第68話 貴族の少年の挑発
金髪の少年は、さらに声を荒げる。
「校長先生! なぜここにエルフ族の片棒を担ぐ奴がいるのですか!? しかも特待生で。こいつの言うとおり、グリューネヴァルトに心優しいエルフ族がいるなら、なぜ何度も討伐隊が派遣されているのですか!?」
グラートバッハ校長は、慌てて少年の言葉を遮る。
「フェリクス・ブリューゲルくん。言葉を慎み給え」
「いいえ。12ファミリーの筆頭として、ここははっきり言わせてもらいます。エルフ族は討伐されるべきです。それだけではありません! さらに、今目の前にいる、どこの世界から来たのかもわからないような馬の骨族は、魔法を学ぶべきではありません。魔法を使ってもいけないのです。僕は特待生全員を、絶対に認めません!」
それからフェリクスの独演会が始まった。
「メビウス所長が12ファミリー全員に手紙を送った後、僕のブリューゲル公爵家は、全ファミリーに『誘いに乗らないように』と通達を出しました。しかし、よりによって、序列の底辺にいる3つのファミリーは子供がいないためそれを無視し、ここにいる三人を引き取りました。しかも、王族まで手を差し伸べた。空前絶後、あり得ないことが起きたのです!」
「フェリクス・ブリューゲルくん。これ以上はやめたまえ!」
「ファミリーの輪を乱すのはこいつらです。ファミリーにとって疫病神です。神聖な魔法をこいつらに伝授すべきではありません。即刻、退学にすべきです!」
彼の言葉に、数人の男女が「そうだそうだ!」と、はやし立てる。
「フェリクス・ブリューゲルくんも、君達も! やめなさい!」
「校長先生、異世界からの召喚魔法の逆はないのですか? こいつらを異世界へ送り返す魔法が。ないなら、僕が父さんに頼んでファミリーを動かして、力尽くで追い出しますが」
トールは、赤い液体が急上昇する温度計のように、怒りのボルテージがぐんぐん上っていくのを感じた。
固く握る両方の拳も震えている。
彼の熱を帯びた顔はあからさまに怒りを表し、すぐ横にいたシャルロッテにまで熱が伝わりそうだった。
こんな彼は初めてである。
彼女自身も怒りで爆発しそうだったが、このトールは怒りが爆発するとどうなるか?
彼が拳を床に振り下ろすと何が起こるか、彼女は知っている。
講堂が陥没して床ごと全員が落下するかもしれないのだ。
そこでシャルロッテは、トールの左袖を強く引っ張った。
しかし、時すでに遅く、彼の反撃が始まった。
「12ファミリーの筆頭にしては、口の利き方がなっていないじゃないか。なんだい、『こいつ』『こいつ』って。貴族って、そんなに偉いのか? 身分の違いで偉いなら、君は何様に向かってものを言っているんだ? 僕は王族だぜ」
自分に真っ向から向かってくる奴がいるとは予想もしなかったフェリクスは、息を飲んだ。
彼の家であるブリューゲル公爵家は、ローテンシュタイン帝国の魔法使い一族の頂点に立つ。
彼はそこの四男で末っ子。
そんな若い彼にさえ、刃向かう連中なぞいないのだ。
「メビウスさんは、『魔法は誰でも平等に使える』と言っている。『平等に』だよ。どの世界から来たかなんて、僕らも説明できないけど、それが理由でこの世界で差別を受けるのかい? ここまで見下されては、断じて許せないね」
フェリクスは『許せない』という言葉を利用することで、反撃を見いだした。
「ほう。我ら由緒正しき貴族を『許せない』と。我が国の貴族の恐ろしさを知らずに、よく言えたものだ。魔法も、ろくすっぽ使えない無礼者めが」
「へー? 僕が魔法を使ったところを見て言っているのかい?」
「王族になる前のをかい? そんなもの、目も耳も腐るから、見ていないし聞いてもいない」
「僕は、三つ首の大蛇をこの拳で――」
「黙れ! 運がいい平民の自慢話など、笑止千万。耳が汚れる。聞かされる方の立場も考えろ。痛い目に遭いたくなければ、今すぐに失せろ!」
「冗談じゃないね。正しい魔法を学ぶためにこの学校に来ているのだから、僕たちは帰らない。絶対に野良の魔法使いにはならない」
「消えろ! 偽王族!」
「何を根拠に偽だと言っているんだい? 言い負かす言葉がないからだろう? 負け犬の遠吠えにしか聞こえないよ」
「弱い王族はあり得ない。だから偽者なのさ」
「弱いかどうか、僕の魔力の強さを知ってて言っているのかい?」
「何!? そこまで言うなら、……じゃあ、勝負しようか?」
温厚なはずのトールが、たわいもない挑発に乗って止まらなくなっている。
それどころか、貴族相手に挑発を始め、相手まで乗せてしまった。
マリー=ルイーゼもヒルデガルトもトールの左袖を引っ張るが、彼はフェリクスを睨み付けたままだ。
「校長先生! 『私闘』の許可を願います! ファミリーの筆頭が侮辱されているので、ここは引き下がれません。是非お許しを――」
「……それは考え直せないか?」
グラートバッハ校長は、急に弱気な言い方になった。
彼は、侮辱されることを一番嫌う貴族が聞く耳を持たないことは重々承知していた。
12ファミリーの頂点に立つブリューゲル公爵家は特に。
それで、彼の教育者としての最善な提案である『考え直す』を持ち出したのだ。
「ならば、『私闘』をやめる条件をつけましょう。今すぐ、この六人の特待生達を全員退学させてください。帝国魔法学校は、ローテンシュタイン帝国で生を受けた者のみが通う学校のはずです。こいつらがいると、僕たちの勉学に支障を来します」
「それはできない」
「どっちも許可してもらえない!? じゃあ、僕の父さんに仲裁してもらいましょうか? いやでしょう? 父さんまで登場したら校長先生が困るでしょう?」
「……」
「勝負に勝ったら全員退学。負けたら前言撤回。これでどうです?」
フェリクスの父親の仲裁とは、言葉通りではなく、私闘の許可を意味する。
これを知っているグラートバッハ校長は、深いため息をついて諦めた。
「教師として誠に遺憾だが、貴族の侮辱を野放しにしたとなれば、ことが大きくなるので、今回に限り特別に許可する」
フェリクスは、鼻を鳴らす。
「当然の判断ですね。じゃあ、こいつとの勝負を、今から、校庭で」
フェリクスは校長に向けていた顔をトールへ向けると、少年とは思えない恐ろしい形相に変化させ、言葉を吐き捨てた。
「こいよ、どこぞの世界から来た馬の骨!」
シャルロッテは、怒りで顔が真っ赤になって叫んだ。
「二人とも! 頭を冷やしなさいよ! これからみんな仲良く学園生活を――」
フェリクスは彼女の言葉を遮り、攻撃的な目を向ける。
「へん! 序列の底辺にいるアーデルスカッツ侯爵家に用はない! しゃしゃり出てくるな、雌豚! お前のせいで、侯爵家は裏切り者。ファミリーから排除されるんだから、お前は疫病神、いや、疫病豚だよ」
そして、彼はマリー=ルイーゼとヒルデガルトを指さして言葉を続ける。
「そこにいる豚を飼っているゾンネンバオム伯爵家もリリエンタール子爵家も同罪だ。連座してファミリーから排除されるべきだ。そして、貴族の資格も剥奪。野に下れ!」
「何よ! あんたが負けたら、その排除を全部撤回しなさいよ!」
「いいだろう。僕が父さんに頼み込んで、ファミリーへの参加の存続を取り持ってあげるよ。僕の言うことなら父さんは何でも聞くから、任せたまえ。でも……」
それから彼は、彼女へ顔を近づけて睨み付けるように言う。
「頼み込む必要はないだろうよ。なにせ、勝つのはこっちだからね、金髪豚さんよ」
フェリクスの過剰なまでの自信はどこから来るのだろうか?
メビウスの手紙を読んでいるならば、トール達の実力を知っているはずだ。
到底、トールはフェリクスのかなう相手ではない。
となると、何か秘策でもあるのだろうか。
とにかく、冷静さを失い、傲慢な少年をやっつけることしか頭になかったトールは、まんまとフェリクスの挑発に乗ってしまった。
一方、シャルロッテは何度も『豚』呼ばわりされて、よく耐えた。
フェリクスが、そばにいた四人の男女生徒に小声で何か話をしている。
話しかけられた彼らは、黙って講堂から出て行った。
その後ろを、フェリクスが大股で歩いて行く。
トールはマリー=ルイーゼとヒルデガルトの手を振り払って、講堂を出て行くフェリクスの後を追った。
「待ちなさい! トール!」
シャルロッテは、トールを追いかけて左肩をつかんだ。
彼は、立ち止まって左肩をつかむ手を見て、次に彼女の顔を見た。
「これは僕の戦いじゃなくて、みんなの戦いなんだ。止めないで――」
「何、格好つけてんのよ! 頭に血が上っただけじゃない! それを『みんなの戦い』なんて言い方で隠しているだけでしょう!?」
「……」
図星のトールは、言葉を返せない。
シャルロッテは、みるみる涙目になる。
「あたしだって……、あたしだって、『豚』呼ばわりされて我慢したのよ。……耐えたのよ」
ついに、彼女の頬に幾筋もの涙が流れた。
マリー=ルイーゼも追いかけてきて、トールの右手を握りながら訴える。
「トール、とにかく落ち着いて! 周りが見えなくなったら、勝てる勝負も勝てなくなるわよ! 相手の挑発に乗らないで、冷静に!」
やっと追いついたヒルデガルトが、彼の纏っているローブの後ろを引っ張り、ボソッと忠告する。
「今のままじゃ、罠にはまる」
トールは、ヒルデガルトの言葉にハッとした。
こういうときは、冷静な彼女の一言が効果的。
声高に忠告したり、なじったりすると反発するものだ。
案の定、彼の沸騰する血が少し冷めてきた。
「ありがとう。ヒルデガルト」
彼は、ヒルデガルトの頭をクシャクシャとなでた。
「「あたしも!」」
シャルロッテとマリー=ルイーゼはハモって、彼に頭を差し出す。
トールは両手で二人の頭を、髪の毛が乱れるくらい強くなでた。
「みんなありがとう。勝てる気がしてきたよ」
そしてトールは、三つ首の大蛇を退治した時と同じく、首に提げていた指輪を右手中指にはめた。
(今度こそ、失敗しないぞ! 納得できる勝ち方をするんだ! 絶対に!!)
彼は、そう固く決意し、左の手のひらを右手の拳でパンパンと叩いた。
だが、ここで残念なことをお伝えしなければいけない。
実は、トールやシャルロッテはもちろんのこと、特待生全員が、フェリクスの言う『私闘』の意味を全く理解していなかった。
単に、『魔法の力比べ』、ちょっと乱暴な言い方では『取っ組み合いの喧嘩』程度にしか考えていなかったのである。
『私闘』の本当の意味が何であるか。
それに気づいたとき、トール達全員は青ざめるのであった。




