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森人街の玩具箱

リリーティアと中堅冒険者と薬草摘み

作者: Sみかん

 癖の強い金髪を適当にシュシュで後ろで纏めた有翼族の少女は冒険者ギルドから受け取った資料を難しい顔で眺めていた。

 すでに日も落ちていて宿のランプだけでは文字を読むには少し薄暗い。

 なので机の上には丸い金具がついた携帯用の小型のランプを置いていて、そのオレンジの明かりがゆらゆらと彼女の顔を紙とを明るく照らしていた。

 ぱっちりとしているがなんだか眠そうな印象すら受けるとろんとした大きな蒼い瞳と長いまつげ、そして大きなまっしろな汚れ一つない翼は揺らめく炎を受けるとまるで絵画の中の天使のような神秘的な印象を与えるはずなのだが、今はそんな炎も彼女の眉間や唇の下のしわを強調するだけであり、神秘的とは無縁であった。

「ヨナ、そんな悩んでいてもしかたないでしょ悩もうが考えようが明日はくるもの」

 同室の相棒がネコのぬいぐるみを抱きしめてベッドでごろごろしながら能天気な声をかけた。

 身長50㎝ほどの妖精の彼女がそんなふうに振舞うとただの子供にしか見えないが、魔法剣士の有翼族の少女ヨナと長い付き合いの立派な相棒である。

 だが、ヨナはそんな相棒に振り返りひとにらみする。

「そもそもあなたが依頼を嫌がるからこんな人と組むことになったんでしょう」

 ヨナは静かに、だが声に怒気を込めて相棒の妖精へと言いながら資料の紙を手のひらでバシンと叩いた。

 その紙には次の仕事で一緒になるとある冒険者のデータが乗っていた。

 『リリーティア・レニヤロロラ』

 データを見る限り補助魔法を得意とする魔法使いの女性のようだ。得意な魔法に差があれど、ヨナの相棒も同じ魔法使いなのでヨナ自身の立ち回りが変わることもないだろう。

 薬草への知識が深く、土地勘のある冒険者という仕事仲間の条件としてヨナが提示したものも満たしている。

 ただ、ヨナが気にしているのは彼女の実力である。

 目的地に生息する主なモンスターの情報を見る限り、戦闘は一人でも大丈夫な自信もあったし道案内の素人を守りながらでも戦えると思っていた。

 心配なのは真逆の理由。組む相手の実力が高すぎるのである。

「どうしてこんなに高ランクの人と仕事をすることに……」

 エルフ族の魔法使い、リリーティア・リニヤロロラ。

 受け取った資料を見るとヨナの感覚ではかなりの高齢にみえる。

 ただ、長寿のエルフ族なので実際は人間の年齢にすると何歳程度なのか、エルフの知り合いのいない彼女にはいまいちピンとこなかったが少なくとも18年しか生きていない自分より外見年齢も精神年齢も遥かに上だろう。

 習得している魔法も幅広く補助を得意とするとされているが、どうやら攻撃、回復も習得しているようだ。

 そして今回の薬草収集に必須な薬草に対する知識だけでなく薬品に対する知識も深い。

 なによりもその全てがおそらく高い水準であることを示す冒険者ランク55という数字。

 冒険者として必要なスキルを習得する毎に加点されていくその数字は、システムに多少の問題があるとは言われているが、冒険者としての実力の指針として一番わかりやすいものである。

 少なくとも数か月前に受けた査定でランク23となったヨナとはぱっと見たところ2倍以上の実力差があるということだ。

 当然、そんな大ベテラン冒険者と組むことなどヨナには一度もなかった。

「ああ、怖い人だったらどうしよう、何か粗相があったらどうしよう……補助魔法ってことは変身みたいな魔法も使えるんでしょう?機嫌を損ねてゾンビとかガマガエルとかにされちゃうかもしれないでしょ?」

 頭を抱えて机に突っ伏したヨナをけらけら笑いながら相棒の妖精は口をはさんだ。

「あたしカエルとか大丈夫だしアンデッド退散もめっちゃ得意だからへーきへーき」

「へーきじゃないわよ!うう、今から胃が痛い」

「ヨナはマゾ系妄想癖あるから忘れてとっとと寝ればいいのに。どんどんマゾ妄想でさらに胃を痛めるんだから」

 相棒に酷い暴言を吐かれ、ヨナは眉を吊り上げてせっかくのきれいな顔が台無しになるくらい顔中しわくちゃにして相棒に怒鳴った

「そもそもあなたが依頼受けないって言ったからでしょう!」

「ヨナも受けなきゃよかったじゃーん。おやすみー」

「だからそうはいかないのわかってるでしょう……」

 頭までベッドに埋もれてしまった相棒をジトッと睨んだあと、ヨナは再び頭を抱えて机につっぷした。

 そもそも、この暗所恐怖症の相棒が暗いダンジョンを嫌がったので他の冒険者と組むことになったのだ。

「あああもう心配……心配すぎる……」

 ヨナはベテラン冒険者の資料に視線を落として金髪をかきむしった。


 ヨナが片田舎の町の冒険者ギルドへ足を運んで最初に驚いたのはギルドがレストランとカフェとバーと一緒になっていたこと、そして朝早いとはいえそこがガラガラなことだ。

 到着するまでに数組の冒険者と思われるグループとすれ違ったが、ギルド内に冒険者らしき人物は杖をカウンターに立てかけ、大きなカバンを床に起きカウンター席で食事をとっている桜色のふわふわした髪の小さな少女だけで、あとはカフェの客であろう中年男性が一人で目玉焼きとトーストを食べているだけだ。

(いくらなんでも早く着きすぎてしまったかしら……)

 心配のあまりろくに眠れず、さらには遅刻してはいけないというプレッシャーから何度も目が覚めてしまたため目の下にクマを作ってしまったヨナは、のんきに眠る相棒を置いて約束の時間より1時間以上も早くギルドに到着していた。

 朝食も済ませていたが、カフェが併設されているのだったらゆっくりと食事をしながら待てばよかったな、と思いながら端っこの方の席を選んで座る。

 有翼族の巨大な白い翼はとにかく目立つ。さらには人口も多種族に比べて極端に少ないため、何かと奇異の視線に晒されがちなので自然と隅っこの席を選ぶ癖がついてしまっていた。

 ヨナへメイド服姿のネコ科の獣人族と思われる給仕が水を運んでくれたのでコーヒーを注文する。水を運んでくる間も注文を受けてる間もちらちらと羽根を気にしているのが丸わかりだったが、いつもの事なので気にはしなかった。

 いや、それ以上にやがて来るであろうベテラン冒険者リリーティア・レニヤロロラが気になっていた。

 身だしなみは大丈夫だろうか?クセの強い肩まである金の髪はこれでもかとブラッシングした上で動きやすいようシュシュできちんとポニーテールにしている。

 化粧もばっちりでクマも完璧に隠しているし小手で見えないが爪も切ったし歯もこれでもかというくらい磨いた。

 得物である腰に提げた聖水で清められた銀の長剣と乱戦や狭所での戦闘で扱うための同じく銀の短剣も相棒に怖い寝れないと文句を言われながらも夜に何度も研いでピカピカだ。

 ただ、彼女は魔法剣士であるが鎧を着ていない。というのも有翼族用の鎧を調達するとなると翼用の穴が必要となるため特注品になるうえに強度もガタ落ちとなってしまうからだ。

 かつて特注の鎧を数か月分間貯金をし、2か月待ちで作ってもらったことがあったが、完成した鎧を着てさっそく仕事へ行ったもののその仕事が終わったときには壊れてしまったので三日ほど泣いて引きこもった経験がある彼女はおそらく二度と鎧を着ることはないだろう。

 そのため、その鎧の残骸の小手、残骸の具足、あとは呪文がうっすらと浮かび上がっている白いチョーカーに胸の裏地にやっぱり鎧の残骸の金属の板が当てられている魔法で強化をされたディアンドルという姿だが、体全体に強固な魔法の防御膜を張る術式がどの装備品にも彫り込まれている事にきっとランク55の大ベテランのリリーティア・レニヤロロラ様なら気づくことだろう。背中ががら空きなのにそんな軽装備でなんてクドクドと説教をされることもなければ何度も説明する必要もないはずだ。

(ううん、もしかしたらそんな格好のふざけた前衛と仕事なんてできない。とその場で首を飛ばされたり石にされちゃう可能性も……)

 頭を抱えて机に突っ伏すヨナ。何度か深呼吸して机の上の水を飲み干した。

(何度も名前を呼ぶの練習したけど噛まずに言えるかしら……練習では何度も噛んじゃったし……)

 ヨナは机に突っ伏したままもごもごと口だけを動かし声に出さずレニヤロロラレニヤロロラと繰り返す。しかし何度かクリア返すと『ロロ』の部分で噛みそうになってしまいぶんぶんと頭を振る羽目になっていた。

「あの、お姉さんさっきからどうかしましたかニャ?」

「ひっ!?」

 突然、ネコメイド給仕に声を掛けられ引きつった悲鳴をあげてしまい店内の視線がヨナに集まった。

「え、えーと、コーヒーお待たせですニャ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 不安げな表情でお盆を胸にかかえて。早足に去っていくネコメイド給仕がカウンターへと走っていく後姿をつい視線で追ってしまった。

 するとネコメイド給仕がカウンターの奥の扉へ引っ込む時にカウンターにいつのまにかいたエプロンの上からでも胸の大きさがわかるニコニコとしたエルフの女性と、カウンター席に座っている冒険者と視線が合ってしまいさっと横を向いた。

 握ったスプーンをくわえている桜色の髪の冒険者らしい少女、先ほどは気づかなかったが耳が長いのでどうやらエルフのようだった。

 慌ててコーヒーに目を落とすと角砂糖を三つとミルクを入れてカチャカチャとスプーンでかき混ぜながら心を落ち着かせようと深呼吸を繰り返した。

(もしかしなくてもあのカウンターの女性がリリーティア・レニヤロロラ様なんじゃ……)

 だとしたら挨拶に行かないのはひどく失礼なのではないだろうかと思いもうすでに失礼なことをしてしまった可能性が高い。

(ど、どうしよう……ああいう常にニコニコしている人ほど笑顔で人の首を飛ばしたら爪をはいだりえっちな拷問にかけたりするものなのに……)

 コーヒーカップを握る手がカタカタと震えコーヒーの表面が波打つ。

 ヨナは今日何度目かもわからない深呼吸をしてまだ熱いコーヒーを一気に胃に流し込むと覚悟を決めて立ち上がった。

(いざとなれば土下座!土下座するのよヨナ!相手に私を責める隙を与えないの!あ、でも視線を外してそんな無防備な格好をしたらそのまま首が飛んだり頭を踏みつけられたりしちゃうかも……)

 頭の中身はぐちゃぐちゃのままカウンターへ向かい具足と剣の鞘をガチャガチャ言わせながら大股で歩いていく。

 カウンターの女性とカウンター席の少女の視線が突き刺さるのを感じながらも目の前でぴたりと止まった。

「あ、あの!初めまして!ヨナ・オウカです!」

「ああ、やっぱりヨナさんだったのね。ようこそ」

 カウンターのエルフの女性はニコニコした笑顔は崩さず驚くほど柔和な声で小さく会釈した。

「は、はい」

 ガチガチに固まったまま次の言葉を探して気をつけの姿勢で羽先までピーンと力を入れて立つ。

 そんな二人の隣でカウンター席の少女は机に据え置きのナプキンで口を拭った後、座ったままヨナを見上げた。

「申し訳ありません。こんなに早くいらっしゃるとは思いませんでした。ご覧の通りまだ朝食中でして……」

 心底申し訳なさそうに眉を寄せて上目遣いで見上げるなんだかふりふりした格好のエルフの少女の机には食べかけのオムライスやコーヒー、そして手つかずのデザートのイチゴのショートケーキが並んでいた。

「え?うん?どうぞごゆっくり?」

「えへへ、ありがとうございます。でもできる限り急ぎますね」

 なぜこの少女が申し訳なさそうなのかいまいち理解が出来ず首を傾げながら再びカウンターの女性へと向き直る。

「リリーティア・レニヤロロラ様!」

 子供っぽい手つきでオムライスを口に運んでいたエルフの少女が頬をパンパンにして今にも吹き出しそうになる。が、乙女としてそこはどうにか堪えたようだった。

 ごくりと口の中身を飲み下し小柄なエルフの少女が困惑気味にヨナの方へと向いた。

「は、はい?」

「今回はわたくしのような若輩者と薬草採取という簡単な仕事にも関わらず高ランク冒険者のリリーティア・レニヤロロラ様がそのお力を貸していただけるということで大変光栄に感じております!足を引っ張らぬよう誠心誠意務めてまいりますので!冒険者として、また人生の先輩として!ご教授ご鞭撻のほどをお願い申し上げます!」

 ニコニコした女性へときっちり90度のやたらと力の入ったお辞儀をするとポニーテールにした金色の髪が頭の前に勢いよく飛び出しカウンターをぺしりと叩いた。

「そんなに緊張しなくても大丈夫よ、この子なんて昨日の昼から『知らない人と仕事なんて久しぶり緊張するどうしよう』って何度もぐったりしてたんだから」

「お姉さん!そういうこと言わないでください!」

 真っ赤になった耳をピンと上に向けて眉を吊り上げる少女。資料にはなかったがこの子もついてくるのだろうか?

「あの、失礼ですが彼女は?」

 ニコニコした女性ときょとんとした少女が目を合わせる。

「ああっ!?もしリリーティア・レニヤロニョラ様の気に障ったのでしたら申し訳ございません!これ以上は何も申しません!なので打ち首や石化はやめてください!まだ死ぬわけにはいかないんです!」

 ヨナが真っ青な顔で手をぶんぶんと降ったかと思うと申し訳ありません、名前を噛んでしまい失礼しましたと繰り返しながら何度も頭をさげると翼もバサバサと動き白い羽が数枚ふわふわと舞った。

「ヨナ・オウカさん?」

 女性が冷たく声を掛けるのでびくびくしながらヨナは頭をあげた。エルフの女性はニコニコとしているが目が笑っていないように感じられた。

「あなたとは一緒に行けそうにないですね」

「そ、そんな……」

 ガタガタと震えるヨナの真っ青な顔がさらに青くなる。

「私は力を貸しません。私の弟子と一緒に行きなさい」

「は、はい……リリーティア・レニヤロロラ様がそうおっしゃるのでしたら……」

 涙目でぺこぺこと頭をさげるヨナと冷たい目でニコニコしている女性のやりとりをじとっとした目で眺めながらオムライスを食べてた少女が口をはさんだ。

「お姉さん、わざわざ遠くからいらっしゃった方をいじめないでください」

「えー、私は力を貸せないのは本当のことでしょう?」

 胸の前で手を組んでわざとらしくくねくねといやいやをすると両腕に押された豊満な胸がぐっと持ち上がった。

「お仕事してください。力は貸してください。お姉さんの弟子じゃないです」

 そんな女性に少女は淡々と言う。

「もー、リリちゃんノリ悪いわねえ。そこは高ランク先輩冒険者としてノリのよさをご教授するとこでし?」

「え?」

 いまいち状況が呑み込めずおどおどしているヨナのそばにエルフの少女はスカートの裾を抑えてぴょこんと飛び降りるとひざ下まである長い革ブーツのかかと床がこつんと小気味いい音を立てた。

 エルフの少女はふわふわの長い桜色の髪は右側をオレンジ色の美しいリボンでサイドアップし、前髪は大きな花のついた髪飾りで纏めていて、あとは自然に腰のあたりまで落としていた。

 おそらくその髪の色のせいもあるのだろうが少女が身にまとう雰囲気は「春」といった印象をヨナに与えた。

 一見するとただのオシャレにしか見えないがリボンも髪飾りもヨナの小手や具足のように魔法による強化が施されているようだった。

 立てかけている杖も古木に白い花のついたツタが巻き付いたデザインのもので、杖に詳しくないヨナがみても高価そうなものだ。

 少なくとも外見通りの子供がもつものではないと見て取れる。

 白いフード付きの厚手の服はスカートの裾がフリルで彩られた白い長そでのミニワンピースのようだ。

 なかなか上等なフード付きのローブだったのだろうが、あろうことか丈を詰めたり飾りを縫い付けたりして可愛く改造されてしまっている。

 全体的に高級感のある装備からそこそこの実力は見て取れたがヨナにはそれがそこまで高ランクの冒険者の装備には見えなかった。

「最初に私が名乗るべきでした。今回一緒にお仕事をさせていただくリ……」

 少女が名乗ろうとしたところでバンッ!と乱暴にギルドの扉が開かれ隻眼の筋肉質の身の丈2メートルはありそうな中年男性が飛び込んできた。

「マスターの姐さん!大変だ!街道にハグレが出ちまったらしい!」

 ハグレ、つまりはぐれモンスター。

 本来生息しているはずのない危険なモンスターが何らかの理由で人の生活エリアに現れたときに使われる言葉だ。

 マスターと呼ばれたカウンターの女性はニコニコ笑顔を崩さず短く用件だけを言った。

「状況と被害」

 筋肉質の中年男性はごつごつした金属でゴテゴテに強化されたブーツで床板をきしませながらカウンターへとやってくる。

 さすがのヨナも自分がリリーティアだと思っていた女性がこのギルドのギルドマスターだと勘づいてきた。

「おっと、ティア嬢邪魔しちまったな」

 中年の男は挨拶を邪魔され不満そうな表情で頭をあげたエルフの少女の頭を巨大な手で乱暴にぐしぐしとなで、そしてなぜかなで続けたまま被害状況を説明していく。

「ハグレは偶然居合わせた俺様が討伐済み、馬車横転により街道通行不能、軽症者数名。別の奴が護衛しながらこっち向かってるが馬車は頭数が揃わないとどかせねえなあれは。馬逃げちまったし」

「了解よ。馬車の件は衛兵に連絡を入れるわ」

「頼んだぜ姐さん。俺様は護衛組に参加して謝礼せびってくるぜ」

 早足で奥へと行ってしまった女性のおしりを嘗め回すように眺めながら頷く男性の手はなでる動きから少女の頭を揉むようないやらしい動きと変わっていた。

 少女はその巨大で無遠慮で不快に動く手を小さな手ではしっと掴む。

「あの、おじさんいつまで撫でてるんですか……」

「おっと、ティア嬢!悪い悪い小遣いやるから機嫌直しな!邪魔したな!」

 男性はしゃがんでズボンのポケットから数枚の硬貨を握るとその手をリリーティアの胸元にずぼっと無遠慮につっこむと硬貨を服の中に入れてから手を抜いた。

 顔どころか耳まで真っ赤になって凍り付いている少女はしばらくすると握りこぶしをわなわなと震わせたかと思うと耳をピンと立てて裏返った甲高い声で叫んだ。

「変態!変態!乙女ににゃんでことを!おどめにっ!なんでこと!」

 最後には涙目になりながら八重歯をむき出しにして叫ぶが男は笑いながら振り向きもせずギルドを出て行ってしまう。

 残された少女はぐしぐしと涙を手のひらで拭った後に服のベルトを緩める。つっこまれた銅貨が3枚、スカートの下からチャリンチャリンと落下した。

 少女はしゃがんできちんと落ちた銅貨を拾い、カウンターに綺麗に重ねて置いた後、ぐしゃぐしゃにされた髪に手串を通して髪の毛を直してからぐしぐしと袖で涙をぬぐった。

「大丈夫?」

 ヨナは思わず視線を少女に合わせ尋ねると少女はすっかりへにゃりと垂れていた耳をさらに垂らして少し恥ずかしそうにこくんと頷く。

 少女はきちっとヨナに向き直り姿勢を正してにこりと微笑むとぺこりと一礼をした。

「お見苦しいところをお見せしました。改めまして、私が今回一緒にお仕事をさせていただくリリ……」

「もう!またセクハラですか!?あんまりひどいと石にして飾ったあと粉々に砕いて庭に撒きますよ?」

 叫びながらギルドマスターはニコニコしてはいるが物騒なことを言いながら戻ってくる。少女はというと「また……」と言いながらゆっくりと頭をあげた。

「リリちゃんにセクハラしていいのは私だけだものねーリリちゃん?」

 言いながらギルドマスターはカウンターからわざわざ身を乗り出してせっかく髪の毛を直したリリーティアの頭を撫でる。

「みんなダメです!もう!」

 少女はため息をついて撫でるのをやめてくださいという代わりにギルドマスターの手をぺちぺちと叩いた。

 ギルドマスターの手がどくとまた乱れた髪を直してからヨナに向きなおりにこりと微笑むと三度目のお辞儀をした。

「何度も申し訳ありません。しつこいようですが一緒にお仕事をさせていただくリ……」

「リリーティア・レニヤロロラ様ですね?」

 少女は豆鉄砲を食ったような顔をした後少しだけ不満そうに口を開いた。

「……はい」

 そんなリリーティアにニコニコしながらもどこか呆れた様子でギルドマスターは声をかけた。

「ほんとリリちゃん間が悪いわね。この前なんて結局名乗れなかったそうじゃない」

「あれは状況がよくなかっただけですー」

 むっとして口をとがらせるリリーティア。見た目も言動もどうみても12歳前後の少女にしか見えないが相手はランク55の年上ベテラン冒険者だ。

 昨日の夜からのガチガチの緊張は完全になくなったが、相手があらゆる面で自分よりずっと上なのは間違いないことだ。

 ヨナはそう考えてしまい、またせっかく消えた緊張がまた戻ってきてしまった。むしろ年下にみえる年上を前にどのように対応したらよいのかわからなくなり手のひらに嫌な汗がじっとりとにじんでくる。

「えーと、急いで食べるのでとりあえず朝ごはん食べても良いでしょうか?」

「え、ええどうぞ……」

「ありがとうございます」

 リリーティアは背の高い椅子に飛び乗るように腰かけるとすっかり冷めてしまった残り数口になっているオムライスとコーヒーよりミルクの方が多そうな色をしたカフェオレに向かった。

「リリちゃんコーヒーお替りいる?バタバタしてもう冷たいでしょ?」

「あ、ほしい!」

 リリーティアは答えるとカフェオレの入ったカップに手を伸ばして中身を飲み干した。

 そしてその話を聞いていたらしいネコメイド給仕がカウンターの奥へと引っ込む。

「ヨナさんはいりますか?」

 急に話を振られびくりとするヨナ。

「じゃ、じゃあいただきます」

 また少し緊張した面持ちで頷くと、マスターは後ろを向き、給仕が入ったキッチンに追加注文の旨を伝えた。

 ヨナは相変わらず緊張気味のまま失礼しますと言って隣の席に腰かける。

「朝、早いんですね。長旅で疲れてなかったですか?」

 心配そうに尋ねるリリーティアにヨナは首を横に振る。

「いえ、昨日はこの町に昼には到着していたのでゆっくりと休むことが出来ました」

「それはよかったです」

 そういって笑顔で顔の前で両手を合わせた後、残ったオムライスを一気にかきこんだ。

「その、約束の時間までまだまだありますし慌てないでも大丈夫ですよ?」

 リリーティアは何かを答えようと顔をヨナへ向けるが頬いっぱいにご飯が詰まっているのでしゃべれず、ほほを染めて正面に向き直りもごもごと慌てて口の中身を咀嚼し飲み下した。

 ナプキンで口の周りを拭った後、もう一度ヨナの方へと向き直った。

「気を使ってくださらなくても大丈夫ですよ。年齢は人間換算すれば大体18歳。同い年ですから」

 にこりと微笑むリリーティアに思わず「えっ!?」と驚きの声をあげるヨナにさらに続けた。

「エルフの年齢って分かりづらいですから驚くのも無理がないですよ。もっとお姉さんだと思いましたか?」

「サバを読まないの。人間換算14歳のリリーティアちゃん」

 ニコニコしたままマスターがすかさずつっこみをいれる。

「あー!ひどい!別にいいじゃないですか4歳くらい!誤差じゃないですかー!そんなこと言ったらマスターだってこの前お役人さんに人間換算……」

 そこまで勢いよく言っていたリリーティアの言葉の勢いが急になくなる。

「リリちゃん?どうぞ続けていいのよ?」

 ニコニコしたマスターに言われ押し黙るリリーティア。

「まあ、年齢の話は別に重要じゃないですよね。ランクも同じくらいですし気にしないでもっと砕けて話しかけて大丈夫ですよ」

「え?55っていただいた資料には……」

「たしかに55ってことになってますけど……そのー……」

 歯切れ悪く答えるリリーティアはショートケーキのイチゴをフォークでつつきながら視線を泳がせた。

「この子、ほとんどが非戦闘要素が評価されてるのよ。でもそういった技術知識を含めて冒険者なんだから自分を卑下するのは他の冒険者にも失礼よ?」

 ニコリとするギルドマスターに言われそれでもまだ少し自信なさげにリリーティアはこくんと頷いた。

「薬草知識、薬品知識と作成、魔法道具知識と作成、自然知識と自然知識特級技術が私の冒険者ランクの評価の半分くらいがしめてるんですよ……エルフは多種族より長寿だから知識とかは自然と多く増えていくんです」

「それを含めて冒険者の実力よ」

 そう言ってからギルドマスターはヨナの方を向く。

「冒険者のあなたならわかるわよね?」

「え、ええまあ。戦闘だけが全てではないですから」

 ヨナはこくんと頷いてから一度首をかしげる。

「しぜんちしきとっきゅうぎじゅつ……?」

 特級技術とは冒険者ギルドが認定している技術の中にはないが特別に評価する価値があると認めたレアスキルだ。少なくともヨナが知る中にその技術を持った人はいない。

「特級技術!?そんなすごいものが!?」

 リリーティアはふっと自嘲気味に笑うとこう呟いた。

「自然知識特級技術。動植物会話」

「えーっと……動物や植物と会話ができるということですか?」

「ダメよショボいとかいったら。エルフでも声を聞ける人はそこそこいるけど会話までできる人はほとんどいないんだから」

 ニコニコしながらギルドマスターが言うとリリーティアはいじけたような、というか完全にいじけた声を出した。

「珍しいとか貴重な技術だとか散々言っておいてその気にされたけどさ。認定されたときはうれしくて調子に乗って自慢したけどさ。みんなショボいとか役に立たないとか聞こえれば十分だとか『そもそもあいつら適当なことしか言わないから言うことを信じても痛い目をみるだけだ』って心配されたり……」

 いじけるリリーティアの言葉に腕を組んで頷くマスター。

「実際、あいつら超いい加減だもの。特に植物」

 リリーティアとニコニコしながらも吐き捨てるように言うエルフのギルドマスターのおかげでヨナの中にあった自然の中で自然と調和し自然と重んじるエルフ像は物の数秒でぶち壊された。

「あ、でも今回一番私が必要としていたものは薬草の知識なのでそれがそこまで評価されてる方と一緒なのはとてもありがたいです」

 なぜか数分前まで出会う事すら緊張していたベテラン冒険者をフォローするヨナだったが、そのフォローはうまくいったらしくリリーティアは表情をぱっと明るくさせた。

「そ、そうですか?えへへ、そう言ってもらえると」

 テレテレとしながら突き傷だらけになってしまったショートケーキのイチゴにフォークを突き刺した。

 ヨナはそんなころころ表情の変わるリリーティアが少なくとも怖がるような相手ではないとさすがにわかってきた。

 ある程度緊張も解けてきたらしいヨナにギルドマスターは不思議そうに尋ねた。

「でもヨナさん。あなたが普段活動しているような都会のギルドならランク55どころか100近い冒険者もいっぱいいるでしょう?それどころかランク100を超えてるような冒険者も何人かいたと思うんだけど」

「ええ、マスター様のおっしゃる通りですけど……ランク50を超えてるような方と今まで一緒に仕事をしたこともないですし、そういう方はやはり纏ってるオーラが違いますので……」

「オーラ、だってリリちゃん」

 くすりと笑ってギルドマスターが笑うと、イチゴと生クリームを幸せそうな表情で味わうのに夢中だったリリーティアは首をかしげながら気の抜けた顔をマスターに「なんですか?」と言いたげに向けた。

 確かにオーラが出ていた。ただし幸せオーラだが。

「とりあえずリリちゃんはそろそろケーキ食べちゃいなさいな。いろいろ説明はしておいてあげるから」

「はーい。そうですね、早く食べないと出発の時間に遅れちゃう」

 幸せそうにショーとケーキを頬張るリリーティアを眺めながらしばらく待っていたが、だんだんと自分もケーキが食べたくなったヨナも同じショートケーキを注文した。

 


 町の門を守る衛兵にいつも使っている大き目の革鞄の他に大きなリュックを背負ったリリーティアが行ってきますと挨拶をすると衛兵もにこやかに行ってらっしゃいと挨拶を返す。

 ヨナがみる限りこの先輩冒険者はエルフが多いこの町で大分可愛がられているようだった。

 大人のエルフからすれば可愛い子供、多種族からすれば何年も可愛いままの子供なのだろう。

「道案内は任せてくださいね。半分ほどは山道ですが何もなければ1時間も歩けば目的地の洞窟までは到着します。このリュックの中身を小屋に補充したら洞窟前の休憩小屋で洞窟についての説明をいたします」

 まるで観光案内のような調子でニコニコとした笑顔で説明するリリーティアにヨナは戸惑いながら口を開いた。

「あの、やっぱり冒険者としても経験としても私の方が後輩ですしあまり堅苦しいしゃべり方をされるのは正直に申しますとかなり居心地の悪さを感じまして……」

「そ、そうですか?」

 申し訳なさそうな表情で答えた後、少し考えた後にリリーティアが言った。

「それならヨナさんも普通にしゃべってくれる?」

「わたくしも、ですか?」

「うん。だってヨナさんだけ普通に話しかけられるってずるくない?」

 ずるいという言い方がどこか滑稽でヨナは思わずくすりと笑ってしまう。

「じゃあ、ここからは敬語はなし。わたしもいつも通りしゃべるわ。仲間ですもの」

 その言葉にリリーティアも表情を明るくする。

「うん、仲間だもん」

 リリーティアが右手を出したのでヨナも手を伸ばししっかりと握手をする。

「ヨナちゃんよろしくね」

「リリーティアさんよろしく」

 お互いに今までの冒険の話等について話しながら、時々襲ってくるモンスターを軽く追い払ったり退治したりしながら、一度、木の枝にヨナの翼が引っ掛かった以外にハプニングもなく驚くほど順調に目的の小屋までたどり着いた。

 あまり頻繁に人が来るところでもないため木製の小屋の壁はコケでうっすらと緑がかり土台はほとんど草に埋もれていた。

 小屋の中はベッドと机と椅子と暖炉があるだけの簡素なものだが、ホコリが積もっているもの全く荒れてはなく、冒険者ギルドが定期補充をしている携帯食料や道具もほとんど手付かずのままだった。

「うーん、これじゃ補充品床に置くしかないかなー」

 リリーティアは大きなリュックに詰めていた補充のための小屋の備品がだいぶ余ってしまい困っていた。余った携帯食料やランプの燃料、傷薬や魔力回復のためのマジックポーション等を床に並べ、腕を組んで難しい顔をする。

 遭難者の避難所とも使えるようになっている小屋の備品なので少なすぎるよりは多いほうがいいのだが、指定の箱には入りきらなかったので箱の上に乗せてみたりベッドの下に置いてみたりしていたが、結局、目立つことを優先させて箱の周りに並べることにした。

 そんなリリーティアを見てヨナはランクが高くてもやる仕事は地味なままなのだなと少しだけ残念な気持ちになった。

「それじゃあヨナちゃん、洞窟の内部について説明するね」

「ええ、お願い」

 ぼふっとベッドに腰かけるリリーティアと固い椅子に腰かけるヨナ。ヨナの位置からだとリリーティアの下着が見えてしまうことを、指摘すべきかどうか悩んでいるうちに、リリーティアはベッドに深く座り直しスカートの裾をおさえて話し始めた。

「洞窟の中には目的の薬草『深淵草』があると思われる場所がいくつかあるの。光が差しづらい水辺……えーと……地図ないとわかりづらいよね」

 言ってリリーティアは立ち上がり鞄から地図を出すとヨナの前の机に広げた。

 地図を見る限りそこそこの広さがあるだけでなく入口もいくつかあってかなり複雑だった。

 奥にはまあまあの広さの泉のような場所があるようで道のいくつかはそちらへ繋がっているようだった。

 さらにはいくつか途中までしか道が書かれていない場所や意味ありげに塗りつぶされている場所ももある。

 よく見れば通れなさそうな場所も多くあり、地図をきちんと見れば迷うことはなさそうだが、一度自分の位置を見失ってしまえば簡単に遭難してしまうだろう。

「うわあ……これは相棒とでなくリリーティアさんと一緒に行って正解だったわ……」

「ランプとか看板とか設置されてない場所になっちゃうし、行ったことない人が行くには危ない場所だよ。本当に……」

 なんだか含みのある言い方をして乾いた笑みを浮かべるリリーティア。過去に何かあったのだろう。

「話がずれちゃった。ん?ずれてはないのかな?」

 小首をかしげた後「まあいいか」と自分に言ってから地図を指さして続けた。

「入口はここで、今回は三か所……ここと、ここと、ここを見ていく予定だよ。全部地底湖のほとりね」

 小屋の机の上に設置されていた羽根ペンを手に取って、地図にクルクルクルと丸でしるしをつけていく。

「道中は浅い場所はほとんどモンスターはいないけど小型のスライムと吸血コウモリがたまに襲ってくる程度。スライムは防御魔法がかかってるその装備なら顔に張り付かれでもしない限り大丈夫だと思うよ」

 リリーティアは説明しながら丸がついた入口から一本の道を細い指でなぞった。

 ヨナは装備品の性能をきちんと見抜いているリリーティアに少し驚くと同時に戦闘力は低いと自分では言ってはいたがベテランなんだなと舌を巻いた。

「ええ、スライムでも肉食のフレッシュスライムくらいの消化能力くらいまでは完全に防げるはずよ。たぶん」

 何しろヨナの着ている小手も具足も服の下の胸当てもは一度はバラバラになった鎧の部品だ。カタログ通りの性能が引き出せている保証なんて全くないのだ。

 そうはいっても普通のスライム程度にやられる程能力は落ちていないと今までの経験でわかっているのでとりあえず説明を聞く限りでは問題はなさそうだ。

 ヨナの反応にちょっとだけ心配そうな表情でリリーティアは指で地図をなぞりながら続けた。

「えと、それでここから先が少し危険度があがってきて、照明が全く設置されてない場所になるの。照明は私が魔法で作るから安心してね。足元もだけど、天井の死角からもそれなりのサイズのスライムが落ちてきたり、大型の昆虫やミミズもいるから遭遇したらちょっと頑張らないとだよ」

「リリーティアさんは身を守ることと案内に集中してくれれば大丈夫よ。その程度の相手なら私の魔法剣でひと撫でですもの」

「わあ、頼もしい!頼りにしてるね」

 心底嬉しそうにニコニコしながら言われてヨナは少しくすぐったくなり照れながら地図に視線を落とした。

「それじゃあ続きね。一か所目はそこそこ入口から近い地底湖のほとり。

 あまり遠くないけどそれだけ誰かに先に採取されてる可能性もあるの。あまり使わない薬草だからわざわざ採る人もそんないなさそうなんだけどね」

「『深淵草』の用途はキラービーの毒針から作る毒薬に抽出した成分を加えることで血液といった体液全般を猛毒にする薬にする。用途としては吸血生物から身を守る、寄生虫、寄生植物に寄生されなくなる。ただし眩暈、嘔吐、幻覚、手足の痺れといった副作用が認められる他、毒に対して耐性を持った生物には効果がないためあまり使用されることはない」

 さらさらと深淵草の効能を言うヨナにリリーティアは驚いた顔を向けた。

「わあ……ヨナちゃん詳しい。私も採りに行ったことは一度しかないからわざわざどんな薬草だったか調べなおしたのに」

「ちょっと興味があっただけですよ」

 嫌味でも自慢でもない感情の読めない淡々した声でヨナは答えた。

「気を付けるのは地底湖のそばには絶対に、絶対に絶対に近づかない事」

 大事なことなので力んで3回言うリリーティア。

「なぜ?」

「地底湖にはヌシって呼ばれる巨大魚のモンスターがいるの。そのヌシは地底湖に近づいた生き物を無差別に丸呑みにしちゃうんだって。食べられて助けられた人もいないし助かった人もいない。もちろん私も助けられないから何があっても近づいちゃ絶対にダメだよ」

 両手をグーにして力強く説明するリリーティアに若干引きつった顔でヨナは尋ねた。

「……そんなに危険な場所だったの?」

「うん。でも近づかなければ平気だから。じゃあ残りのポイントといざという時の逃走ルートの確認もするね」

 リリーティアは慣れた調子で説明と確認を続けた。

 塗りつぶされている場所は底なし沼だから通れないだとか、調査がほとんどされていない場所が多いから変なところに迷い込むと出れなくなる可能性があるといった注意事項等の説明が終わった後、まるっこい文字で色々書き加えられた地図はヨナに渡された。

 

 青白い岩壁に魔法仕掛けの壁掛けランプがぶら下がる整備された広い道をある程度進むと「この先危険」と警告の書かれた苔むした木製の看板の立てられた分かれ道があった。

 看板の先の道は今の道よりは狭いが、大人3人でも並んで歩ける程度には広かったが、照明がないため完全に真っ暗だった。

 地図を見る限りでは看板のない方の照明が続く道を進めば別の出口に出れるようだった。

 なんでも昔はこの先の町との行き来に使われていた道だったので、リリーティア達の冒険者も協力してランプの設置や看板の設置を行ったそうだ。

 だが街道の整備が進んで馬車での行き来も可能になった今は殆ど使われていないらしい。

 看板を前にのんきに昔を懐かしがっていたリリーティアだったが、看板の先へ足を踏み入れる前にヨナへ防御魔法、防毒魔法、再生魔法をかけ、自身にも同様の魔法と、五感強化といった強化魔法をかけ終わる頃には表情も引き締まったベテランのものとなっていた。

 鞄から取り出したマジックポーションを飲み干し失った魔力を補充した後、花のついた杖を握りなおす。

「ヨナちゃん、光源を作ったらたぶん奥にいるモンスターが驚いて飛び出してくるよ。たぶん3匹」

 五感強化でさっそく何者かの気配を捕らえたリリーティアが小声で言う。

 ヨナは頷き狭い洞窟でも振り回しやすい短剣を抜くのを確認するとリリーティアは暗闇の奥を睨んだ。

「3、2、1……いくよー!」

 カウントダウンが終わると同時にここから壁掛けランプの代わりに道を照らす魔法の光球が現れた。

 光球は眩く輝きながら通路の奥までの道と、1メートルほどもある大型のクモを2匹、吸血コウモリを1匹を照らし出した。

 それらは突然の光に驚き混乱しているようで何かから逃げるようにめちゃくちゃに動き回る。

 ヨナは相手の姿が目に入るや否や地面を蹴り大股で間合いを詰めると短剣を真横に薙ぎながらパニック状態のモンスター達とすれ違った。

 その一閃だけでコウモリの片方の羽根とクモの足が何本も体液をまき散らしながら宙を舞う。

「わぁ、ヨナちゃんすっごく強い!」

 それを見たリリーティアが杖を持ったまま器用にパチパチと拍手をする。

 そんなすっかり油断しきったリリーティアにヨナは地面をのたうち回る片翼を失った吸血コウモリを具足で踏み殺しながら振り返った。

「まだ終わってないわ!」

「へ?」

 一匹のクモは足だけでなく腹にも深い傷を負って虫の息だったが、もう一匹は左後ろ足を3本失いながらも体を引きずってリリーティアへと向かっていた。突然の襲撃にも逃げるわけでなく立ち向かってきたのは突然の襲撃者に一矢報いてやろうと思いデモしたのだろうか。

 リリーティアが慌てて杖をクモに向けて炎の矢を作り出すがそれより早くクモの腹部がリリーティアのほうへ向けられ投網のように白い粘糸が吐き掛けれた。

 クモの顔面に炎の矢が突き刺さり燃え上がると同時にリリーティアも小さな悲鳴をあげて網に押し倒されるようにしりもちをついて倒れた。

 ヨナは剣を振り上げ弱っている方のクモの首を刎ね、そのまま振り下ろす手で短剣をリリーティアを襲ったクモへと投げる。

 矢のようにまっすぐと飛んだ短剣は頭部を燃えがらせながらよろよろと動いていたクモの胴と頭を切断してから固い音を立てて岩肌むき出しの地面に突き刺さった。

 ヨナはあきれ顔で来た道を戻り、刺さった短剣を引き抜いてから魔物の血でべちょべちょになったやいばをポケットから取り出した布で拭った。

「なにしてるの……」

「え、えへへ……何してるんだろ……」

 ヨナはねばねばの網をまともに浴びて冷たい地面に情けなく仰向けで転がっているベテラン高ランク冒険者に思わず冷たい視線を向けてしまう。

 美術点がもらえるんじゃないかというくらい見事に粘糸でできた網に全身を絡みつかれ地面に磔にされている姿は思わず目を背けてしまう背徳的な色気があった。

「で、でも大丈夫。これくらいなら……」

 よっ!とかほぁっ!とか気合を入れながらじたばたとするリリーティアだったが時にはクマをもとらえるクモの巣は、強靭なゴムのようにしなり華奢なエルフの少女の全身を捕らえるので暴れれば暴れるほど衣服が乱れるだけで全く起き上がれそうにはなかった。

「リリーちゃんスカートが……」

 リリーティア・レニヤロロラ様からリリーティアさんに(リリーティアが望んだことだったが)代わっていた呼び方はついにリリーちゃんまで格下げとなる。

「見ないで!見ないで!燃やす!うん、こんなの焼き切るから!」

 倒れた時点で中身が丸見えだったのだがヨナはそのことは言わずにしゃがみこみ、ベルトに着けていたサバイバルナイフを抜いた。

「一人だったら死んでましたよ?」

 ヨナが粘糸の粘液に触れないよう気を付けながら糸をザクザクと器用に切りながら呆れて言う。

「平気平気、昔似たようなことあったけど魔法鎧に歯が立たなくて諦めてどっかいっちゃったから。でも巣まで運ばれて怖かったし魔力切れてたら危なかったよ……」

 リリーティアも転がったまま器用に魔法で作り上げた1㎝程の大きさの小さな火の玉を操りぷつぷつと焼き切っていく。

 当時は今よりも実力もなかったため定期的に保存食として持ち帰った餌がそろそろ食べれないかと毒牙を突き立てては諦める巨大クモ相手に怯え切って大声でビービー泣いていたところを偶然助けられたのだが、そんなことはもちろん言わない。

 言わなかったが、ヨナはそれはもう保存食として持ち帰られただだろうと思っていた。けれどもあえてつっこむのも野暮なので曖昧に頷くヨナ。

「よく無事だったわねそれ……って何かさりげなく超技術を見せられてる気がするわ」

「え?」

 意志をもったように糸を次々と焼き切る火の玉を指さすヨナにきょとんとした表情で返すリリーティア。

「なんですかその生きてるみたいな火の玉」

「出力抑えた初級火炎魔法だけど……え?なんで?」

 体のあちこちをねばねばさせながらもどうにか起き上がりおしりと背中をはたくリリーティアは火の玉をぽんっと小さな音を立てて破裂させると手や肌についた粘液を見て嫌そうに眉間にしわを寄せた。地面からは剥がれた服も肌も糸だらけだった。

 ただ、網全体にある程度は熱が伝わったようで粘度はだいぶ落ちてぽろぽろと糸の塊が地面へ落ちていた。

「制御しやすいように、あと自分まで焼かないように出力抑えて、あとは他の魔法みたいに狙いを定めて誘導する感じでやれば誰でもできるんじゃないかな?照明魔法の光を誘導する感じで」

「無理」

「えー?そうかなぁ。似たようなことお姉ちゃ……姉も妹もできたから魔法が得意ならできると思うよ」

 魔法剣士のヨナも試しに簡単な火炎魔法を使ってみるがそもそも出力を抑えることが出来ず目の前に現れた火球はそのまままっすぐ壁まで飛んでいき爆発する。

「無理」

「ヨナちゃんも練習すればできるよ!」

 このすごいんだがすごくないんだかわからないベタベタの先輩が両手をぐっと握って力説するのを適当に笑顔で流してヨナは奥へと歩き始めた。

 もしかしたら剣術の補助と肉体強化にしか魔法を使わないヨナと違い、魔法を本職にしているヨナの相棒ならばできるのかもしれないので下手なことは言わないことにした。

「とにかく、もう油断はなしよ。案内お願いね」

「はい、気を付けます……」

 しゅんとしたリリーティアはその後ろをとぼとぼとついていった。

 

 一か所目の目的地に目当ての深淵草はこれでもかというくらい大量に生い茂っていた。

 粒の荒い砂利でできた地面は湖畔まで50メートルほどの距離があり地図で見るよりも広い印象を受けたが、膝ほどの高さまである深淵草があちこちに群生して深淵の名前の負けない黒い池のようになっているので地底湖の暗さと相まってどことなく不気味な雰囲気があった。

「あはは……こんなにあると草むしりが必要なくらいだね」

 葉も茎も真っ黒でツヤのない深淵草は目的地近くの通路まで生えているだけでなく、地面には乱暴に引っこ抜かれたまま放り棄てられたものまであった。

 おそらくは別の薬草目当てでやってきた誰かが邪魔なのでむしっていったのだろう。

「本当にこれなの?こんなにあるものなの?」

 珍しく貴重な薬草という印象を持っていたヨナは信じられないといった顔で生えている深淵草の葉をつまんでまじまじと眺めてみる。

「うん、葉の形、色、生え方、私が昔摘んだのと同じだよ」

 鞄から取り出した年季の入った図鑑の挿絵と念のため見比べながらまだ髪や服に張り付いたクモの巣がとれていないリリーティアは言った。

「それにこんな変わった見た目の薬草なんていまだに他にみつかってないしねー」

 リリーティアはしゃべりながらなれた手つきで根元からぶちぶちと深淵草を抜いては革袋へと放り込んでいく。

「たくさんあるしちょっとおまけしちゃおう」

 どんどん摘んでいくリリーティアの真似をしてヨナもしゃがみこんで深淵草を抜いて自分の革袋へといれていく。

「小屋で言ったけど湖畔には近づきすぎないでね」

「ええ、もちろん」

 しばらく二人で黙々と真っ黒な草を抜く。少しずつあたりには青臭い臭いが漂っていくのでヨナは少し気持ち悪くなってきた。

「ヨナちゃん、私の方は十分すぎるくらいとれたよ」

「私も大丈夫」

「あとは来た道を戻るだけだね」

「帰るまで油断はダメよ」

「……」

 リリーティアはむすっとして油断の証の服や体のクモの網を見やる。歩いている間にだいぶ落ちたようで今はほとんど残っていないが、気になったので手で軽く払い落とした。

 リリーティアが長い耳をピクッと動かしたかと思うとクモの網を払い落としていた手を止めて通ってきた道へ振り返る。

「ヨナちゃん構えて!」

 リリーティアが言うより早く同じく何かの気配を感じたヨナは銀の長剣を引き抜きリリーティアの前へ躍り出し、リリーティアも杖を構え魔力強化を自身に施した。

 魔力の光球の光がもと来た道を照らしているがぱっと見て何もいるようには見えないが、二人は天井をにらみつける。

「ヨナちゃんしゃがんで!」

 リリーティアは杖を突き出し通常の5倍まで威力を引き上げられた炎の矢を天井へ向かって放つと何者かはそれに反応して地面へとドスンと重たい音を立てて落下する。

 そこにすかさず炎の矢を3本連続で叩きこむ。

 先ほどと違いただの初級魔法となった炎の矢は落下した何者かの鱗の表面を軽く焦がすだけで止まる。

「ああもう!魔力強化しなきゃよかった!」

 魔力の消耗の激しい魔法の無駄打ちに心底悔しそうなリリーティアがにらむ先には黒い鱗の頭が二つある頭だけでも1メートル以上ある蛇が鎌首をもたげていた。

「リリーちゃん何なのこいつ!」

「知らない!奥の方から私たちの臭いでも嗅ぎつけたんじゃないかな」

 闇に溶けるような黒い鱗にぎょろりとした巨大な黒い瞳は本来であれば光の届かない洞窟で姿を隠すのに使われていたのだろうが今は二人を不気味に威圧する確かな存在感を出していた。

 めったに遭遇しないモンスターや未知のモンスターとの遭遇といった事故は冒険者は何度か経験するものだ。

 そしてそういった時に取るべき手段は逃げること。

 何をしてくるか、どのように動くか、そういった事が全く分からない相手に手探りで戦うにはモンスターに対して冒険者の体は脆弱すぎるからだ。

 リリーティアは黒い双頭の大蛇と距離に余裕がある間にマジックポーションを素早く飲み干し魔力を万全にする。

「閃光で目を潰すから横を走り抜けて逃げるよ」

 杖を構えるリリーティアにヨナも武器を構えたまま頷く。

「3、2、1!」

 ゼロとリリーティアが叫ぶと同時に二人には目を閉じた瞼の上からでもわかるほど強烈な閃光を放つ魔法球が黒い大蛇の二つの頭の間ではじけ、のけぞらせる。

「今のうち!」

 ヨナとリリーティアはそれぞれ大蛇の左右のわきをすり抜けるよう駆け出すがそれぞれののけぞったように見えた頭がまるで閃光など気にしていないかのようにそれぞれに襲い掛かった。

 大きく口を開いた左の頭の噛みつきをヨナは全力疾走したままどうにか体をひねりかわしたがバランスを崩しそのまま転倒して銀の長剣を持ったまま2、3度地面を転がった。

 そして、地面を転がりながら右頭部が巨大な鞭のようにしなりリリーティアの小さな体を壁に叩きつけるまでを目にしてしまう。

「リリーちゃん!?」

 ずるりと力なく壁にもたれかかって座り込むリリーティアは派手に咳き込むが防御魔法が衝撃の大部分を殺していたようで致命傷には至っていないようだ。

 意識もあるようで震える指で近くに転がっている杖を掴むとふらふらと立ち上がった。

「ごめん、目潰しが効かないみたい……」

 暗い場所を住処としているモンスターは目が退化してなくなっているか、もしくはわずかな光をも逃さない為逆に異常に発達しているかだ。そのため、暗所に生息する目のあるモンスターの殆どに対して閃光の目潰しは有効なはずだった。

 だが、何事にも例外があり運悪くその例外が今回だったのだ。リリーティアは腹部と背中の痛みをぐっと歯を食いしばり涙を浮かべながらも餌の品定めをするように左右から自身を見つめる4つの瞳をにらみ返した。

「じゃあどうするの!?」

 弱った肉を我先に胃袋に収めようと大口を開けて大蛇の双頭が左右からリリーティアに襲い掛かるのをリリーティアは頭を抱えてしゃがみこみながら自分の左右に氷の壁を作り出しそれを防ぐ。

 二つの頭は開けた口をとっさに留めることが出来なかったため、突然目の前に現れた氷の塊をくわえる羽目になってしまった。

「30秒ほど隙を作れる!?」

 氷の塊を噛み砕くことも離すこともできず頭を振る大蛇の懐を素早く駆け抜けヨナの後ろまで避難しながらリリーティアは叫んだ。

 防御魔法の効果で衝撃を殺したとは言え、巨体の重い一撃はリリーティアの体のあちこちに傷を残しており、体を動かすたびに動かした場所から痛みが走り、呼吸をすることすら苦痛となっていた。

 もちろん、そんな体で走るのも叫ぶのも声が出そうになるほどの痛みを脳へ訴えかけていた。

「無理!長すぎ!」

「じゃあできる限りで!」

 ヨナが答えた時には既にリリーティアは杖を構え自身に強力な魔力強化をかけ始めていた。

 大量の魔力がリリーティアの周囲を駆け抜けあたりに風を巻き起こし、群生する漆黒草をはたはたと揺らす。

 そんなリリーティアを守るため、ヨナは銀の長剣に冷気を纏わせ左の頭に向かって駆け出した。

 魔法剣の選択肢はいくつもあったが、蛇ならば体温を奪えば動きが鈍るかもしれないという考えからだ。

 双頭の大蛇は頭を振り口を抑えていた氷を投げ捨てると片方の頭はヨナを迎え撃とうと大口を開け、もう片方は無防備なリリーティアめがけて伸びていく。

 ヨナは正面のモンスターの頭部を真正面から見つめて駆けていきながらも構えた剣を自分の横をすり抜けようとしている頭へと向かって振り下ろした。

 剣先から3本の氷の矢が飛び出しそのすべてが頭に命中をしたが分厚い鱗に阻まれ浅く刺さるにとどまった。

「もっと魔法も練習しておけばよかったわ!」

 叫びながら真横にステップし、氷の矢を受けながらも勢いを少しも止めずにリリーティアを狙う大蛇の頭へとほとんど体当たりのような形で銀の長剣を突き刺した。

 氷を纏った刃が鱗を砕きながら固いゴムのように弾力のある強靭な筋肉を割いてその刀身を半分ほど首のあたりに突き刺さる確かな手ごたえを感じる。

 さすがの大蛇の頭も痛みにたまらず動きを止めるがもう片方の頭は怒りに任せて乱暴にヨナを叩き潰そうと鎌首をもたげると、ハンマーのように巨体を叩きつけた。

 深く刺さった剣を引き抜くことができず、ヨナは刺さった剣をから手を放して飛びのくが頭部が叩きつけられた衝撃で地面の砂利が弾丸のように勢いよく四方へ飛び散った。

 とっさにヨナは顔面をかばうが足や翼や胴体にいくつもの石つぶてを受けてヨナは思わずうめき声をあげリリーティアの足元まで転がってしまい、その後ろにいたリリーティアもガラス瓶が砕ける音と同時に小さな悲鳴をあげた。

 ヨナが飛び上がりながら銀の短剣を抜き放ちつつ、背後を見やるとリリーティアは手足を何か所か腫れあがらせ、額から血を流しながらも、瓶の頭の部分だけをもって呆然としていた。

 瓶の下はおそらく今の攻撃で砕けたのだろう。

 リリーティアは何か覚悟を決めるよう目をぎゅっとつぶり、叫んだ。

「ごめんね!ヨナちゃん!あとはお願い!」

「何を!?」

 リリーティアはそれには答えず、砕けた瓶を捨てると両手でしっかりと杖を握り直す。

 ヨナは眼前に迫る黒い頭部から少しでも身を守るため腕で体を庇おうとした時だった。

 巨大な氷の柱が大蛇の真横から現れ、まるで鈍器のように大蛇の胴体を打ち付けたのだ。

 そのまま氷の柱は何メートルも伸び続けたかと思うとそのまま大蛇の体を引きずって地底湖まで飛んで行った。

「な、なに……今の?」

 見たことのない強力な魔法攻撃に驚いて尋ねるヨナだったがリリーティアはぺたんとその場に座り込むとそのままガクンと力なく倒れてしまった。

「リリーちゃん!?」

 慌ててヨナが駆け寄りリリーティアを抱き起こす。息はしているがぐったりとしていて意識はない。どうしたものかとヨナはしばらくおろおろしていたが、ヨナはふと相棒が魔法を使い過ぎで大魔法を放つと同時に失神した時のことを思い出した。

(さっきの魔法……それにさっき何か飲もうとしてたし……)

 ここまで来るまでにリリーティアが何度もマジックポーションを飲んでいたことからも考えておそらくあれもマジックポーションだったのだろう。

 魔力を失って意識を失った場合は外部から魔力を与えてやるかゆっくりと魔力が回復するまで休ませるかだ。

 魔力の制御に長けていれば自分の魔力を分け与えることもできるのだが、生憎ヨナはそんな器用な芸当ができるほど魔法は得意ではない。

 どうすればよいか困っている間に、リリーティアが作り出した魔力の光源がすーっと光を失っていくのでヨナは慌てて自分で魔法の光源を作り出した。

 ヨナが魔法の光源を作るとほぼ同時にリリーティアが作り出した光源はきえてしまい、少し頼りない光があたりを照らす。

(とりあえず、早く脱出しないと……)

 さっきの大蛇も湖まで押し出しただけでいつ戻ってくるかもわからない。ヨナ短剣を鞘に収めてリリーティアの杖と鞄を拾い上る。

 長い間、冒険の共として使っていた銀の長剣に小さな声でお別れを言ってからリリーティアの小さな体を脇に抱え、出口目指して走り出そうとしたその時だった。

 地底湖の湖面が大きな音をあげて割れたかと思うと双頭の大蛇が飛び出してきた。

「うそ!?」

 リリーティアを抱えたままとっさにリリーティアの杖で構えをとる。

 構えは取ったはいいが魔法を使わない冒険者にはただの棒だ。素手よりはまし程度だが相手の体長的に考えれば素手よりましな程度の攻撃が効くとも思えなかった。

 だが、飛び出した巨体は、ヨナの方へと向かうことはなく、何かに引きずられるようにずるりと地底湖へと沈む。

 ヨナは双頭の大蛇が湖面を激しく叩きながら暴れてるのを呆然と眺めていたが、ついに完全に大蛇の体が湖の中へと姿を消したところではっと我に返った。

「もしかして……ヌシってやつなのかしら……?」

 答えの代わりに天井に届く水柱が地底湖に立つ。

 ヨナはとんでもない地底湖の主がいる湖畔にいることが急に怖くなり大慌てでもと来た道を戻りだした。

 

 リリーティアは小さな呻き声をあげながら小さな手で瞼をこすった。

 身体がとても重く起き上がれそうにはなかったが、視界に入る木の板の天井と重たい粗末な布団に包まれている感覚からどこかの室内でベッドに横たえられているのだろうということが分かった。

 おそらく、洞窟の外の小屋だろう。

 窓から差す日はまだ強いが自分がどれほどの時間、気を失っていたのかはわからなかった。

 手足が直接布団に触れているので恐らく服を脱がされて簡単な治療魔法がかけられたようだ。

 傷を受けたと思っていた場所はそれほど痛まなくなっている。

 だが、腹部と背中は強く叩きつけられたためかほとんど治っていないようで、呼吸をするだけでズキズキと痛み喉から苦し気な声を絞り出させた。

「気づいた?大丈夫?」

 ガタッと木と木がぶつかる重たい音を立てて誰かが立ち上がる。

 リリーティアは首だけを音のしたほうへどうにか向けると、全身のあちこちに傷を作ったヨナが心配そうにベッドの脇に座り込むのが見えた。

「ヨナちゃんありがとう。一人だったらたぶん死んじゃってたよ」

 どうにかリリーティアは笑顔を作ろうとするが痛みでそれはいびつなものになってしまう。

「こっちこそ。私と相棒じゃもうどうなっていたか……あ、水とかいる?」

「とりあえずマジックポーションを……全然力はいんないや」

 ヨナは立ち上がると小屋に残っていたマジックポーションを拾って力なく笑うリリーティアに手渡そうとする。が、リリーティアは手を伸ばそうとせずほほを染めてどこか恥ずかしそうに口をもごもごさせた。

「どうしたの?」

「えーと……その……」

 リリーティアは耳まで赤くして申し訳なさそうに言った。

「飲ませて……もらってもいい?」

 ヨナは少し驚いた顔をした後、リリーティアの体を抱き起した。その時にリリーティアが痛そうに葉を食いしばったのを見て慌ててかかえる腕の位置を変える。

 ヨナは片手で体によくなさそうな水色の薬品が入った瓶を器用に開けるとそれをリリーティアの唇に当ててゆっくりと傾けた。

 その液体を唇の端から少しこぼしながらもごくんごくんとそれをものすごい勢いでリリーティアが飲み干したのを見て、飲み終わった後にヨナが清潔なタオルで口を拭う。

「ありがとう。5分だけ休めばたぶん平気」

 そういってリリーティアの全身から再び力が抜け瞼が閉じられた。

 ヨナはリリーティアをそっと再びベッドに寝かせる。

 自分が治療のために脱がしたのだが、腹部に大きなアザを作った下着姿の年下の少女が無防備にベッドに横たわる姿を見ると何かとてもいけないことをしてしまったように思えた。

 ヨナは得も言えない罪悪感を覚えて慌ててリリーティアの体に布団をかけなおす。

「魔力切れって怖いわね……」

 誰かに語り掛けるように、死んだように再び深い眠りに落ちたリリーティアの苦し気な寝顔を見つめながらヨナはつぶやいた。

 そして、恐らくこうなってしまうことが分かっていながらも危機を切り抜けるために大魔法を使った先輩冒険者への感謝の気持ちもだんだんとわいてくる。

 そんな先輩冒険者の瞳がゆっくりと開かれたかと思うとぐっと伸びをしたあと痛い痛いと悲鳴をあげた。

「あいたたた……リリーティアちゃん復活!」

 言いながらゆっくりと上体を起こす。

「もう!?」

「魔力切れなんて魔力さえ補充出来ればすぐ治るよ!」

 言いながら目をつぶりお腹にそっと両手を当てる。優しい青白い魔力の光が手から溢れて青紫のアザに変色していたでお腹を治療した後、同じ調子で似たような痣が広がっている背中も治療する。

 回復魔法はまあまあ得意なリリーティアだったが小さなアザが残る黄色っぽいアザの跡までは消せないほどの傷だったようだ。

 自分のお腹を少し不満そうに見下ろすリリーティアにヨナは心配そうに声を掛けた。

「もう魔法使って大丈夫なの?」

 心配そうなヨナにこくんと頷いた。

「ちょっと待ってね、魔力を補充したらある程度はヨナちゃんのケガも治せると思うから」

 リリーティアは布団をどかすとブーツを履いて床に置きっぱなしのマジックポーションを3本拾い上げると一気に2本それを飲み干した。

「ちょ、ちょっと!魔力欠乏症起こしてたとはいえそんな一気に魔力を取り込んだら今度は魔力中毒起こすわよ!?さっき1本飲んだの忘れたの!?」

 せっかく回復したのに今度は魔力のとりすぎで倒れられてはたまらないと慌てるヨナにさらっとリリーティアは返した。

「平気平気、ギルドの備品のマジックポーションは薄いから4本飲んでも足りないくらいだし」

「……エルフってほんとでたらめね」

 マジックポーション4本は一般的な魔法使いが体内に保持できる魔力の2倍ほどだ。もうしっかりとした足取りでベッドに立てかけられていた杖へ向かい、それを手に取った。

 杖をきちんと両手で握ると目をつぶり感覚を確かめるようにリリーティアは大きく深呼吸をした。

 そして、自身に魔力強化の魔法を施すと、魔力の流れで狭い小屋の中のものがカタカタと揺れた。

「ヨナちゃん、ちょっと痒かったりくすぐったかったりするかも」

 そう言うとリリーティアはきょとんとしているヨナに杖を向けた。その杖から強い光があふれたかと思うとヨナの全身の痛みがすぅっと引いていった。

 思わず腕や翼といった傷のひどかった部分を見ると多少あとは残っていたり、治りきっていない傷もあるものの、小さな傷は殆ど治っているようだった。

「ありがとう。こんなあっという間に治るなんて思わなかったわ」

「いいえ、ただ、念のためにお医者さんには行ってね。私はまだお腹と背中がなんか変な感じだし帰ったら行ってみるつもり」

 ぽふんとベッドに座り込むと杖から手を放して背中とお腹をしんどそうにさすってみせた。

「そうだ、改めてありがとう。重かったでしょ……?」

 ぺこりと頭をさげるリリーティアにヨナは首を横に振る。

「ううん、小さいし軽かったから運びやすかったわ。それに道もわかりやすかったし」

「小さい……」

 どうやら気にしていたようだったがあえて気づかなかったふりをする。

「ん?道、そんなわかりやすかった?」

 入口からそう遠くはなかったが決して簡単な道ではないのでヨナの言い方に違和感を覚えてリリーティアが尋ねる。

「不思議なことにクモの糸の残骸が入口あたりまでぽろぽろ落ちてたのよ」

 少し意地悪くヨナが言う。

「環境に合わせ必要なものを現地調達し有効活用するのは冒険者としての知恵で……」

「……そういう事にしてあげる」

 余計なことを言わなければいいのにと思いながらヨナはじとりとリリーティアを見た。

「でも、考えたわね。湖まで押し出してヌシに食べさせてしまおうなんて」

「え?」

「え?」

 きょとんとした表情のリリーティアだったがしばらくして合点がいったのか腕を組んで真剣な表情になる。

「環境に合わせ必要なものを現地調達し……」

「それはもういいから」

「はい……」

 長い耳までぺたんとさせてしゅんとするリリーティア。

「でも、あんな強力な攻撃魔法使えるなら最初から教えてくれればよかったのに。攻撃魔法は特じゃないんじゃなかったの?」

「うん、初級魔法しか使えないよ」

「でもあんなサイズの氷の柱を作るなんて明らかに初級魔法じゃないわ」

 ヨナは大蛇を湖まで押し出した長大な氷の柱を思い出しながら訪ねる。別に魔法の正体を深く追及する必要もないのだが、何が起きたのか知りたくて仕方がなかった。。

「あれは氷の壁。攻撃魔法じゃないよ」

 さらっとおかしなことを言うリリーティア。

「氷の壁って矢とかを防ぐのに使う防御魔法の?」

 魔法を得意としている冒険者であれば比較的簡単に扱えるタイプの魔法の名前に驚きを隠せないヨナ。

 ただし、ヨナのしっている氷の壁は名前の通り人が一人隠れられる程度の氷の壁を作り出す魔法だ。

「うん。それを魔力強化で25倍の質量にして真横から飛び出すように放ったの」

「……なんか今おかしな数字が聞こえた気がしたわ」

 2倍とか3倍ではない、25倍という桁違いの数字に耳を疑う。

「魔力5倍強化を魔力5倍強化して効果を25倍にしたの。別におかしなことはないでしょ?」

 ヨナは理解はできるが納得は行かないといったふうに曖昧に頷いてから尋ねる。

「それってもう一度魔力5倍強化をすれば125倍に出来るってこと?」

 そんなことが出来たら初級魔法をポンと撃つだけで攻城作戦などもできてしまいそうだと考えながらヨナは尋ねる。

「理屈ではね。でも一気に魔力を消費するから失神どころか使ったら死んじゃうだろうし過剰な魔力不足で予想外のことも起きちゃったり、魔力だけ消費して魔法が発動しない可能性もあるかな」

「すごく便利かと思ったけど危ない魔法なのね」

 魔力強化を使えば何かと便利かもしれないと習得を考えたヨナだが危険性を聞いて考え直した。

「でも便利だよ!今回の氷の壁もそうだし使い方と工夫次第で無限大の可能性がある魔法なの!」

 そして、目をキラキラさせながら語るリリーティアの様子に地雷を踏みぬいたことに気づく。

「例えば風の鎧をたった3倍強化するだけで……」

「リリーちゃん、お料理はするのかしら?」

 突然、全然違う話題を振られ首をかしげながらもリリーティアは答える。

「たまにするよ。普段はマスターさんのところで食べてるの」

 ヨナは朝からオムライスとショートケーキを幸せそうに食べていたのを思い出してなるほどと納得した。

「お料理するときに変にアレンジして失敗するでしょ?」

「な、なんで……!?でもうまくいくことの方がおおいよ!?」

「やっぱり……」

 リリーティアは何かと工夫したがるタイプなのだなと納得しつつ話を逸らせたことに満足してヨナは口を開いた。

「ところで、そろそろ帰った方がよくないかしら?」

「それもそうだね。お医者さん開いてるうちに帰りたいし」

 リリーティアは思い出したようにおなかと背中をさすった。

 

 仕事を終えてギルドの報告も済ませたリリーティアは浮かない顔でいつものギルドのカウンター席で夕飯のビーフシチューをすすっていた。

「もう、リリちゃんせっかくのご飯なんだからもうちょっとおいしそうに食べてくれないとお姉さん悲しいわ」

 相変わらず悲しくなさそうにニコニコ笑顔でマスターが言うとリリーティアは相変わらず浮かない顔のまま答えた。

「作ったのお姉さんじゃないでしょ」

「でもキッチンから感じるわよ。リリちゃんに美味しく食べてほしくて一生懸命作ったのにってオーラを」

 そういわれると何も言えずリリーティアはしょんぼりしたまま口を開いた。

「だってえ……」

 スプーンで肉の塊を崩しながらリリーティアはしゅんとする。

「ヨナさんも気にしてないって言ってたじゃない」

「あれは絶対に気にしてる顔ですもん!」

 ヨナの銀の長剣が大蛇に突き刺さったままだったため、なくなってしまった事を知ったリリーティアはその事をとても気にしていた。

 実際、剣をなくしたのはリリーティアの責任かと言われればそうではないが大蛇を突き飛ばしたのはリリーティアだ。

 仕方のない状況だったとはいえ少しは何かをしてあげたいところだった。

「武器を無くすリスクなんて冒険者なら日常茶飯事でしょ。リリちゃんだって杖しょっちゅう折ったり無くしたりしてるじゃない」

「この子は何度も折ってるけどもう何年もなくしてないですー!」

 カウンターに置いてある白い花のついた杖をぺちぺちと手のひらで叩きながら口をとがらせる。

「未確認モンスターの情報料がギルドから入れば少しは足しになるでしょ。未知のモンスターと人気のない場所で立った二人で遭遇したのに五体満足でケガも大したことなかったんだしそれで満足しなさいよ」

「はーい……」

 ギルドマスターの言葉にしぶしぶといった感じで答えてシチューに再び口を付け始めた。

「あ、そうだ!家に帰れば妹が昔使ってた剣があったと思うんですけど……」

「やめなさい」

 ぱっと表情を明るくするリリーティアにニコニコした笑顔のままマスターが止める。

「そのうち大きな仕事がある時にヨナさんを手伝ってあげればいいんじゃないかしら」

「大きな仕事がありそうなんですか?」

 いつものニコニコ顔のマスターの表情からは何も読み取れないがリリーティアはマスターの顔をじっと見つめた。

「さあ、ただ何となくヨナさんは大きな何かに関わりたがってる感じがしただけ」

「なんで?」

 スプーンを握ったままくいっと可愛らしく首を曲げて尋ねるリリーティアにくすりと笑いかけると一言だけ返した。

「長年の勘」

「勘……ですかぁ」

 リリーティアはシチューを口に運んでから不満そうな声をあげる。

「冷めちゃった……」

「あらあら、早く食べないから。ってもうちょっとしかないじゃない」

 もうすでに皿には傾けないとすくえない程度のシチューしか残っていないのをみてギルドマスターはあきれ声で言った。

 リリーティアはまたヨナと仕事をすることがあったらなくした剣の分以上にきっちり活躍しなくちゃと思いながら、皿に直接口をつけて冷めたシチューを一気に飲み干した

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