第40話 悪魔の挨拶
「こらっ! 止まるんでない!」
先頭の馬車を操る御者が、すっかり歩き始めた馬に鞭をくれる。
しかし、叩かれるとビクリとする馬ではあったが、走ることはなく、ついに立ち往生した。
後続の馬車の馬も、これに追随して走ることを止めてしまった。
ちょうどその頃、天空を覆っていた薄雲が、墨汁を吸い込んだかのように暗くなり始めた。
生暖かいく、じっとり湿った風が、ヒューと草むらを、そして上り坂と丘をなでる。
そしてその風が次第に強くなり始め、風音は呪いの声のように耳朶を打つ。
御者達の打ち下ろす鞭の音がむなしく鳴り響く中、後ろから馬の蹄の音が聞こえて来たかと思うと、追っ手の二人組が黒いつむじ風のように馬車の横をすり抜けていく。
その時、御者も馬車の乗客も冷や水を頭からかぶったように、ぞわっと総毛立った。
ついに『厄災』に追いつかれたのだ。
二人組は手綱を引いて減速しつつ、馬車の前方に回り込んだ。
そして、馬体を横向けにして道を塞ぎ、剣先のような目で御者に凄む。
彼らの全身は邪悪な赤黒い炎に包まれ、メラメラと燃えるように見えた。
視線を合わせるだけで全身に電気がビリビリと走る。
恐怖に飲み込まれた御者達は、滑り落ちるように馬車から降りて、「命だけは助けてくれ!」と口々に叫んで逃げ出した。
無理もない。
一目見ればわかる『闇のエルフ』の登場である。
彼らは、『死』へ誘う魑魅魍魎。
目線を合わせることすら憚られる存在だ。
「おやおや。こちらから丁寧なご挨拶を差し上げようと思ったら、いきなり尻を向けるとは無礼千万。礼儀を軽んじる輩には成敗をせんとな」
髭の男が苦虫をかみつぶすような顔で逃げる御者達の背中を見る。
そして、フンと鼻を鳴らして小声で詠唱し、右手の指をパチンと鳴らした。
「束縛!!」
男が魔法名を叫ぶと、御者達は、空中から突如現れた縄のようなもので頭から足先までぐるぐる巻きにされた。
縄が生き物のように巻き付き、独りでに結び目まで作るのである。
一種のミイラの状態になった彼らはドオッと草むらに倒れ、そのまま悲痛な叫び声を上げながら、芋虫のようにのたうち回る。
「骨を何本か折っておけば、少しは非礼の罰が身にしみるだろうよ」
髭の男が再度指を鳴らすと、縄の中からボキボキという鈍い音が聞こえ、御者達は一層叫び声を上げた。
「お頭。馬車の中から、強力な魔法を感じやす。誰か発動しやがったみたいですぜ」
「ほほう。身構えたな。臨戦態勢という訳か」
「どうしやす?」
「馬車の中では、貴奴らの心を読めないか?」
「ええ。さすがにそれは……」
「では、こちらからご挨拶といくかな」
髭の男は、馬車の中に隠れている乗客に向かって叫んだ。
「あーあー、諸君! ご機嫌麗しゅう! 初対面でこのあいにくの天気は残念であるが、いつまでもそんな狭苦しい馬車の中で雨を避けようとしないで、外に出てはいかがかな? 話ができないではないか。諸君はさすがに礼儀をわきまえておると信じているがな」
反応がない。
「それとも、あいつらみたいに、お縄につきたいのかな? どうなのかね!?」
二人組は、ぐったりした御者達を見て、薄笑いを浮かべた。




