第73話 一発逆転の鉄拳
暗殺者のような人形が、二刀流の構えで威嚇しながら、歩幅を揃えて前進してくる。
どの人形も動きが全く同じで無機質。それが不気味さを倍加させる。
彼と人形との距離は3メートルにまで迫ってきた。
アンティークドールの優しい顔が、不敵の笑みに見える。
とその時、トールの心に、隙間風が吹いた。
これでは、あの初めての戦いの再来だ!
しかし、今度の彼は違っていた。
(そうだ! ここで弱気になるから失敗するんだ!)
彼は深呼吸をして腹に力を入れた。
こうして、平常心を保つことに成功すると、隙間風は嘘のように消え、彼の心は自信に満ちあふれてきた。
(よーし、ここで)
トールは自慢の長剣を取り出す構えをした。
ところが、その途端、
「陣形A!」
カタリーネが人形に不思議な指示をした。
彼はその言葉に魔方陣を紡ぐのをためらい、長剣を取り出す機会を逸した。
すると、それまで少しずつ前進していた人形達が急に走り出し、一斉に高く跳んだ。
「……っ!」
剣を出す余裕がない。
人形達は剣を携え、2メートルほどの高さにまで舞い上がる。
この体勢から斬りかかってくる!
彼は避けようとして、右足を一歩後ろに下げた。
だが、そこで踏みとどまった。
彼は直感力を高め、人形達の動きに目をこらした。
敵の動きの『先』を読むためだ。
一列目の人形の頭から、二列目の人形の頭がせり上がってくる。
さらに二列目の人形の頭から、三列目の人形の頭が見えてきた。
これはおかしい。
(前列の攻撃はフェイクだ!)
予想通り、前列の人形は剣を振り下ろさない。
トールは、右手を素早く後ろに振りかぶった。
そして、強化魔法の力を最大限に利用し、前列中央の人形を拳で痛烈に殴打した。
左肩に体当たりする人形は無視。攻撃しないことをわかっていたからだ。
右の拳を食らった人形は、体をくの字に曲げて、10メートル離れたカタリーネに0.5秒で接近する。
そして、彼女の扇子を吹き飛ばし、向かって左側の縦ロールの髪の毛を十数本かっさらって、遙か向こうへ飛んでいった。
一方、トールの背後では、ドスドスドスという音がする。
彼が振り返ると、二列目と三列目の人形が着地し、地面に剣を突き刺していた。
最前列の人形は、ただ剣を持ったまま、着地した。
カタリーネは、動揺を隠しきれない表情で敵を褒め称える。
「あら、前列の攻撃がフェイクだって、よくわかりましたわね」
トールは、余裕綽々に振る舞う。
「二列目、三列目が本物だって、ジャンプの動きでバレバレだよ。後ろに下がった僕を二段構えで突き刺すってね」
「まあ、動体視力がよろしいこと」
「直感だ」
「陣形B!」
またカタリーネが人形に不思議な指示をした。
今度は、人形が素早くトールの周りに円陣を組んで取り囲む。
そして、一斉にジャンプして彼に斬りかかってきた。
(よし! 一気に拳で吹き飛ばしてやる!)
彼は強化魔法の力を活かして、5メートルほどジャンプした。
人形達は剣で空を切りながら、一斉に着地して、もぬけの殻の地面に剣を突き立てる。
「うおおおおおおおおおお!」
跳躍の頂点に達したところで雄叫びを上げたトールは、右の拳を大きく振りかぶって落下。
そして、二体の人形を踏んづけながら着地。
さらに、人形の円陣の中心付近へ、渾身の力を込めて拳を振り下ろした。
ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!
地鳴りのような大音響と縦揺れ。
大爆発のように巻き上がる土砂。
土砂もろとも吹き飛ばされる人形達と短剣。
観客は耳を押さえ、立てた膝に顔を埋め、絶叫のような悲鳴を上げる。
カタリーネは恐怖のあまり、へなへなと腰を抜かす。
フェリクス達は、10メートルの高さに吹き上げる土砂を、呆然と仰ぎ見る。
寝転がったシュテファニーは、一瞥するだけでフンと鼻を鳴らす。
シャルロッテ達はトールのこの一撃は経験済みなので、耳を塞いだ程度で済んだ。
しかし、初体験のイゾルデとイヴォンヌは、耳を塞ぐだけではなく、腰を抜かしてガタガタと震えている。
やがて、舞い上がる土砂や人形がバラバラと音を立てて落下し、視界が晴れてきた。
皆はトールの安否を気遣うが、彼の姿はない。
見えるのは、直径10メートル以上の陥没した穴。
深さは彼らの側からは見えないが、実際には2メートルあった。
穴の周辺には人形達が混じった土砂が、惨劇の後のように散らばる。
トールはどこへ消えたのか?
爆風でバラバラになったのか?
観衆がザワザワし始める頃、穴の中から、ヒョイッと人影が飛び出した。
泥だらけのトールだ。
彼は腰をかがめて着地に成功すると、服の泥を払い、すくっと立ち上がった。
そして、カタリーネの方を向いて、無言で挑発する。
さあ、来いよ、と。
顎をガクガクいわせて声が出ないカタリーネは、やっとの思いで腰を上げると、何度も躓きながら、一目散にフェリクス達の方へ駆けていく。
主の術が切れたらしく、人形達と短剣は光の粒となって消えていった。
フェリクスは、自分の背中に隠れて震えるカタリーネに向かって舌打ちをする。
「行け、ゲルトルート。あいつが自分で掘った墓穴に埋めてやれ」
「言われなくても、そうするさ。あいつに魔女の恐ろしさを骨の髄までしみこませてやるよ」
ゲルトルートは長い杖を握り直し、トールを睨み付けながらカタリーナが立っていた付近までゆっくり歩いて行く。
そして、彼の方へ体の正面を向けた。
彼女が右手に持つ漆黒の長い杖は、上がこぶのようになっていて、全体にゴツゴツした感じ。
それに彼女が魔力を注いでいる最中なのか、徐々に黒紫の光を帯びて輝きだした。
「お前、女相手に手加減ってものがないんだ」
ゲルトルートは頭を左右に振って、苦々しい顔で言葉を吐いた。
「魔女には手加減なんかしないね」
トールは、平気な顔をして相手を挑発した。
「お前、勝利に酔ってんじゃねえよ!」
「あれれ? 君は貴族だよね? 違うのかい? そうか。言葉遣いがなっていないから、平民か」
「畜生! 言わせておけば!」
「もっと女の子らしい言葉を遣った方がいいよ」
トールは、挑発を続ける。
しかし、心の中はいたって冷静。
それだけではなく、相手の動きの子細を伺っている。
逆に、先ほどまで余裕だったゲルトルートの方が苛立っている。
二人の視線は、空中で激しくぶつかり合う。
そんな中、杖の輝きがさらに増した。




