第7話
苛立ちを隠さずに、執務室を歩き回る彼の姿をみて皆が怯えていた。
時折ドンっという木材が跳ねた音がする。
そんな落ち着く様子のない閣下を眺めながらヒソヒソと話をする狐耳の青年と、白いハットと白いスーツが特徴的な魔術師がいた。
「今日は一段と機嫌がよろしくないな?」
最初に切り出したのは狐耳だった。
「あー、そりゃあねえ。家族団欒の時を邪魔されてしまったのだからねぇ。」
やだやだ、とハットの男が首を振る。
へぇー、そうなんだ。と狐耳が耳をひょこひょこさせながら、話を聞いていた。
「君が油揚げを食べてる時に敵襲があったら、とても怒るだろう?」
「うん、怒る。」
「そういうもんだよ。」
はは、と笑うハットの男。
狐耳はほんの少し眉間に皺を寄せたが、ふいっとそっぽを向いた。
二人が戯れていると、思い切りドアが開く。
「閣下!」
開いたドアに狐耳が潰され、奇妙な声が上がったが、さらに入って来た黒い軍服の男は続ける。
「さ、再戦を申し込みたいと、光神の使いの者から…!」
皆が息を呑んだ。
閣下も足を止める。
「…閣下?」
心配そうに狐耳が声をかける。
金髪から黒にグラデーションがかかった特徴的な髪色、隠れた左目。
閣下、と呼ばれた男、グラゼルはすぐにその鋭利な視線を報告してきた軍人に向けた。
「何月何日何時何分何処で誰とそんな馬鹿なことをしなければならなくなったんだ?」
小さい悲鳴が上がった。
加えて畳み掛けるような質問に気圧されてしまう。
あー、とハットの男がつば先を持って帽子の位置を直しながら小さく声を漏らす。
あいつ終わったな、という声も隣で全開になったドアの裏あたりから聞こえた。
「おい、まさか詳細さえ聞けずにここに来たって言うのか?」
「し、失礼ながら閣下…これは光神からの戦線布告ととっても良いかと思われ…」
「んなわけねぇだろうがタコ!!!!」
時に、人間界ではパワハラという言葉が出来たらしいと聞く。
もしそれがこの職場で適用されることがあったなら、この横暴な上司はすぐにでも通報され、体罰や暴言などで役を降ろされてしまうのだろう。
尤も、ここでは彼こそが絶対なる神であり信仰対象であるため、そんなことはありえないのだが。
ハットの男は乾いた笑いを漏らし、ドアのノブをとって報告者を誘導する。
「まぁ、タイミングが悪かっただけだろうから、また後でおいで。」
と、一言付け加えて。
そそくさと彼が出ていくのを見計らってドアを閉めると、鼻先が赤くなった狐耳が現れた。
「リグレ、そんなところで遊ばないでよ。」
「……遊んでねーよ。」
リグレ、と呼ばれた狐耳は牙をむき出しにしながら唸る。
しかしすぐに閣下から声がかかり、目をキラキラさせて返事を返した。
「お前、自警団の管理はどうなっている。」
「へ?」
我ながら素っ頓狂な声が出てしまった。
リグレの目が丸くなっているうちに、咆哮が飛ぶ。
「自分の部下の管理もできないのか貴様ァァァァ!!!」
ビリビリと窓が鳴り、ヒビが入る。
ガタガタと本棚が揺れ、本が落ちる。
やはり閣下は恐ろしい。
正に破壊神だった。
「い、今から指導に向かうッス!し、し、失礼致します!!」
リグレは四つ足になる勢いで部屋を後にし、駆け出した。
はあ、とハットの男がため息をつく。
「閣下、八つ当たりは良くないと思いますよ。」
ハットを外し、頭を下げる。
彼の橙色の長い髪が揺れた。
「では、僕も失礼しますね。」
にこり、と胡散臭い笑みを浮かべ、彼もまたリグレの後を追おうとする。
しかし閣下の「待て」という言葉を聞いてその歩みを止めた。
やはり逃げ切れなかったか。
くるっと回り、「なんでしょう?」と笑顔のまま訊ねる。
まあ自分は三幹部の中で最も古株だ。
多少の八つ当たりも甘んじて受けよう。
「メロウ、お前は俺の弟妹を見張れ。」
しかし閣下の声は存外丸く、命令も至って普通の事柄だった。
メロウ、と呼ばれた魔術師はまたハットを取り一礼し、「承知致しました」と答える。
「閣下も良いお兄様ですね。やはり成神なされたばかりのお二人がご心配ですか?」
「それもあるが。」
グラゼルは執務室に置かれた小綺麗な椅子にかけ、机の上で指を組む。
その瞳の色からは怒りが抜けず、ガラスのような真紅に染まっていた。
「昨日、光神軍がわざわざやってきたという話はしただろう。」
「はい、お聞きしました。」
「あれは俺を狙っていたものではなかったように思う。」
おやおや、とメロウが指に顎を乗せる。
閣下はその立場上、人目につくところに現れれば所構わず光神の手下に襲われることが多い。
今回もご兄妹でお出かけなされたと聞き、光神につく者達が閣下を亡き者にしようと努力した結果なのだと勝手に思っていた。
なるほど、確かに弟妹を狙った可能性もある。
死んだはずの閣下の弟妹が生きているとなれば、彼らにも多少の不都合が出るのだろうか?
「閣下、それは何故、そのようなお考えに至られたのですか。」
「殺したはずの二人が生きていたことで不都合が出たのかとも思ったが……逆に二人を欲しているのかもしれないな。」
「では誘拐しようと?」
「ああ、あり得る。」
どちらにせよ命知らずなことだ。
メロウは素直に、哀れな光神の手下達に同情した。
「そういえば…成神の儀で受け取ったポストドロップ、片方は偽にしろと依頼したのは何故ですか?ヘイカンはかなり渋っていましたが。」
「……五神が、どっちを本物だと思っているかを確かめたかった。」
「ああ、なるほど。」
魔術師が二、三度頷く。
なんだかんだこの破壊神様も人が悪いようだ。
「で、ドンピシャで妹君だったと。五神の情報力もバカに出来ませんね。」
「まさか奴らが俺を裏切るとは思わないが…どれだけ俺たちの事情を把握しているかによっては、出来ることと出来ないこともあるからな。」
はあ、とグラゼルはため息をつく。
何故俺たちばかりが、と漏らしたが、
「破壊神として生まれてしまったのですから致し方ありませんね。」
当たり前のように返されてしまう。
勿論そのせいだ。そのせいなのだが。
「…せめて弟妹達は巻き込みたくなかった。」
「無理ですよ。半分血が繋がっているんですから。」
それもそうだな、とグラゼルがまたため息をつく。
そして今日中に見つからなかった兄のことを思い出し、一度机を手のひらで叩きつけ、執務室を出ようとした。
「閣下、先に他の命令もいただければ、僕ではなく閣下がお二人の近くにいることができますよ。」
出る間際、メロウが進言した。
閣下は目を閉じ、ゆっくり首を振る。
「そのうちあいつらをここに呼ぶ。それまではなるべく自由にしてやりたい。」
二人は漸く外の世界を見れるようになったのだから。
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F、エッグ、ヒノリの三人は家を出て、鬼神宮へと向かっていた。
グラゼルと一緒に歩いた道を辿ろうとするが、雪が溶け、全く景色が変わってしまっている。
雪があったはずの場所にはもう既に緑が広がり、花が咲き乱れていた。
「なんか全然違うね。」
特にエッグ達は太陽の光を浴びるのも初めてだ。
陽の光の熱は新鮮で、Fのマフラーの内側がどんどん温度を上げていた。
「ねえ、それ暑くないの?」
「暑いけど……」
エッグがマフラーを預ろうとするが、Fは離さない。
どうしても外したくない理由はエッグにもわかっていた。
「これはお母さんがくれたものだから、持ってなくちゃ。」
Fはぎゅっとマフラーを握る。
わかってるよ、と言ってエッグが転びそうになったヒノリの手をとって少し宙に浮かせた。
「危なかったなー。気を付けような!」
「うん!」
御機嫌な様子のヒノリと共に外を歩いて行くと、見たことのある洞穴を見つけた。
「…ここだったよね?」
Fがエッグに確認をとる。
忘れもしない。ここが鬼神宮への道だ。
「兄貴に押された時はどうなるかと思ったけど…」
つい昨日の出来事を思い出し、身震いする。
もう二度とあんな経験はしたくない。
「真っ暗だよ…?」
ヒノリが一歩後ずさり、エッグの腕を引っ張る。
そう、相変わらず真っ暗だ。数歩先は何も見えない。
「大丈夫。向こう側に着いちゃえば、なんてことないよ。」
ウインクをかまし、Fは陽気に一歩を踏み出す。
いや、そうかもしれないけど。
エッグは何も言えずにヒノリの手を引いて闇へ足を踏み入れた。
その瞬間、ボッと火の灯る音がする。
昨日は全く見えなかった足元が、灯篭の灯りによって照らされる。
「……兄貴とFはここ通ったの?」
先を揚々と行ってしまうFにエッグが声をかける。
ヒノリは物珍しそうに灯篭を眺めながら大人しくエッグに着いてきていた。
「うん、昨日と同じ。」
では、やはりエッグは全く別の道を通らされてしまっていたということだ。
恐らく足を踏み入れた瞬間にルートが決まるのだろう。
なんと便利な入り口か。
「エッグはどこにいたの?」
「俺はずーっと真っ暗な道を行ったり戻ったりしてたよ……」
心細く、冷たい道だった。
もう戻れないのではないかと思った時、あの二枚羽が舞い降りてきてくれた。
今日はあの羽に出会えるだろうか?
「そっか……あ!出口だよ!」
Fが指差した先には、昨日見たものと同じくらいの明るさの光が三人を待っていた。
はやくはやく、と急かすので三人は一斉に駆け出す。
鬼神宮まで案外早く着くことが出来た。
闇を抜けるとそこには相変わらず花園があり、暖かな空気が三人を迎え入れてくれた。
陽の光は外よりは弱いが、花が育つ程度には降り注いでいる。
「…素敵!」
神喰いと恐れられた鬼神が住まう地とは思えないほどの穏やかさに、ヒノリが感嘆の声をあげる。
何故かFが得意げに「そうでしょ!」と胸を張っていた。
「……あら、お二人でしたか。ようこそ、鬼神宮へ。」
そうしていると、赤い着物の少女、鬼姫が三人を見つけてくれたらしい。
ぺこりと綺麗に頭を下げて挨拶をする。
「こんにちは。」
「こ、こんにちは!」
少々声を上ずらせながらエッグがすぐさま挨拶を返した。
ヒノリの手を握っている右手に汗がたまる。
「……そちらの方は?」
「あ、この子は私たちの一番ちっちゃい妹!ヒノリっていうの!」
鬼姫がヒノリと視線を合わせ、背をかがめて丁寧に挨拶をする。
「初めまして。わたくしは鬼姫と申します。ヒノリさん、よろしくお願いしますね。」
ヒノリも頷き、よろしくお願いしますと小さく返す。
鬼姫はとても綺麗な女の子だとFは思う。
しかしなんとなく、ぎこちなさを感じた。
「鬼姫、今日は私たち鬼姫と遊びに来たんだ!」
「わたくしと、ですか?」
「そうだよ!鬼姫はいつもどんな遊びをしてるの?」
そうですね、と鬼姫は考え込む。
その瞳に光はなく、虚ろだった。
「まずはお兄様に確認を取らせてください。お仕事を放って行くわけには行きませんから。」
「わかった!私もついていく!」
「……では、皆様こちらへ。」
鬼姫が先導し、鬼神宮の建物の中へと通される。
宮は赤を基調とした、平たく、豪華な造りだ。
正殿に向かう道には大きな鳥居が立っている。
鬼姫は鳥居を通る時に左端を通るが、Fたちには真ん中を通るように勧めた。
「なんで?」
「人間と神様の線引きです。」
Fがたずねても淡々と答えられる。
なんだか人形みたいだと思う。
「……履物を脱いでこちらに揃えていただければ。」
「あ、うん!」
四人は階段に靴を置き、正殿へとあがる。
内装はまた豪華で、虎の絵や龍の絵が飾られていた。
そしてその龍の絵を指差して、ヒノリが叫んだ。
「こ、これ!ヒノのこと食べようとしたの!」
え?とエッグが屏風の絵を眺める。
大きな蛇が空を舞っているように見える。
エッグには見覚えがなかった。
「これは龍と言うのですよ。」
鬼姫が振り返り、ヒノリの方へ寄って解説してくれた。
「自身が持つ神力で空を舞うのです。神格を持ち、方々では水の神と崇められることもありました。」
屏風の龍の目は力強く、鋭い鉤爪を持っている。
口は大きく開き、これに食われてしまったらひとたまりもないだろう。
エッグは思わずヒノリを抱きしめ、「生きていてよかった」と心の底から安心した。
「……この神域でも滅多に姿を現しません。彼らは数が少ないので。」
「そうなんだ。じゃあ会えたらラッキーって感じ?」
「いいえ、龍が現れるということは厄災を意味します。」
やくさい、とFは繰り返す。
よくないことって意味だよ、とエッグがアシストし、ようやく意味を理解した。
「……性格は獰猛で、肉を好みます。ですから、神であろうと人間であろうと肉体を持っていれば、食われます。」
聞いてしまったエッグはぶるっと身震いをした。
龍は神喰いをすることができる種族だということだ。
「神ですら一生のうちに出会うかどうかの生き物ですから、普通は気にしなくて良いのですが。」
鬼姫の視線がヒノリに落ちる。
災難でしたね、と言ってその手をヒノリの頭に乗せた。
「……龍と会い見え、生き残ったものは成功するというお話もありますから、良かったのかも知れませんね。」
そしてふいっと振り返り、また廊下を先導してしまう。
ほとんど表情が動かない少女だが、一瞬、ヒノリ目を合わせた時、瞳に同情の色が浮かんだ気がした。
Fは、彼女の奥底にある心に期待をかけることにした。
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鬼神が現れた瞬間、ヒノリは大きな瞳から大粒の涙を流しながら恐怖した。
やってしまった、とエッグは思った。
そもそもグラゼルと廊下で鉢合わせただけで自分のところへすっ飛んで来てしまうような妹なのだ。兄妹の中で最も背の高い兄より背の高い男を見たら大泣きすることくらい、想像がついたはずだった。
「な、なんぞ……儂の顔が怖いか?」
鬼神はうろたえながらもニッと笑ってみせる。
笑顔の口元からは鋭い牙がのぞいていた。
「やだああああああああお兄ちゃああああああああん怖いよおおおおおおおおお!!!!!」
ヒノリがびいびいと泣きながらエッグに抱きつく。
こうなったらしばらく止まらないこともエッグはわかっていた。
「……鬼神兄ちゃん、悪い人じゃないからさ、大丈夫だよ、ヒノリ。」
Fも一緒にあやすと泣き声はおさまったが、鬼神の様子を伺いながらぎゅっとエッグにくっついてしまう。
遣る瀬無いのう、と鬼神は呟き、畳の上で胡座をかく。
昨日とは別の立派な謁見の間に通された。
少し高さを持った鬼神一人分のスペースに一畳だけ畳が敷いてあり、あとは赤い床が広がる広い間取りになっている。
多分、ここが一番豪華な部屋なのだろうとFは思った。
「で?童に交じり、遊んでも良いかと。」
「はい。」
鬼姫は相変わらず淡々と応答する。
感情というものがないのではないかとエッグは心配してしまう。
「…構わぬぞ。存分に楽しむが良い。」
鬼神の笑顔に、エッグとFはほっとする。
よかった、これで鬼姫としばらく話くらいは出来るだろう。
「して、鬼姫。お前さん、儂が訊くのもなんだが、遊び方を知っておるのか。」
確かに。
この人形のような少女が、複数人で何かをして遊んだことがあるのかは微妙なところだ。
急にエッグは胃が痛くなってきた。
彼には鬼姫と会話を続ける自信がない。
「大丈夫!知らなくても私が教えるよ!」
ぽん、とFが胸を叩く。
「ほんとかよ」と言いたくなるのを抑えて一応エッグも頷いた。
「鬼姫、昨日のお部屋行こう!連れてって!」
Fの頼みに鬼姫は頷き、鬼神に一礼すると正殿を後にする。
鬼神は笑顔で手を振って四人を見送った。
最後まで、ヒノリは目を合わせてくれなかったが。
「……良い兆候じゃな。」
ふと笑みがこぼれる。
我が妹に幸あれと、鬼神は願うのだった。




