第3話
受け取ったポストドロップをじっと見つめながら、Fは帰り道を三人で歩いていた。
煤けたマフラーがヒラヒラと風に揺れる。
今日は古城の城下町、リルクにも雪がちらついた。
寒さにエッグがぶるぶると震えている。
それに気づいたFは、ドロップをポケットにしまいこみ、マフラーの半分をエッグに貸しあたえ一緒にくるまった。
「ありがとう、F。やっぱ寒いよな。」
「うん……」
やはりさっきからFはおかしい。
あんなところに美味しそうな屋台が、とエッグが指差して見ても、反応しない。
最後にヘイカンからドロップを受け取った時に何かあったのだろうか?
それとも、グラゼルにドロップを傷つけられたのがショックだったのだろうか。
だけど、返ってきたドロップには、一つも傷はなかったはずだ。
「……ねえ、F?なんかあったの?」
エッグが隣で心配そうにしている。
Fははっと我に返り、自分が見た光景の話をし始めた。
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最後、ポストドロップを受け取った時、Fには不思議なビジョンが見えていた。
七色の光、その先にいる自分とよく似た茶髪の長い髪を風に揺らす女性。
美しく、荘厳なビジョンだった。
そしてその女性は
「止めてはならない」
と、言う。
一体何を?と聞こうとしたところで、そのビジョンは消えてしまった。
終わった後にFが感じていたのは温かい懐かしさだった。
「……そんなの見えなかったなあ。」
エッグはFから聞いた話を繰り返してみる。
「七色の光に茶髪の女の人……もしかしたら、死んじゃった俺たちの母さんかもしれないな!」
「……うん、そうだね。そうだと良いなあ。」
会ったこともない母。
もう一度ビジョンを思い返せば、あの女性はそうだったのかもしれない。
束の間の邂逅だったが、Fはポストドロップに感謝しながらマフラーに顔を埋めた。
「泣くなよ!良いなあ…俺も見たかったなあ、それ。」
二人が先を行く後ろで、グラゼルもまた考えを巡らせていた。
明日、二人を連れて菓子屋に行き、その後鬼神宮に向かうわけだが、そもそも自分があれだけの人入りのある店に入って、パニックを引き起こさないだろうか。
自惚れではなく、ある程度知名度のある自分が行って迷惑をかけないだろうか、と。
それから、店主は「笑え」とうるさい。
試しに頬を顔の筋肉だけであげてみた。確かあいつが言う「笑う」というのはこういうことだった気がする。
グラゼルが頬の筋肉を痙攣させていると、近くで毛繕いしていた猫が、威嚇してきた。
無理をするのはやめておこう、とグラゼルは心に誓った。
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「ただいまー!」
二人が元気よく玄関を開き、リビングへ向かうと、おかえり、と三人分の声が聞こえてきた。
「早かったね。無事終わった?」
リビングではケトンが二人をあたたかく迎え入れてくれた。
二人はケトンを見つけると、マフラーで繋がったままケトンに抱きつく。
「あれあれ、仲良しさん。二人でマフラー使ってたの?」
「「うん!」」
二人の元気な声にケトンが鈴が転がるような綺麗な声で笑う。
ニカッと二人も返す。
「でもマフラー汚れてるし、ほつれてるよね。直そうか?」
「良いの!このまんまで!」
エッグの親切を断りながら、Fはエッグからマフラーを外す。
なんで?と聞きたそうなエッグにもう一度Fは「良いの!」と言った。
「じゃあ、二人はお席についてね。グラゼルくーん!」
ケトンは双子の弟妹をジュエイ、ロナ、ヒノリが先についているテーブルにつかせる。
またそこで双子と兄妹の会話が始まる中、無言でリビングに入ってくるなり、コートを脱いで寛ごうとしていたグラゼルをケトンが呼びつけた。
いきなりのことだったからか、ビクッとグラゼルが振り向く。
兄はリビングから出ろ、と指示を出していた。
内容は大体察することができた。それについては自分もケトンに確認したい内容がある。
大人しくグラゼルは来た道を戻り、二階へ上がった。
「……じゃあ、先に始めててね。」
ケトンが綺麗に笑い、手を振った。
はーい、とエッグとFとロナが返事する。
その瞬間にジュエイがパチン、と指を鳴らすとテーブルの上に豪勢な料理が並んだ。
歓喜の声が湧き上がるリビングを後にし、ケトンは二階の廊下へ向かった。
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「それは災難だったね。」
今日の出来事を話せば、ケトンにクスクス、と笑われてしまう。
「笑い事じゃないだろうが。この先、あいつら二人だけで出ていくことも多くなる。その時もし本当に人質にでもとられたら」
「その時は俺たちの誰かが悪者さんをやっつけちゃうでしょ。心配ないよ、あの子たちの居場所なんかすぐわかるようになってるんだから。ね?」
兄にいなされてしまい、グラゼルは舌打ちをする。
それより、とケトンは本題に入る。
「Fとエッグ、どっちが本物?」
「……Fだ。間違いない。試しにと言われて槍を投げつけたが、ドロップは割れなかった。」
へえ、と言ったケトンの綺麗な翡翠の目が凍ったような冷たさを帯びた。
グラゼルも眉間にシワが寄る。
「……わかってますよ、ってことだね。それ。」
「五神全員が知ってることかどうかはわからない。ただ、ヘイカンは間違いなくわかっているということだろう。あれだけ挑発してきたんだからな……!」
怒りに任せて振り切ったグラゼルの右手が、壁にめり込む。
あーあ、とケトンはため息をついた。一階はせっかく直したのに、と文句も垂れてみる。
「どっちにしろ、俺たちはちゃんと二人を守ってあげないとだね。全く……生まれが悪すぎたよね、俺たち。もっとあったかいところに住んだって良かったはずなのにさ。」
「お前が無理だろうが。」
「あはは、確かに。」
着物の裾で口元を隠し、ケトンが笑う。
相変わらず思考が掴みにくい兄だ。
「明日はカリアのところに向かうつもりだ。Fが行きたがっている。その後、鬼神宮に向かう。お前はどうする?」
カリア、と聞いてケトンがわずかに反応したが、またいつも通り透き通った笑みを浮かべ
「どうもしないよ。お留守番する。」
と、提案を拒否した。
そうだろうな、とつぶやき、グラゼルが階段を下って弟妹の元へ向かう。
ケトンは珍しくため息をつき、拳を固く握り締め、またふっと息をついてから同じように階段を下った。
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リビングはわいわいと賑やかな祝いのパーティが開かれていた。
今日成神となった二人の笑顔が目立つ。
「あ!兄貴!ケト兄!ねえねえ、プレゼントありがとう!!」
エッグは二人に駆け寄り、二人の前でこげ茶のジャケットを広げる。
「あはは、気に入った?」
「うん!兄貴のコートみたいでかっこいい!俺も強くなれそう!」
見繕ったのはケトンだ。知ってか知らずか、エッグは最高の笑顔で感謝をしめす。
「着たらどうだ?」
「あ!そうだよな!」
グラゼルが促すとエッグはさっと袖を通す。
ジャケットはエッグにぴったりだった。
嬉しくてたまらないのか、エッグは部屋を走り回って他の兄妹に自慢し回る。
良かったねー、というFにもプレゼントはあった。
「F、おいで。」
ケトンが手招きすると、Fはちょこちょこと駆け寄る。
「目を瞑ってて。」
ケトンの優しい声に、Fは従う。
目を瞑っていると何かをぺりぺりと剥がす音が聞こえた。
しばらくするとケトンの冷たい手がFの左頬に当たる。
ひゃっという情けない声が上がると同時に、目を開けていいよ、という声が聞こえた。
目を開けると、ケトンが鏡を持って立っている。思わず反射的に手で目を覆ってしまった。
しかしケトンが「よく見て」と言うので、恐る恐る、手を退けて鏡をみる。
鏡の中には、左頬に星をつけた自分が立っていた。
頬の大きなバツ印の傷は星で隠れている。
「…これで見えないでしょ。毎日かえるのは大変だと思うから、特別に外したい時に外せるシールにしたんだ。Fが剥がしたいって思えば、剥がれるよ。」
思わぬプレゼントに、Fは心の底から温かいものが流れるのを感じた。
今まで、この傷を見るのは怖かった。
何故ついてしまったかわからない傷だったが、見るたびに心を抉られていた。
それが、今日からはもう見なくて良い。
心はもう傷つかなくて良いのだ。
「ケト兄……ありがとう……!」
ほとんど声にならなくなってしまうほど、言葉が水に濡れる。
Fがわんわん泣きながらケトンに抱きついた。ケトンも優しく抱き返す。
兄姉、妹はよく泣く妹を温かく見守っていた。
「さ、泣くのはおしまい!ヘイカンさんとは連絡とったの?」
「あ!まだだった!エッグ、ポストドロップでヘイカンさんに連絡しなきゃ!」
ひとしきり泣き、笑顔を取り戻したFはエッグと一緒に床に座ってポストドロップを取り出してドロップに埋め込まれた石に指を当てる。
ふわっと、ドロップを受け取った時にも見た光が石から漏れ出す。その光はだんだんと人の形をとり、石の上に小さなヘイカンの姿が投影されていた。
『おや、ようやくお帰りで御座いましたか、御二方!お待ちしておりました。』
Fとエッグのドロップの上、合計二人のヘイカンが同時にお辞儀をする。
思わず可愛い、とFが声をあげた。
『まあ、実物大の某を投影してしまったらお邪魔でしょうからねェ。さて、そちらには皆様お揃いで御座いますか?』
「うん!みんないるよ!」
『では、家長のケトン・スラド殿にお取り次ぎ願いたい。』
え?と首をかしげるFの後ろにぬっとケトンが現れ、エッグとFの間に割り込んで正座をする。
そして何を言うでもなく、笑ってみせた。
『……お久しぶりですねェ。一体どこで何をなさっておいでなのですか?貴殿が我々の中でなんとお呼ばれかご存知で?ニートですよ、ニート。』
ヘイカンの煽りに、ケトンは眉ひとつ動かさず、ただ一言
「要件を」
とだけ発する。
徐々にケトンの表情が凍りついてくるのを見て、ヘイカンは真面目な調子を取り戻した。
『率直に申し上げる。あなた方の所在地を知りたい。』
その言葉に一家はしんと静まりかえった。
Fとエッグも、その言葉に意味がないことをよくわかっていた。
彼ら兄妹は「何か」から身を隠すためにこの雪山に身を隠しているのだ。
それをそう簡単に教えるわけにはいかないだろう。
「……何のために?まさか君たちが俺たちを匿ってくれるのかなぁ。」
ケトンは笑みを崩さず、問いに対して問いをかける。
しかしここで引き下がるヘイカンでもなかった。
『貴殿であるならば状況はお分かりのはず!あなた方に頼らねばならぬ我々にも確かに落ち度はありますが、そもそも貴殿の目論見に我々は必要不可欠なはず!であれば、ここで手を組んでいただけてもよろしいのではないでしょうか!?』
懇願にも聞こえるヘイカンの言葉に、ただケトンは失笑する。
そして肩を震わせ、口元を裾で隠しながら笑い始めた。
長兄は怒っている。
弟妹達は誰もが感じ取ることが出来た。
「お断りだよねぇ。そんな虫のいい話があるわけないでしょ。」
笑みは崩れず、語調だけが強くなる。
ケトンの左目は完全に凍っていた。
「俺はわざわざ、弟妹を君たちに協力させてあげることにしてあげたのに、その上居場所を明かせだって?冗談もほどほどにしてよねぇ。もうこれ以上ないくらい君たちに尽くしてあげてるよ。それこそ俺の大事な弟妹の命をかけてあげてるんじゃないか。しかも、俺がここから出れない理由は君たちがよく知ってるんじゃないかな?」
恨みすら滲むケトンの鋭い言葉が、ヘイカンだけでなく弟妹たちにも畏怖の念を覚えさせた。
翡翠の目は、ヘイカンのホログラムをじっと見下し、彼の反応を待っている。
この時間が恐ろしく、Fはエッグのジャケットの袖を掴んだ。
『…わかりました。某は引き退りましょう。無礼をお許しください、ケトン・スラド殿。』
「…い、や、だ♡」
最後にとびきりの笑顔を見せて、ケトンは立ち上がり二階へと帰ってしまった。
しん、とした空気がリビングを流れたが、ヘイカンの咳払いを皮切りに、次の話題へ転換する。
『……大変みっともないお姿を見せてしまいました。さて、お二方にはこのポストドロップの使い方を覚えていただきます。』
「…あ、う、うん……」
完全にケトンに気圧されていたエッグは思い出したようにヘイカンの方を見る。
やれやれ、とヘイカンが頭をかきながら、ドロップについての説明を始めた。
『まず、こちらのドロップですが、もともとは人間界にあった「携帯電話」というものを模して作られたものです。まあ、作りはかなり異なっておりますが、基本的な機能は通話、メッセージ、それからこれはドロップオリジナルのスター計測機能。スターとは、これからこのドロップに届く依頼をこなすと勝手にこちらのドロップの中に溜まっていく、ご褒美のようなものです。そして、その数に応じて、女神の残した宝を神様となった皆様にお配りしております。』
携帯電話!とエッグが目を輝かせる。
「すごい!じゃあこれでメールしたり、遠くにいる人とテレパシー使えなくても話ができるんだ!」
『そういうことです。エッグ殿は人間界の機械にお詳しいのですか?』
「うん!俺、本でいっぱい勉強したんだ!携帯電話、欲しかったんだ!これでヒノリがどっか行っちゃっても連絡とれるんだよ!F!」
エッグの熱の入った説明に、へぇ、とFはそっけない返事をする。
「別にこれがなくても私はテレパシー使えるもん。」
「俺はF以外とは使えないのわかってるだろ!ていうか、これからはヒノリから連絡が来ることもあるんだぜ!その便利さがわからないかなあ!」
何を言われてもFはふーん、と生っぽい返事をする。
「女神の宝ってなんですか?」
通話機能には全く興味を示さず、Fはストレートな質問をする。むっ、とエッグはFを見たが、確かに自分も女神の宝については興味があったので仕方なくヘイカンの方を向く。
問われた黄色の神は神で、言葉につまり、少しうーん、と考えてから
『お見せはできませんが、効果を少しお教えしましょう。宝を賜ったドロップは形状が少しずつ変化していきます。そして、新たな機能を得るでしょう。例えば、ドロップ自体が命を得たり、魔力を持ったり、など。所有者の得意分野に応じてドロップの効果は変わるのです!』
ヘイカンが声高らかに説明し終わり、Fとエッグは拍手を送る。
なるほど、とりあえずすごい力を持ったものだということらしい。
「つまり、これからはこのドロップにお願いごとのメールが届くってことですよね。それで、私たちはそのお願いを叶えるってこと、なのかな?」
『はい、全くその通り!このヘイカン、御二方の担当になることができ、恐悦至極に存じまする!ただ…お二人には特例が出ておりまして。』
特例、と二人は目を丸くする。
『はい…通常ですと、依頼は人間界からくるものが多いのですが、お二人には、この神域内からの依頼のみに当たっていただきます。それから、御二方に届くメッセージは原則同一のものとなりますので、必ず御二方が一緒に行動していただくという措置になります。』
「え、じゃあ人間界にはいけないの?」
『そういうことになります……これはケトン・スラド殿からの条件でございますので、我々は呑む他に御座いませんでした。』
なんだぁ、としょげるエッグ。機械好きの彼はもっと見てみたいものもあったはずだ。
「……でもさっきのケト兄思い出してみなよ。お外出れるだけ絶対マシだよ……」
こそっとFが耳打ちする。
確かに、と言わざるを得ない。
あの冷たい眼差しを思い出すだけでエッグの体が勝手に震えた。
『そういうわけで、他の方よりも御二方のスターは集まりにくいとは思いますが…だからと言って女神の宝をお渡ししないということは決して致しません。それは約束いたします!』
「うん、わかった!とにかく私たちは、お願いメールを解決するってことでいいんだよね!ありがとう、ヘイカンさん!これからよろしくお願いしまーす!」
外に出れる。Fにはそれだけで十分だった。
ヘイカンとの通信が切れ、エッグとFは互いに拳を突き合う。
「ま、とにかく二人で頑張ろうよ!」
「……そうだな!」
二人はいつも通り、屈託のない笑顔で明日からの生活に希望を感じていた。




