第41話 エルフの言い分
とその時、ほぼ同時に2台の馬車の扉が開き、大人二人が飛び出して、バンバンと大きな音がした。
クラウスが勢いよく扉を閉め、ほぼ同じくしてメビウスも扉を閉めたのだ。
黒マントの二人組は、横に長く伸びた耳を音のする方に向けた。
「貴様!! 今すぐ魔法を解け!!」
クラウスは憤り、赤鬼のような形相で男に向かって吠えた。
すると、髭の男は御者達に向けていた視線を残念そうに切って、クラウスの方へ一瞥した。
「正しい躾を教えてやっているのに、なんだ貴様……って、ん? おお、これはこれはクラウス先生」
男はゾッとする顔から、一瞬で親しげな顔に変化する。
そのギャップに、不意を突かれたような顔をしたクラウスだが、落ち着きを取り戻し、頭の中で記憶している無数の顔と照合を始めた。
しかし、いずれも不一致だった。
「貴様のことなぞ知らん!」
クラウスは、数歩前に出て、仁王立ちになった。
「それはそうでしょう。わしは、よほどのことがない限り姿を見せない主義なので、まず間違いなく初めてのはず。なら、『グリューネヴァルトのジクムント』はご存じですかな?」
ジクムントは、つば付きの三角錐の帽子を取って、目線は動かさず、軽く一礼する。
「な……っ!」
クラウスは、今度は数歩退却して、元の位置に戻った。
二人組は、ほぼ同時に馬から下りて、クラウス達に向かって歩み寄ってきた。
「ほら、その顔は『名前ならよく知っている』という顔ですぞ。ハハハハハハハハハ!」
ジクムントは自慢の顎髭をなでながら腹を抱えて笑い出した。
「エ、エルフの森の四天王の一人……」
クラウスは、熱病にうなされているかのように弱々しく声を絞り出す。
ジクムントは、クラウスとの距離を5メートルほど取って立ち止まり、拍手をする。
「結構結構。『闇のエルフの極悪人の一人』なんて口にされたら、今この場でクラウス先生の御首が飛ぶところでしたぞ。左様。このわしがジクムント」
「な、なぜ私の名前を知っている!?」
「あの魔法学校の先生でおいででしょう? 確か、非常勤講師でしたか。あの学校で阿呆の教師達が熱に浮かれたように子供達を極悪人として養成している中で、唯一、熱血教師として正義を無駄に振り回す、って評判ですからな。無・駄・に」
メビウスは拳を挙げて抗議する。
「でたらめも大概にしろ!」
「おやあ? カツラをかぶった白骨が何やらのたまわっておるが、はて、気のせいか?」
ジクムントがクラウスの肩越しにメビウスを覗いて、口をへの字にする。
「わしは、ハンス・メビ――」
「名乗らないでも知っておる。魔法研究所という偽看板を掲げて魔法使いを人体実験する、これまた極悪人の長、メビウスであろう? 一族郎党がある日突如死に絶えて、遺産がたんまりと転がり込んだとはもっぱらの噂だが?」
メビウスは、言い返せない何かがあるのが、沈黙した。
「ほう。図星と見える。金を湯水のごとくつぎ込んで、さしずめ子供を捕らえて人体実験の続きでも行うのであろう。熱血漢であらせられるクラウス先生、よろしいのですかな? あの根っからの極悪人に子供を生け贄として渡して?」
「せ、先生はそんなお方ではない! そ、それより、貴様らはどうしてここへ!?」
クラウスの動揺は止まらない。
「それは当然、そちらの哀れな子供を保護しに参りましてな。しかも、馬車付きで。いえいえ、御者もお二人の付添も要りませんぞ。わしらが、安全に馬車を運転しますからご安心を」
「何!?」
「子供の命を守るのは我々正義の使者の役目。邪魔立てすると、我らの妖精王に楯突くことになりますが、よろしいかな?」
クラウスは、歯ぎしりが止まらない。
「貴様らの手に渡ると、この子供を学校に行かせないではないか? うちの学校にグリューネヴァルトからは誰も通学していないが」
「必要ない。わしらの伝統の通り、わしらが直伝で教えるのみ」
「それは駄目だ。正しい魔法の使い方をキチンと子供達に教えないといけない。この子供隊は、私達が責任を持って教える。だから、貴様らには渡さない」
「強情ですな。そういうところは、ローテンシュタイン帝国の連中みんなに共通しておりますぞ。だからこそ、我々の森を勝手にローテンシュタイン帝国とスカルバンティーア大公国で真っ二つにした。我々の民を二分したのは貴殿の国家であるぞ!」
「それは違う。元々、グリューネヴァルトのエルフは、ローテンシュタイン帝国側につく一派とスカルバンティーア大公国側につく一派の二つに昔から分かれていたはず」
「何寝言をおっしゃる。平和に暮らしていた部族が両方から侵略されて、それぞれがやむなく朝貢したことが始まりだが」
「歴史の議論はもういい!」
「おやおや、先に議論を仕掛けたのは先生の方ですが? 逃げるのですかな? では、歴史解釈に負けを認めたと思ってよろしいかな?」
「認めん! それより、なぜこの子供達が必要なのか?」
「救済に決まっておる。帝国の片棒を担ぐ悪の手先には渡さん。当然の帰結よ」
「いや、その先の目的があるはず。この子らの魔力が強いことを知っての悪企みであろう?」
「貴様に教える話ではない。熱血教師なら、少しはエルフの事情を理解して、同情して、おとなしく引き渡すかと思ったが」
「渡すわけがなかろう。どうせ、悪に利用するに決まっている」
「何の悪にとな?」
「子供の魔力を利用して帝国内に争乱を引き起こし、森の分離独立をたきつけるのであろう」
「民族が一つになって、何が悪い? 我々の悲願にちょっと協力してもらうだけだが、それが何か?」
「それは嘘だ!」
「我々の神聖な土地の真ん中に、勝手に線引きをする方が悪ではないのか?」
「魔法を悪事に利用することこそ、悪の所業だ!」
「何を血迷いごとを。言うに事欠いて、悪事に利用するだと? その言葉はそっくり、そちらにリボンと封蝋をつけてお渡しするがな。……おっと! させるか!」
ジクムントは、とっさに短く詠唱して右手の指をパチンと鳴らし、「束縛!!」と叫ぶ。
クラウスは覚悟をして目をつむったが、悲鳴があがったのは、後ろの方だった。
まずい! メビウスがやられた!
彼は声の方向を振り返る。
そこには、縄で頭から足先までぐるぐる巻きになったメビウスが、道ばたに転がり、もがいていた。
「メビウスさん!」
クラウスはメビウスのところに駆け寄るが、生きているかのように締め付ける頑丈な縄で、手の施しようがない。
「結界を張ろうったって、無駄無駄。死に損ないは、魔法のかけ方もスローモー。バレバレですぞ」
「……っ!」
クラウスは、したり顔のジクムントを睨みつけることしかできなかった。
「骨を砕けば、反省するであろう」
「やめろ!!!」
「……ま。いいか。年寄りにこの魔法を使えば、あの状態ですでに4、5本は折れているはず」
「……っ!!」
クラウスは己の無力ぶりを痛感するも、一度も干戈を交えていないので、もしかしたら相手の油断で勝てるかも、という思いはあった。
1%の望みでも、それこそ一縷の望みでも、賭ける価値はあるか?
しかし、少年少女を守る立場にあっては、今冒険するにはあまりに危険だ。
彼は必死に考える。
(第一、相手が悪すぎる。
ジクムントは、四天王と呼ばれるとおり、エルフの中でも最強の魔法使いの一人で、三つ首の大蛇を使い魔として、無敵と言われている。
烈風魔法で吹き飛ばせる自信がない。
『そよ風』と一蹴されるはずだ。
それにもう一人。
スキンヘッドの男は自分で名乗らないが、彼の横に立つ以上、ジクムントの右腕と呼ばれるフリードマンという男のはず。
心を読む魔法を得意とし、全身が銀色のオオカミを使い魔とする。
ということは、黒猫マックスの予知が見事に当たったのだ)
クラウスは青ざめ、全身がガクガクと震え、顔に脂汗が滲む。
「さあ! おとなしく子供をこちらへ渡してもらいましょうか!?」
「ぬ……!」
クラウスが逡巡する中、突然、先頭の馬車の扉が勢いよく開いた。
そこから飛び出した誰かが高く宙を舞う。
「ちょっと待ったああああああああああ!!」
甲高いが澄んだ声。
空中で大きく跳ねる金色の二つの髪束。
白く、そして紫に輝く光を纏った少女が、扉から草むらまで、残光の美しい軌跡を描く。
シャルロッテだ。
膝を器用に曲げて、床運動の体操選手のように着地の決めポーズをした彼女。
さっそく習い立ての強化魔法と防御魔法で光を纏い、それで自信に満ちあふれたのか、天下無敵という表情まで見せつけている。
そして、大股に足を開き、左手を腰に当て、右手人差し指をビシーッと黒マントの二人組に突き出した。
「あんた達の言いなりになんか、ぜええええええええええったいに、ならないんだからね!!!」
人形のように美しい少女が強烈に啖呵を切る。
それに凍り付く大の大人四人。
無鉄砲を絵に描くなら、正にこの後先を考えないシャルロッテをモデルにすればいい。
だがしかし、今クラウス達は断崖絶壁から落ちて、途中に突き出た木の枝を片手でつかみ、やっとのことで体を支えている窮地の状態。
上から垂れてくる縄であれば、細さなど気にしてはいられないのだ。
彼女の潜在能力は、ローテンシュタイン帝国の中で上から二番目だ。
クラウスは全身から吹き出す冷や汗を感じながらも、魔法デビューの彼女に一発大逆転を賭けた。




