第97話 シャルロッテの勇み足
食事もそこそこに、特待生六人は講堂へ集まった。
開け放たれた扉から中を覗くと、がらんとした講堂の真ん中に、待ちくたびれた様子のエンゲルバッハが立っていた。
六人が扉付近で躊躇していると、彼は「この前まで来なさい」と手招きをする。
彼らは、特にトールは怪しい雰囲気を感じ取り、4メートルくらいの距離を取った。
他のみんなもそれに倣った。
「もっと近くに来なさい」
エンゲルバッハの声にトールは動かない。なので、他の誰も動かない。
「まあいい。……話というのは、他でもない。君達特待生は明日、処理班の仕事を手伝ってもらう」
シャルロッテが目を丸くして声を上げる。
「処理班!? お掃除でもするの!?」
「いや、違う。魔法使いが魔物を倒した後の後始末の作業だよ」
マリー=ルイーゼが首をかしげる。
「後始末は、魔物を倒した者が行うのではないのですか?」
「魔法使いは魔物を倒すのが専門。その後始末、というか後片付けは、まだ見習いの魔法使いが行うことになっている。この世界では常識だよ。君達の世界ではどうだか知らないがね」
トールは、ゲームの場面を念頭に、ジョークを込めて答えた。
「僕たちの世界では、魔法使いに倒された魔物は、瞬時に消えます。つまり、後には何も残りません。片付ける必要がないのです」
エンゲルバッハは、目を丸くした。
「そうなのかね!? 一撃で魔物が跡形もなく消え失せるとは。だから君達は強いのか」
明らかに真に受けたようだ。
それを見て、トールは吹き出しそうになるのを堪えた。
シャルロッテは、トールの左手の甲をつねった。
彼はそのつねられた意味をわかってはいたが、話が面白い方向に行くので、そのまま乗っかることにした。
「ええ、そうです。だから、処理班なんかいません。こちらの世界で処理班が必要とは、初めて知りました。魔法使いって弱いんですね。倒された魔物は消えないのですね」
「ううむ。じゃあ、初めての面倒な仕事を押しつけるようで申し訳ないが、明日一日、授業は免除するから、年少組四年の処理班の手伝いをしてもらう」
「年少組一年生全員が手伝うのですか?」
「いいや。ここにいる六人だけで手伝ってもらう」
トールはピンときた。
そうか、これはおびき出すための口実だ、と。
彼はシャルロッテと顔を見合わせた。
(エンゲルバッハ先生は、『五番手が行くように編成を変えてある』と言った。
漁師は『お手並み拝見』って書いてきた。
だとすると、明日集まる処理班の中に12ファミリー五番手のフィッシャーが紛れているはずだ)
彼が推理を巡らして、次の言葉を考えていたその時、とんでもないことが起きた。
シャルロッテが勇み足をしてしまったのだ。
「先生! 処理班にフィッシャーって人がいませんか?」
エンゲルバッハはひどく動揺し、滑稽なほど後ずさりをした。
「あ、あ、ああ、……い、い、いると言えばいるが」
トールは、あちゃーと思ったが、もう後の祭り。
こちらがどこまで知っているか、バラしたも同然だ。
しかし、シャルロッテはそんなことは一向に気づいていない様子だ。
「そのフィッシャーって、どういう人なんですか?」
エンゲルバッハは、「それはそのー、あのー、……」と言葉に詰まってしまった。
とその時、入り口付近から、鈴の音のような声がした。
「あら、先生? そのフィッシャーって、フィッシャー侯爵家の誰のことかしら?」
エンゲルバッハもトール達もその澄んだ声に驚き、一斉に入り口の方を向いた。
そして、あまりの美しさに皆が釘付けになった。
長身で銀髪のロングヘア。彫りが深い顔。
宝石のエメラルドのような色の瞳。高い鼻。
ピンク色でつややか唇。少し尖った顎。
彼女は、全員がこちらを見たタイミングで、まるでファッションショーの美人モデルのように歩み寄ってきた。
絶世の美女の登場、と言っても過言ではない。
「アーデルハイト・ゲルンシュタインくん。なぜここに?」
「先生が魔法学の授業のついでにこちらに寄ると伺ったので。明日の処理班の編成で急ぎ確認したいことがあって来ました。なぜ人数が一人多いのかを。そうしたら、立ち聞きしてごめんなさい、処理班担当の年少組四年生にいないフィッシャーの名前を今聞いてしまったのですが、どういうことなのですか?」
「年少組四年生の他に、協力者がいるのだ。言っていなかったかもしれないが、こちらの特待生も一緒に参加してもらう」
「ということは、一、二、三、……六人。いや、もう一人いるから、七人増えるのですね」
アーデルハイトはトール達を数えながら、彼らの横に並んだ。
「あ、……ああ」
「それで、フィッシャー侯爵家の誰が来るのですか?」
「ケート。……ケート・フィッシャー」
アーデルハイトの顔色が、サッと変わった。
「次女の方……」
彼女は、キッとした顔でエンゲルバッハに詰め寄る。
「どうして、年少組三年生の彼女が一人だけ選ばれたのですか?」
「まあ、訓練の一環だ。いちいち学校の方針に口を挟まないでほしいのだが」
エンゲルバッハは汗だくである。
「本当に彼女を呼び出すことが、訓練なのですね?」
「何を言う。当たり前だ」
エンゲルバッハは、少し目が泳いだ。
アーデルハイトはそれを見逃さなかったが、ここはいったん引くべきと考えたようだ。
「わかりました」
彼女はそう言うと、「失礼します」と言って去って行った。
エンゲルバッハは大きなため息を一つつくと、「さあ、話は以上だ。明日朝7時に校庭に集合すること」と言葉を残して、逃げるように去って行った。
トール達は、無言のまま散会した。
途中、トールはイヴォンヌを呼び止めた。
「今夜のことだけど、明日にしてくれないか?」
彼女は、非常に残念そうな顔を彼に向ける。
「どうして?」
「ちょっと明日に備えて、考えておきたいことがあるんだ」
「仕方ないわ。じゃ、明日夜9時、必ずね」
「ああ」
午後の授業の予鈴が鳴る中、トール達は次の教室へと向かった。




