序章 ジャーナリストはやってくる
「それでは早速、お話を聞かせていただけますか。」
二〇一八年の茹だる様な暑い夏の、正に盛りと言ってもよいある日、我が家にテレビ番組のスタッフを名乗る男がやってきた。まあまあお茶でもどうぞと、普段使いのお茶を差し出した俺に対し、目の前の若い男は椅子に座るなり前述の台詞を言った。まだ二十代そこそこといったところだろうか。紅潮した頬には幼さすら感じさせる。世間話もなしに本題に入っていくあたり、社会人としての会話術というものがまだ分かっていないらしい。世の中俺のように優しい人間ばかりではない。意気込みばかりではこれから苦労するだろう、などといらぬ心配をしながら、俺も口を開いた。
「構いませんよ。それで、今日は浅田宏美とその関連の事件について聞きたいということでよろしいですかな?」
若い男、名前は紀藤孝之と言うらしい、は目を輝かせた。
「はい。世間では『京都SM殺人事件』と呼ばれた事件です。二十年前に起きたあの事件について、今回特集番組を放送したいと考えておりまして、担当刑事であった笠原大治さんのお話をぜひとも伺いたいと。」
姿勢を改めた紀藤にこちらも自然と背筋をのばして答える。
「もちろん、ご協力させていただきますよ。私はテレビ番組が大好きでしてね。特にルポルタージュ番組の類は大好物で、いつか出てみたいと思っていたんです。我々ですら知り得なかった情報を、テレビ局のみなさんがどこから集めていらっしゃるのか興味もありますし。」
紀藤は安心した顔で「恐縮です。」などと言っている。寧ろ不安になってほしいところだったのだが。
「もちろん話せることには元刑事として限界がありますが、私に答えられることには答えましょう。古い事件ですので、少々記憶が曖昧かもしれませんがね。」
元刑事として云々は本当だが、記憶に関してはまったくの嘘である。あんな事件そうそう忘れられるものではない。それどころか、未だに俺はあの事件の一部をことあるごとに目撃している。だが、あの事件のせいで迫害を受けた関係者のことを考えれば、多少は予防線を張っておいた方がいいだろう。記者という生き物は、報道だろうがバラエティだろうがあることないことないことを書き立てるものだということを、俺は刑事時代に何度も痛感させられた。一見紀藤には人間的な純粋が残っているようだが、そんな人間に何度苦渋をなめさせられた事やら。あの事件は面白おかしく話せる様なものではない。紀藤は遺族の許可をきちんと取っているようではあるし、今だからこそ世間に伝えたいことも多々あるが、ここは慎重に行くべきだろう。
とはいえ、これから俺が話すことに嘘はない。正しく伝えることこそが、あの事件に関わった一人としての義務だと俺は思っている。
手元に置いた、当時のスクラップブック。刑事時代の俺は、自分の担当した事件についての記事を常に集めていた。俺はそれに手を置いて口を開く。
「では始めましょうか。あれは二十年前の九月十三日のことでした。」