第362話 水晶の魔王の最期
涙に濡れるヴィヴィエンヌは、ハッと顔を上げ、耳を疑った。
右に見えるすり鉢状の巨大な穴は、風の流れを変え、風の音を増幅し、さっきから不気味な唸りを上げているが、その音に混じってコロッという音が聞こえたからだ。
その小さな硬い音。明らかに、石か何かが転がった時の音。
彼女は地面に膝を突いたまま、両耳の後ろに手を当てて、神経を集中する。
手を当てることによって増幅されたザーッという音に、また、コロッと音が混ざった。
同じ硬い音。それは、左側の瓦礫の方からだ。
音の方向に目をやった彼女は、視界に映る瓦礫の一つ一つを穴が開くほど見つめる。
全てが死に絶えた世界の中で、自分以外の命を探すのだ。
今度は、コロコロッと音がした。と同時に、わずかに動く瓦礫の一部へ視線が固定される。
そこに誰かいる!
トールに違いないと思ったヴィヴィエンヌだが、舌先まで出かかった彼の名前をゴクリと飲み込んだ。
瓦礫から魔力を感じる。これは、彼の魔力ではない。
彼女は動く瓦礫を睨み付け、ソッと立ち上がり、右手を突き出した。
正三角形と円を組み合わせた輝く魔方陣を手の先に出現させ、音を立てないように近づいていく。
ついに、瓦礫が大きく動いた。ギョッとして立ち止まる彼女。
その陰から覗いたのは、金髪の頭。
さすがの元親衛隊隊長も、膝が笑い、突き出した右腕が震えて上下する。
魔王がまだ生きているという恐怖。
最初にトールを見つけられなかったという怒り。
彼女は速攻で、金髪の頭めがけて魔方陣をぶつけた。
粉々になった瓦礫は飛散し、後ろにいた魔王がぼろ切れのように飛ぶ。
憤怒の形相のヴィヴィエンヌは、魔王を5回吹き飛ばした。魔方陣をぶつける度に力を増しながら。
「女……。もうよい……。そちの勝ちだ」
肩で大きく息をする彼女は、魔王の振り絞るような声を耳にし、攻撃を中断した。
「見よ。この体は……、もう修復できぬ。男が、突き刺した剣で……、咄嗟に爆裂魔法を使うとは……」
魔王が震える両手で押さえていた左胸は、大きな空洞となり、背中を預ける瓦礫が見えている。
「さあ、天空の魔王のところへ……、この首を献上せよ。あやつの軍門に降るのは癪に障るが……、仕方あるまい。……そうだ。あの男をここに呼べ」
ヴィヴィエンヌは、目を輝かせる。
「あの男? トールのこと? 今、どこにいる!?」
「そう遠くないはず。……感じる。……うっすらとだが、奴の気配が。……左を探せ」
魔王の言葉に従い、左の方角へ足を踏み出したヴィヴィエンヌは、10メートル離れたところで急に瓦礫が動いたので、ギョッとした。
そこから現れたのは、三人の騎士達。
喜び合う四人は、手分けしてトールを捜す。
彼らは、そこからさらに30メートル離れたところで、瓦礫に埋まっているトールを救出した。
体中傷だらけで、装備もボロボロ。おまけに、脳震盪を起こしているらしく、動けない。
ヴィヴィエンヌは、魔王のところへ赴いた。
「いたわよ。でも、動けない。伝言なら私が聞く」
「そうか……。男に伝えよ。『魔界の騒乱を引き起こしたのは、貴様だ。魔王が互いに牽制し合って保たれていた均衡を崩したのだからな』と。……奴が後悔する顔が見られず、……残念至極よ」
「……」
「天空の魔王は、この世界を統べる器ではない。必ず、民が蜂起する。混乱が民を野蛮にし、怒濤のように人間界へ押し寄せる。……そして、人間界は暗黒の時代に逆戻りよ」
「……」
「さあ、女。……この首を刎ねよ。……これ以上、醜態をさらすのは、本意ではない。……慈悲だと思って、剣を振れ」
ヴィヴィエンヌは軽く頷き、近くに落ちていたシミターを拾って振りかぶり、魔王の首を刎ねた。
彼女は、魔法で空中から麻袋を取り出し、無念の表情で転がる首を納める。
その後、犬顔の騎士とヴィヴィエンヌの治癒魔法で回復したトールは、笑顔を取り戻した。
彼女は、その時、魔王からの伝言を心に終った。
あんな話を伝えたところで、何も彼のプラスにならないと思えたからだ。
代わりに彼女は、接近戦で爆裂魔法を使うという無茶なことをしないようにと忠告し、近くの瓦礫の下から拾い上げたエクスカリバーを手渡した。
しきりにサラサラヘアをかきむしる彼は、鏡面のように顔を写すエクスカリバーを下から上まで眺める。
これだけ戦って、吹き飛ばされているのに、刃こぼれもなく血糊も付いていないのは、実に不思議だった。
彼は、満足げにエクスカリバーを左腕に戻す。
五人は、瓦礫の山と巨大な穴を今一度眺めて、その場を立ち去った。




