第6話
Fたちが帰った後、外では怒号が飛び交っていた。
「どうなってやがる!おい!ケトンはどこだ!」
「わかんないわよ!もうこんな吹雪じゃ、お兄様の姿なんかわかるわけないじゃない!」
そんな怒鳴り声と、時たま聞こえる金属音。
それから雪を運ぶ猛烈な風の音だけが聞こえる。
「んもぅ!やってらんないわよ!私たちもう出勤時間になっちゃうのよ!?お兄様!!」
ロナの甲高い叫びに答えたのか、空から何かがロナの目の前めがけて飛んでくる。
気がついたロナは一歩後退り、被害を受けることはなかった。
飛んできたそれは蛇とも言えない、鳥とも言えない姿をしていた。
恐らく人間なら龍と呼ぶのだろう。
龍はロナの近くめがけて突っ込んでくると、大きな音を立てて大地を割り進んでいった。
大地には割れ目が入り、通り過ぎた後には大穴が空いている。
「やだ、危ない…♡」
言葉とは裏腹に、ロナの目には期待が輝く。
ああ、全くその期待通りだった。
龍が空けた大穴の近くにそれは横たわっていた。
全体はひしゃげ、どんな姿をしていたかはわからない。
しかしその周りの雪を染め上げる赤が、それが生きていたものだったという証明をしていた。
「こっちは終わったわ!お兄様、ナイスよ!」
雪の中、ロナの声だけが響く。
あとは時折、金属がぶつかり合う音が聞こえるだけだ。
まあきっとそれもすぐ終わるだろう。
これで自分はひと段落だ。
兄たちが何かと遊んでいるその間にロナは赤い雪を掬い上げては溶かすことを繰り返していた。
ぐちゃぐちゃとした何かはだんだんと雪に埋もれ、見えなくなってしまう。
きっと二度と見つけてもらえないわね、とロナが呟けば、当たり前だ、という小さな声がした。
「ジュエイ!」
背後には双子の兄、ジュエイが立っていた。
嬉しさに思わずロナが抱きつく。
「あのね、お兄様がやってくれたのよ。」
「……そう、みたい、だな…」
「でも、変よねえ。どうしてここがわかったのかしら…」
忌々しい、といってロナはそれを蹴飛ばす。
物言わぬ何かは、赤い雫を跳ね飛ばしただけだった。
「……Fとエッグは?」
そんなもの気にもせず、ジュエイはロナだけを見ている。
気づいたロナはジュエイの頬に口づけを残すと、彼の耳元で
「死の予言を受けたらしいの。」
と、囁いた。
「…家に…いるん、だな?」
「…えぇ。」
興奮を隠しきれていないロナの顔は紅潮しつつあった。
ジュエイから一旦離れ、くるくるとターンする。
黒いローブがふわりと広がり、一輪の花のようだった。
「あの鬼神が私たちの可愛い弟妹に、死の予言を贈ったの!これであの子達をお迎えに行くのは、私たちになる可能性もあるわ!ええ、それがいい、そうしてほしい!そうなってほしい!私に殺されてほしい…!」
雪の勢いはだんだんと弱くなり、いつしか吹雪ではなく、ただの大雪に変わっていた。
相変わらずロナの足元は赤いままだ。
その雪の上でロナは嬉しそうに踊っている。
ジュエイは少なからず、そんな狂っている妹を心の底から美しいと感じていた。
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目的を聞くのを忘れていた。
あぁ、とグラゼルは頭を抱える。
とりあえず、もう相手に戦う意志はないだろう。これだけの痛手を負わせ、気絶させたにもかかわらずまだ襲ってきたのならそれはそれで褒めてやりたい。
仕方ない、と呟いてグラゼルは大雪の中倒れ込んでいる白い軍服を纏った男を抱え上げ、雪の外に返した。
ついでに、とポケットからメモを取り出し、サラッと何かを書き込んで男の上に置く。
それから方向を転換し、恐らく兄がいるであろう方向へと歩き出した。
雪深いこの地域では、光神は配下を送ることができなかった。
というのも、ここはケトン・スラドが張った結界の影響により、通常では兄妹以外は雪に足を取られ、視界を奪われ、迷ううちに衰弱し、遂には命を落としかねないのだ。
しかも結界を保つのはケトンではない。
この大雪の空を静かに飛んで、地上を監視している龍。これが、結界の起点となっている。
ケトンが「氷竜」と呼んで可愛がっているこの龍は、兄妹以外に侵入してきた者を攻撃し、それを食って生きている。
先ほど龍が地上に向かって凄まじい速さで落ちて行くのを見た限り、侵入者を発見し、駆除したのだろう。
便利な生き物だと思う。
ただ、グラゼルには必要ないものだとわかっていた。
足を進めて行くと、あたり一面赤く染まった雪を見つけた。
この雪の下には恐らく、ケトンと戦った光神の信者がいる。
光神の為に、と戦い、最期はゴミのように扱われるのであれば哀れにさえ思われるのだった。
神は信仰だけでは救ってくれない。
それを体現している光景だった。
「やぁ、終わった?」
そこへいつも通りの綺麗な笑みを浮かべながら、兄、ケトンが現れる。
白い着物にはところどころ赤黒い斑点や、模様が入っている。
全てが切りつけた相手の返り血であることは誰にでもわかった。
「派手にやったな。」
「いやいや、いつも通りだよ。いつも通り、あの子の餌を作ってあげたんだ。この前はあまり食べてくれなくてね、訊いたら頭が嫌いなんだってさ。」
空を舞う龍はケトンの頭上をぐるぐると回っている。
あの金髪の双子も狂っているとは思う。しかしこの兄も大概狂っているとグラゼルは思った。
推測ではあるが、雪の下のものに頭はないだろう。
「…それで?結局これは何だったんだ。」
赤い染みを指差し、グラゼルが問う。
「さあ…?こんなところウロウロしてしまう光神軍の連中なんて、何の目的があったってどうだっていいし。この子に食べられにきてくれたんじゃないの?おいで!」
ケトンが龍を呼べば、それはしなやかに体をくねらせながら地上へと舞い降りる。
風圧で雪がまた飛び散り、グラゼルは思わず目を覆う。
体はかなり大きい。古い大きな傷もいくつか見えた。
「……そんな馬鹿な話があるか。」
龍の餌にするためだけにあの光神が使いを出すとは思えなかった。
しかも明らかに殺意を向けてきた軍人だ。
グラゼルの疑問は晴れなかったが、ケトンは心底どうでも良さそうに龍と戯れている。
ケトンによく似た白銀の龍。
美しい鱗を煌めかせながら、それは主人の前でだけ穏やかな表情を見せるのだった。
「……俺は先に帰る。」
踵を返すことを決めたグラゼルは、徒歩で家まで戻ることにした。
ここに必要な情報はなさそうだ。
「うん、わかった。しばらくしたら俺も帰るよ。」
一切グラゼルと目を合わせず、ケトンはそう言った。
つくづく何を考えているのかわからない。
グラゼルは舌打ちを一つしてから、雪を踏み始めた。
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ぱちり。
目を覚ますと、Fは自分の部屋のベッドで横になっていた。
いつの間にか眠ってしまったらしい。
相変わらず部屋には灯りがついていなかったが、ベッドの足元で何かが光っているのを見つけた。
「……ポストドロップ!」
白い卵が、Fにメッセージが届いたことを知らせていた。
急いでそれを掴み取り、メッセージの内容を確認する。
「……鬼姫の、正体、を報告、せよ?」
覚えたての文字を時間をかけながら読み解く。
鬼姫の正体を報告せよ。
間違いなく、そう書かれていた。
「……正体も何も、もともと人間だったって話じゃん。」
そう呟くと、ふっと文字が消え、ヘイカンの姿が投影される。
「うわぁ!?」
「突然申し訳ない。この依頼には続きがあるので某の録音データを添付させていただいた。お二人がいくらこの某に質問しようと返答はありませぬ。」
驚きで仰け反った体を元に戻し、Fはヘイカンの話を真面目に聴く。
「通称「鬼姫」殿は鬼神宮に居られる、元人間の少女ですが、彼女の出生や、この神域にきた経緯は我々にとっては謎のままでありまする。」
「また、鬼神宮にいたはずの千舟殿とは全く連絡が取れない状況にあり、こちらとしても心配をしておりまする。もし何かわかれば、こちらに逐一報告していただきたい。」
「内密にする必要はありませぬ。が、なるべく多くの情報を引き出していただきたい。良い報告をお待ちしております。」
映像のヘイカンは一礼するとまたふっと消えてしまう。
同時にドロップの光も消えてしまった。
「……つまり鬼姫と仲良くすれば良いってこと?」
それよりも何故皆自分たちと鬼姫を関わらせようとするのだろうか。
Fは、日付が変わる前に出会った表情の変わらないあの少女を思い浮かべた。
「…ま、いっか!仲良くなって、お話聞き出せば良いんでしょ!」
頑張るぞー!と、気合いを入れ、天井に拳を突き上げる。
そんな妹の声をドアの外で聞いていた者がいた。
「うまくいくと良いけど。」
一つ言葉を漏らして白い髪を揺らし、彼は自室へと帰っていった。
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朝、バタバタという階段を駆け上がる足音で目を開く。
寝ぼけ眼をこすり、ベッドから起き上がると、ドアを一生懸命ノックする音と自分の名前を呼ぶ声で完全に目が覚めた。
エッグの声だ。一体こんな朝っぱらから何の用だろうか。
Fは急いで扉を開くと、息を切らして前かがみになっているエッグと、その横で涙をポタポタと落としているヒノリがいた。
「どうしたの?」
「い、いないんだ…!」
「なにが?」
「お、置き手紙、あって…」
息を整えながらエッグは背筋を伸ばす。
それから右手に掴んでいた紙をFに渡した。
「……ケト兄の字?」
「多分……!」
流れるような少し癖のついた字は、ケトンのものだった。
「えっと……?…三人へ。ケトンお兄さんは、しばらく、家を、空けます。Fと、エッグ君は、ヒノちゃんの面倒をちゃんと、みててね…俺以外の、お兄ちゃん、お姉ちゃん、は、お仕事に行って、いると、おもいます。F達も、お仕事、あるでしょ?頑張ってね…」
なんだ、とFは安堵の息をつく。
ものすごい大変なことが起きたのかと思った。
それこそ、二度と帰ってきません、くらいの。
「裏見てよ!」
エッグが紙をひったくり、裏返してFに渡し返す。
なによ、と言いながらFも紙を見る。
「追伸……俺はもう、家に帰れないかもしれません…!みんな、仲良くね…!?ケトン・スラド!?」
それは嫌だ、とFが叫ぶ。
同時にヒノリが声をあげて泣き始めた。
「それから外!」
エッグはFの部屋のカーテンを全開にする。
見たこともないような光が一気に部屋を照らし、耐性のないFは腕で光から目を守った。
「太陽だよ!晴れてるんだよ!」
やや興奮気味にエッグが爪先立ちで窓の外を指差す。
それはわかる。何故晴れているのだろうか。
「ケト兄ちゃん、ほんとにいなくなっちゃったから……昨日ヒノがお外でようとしたからぁ……」
うわぁぁん、と幼い泣き声が響き渡る。
「ヒノリが出て行こうとしたことと何か関係あるの?」
「だって…お兄ちゃんとお姉ちゃんのこと追っかけようとして…お外出たら、おっきい蛇が空飛んでて…ヒノ食べられそうになっちゃって…ケト兄ちゃんが守ってくれて…それで怒っちゃったんだ!ヒノのせいだーーーー!」
8割何を言っているか聞き取れなかったが、つまりそういうことらしい。
いやいや、とエッグが返す。
「ケト兄怒ってたかな…?兄貴はそうじゃないって言ってたよ」
「兄貴とは会ったの?」
「う、うん…ついさっき、この手紙読んだ途端に怒って出て行っちゃったんだ…ケト兄探しにいくって言ってた。」
ますますよくわからない。
誰にも何も言わずにいなくなってしまったということだ。一体何があったのだろう。
「と、とにかく!今日は兄貴が帰ってくるまで……」
「それはダメだよ。」
弱気な発言をするエッグをFがぴしゃりと叱りつける。
「な、なんで!」
「ポストドロップ見なかったの?お願いメール届いてたでしょ。」
「……見たけど。」
「じゃあ、先に私たちがやらなきゃ行けないことって決まってるじゃん!」
Fはラックにかけてあったマフラーを首に巻き、星のついたほっぺをペチペチと二、三回叩く。
それからエッグに向き直った。
「鬼姫と仲良くならなきゃ!ね!」




