第83話 手抜きの攻撃
血を吐いて白目をむくアルフォンスが、フェリクスの元へ無言の帰還をした。
彼はそれを一瞥すると、シュテファニーに何やら合図を送った。
アルフォンスの無様な帰還を笑っていたシュテファニーは、キョトンとして自分の鼻を指さす。
「えっ? あたしの番? ……ちっ! 面倒くさいんだけど」
「いいから、行けよ!」
「あのさ、フェリクス。ここで勝ったら、ファミリーの序列、入れ替えてくれる?」
「いいだろう。父さんに進言するよ」
「聞いたわよ。貴族の約束だからね。破ったらどうなるか、わかってるわよね!?」
「ああ。約束だ」
「よっしゃ!」
シュテファニーは小さなガッツポーズを取ると、体の右を下にして横に寝転がった姿勢のまま、スーッとトールの前へ平行移動した。
トールは、急に涅槃像みたいな格好をした生徒が3メートルほど手前に現れたのでギョッとした。
涅槃像の格好と違うのは、左足の膝を立てて、そこに左手を添えていること。
彼女は口に猫じゃらしの雑草をくわえて、唇でそれをユラユラと揺らしていたが、プッと吐き捨てた。
「あんた、誰だっけ?」
「……」
「おい! 面倒くせえのに、一応名前聞いてやってんだよ!」
「聞く方から先に名乗るんじゃないのかい?」
「言うじゃん。生意気に」
「講堂で自己紹介したとおり、トール・ヴォルフ・ローテンシュタインだけど、君は誰?」
「あたしだって、講堂で自己紹介したとおり、ザルツギッター侯爵家三女、シュテファニー」
「ご丁寧にどうも。お互い、物忘れが激しいね。で、何しに来たの? これから、彼と決着をつけるんだけど」
「はあ!? 何言ってんの!? あいつ、戦うわけないじゃん」
「えええ!? どういうこと?」
「さっきのアルフォンスを魔法じゃなくて、素手でボコボコにしてくれたじゃん」
「まあ、成り行きでそうなったけど」
「あいつの家、12ファミリーの序列で言うと六番手で、あたしのザルツギッター侯爵家が七番手なんだけど、実力じゃ、あたしの方が上なんだ」
「ほう。それを自慢しに来たのかい?」
「言うじゃん。今度はあたしが、魔法でボコボコにしに来たのさ」
「……っ!」
トールは身構えた。
「それで、あたしが勝つから、あいつはあんたと戦わないってこと。理解した?」
「しないね。自分が戦わず、仲間に戦わせている。一対一の勝負のはずが、卑怯じゃないか!?」
「あんたが強すぎるから、こうなっているんだよ。ま、どんだけ強いか見ちゃいないけど」
「三つ首の大蛇を拳で退治したけどね」
「ああ、グリューネヴァルトに飼われていたあの人食いの使い魔か。ふーん、やるじゃん」
「怪我するから、僕との勝負はやめた方がいいよ。女の子を怪我させるのは趣味じゃないし」
「あたしは男を殴るのが趣味なの、って言ったらどうする?」
「ここにも行儀の悪い貴族がいるんだね」
「あたしだって、あの大蛇くらいなら一人で退治できる力を持っているよ。さっきのアルフォンスは無理だけどね。それなのにさ、家の序列が逆なんだよね。ひどくね!?」
「さあね」
「一応、あんたと戦って勝ったら家の序列を入れ替えてもらうんだ」
「ほう。僕は賞金首みたいなものか」
「あ、そうそう。向こうにいるあんたの仲間。特にゴーグルみたいのかけている灰色頭のちっこい女。さっきから、何かと指示出して目障りなんだよね」
「え?」
「よくわからない言葉でやりとりしているじゃん。さっきさ、あんた、アルフォンスのこと、『卑怯者』って言っていたけど、あんた達こそ卑怯じゃない!?」
「言いがかりだな」
フンと鼻を鳴らしたシュテファニーが、自分の顔の前で左手の人差し指を使いながら円を描く。
すると、その円に沿って、白いピンポン球のようなものが12個ほど出現し、高速にくるくると回り出した。
そのピンポン球が徐々に大きくなって、それらが描く円軌道も大きくなっていく。
玉はビーチボールくらいの大きさにまで膨れ上がった。
シュテファニーは、左手の中指と親指でデコピンみたいに弾く動作をする。
すると、それを合図に12個の白い玉が目にもとまらぬ速さで、後ろの方へ飛んでいった。
その方向には、彼女達がいる!
トールはハッとして後ろを振り返る。
視界に飛び込んだのは、ヒルデガルト達五人それぞれに玉が向かっていくところだった。
回転する玉が、近くの獲物を捕らえ、それぞれに分散してぶつかっていく。
トールの目の前で起きる凶行。
それは一瞬の出来事で、悲鳴を上げる暇さえなかった。
玉を抱きかかえるように宙を飛ぶ彼女達は、フェンスの金網に激突する。
なおも玉は高速に回転している。
やがて、回転は止まった。
凶行に及んだ玉は、役目を終えると煙のように消え、後に残ったのは気絶した五人の哀れな姿だった。
シュテファニーは、大きな口を開けてカラカラと笑う。
「あはは! おもしろーい! ほんと、絵に描いたように飛んでいったね!? 避けないなんて馬鹿じゃん!!」
「何をするんだ!!」
トールは、怒りがこみ上げてきて、顔に熱が帯びてきたのを感じた。
左胸と左手の痛みさえ、すっかり忘れるほど興奮していた。
「ああん? 何って、これで一対一になったじゃんか」
「だからって、あんなこと、やっていいのか!」
「はあ!? あれで手を抜いたんだけど。『手加減してくれてありがとう』って感謝されるべきなんだけど」
「何!?」
「マジであたしが本気出していいの? もし本気出していたら、あの玉、岩にしたんだけど。そしたら今頃、あいつら全身がぺちゃんこになって、血を吹き出して、フェンスと一緒に山の下へ落下したんだけど」
「君は人殺しか!?」
「まだ言ってら。『私闘』って殺し合いだよ。なのに、この慈悲深いシュテファニー様があんたのお仲間を生かしておいたんだけど。あたしの足下でひれ伏して、ぽろぽろ涙を流して感謝しな、ってんだ!」
「無関係な仲間に怪我をさせておいて……。絶対に、絶対に許せない!!」
「あー、ごちゃごちゃと、うるさい男だ! マジで眠いのに……。ほんじゃ、さっさと勝負を終わらせるよ!」
シュテファニーは、あくびをしながら、また自分の顔の前で左手の人差し指をくるりと回した。




