第77話 剣の雨
トールが振り向いた先には、特待生五人が肩を寄せ合ってトールを見守っていた。
「早くうううううっ!! 逃げろおおおおおっ!!!」
彼女達は、トールの怒鳴り声に目を丸くするだけで、動こうとしない。
『なぜ? どうして?』という顔を向けたままだ。
ただし、ヒルデガルトだけは、軍用ゴーグルが解析した結果に目を丸くしていた。
「ゼンイン ニゲテ! マホウジンカラ ナニカガ クル!」
いつもはボソッと、省エネを心がけているかのごとく小声で短い言葉のヒルデガルトが、日本語で珍しく大声を出して右へ走った。
彼女がこんな声を出せるとは思ってもいなかったシャルロッテ達四人は、尋常ならぬ事態を感じ取り、反射的にヒルデガルトの動きを倣った。
とその時、アルフォンスの両脇に漂う何十という魔方陣の中から、一斉にヌッと短剣が出現し、矢のように飛び出した。
何十本という短剣が、美しくて残酷な光の軌跡を残し、風を切る音を立ててターゲットを襲う。
標的はトールか!?
否である。
無機質の殺し屋の向かう先には、トールの姿がない。トールはアルフォンスの真正面なのだから。
ならば、そいつらの向かう先は決まっている。
「フセテエエエエエッ!!」
ヒルデガルトは、叫びながら地面にスライディングした。
シャルロッテ達四人も、なりふり構わず、その真似をする。
シュシュシュシュシュシュシュシュシュシュッ!
わずかに遅れて、無数の短剣が空気を斬り裂きながら、彼女達の背中の上を高速で通過した。
ターゲットを見失っても勢いを失わない短剣達は、ガシガシガシッとフェンスの金網へ深く食い込む。
「あちゃー! 貴様に見破られたか。これだけ数が多いと、準備に時間が掛かるのが難点なんだよね、この魔法は。貴様がボーッと突っ立ってくれていれば、あの五人は今頃、剣の雨でズタズタに刻まれていたのにね。ほんと、全くもって、貴様は――」
剣を両手でギュッと握ったアルフォンスは、「余計なことをしてくれるよ!!」と叫び、背伸びをするくらい大きく振りかぶる。
そして、彼は、瞬時にトールとの間合いを詰めた。
人間業とは思えない素早さ。
これができるということは、彼は強化魔法を発動したはずだが、全身に光を纏っていない。
トールは光っていれば警戒したのだが、それがないので、相手は生身の体と思っていた。
そのため、人を超えたあまりの速さに面食らい、アルフォンスが振り下ろした剣を、二本の剣を交差して受け止めるのが精一杯だった。
細身のアルフォンスが、倍の体重でギリギリギリと刀身を下ろしてくる。
信じがたいことだが、本当に怪力の剣闘士のようにグイグイと剣を押している。
こんな男がここまで腕力があるとは思えない。
剣に注ぎ込まれた魔力が加勢しているか?
トールが剣を交差している箇所で、アルフォンスの振り下ろす刀身が小刻みに震える。
これは、トールが敵の想定外の力を必死に耐えている腕の震えだ。
ここまで耐えても、耐え抜いても、剣先が1センチ、また1センチと顔に近づいてくる。
腕の力が尽きなくても、パックリと額を割られるだろう。
そこでトールは、交差した剣をありったけの力で上へ押し上げ、素早く右横へ身をかわした。
しかし、その動きはアルフォンスに読まれていた。トールの黒目が逃げる方向へ動いたからであろうか。
アルフォンスは、上に押し上げられた剣を、反時計回りに回して文字盤の9から3の方向へ剣を振る。
ちょうど、相手から見て左の方向へ移動していたトールは、真横から胴を真っ二つに斬られる形になった。
万事休す!
ところが、トールは右脇腹を剣でしこたま叩かれただけ。
何が起きた!?
武功を急ぐアルフォンスが、刃を真横にせず、真下に向けたまま剣を右横へ振ったのだ。
刀身の平らな部分で叩かれたトールは、九死に一生を得た。
斬れるはずの剣が斬れないことに驚いたアルフォンスは、何が原因かわからず、棒立ちになって固まった。
ここでトールは勝機をつかんだはず。
ところが、彼はまだ未熟故に、勝機を逸する。
(ああ、左横ががら空きだ。余裕で勝てる)
この根拠もない勝算が、彼の動きを鈍らせた。
アルフォンスは、トールまで棒立ちになった瞬間を好機と捉え、剣を斜め左上に振り上げる。
その剣の動きに気づいたトールは、反射的に後ろへ跳んだ。
そこへ左上から右下へ袈裟懸けに振り下ろされる剣。
逃げ遅れたローブが、かすめた剣先でパックリと斬れた。
(しまった! 余裕で勝とうなんて馬鹿なことを考えた! 今度は気を緩めないぞ!)
相手に衣服だけでも損傷を与えたアルフォンスは、勢いを得て、再び剣を大きく振りかぶり相手に迫る。
再度振り下ろされる刀身は、交差された刀と剣が辛うじて受け止める。
両者は激しくぶつかり合い、硬い金属音と一緒に、火花が飛び散った。
ところが、今度はアルフォンスの力の加える方向が違う。
上から振り下ろす力ではなく、剣ごとトールを後ろへ後ろへと押しているのだ。
なぜだ!?
押され負けしているトールは、じりじりと滑るように後退する。
踏ん張っても、校庭の砂で滑るのだ。
剣で体の正面を真っ二つに斬り裂こうとしているのだろうか?
否、斬るというより、明らかに正面から押している。
とその時、トールの背筋に悪寒が走った。
(わかった! 後ろが穴だからだ!)
動揺で力が緩むトール。
抵抗が少なくなり、押し勝つことに確信を得るアルフォンス。
彼の冷酷な顔に、一瞬、薄笑いが加わった。




