第359話 一瞬で吹き飛ぶ円形闘技場
慌てたヴィヴィエンヌは、トールの首へ左腕を回して両手をしっかり握り、さらに体の正面を彼の方へ向ける。左胸が彼の胸に当たるが、気にはしていられない。そうしないと、頭の後ろが支えられていないので、落下しそうなのだ。
彼女は、少し前に、自分が「きゃっ」と叫んだと同時に彼が魔法名を叫んだことを思い出した。ローテンシュタイン帝国の魔法名は、彼女にはあまりわからない。
ぐんぐん上昇する彼女は、強い風が顔に当たり、迫る曇天の雲を半眼で見つめる。
(何が起こるの? どこまで上昇するの?
どでかい魔法と言っていた。それは何?)
不安感が募る彼女は、目の前で四角い光が広がっていくのを認めた。
(何かしら?)
首を少し後ろへ曲げて、頭の上の方を見る。
そうすることで、彼の右手のひらを中心に大きな四角形が広がっていることがわかった。その広がり方は尋常ではない。
「これは何?」
「ああ、形状は圧搾機の一部だけど、実態は魔法の爆弾さ」
そう言う彼の唇が、キスをするほど迫ってくる。こうなると、いつもは彼に対して大胆な彼女でさえも、ドキドキと鼓動が高まる。
「体内に対流する魔力を集結させ、右手の上に光の立方体を作っているんだ。いい頃合いの大きさになってきた。しかも、円形闘技場のど真ん中に来た。さあ、こいつをお見舞いしてやる」
彼女が下から見上げた四角い光は、立方体の魔法で出現した立方体の底面が発している物。立方体は、トールの十八番の魔法である。
立方体の表面は燃えているようにメラメラと揺らぎ、外に向かってバシバシッと電光が走る。
ヴィヴィエンヌを抱きかかえたままの跳躍でも、立方体の1辺は10メートルを軽く超える大きさに成長していた。
とその時、彼女の視界から光の四角形が消えた。
トールが立方体の上に跳び上がったのだが、何が起きているのかわからない彼女は、消えたとしか思えなかった。こうなると、理解が追いつかず、彼の顔を見つめ、全てを委ねるしかなくなった。
一方、トールはヴィヴィエンヌを抱きかかえているので、空中で逆立ちする格好は採らない。
自由落下と蹴りで加速させることにした。
地上との距離は、60メートル。
跳躍の頂点に達した彼は、メラメラと燃える立方体を両足で押さえつけ、急降下した。
「うおおおおおおおおおおっ!! 巨人の圧迫!!!!」
彼は魔法名を叫び、一度膝を曲げてから急速に伸ばして、その弾みで光の立方体を下へ蹴った。
蹴るのは初めてだったが、効果抜群。
加速が付いた立方体は、円形闘技場の中心をぐんぐんと目指す。
そのまま落下物は、真下にいた大勢の連中を押しつぶしながら、まっすぐ地表にめり込む。
そして、隕石の衝突のように地中で激しく爆発した。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……
お椀を伏せたような大爆発は、直径100メートル以上の大きさに膨張し、円形闘技場を丸呑みする。
ヴィヴィエンヌは、爆発音にハッとして真下を見た。
強烈な閃光が顔を照らす。猛烈な爆風は、周囲の建物をも容赦なく吹き飛ばす。
爆発の衝撃で揺れる大地は、飛ばされなかった建物を激しく揺さぶる。
その時、彼女の脳裏に、この世界で囁かれていたある噂話が浮かんできた。それが彼女の桜色の唇からこぼれる。
「これが人間界で起きた『ガルネの地獄』ね」
「えっ?」
「誰もが知っている有名な事件よ。この世界ではね。魔王を宮殿ごと吹き飛ばしたって」
「……」
ヴィヴィエンヌは、目を下に向けたままだ。それは、彼から目をそらしているとも見て取れる。
トールは悶々としつつ彼女を抱きかかえ、しばらくの間、魔法で空中を漂っていた。
彼女の柔らかくて豊穣な胸が、さっきから自分の体に当たっていることに、今頃になって気になってきた。
彼は、耳も頬も喉までも赤らめる。
やがて、粉塵が晴れてきた。
トールはヴィヴィエンヌと一緒に、残存兵、特に魔王に警戒しながら地表へ舞い降りた。




