第92話 魔法学校での手の込んだ悪戯
トール達は怪我の治療のため、割り当てられた自分の部屋に入るのが遅れた。
彼らが自分の部屋の場所を知ったのは、翌日の早朝だった。
講堂に保管されていた荷物を持って、全員が部屋へ向かう。
黒猫マックスは、実は、初日に門番のクリスに捕獲されていた。
野良猫と間違われたのだ。
私闘の騒ぎで門番の部屋から抜け出した黒猫マックスは、校庭へ向かったのだが、その後の話はすでにご存じのことと思う。
今回は、トールの使い魔という名目で、特別に城の中へ入ることを許可された。
ただし、授業中は部屋にいることが条件だ。もちろん、餌は飼い主の自前である。
彼ら六人は、どんなルームメイトがいるのか、緊張の面持ちで各自の部屋に入った。
しかし、心配は杞憂だった。
昨日のことは知れ渡っており、ルームメイト達は全員熱烈歓迎ムードで、拍手を持って迎えてくれた。
トールは、階段に一番近い部屋だった。
中に入ると、向かって右のベッドの上に座っていた少年が、寝ぼけ眼で迎えてくれた。
名前をウルリッヒ・ヘルルンシュライバーと言った。
小柄で短いスポーツ刈りが可愛くて、灰色の目をした少年は、昨日の英雄を盛大な拍手で褒め称えた。
ウルリッヒは、平民の出身だという。
彼は王族と相部屋であることに緊張し、高貴な身分の人は入って右側を使うべきだと主張したが、トールは早い者勝ちだと言って断った。
トールのベッドは、向かって左側。勉強机もクローゼットも左側になった。
トールは、ブリューゲル公爵家が弁償した真新しい制服を、クローゼット備え付けの姿見で確認する。
そして、留守番を任せた黒猫マックスに手を振って、教科書の入った学校支給の薄いランドセルみたいなリュックを背負った。
部屋を出たトールは、さっそくウルリッヒと学食へ向かった。
ちょうど、階段の途中でシャルロッテら五人がルームメートと一緒に歩いているところに出くわした。
ルームメート達は気を利かせて、特待生だけで一緒に食事をどうぞ、と勧めてくれたが、トールは「ルームメート同士で食事をする方がいい」と提案し、株を上げた。
パンとスープとよくローストされた鴨の肉という朝食を食べながら、楽しく会話していた彼らだが、予鈴に急かされて、皿の片付けもそこそこに教室へと向かった。
教室は、階段状に三人掛けの机が並んだ形式だ。
それが三列、五段ある。
ファミリーの連中三人とまだ顔の腫れが引かないフェリクスは、一番後ろの段が自分たちの特等席と言わんばかりに占領する。
自然と、その前の一段、三つの机が誰も座らない机になる。まるで、教室内で彼らが断絶されたかのように。
後は銘々が好きなところに座る。
いよいよ、トール達の最初の授業が始まった。
歴史学だ。
講師はマティス・シュネルバッハ。
真っ白な髪の毛が肩まで届き、金色の目をギラギラと光らせた、よぼよぼのおじいさん。
ローブに巻かれているかのようで、少し震えて立っている。
声も聞き取りにくい。
生徒達の間で、ゴボウ先生というあだ名が付いた。
シュネルバッハがぼそぼそしゃべる授業は退屈で、生徒達はすぐに飽きた。
彼らが何を始めるかは、おおかた予想が付く。
暇つぶしの悪戯だ。
階段状に机が並んでいるため、前の生徒の頭がちょうどいい高さにある。
これをいいことに、鉛筆で頭を悪戯をする生徒が複数現れた。
シュネルバッハは、そこで起こる騒ぎには、一応は振り向くも一切口を出さず、淡々と講義を進めていく。
トールは少しドキドキしていた。
なぜなら、グリューネヴァルトのエルフのジークムントが言っていた次の言葉を思い出してしまったのだ。
『あの学校で阿呆の教師達が熱に浮かれたように子供達を極悪人として養成している』と。
ただし、クラウスのことは『唯一、熱血教師として正義を無駄に振り回す』と。
それで、もしクラウス以外の先生が何か変なことを言ったり、妙なことをしでかしたら、がつんを言ってやろうと身構えていた。
彼には『王族』という後ろ盾と、あの12ファミリーと渡り合ったという実績がある。
それで、強く言っても大丈夫、という自信を持っていたのである。
ところが、トールの身辺で予想外の出来事が起こった。
いや、想定内のことが始まったと言うべきか。
突然、彼の手元に置いてあった歴史学の副読本がひとりでに開きだし、ビリビリとちぎれて宙を舞い始めたのである。
周囲の生徒が、面白がって騒ぎ立てる。
もちろん、トールを馬鹿にした笑いではないが、彼は猛烈に不機嫌になった。
それで周囲を見渡して、魔法で悪戯した首謀者を探したが、それらしい素振りをする者を見つけることはできなかった。
次は魔法学。
講師はクルト・エンゲルバッハ。
口髭が見事で、授業中にかぶっている三角形の帽子も様になっている。
短く借り上げた黒髪が珍しいが、紅色の目がウサギみたいで、さっそくウサギ紳士というあだ名が付いた。
声は太く、ちょっと怖い。
エンゲルバッハが、簡単な魔法の課題を次々と生徒に出していくが、不思議なことにトールだけ一向に課題がクリアできない。
それまで魔法を使えなかったイヴォンヌもイゾルデも、コップの中に水を満たしたり、花瓶を移動することができたのだが、トールがやると、そんな簡単な魔法ですら何もできないのである。
エンゲルバッハは「君は昨日のことがあって疲れているのだろう」と慰めてくれたが、トールは、誰かが自分の魔法に干渉し、妨害していると確信した。
次は占星術。
講師はエルンスト・ハンスバッハ。
でっぷりと太って背も高く、部屋は熱くもないのに顔が赤くて、しきりにハンカチで汗を拭いている。
彼には、ストーブというあだ名が付いた。
トールは、ハンスバッハに名前を呼ばれ「教科書の2ページから読み給え」と言われた。
彼は起立して教科書を開いたが、ページが真っ白になっていた。
誰かが悪戯の魔法を仕掛けているのは明らかだ。
彼は周囲を見渡すが、全員が下を向いている。
ハンスバッハから「何をしている?」と言われたトールは、教科書に視線を落とすと、いつの間にか歴史学の教科書に変わっている。
トールは恥をかいたが、結局、犯人はわからずじまいだった。




