを知っている。少しずつ、田村という人間の本質が見えて来たような気もしている。彼は本心を隠している。決して見た目通りの人間ではない。
「田村さんは、井上さんとも親しくしていたのですよね。」
「そうです。惜しい男をなくしました。」
これは本心なのだろうか。嘘ではない、俺にはそう見える。しかし同時に、それだけではないようにも見える。
「井上さんについて、お聞かせください。どのような印象をお持ちですか?」
「少し変わった男でした。博愛主義者に見えて、案外こだわりが強い。真面目で熱心だが、少々思い込みが強い。痛い目を見ても人を信じようとする。私にはないものをたくさん持っていました。」
「あなたは彼を好意的に見ていましたか?それとも……」
「もちろん、好意的に見ていましたよ。私はあまり人前に出るのが得意ではありません。本来『劇団プリズム』の発起人は私なので、先頭に立たなければならない時も多々あったのですが、彼はその役を私の代わりに買って出てくれました。本当に感謝しています。それに、彼の行動は私にとっては予想外で、とても面白かった。」
「ほほう、例えばどんな行動ですか?」
「井上と最後に会った時、一昨日の聴取の時でしたが、あいつは私の手を握って『お前じゃないことはわかっている。何かあったら言ってくれ、協力するから』と言ってくれたんです。そんなこと、普通言いますか?他のメンバーには、口には出しませんが本心では私を疑っている者もいるようです。正直、当然だと思います。私だって、あのタイミングであの脚本を出されれば多少は疑うでしょう。しかし、井上だけはそうじゃなかった。本気で私を信じていたんですよ。」
変わらない、一本調子な田村の声。しかし、俺には何か感情が混ざり始めているように聞こえる。これは、後悔?懺悔?
「事実、私は潔白です。だけど、こんな時でも信じてくれるあいつに私は、何も言えなかった。」
それきり、田村は黙ってしまった。
「今のは、一体どういう?」
田村はゆっくりと頭を振る。
「他にも聞きたいことがあるんでしょう。さっさと済ませてください。」
田村の様子が元に戻ってしまった。こうなってはもう話してはくれまい。俺は先を続けることにした。
「井上さんが殺されたとして、その動機を持つ人物に覚えはありませんか?」
「恨みとか憎しみだとか、そういうものに関しては、ありません。断言します。そんなものを抱いている人はいなかった。」
いやに自身たっぷりだ。それだけ、井上の人間性を信用していたのか。
「絶対ですか?」
「絶対です。」
「なぜそう言い切れるのですか。」
「事実だからです。」
何度か重ねて尋ねてみても、答えは変わらなかった。これでは埒が明かない。
「昨日の正午頃、何をしていたか教えてください。」
「昨日は寝坊してしまって、昼前まで布団の中にいました。昼からはアルバイト先の本屋に行っていました。北野白梅町です。仕事は一時からで、その十分前には本屋にいました。」
正午に京北のO山の奥で井上を殺し、十二時五十分までに北野白梅町に戻る。これは可能だろうか。車があればギリギリできるかもしれないが、かなり厳しいように思える。
「田村さんは車をお持ちですか?」
「持っていません。それどころか免許もないです。」
可能性はよりゼロに近づいた。しかし、アリバイ成立とまでは言い切れないのがなんとも歯がゆい。
「どれだけ疑ってもらっても結構ですよ。私は誰も殺してなどいない。その事実がある限り、私を疑うのは刑事さんの徒労です。」
「徒労ならそれで構いません。後から見て無駄だったからと言って、やらなければよかったなんて零せるほど、頭は良くありませんからね。」
両手をあげて見せる俺を見て、田村の表情が少し緩んだ。俺もニヤリと笑みを浮かべる。作り笑いではない。正真正銘本物の、心からの笑顔だ。
「犯人逮捕、期待しています。頑張ってください。」
こともなげな言葉だが、そこに複雑な感情が込められていることは、もはや明確であった。
窓の外は暗くなってきた。天気は崩れ出し、パラパラと雨が降り出している。
学生たちへの聴取はすべて終了した。今の段階では拘束する理由はない。全員家に帰した。他の班に連絡し、彼らから目を話すことがないように釘も刺した。
流石に腹も減った。そろそろ何か食べなければ。こんな時のために、俺のデスクの中にはすぐに食べられるものがいくつか入っている。俺は中から適当に掴み取ると、デスクの上に投げ出した。スーパーなどで売っている小さなカップケーキだった。せっかくなので、久我にも一つ投げておいた。
「お前も食っておけ。」
「ありがとうございます。」
久我は恭しく返事をすると、早速封を開け始めた。俺もさっさと中身を取り出すと、それを口の中に投げ入れた。安っぽい甘みが口の中に広がり、パサパサの生地が口内の水分を容赦なく奪っていく。コーヒーも入れるか。俺は椅子から立ち上がった。
ポットからお湯を出しながら考える。この事件の犯人は一体誰なのだろうか。浅田の事件の場合、可能なものは大勢いた。しかし、井上の場合はそうではない。今のところ、犯行可能だったのは、城崎典彦、佐竹宮子、そしてギリギリで田村昭雄。この三人の中に浅田殺しの犯人もいるのだろうか。
「久我、お前はどう思う。」
返事がない。振り向いてみると、久我はぼんやりと窓の外を眺めている。
「久我!おい!何を黄昏ているんだ。」
俺が大きな声を出して、ようやく久我は気づいたようだった。我に帰った奴は飛び上がるように立ち上がった。
「はい!何でしょう笠原さん。」
「それは俺のセリフだ。どうした、疲れたか?」
「あ、いえ。そう言うわけじゃないんです。」
「ならなんだ。言ってみろ。」
「……少し、驚いたというか、何と言うか。」
久我自身もなかなかうまく言語化できないようだ。しばらく考えて、慎重に久我は話し始めた。
「えっとですね。今日は学生たちから二度目の証言を得たじゃないですか。それで、一回目とは印象の異なる学生が多かったなって思って。」
「確かに。奴らも余裕を失ってきているようだな。」
親友を失って取り乱す城崎や、女優という夢への執着を強める西川。他の学生も多くが一回目の取り調べとは違う面が見られた。
「みんな、大なり小なり自分を隠して生きているんですよね。当たり前に。だけど、僕はどうなんでしょうか?」
「ん?」
「僕は、自分で言うのもなんなんですけど、素直に生きてきた自覚があります。これまで、自分の思いをまっすぐに貫くことこそが正しいことだと信じていました。逆に自分を偽ることは、どこか悪いでことだとも思っていたんです。浅田の秘密を暴くことを躊躇したのも、それが根底にあるからでした。秘密の内容を明らかにすることにももちろん抵抗はあります。それだけじゃなくて、浅田にとっては秘密があること自体をバラされるのが一番恥ずかしいのではないだろうか。そう考えていました。だけどそうじゃないのかもしれない。秘密があるのは、当たり前のことなのかなって、今考えていたんです。」
どうやら本気で言っているらしい。誰にだって秘密の一つや二つはあるものだろう。それ自体は恥ずかしいことではない。それを言うのは簡単だ。
しかし、今はそんな常識の話をしているのではない。久我の心の問題なのだ。久我が納得するようにできなければ意味がない。
「お前の言っていることは、正しい面もある。秘密があること自体を知られてしまうのは、ある種の弱みを握られらことに等しい。一つ秘密があるとわかっただけで、有る事無い事書き立てる奴らもいるしな。」
俺は久我の目を見据えて言った。
「正直に言おう。俺はお前のことを優しすぎるだけだと思っていた。感受性が豊かで傷つきやすい人間なんだと。だけど少し違ったんだな。それだけじゃなかったんだ。お前は強い。少し強すぎるんだな。そしてその二つのギャップで悩んでいるんだ。」
久我はどういう刑事になるんだろうか。自分の鈍感さを繊細に気づいてしまった若者。きっと、久我にとってこの世の中は生きづらいだろう。
「お前にとって一番厳しい答えを取れ。それこそがきっと、お前らしい道になる。……なんてな。柄にもないことを言っちまった。」
久我の口元が少しだけ緩んだ。
「只今戻ったっす。」
午後になっても元気な声。若いとは素晴らしい。色々と調べに出ていた太刀林と藤堂が帰ってきたようだ。
「おう、どうだった。」
「報告します。まず、井上の遺体の第一発見者の清見貴子ですが、関係者とはまったく関わりがないようで、現場にいたのも偶然のようです。事件との繋がりは一切ない人物と言えそうです。」
「そうか。井上から見つかった遺書はどうだ?」
「はい、井上の自宅にあったパソコンと照合して見ましたが、一致しませんでした。別のところから印刷されたものだと思われます。念のために井上がさわりそうなパソコン、主に大学内のものですが、それらを調べてみましたが、一致するものはありませんでした。」
「と言うことは、井上が書いたものではない可能性が高いか。やはり偽装だろうか。誰かが井上を崖から突き落とした後で、予め作成しておいた遺書を井上のズボンのポケットの中に入れた。」
これで偽装のつもりなら、なんともお粗末ではないか。せめて井上の触りそうなパソコンから印刷するくらいのことはするべきだろう。浅田の事件と比べると、隠蔽の精度の低さがより目立つ。なぜだ、なぜこんなにも程度が低いんだ。浅田の事件の犯人と井上の事件の犯人は別なのか?
しかし、我々にとってこれは一つのチャンスである。関係者の家のパソコンを調べていけば、あの遺書を書いた人物の特定もできるかもしれない。その為には家宅捜査の申請が必要か。もう少し犯人候補を絞る必要があるな。
「次に、井上の遺体について渡辺さんからの情報です。井上の死因は前頭部の脳挫傷。滑落の際に負ったものと見てよいとのことでした。意外なことに、前頭部以外に大きな外傷はなし。死亡推定時刻も変わりはありません。」
「殺人か自殺か、あるいは事故か、その辺はどうだ?」
「残念ながら、現状ではそれはわからないそうです。外傷を見る限り、井上は崖側を向いた状態から落下した、ということはわかったのですが、誰かに背中を押されたのか、それとも自分から落下したのかまでは定かではありません。」
「厄介だな。」
これでは殺人であることを立証できない。遺書の偽装は現段階では疑惑でしかなく、証拠がない。もしも上層部が自殺と判断してしまえば、俺たちはそれ以上の捜査ができなくなってしまう。
「それと、浅田の半生についても詳しく調べてきました。浅田は滋賀の出身ですが、田村と同じく高校時代にいじめにあっていたようです。R大学に進学したのも、地元から逃げたいという思いが強かったからのようです。もちろん、映画についても関心は高かったようですが。」
「そうか。」
田村の半生と被る部分も多い。二人が親しくなったのは、仲間意識のようなものがあったからかもしれない。よし。
「明日は井上が殺害されたのかどうかについて徹底的に調べ上げる。並行して浅田の事件の犯人の捜査も続行する。この二つの事件には間違いなくなんらかの繋がりがある。厳しい時期だが、頼むぞ。」
「はい。」
「承知しました。」
「任せてくださいっす。」
バラバラだが、気合の入った声。お前らの活躍、期待しているからな。




