第5話
「いやぁ、すまん!この通りじゃ!」
グラゼルより背の高い黒髪の大男が丁寧に両手をついて頭を下げている。
全く、とグラゼルは口を開いた。
「まさか丁度亡者の道に続いてたとはな。」
不運なこともあるものだ、と最早感心してしまう。
それは困る!と声をあげたのはFだ。
「エッグどうなっちゃうの!?死んじゃうの!?」
ほとんど泣きそうな声だったが、大男が顔をあげ、それはないと断言した。
「そもそもあの道を通れるのは基本死した人間だけぞ。お前さんらが通れるはずもないのだが…時間帯が悪かったのう。先ほど亡者を迎え入れたところだったのじゃ。」
わっはっは、と豪快に笑う男。
彼こそが神喰いと恐れられた鬼神その人である。
少しはだけた黒い上質な着物を身に纏っている。
襟の間からは筋肉質な肌がよく見えた。
「エッグのバカー!っていうか押し込んだ兄貴もバカー!」
グラゼルは胡座をかいて座ったままだが、枝垂れかかってくるFに頭をポカポカと殴られる。
まあ、確かに自分にも過失があるか、と弟の背中を押したことを今更思い出した。
「兎も角、今は儂の妹に任せれば良い。あの子はあれでいて優秀でな、今までも一度たりとも生者と死者を取り違えたことはないのだ。」
こほん、と一つ咳払いする鬼神。
だが目の前で、本当だろうな、というじっとりとしたFの目を見てしまうと立つ瀬がなかった。
「…安心せい、何かあればこの鬼城院実丸、腹を切って詫びる所存。」
まあ、そこまでいうなら、ということでFも気を落ち着かせる。
今はとりあえずエッグが帰ってくればいい。
「ちなみに腹をかっさばいたらエッグは帰ってくるのか。」
グラゼルは大真面目な顔をして鬼神に問う。
思わず鬼神の笑顔が引きつった。
「……グラゼル、お前さんちと性格がケトンに似てきたな。」
「お前は冗談も通じなくなったのか?」
流石に今のを冗談と受け取れる者がどれだけいるかはわからないが。
それよりこの無愛想な甥から冗談という言葉が発せられたことに鬼神は目を丸くした。
「驚いた!グラゼル・デッダーとあろうものが冗談を!」
「……わかった、俺が介錯してやる。」
「ああ、すまないすまない!もうすぐお前さんの弟は帰ってくる!今しがたその気配を感じた!」
ふーん、とFも鬼神を見定めている。
嘘はついていないようだが、どうにも信頼しきれない。
というのも、おそらく今回のようなおっちょこちょいが過去にも何度かあったのだろう。
少し何かが抜けた人物であるようにみえる。これが神喰いとは到底思えない。
じっとFが鬼神の様子を観察しているのに気づいたグラゼルがF、と声をかける。
「神喰いについて訊いてみたらどうだ?」
え、とFが音を漏らすのと同時に、うっ、と鬼神からも呻きのような声が聞こえた。
「……エッグが帰ってきたら訊く。」
「そうか。」
そう言ってグラゼルは鬼神の方に向き直る。
なんと意地の悪い成長の仕方をしたのか。
しかし鬼神は今、ため息をつくことしかできなかった。
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二枚羽を追いかけ、洞窟を抜けるとそこは色とりどりの花が咲き乱れる花園だった。
羽は何処かに消えてしまい、姿が見えない。
その代わり、わずかにFの気配を感じる。
近くに妹がいる。その情報だけで、エッグは心底安心した。
逆に今までいた場所は、Fのいる世界から断絶された場所だったことに気づき、恐ろしく感じられた。
振り返り、抜けてきた道を見ようとしたが、そこに闇はなく、明るい花の道が続くだけだった。
「……俺、いままでどこにいたんだよ…」
持って当然の疑問がこぼれる。
はあ、と安心に満ちた息をついた時、彼女は現れた。
「…どなたですか?」
黒く長い髪。病的なほどに白い肌、暗闇色の瞳。
彼女が身に纏っている赤い着物には、先ほどエッグを導いてくれたものに似ている黒い二枚羽が舞っている。
そんな彼女の瞳に捉えられた瞬間、エッグは雷にうたれたような衝撃を感じた。
「あ、え、あ、俺は、えっと!」
「人間?……ではないようですね。一体何の御用で?」
少女はエッグの周りを旋回し、彼を警戒する。
エッグと同じくらいの身丈だった。
動くたびにふわり、ふわりと舞う着物の袖は、彼女の着物と同じ二枚羽のようだ。
「俺、エッグ、っていうんだ……妹とお兄ちゃんと一緒に来たんだけど、はぐれちゃったみたいで……知らないか?俺にそっくりな妹だから見ればわかると思う!ピンクのマフラーしてる!」
ようやくまともに声を出せるようになり、一気に質問しきってしまう。
そうでないと、心臓の鼓動の音でどうにかなってしまいそうだった。
「……あぁ、あなたが。」
返答は随分味気ないものだったが、エッグにはそれで十分だった。
「ついて来てください。みなさんお待ちですよ。」
彼女は先に花園を後にする。
ふわり、ふわり。
彼女の後ろ姿がエッグを連れ出してくれた赤い二枚羽と重なった。
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部屋は再会を喜ぶ双子の声でいっぱいになっていた。
向かいでは胡座をかいて暖かくそれを見守る鬼神と、隣にはエッグをここまで連れて来た少女が正座をして二人を眺めている。
「ほんっとに心配したんだよ!ごめんね、ごめんね!」
泣きながら抱き合う双子を見て、鬼神は大きく頷いた。
「良い兄妹ぞ。麗しきかな、その愛。」
「お前が引き剝がしかけたがな。」
冷たいグラゼルの一言に鬼神は萎縮する。
その隣の少女は素知らぬ顔で、二人を見続けた。
話題転換の為だろうか。少女を見て、思い出したかのように鬼神はぽんと手を叩き、少女の背を左手で2回ほど叩くと、ニカッと笑った。
「そうだ。F、紹介しよう。この子は鬼姫というのじゃ。儂のたった一人の妹ぞ。」
急に紹介され、動揺したのか一瞬鬼姫の動きが止まったが、すぐに冷静を取り戻し深々と綺麗なお辞儀をする。
Fとエッグも騒ぐのをやめ、同じように正座でお辞儀を返した。
「初めまして。鬼姫と申します。この度はわたくしの兄が御迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。」
表情一つ変えずにそう言う鬼姫に対し、やれやれと鬼神がため息をつく。
瞬間、鬼姫の刃物のような視線が鬼神を捉え、鬼神はすまない、と一言添える。
「お、俺、は、エッグって言います!よろしくお願いします…えっと……」
ピンと背筋を伸ばして挨拶を返すエッグだったが、鬼神を見ると猫背に変わる。
ん?と返す鬼神に、エッグは一つ、質問をした。
「……神喰いの鬼神さまって、その…」
おずおずと訊ねるエッグを前に、鬼神の心が痛む。
目の前にはどうした、答えないのか、と言わんばかりの勝ち誇った顔をしているグラゼルがいる。
噂の一人歩きとはかくも恐ろしいものであると、鬼神は痛感したのだった。
「……それは儂のことではなくてだな。」
はあ、とため息をつく鬼神。
えっ、と双子の顔は輝き出す。
安全な相手と知れば、懐く性格なのだろう。
「儂の父が、人を喰い、更には神を喰うて生き永らえた、悪神だったのじゃ。」
なんというホラを吹くか、とグラゼルを睨むが、彼は彼で「初めて知った」などとほざく。
ああ、しかしそういえば、彼にも悪神となった鬼城院の祖の話はしたことがなかったか。
恥ずべき歴史ぞ、と鬼神は続けた。
「その昔、人間界にあった小さな村は大飢饉に見舞われたので、村の娘を贄に出し、雨を降らせ給えと祈祷した。」
しかしいくら請えど、雨は一向に降らず。
大地が干涸らびて、疫病も流行った頃、その後鬼神と呼ばれる鬼城院家実が村に降り立った。
家実は村人たちに縋られると、雨を降らせてみせると出来もしない約束をしてしまった。
「父上殿は村人の願いを叶えるためにまず魔法使いを食った。」
水の魔法使いを食った家実は、水を操る力を得た。
そして家実は雨を降らせ、飢饉から村人を救った。
「しかし、父上殿はそれで味をしめてしまったのだ。」
もともと冥界の主として存在していた家実は、娶った人間の嫁から三人の子供が生まれるとすぐに、嫁を食った。
「儂は三兄弟の末っ子だったもんでな、母上様の顔は見たことがない。」
嫁を食った家実は、今度は子供を食おうとした。
まずは実丸にその眼光が刺さった。
兄の実松と千舟はこれを阻止し、冥界の中でも最も深い地獄へと身を隠すことになる。
「儂ら三人がいなくなった後、父上殿は暴走の限りを尽くした。亡者を喰い、生者を喰い、悪神に成り下がってしまった。」
そして家実が辿った末路は。
「幾らか成長した儂ら兄弟は地獄を出て、特に兄上が中心となって父上殿を討伐した。冥界は惨憺たる有様であった。亡者も生者もない。冥界には何もいなかったのだ。食い尽くされ、骨すらない。」
「父上殿の姿は変わり果てておった。一族の印である赤い目からはおびただしいまでの血涙が流れ、背は丸く、まさに異形。神と呼ぶにはおぞましすぎた。まず間違いなく、形は人ではなく、畜生ですらない。怪物ぞ。」
怪物に成り果てた家実は実松、実丸、千舟によって討伐され、塵芥となり消えてしまったという。
「……というのが、神喰いの鬼神の話じゃ。まぁ、儂を恐れさせる為に、五神か何かが如何にも儂が神喰いであるかのような噂を立てたのだろう…悪くはないが、子供に怯えらるるは、ちと傷心よ。」
なるほど、とグラゼルが頷いた。
この無精が何故恐れられていたのかようやく理解した。
実際は実丸ではなく、親の家実の所業が招いたことだったのか、と。
「そういうことだ。で…何か訊ねたいようだな。」
鬼神、実丸が頭をかきながらFを見る。
Fはハイ!と元気よく手をあげた。
「じゃあその鬼姫ちゃんはなんで鬼神さんの妹なんですか!鬼神さんはさっき、自分のことを三兄弟の末っ子って言ってましたよね!でも鬼姫ちゃんのことはたった一人の妹だって!どういうことですか!」
してやったり、という顔をするFだが、鬼神も負けていない。
偉そうに腕を組み、ふふん、と笑う。
「鬼姫は贄の娘よ。儂が引き取り、姉上と共に育てたのじゃ。義理の妹といえば、わかるか?」
ぎりのいもうと。
Fは繰り返し呟いた。
その言葉には覚えがある。正に自分たちのことだ。
「……じゃあ、本当の兄妹じゃないってこと?」
「そうだ、血は繋がっていない。まあ、いずれは鬼姫もこの鬼城院を継ぐ者となろう。使者としてな。」
「シシャ?」
「わっはっは!お前さん、成神したというのに何も教わっておらぬのか!大した箱入りじゃな!」
鬼神は大笑いするとグラゼルの方を見る。
グラゼルはギッと鬼神を睨み返したが、今回ばかりは鬼神にその視線は効かない。
あのなぁ、と鬼神はFを手招き、机を挟んでぐっと距離を縮める。
そして、Fの手をとり、赤い瞳に慈愛をたたえながら彼女の将来を案じるのだ。
「お前さん、何も知らぬまま外に放り出されれば、ここでは生きていけぬ。例え種族が神とて、先に話した父上殿のようなものに喰われてしもうたり、神を憎むものには魂ごと殺されてしまうことだってある。特にお前さんの兄方は、まずは追われる自分の身を守らねばならぬのだ。わかるな?」
暖かい鬼神の手に力が入る。
グラゼルの表情の険しさが一層濃くなり、一瞬手が出そうになったが、鬼神が目線だけでそれを制す。
「F。お前の行く道は険しい。天寿を全うするということは、まずないということを伝えておこう。」
「……それは、どこかで死ぬということ?」
「誰かに殺されたということだ。」
Fの瞳に絶望が映る。
年端もいかない娘に何を、とも思われるだろうが、鬼神は躊躇いなく続けた。
「お前は誰かに殺される。これしかない。儂は冥界の主。それくらいは簡単にわかる。」
鬼神の言葉はFに重くのしかかる。
耐えかねたエッグが、鬼神に向かって懇願した。
「どうにかならないの!?Fが誰かに殺される必要ないじゃん!」
「さあ、必要かそうでないかは殺めるものが決めるものだ。お前さま方の都合ではない。」
「そんな……」
「さて、そんなお前さんの運命を変える方法は一つあるぞ。」
ぱっと鬼神の手がFから離れ、鬼姫の肩に乗せられる。
同時にFとエッグの目線もそちらへと誘導された。
「鬼姫の友になってやってくれぃ。」
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なーに言ってんだか、とエッグは帰り道に小石を蹴りながらぶつぶつと呟く。
「なんで鬼姫と仲良くしたらFの運命が変わるのさ。おかしくない?いや…俺は鬼姫と仲良くしたいけど、でもなんかさ、運命を変えるために仲良くしろー!っていうのも変じゃない?」
ねえ、とFに呼びかけるが、Fは呆けたまま、生返事を返す。
「……お前のことなんだぞ、F。」
「……うん、そうだけどさ…」
あれが所謂予言というものなのだろう。
限られた役職の神が持つ能力の一つだ。
鬼神は冥界の主。亡者を管理しているために、恐らくは「死」の予言が出来るのだろう。
予言を受けたという事実と、その内容にFは頭を悩ませた。
そもそも神の天寿とはなんだろう。
もともと神は「世界に飽きるほど」、と形容される程度には長命なのだ。
それこそ、死因は殺されるか、自殺が大半である。
では全うされる「天寿」とは何か。
それは、神が司るものが人間にとって不要になってしまった時だ。
寧ろFは天寿を全うする方が難しいと考えた。
ということは、鬼神は脅かしのために予言などという仰々しい体を使って説教をしただけなのではないだろうか?
そう思えば、Fからは安堵の息が漏れ出た。
「ただの脅かし。そうだよ、多分……」
本当は不安で押しつぶされてしまいそうだった。
チラッとグラゼルの方を見てみる。
彼もまた、眉間にしわを寄せて何か考え込んでいるようだった。
「兄貴?」
「……お前ら先に帰ってろ。俺は少し用ができた。」
「えっ!?二人で帰るの!?」
「もうまっすぐ歩くだけだ。吹雪の中に入ってしまえば何かに追われることもない。急げ、早く!」
グラゼルにまくしたてられ、言われるがまま二人は走り出す。
少し走ると、あたり一面は深い雪に包まれ、もう少し走れば猛吹雪が二人を迎えた。
今日の雪はいつにも増して厳しい。
「…Fー!ついてきてるかー!」
「大丈夫ー!」
時折エッグは後ろを振り返り、Fがいるかを確認する。
雪は冷たい。手がかじかむ。
凍えてしまいかけた二人は手を繋ぎ、またFのマフラーで繋がることにした。
これで幾らか寒さはましになった。
「…兄貴大丈夫かな。」
Fが後ろを確認した時、空からくぐもったような、地響きのような、低い音がした。
「…早く帰ろう。なんか今日は様子が変だよ。」
「そうだね…!」
二人はまっすぐ雪道を行く。
少し頑張れば、すぐに自分たちの家が見えた。
いつもなら家の周りだけは吹雪が止むはずなのに、今日は玄関先まで吹雪いたままだ。
やっとの思いで扉を開け、暖かい室内に帰ってくることができた。
ただいま、という二人の声には荒い息が混じる。
「おかえり…お兄ちゃん、お姉ちゃん!」
家にいたのは末の妹だけだった。
よくみるとリビングの灯りも、廊下の灯りも何もついていない。
数歩先は真っ暗だ。
Fがリビングに入り、灯りをつけようとするとヒノリに止められる。
「今日はダメ!…なんだって。」
なんで、と訊ねてもヒノリはふるふると首を横に振り、Fに抱きつく。
小さな体から発せられる体温が、二人の体にしみた。
「……お姉ちゃん、お兄ちゃん、今日はヒノと、ヒノのお部屋でお人形さん遊びしよう…?」
泣きそうな声だった。
ヒノリの沈んだ様子に、Fとエッグも、「そうするよ」と答える。
とりあえずそれは二人に積もった雪を払ってからだ。
その後、ヒノリの部屋へと向かうことにしよう。




