第44話 白銀のオオカミ
フリードマンは小声で長めの詠唱をし、右手の人差し指を立てて、右手首をくるくる回す。
すると、フリードマンの近くの地面に、直径2メートルほどの銀色に輝く魔方陣が現れ、その周囲から上に向かって、光のシャワーのようなものが吹き出した。
シャワーが光の壁のようになっていく中、魔方陣の中央から光の塊がせり上がってくる。
よく見ると、それは体長2メートル程度で四つ足の獣の形をしていた。
やがて、光の壁が消えると、獣の形はオオカミに変化した。
体高が1メートル程度で、大型犬よりもやや大きい。
彼の使い魔『白銀のオオカミ』の召還だ。
切れ長のつり目から覗く赤い瞳。
一瞬で肉塊を噛み切るであろう鋭い牙。
歯茎をむき出しにした唇。
不敵な笑いに見えるつり上がった口角。
喉の奥から漏れるゴロゴロという唸り声。
精悍な体を覆う無数の鋼のような体毛。
その全身を覆う赤黒い邪悪な炎。
四つ足の先に見える鋭く長い爪。
獰猛な獣が、腹を地面に近づけ、今にも飛びかかる体勢を整えた。
「大人しく、こっちに来な。さもないと、そこの先生を一瞬にして噛み殺すが、いいのかい? こいつが首を一噛みすれば、生首が転がるぜ」
フリードマンのその言葉は、オオカミ自身が口にしたかのように、クラウス達の耳へ届いた。
それを合図に、邪悪な獣は主のそばから離れて、クラウスに一歩一歩近づいて行く。
「さあ。早く来な。そうすれば、何もしないよ」
フリードマンは手招きを繰り返す。
「先にそのオオカミを魔方陣に戻して! そして、メビウスさんの縄を解いて!」
シャルロッテは、自分の魔力で方をつけようとはしておらず、あくまで平和裏に解決するため、彼に交換条件を突きつけた。
「いかん! 信用するな! 奴の招きに応じてはいけない!」
クラウスは、オオカミを睨みながら、声だけはシャルロッテに向かって投げかける。
彼女の『先に』が、敵の招きに応じると思ったからだ。
「いや、そこにいては駄目だよ。さあ、手を握って。そうしたら、オオカミを元に戻そう。そして、縄を解こう」
フリードマンは、右手を差し出す。
握手しろ、というのだ。
「いいえ! 信用できない! オオカミを今すぐ戻して! 縄も解いて!」
「何を言う? こっちだって、まだお嬢ちゃんを信用できん。さあ、ここに来る方が先だ。そうしたら信用しよう」
「今、『信用できない』って言ったわよね? ということは、お互い信用できていないじゃない? だったら、この交渉はまとまるはずないわ!」
「それは詭弁だ。お嬢ちゃんがこちらに来ればすべて解決する。おかしなことを言わないで、こちらの指示に従うことだ」
「信用できる行動を取らない人の言うことを、どうやって信じるのよ!?」
そのようなやりとりをしていると、どうしたことか、オオカミはピタリと歩みを止め、逆に後ずさりを始めた。
オオカミは獲物のクラウスではなく、馬車の方に頭を向けている。
ゴロゴロと喉を鳴らす音が、少し弱くなり、極度に警戒しているように見えるのだ。
その証拠に、珍しく、オオカミが小刻みに震えている。
「どうした!? なぜ戻ってくる!? こら! 奴を襲わんか!」
フリードマンは、急に弱気になった使い魔を叱咤する。
しかし、オオカミは聞く耳を持たない。
「ほうら。私が怖いのよ。ざまあみなさい」
シャルロッテが、両手を腰に当てて、エッヘンという態度を取った。
そして、左手の親指を鼻の頭にくっつけて手をひらひらさせながら、オオカミに向かって舌を出す。
さらに、大股で数歩前へ踏みだし、全身で威嚇した。
「いや。違う……。まだ馬車の中にいる魔力の持ち主に畏れている……」
フリードマンは、オオカミが尻尾を巻いたのがなぜなのかわかった。
先頭の馬車の中から、得も言われぬ魔力を感じ取ったのだ。
中にいる誰かが、特大級の魔力を発動している。
音は聞こえないが、大音響で体が揺れるのと同じくらいビリビリする。
彼は、今にもその馬車の扉を窮屈そうに抜け出る、馬車より数倍大きな魔王を思い描いてしまった。
それは、クラウスもジクムントも同じであった。
彼らは、ほぼ同時に驚嘆の声を上げる。
「「なんだ、この魔力は!!」」




