第368話 湯煙よ、我を救い給え
ここは、ローテンシュタイン帝国の宮殿内にある湯治場。
トールは一人で広い浴槽に浸かりながら、入浴を拒む黒猫マックスをしきりに誘っていた。
「だ・か・ら、俺は風呂が嫌いだって言っているのに、わからんのか、小僧。……それはそうと、メビウスとクラウスが『こんな魔法は滅多に見ない』と呆れていたが、いったい誰にかけられた?」
「ああ、フックスシュタインっていう九尾の狐さ。なんとか魔法を解いてもらって、体が軽くなった気がするよ」
「魔法に重量なんかある訳ないだろ。それより、髪の色も目の色も黒に戻って良かったな」
「うん。前の色でも悪くはなかったけどね。やっぱり、この方が落ち着く」
「小僧が落ち着くのは、鏡を見たときだけ。あんな色は、見ているこっちが四六時中落ち着かないぞ。……ところで、ネリー・アンドレーエ情報相だったか、あの婆さんに長々と事情聴取を受けていたようだが」
「ああ、根掘り葉掘り聞かれたよ。結構、魔法で操られていたから、覚えていないんだよねぇ……って、適当に答えて許してくれたけど」
「小僧も偉くなったものだな。都合の悪いことは、『記憶にございません』って、ごまかすのは偉い奴に多いからな」
「ちっとも褒めていないじゃないか。聞いて損した」
「ところで、小僧が連れて来たあの女。どこで知り合った? いかがわしい宿屋か? さすがに、知らぬ存ぜぬでは通せんぞ」
「おいおい。ヴィヴィエンヌは、敵に襲われたところを助けたから付いてきたんだけどね」
「なんでもあの女、人間界に腰を据えるって言っていたが、あの目は小僧に惚れている目だ。おい、俺にだけはこっそりと教えろ。あの女とどこまでいった? 当然、抱いたよな?」
「い、いきなり、何を言うんだい」
「その慌てぶりは、さては、二人とも裸になって相当なところまで行ったな?」
「な、なんのことやら、さっぱり……」
トールは、全裸のヴィヴィエンヌが顔に覆い被さってきたアクシデントと、あの時の双丘の感触を思い出して、ひどく赤面した。
「ん? 外が騒がしいが。……おい、女どもが来るぞ」
「え? なんで男湯に彼女達が!?」
「シー! 小僧、声を立てるな。扉の向こうに隠れろ」
「へいへい」
トールと黒猫マックスは、音を立てないように忍び足で、清掃する従業員が使う扉から外へ出た。
「隊長。女湯が水って、ひどくないですか?」
「シャルロッテ。それはよくあるから」
「アーデルハイトさん、本当ですか?」
「ええ。従業員が、結構間違いを起こすらしいの」
「お? ヴィヴィエンヌさんって、結構、胸が大きいなぁ」
「いいえ、ヴィルヘルミナ隊長も」
「いや、背がでかいからそう見えるだけ。同じ身長に縮んだら、負けるね。で、ざっと見渡したところ、ヴィヴィエンヌさんといい勝負なのは、……マリー=ルイーゼかな」
「えへへ」
「その勝負、ずるい」
「ずるいに一票」
「ああ、ごめん、シャルロッテ、ヒルデガルト」
トールは、そんな会話を扉の裏でドキドキしながら聞いていた。会話だけで彼女の裸体が目に浮かんでくるのは、男の性か。彼は、体が冷えつつあったが、逆に首から上が熱くなっていた。
『おい、小僧。ちょっと聞いていいか?』
『何? どうしたの?』
『なんで俺は腕をつかまれ、お前のへその下にぶら下がってなければならんのだ?』
『いやあ……、だって……、急に扉が開いたら、あそこが見えちゃうじゃん』
『俺は小僧のふんどしではないぞ。それに、さっきから、なんかが腹に当たるんだが』
『我慢、我慢』
『さては、妄想を膨らませているな? それで大きく――』
『シー! 聞こえるって!』
ちょうどその時、彼女達がバシャバシャと風呂に入ってくる音が聞こえてきた。
「いいなぁ、大きい人は。うらやましい」
「すっごく柔らかそう」
「触りたい?」
「「いいの!?」」
『おい、小僧。さっきから腹を押してくる物が、さらに大きくなった気が――』
『辛抱、辛抱』
『なんとかならんのか!』
『静かに!』
「ねえ、ヴィヴィエンヌさんが第7魔法分隊に志願したって?」
「ええ。人間界に落ち着こうと思って」
「歓迎だな。これだけ魔法が使える人材は珍しい。模擬練習での剣捌きも見事だったし」
「採用決定ですか?」
「もちろんだとも。しばらく、アーデルハイトと一緒に行動してもらうから」
「私、ヴィヴィエンヌさんに感謝しなきゃ」
「どうした、シャルロッテ?」
「ヴィヴィエンヌさんの魔法の力で、私が失っていたトールとの記憶をほとんど取り戻せたの」
「へー」
「トールって、私のファーストキスを奪ったのよ」
「あらら。ごちそうさま」
「ヴィヴィエンヌさんは、トールに惚れているそうだよ。ライバル登場かな?」
「えー!? うっそー!?」
「ぼやぼやしていると、奪っちゃうわよ」
「頑張らなくちゃ」
「負けるに一票」
「なによ! ヒル!」
「「「ハハハ!」」」
「ところで、トールって、これからどうするか、誰か知ってる?」
「え? シャル、聞いていないの? なんか、魔法組合の依頼で稼ぐんだって」
「マリーは一緒に行くの?」
「もちのろんよ」
「あたしも行くー」
「「私も」」
「じゃあ、仕方ないわね。行ってあげるわよ」
「私、トールの夢を知っているわ」
「ほんと!? ヴィヴィエンヌさん、教えて!」
「なんかね、家を建てたいんだって。そして……」
「そして?」
「子供を――」
「キャー」
「ん? なんか扉の向こうで、ブッと音がしなかった?」
「した、した」
「誰か、吹き出したみたい」
「あああっ! 今度はゲホゲホ咳き込んでいる!」
「向こうに誰かいる!?」
「透視できるゴーグル出してみた」
「何やつ!? くせ者か!?」
ヴィルヘルミナは、魔法で扉を勢いよく開き、裏に隠れていたくせ者を魔法で引きずり出す。
勢いよく飛び出た彼の裸体は、ふんどしの前垂れの格好になった黒猫マックスと一緒に浴槽の縁まで引っ張られた。
くせ者の正体に気づいて仰天したヴィルヘルミナが、魔力で引っ張るのを止めた。
ところが、加速が付いているトールは急には止まれず、前につんのめる格好で、浴槽の縁から彼女達に向かって宙を跳んだ。
その時、思わず手足をばたつかせてしまったため、前を隠す役だった哀れな黒猫マックスが落下した。
「うおっ! 小僧!」
「うわわわわわわわわわわっ!」
「「「「「「「「きゃああああああああああ!!」」」」」」」」
初めて湯の中へ水没する黒猫マックス。
彼女達の輪の中に突っ込むトール。
響き渡る黄色い悲鳴。
その時、湯気がどこまでトールの大事なところを隠していたのかは、読者の皆様のご想像にお任せする。
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