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中編

5.



 情けないヤツだと、哲弥は思った。

 やりたい放題命の危険も顧みずにひた走ってきた男が、一人の女の気持ちを傷つけているかもしれないということでウジウジしている。それが来澄凌という男の優しさなのだろうし、魅力でもあるのかもしれないのだが。

 面倒だ。

 学年末が迫り、本当は勉強でそれどころではない。

 進路決定までの大切な期間だというのに、いつまでも裏の世界に入り浸っていて良いのかと自問自答する日々の中、裏の世界で神様をやっている凌に頭を下げられたのだ。本当に大切なのは何かと試されているような気がして、哲弥の心は穏やかではなかった。

 かといって、凌に助け船を出せる人間が他にいないことも、哲弥は知っていた。友達が居ないというのは大げさじゃない。凌は本当にびっくりするほど、人付き合いが苦手なのだ。

 ひと肌脱ぐしかないのだろうか。

 凌の自宅からの帰り道、哲弥は渋々スマホを取り出す。


≪須川さん、ちょっと相談あるんだけど≫


 慣れないフリック入力でたどたどしく打つと、哲弥はハァと白い息を吐いた。






6.



 哲弥からの連絡に、怜依奈は戸惑った。

 普段は「スマホは電話でしかない」と、SNSでの会話を極端に嫌う男が、珍しい行動だった。哲弥が言うには、スマホの操作時間は、勉強時間にマイナスに働くらしく、効率を悪くする道具でしかないとのこと。今時稀少な、全く融通の効かない人間なのだ。


≪あの二人、どうにかしてやりたいんだ。協力してくれる?≫


 あの二人とは、凌と美桜のことだ。

 元々凌に片想いしていた怜依奈にとって、それはあまり受け入れられないお願いだった。

 制服のままベッドに寝転がり、文面を何度も見直す。

 美桜もそうだが、凌の表情も近頃硬い。悩み事があるのだというのはすぐにわかった。けれど、「大丈夫」とにこやかに返されては何も言い出せない。悶々とした日々を過ごしていたのは怜依奈も同じ。


「凌が悲しい顔をしてるの、これ以上我慢できないもんね」


 自分に言い聞かせるよう呟いて、怜依奈は静かに深く息を吐いた。

 美桜に、SNSでメッセージを送る。


≪今度の休み、一緒にチョコ作らない?≫


 自分でも変だと思う。

 好きな人の彼女とチョコを作ろうだなんて。

 それでも。

 怜依奈は複雑な気持ちで、美桜からの返信を待った。






7.



「ミオ様、最近表情が優れませんね。如何なさいました?」


 顔を覗き込んできたのはモニカ。

 ブラックゴシックロリータの彼女は、自分より背の低い美桜の表情を見るために、わざとらしく腰をかがめていた。

 美桜は慌てて肩を竦め、


「な、何でもないわ」とそっぽを向いた。


 橙の館には、(あるじ)のレグルが居なかった。今の時間は塔に居るらしい。

 本来ならば、レグルノーラに飛んだら先ず(あるじ)の元へと行くべきなのだが、最近どうも居心地が悪く、顔を合わせづらい。留守なのは、美桜にとって好都合だった。

 館付きのメイド、セラがテーブルの上にそっとお茶を置く。美桜はありがとうと会釈し、席に座って茶を啜った。

 レグルノーラに飛ぶと、竜の血が騒いで半竜化してしまう。長く鋭く伸びた爪や、身体中そこらに浮かび上がった白い鱗、変形した耳や背中の羽、それに長い尾など、制御できずに竜化したそれらは、思春期の美桜にとってはひとつの悩みの種。自分を自分として受け入れることが出来るようにはなったものの、最早一人の女の子ではなく、単なる竜なのだと思い知らされる。

 以前凌に抱いていた恋心がどこかで消えかかってしまっているのは、これも一因かもしれないと美桜は思う。単に凌の存在が遠くなっただけでは説明しきれない微妙な気持ちの変化に、頭が付いていけないのかも。


「何でもなければ、遠くを見つめてため息を吐いたりしないと思いますよ」


 モニカが自分のカップを持って向かいに座る。


「私で良ければ、相談に乗りますよ。伊達に年齢重ねてませんから」


 彼女は凌の従者で、一緒に戦う仲間だ。信頼できる人物であることも知っている。

 それでも、内容が内容だけに、こんな悩みを打ち明けて良いのか迷う。

 困っていると、


「当てましょうか」とモニカは言った。


「レグル様とのことでお悩みなのでしょう」


 美桜の顔が真っ赤になったのを、モニカは見逃さなかった。

 フフフッと口元を隠して笑い、「やっぱり」と呟く。


「あんなに心を通わせていたお二人の様子がおかしいのに、私たちが気付かないわけがありません。レグル様はレグル様で、時折寂しそうな目をしているのをお見かけします。リョウ様の心が大きいときには特に、ため息の頻度が多くなるのですよ。そして、私やノエルがミオ様の話題を振ると、あからさまに慌てられるのです。お二人とも、好き同士なのにおかしいですねって、私たちは笑うのですが、もしかして深刻な状態になっているのですか?」


 恥ずかしそうに、美桜は両手で顔を隠した。

 周囲は思ったより、自分たちの事を見ていたのだ。


「……神様と、恋人同士にはなれないもの」


 ぽつり、零したセリフは、思ったよりも恥ずかしい言葉で。


「“表”では、リョウ様はリョウ様なのでしょう。普通の恋人同士でいられるじゃないですか」


「それはそうだけど。でも、やっぱりそれは」


「素直に、気持ちを伝えれば良いのだと思いますよ。(しもべ)竜としてじゃなくて、恋人として扱って欲しいと。少なくとも、レグル様の半分はリョウ様なのですから」


「でも、残りの半分は」


「――そんなことを言っていたら、いつまでも平行線のままです。こちらで無理なら、やはりリョウ様が一人で活動なさる表の世界で想いを伝えるべきだと思いますよ」


 ゆっくり顔を上げると、美桜の目に優しいモニカの笑顔が飛び込んでくる。


「そう……、思う?」


「ええ」


 自分の言葉を代弁してくれたモニカが、美桜にはとても眩しく感じられた。






8.



 いろんなことがあって、神様として崇められるようになってしまったことを、凌は後悔しているわけではなかった。

 裏の世界・レグルノーラは大切な場所だし、ここで生きていくと誓ったことも、嘘ではない。

 けれど、得たものと同じくらい失ったものが大きいのは確かだった。

 美桜との時間をどう確保していけば良いのかというのが、凌の目下の課題。元々誤解される性格だが、彼女を苦しませてしまうのは我慢がならない。

 授業中、席替えして遠くなった美桜の席を見つめ、板書を取るのを忘れることさえある。声をかけようとしてタイミングを失い、変な動きをしてしまうことも。

 二人きりになればどうにか話も出来そうなものだが、生憎哲弥と怜依奈以外は自分たちが付き合っていることを知らない。美女と野獣、月とスッポン。側から見たら、正にそんな感じ。要するに、全く釣り合わない。

 哲弥に言われ、意を決した凌は、昼休憩と共に弁当片手にして美桜の席まで突き進んだ。一緒に飯でも食えば何かしら喋ることもできるのではないかと。


「あ、あのさ、美桜」


 声をかけた瞬間、美桜は席を立った。

 彼女は目を合わせない。

 思い悩んだような顔で、「ごめんなさい、トイレ」それだけ言って、教室を出て行った。






9.



 同好会の活動は、原則毎日。長くても授業終了後一時間程度で終わる。

 一人では裏の世界に飛べない哲弥と怜依奈のために、美桜が力を貸す。凌も時々手助けするが、裏の世界では行動を共にしない。裏へ行けば神様と一般庶民。格が違いすぎるのだ。

 そんなこともあって、凌は自分の宿題やら、菓子の買い出しやら、部室の整頓やら、そういうことに時間を割く。裏の世界へ戻れば、私生活などない彼にとって、他愛ない行動が全部貴重だった。

 机に伏して、三人、居眠りしているように見える。

 意識だけ裏の世界へ飛ばして、今彼らは何をしているのだろうか。

 自分だけ違う時間の流れを生きていることに、凌は酷く不安を覚えていた。






10.



「返事くれなかったの、どうして?」


 怜依奈に言われ、美桜はビクッと身体を揺らした。

 二人は、橙の館に飛んでいた。街中も良いが、良く見知った仲間が居た方が落ち着くと、美桜は最近、怜依奈を館に誘う。メイドのセラとルラは年が近く、いつも館に居てくれるし、時折モニカやディアナ、ローラも遊びに来てくれる。メイドたちが飲み物も食べ物もこまめに提供してくれるとあって、お喋りするにはもってこいなのだ。


「ど、どうしてって。私、あまりお菓子作り得意じゃなくて」


 怜依奈の手前、竜に変化しないよう気を配っていた美桜は、普段より人間寄りの姿をしていた。身体の鱗は少し残るが、背中の羽や尾は、できる限り引っ込めている。

 高校の制服姿の二人は、向かい合ってルラの出してくれたお茶とケーキを頬張っていた。


「そんなの、家政婦の飯田さんの手を借りれば解決するじゃない。チョコ苦手じゃないかって、凌には聞いた?」


 美桜は首を横に振る。


「エエッ? 聞いてないの?」


「だ、だって無理。表だと恥ずかしくてまともに喋れなくて」


「嘘でしょ? 何恥ずかしがってるの? 前はもっと堂々と接してたじゃない」


「ど、堂々となんかしてない。いつも凌と話すときはドキドキしっぱなしで。表情は硬くなるし、尖った言葉しか出てこないし。普通に接しなきゃって思えば思うほど、普通じゃなくなってしまうみたいで」


 美桜がツンデレなのはなんとなく知っていたが、あまりの重症度に、怜依奈は頭を抱えた。人前でキスをしたこともある仲なのに、何が恥ずかしいのか。さっぱり意味がわからない。


「凌のことが好きすぎるのはよく分かったけど、バレンタインまで日にちもないんだし、買い出ししたり、何作るか考えたり、作ったりしたらあっという間なんだからね。こうなったら、苦手がどうの関係なく、作っちゃおう。疲れてるときは甘い物って相場が決まってるし、拒否はしないでしょ」


 凌のことになると、気丈な美桜がまるでうぶな乙女になってしまうのは面白い。

 かつて美桜に嫉妬し、化け物まで出してしまった自分が、親身になって彼女の手助けをしようとしている。怜依奈はふと昔を思い出し、口元を緩ませた。

 誰かのために動こうとしている自分は、決して嫌いではなかった。


「“バレンタイン”って、なんですか?」


 双子のセラとルラが、声を合わせて尋ねてきた。

 二人、揃いのエプロン姿で首を傾げている。


「女の子が、好きな男の子に自分の思いを告白する日。一緒にチョコレートを渡すの。私の甘い思い受け取ってって」


 怜依奈か言うと、セラとルラはパッと顔を見合わせた。


「だから最近、うわ言のようにチョコって!」


「なんかソワソワしてましたよね!」


 二人は謎が解けたかのような反応を見せた。


「チョコレートって、黒っぽくて甘くて苦いあのお菓子ですね? 以前ジーク様が持ってきてくださいました。私たちもいただきましたが、今でもあの味、思い出します。レグルノーラにはない味なので」


 まるで夢心地な顔でルラが言うと、セラも思い出したようにクスリと笑う。


「レグル様もお喜びでした。ゼン様は苦手そうでしたけど」


「――ってことは、甘い物O.K.なんじゃないの?」


 と怜依奈。立ち上がってセラとルラの前に進み、二人の手を一度に握って満面の笑みを見せた。


「ゼンは竜だから甘いのダメだけど、凌はチョコを待ち望んでるってことじゃない。これで遠慮なく作れる! ありがとう、セラ、ルラ!」


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