第2話
「そういうわけで、今ケト兄がお家を直してるの!」
Fが椅子の上で腰に手を当て、自慢げに金髪の双子の兄姉に説明していた。
「へえ〜、お兄様と兄やんがねぇ……」
嬉しそうに話を聞くロナの横でジュエイは眉を寄せている。
「……怖かったけど、でも…大丈夫!お姉ちゃんが守ってくれたもん!」
ね、とヒノリがFの隣で笑う。
Fも返すようにコロコロと笑った。
「……今日は……Fとエッグの……成神式だろう……朝から、こんなこと、で……情け、ない。」
詰まり詰まりながらもジュエイが首を振り声を発する。
が、その後苦しそうに小さな呻き声をあげ、首に手を当てた。
「無理しないで!」
ロナが慌てて背中をさすって、ジュエイの耳元で何か囁く。
だんだんと苦しさが和らぐのだろう。表情は柔らかくなり、大きく息をつく。
すっかり顔色が元に戻ると、ロナを見つめ微笑んで見せた。
ロナも女神の笑顔を浮かべる。
「声なんか出さなくても私には伝わるんだから。私がみんなに伝えるわ。だから、それでいいじゃない。」
しかしジュエイは首をまた横にふった。
「……言いたいことは、自分で言う。」
目を閉じて、そう呟いた。
そして、立ち上がるとリビングを出て、二階へ上がってしまったのだった。
「…私は、ジュエイが一番大事なのに……」
ロナの呟きがジュエイに伝わったかは定かではないが、Fにはしっかりと聞こえていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
面倒なことになった、とグラゼルは思った。
結局、全ては兄、ケトンの計画どおりだったわけだ。
先ほどまでの苛立ちは嘘のように消え、思考も冴え渡っている。
自分と対等、いやそれ以上に渡り合える兄のことを思うと尊敬の念すら覚える。
だが、同時に憎悪の感情も湧いた。
それはさておき、グラゼルが今の状況を大変面倒に思っているのには二つ理由がある。
一つは、グラゼルがぶち破った壁や床の修理をしているのがケトンだということだ。
そしてもう一つは、そのせいで自分がFとエッグの成神の儀に出席しなくてはならなくなったこと。
もともと儀式にはグラゼルが出る予定ではあったが、偶には兄らしいことがしたいとほざいたケトンに全てを投げようとしていたのだ。
今朝の騒動のおかげでケトンは家の修復をせねばならず、儀式への参加は限りなく不可能から全く不可能になってしまった。
これは大きな誤算である。
それに、利己的な兄のことだ。自分が兄の真意を読み取ったことに気づけば儀式の参加以外にもう一つ、何かをねだってくるに違いない。
何を企んでいるのやら、と弟は考える。
ふと窓を見れば、外は大雪だ。
吹雪く荒れた天気は、いつもと変わらない。
この雪がやむときは。
近い未来、彼の悲願は現実になるだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
成神の儀が近づくにつれ、Fとエッグがそわそわしだす。
それもそのはず。二人はこの家に来てからはじめて、外に出ることになるのだから。
落ち着きなく、部屋を歩き回ったり、扉を開けたり閉めたりする二人を見てグラゼルはため息をついた。
「…なんで歩き回ってんだ。落ち着け。」
グラゼルは様々準備をしながら、二人の様子を見守る。
今日この日から、二人は外界へ出ることをケトンに許されてしまう。
それで良いのだろうか。
まだ不安要素は消しきれていなかった。
「ねえ、兄貴!」
Fが駆け寄ってグラゼルの腰回りに抱きつき、上目遣いになる。
うっ、とグラゼルは引いた。なんたって彼はこの目に弱い。
「明日空いてないの?」
まだあどけない声で訊ねられる。
空けろ、という命令にも聞こえるが…
一つ咳払いして、答えねばならない。
「……仕事だ。今日だって無理に空けている。」
「ねえ、私ね、美味しいお菓子屋さんがあるって、ヒノリからきいたんだよ!」
美味しいお菓子、ときいたところでグラゼルはため息をつく。
その店は間違いなく自分の知り合いが経営している店だ。
「……わかった。挨拶がてら、明日行ってやる。」
「わーい!」
「ただし」
「んー……?」
「そのあと鬼神宮に向かう。それでも良いなら、行ってやろう。」
さっとFの顔から血の気が引く。
同時に部屋を歩き回っていたエッグの足も止まった。
「…鬼神宮って、あの鬼神様がいるところ…?」
Fの問いにグラゼルは頷く。
エッグが両手で顔を抑えた。
「……神食いの鬼神様なんでしょ!?」
「さぁ?」
真っ青になった二人の顔を見てグラゼルは悪戯っぽく笑ってみせる。
こういうところはケトンに似ている、とFは思った。
「兄貴のいじわる!なんで鬼神様に会わなきゃいけないの!?」
「仕事だっつったろうが。どうするんだ。ついてくるなら菓子屋に連れて行ってやると言っているんだが。」
「そんなぁ!」
Fはエッグと顔を見合わせる。
エッグは顔から手を離し、困り眉のままだ。
それを見たFはぷくーっとふくれっ面をする。
「意気地なし!私は行くよ!」
首に巻きっぱなしの煤けたマフラーを直しながらFはエッグに宣言した。
えええええ!と絶叫が響いたがFはグラゼルと確かに約束を取り付ける。
「じゃあお菓子やさん行ったら!鬼神宮ね!」
「わかった。それなら行ってやる。」
その場ではエッグだけが青い顔のままだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
エッグとFの成神の儀が執り行われるのは慣例に従った月光の城ではなく、色の「五神」と呼ばれる神が住まう古城である。
五神は、争いを続けている魔王と光神のどちらにも属さない中立の立場にいる。
そしてその五神とは、赤の紅赤、青の蒼月、白のカリア、黒のロリア、そして黄色のヘイカンのことだ。
五神が魔王、光神と対抗できるのには理由がある。
彼らがもつ、女神の遺物と呼ばれるものの存在だ。
遺物は一つではなく、ばらばらに砕けている。
それを派閥など関係なく分け与えているのが五神たちだ。
集めれば、世界を変える力を持つと言われている遺物を、魔王、光神、無所属の神にある一定の基準をもって分け与えることで、次なる戦争の抑止力になっていると言われている。
尤も、魔王派も光神派も、遺物の採集には躍起になっている為に余計な争いが増えているところもあるのだが。
ともあれ、五神が女神の遺物を持っている間は、両派閥が派手に動くことはないとされている。
それこそ光神の正義に、魔王の慈愛に反する行為となるからだ。
本日、式に出席するものは黄色を司るヘイカンのみと通達がされている。
それを思い出し、グラゼルは渋さを感じる。
「……面倒だ。」
そう言いつつも、弟妹の後ろについて外を歩く。
初めて見る人混みに流されそうな二人をしっかりと支えなければ。
あっちへこっちへと興味が移ってしまう双子の世話は、想像通りの厄介さだった。
「兄貴、兄貴!これは?」
などと言って勝手に品物を持ち出された時には慌てて返させ、グラゼルが直々に商人の元へ赴いた。
商人は彼の風貌を見るなり、小さく悲鳴をあげ、首を振って何も言わなくなってしまったのでそのまま屋台を後にした。
そんなトラブルもありつつ、街の賑わいを堪能した後、三人は古城へと向かった。
古城と呼ばれる城は、質素だが大きな造りになっていた。
城門をくぐり抜け、中に入ればその広さに驚くことになるだろう。
門前には本来あるべきはずのものがない。
当然か、とも思われたが、一応グラゼルは頭に入れておく。
まずは、急かす双子について行かねばならない。
「とってもおっきいお城だねえ!」
子供の声が響く。
しかしエントランスホールには誰もいない。
妙だ、とグラゼルはあたりを確認する。
いつもはいるはずなのだ。この城の兵達が。
今この場には子供二人のはしゃぐ声だけが響く。
対してグラゼルの表情はかたく、精神は張り詰めていた。
集合場所はエントランスホールで合っている。
途中道草を食ったが、時間通りに来ることができた。
ならば、ここには奴がいて然るべきではないか?
謀られたか、と、グラゼルは息を殺して周りの生きているものの気配を探す。
異変の正体はすぐにわかった。
「……ふざけた真似しやがって!」
急にグラゼルは双子を抱えて飛び上がる。
きゃあ!と二人の歓声があがった。
喜んでる場合ではない。今、二人は確実に何かに照準を合わせられていた。
グラゼルの足が床から離れた瞬間、一本の細い小さな矢が大理石の床に突き刺さる。
兄妹の中でも最強と謳われる次兄の怒りは頂点に達した。
二人を降ろすと自分より後ろに下がらせ、首にかけていた黒い十字のネックレスを引きちぎる。
「ドラドラ!」
彼の怒号に呼応し、十字は大きさを変え、槍に変化する。
今朝の喧嘩にも使われていた、あの槍に形状は似ているが、今回のものは更に切っ先が鋭いことがわかる。
険しい表情を崩さないグラゼルの右目は美しい金色から真紅に変化していた。
「ガチだ…」
エッグが唾を飲み込む。
ほんとだー、とFもグラゼルの様子を眺める。
「……兄貴!」
Fの声に素早く反応し、一瞬柱の陰に揺らいだ何かに目掛けて槍を投げ、それを捕捉する。
捉えた何かは槍に装束が刺さり、柱に吊るされた。
それに向かってグラゼルは足早に歩みを進める。一歩一歩の革靴の音が重く大理石に反響して、彼の憤怒の度合いを理解させる。
吊るされたのはそれなりに背のある黄色い装束を纏った男のようだ。
顔は布で隠れていて見えないが、グラゼルはそれが誰かわかっていた。
地から20cmほど浮かされたままの彼は、それでもグラゼルと目線がほぼ変わらない。
男の目の前にたったグラゼルは槍を引き抜き、無慈悲にも男を地上に落とした。
そしてそのまま切っ先と刺すような視線を男に向けて問う。
「……なんの真似だ。事と次第によっては貴様をここで叩っ斬る。」
何者かの首にはすでに槍先が当たっている。
つー、と一筋、血液が流れていた。
「まァまァ…ちょっとしたテストじゃないですか…破壊神サマ。」
飄々とした声だった。かなり癪に触ったらしい。
グラゼルは男の首を掴んで、勢いよく地面に叩きつけた。
激しい音がして、床に穴があく。
エッグは思わず目を覆ってしまった。
相手が人間だったなら、もう姿形すら残っていないだろう。
次の想像をしてしまったがために、彼はウッと嗚咽を漏らした。
「答えろ!なんの真似だと訊いている!」
グラゼルが吠え、襟元を掴んで持ち上げた男の体は無傷に近かった。
最初に着地した頭からは派手に流血していたが、しっかりと生きていることが確認できる。
男の顔はわからない。
しかし口元の歪みから、彼がニンマリと笑みを浮かべていることはわかった。
黄色の装束をまとったその男は、妖のようにも思われ、不気味だった。
「……だぁからァ、テストですよぉ、テスト…グラゼルサン、謝りますからァ…ね〜?某もホントーに吹き矢しちゃったのはやりすぎでしたってェ……」
「俺の弟妹と知ってやったんだろうが!」
もう一度グラゼルは男を叩きつけたが、今度は床が破壊されることもなかった。
大穴が開いたホールはまた、しんと静けさを取り戻す。
パラパラと小石が落ちる音と共に、目隠しの男が頭をかきながら起き上がる。
「しかし強烈ですねェ…流石ですよ。」
そう言いながら飛び跳ねた彼の身体の傷はすっかり綺麗になくなっていた。
ギッと睨みつけるグラゼルの目は恐ろしいものだったが、男は手をヒラヒラとさせて気にも留めない。
「……あーっと、そちらのお二人がエッグ・ライフ殿と、F殿でよろしいですかな。某、五神の黄の座をいただいた、ヘイカンと申しまする。この度はとんだご無礼をお詫び申し上げる。」
深々と、グラゼルの背後から様子を見ていたFとエッグに頭を下げる男、ヘイカン。
この人が?とFは声をあげる。
「あの…殺す気があった…とかですか…?」
エッグは恐る恐る訊ね、グラゼルの方をチラッと見る。
グラゼルは、エッグがFのおやつを勝手にとって食べてしまった時よりも、Fがエッグの為にとり置かれていたプリンを食べてしまった時よりも恐ろしい形相をしていた。
ごくり、ともう一度エッグは生唾を飲み込んだ。いつ何が起こるかわからない危うさを感じたから。
するとグラゼルは少し雰囲気を緩め、息を吐きながら手に持っていた槍をまた十字のネックレスに戻し、彼の胸にかける。
ホッとしたエッグの前で、ヘイカンは大げさなアクションをつけながら弁明を始めた。
「とーんでもございません!このヘイカン、お二人に危害を加えるつもりはございませんでした!ただ…」
ただ?とFの疑問符。
ヘイカンの顔はグラゼルに向いている。
だいたいグラゼルはその先の言葉に予想がついた。
「……あなた方のお兄様がですね、少々名の知れたやんちゃ坊主で御座いまして…お灸を据えるために、実験を……」
ヘイカンが申し訳なさそうに、引くように言葉を紡ぐが、グラゼルの怒りのメーターはまたもや限界値に達しようとしていた。
「それで俺の弟妹を人質にとろうとしたってか?卑怯が過ぎるとは思わないのか!」
「卑怯じゃありませんよォ!某などではあなた様に敵うはずがないからこその戦略ですゥ!お喜ばれよ!あなたは五神の某をも凌ぐ力の持ち主であることを!」
「てめぇなんぞに言われずともわかってんだよそんなことは……!」
髪の毛が逆立つような怒りを感じたFは、グラゼルにひっつき、首を振る。
エッグもグラゼルのコートの裾を引っ張って首を振った。
二人の無言の懇願に、グラゼルは狼のように唸ったが、舌打ちしながらも二人を両手で抱き回し、背中を押してヘイカンに差し出す。
「……次、てめえがこの二人に何かしたなら、お前の首は宙を舞うからな。」
忠告を一つ伝えたグラゼルの目は、真っ赤に燃えていた。
承知、と一つ返事をしたヘイカンは、二人を手招きし、引き寄せる。
「では、格好はつきませんが…成神の儀を始めましょう。」
パッパと衣の埃をはらい、ヘイカンは
「お手を」
と、二人の手をそれぞれ自分の右手、左手の下に差し出させた。
すると、虹色の輝きがヘイカンの手から漏れ出し、その輝きは固体へと形作られていく。
丸い卵のような、美しい光の球がエッグとFの手に渡った。
光は二人を包み込み、渦をまく。
これが、とエッグとFは顔を見合う。
受け取った喜び。大人になった証。これからへの期待。
二人は力強く頷きあった。
しばらくするとその光は消え、装飾が入った卵のようなものが二人の手に残った。
「うむ。やはり認められましたね。それはポストドロップ。あなた様お二人は、これで立派な神様になることができました。おめでとうございます!」
拍手を送るヘイカン。
それを聞いて、二人はわあっと子供らしく湧き上がり、抱き合ったり、飛び跳ねたりして喜びを分かち合った。
実に微笑ましい状況の中で、グラゼルは一人顔を曇らせる。
二人はこれから外界へ出る。
それが良いことなのか、悪いことなのか。
彼にはまだ判断がつきかねていた。
「あまり長くゴタゴタお話すると後ろのお兄様がお怒りになられるでしょうから、お帰りになられましたらこのポストドロップの真ん中についている…そうそう、それです。その青い石を触って、某をお呼びくだされ。ドロップの使い方を説明致しまする。」
ヘイカンの言葉に二人は大きく何度も頷いた。
「見た目は可愛らしいが、絶大な力を秘めております。常に肌身離さずお持ちになるか、使い魔にこれを飲ませるのも良いでしょう。ちょっとやそっとでは壊れませぬ。それこそ、お二人のお兄様方にですらこれを壊すことは不可能。」
「兄貴にでも?」
「お試しになられますか?」
ヘイカンはFの疑問に応えるべく、Fのドロップを取り、グラゼル目掛けて投げつける。
あー!と叫んだFの声より先に、グラゼルが手でそれを掴み、天高く投げ上げた。
そして、またネックレスを引きちぎり槍に変え、ドロップ目掛けて槍を投げ飛ばす。
軽く気味のいい音がして、見事に槍が命中したのをその場にいた四人が確認した。
しかしドロップは弾かれ、Fの手の中へ綺麗に収まる。
戻ってきたドロップには傷一つ付いていなかった。
「…すごい!」
エッグも覗き込み、ちゃんとドロップに傷が付いていないことを確認する。
感動の中、一つ舌打ちが聞こえたが。
「…すごい!すごいよ!これは何で作られてるの!?」
「それは企業秘密でございます。」
爛々と光る少年の目をヘイカンは人差し指を立てていなす。
ちぇーっと残念そうな顔をするエッグの横で、Fは魂が抜けたように呆けたままだ。
「おーい?F?」
「あっ…ううん、大丈夫。」
「ほんと?」
エッグは心配そうに屈み込み、顔を覗き込む。
はっと顔をあげたFは本当になんでもないようにニコッと笑顔を作った。




